« 超人のジャーナリスト・アイ 47 ノーベル文学賞 トルコのオルハン・パルク氏に     | トップページ | 超人の新聞書評欄斜め読み 1 »

2006/10/14

超人の面白読書 22 刈部 直著『』(岩波新書) 3 

  Img042_1
の論文「超国家主義の論理と心理」が雑誌『世界』に載った翌年、1947(昭和22)年春に発表された一高生の学生アンケートでは、「話を聞きたい人」として、小林秀雄とともに首位に並んだという。そしてこの年一高で校長の天野貞裕が社会科学入門として、木村健康(経済思想史)、岡義武、尾高朝雄(法哲学)に特別講義を頼んだ。人間理性に対する信頼をもとにした、近代の自由主義と民主主義の立場から、天皇制を支える精神構造を批判するものであっただろうと著者はその講義の内容を推測する。また、「ドストエフスキーおよびニーチェ以後、古い合理的ヒューマニズムへの復帰はもはや可能ではない。ヒューマニズムは超克されたのである」と説く、ソ連から追放された哲学者、ニコライ・A・ベルジャーエフの『ドフトエフスキーの世界観』も丸山の愛読した書物の一つで、歴史上の近代がすぎさったあとの「現代」が、ニヒリズムの苦悩を深く抱えており、みずからもその時代の子であることを自覚していたと著者は書く。そして人間と政治の関係についての丸山の考えを拾い出してゆく。人間性は必ず邪悪なものだと言っているのではない。人間がみな悪いと決まっているならば、「人間の人間に対する統制を組織化すること」としての政治など、むしろ不要である。そうではなく、人が「善い方にも悪い方にも転び、状況によって天使になったり悪魔になったりするところに、技術としての政治が発生する地盤がある」のである。20世紀の世界では「典型的なデモクラシー国家においても大衆は巨大な宣伝および報道機関の氾濫によって無意識のうちにある一定のものの考え方の規制をうけている。その点ではリベラル・デモクラシーを標榜する国家も、ファシズムと共産主義の全体主義国家も、程度の違いにすぎないのである。これが丸山の見解と著者は書く。敵と味方とを区別し、味方を結集させ敵を排除する不断の努力を、「政治的なるもの」の指標とするのは、カール・シュミットが『政治的なるものの概念』で説いたところであるが、丸山は、国家をこえた国際組織にも、また国家の内にある「政党・労働組合・教会等」にも、その内部統制のはたらきとして微細な権力が生まれ、広い意味で「政治」が偏在すると考える。人間のすべての営みが、いつでも「敵」との激しい対立に転化しかねない、流動する状況のなかで、その時々の紛争事項に即した範囲で統合を達しようとする「権力」のはたらきが、政治なのである。
  『政治の世界』と『現代政治の思想と行動』上・下(1956~1957年)に収められた諸論文が展開する政治観は、のち1970年代以降に、神島二郎や藤原保信といった政治学者から、権力中心の見かたとして批判されることになる。滔々たる「政治化」の波の中で、「人格的内面性」を徹底して守りうるのは、ラジカルなプロテスタント、例えば無教会主義者であろうと「人間と政治」は説いている。現代において人間は、不断に流動する力関係の渦にまきこまれ、何が本当の自分の思考なのかもわからなり、足元には価値の相対性とニヒリズムがつきまとって、丸山の思想の営みには、終生の課題として残ることになると著者は書いている。朝鮮戦争、マッカーシズムなど1950年末の政治状況を分析した短文を「恐怖の時代」と名づけ、平和問題談話会などで平和共存と非武装中立の理想をさまざまな立場の人々に共有させようと試みた。立場を異にする参加者と意見をたたかわせ、泊りこみで声明を書きあげるなどの活動を続けたことは、身体に負担を強いた。1951年、1954年に二度にわたり、結核を患い、国立中野療養所などで生活を送ることになる。そして二度目の入所期間中に、厚生省が経費削減のための附添婦の廃止を打ち出したことが、療養所内で騒動をひきおこし、社会でも大きな問題になった件をめぐって丸山は語っている。「断想」(1956年 座談集 岩波書店)からの引用。
 
  それにしても、僕は今度の問題などを通じて、ひとの「身になって」みるということが現実にはいかに困難かをあらためて覚った。だから現に僕自身、療養所の「外」の人に対してはいっぱし内側の住人として語っているけれども、一たび長期療養者や重症患者の前に立つと、この人々の生活の内面には、僕などのなまじっかな「同情」ではどうしても入り込むことが出来ない領域があり、その精神には到底外から体験できないリズムと起伏があるように思われて、自分の療養者としての発言がそらぞらしく感じられて来る。ラスキが『グラマー』などで口すっぱくして一人一人の経験のかけがえのなさ(uniqueness)ということを説いているが、何かいままでの切実な重みを持って思いだざれる。

  死の座り込み、非政治化と過政治化、大衆社会の問題、アマチュアが支えるデモクラシーそしてリアリズムの思考と丸山の1950年代を追っていく。は政権や政党に助言者として奉仕する役目につかず、講演や文章を通じて一般人に語りかける姿勢に終始し、「アマチュアの精神的リーダー」となる道を選ぶ。そして「市民主義」への懐疑、いやいやながらの政治参加と1960年代初頭を著者は描く。「一般市民参加」の政治参加は、仕事のあいまに「種々のもんだいについて気軽に集まり話し合い」、必要があれば政党や代議士に働きかけて目的が実現されれば解散するという穏やかな政治参加のすすめは、雑誌や対談で表明されたのみで、多くの読者は新聞で大きく紹介された「選択のとき」や「現代政治の思想と行動」が収める講演「現代における態度決定」で立ち上がる丸山の姿であったと著者は記す。1960年(昭和30年)の安保反対運動ののち、新左翼の論者たちの批判の的となり、全共闘の学生からも学園秩序を固辞する教授の代表とみなされ、集中攻撃にさらされた。そうした批判には、丸山の講演が読者に喚起するものと、丸山本人の志向との違いにとまどい、裏切られたという思いがこもっていたのではないかと著者は推測する。
  3 もうひとつの伝統の章は、精神的なスランプ、「型」とその喪失、高度成長への疑問、日本思想の「古層」、自我への問い、「忠誠と反逆」、ダイナミズムの喪失、「逆さの世界」、「伝統」の描きなおし、他者としての歴史、「文明論之概略」を読むそしてフーコーとの対話で終わる。
  1968(昭和43)年、大阪の司法修習生たちとの座談の中で、「伝統の解釈自身が多義的なんです」と述べ、保守派の知識人など、伝統復活論者が「伝統」と言う場合、それは「日本歴史を通じて比較的に支配的な考え方」を指してそう言っている。かつて「日本精神」論者が唱えたような、「國體」観念がいい例である。ある時代以後に初めて「支配的」になった、創られた伝統にすぎないことも多い。そして、そうした伝統復活論は、「非支配的」で「傍流」であった考え方を無視する「ドグマ」の上に立って、「伝統」を語る。それに対して丸山は、過去の思想の中から何を「我々の伝統」として定着させるべきかは、「現在におけるチョイスの問題」だとする。伝統は「われわれが主体的に自分の人類の過去の遺産から選択」し、血肉とすべきものである以上、外来文化ということは、それを伝統から排除する理由にならない。たとえば、「幕末以来輸入したヨーロッパの文明や思想」も、現代の日本人とっては、十分に「伝統」と呼びうるのであると著者は「伝統の描きなおし」のところで丸山の伝統の考えを述べる。やがて、他者をその他在において理解する態度で、過去の思想にむきあうこと、そうした意識をもって解読にあたることで、はじめて「伝統」の新たな描きなおしが可能になる。そう書いた著者は、丸山の武士たちの忠誠のエートスや佐久間象山の思考に見られる政治的リアリズム、聖徳太子と親鸞が説いた「超越的普遍者の自覚」を、いきつぐ伝統として呼び起こすことを試みていると書く。『「文明論之概略」を読む』のところでは、人間の知のはたらきの根本をなし、もっとも重要なものは、学校での学習などとはかかわりのない、「庶民の知恵」「生活の知恵」に相当する「叡智」(wisdom)であり、「理性的な知の働き」としての「知性」(intelligence)がこれに次ぐ。福澤の言う「知恵」は、この二つを含めて言ったものであり、個々の学問としての「知識」(knowledge)と、さらに細分化された「情報」(information)は、ほんらい、そこから派生したものにすぎない。1980年代、ポスト・モダン思想の流行の中で、丸山は古典の解説を試み、「情報社会」に対する根本的の懐疑を盛り込み、おそらくそれは、かつての「超国家主義」論文に匹敵する強度をもつ、眼前の社会に対する痛烈な批判だったと著者は読む。
この岩波新書の『文明論之概略を読む』は確か上中下三冊の本で筆者は、出てすぐ買い読んだが、途中で挫折した書物。最近探すもどこかに消えて分からない。本や雑誌を瞬時に見て破くのが趣味の人間がいるのでその餌食になったかも知れない。そのうちまた、出てくるかもしれない。これが完璧に成就されれば本を置くスペースは要らないのだが・・・。何とも情けない話ではある。この本の前書き、あとがきかな、編集者仲間との細々と続けた読書会での成果と書いてあったのは覚えている。それにしても年月の経つのが早い。1986(昭和61年)刊行だから、もう20年前だ。つい最近のことと思っていた。が亡くなって10年、『文明論之概略を読む』は晩年の力作である。
フーコーとの対話のところでは、「伝統と現代をめぐって」(1982年)内田義彦、木下順二との鼎談で丸山が語っているところを著者は引用する。
 
 彼らがやっていることは全部反デカルト主義、つまり近代合理主義の告発だね、ところが話していると、ヨーロッパのカルテジアニスム、デカルト主義の伝統の重さと強さがやりきれないほどこっちにも伝わってくる。必死になってそれに反抗しながら、デカルト主義に深く制約されているわけだ。だから反抗を通じて同時にそれを再生しているわけね。

近代の理念を掲げる極東の政治学者と、近代的な「主体」の死を宣告した西欧の哲学者とは、それぞれに伝統と現代と格闘しながら、その再解釈を通じての、言説における「政治」を敢行していたのであると著者自らの解釈を施す。

  終章 封印は花やかにでは筆者が、「読書1」の冒頭で書いた小説家・庄司薫の小説に「大山先生」として登場している話である。そして、著者はこの庄司薫が林達夫の評論集『共産主義的人間』(1951年)の中公文庫によせた解説が丸山の考えと重なるとして引用している。

  価値の多元化相対化と同時進行する情報洪水のまっただ中で、ぼくたちは今その自己形成の前提となる情報の選択の段階ですでに混乱してしまおうとしている。ここで唯一の有効な方法とは、結局のところ最も素朴な、信頼できる「人間」を選ぶということ、ほんとうに信じられる知性を見つけ、そしてその「英知」と「方法」を学びとるということ、なのであるまいか(「解説-特に若い読者のために」、1973年)。

そして最後に著者はこう書いて終える。もしも丸山の書きのこした作品が今後も読みつながれるならば、そうした知のつながりは、無数の読者と丸山との、思考の上での対話として、細々とではあれ続けてゆくことだろう。思想家としての丸山の格闘が、それに触れる者に呼びおこすのは、この可能性にむけた、ひとすじの希望にほかならない。
 
  この本の序章で著者は、西洋近代の愚直な賛美者、大衆から遊離した啓蒙家、国民国家の幻像にしがみつく隠れたナショナリストなどと丸山を批判する人たちと熱病のように憑かれた人たちがいることを指摘していたが、筆者としてはそれだけ器が大きい知識人だった思うし、しかも著者も言っているように体系建設型と問題発見型の混在する思想史家だったと言うことだろう。
 
  著者の言葉でトレースしてきたこの書評もやっと終わりに近づいた。ほとんど途中から写経ではないが、筆写に近い形でこの巨人、の評伝を追ってきた。そうすると炙り出された軽部直流の全体像が浮かび上がるのだ。今の時代の比較的若い世代から逆照射した戦前、戦中、戦後を生き抜いた一知識人の知性と行動の遍歴をソフトタッチングしたものとして筆者には映る。そこではが書いた、語った、回想した珠玉の言葉たちが引用され散りばめられている。それはまるできらっと輝く言葉たちをどのようにどのコンテクストで嵌め込めばいいか、職人技っぽい著者の柔らかな手触りが感じられ、の硬質な言辞が変幻し今風に蘇らせているかのようだ。行間の雰囲気が優しいのだろう。意地悪く言えば、もう少し悪戯っぽく書いても良かったのではないかと筆者などは勝手に想像してしまうのだ。すでに絶版の岩波書店刊『日本文化のかくれた形』の中の「原型・古層・執拗低音ー日本思想史方法論についての私の歩みー」も図書館から借り出して読んだ。『日本の思想』は古本屋で安く買ってペラペラ捲っているところ。そして想い出した、この本は学生時代に一般教養科目の授業で確かテクストとして使用された本だった ! 一昨日時間が多少あったので筆者は、神田神保町の古本屋で偶然に『現代政治の思想と行動』(未来社 1957年刊、上巻のみ当時の定価で280円)を見つけたが、上下巻揃いでないと思い、買うのを躊躇しながらちょっとの間その本を捲ってみた。保存状態は良好、でお値段はと女店主に尋ねてみた。まだ何も記されていない状態の未整理の本だったようで、その女店主は一瞬考えて1000円ですと応えた。うむ、また来るかと筆者はその場をあとにしたのだった。筆者には本がどの程度の価値があるかは解らないが、端本で3.5倍の値、上下揃いだともっとするかも知れない。
話は多少ズレたがこの本の帯に曰く、丸山が時代の変転のなかで、さまざまな問題を見出し、それに応答してきた姿を動的にたどることが、いま、その作品から何かを読み取ろうとする際に、実り豊かなやりかたなのではないか。その時々の「現代」における問題を考え、ひとつひとつ論じてきた。その思考の運動が大事で丸山の思想を生きたものにしている。これが著者の狙いなのだ。人間はこういった気鋭の学者が易しく語りかけるように読みついで行くことで彼の思想史は生きると思うのだ。ひとつひとつを読む、そして"よむ "さらにそれを読者にその精神を捻じ曲げることなく、わかり易く伝えること、そのことが知識人にとっての役割だし知恵なのだ。新書の功罪が騒がれている昨今の出版界にあって一石を投じてくれる本であることは間違いない。

  著者の軽部直氏は、読売新聞読書欄の評者を担当していて、本日の読書欄でも第一書房という出版社の創業者・長谷川巳之吉を描く長谷川郁夫著『美酒と革囊』(河出書房新社 5800円)の書評をしていた。小沢書店の社長も勤め、文芸書、小川国男とか全集も出していたがつい5,6年前に倒産。筆者はその昔20代後半の頃この書店に仕事上ちょっとの間行き来したことがあった版元だ。

著者近影。この写真は2006年9月6日付毎日新聞夕刊「文化批評表現」欄から。Img043_1

« 超人のジャーナリスト・アイ 47 ノーベル文学賞 トルコのオルハン・パルク氏に     | トップページ | 超人の新聞書評欄斜め読み 1 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 超人の面白読書 22 刈部 直著『』(岩波新書) 3 :

« 超人のジャーナリスト・アイ 47 ノーベル文学賞 トルコのオルハン・パルク氏に     | トップページ | 超人の新聞書評欄斜め読み 1 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31