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2006/10/25

超人のジャーナリスト・アイ 48 ちょっと気になった新聞広告

Img046_2 準備万端で京都へ出張と思いきや、静岡駅で人身事故のため小田原駅近くで足止めされてかれこれ2時間半。その間何気なく今日の日経朝刊を読んでいたら、興味の引く新聞広告に出くわした。以前にもこのコラムで取り上げた三和酒造(焼酎「いいちこ」の発売元)のPR雑誌『季刊 iichiko』が創刊20周年記念号で日本語の文化学を特集している広告である。キャッチコピーの見出しは、深みを語るものがあるだ。文法学者・三上章の言語理論を取り上げているが、三上と言えば、何と言っても1960年に出版された『象の鼻が長い』の本が有名だが、そこで言及している格助詞、特に「は」の卓越した考察である。最近この三上文法が注目を集めているという。藤井貞和「主格補語性の『は』」、金谷武洋「日本語が始まったー三上章の思想と文法」、山崎紀美子「英語から見た日本語」、宇津木愛子「日本語の述語論」ー『ものおもい』の言語という捉え方」、久島茂「疑問詞の意味体系」、山本哲士「日本文化理論としての三上章の言語理論」それにカラー特集として「こくごの教科書」がラインナップ。菊5判128頁、10月20日発行。お問い合わせ先は0978-32-1431。筆者は言語学に興味を持ち始めた20才の頃に、異端の文法学者、時枝誠記、学校文法の山田孝雄そして三上章などの本を読んだものだ。筆者には明治以来の英語などの西洋文法の概念の引き移しが問題の根本に横たわっているようにみえるが、さて、どうだろう。いろいろと外国と日本の関わりについて主に文化史的側面から考察を始めている筆者とっては格好の雑誌である。

2006/10/20

超人の面白ラーメン紀行 51 仙台 『柳家仙台店』

  約一ヵ月振りでのラーメン面白紀行の登場です。この一ヵ月間は食べてはいましたが書き記すほどのインパクトがなかったということでしょう。
  さて、今回は出張中の仙台でひょんなことで口コミで知ったラーメン専門店です。本店は盛岡だそうですが、仙台駅東口ヨドバシカメラから徒歩2分のところにあります『柳家』。Nec_0079_1この店は2006年6月開店の比較的新しい店で、メニューは7品全て白味噌ベースが特徴のラーメン店です。なっとう700円、マーボーなっとう880円、キムチなっとう880円、蔵王850円、青葉城750円、七夕に焼肉といったラインナップ、地の利を生かしたユニークなメニューになっています。筆者はなっとうラーメンNec_0078_1
を注文しました。この看板ラーメンは、何と言っても納豆と白味噌をベースにした独特の風味を備えたスープにあります。多少納豆の臭さはするもののそれほどきつくなく、炒めて多少シャキシャキ感のする、やや大目のモヤシと細切れの豚肉それにすりつぶした納豆が少々トッピングしてあり、黄色いストレート系の麺とも馴染んであっさりとした中にコクのある味を出していました。もともと味噌は豆から出来ていますので驚くには値しませんが、この絶妙な味の競演は食べた人をしばし沈黙させてしまう魔力があるかも知れません。ここにはトッピングでは定番の玉子とか海苔がありませんでした。忘れていました、あのチャーシューもありませんでしたね。それでも手応えは十分でしょう。店内はコの字型のカウンターに12席、テーブルひとつの計20席と小さい。午後2時頃で8人はいましたでしょうか。筆者同様どこからか聞き付けて来た若い人もいたみたい。アイディア一杯の小さな店に幸あれ、です。読者諸兄は一度お試しあれ。
① スープ★★★ ② 麺★★☆ ③ トッピング★★☆ ④ 接客・雰囲気★★ ⑤価格 ★★★

クロカル超人が行く 50 宮城県・松島

Nec_0077_1「ああ松島や ああ松島や ああ松島」と俳聖・松尾芭蕉が詠んだ松島。今回は車窓からしか松島海岸を撮れないかなと考えていたのですが、幸いにもこの松島海岸駅で下り列車待ち合わせで2分停まりました。慌ててホームに降りてあの松のシーンを探しましたが、それらしき光景が見当たりませんでした。もう電車が発車してしまいます。それで撮ったのがホームにあった駅名の看板です。待てよ帰りはどうかな、と懲りずにまた挑戦しましたが、シャッターチャンスがなかなか掴めず失敗してしまいました。
そんなみちのく一人旅、第三幕目の終了です。

2006/10/18

クロカル超人が行く 49 岩手県・滝沢村そして盛岡駅

Nec_0076_2「ふるさとに向かひ ふるさとの山は ありがたきかな」と唄った詩人の石川啄木。昨日と同様晴天のこの日、南部富士と呼ばれている岩手山の眺めが素晴らしかったので、思わず携帯電話のカメラでパチリと撮ったのがこの写真。滝沢村は先日テレビでもやっていましたが、地方自治体の優良村で村長自ら社長と名乗り意識改革を不断に実行して実績を上げているらしい。人口約5万人。実は仕事でこの村にある大学を尋ね、ふと眺めた岩手山頂上の形の可笑しさに親しみを感じて想い出したのが冒頭の詩でした。そして盛岡駅。筆者は盛岡駅には何回も来ていますが、駅前の広場の一角にこの詩が刻まれている碑があったとは気がつきませんでしたね。ところで、盛岡駅も一年振りに来てみてビックリ、現代風に様変わりしていました。画期的です。それはモダーンというよりはむしろコンテンポラリーといった方が相応しく明るくもなりましたが、画一的でローカル色が色褪せていくのが何とも惜しい気もしますが・・・。この真新しい駅構内にあるS書店で新書の功罪云々と書いたばかりの筆者なのに、外岡秀俊著(確か聞いた名前です、かつて河出の文芸新人賞を取った人と記憶していますが、ジャーナリストとして大成したみたい)1冊と村上春樹に関するもの1冊の計2冊の朝日新書、『追悼記録網野善彦』(こんな安易な企画が本になるんだなぁと思いながら、つい網野史学ものに手を出してしまいました。ある程度読んでいたのにですよ !例の確認、確認というやつです)という洋泉社新書をまた買い込んで新幹線に飛び乗りました。
そんなみちのく一人旅、第二幕でした。今日利用した滝沢村にあるタクシー会社の話もありますが、これはいずれまたの機会にします。

クロカル超人が行く 48 福島県・二本松

Nec_0071_1 「あれが阿多多羅山、あの光のが阿武隈川」と唄った詩人・彫刻家高村光太郎の碑がこの二本松城跡の一角にあります。何でも詩人・草野心平のイメージで建立されたとか。また、この自然石は「牛石」と呼ばれ、畠山満泰が築城の際に、いけにえにした牛が、石に化したものと云われておりますと観光案内に書かれていました。この日は快晴で展望台からは安達太良山がくっきりとしかもおだやかに見えました。二本松は福島市と郡山市の中間に位置し人口約6万5千人、歴史のある風光明媚なところ。この時期はちょうど日本最大規模の「二本松の菊人形」展が開かれています。
「枚方の菊人形もありますよね」
筆者が年配のタクシー運転手に尋ねると、間髪を入れずに返ってきた言葉がおもしろうございました!
「今はあちらはもうやってません!」
その言葉の響きからはここだけ、ここだけだよとのほのかな郷土愛が筆者には感じられました。
そんなみちのく一人旅の一幕でした。
ところで、ここには「牛石」の写真がありません。実はこの写真の二三歩先にあります。旅の途中なので、これはまだ未公開のままとしておきます。
追記。
【写真左下:観光ガイドから取った「牛石」の碑 写真中央下:高村光太郎の詩 写真右下:JR二本松駅に飾り付け中の菊人形】
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2006/10/15

超人の新聞書評欄斜め読み 1

  第一回目は日経新聞読書欄(2006年10月15日)この一冊からと読売新聞書評欄(2006年10月6日)から。
①橘木俊詔・浦川邦夫著『日本の貧困研究』(東大出版会 3200円)

「格差問題」の本が相次いでいる中、その仕掛け人の一人である著者の最新のデータを用いた研究成果がこの本。先進諸国の中で日本の貧困率がアメリカに次いで高いという事実は衝撃できかもしれないと評者の岩井八郎・京大教授は書くが、ここでいう貧困とは、可処分所得の中央値の半分以下として操作的に定義された概念であるという。「家族とのコミュニケーション」が欠如している人ほど、生活満足度が低く、自分の階層を低く評価し、主観的に貧困だと判断するという分析結果が面白いらしい。現在の貧困が、一時的な状態なのか、それとも長期的なのか、貧困層に入れ替わりはあるのか、具体的なデータによる評価が求められる。現在のの貧困層には、苦境を乗り切るための支えが失われてしまったのかもしれない、新たなドラマが生まれる余地はあるのだろうかと評者は疑問を投げかけている。

②橋本健二著『階級社会』(講談社選書メチエ 1500円)

 日本の学者たちは「階級」という言葉を避け「階層」や「無階級社会」などといいつづけ、いままた「階級」をさけ「格差」を使用するという著者の階級(隠蔽への)ルサンチマン(立腹)が基調となっている。そこで著者は、「社会階層と移動全国調査」などを独自に分析することにより、現代日本の階級を「資本家階級」(従業員5人以上)「旧中間階級」(従業員規定5人未満)「新中間階級」(専門・管理・事務)「労働者階級」(それ以外の被雇用者)の四階級から成り立っているとする。格差論を徹底して追及するなら階級社会論はさけてとおれないことをつきつけた技ありの本と書いたのは評者の教育社会史分野で有名な竹内洋関大教授。
  ところで、この社会学者、橋本健二氏にはユニークな社会調査方法があることを毎日新聞10月5日の夕刊の記事で読んだ。居酒屋から日本の格差社会が見えると独自の記号、たとえばM4Sntと手帳にメモって定点観測をしている。M40は男性40代、Sはスーツ、ntはネクタイというように記号で表して調査するらしい。その客層をデータベース化している。これは昭和の初めの考現学を提唱した今和次郎に倣っているとは社会学者の橋本健二氏。呑みながらも仕事をしている感じで酔えないのじゃないのかなぁとは筆者の率直な感想ではある。

2006/10/14

超人の面白読書 22 刈部 直著『』(岩波新書) 3 

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の論文「超国家主義の論理と心理」が雑誌『世界』に載った翌年、1947(昭和22)年春に発表された一高生の学生アンケートでは、「話を聞きたい人」として、小林秀雄とともに首位に並んだという。そしてこの年一高で校長の天野貞裕が社会科学入門として、木村健康(経済思想史)、岡義武、尾高朝雄(法哲学)に特別講義を頼んだ。人間理性に対する信頼をもとにした、近代の自由主義と民主主義の立場から、天皇制を支える精神構造を批判するものであっただろうと著者はその講義の内容を推測する。また、「ドストエフスキーおよびニーチェ以後、古い合理的ヒューマニズムへの復帰はもはや可能ではない。ヒューマニズムは超克されたのである」と説く、ソ連から追放された哲学者、ニコライ・A・ベルジャーエフの『ドフトエフスキーの世界観』も丸山の愛読した書物の一つで、歴史上の近代がすぎさったあとの「現代」が、ニヒリズムの苦悩を深く抱えており、みずからもその時代の子であることを自覚していたと著者は書く。そして人間と政治の関係についての丸山の考えを拾い出してゆく。人間性は必ず邪悪なものだと言っているのではない。人間がみな悪いと決まっているならば、「人間の人間に対する統制を組織化すること」としての政治など、むしろ不要である。そうではなく、人が「善い方にも悪い方にも転び、状況によって天使になったり悪魔になったりするところに、技術としての政治が発生する地盤がある」のである。20世紀の世界では「典型的なデモクラシー国家においても大衆は巨大な宣伝および報道機関の氾濫によって無意識のうちにある一定のものの考え方の規制をうけている。その点ではリベラル・デモクラシーを標榜する国家も、ファシズムと共産主義の全体主義国家も、程度の違いにすぎないのである。これが丸山の見解と著者は書く。敵と味方とを区別し、味方を結集させ敵を排除する不断の努力を、「政治的なるもの」の指標とするのは、カール・シュミットが『政治的なるものの概念』で説いたところであるが、丸山は、国家をこえた国際組織にも、また国家の内にある「政党・労働組合・教会等」にも、その内部統制のはたらきとして微細な権力が生まれ、広い意味で「政治」が偏在すると考える。人間のすべての営みが、いつでも「敵」との激しい対立に転化しかねない、流動する状況のなかで、その時々の紛争事項に即した範囲で統合を達しようとする「権力」のはたらきが、政治なのである。
  『政治の世界』と『現代政治の思想と行動』上・下(1956~1957年)に収められた諸論文が展開する政治観は、のち1970年代以降に、神島二郎や藤原保信といった政治学者から、権力中心の見かたとして批判されることになる。滔々たる「政治化」の波の中で、「人格的内面性」を徹底して守りうるのは、ラジカルなプロテスタント、例えば無教会主義者であろうと「人間と政治」は説いている。現代において人間は、不断に流動する力関係の渦にまきこまれ、何が本当の自分の思考なのかもわからなり、足元には価値の相対性とニヒリズムがつきまとって、丸山の思想の営みには、終生の課題として残ることになると著者は書いている。朝鮮戦争、マッカーシズムなど1950年末の政治状況を分析した短文を「恐怖の時代」と名づけ、平和問題談話会などで平和共存と非武装中立の理想をさまざまな立場の人々に共有させようと試みた。立場を異にする参加者と意見をたたかわせ、泊りこみで声明を書きあげるなどの活動を続けたことは、身体に負担を強いた。1951年、1954年に二度にわたり、結核を患い、国立中野療養所などで生活を送ることになる。そして二度目の入所期間中に、厚生省が経費削減のための附添婦の廃止を打ち出したことが、療養所内で騒動をひきおこし、社会でも大きな問題になった件をめぐって丸山は語っている。「断想」(1956年 座談集 岩波書店)からの引用。
 
  それにしても、僕は今度の問題などを通じて、ひとの「身になって」みるということが現実にはいかに困難かをあらためて覚った。だから現に僕自身、療養所の「外」の人に対してはいっぱし内側の住人として語っているけれども、一たび長期療養者や重症患者の前に立つと、この人々の生活の内面には、僕などのなまじっかな「同情」ではどうしても入り込むことが出来ない領域があり、その精神には到底外から体験できないリズムと起伏があるように思われて、自分の療養者としての発言がそらぞらしく感じられて来る。ラスキが『グラマー』などで口すっぱくして一人一人の経験のかけがえのなさ(uniqueness)ということを説いているが、何かいままでの切実な重みを持って思いだざれる。

  死の座り込み、非政治化と過政治化、大衆社会の問題、アマチュアが支えるデモクラシーそしてリアリズムの思考と丸山の1950年代を追っていく。は政権や政党に助言者として奉仕する役目につかず、講演や文章を通じて一般人に語りかける姿勢に終始し、「アマチュアの精神的リーダー」となる道を選ぶ。そして「市民主義」への懐疑、いやいやながらの政治参加と1960年代初頭を著者は描く。「一般市民参加」の政治参加は、仕事のあいまに「種々のもんだいについて気軽に集まり話し合い」、必要があれば政党や代議士に働きかけて目的が実現されれば解散するという穏やかな政治参加のすすめは、雑誌や対談で表明されたのみで、多くの読者は新聞で大きく紹介された「選択のとき」や「現代政治の思想と行動」が収める講演「現代における態度決定」で立ち上がる丸山の姿であったと著者は記す。1960年(昭和30年)の安保反対運動ののち、新左翼の論者たちの批判の的となり、全共闘の学生からも学園秩序を固辞する教授の代表とみなされ、集中攻撃にさらされた。そうした批判には、丸山の講演が読者に喚起するものと、丸山本人の志向との違いにとまどい、裏切られたという思いがこもっていたのではないかと著者は推測する。
  3 もうひとつの伝統の章は、精神的なスランプ、「型」とその喪失、高度成長への疑問、日本思想の「古層」、自我への問い、「忠誠と反逆」、ダイナミズムの喪失、「逆さの世界」、「伝統」の描きなおし、他者としての歴史、「文明論之概略」を読むそしてフーコーとの対話で終わる。
  1968(昭和43)年、大阪の司法修習生たちとの座談の中で、「伝統の解釈自身が多義的なんです」と述べ、保守派の知識人など、伝統復活論者が「伝統」と言う場合、それは「日本歴史を通じて比較的に支配的な考え方」を指してそう言っている。かつて「日本精神」論者が唱えたような、「國體」観念がいい例である。ある時代以後に初めて「支配的」になった、創られた伝統にすぎないことも多い。そして、そうした伝統復活論は、「非支配的」で「傍流」であった考え方を無視する「ドグマ」の上に立って、「伝統」を語る。それに対して丸山は、過去の思想の中から何を「我々の伝統」として定着させるべきかは、「現在におけるチョイスの問題」だとする。伝統は「われわれが主体的に自分の人類の過去の遺産から選択」し、血肉とすべきものである以上、外来文化ということは、それを伝統から排除する理由にならない。たとえば、「幕末以来輸入したヨーロッパの文明や思想」も、現代の日本人とっては、十分に「伝統」と呼びうるのであると著者は「伝統の描きなおし」のところで丸山の伝統の考えを述べる。やがて、他者をその他在において理解する態度で、過去の思想にむきあうこと、そうした意識をもって解読にあたることで、はじめて「伝統」の新たな描きなおしが可能になる。そう書いた著者は、丸山の武士たちの忠誠のエートスや佐久間象山の思考に見られる政治的リアリズム、聖徳太子と親鸞が説いた「超越的普遍者の自覚」を、いきつぐ伝統として呼び起こすことを試みていると書く。『「文明論之概略」を読む』のところでは、人間の知のはたらきの根本をなし、もっとも重要なものは、学校での学習などとはかかわりのない、「庶民の知恵」「生活の知恵」に相当する「叡智」(wisdom)であり、「理性的な知の働き」としての「知性」(intelligence)がこれに次ぐ。福澤の言う「知恵」は、この二つを含めて言ったものであり、個々の学問としての「知識」(knowledge)と、さらに細分化された「情報」(information)は、ほんらい、そこから派生したものにすぎない。1980年代、ポスト・モダン思想の流行の中で、丸山は古典の解説を試み、「情報社会」に対する根本的の懐疑を盛り込み、おそらくそれは、かつての「超国家主義」論文に匹敵する強度をもつ、眼前の社会に対する痛烈な批判だったと著者は読む。
この岩波新書の『文明論之概略を読む』は確か上中下三冊の本で筆者は、出てすぐ買い読んだが、途中で挫折した書物。最近探すもどこかに消えて分からない。本や雑誌を瞬時に見て破くのが趣味の人間がいるのでその餌食になったかも知れない。そのうちまた、出てくるかもしれない。これが完璧に成就されれば本を置くスペースは要らないのだが・・・。何とも情けない話ではある。この本の前書き、あとがきかな、編集者仲間との細々と続けた読書会での成果と書いてあったのは覚えている。それにしても年月の経つのが早い。1986(昭和61年)刊行だから、もう20年前だ。つい最近のことと思っていた。が亡くなって10年、『文明論之概略を読む』は晩年の力作である。
フーコーとの対話のところでは、「伝統と現代をめぐって」(1982年)内田義彦、木下順二との鼎談で丸山が語っているところを著者は引用する。
 
 彼らがやっていることは全部反デカルト主義、つまり近代合理主義の告発だね、ところが話していると、ヨーロッパのカルテジアニスム、デカルト主義の伝統の重さと強さがやりきれないほどこっちにも伝わってくる。必死になってそれに反抗しながら、デカルト主義に深く制約されているわけだ。だから反抗を通じて同時にそれを再生しているわけね。

近代の理念を掲げる極東の政治学者と、近代的な「主体」の死を宣告した西欧の哲学者とは、それぞれに伝統と現代と格闘しながら、その再解釈を通じての、言説における「政治」を敢行していたのであると著者自らの解釈を施す。

  終章 封印は花やかにでは筆者が、「読書1」の冒頭で書いた小説家・庄司薫の小説に「大山先生」として登場している話である。そして、著者はこの庄司薫が林達夫の評論集『共産主義的人間』(1951年)の中公文庫によせた解説が丸山の考えと重なるとして引用している。

  価値の多元化相対化と同時進行する情報洪水のまっただ中で、ぼくたちは今その自己形成の前提となる情報の選択の段階ですでに混乱してしまおうとしている。ここで唯一の有効な方法とは、結局のところ最も素朴な、信頼できる「人間」を選ぶということ、ほんとうに信じられる知性を見つけ、そしてその「英知」と「方法」を学びとるということ、なのであるまいか(「解説-特に若い読者のために」、1973年)。

そして最後に著者はこう書いて終える。もしも丸山の書きのこした作品が今後も読みつながれるならば、そうした知のつながりは、無数の読者と丸山との、思考の上での対話として、細々とではあれ続けてゆくことだろう。思想家としての丸山の格闘が、それに触れる者に呼びおこすのは、この可能性にむけた、ひとすじの希望にほかならない。
 
  この本の序章で著者は、西洋近代の愚直な賛美者、大衆から遊離した啓蒙家、国民国家の幻像にしがみつく隠れたナショナリストなどと丸山を批判する人たちと熱病のように憑かれた人たちがいることを指摘していたが、筆者としてはそれだけ器が大きい知識人だった思うし、しかも著者も言っているように体系建設型と問題発見型の混在する思想史家だったと言うことだろう。
 
  著者の言葉でトレースしてきたこの書評もやっと終わりに近づいた。ほとんど途中から写経ではないが、筆写に近い形でこの巨人、の評伝を追ってきた。そうすると炙り出された軽部直流の全体像が浮かび上がるのだ。今の時代の比較的若い世代から逆照射した戦前、戦中、戦後を生き抜いた一知識人の知性と行動の遍歴をソフトタッチングしたものとして筆者には映る。そこではが書いた、語った、回想した珠玉の言葉たちが引用され散りばめられている。それはまるできらっと輝く言葉たちをどのようにどのコンテクストで嵌め込めばいいか、職人技っぽい著者の柔らかな手触りが感じられ、の硬質な言辞が変幻し今風に蘇らせているかのようだ。行間の雰囲気が優しいのだろう。意地悪く言えば、もう少し悪戯っぽく書いても良かったのではないかと筆者などは勝手に想像してしまうのだ。すでに絶版の岩波書店刊『日本文化のかくれた形』の中の「原型・古層・執拗低音ー日本思想史方法論についての私の歩みー」も図書館から借り出して読んだ。『日本の思想』は古本屋で安く買ってペラペラ捲っているところ。そして想い出した、この本は学生時代に一般教養科目の授業で確かテクストとして使用された本だった ! 一昨日時間が多少あったので筆者は、神田神保町の古本屋で偶然に『現代政治の思想と行動』(未来社 1957年刊、上巻のみ当時の定価で280円)を見つけたが、上下巻揃いでないと思い、買うのを躊躇しながらちょっとの間その本を捲ってみた。保存状態は良好、でお値段はと女店主に尋ねてみた。まだ何も記されていない状態の未整理の本だったようで、その女店主は一瞬考えて1000円ですと応えた。うむ、また来るかと筆者はその場をあとにしたのだった。筆者には本がどの程度の価値があるかは解らないが、端本で3.5倍の値、上下揃いだともっとするかも知れない。
話は多少ズレたがこの本の帯に曰く、丸山が時代の変転のなかで、さまざまな問題を見出し、それに応答してきた姿を動的にたどることが、いま、その作品から何かを読み取ろうとする際に、実り豊かなやりかたなのではないか。その時々の「現代」における問題を考え、ひとつひとつ論じてきた。その思考の運動が大事で丸山の思想を生きたものにしている。これが著者の狙いなのだ。人間はこういった気鋭の学者が易しく語りかけるように読みついで行くことで彼の思想史は生きると思うのだ。ひとつひとつを読む、そして"よむ "さらにそれを読者にその精神を捻じ曲げることなく、わかり易く伝えること、そのことが知識人にとっての役割だし知恵なのだ。新書の功罪が騒がれている昨今の出版界にあって一石を投じてくれる本であることは間違いない。

  著者の軽部直氏は、読売新聞読書欄の評者を担当していて、本日の読書欄でも第一書房という出版社の創業者・長谷川巳之吉を描く長谷川郁夫著『美酒と革囊』(河出書房新社 5800円)の書評をしていた。小沢書店の社長も勤め、文芸書、小川国男とか全集も出していたがつい5,6年前に倒産。筆者はその昔20代後半の頃この書店に仕事上ちょっとの間行き来したことがあった版元だ。

著者近影。この写真は2006年9月6日付毎日新聞夕刊「文化批評表現」欄から。Img043_1

2006/10/13

超人のジャーナリスト・アイ 47 ノーベル文学賞 トルコのオルハン・パルク氏に    

  今年のノーベル文学賞にイスラム社会における表現・言論の自由を主張してきたトルコ人作家オルハン・パムク氏(54才)に贈るとスウェーデン・アカデミーが12日に発表したと今日の毎日新聞朝刊が伝えている。村上春樹も有力な候補者だっらしい。代表作のひとつに16世紀末イスタンブールの細密画師の世界を舞台に文明間の衝突を描いた大作『わたしの名は紅』(和久井路子訳・藤原書店)がある。筆者は知らなんだ。また、トルコでオスマン帝国崩壊時にアルメニア人大量殺害があったと主張、この発言で国家侮辱罪に問われるなど反骨の言論活動で知られている。1982年、『ジゥヴデット氏と息子たち』でデビュー、トルコで最も権威のある文学賞「オルハン・ケマル賞」を受賞。『静かな家』(1983年)、『白い家』(1985年)、『黒い書』(1990年)など話題作を発表した。トルコでノーベル文学賞候補の最右翼の作家だった。『雪』も2006年3月に同じ出版社から邦訳された。
筆者はちょっと時間があったので神田神保町の書店、書泉と東京堂(三省堂は改装中で閉店)に寄って邦訳された本について訊いてみたが、版元品切れで18日に重版出来との答えが返って来た。手にとって読みたいと思ったが残念である。しばし待てということだろうか。Pamuk2


【写真:2006年10月12日付スウェーデンの有力紙ダーゲンスニーヘーテル紙の電子版から喜びのOrhan Pamuk氏】


追記。2007年2月23日付毎日新聞夕刊に載った翻訳者和久井路子氏の記事。
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2006/10/11

超人のジャーナリスト・アイ 46 作家・横溝正史の生原稿5000枚発見

面白モバイルニュース。2006年10月11日付朝日新聞モバイルニュースを拾い読み。  

  金田一耕助が活躍する探偵小説「八つ墓村」「犬神家の一族」などの作家、横溝正史(1902~81)の生原稿や下書きなど約5000枚が見つかった。研究者にも知られていない短編「霧の夜の出来事(微笑小説)」が含まれている。雑誌に発表した短編を仕立て直した長編、単行本のページを切り抜いて施した加筆などもあり、粘り強く書き直しを続けた横溝の執筆姿勢が浮かび上がる貴重な資料だ。
 東京・世田谷の横溝の旧宅奥にある物置などで昨年見つかった。長男で音楽評論家の亮一さんは「母が集めていた古い着物や端切れが入っていると思っていた箱から、生原稿が出てきて驚きました。別の段ボールも合わせると4箱にもなった」と話す。
 「霧の夜の出来事」(200字詰め原稿用紙66枚)は、自殺しようと薬局に青酸カリを買いに行った男が、どたばたを経て薬局の薬剤師の女性と結ばれる物語。1枚目に横溝が編集長を務めていた雑誌「新青年」の判が押してあるが、横溝研究者の浜田知明さんによると同誌には掲載されておらず、未発表の原稿と思われるという。ミステリー評論家の新保博久さんは「筋に無理があるなどあまりいい出来ではないと横溝が判断し、自ら掲載を取りやめたのではないか」と推測する。
 長編に仕立て直されていた短編は、「人形佐七捕物帳」シリーズの「番太郎殺し」や、金田一耕助ものの「日時計の中の女」など。前者は200字詰めで337枚の長編となっていた。浜田さんは「『悪魔の百唇譜』などを62年に長編化した時のスタイルと似ており、その前後の手直しではないか。社会派ミステリーの台頭で横溝作品の人気が落ちていた時期で、比較的時間があったのだろう」とみている。
 金田一ものでは「香水心中」「首」などを、東京文芸社から72、73年に出た単行本のページを切り抜いて補筆し、完全版にしようとしていた。
 5000枚の原稿のほかにも、自作が原作となった映画やラジオのシナリオ約150点や、ミステリー洋雑誌約300冊などが見つかった。亮一さんは近く東京・神田神保町の古書店「三茶書房」を通じて売りに出すが、公共機関や大学などの一括購入を望んでいる

2006/10/09

超人のジャーナリスト・アイ 45 北朝鮮の地下核実験

  サプライズはやっぱり北からやって来た !北朝鮮は今日午前10時半頃地下核実験を行ったと報道。ちょうど日本の安倍首相は中国歴訪から二番目の訪問国・韓国へ向かう只中の出来事。タイミングが合い過ぎる。それにしても隣国に与える影響、環境破壊など信じられない暴挙に出ている北朝鮮は、この外交カードを言わば後のない最後のカードを切ってどこへ向かうと言うのか。国際社会から孤立し自滅への道を歩むしかないだろう。日本のマスコミは昼過ぎからこの報道で持ちっきり。日本の新聞はちょうど休刊日、号外で対応。政府は正確な情報収集と分析中らしい。各国の反応はどうか、2,3の新聞の電子版を拾ってみた。


【アメリカのニューヨークタイムズ紙電子版】

N. Korea Reports 1st Nuclear Arms Test
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South Koreans watched a television showing the North’s leader, Kim Jong-il, at a railway station in Seoul this morning.



By DAVID E. SANGER
Published: October 9, 2006
WASHINGTON, Monday, Oct. 9 — North Korea said Sunday night that it had set off its first nuclear test, becoming the eighth country in history, and arguably the most unstable and most dangerous, to proclaim that it has joined the club of nuclear weapons states.



The New York Times
The test came just two days after the country was warned by the United Nations Security Council that the action could lead to severe consequences.

American officials cautioned that they had not yet received any confirmation that the test had occurred. The United States Geological Survey said it had detected a tremor of 4.2 magnitude on the Korean Peninsula.
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China called the test a “flagrant and brazen” violation of international opinion and said it “firmly opposes” North Korea’s conduct.

Senior Bush administration officials said that they had little reason to doubt the announcement, and warned that the test would usher in a new era of confrontation with the isolated and unpredictable country run by President Kim Jong-il.

Early Monday morning, even before the test was confirmed, Bush administration officials were holding conference calls to discuss ways to further cut off a country that is already subject to sanctions, and hard-liners said the moment had arrived for neighboring countries, especially China and Russia, to cut off the trade and oil supplies that have been Mr. Kim’s lifeline.

In South Korea, the country that fought a bloody war with the North for three years and has lived with an uneasy truce and failed efforts at reconciliation for more than half a century, officials said they believed that an explosion occurred around 10:36 p.m. New York time — 11:36 a.m. Monday in Korea.

They identified the source of the explosion as North Hamgyong Province, roughly the area where American spy satellites have been focused for several years on a variety of suspected underground test sites.

That was less than an hour after North Korean officials had called their counterparts in China and warned them that a test was just minutes away. The Chinese, who have been North Korea’s main ally for 60 years but have grown increasingly frustrated by the its defiance of Beijing, sent an emergency alert to Washington through the United States Embassy in Beijing. Within minutes, President Bush was notified, shortly after 10 p.m., by his national security adviser, Stephen Hadley, that a test was imminent.

North Korea’s decision to conduct the test demonstrated what the world has suspected for years: the country has joined India, Pakistan and Israel as one of the world’s “undeclared” nuclear powers. India and Pakistan conducted tests in 1998; Israel has never acknowledged conducting a test or possessing a weapon. But by actually setting off a weapon, if that is proven, the North has chosen to end years of carefully crafted and diplomatically useful ambiguity about its abilities.

The North’s decision to set off a nuclear device could profoundly change the politics of Asia.

The test occurred only a week after Japan installed a new, more nationalistic prime minister, Shinzo Abe, and just as the country was renewing a debate about whether its ban on possessing nuclear weapons — deeply felt in a country that saw two of its cities incinerated in 1945 — still makes strategic sense.

And it shook the peninsula just as Mr. Abe was arriving in South Korea for the first time as prime minister, in an effort to repair a badly strained relationship, having just visited with Chinese leaders in Beijing. It places his untested administration in the midst of one of the region’s biggest security crises in years, and one whose outcome will be watched closely in Iran and other states suspected of attempting to follow the path that North Korea has taken.

Now, Tokyo and Washington are expected to put even more pressure on the South Korean government to terminate its “sunshine policy” of trade, tourism and openings to the North — a policy that has been the source of enormous tension between Seoul and Washington since Mr. Bush took office.

The explosion was the product of nearly four decades of work by North Korea, one of the world’s poorest and most isolated countries. The nation of 23 million people appears constantly fearful that its far richer, more powerful neighbors — and particularly the United States — will try to unseat its leadership. The country’s founder, Kim Il-sung, who died in 1994, emerged from the Korean War determined to equal the power of the United States, and acutely aware that Gen. Douglas MacArthur had requested


But it took decades to put together the technology, and only in the past few years has the North appeared to have made a political decision to speed forward. “I think they just had their military plan to demonstrate that no one could mess with them, and they weren’t going to be deterred, not even by the Chinese,” a senior American official who deals with the North said late Sunday evening. “In the end, there was just no stopping them.”

But the explosion was also the product of more than two decades of diplomatic failure, spread over at least three presidencies. American spy satellites saw the North building a good-size nuclear reactor in the early 1980’s, and by the early 1990’s the C.I.A. estimated that the country could have one or two nuclear weapons. But a series of diplomatic efforts to “freeze” the nuclear program — including a 1994 accord signed with the Clinton administration — ultimately broke down, amid distrust and recriminations on both sides.

Three years ago, just as President Bush was sending American troops toward Iraq, the North threw out the few remaining weapons inspectors living at their nuclear complex in Yongbyon, and moved 8,000 nuclear fuel rods they had kept under lock and key. Those rods contained enough plutonium, experts said, to produce five or six nuclear weapons, though it is unclear how many the North now stockpiles.

For years, some diplomats assumed that the North was using that ambiguity to trade away its nuclear capability, for recognition, security guarantees, aid and trade with the West. But in the end, the country’s reclusive leader, Kim Jong-il, who inherited the mantle of leadership from his father, still called the “Great Leader,” appears to have concluded that the surest way of getting what he seeks is to demonstrate that he has the capability to strike back if attacked.

Assessing the nature of that ability is difficult. If the test occurred as the North claimed, it is unclear whether it was an actual bomb or a more primitive device. Some experts cautioned that it could try to fake an explosion, setting off conventional explosives; the only way to know for sure will be if American “sniffer” planes, patrolling the North Korean coast, pick up evidence of nuclear byproducts in the air.

Even then, it is not clear that the North could fabricate that bomb into a weapon that could fit atop its missiles, one of the country’s few significant exports.

But the big fear about North Korea, American officials have long said, has less to do with its ability to lash out than it does with its proclivity to proliferate. The country has sold its missiles and other weapons to Iran, Syria and Pakistan; at various moments in the six-party talks that have gone on for the past few years, North Korean representatives have threatened to sell nuclear weapons. But in a statement issued last week, announcing that it intends to set off a test, the country said it would not sell its nuclear products.

The fear of proliferation prompted President Bush to declare in 2003 that the United States would never “tolerate” a nuclear-armed North Korea. He has never defined what he means by “tolerate,” and on Sunday night Tony Snow, Mr. Bush’s press secretary, said that, assuming the report of the test is accurate, the United States would now go to the United Nations to determine “what our next steps should be in response to this very serious step.”

Nuclear testing is often considered a necessary step to proving a weapon’s reliability as well as the most forceful way for a nation to declare its status as a nuclear power.

“Once they do that, it’s serious," said Harold M. Agnew, a former director of the Los Alamos weapons laboratory, which designed most of the nation’s nuclear arms. "Otherwise, the North Koreans are just jerking us around.”

Networks of seismometers that detect faint trembles in the earth and track distant rumbles are the best way to spot an underground nuclear test.

The big challenge is to distinguish the signatures of earthquakes from those of nuclear blasts. Typically, the shock waves from nuclear explosions begin with a sharp spike as earth and rock are compressed violently. The signal then tends to become fuzzier as surface rumblings and shudders and after shocks create seismologic mayhem.

With earthquakes, it is usually the opposite. A gentle jostling suddenly becomes much bigger and more violent.

Most of the world’s seismic networks that look for nuclear blasts are designed to detect explosions as small as one kiloton, or equal to 1,000 tons of high explosives. On instruments for detecting earthquakes, such a blast would measure a magnitude of about 4, like a small tremor.

Philip E. Coyle III, a former head of weapons testing at the Pentagon and former director of nuclear testing for the Lawrence Livermore National Laboratory, a weapons-design center in California, said the North Koreans could learn much from a nuclear test even if it was small by world standards or less than an unqualified success.

“It would not be totally surprising if it was a fizzle and they said it was a success because they learned something,” he said. “We did that sometimes. We had a missile defense test not so long ago that failed, but the Pentagon said it was a success because they learned something, which I agree with. Failures can teach you a lot.”

William J. Broad contributed reporting from New York, and Thom Shanker from Washington.

Koreacollage

【スウェーデンの有力紙ターゲンス・ニーヘーテル紙電子版見出し】

Skarp kritik mot Nordkorea

VÄRLDEN. Nordkorea har genomfört en underjordisk provsprängning av kärnvapen, uppger en statlig nyhetsbyrå. Japan, USA, och Kina riktar skarp kritik.
Till höger en satellitbild från augusti av kärnkraftsanläggningen Yongbyon, runt 10 mil norr om Pyongyang. Till vänster ett rakettest från 1998 och landets ledare Kim Jong-Il.


【朝鮮日報電子版:2006年10月9日付社説】

【社説】北朝鮮の核実験は自ら破滅に進む道

 北朝鮮は今月3日に核実験計画を発表した後、国連安保理が6日に核実験の放棄を促す議長声明を採択する過程に至るまで、国際社会と一切の外交接触を絶っている。

 今年7月、北朝鮮のミサイル発射問題に関する国連安保理決議が採択された際には朴吉淵(パク・ギルヨン)国連駐在大使が安保理会議に参加し、北朝鮮の立場を説明していた。

 しかし北朝鮮は現在、米国政府との対話チャンネルだった韓成烈(ハン・ソンリョル)国連駐在次席大使の後任の派遣も見送り、外交官には米国政府と接触しないよう指示が下されたと報道されている。また北朝鮮は最近、「中国は米国と戦略的パートナー関係を結んでおり、信じることはできない。中国は米国の手先と変わらない」との立場を表明したという。

 北朝鮮のこうした動きにより、核の脅威を通じて米国を交渉に引き出すという当初の戦略を北朝鮮が断念したのではないかとの見方が出ている。これまで核開発宣言、核保有宣言、ミサイル発射と対米挑発の程度を高めてきたにもかかわらず、米国が少しも動じないのを見て、北朝鮮がこれを恐喝にとどめず実行に移すことを決心した可能性もある。今や北朝鮮は核実験を経て、核保有国になろうとしているのかもしれない。

 米国のボルトン国連駐在大使は安保理の議長声明採択に先立ち、「万が一北朝鮮が核実験を行えば、その翌日から世界は一変する」と語った。「世界は一変する」という言葉は、国際社会が北朝鮮との交渉を通じて北朝鮮の核問題を解決しようとする6カ国協議のプロセスを打ち切り、一方的な北朝鮮への圧迫に切り替えることを意味する。

 北朝鮮が6カ国協議に復帰し、核を放棄する道順を進んで行くなら、重油の提供、送電支援、軽水炉提供をはじめとする数百億ドル分の経済支援を受けることができる。北朝鮮が2300万人の住民を飢えから救うためには、これ以外に選択の余地はない。

 ところが北朝鮮は核兵器を抱きかかえて生き延びるとし、その選択肢を捨てようとしている。その核によって南北7000万人の民族の生命を人質に取り、国際社会全体を敵と見なして生きていくというのだ。これは7000万人の同胞より、「敬愛する指導者同志」の安全を優先するものだ。

 もし北朝鮮が核実験を強行すれば、もはや正常な国として国際社会に復帰できる道は永遠に閉ざされる。核の針で武装したハリネズミになったところで、金正日(キム・ジョンイル)政権の寿命を10年も20年も延命することはできない。

 北朝鮮は核実験という引き返せない橋を渡る前に、生き延びるための道を再考すべきだ。


超人の面白読書 22 岩波新書『』を読む 2  

  第四章「戦後民主主義」の構想 1 焼跡からの出発の項の冒頭で著者は、1994(平成6年)年1月の雑誌『現代思想』の特集で小説家、埴谷雄高のエッセー「時は武蔵野の上にも」が異彩を放っていると書く。埴谷雄高の親友、武田泰淳が1957年(昭和32年)に杉並区高井戸に移った頃から武蔵野市吉祥寺に住んでいた丸山と同じく吉祥寺に住んでいた埴谷と竹内好とは家族ぐるみの交流があってこれは武田、竹内が世を去るまで続いたらしい。桑原武夫、森有正と並んで日本三大おしゃべりと自他ともに認めていた様子が埴谷雄高の回想で紹介されていて面白い。

  の携えきたった思索内容は、さながら数マイルに及ぶ弾帯を備えた機関銃の無限発射のごとく切れ目もなくつづきにつづいて、横にいる私が、いまとまるか、とまるか、と時折息を切る相の手をいれてみるけれども、停まらないのである。自宅を出たとき、また、短い距離を歩いていたとき、何かの核心と核心がつながっているかのごとき内面を携えていたに違いないけれども、竹内家に到って数語を発したと途端に、この世界の地水火風も、生の人情の機微も、階級社会の構造も、つながりにつながって、は喋りとまらないのである。これはもはや内面のトランス状態であるのであって、たとい自身がとめようとしても、精神の自動機械と化した原言語発動は、宗教のなかに時たまある。お筆先、以上にとまらないのである。

終戦直後開放の空気のなか、知識人たちは、政治上の路線や大学での専門、学問、藝術といった大きな分野の違いをこえて、さまざまな集団を結成して活動をはじめた。丸山自身も青年文化会議、思想の科学研究会、未来の会、清水幾太郎らによる20世紀研究所やマルクス主義者の学者が主流を占める民主主義科学者協会にも参加していると書く著者。終戦直後、当時誰でも価値転倒した社会に一方で開放、他方で不安を持ちえて彷徨っていたのかも知れない。
はまた、「明治維新のときを追体験した気がしました」と本人が回想している庶民大学三島教室で普通の労働者や主婦たちにむかって講義を行っている。彼ら参加者は貪欲に知識を求め、盛んに質問することを通じて、吸い取り紙がインクを吸い取るように学んでいたし、一方向の啓蒙活動ではなく教えられに行くお互いの発見の場であったと著者は丸山の回想記などを引用して書く。戦後2,3年ほどのあいだにこのような知識人も庶民も、さまざまな集団を結成し、集団がたがいに交錯する状況が現れていたらしい。共産党の合法化にまで及ぶ占領改革に驚き、あてがわれた自由に対し戦後初めての講義ではこう始まる。

  われわれは今日、外国によって「自由」をあてがわれ強制された。しかしあてがわれた自由、強制された自由とは実は本質的な矛盾ーcontradiction in adjectoーである。自由とは日本国民が自らの事柄を自らの精神を以って決するの謂に外ならぬからである。われわれはかゝる真の自由を獲得すべく、換言するならば、所与としての自由を内面的な自由にまで高めるべく、血みどろの努力を続けなければならないのである。

徳川にかつて仕えながら明治政府の官僚に転じる学者たちを、痛烈に批判した福澤諭吉の先例も、丸山の念頭にあったとし、新憲法についても、その内容は支持するものの、時流に軽々しく乗るかのような姿勢を示したくないという気持ちから、政府による憲法普及会の講師になることや法改正の委員への就任は断り続けたという。日本国憲法第九条にはその軍備放棄の規定は、軍事的国防力をもたない国家という、新しい国家概念の登場を意味すると解し、高く評価した(今この憲法第九条をめぐる改正論議が盛んで9月に誕生した保守色の強い安倍内閣でも憲法改正方向を強く打ち出しているが、今日の新聞では北朝鮮の核実験実施の問題を扱ったニューヨークタイムズなどアメリカのマスコミは日本は核を持つとなると一年以内に核準備は完了可能だし韓国も持つのではないかとの脅威論を載せている)。軍備を廃したあとで、他国が攻めてきたら、当座の対応としてはどうするか。丸山はその仮想質問に、あなたは一般人民の自己武装(民兵)を許す用意があるのかと揶揄して答えるが、個人による武装抵抗を、本気で支持していたかどうかは疑わしいと著者は書き、米軍の日本駐留と日本の自主武装の双方を原則として否定するほかに、防衛政策論にふみこむことはなかったと書く。

  2 「天皇制」との訣別の項では天皇制を君主制や皇帝制の制度一般ではなく、あくまでも日本に固有の「精神構造」として問題化したのである。この立場をうちたてた論文「超国家主義の論理と心理」は創刊間近の『世界』1946年5月号の巻頭を飾ることになる。この論文は、頂点の天皇までをも支配する日本社会の病理に対して、「個性の奥深き底」から呼びかける「良心」によって行動を律する、「純粋な内面的な倫理」を各人が確立し、「自由なる主体的意識」を育てるようよびかける倫理の観点からする「天皇制」批判だったと著者は言う。そして丸山はこの論文にによって論壇や文壇にその名を知られるようになる。近代史家、坂野潤治は丸山の議論はあまりにも「包括的、体系的」が高く、「明治から敗戦まで、権力の頂点から末端までを包摂しきった「超国家主義」は、いわば空気のごときもので、分析意欲を阻喪してしまう」と苦言している。その諸論文を歴史記述として吟味するかぎり、こうしたさまざまな批判も、決してはずれていないと著者は認める。丸山は腹を割ったり、肝胆相照らしたるストリップ趣味を終生拒否し続け、それは情緒によるずるずるべったりするような一体化から精神を引き離すべきだという提言を自身にもあてはめた自己規律であったが、同時にまた、その日本社会批判の出発点にあるものを読者に見えなくさせた。そう書いて著者は、みずから招いた悲劇とも言えるかもしれないと結論づける。そして、身内からも理解されず攻撃をうけることになる。戦後に雑誌記者をへて日本のフリーライターの草分けとして活躍した6歳年下の弟、丸山邦雄が1968(昭和43年),年大学紛争のさなかに発表した著書の一節を引用する。

   あの時代に、天皇制軍隊のなかで、テキさんを殴れなかったような兵隊は、スーパーマンにひとしい勇者といってよい。そんな人間もいたかもしれないが、たとえいたとしても、とうてい生き残れなかったということだけは、たしかである。そういう英雄の存在を、隣でヤブにらみしながら、ただじっとうずくまっていたのが、戦後になって反戦文学、反戦映画などをつくり、日本軍国主義者の精神構造などを分析したりしてカッサイを博したのだ。

この丸山邦雄は、四人兄弟の末っ子でただ一人勉強を嫌い帝国大学に進めなかった。両親から見放され、会社勤めの後に早稲田の仏文科へ編入するが、母の死と終戦の衝撃で中退、家出し焼跡のなか食うや食わずの生活をへて記者となる。結婚して千住柳町に住み、エリート・インテリの巣窟の実家では味わえなかった下町の人情にふれ人生観が変わったという。新左翼と全共闘を支持、東大教授の鼻もちならないエリート意識、聖域意識と、アジアに対する経済支配を批判しない戦後民主主義の欺瞞性とを攻撃した。保田與重郎の作品を愛読、戦場での死にあこがれ出征したものの不運にも入隊直後に熱を出して勤労動員に回され生きのびた。仲間が死に自分が生き残ったのはなぜか。終戦後ずっと、その運命の不合理さを自問している者としては、精神構造を筋立てて分析して見せられても、ただただ腹がたつだけなのだ。同じような批判を丸山に加える読者は多いが、この弟ことをみなが忘れているのは、いったいどうしたことだろうかと著者はこの章の終わりに疑問を投げかけている。

第五章 人間と政治、そして伝統の章では丸山さんは歴史主義的であり、総てのものを相対化してしまう。そうだとやがてニヒリズムに道を開いてしまうのではないか、と政治思想史研究の手ほどきをうけことになる当時学生の小川晃一が回想している。そして著書はこの言葉が丸山の発言に見え隠れするものを言い当ていると書く。

  

2006/10/01

超人の文学散歩 東大阪市『司馬遼太郎記念館』

   今年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の原作者で多くのファンをもつ作家の司馬遼太郎。亡くなっても書店には司馬遼もの本があちらこちらに溢れています。その司馬遼太郎記念館が東大阪は近鉄小阪駅近くにあります。多少蒸し暑さが残る9月の終わりに筆者は、外観だけでも見て帰ろうと思いほんの少しの間立ち寄ってみました。惜しいと言えば惜しいですが、時間がありませんでしたので仕方がありません。実は建築家の安藤忠雄デザインの建物で、配置が独特の大書架が見ものとは聞いていましたのでそれをぜひ観たかったのですが、拝観料500円払って数分ではモッタイナイと考えてしまったのでした。次回に楽しみを残しておくことで納得です。ボランティアの人たちが入口に立って案内してくれていましたが、自宅の庭と書斎が残されていて窓越しに見ることができたのは最大の収穫でした。意外と質素でこれがいい。狭い中にも司馬空間が見えた感じでした。約3200の書棚がはめ込められていてその中に2万冊を所蔵、企画展、講演会、司馬遼太郎賞なども行われており、全国各地から訪れているそうです。2001年11月1日開館以来つい最近来館者が20万人に達したそうで、今はちょうど「竜馬がゆく」の企画展が開催中。筆者は週刊朝日に連載されていた「街道をゆく」をよく読んでいました。須田画伯の挿絵と取材ノートとエピソード゜、これで毎週までは行きませんでしたが、発売日が楽しみで新幹線の車中でよく読んだものです。今はほとんど週刊誌は出張中の車中でも読まなくなりました。ところで、最近「なぜカイシャのお偉方は司馬遼太郎が大好きなのかーカイシャ人類学のススメ」という本も文化人類学者の春日直樹氏よって刊行されているようです。そこでは会社は次のように等式化されているそうです(筆者は未読です。興味ある方はご一読あれ。定価1365円、2005年2月小学館刊)。

会社=〔学校+軍隊+教団+秘密結社⇒⇒⇒⇒⇒〕×カネ儲け

思わず頷きたくなるような等式ではあります、ね。
それで思い出したのはある大手の書店の幹部が営業を統率するのは軍隊方式だよ、と言っていたのが印象的でしたね。
Nec_0069Nec_0070Nec_0068_2Nec_0067_1【筆者がカメラ付き携帯電話で撮影したもの。写真左上から右上:自宅書斎、「書斎」と書かれたプレート、左下から右下:自宅庭からの記念館外観、記念館の正面入口】

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