« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006/09/29

超人の面白外国語考 1 英語

今朝の日経新聞春秋子は、就任したばかりの伊吹文明文科大臣が「必要は全くない」と小学からの英語教育導入に待ったをかけたことについて言及している。美しい日本語の習得が先決というわけだ。すでに導入準備万端の小学校もあるらしい。母国語が完全に運用できてからでも遅くないというのがその反対の趣旨だと思うが、そんなことはないのだ。極端な義務化は困りものだし、却って禍根を残すことになりかねない。ここは慎重な議論の要するところ、同時に速やかな導入も待たれる。ここで引用されている作家・リービ英雄の随筆に、ボーダーを越えてゆくよろこびとあるが、なかなか味わい深い言葉だ。このニューヨーク生まれの作家は日本語で書いた『星条旗の歌は聞こえない』で作家デビューし日本以上に日本語を駆使して小説、随筆を書いている。法政大学教授で筆者は二度ほど会ったことがあるが、目だけぎょろっとしていて恐い感じであまり愛想がいいとは言えない人との印象を持っている。その妹さんも(当時コロンビア大学の学生)作家の司馬遼太郎のニューヨーク紀行取材に通訳者として同行したらしい。確か司馬遼太郎が何かに書いていたか、筆者の記憶ははなはだ頼りない。
ちょっと脱線したらしい。テーマは小学校に英語を導入する話だ。昔から外国語学習では一定の成果を上げて世界的にも評価されている地域がある。スカンディナビア諸国である。英語は小学3年から確か6年までの2年だか3年間学習して終了、それでいて本人の努力もあるが流暢に喋るのだ。筆者は10代後半、20代前半に実際にノルウェー人やスウェーデン人を何人か見ててその実力を肌で知っている。もちろんBritish Englishだ。スウェーデン人やノルウェー人にとっては英語は同じゲルマン語族に属する言語でいわば兄弟語、言語構造的な類似性は確かにあって習得には有利だ。それにもましてその言語習得のプログラミングが素晴らしいと聞いたことがある。

2006/09/27

超人のジャーナリスト・アイ 44 安倍新閣僚

  第90代内閣総理大臣に就任した自民党総裁の安倍晋三氏、新閣僚を発表。組閣後初の記者会見を昨夜午後9時過ぎに聞いたが、第一印象は"しっかりと"の言葉のオンパレードで言語明瞭、意味不明。ソフトタッチの中にタカ派的発言が濃厚だ。この国は本当にこの人に任していいのか、甚だ疑問が残る通り一遍のご祝儀会見に見えた。特に教育、歴史認識に危ない兆候が一杯なのだ。今朝の新聞の社説もこのことを重視していたようだ。昭和30年代の岸内閣にフラッシュバックか、no surpriseどころか論功行賞ばかりが目立つ気配り、弱腰人事に一般の人たちはこれでは再チャレンジ云々と言っていてもno challengeにしか見えないのではないかとシビアな意見もでている。ある評論家はこの内閣には華がないね、地味な実務型内閣を目指すみたいと皮肉たっぷり。ひとつ面白いのはアメリカ大統領型の官邸主導型の布陣だ。霞ヶ関が戦々恐々しているとは取材していた新聞記者の話。それにしても野党第一党の民主党小沢一郎氏、代表再選直後の入院も気になるところ、政治はやはり一瞬先は闇なのか・・・。

老壮青配置OK実は何処

2006/09/20

超人のジャーナリスト・アイ 43 スウェーデン総選挙 

スウェーデン総選挙は中道右派連合が勝利し、12年ぶりに政権交代が決まったと9月19日付日経新聞は伝えている。次期首相は若干41歳のフレドリック・ラインフェルトFredrik Reinfeldt氏。高福祉修正、選択肢もと日経新聞は書いている。Fredrik_reinfeldt_1
 ところで、日本の首相は誰か。今日自民党総裁選が行われる。すでに事実上のレースは終わっており、早くも来年の参議院選挙の行方が取り沙汰されているが・・・。ともかく弱者切れ捨ての世の中にはして欲しくない。
【写真:free paper『Metro』Sverige-tisdag 19 septemberから】
Riksdagens talman Björn Von Sydow gav på tisdagseftermiddagen i uppdrag åt moderatledaren. Fredrik Reinfeldt att bilda en ny regering. Detta offentliggjorde vid en välbesökt presskonferens i Riksdagshuset.
ビョルン・フォン・シドー国会議長は火曜午後中道右派連合をまとめた穏健党党首のフレドリック・ラインフェルト氏に新政府樹立を任命、国会記事堂の記者会見で公開された。

この報道を日本の新聞はどう扱ったか興味があったので朝日、読売、毎日、日経にジャパン・タイムズの記事を調べてみた。結果は次回で(追記。2006年9月24日)。


2006/09/17

超人のドキッとする絵画 3 石田徹也

今回たまたま見た新日曜美術館が面白かった。不幸にして交通事故で31歳で亡くなった現代リアリズム画家・石田徹也。その絵は見る者にハッとするものを語りかけて止まない。以下はNHK新日曜美術館のHPと2,3ネット情報からの借り物で構成。

石田徹也は31歳の若さで去年亡くなった、無名の画家である。今年の6月、遺作集の発行と有志による小さな展覧会によって、その作品が各方面から注目を集めるようになった。石田の作品には、必ず石田自身の自画像と思われる人物が登場する。しかし、その人物が学校の校舎に閉じこめられる男に変身したり、便器に捕まりながら流されたり、葬式の場面ではプラモデルのように回収されるなど、現代社会が生み出す精神的な抑圧感や日常の中に潜んでいる怖さ危うさなどの負のイメージを鏡のように鮮やかに浮き上がらせる。
静岡県の焼津に生まれた石田は小学校の頃から絵の才能を発揮、武蔵野美術大学のデザイン科に入学。22歳で毎日広告デザイン賞優秀賞を受賞。24歳で日本ビジュアル・アート展グランプリを受賞。28歳で若手画家の登竜門であるVOCA展で奨励賞などの輝かしい受賞歴。将来を嘱望されながら180点の未発表作品を残して昨年亡くなった。
生前の石田を知る明治学院大学教授の山下裕二氏(美術史家)も、その才能を惜しむ一人。
番組では、山下氏が現代の若者たちと共に絵と対話すると共に、石田の関係者を訪ねて、その創作の軌跡をたどる。

[司会] 檀 ふみ、野村正育アナウンサー

Ishida04Ishida_tetsuya2_1Ishida4_3Ishida_tetsuya3_3

 


                                                                     追記。たまたま偶然にテレビ番組で石田徹也を取り上げることを知った筆者は、急いでその番組にチャンネルを合わせた。迷宮美術館だ。が、すでに番組は終わりの方で村山塊多のコーナーに移っていた。残念。筆者がこのコラムを書いてから2年近く経つが、アクセスが多く常に上位5位以内に入っている人気コラムとなっている。
"飛べなくなった人 石田徹也の世界"(石田徹也のHPから)は今現代の人々を捉えて飛び始めているようだ。そしてやがては日本だけではなく世界の人々に共感を呼ぶ日が来るかも知れない。そこには人間存在の普遍的な不安や怯えが宿っているのだ。スーパーリアリズム。東京都町田市の踏切事故で亡くなって3年、彼の絵は関係者の努力から離れて一人歩きしている。今秋「石田徹也展」が11月19日~12月28日まで東京都練馬区立美術館で開催予定。

追記2。石田徹也が亡くなって5年以上、九州で初めて個展が開催される。『石田徹也展〜今を生きる僕等の姿〜』。30点の作品とスケッチブックを展示。2012年4月28日(土)〜5月27日(日)まで。会場は三菱地所アルティア 福岡市中央区天神1-7-11 イムズ8階。(2012年4月7日 記)

追記3。 足利市立図書館で開催中の石田徹也展がNHK『日曜美術館』で紹介されたらしい。9月にオンエアされたが筆者は見ていない。ネットでコンパクトな石田徹也の世界が見られる。
「飛べなくなった人石田徹也の不思議な世界」はこちら→http://matome.naver.jp/m/odai/(2013年10月28日 記)

2006/09/13

超人の面白ラーメン紀行 50 京都 『高安』    

超人の面白ラーメン紀行 50 <br />
 高安

ついにか超人の面白ラーメン紀行が記念の50回を迎えました。思えば去年の1月下旬の北海道・札幌から始まり東京、神奈川、宮城、九州、京都、大阪、長野、東京西部など1年7ヵ月に渡って食べ歩いたことになります。さて、50回目のラーメン店はどこにしようと考えているうちに、そうだ、京都に行こうと向かった先は京都・修学院のラーメン店『高安』でした。ところが暖簾を潜ってびっくり。えっ、ここがラーメン屋ですかと思いたくなるようなアイテムがあちこちに、まるでディズニーワールドの世界ですか。決して機能的には見えない白くて丸い椅子、壁側、テーブル側それにラウンド側と座る席が仕切られて、真ん中が比較的広くスペースが取られています。ハンディマイクを掛けたスタッフの出入りに必要なスペースなのでしょう。正面上の方にはディズニー映画のビデオが流れていました。何しろラーメン店のイメージやコンセプトを変えましたね、この店は。しかもかなり戦略的に。硬派のラーメン店が多いなかここは柔、やわらかさやかわいさに拘った感じです。全部で24人は入れますね。かなり明るいラーメン店でしょう。さて、問題はラーメンの味です。チャーシューは有名と聞いていましたので、チャーシュー麺700円、もう一つの目玉商品のからあげ3個300円それに生ビール450円も頼みました。このからあげがフルッテいてボリューム満点味もまあまあ、ここに来る客はほとんど注文していましたね。多少油っぽいかな。もともと小食の筆者は、次のラーメンを考えて2個食べるのが限度。残した分はテイクアウトができるそうです。期待していた中華そば600円(チャーシュー麺を頼んだのですが量が多いため中華そばにしました)はまさしく豚骨系プラス動物系のスープで中細ストレートの麺、チャーシュー、九条ねぎ、メンマなどが乗っていました。むしろ豚骨系に近い味で京都弁でいうまったりとした味わいです。雑誌には絶品と絶賛されていました。筆者には期待していたほどじゃありませんでしたね。これは好みの違いの範疇に属するみたい。チャーシューも確かに軟らか、でも関東の名店の方が美味いですね。選ぶ肉と製法の違いでしょうか。中細ストレートの麺はスープに馴染んで美味。この中華そばは、むしろチョイ役の辛子ネギを加えると味が引き立ちました。更にもう一つ、限定商品のスジラーメン650円がありましたが、すでに売り切れでした。その他ラーメン+からあげ+ライスの定食が700円など。夕方6時半頃で学生、若い女性、子供連れなど15人は入っていました。Nec_0067

ラーメン店『高安』(1)スープ★★☆(2)麺★★★(3)トッピング★★☆(4)接客・雰囲気★★☆(5)価格★★★

2006/09/12

超人の美術館めぐり 滋賀県立美術館 イサム・ノグチ展

超人の美術館めぐり滋賀県美術館

イサム・ノグチ展が今滋賀県立美術館で開かれている。その昔ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチの美術館に行く機会を逃した筆者だが、今回はたまたま開催館を見つけて駆け足で展示品を観た。照明器具のデザイン、庭園デザインでも知れたスケールの大きな彫刻家だ。その中で一番最後に展示されていた、1989年作の〈真夜中の太陽〉赤と黒のスウェーデン産花崗岩(横浜市美術館蔵)が出色。Isamu_noguchi
その他テーマ別に70点が展示されている。9月18日まで。そのあとは高松市立美術館で開催。筆者はこの照明器具のデザインを観たかった。それで入口前にあったものを許可を得て撮ったのがこの写真。

2006/09/10

超人のニューヨーク フォトレター

明日で2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件から丸5年。アメリカの医療チームが消防士ら9100人以上を対象に調査した結果、その7割に呼吸障害などがあったことがわかったと毎日新聞2006年9月9付夕刊は伝えています。救出作業にあたった消防士などが粉塵などを吸い込み、肺などに障害を訴えている人が増えていて死亡者も出ているらしい。テロ事件から5年、ニューヨークの今を8月中旬に現地に入ったI・K氏の撮った写真で追ってみました。

Img073Img074Img078Img076

Img077Img079Img082Img080

写真左上から下へ:工事中のグランドゼロ タイムズスクウェア ブルックリン橋 ニューヨーク証券取引所
写真右上から下へ:WTCパス駅 セントラルパークからの眺め 船からマンハッタン島 自由の女神周辺  


2006/09/09

超人のジャーナリスト・アイ 42 New arrival: 最新雑誌拾い読み  

  隔月刊雑誌『遠近』Img067
最新号No.12(2006年8月1日 国際交流基金発行 山川出版社発売)が世界は村上春樹をどう読んでいるかを特集している。これは今年3月に東京、神戸、札幌で村上春樹の翻訳者を招待して、シンポジウム「春樹をめぐる冒険ー世界は村上文学をどう読むか」が開催された契機に組んだらしい。その雑誌の翻訳することと、翻訳されることのページで村上春樹自身が書いている。僕は、自分が過去に書いた作品を、よほどのことがなければまず読み返さない。中略。自分の創り出した文章世界が、他の言語システムに入れ替えられることによって、僕は僕自身との間に一つの乖離をつくることができたような気がして、結構ほっとするのだ。また、こうも書いている。僕が僕の作品の翻訳に、何をいちばん求めるかと言えば、個人的に偏見に満ちた愛だ。今や世界のハルキ・ムラカミである。映画評論家・ 四方田犬彦、新たなアメリカの文芸雑誌『A Public Space』の日本特集を編集したRoland Keltsのエッセー、韓国の春樹ブーム、ロシア人が村上文学に見いだすもの、大井浩一毎日新聞学芸部記者の同時代現象としての「村上春樹」、世界で読まれ始めた現代日本文学など内容は盛りだくさん。現在、世界で30数カ国(1989年からの翻訳。アメリカ、韓国、中国、ロシア、ポーランド、チェコ、スウェーデン、アイスランド、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、ギリシャ、タイ、スロベニア、ハンガリー、ルーマニアなど)、167冊以上にも上る翻訳書がある。ハルキ・ムラカミワンダーランドの面目躍如といったところだ。村上文学には川端、三島、谷崎文学など今までの日本の作家たちとは違った世界発信・受信できる普遍性を持ちえるコードが備えられているのだ。それは伝統あるいは日本的な特殊性から離れた、現代の無国籍的都市空間での人間の眼差しを描いた文学に世界の人々が共感していることなのかも知れない。定価500円。

  紀伊國屋書店出版部発行『SCRIPTAImg027

創刊号(2006年10月1日発行)。コストカットした紙面での「I FEEL」後続PR雑誌として登場。「I FEEL」で連載していたコラムが読めるのがいい。レイアウトなど紙面作りには一工夫必要だが、読めて楽しい雑誌にして欲しい。田辺茂一のエッセー集もどこかの出版社で出すと最近何かの新聞で読んだが。思い切ってこの雑誌で田辺茂一物語を連載したらおもしろいのに。
追記。2006年10月1日付朝日新聞書評欄に紹介記事が出た。
  本日届いたアメリカの新文芸雑誌『A PUBLIC SPACE』Img069Img070

(ISSUE 2 SUMMER by A Public Space Literary Projects Inc.)の最新号は、ロシア特集。Russia:Reality Invented by Natasha Randall、創作Andrey Platonov他書き手14人で50ページを割いている。HOME-MADEと題したVladimir ArkhipovのCollection of Contemporary Russian Folk Artifactsが面白い。後はLauren RendnissのCentury girl:The last living star of the ziegfeld folliesのレトロ調のイラストガイド、David MitchellのAckowledgements他小説3本、詩が9編、エッセー他が主な内容である。
  ところで、以前にこの新興文芸出版社にネットで前払いで定期購読を申し込んでおいたのだが、その後の雑誌も送って来ないのでどうなったのか不思議に思い、ちょうどニューヨークに旅行中のK・I氏にメールで連絡を取り合いニューヨークの書店でこの雑誌を購入して欲しい旨依頼した。送ったメールのコピーを持って彼は書店員に尋ねたらしいが、分からないとの返事だったらしい。さて困ったな、入手困難かと思っていた矢先にこの出版社から直接一通のメールが届いた。つい最近のことだ。それがこれ。
2006年9月6日付。
Dear kind souls,

For whatever reason (it¹s a little unclear at this point and may never
become clear), many of you haven¹t received your subscriber copies of Issue
2 yet. We¹re deeply embarrassed and sorry about this, and will do everything
in our power to prevent this from happening again.

In the meantime, in order to rectify the situation, drop me an email if you
haven¹t gotten an issue, and we¹ll get one out as soon as humanly possible.
All I need is your name and current address.
Thanks,

Tom Roberge
A Public Space

そして筆者は返信のメールを送ったのだ。
その先方の返信に曰く、

2006年9月7日付。
I think this is a matter of slow international mail. Sorry. Could you let me
know when you do get it?

筆者は届いたのは本日2006年9月10日と知らせるつもだが、この雑誌は本当はいつ出来ていたのか、単なる通信手段の問題だったのか、単純に送付するのを怠っていたのかそれとも名前と住所が何かの調子で書き残されていなかったのかいずれにせよ、経緯を知らせてくれるのが誠意と言うものではないかと思った次第。

2006/09/08

超人の面白ラーメン紀行 49 吉祥寺 麺屋武蔵『虎洞』

超人の面白ラーメン紀行  49

Kichijojiはハーモニカ横丁にある麺屋武蔵『虎洞』は、チャーシューの代わりに牛肉が好きな店主の牛丼ならぬ牛肉ラーメンが売り。知らなかったなあ、この店は行列のできるラーメン店なのです。筆者も券売機でラーメン730円を買って6番目に並びました。すると刻みショウガは入れますかと店員がチケットを回収しに来ましたね。こうすることによって席に着いたときには注文の品が出来上がっているということでしょ。それもそうですが、効率的というやつです。回転、客回転ですよ。カウンターだけの12席の本当に狭い店に大きな大きな寸胴が二つ、忙しく注文のラーメンを捌いている男性4人、そのうちに一人は食事に消え、一人はこの寸胴を大きなへらで掻き回していましたね。右隣の隣の男性客の注文が間違っていたのはご愛嬌でしょうか。客層は学生、OL、ヤングアダルト.オバサンにおじさんと幅広いようです。そうこうしているうちに出てきました、牛丼否牛肉入りラーメンが、しかも刻みネギとちょっと太めのメンマが乗って。一啜りしてみてこれはイケると思いました。まったくあの吉野家の牛丼の味に似て甘目ですが、そこはショウガが効いています、動物系と魚介系が上手く解け合っていましたね。絶妙なスープと言ったところでしょうか。平打ち麺は多少硬目、スープを多めに頼んでちょうどいいくらい。もちろん完食です。調合具合を見てて、どんぶりの底にざらっとしたものが残るのではと心配しましたが杞憂でしたね。美味。 すりばり状の上品そうなどんぶりでは量を求めてはいけません! ところで、今ちょうど『赤頭巾ちゃん気をつけて』を何十年振りで読み返していたところ、この店のスタッフのコスチュームは黒頭巾でした。"欽ちゃん番組"の関根と小堺コンビを連想しましたね。その他メニューは味付け玉子ラーメン830円、ライスなど。実は八幡宮近くにある和風ラーメン『一二三』を探していましたが、気が変わってちょっと本屋で調べてここへ来てしまいました。以前にテレビで見たことがあるラーメン店でした !Nec_0063

麺屋武蔵『虎洞』(1)スープ★★★(2)麺★★(3)トッピング★★★(4)接客・雰囲気★★☆(5)価格★★☆

麺の肉スープにとけて秋透けて

2006/09/03

超人の面白読書 22 苅部 直著『』(岩波新書 2006年6月)を読む 1

Img066
今気になっている作家に庄司薫がいる。『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を受賞した作家でピアニスト中村紘子の夫だが、もう25、6年以上も作品を書いていない寡黙な作家でもある。中村紘子のゴーストライターではないかとか言われているこの庄司薫氏は、の教え子の一人と何かで最近読んだ。
余談から始めたが、著者刈部直氏は現役の政治思想史専攻の学者だが、そのあとがきでという稀有な知性がのこした言葉の群れのなかへわけいって、そのなかをさまよう途上で見つけた、珠玉の棒切れや落とし穴を、できるかぎり克明に記し、それぞれと出あった驚きを、読んでくれる方々とともにすることであると書く。この40歳前半の文学的な表現を巧みに扱う気鋭の政治学者は、高校時代にの著作にふれる講義をしてくれたこともこのあとがきで特筆すべきことと記している。没後10年、雑誌『思想』8月号でも再読という特集を組んでいる。この本の副題はリベラリストの肖像である。序章 思想の運命、第一章 「大正子」のおいたち、第二章 「政治化」の時代に、第三章 戦中と戦後の間、第四章 「戦後民主主義」の構想、第五章 人間と政治、そして伝統、終章 封印は花やかにそれに参考文献と略年譜からなる。筆者などはこの思想家にはそれほどのめりこんだ記憶がないが、気になって何冊かは読んではいたが熟読、精読までは行かなかった。
 
実を言うと20ページそこそこ残してこの書評にとりかかったのだが、まんまとこの著者にやられた。次の章の終章に冒頭に書いた庄司薫のことが懇切丁寧に書かれているではないか。まさか出てくるとは思わなかったのだ。うっかりである。庄司薫、本名福田章二は1959年(昭和34年)教養課程分科二類から法学部へ進学し、丸山の演習に参加していた。この小説の原型となる短編も同人誌にはじめて発表されたものだと書く。それでここで引用されていた中公文庫(1995年初版、2006年改版3刷)の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を急いで買い求め、例の「大山先生」の話のところや著者のあとがきを読んだばかりだ。久し振りに読んだ筆者の感想は、庄司薫は都会的、知的、自己韜晦的でやはり頭巾が似合うな、と。哀しいかな、昔読んだのだが記憶にない。筆者の書棚には確かビニールのかかった46版の本が長らくあったのだが・・・。雑誌『思想』2006年8月号の特集、を読み直すを読んだり、東京女子大学図書館に寄贈した資料についての記念比較思想研究センター報告書・創刊号(2005年3月刊)を探したりしていた。
さて、この刈部直のに戻ろう。この比較的若い著者は、ややもすると全体像が理解しにくいを分かりやすい言葉でその生い立ちを追っている。は洋行帰りのジャーナリストだった父、丸山幹治(政論記者で朝日新聞記者、毎日新聞記者を歴任)の次男(長男は後にNHK歌謡・芸能担当プロデューサー、弟は雑誌記者)として大正3年兵庫県芦屋に生まれ東京四谷で育つ。その父も純粋のエリートコースを歩んだ訳ではなく、むしろ苦労して大学を卒業して新聞社も何社か変わっている。当時はまだ新聞記者は堅気の職業として認められなかったらしい。丸山の尋常小学、中学時代は関東大地震災後の復興東京でバー、カフェ、ダンスホールなどふえいわゆるモガ、モボなどが銀座を闊歩して歩いていた時代。丸山も不良ぶる中学生で好きな英語で推理小説を読んだり、兄の影響もあって映画館通いをしたりそれに西洋音楽に親しむなど一見東京山の手の中産階級の暮らしぶりだったと著者は書く。そして丸山は後年まで、知識人と大学人としての自負をもちながら、他方では大学教授の地位にまとわりつく権威や、言論人としての名声を忌避し、それを避けることにこだわり続けた。そのどこかぎこちない、両義性を帯びた態度は、すでにこのころからめばえていたと指摘するあたり著者の柔らかな感受性を読み取ることができる。旧制高校入学時に満州事変が起こり、15年戦争の開始である。それはまさしく政治化の時代もあった。1925年(大正14年)に制定された治安維持法によって、学生がマルクス主義の思想を学び、社会主義・共産主義の政治運動に参加することは、厳しく禁じられていた。一高では左翼運動が続いていた。この旧制高校での寮生活では貧農の地方の出身者たちなど境遇の違った学生とも接触することになる。そしてこの「異質なものとの接触」という問題は、やがて丸山の思想の中で、人間観から政治観に至るまで、大きな位置を占めるようになっていく。後年、教え子たたちとの座談会の中で個人の成長には「異質なものとの接触」が大事だとこの高校での寮生活の経験ふりかえっている。
この高校三年時に唯物論研究会創立第二回公開講演会で、長谷川如是閑を弁士に本郷仏教青年会館で講演開会最中に治安維持法違反の疑いで警察に検挙され、留置場に拘留されたのだ。この事件は後の助手、助教授時代までつきまとうことになる。マルクス主義の文献にも触れてはいたが、むしろハインリッヒ・リッケルトの『認識の対象』など新カント派の本を原書で熟読、かくある事実の世界に対して、かくあるべき価値の自立という新カント派の方法がのちの丸山のものとして血肉化してゆくと著者は見る。この当時はマックス・シェーラーなどの人間学の潮流やエドムント・フッサールの現象学、マルティン・ハイデガーの『存在と時間』が日本に紹介されていた。丸山と同じ年に一高に入学した作家や文学者には、猪野謙二、立原道造、寺田透、一年上に杉浦明平、森敦がいて、森敦は横山利一に師事し、1934年(昭和9年)iに新聞小説「酩酊船」でデビューした。ノンポリで文化の最新動向に奥手の高校生が実際には政治活動に加わる意欲などなかったにしても、すでに活動家の疑いをかけられたのだ。<この項続>(2006年9月10日 記)

丸山は多感な10代後半の時期に、時代の激変をみずから痛感させられた。留置場で「本物」の思想犯でありながら、毅然としていた一高生、戸谷敏之の前で涙を流してしまったとき、「俺はだらしない人間だ。いざとなると、平常、読書力などを誇っていたのが、ちっとも自分のささえになっていない」と、大きな挫折感を覚えたことを回想しているとこの時の衝撃を著者は書いている。この時期1933年は、京都帝大法学部教授で刑法学者、瀧川幸辰が学生をマルクス主義に導く「赤化教授」であるとして休職処分を下す文部省の意向が明らかになったいわゆる"瀧川事件"も起こり、京都帝大経済学部に在学していた兄鐡雄も運動に加わっていて父親を困らせた。
1934年(昭和9年)4月に、丸山は東京帝国大学法学部政治学科に入学、はじめは文学部ドイツ文学専攻を考えていたらしいが、父親と一高のドイツ語の先生の忠告により法学部に志望を変えたのだ。大学一年次にはドイツ公法学者、カール・シュミットの著書『政治的になるものの概念』を原書で手に入れぼろぼろになるまで熟読している。
第二章「政治化」の時代に では左翼もしくは同調者の知識人に対する、国粋主義者からの攻撃、天皇機関説の國體明徴運動などの政治化の時代に、『日本資本主義発達史講座』、ローザ・ルクセンブルグやルドルフ・ヒルファーディングなどのマルクス主義経済学の古典、唯物論全書などの諸著作を読み「ムード的左翼」だったと丸山自身が回想していると著者は書く。と同時にマルクス主義の発想に疑問をもち、むしろ近代の個人主義やリベラリズムの意味を見なおす志向をすでに大学時代に抱いていたと著者は、当時の研究会、読書傾向、論文などから結論づける。思想営為についての丸山自身の感想はこうだ(本文P.75より、『座談集』から)。

なだれを打った左翼の転向時代で、しかもきのうまで勇ましい、ラディカルなことを言っていたやつが、たちまちわたしなんかをとび越して右がかったことを言い出し、やがて御稜威とか聖戦とかを口ばしるようになる。むしろ、いままでなまぬるいリベラルだと思っていた人のなかに、反動期になればなるほどシャンとしてくれる人がいる。むろんリベラルにもダラシのないのが多かったけれど、とにかく平素口で言っている思想だけではわからないものだという感じを痛切に味わった。

やがて南原繁の助手となり、大学時代に混沌とした思いにとどまっていた思考が、徳川時代の諸思想や福澤諭吉の著作を研究していく過程で、言葉になってゆくと同時に、研究者、思索者としての新たな出発でもあると著者は第二章を締めくくる。(2006年9月18日 記)<この項続>
  
第三章 戦中と戦後の間では1940年頃から1945年8月15日の母の死までを描く。天皇の東大行幸、経済学部での「國體明徴」の立場の土方成美と対立する河合栄次郎の休職処分、文学部では中世史学者、平泉澄が陸海軍からの支持をうけて学内外で活動することや法学部でも刑法学者、小野清一郎が「日本法理」へ、国際法学者、安井郁は軍部と交流、「東亜協同体」、「大東亜国際法」を唱えるようになってゆく。リベラル派の勢力がいくぶん強く、右翼からの攻撃をうけた法学部でもいろいろな立場や考え方の人がいたと丸山は述べていると著者は当時を丸山の証言を引用しつつ活写していく。「大東亜戦争」が始まった直後の1942年(昭和17年)、皇紀2600年記念事業刊行の『東京帝国大学学術大観』に丸山が寄稿したのが論文「福澤諭吉の儒教批判」である。現状報告の企画だが、経済学部と法学部は天皇機関説の弾圧を被った憲法講座について、この状況下で客観的に述べるのは難しいという判断から各教官による論文集の形で刊行することになった。それは岩波文庫から刊行されていた福澤諭吉の主著『文明論之概略』を読んだ丸山の皇紀2600年記念刊行物に、福澤に関する研究論文を載せることは先人の論鋒を借りながらひそやかな形で眼前の状況を批判しようとする営みだったと著者は言う。当時の時代状況を反映した丸山の回想を著者は引用している。
「金甌無欠」といって意気揚々としている。本当に昭和10年代の日本の現実でした。維新の初めに福澤などがこれだけ自由にものを言っているのに現代の日本は何とまあ逆戻りしたものか、日本の近代100年というのは一体何だったかのか、と非常に暗い感じにとらえられたものです。その思いは、いまでは戦時中を知らない人々に伝達するのが困難だ、という気がします。
より上位にある者にはへつらい、下にある者を威張って抑圧する心理は、福澤が『文明論之概略』で、武士の間にみられる「権力の偏重」として指摘したところであるが、これを読んだ丸山は、昭和の軍人たちの姿はまさしくそうで痛快に感じ、後の終戦直後の論文「超国家主義の論理と心理」でこれを「抑圧委譲」の原理と名づけている。

1939年10月、東京帝国大学法学部に東洋政治思想史講座が発足し、その8ヶ月後の1940年6月、丸山は助教授に昇進する。浄土真宗の篤い信者だった母セイは、その助教授発令の辞令を見て仏壇にてをあわせたが、父、幹治は一瞥しただけだったらしい。そして江戸時代の儒学者、荻生徂徠を中心にすえ、徳川時代の思想史を通観した作品、「近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関連」を『国家学会雑誌』に掲載される。この論文は絶賛され、12年ぶりの新人として助教授のポストに就く。論文は徳川時代の儒学思想の内部で、近代意識の成長が始まり、やがてそれが、荻生徂徠という転機を経て、国学という対立物を生むに至った、「思惟形式」の変遷をたどっている。全体の枠組は、元禄期から享保期にかけての商品経済の発展による社会的変動を、徂徠学の登場の背景に見出すもので、マルクス主義歴史学とカール・マンハイムの知識社会学に多くを負っている。マルクス主義の思想が学問の本質的な党派性を説くのに対し、思想の背後に潜む階級意識を暴露するのみにはとどまらず、社会の階層変化と関連づけながら、思想それ自体の発展を別個に描きあげる丸山はマンハイムから学んだ。戦後に丸山は、スターリン体制をはじめ、日本の学生運動に至るまで、マルクス主義者たちの思考が政治の論理を欠落させていることを批判続けることになる。徂徠が道を先王のたつる所と説き、人間の作為によって秩序を基礎づけたことに焦点をあてた第二論文「近世日本思想史における「自然」と「作為」-制度観の対立としての」(1941年~1942年)の末尾はこう語っている。
福澤、植木、そして自由民権運動が唱えた社会契約論の潮流が明治時代の後半になると、明治政府の封建的な秩序思想に圧倒されてしまったなりゆきを「作為」の論理が長い忍苦の旅を終わって、いま己の青春を謳歌しようとしたとき、早くもその行手には荊棘の道が待ち構えていた。それは我が国に於いて凡そ「近代的なるもの」が等しく辿らねばならない運命であった。

1944年(昭和19年)3月一高の同級生の妹、小山ゆか里と結婚、30歳で陸軍二等兵として朝鮮平壌へ召集(東京帝大の教授・助教授職の人間が徴兵されるこは珍しく、まして二等兵の例はない。これは思想犯としての逮捕歴を警戒した一種の懲罰だったらしい)、惨い体験をしながら病気で東京に戻るが、1945年(昭和20年3月)再び召集。広島市宇品町の陸軍船舶司令部に配属される。ここで丸山は被爆を体験し、8月17日には母の死の知らせも受ける。その息子、眞男の安否を詠った母の歌。

 召されゆきし吾子をしのびて思ひ出に泣くはうとまし不忠の母ぞ

著者の言葉でトレースしてきたこの書評も、戦後期第四章、「戦後民主主義」の構想へと続く。<この項続く>(2006年9月24日 記)


クロカル超人が行く 47 信濃路 晩夏点景 続

Nec_0056
 松本市内にあるかに料理店『きらら』(松本市大手2-1-4 TEL:0263-39-3994)は、大正2年建造の蔵を改装して出来た2年目の新しい店。店内にはジャズが流れ、大人から家族連れまでゆったりと楽しめる食空間だ。二階にある宴会用の部屋Nec_0054
も温故知新風。
かに料理はこの地にあっては贅沢だがこだわりも一流、それはメニューの豊かさを見れば一目瞭然。さらにかに料理以外にも北海道、駿河湾からはその日に獲れた魚介類が即日届くいう気の配りよう。接客も笑顔を絶やさず丁寧、値段も手頃とあって客の入りは順調だという。昼間は昼弁当、夜はかにのお通し、鋒鋩、鯛、鮪の刺身とご馳走になったが、これがイケた。SAITO KINEN FESTIVALがある松本は、近年音楽の町として売り出し中だ。駅舎も現代化しエプソンの看板がでんと座っているのがちょっと違和感を覚えたが。街も整然とした感じで、自転車で西の方に5,6分も行くと今風のエリアの健康ランド、TSUTAYA、ドラッグストアそして家電などが併設されたショッピングエリア(その中にはスターバックスも !)があって結構楽しめる。浅間温泉と洒落込んでみたかったが、時間も限られていたのでこの健康ランドで一風呂浴びさせてもらった。なかなかどうして温泉気分そのもの。その夜は10何年か振りで会った知人と松本弁を探して一杯飲ったのは言うまでもない。
【写真下:この店の姉妹店『安吉餃子』(安曇野市穂高8191-1 TEL:0263-84-0470)】
Nec_0045_1

 ところで、人口228,582人(2006年8月1日現在)の松本市は国宝松本城Livecamera_1
はじめ我国最古の擬洋風学校建築の旧開智学校(テレビで見た記憶がある)、本田親蔵氏のコレクションの時計博物館など歴史的建造物が多い歴史と伝統の町でもあるのだ。筆者は整備されてあちこちにその歴史的な由来が書かれたプレートを一瞥しながら、松本城近くまでほんの少しの散策を楽しんだのだった。本当は昔食べたラーメン屋を無意識のうちに探していたのだ。和紙で作った小物などを売っていた店の近くで確か民芸ラーメン ?と言ってたかな。メイン通りに面したその店は改装して小奇麗になっていたみたい。但し筆者の記憶が正しければの話である。
【写真下:松本のウェブカメラより現在の松本城と市内】

クロカル超人が行く 46 信濃路 晩夏点景

  JR横浜駅から特急「はまかいじ」で3時間半。信濃路・信州松本駅に着く。途中横浜線の町田、橋本、八王子、甲府と通り長野県に入るとやたらにエプソンの看板、工場群が目立つ。ここ10年でこの辺の様相も変わったということだろう。筆者がそれだけこの方面にご無沙汰していることの証左だ。カメラ付き携帯電話で晩夏の信州安曇野、穂高周辺を切り取ってみた。


   Nec_0053_2  【昔懐かし民家】
Nec_0046_1【いちめんワサビ畑】
Nec_0050_1【行く夏を惜しむような、せせらぎ】 
 Nec_0047_1  【道祖神めぐりをしていた女性二人に出くわすし、序に撮ったのがこの写真】

行く夏や穂高のせせらぎ道祖神

2006/09/01

超人の面白ラーメン紀行 48 高田馬場『俺の空』

超人の面白ラーメン紀行  48

鳥たちが帰つて来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上つたり下つたりした。
それは途方に暮れているように見えた。

空は石を食つたように頭をかかえている。
物思いにふけつている。
もう流れ出すこともなかつたので、
血は空に
他人のようにめぐつている。
(「飯島耕一・詩と散文 1」 みすず書房 2000年所収)

  これは飯島耕一の有名な詩『他人の空』の詩ですが、このラーメン専門店は何年か前の日テレ年末恒例のラーメンランキング番組で堂々チャンピオンに輝いた実力の店、その名も『俺の空』。空を独り占めしたような、ひとを喰った名前。本宮ひろしの漫画の題名を拝借したというところが正解でしょう。チャンピオンになった時に一度食べてみたいと思っていました。行列ができてなかなか食べるのに時間がかかるとか並んでもスープ切れで食べられないとかの理由で行くのを躊躇していました。そんなこんなでいつのまにか時間が経ってしまったのです。2,3年前でしたか、豚骨(豚バラ、豚軟骨、ゲンコツ、背ガラと野菜をミックスしているとか)スープと魚介系のそれと混ぜ合わせた独特の濃厚スープを作っている姿などテレビの取材を受けていました。この高田馬場周辺はラーメン激戦区らしく、近くのラーメン店が不審火で火事になったことなど報道されたことはまだ記憶に新しいですね。「アド街天国」でもやっていたしね。
  午後2時過ぎJR高田馬場駅戸山口を出て30秒、大きな暖簾を潜ると真っ先にカウンターが目に入り、男性3人が注文を捌いていました。えっ、今日は並んでいる様子もなく、客が少ないのかな、それとも時間帯かと勝手に想像しながら券売機で豚玉そば(価格900円)を買いました。カウンターが12席の左端に座ってラーメンが出てくるまでしばし人間観察。カウンター越しには大きな寸胴が3つ、スープの出汁作り真っ最中なのか何度も何度も濾していましたね。こうすると旨味成分が増し、とろっとしたコクのあるスープに仕上がるみたい。客層は以外と女性客が多く、全体的に若い人たちです。さて、豚玉そばはどうしてどうして強いて言えば現代風のラーメンの味であります。確かに豚骨プラス魚介系でコクがありトロトロ感一杯。麺は極細、絡み具合が良くまろやか、やや野性的でしょ。チャーシューは細かく刻んであって美味、ゆで玉子も柔らか。でもあれだけ騒がれたのだからまだ何かあるはずと啜っているうちに完食です。梅形白磁のどんぶりが好かったかも。その他メニューはつけ豚そば900円、豚そば800円と至ってシンプル。確かにこの方が券売機であまり迷わずにボタンを押せます。愛想が今一の厨房人に代わって、店にあった扇風機が何ともいい風を送っていました。気が付くと並ぶほどではありませんが、次から次と人が入って来ていました。
『俺の空』(1)スープ★★☆(2)麺★★☆(3)トッピング★★☆(4)接客・雰囲気★★(5)価格★★

追記。昨夜偶然に観たTBSの番組で安住アナとともに歌手の郷ひろみがラーメン初体験を放映していたのがこの店。並んで入り券売機で食券を買い豚そばを注文。スープを上品にひと啜りしたあと彼曰く、よく煮込んでいますね。また、この細い面もスープに会います、とね。美味しかったみたい。この日は筆者が尋ねた日よりも並んでいました。20分位待ったと安住アナが言っていたくらいですから(2006年9月27日 記)。


超人の歴史発見 ヒュースケンの墓

Nec_0060_1

2005年7月30日のコラムでシュリーマン著『シュリーマンの旅行記 清国・日本』で登場するHeuskenヒュースケン。幕末日米修好通商条約のハリス総領事の通訳、オランダ人ヘンリー・コンラッド・ヒュースケンは、交渉途上馬に乗って米公使館麻布善福寺に帰る途中薩摩藩士よって刀で殺害された。当時政府側は土葬を禁じていたため府外のここに埋葬したと光林寺の看板に書いてありました。やっとのところで探し出したのがこの写真、ヘンリー・ヒュースケンの墓です。1861年YEDOで死去と誌されています。また、この付近にはフランス大使館それにU.S.Naval joint services activityのホテル“THE NEW SANNO”Sanno
があります。南麻布界隈はちょっと坂もあったりして洒落た店がありますよね。Nec_0062_1

超人の面白ラーメン紀行 47 信州松本『ラーメン藤』

超人の面白ラーメン紀行  47

JR松本駅近くにある『ラーメン藤』。鶏ガラスープのあっさりとした一昔前のラーメンといったところ。家族的な雰囲気の漂う店で特に夜が賑わうみたい。この写真のトッピングのネギを見よ。

信州信州一は汁が味噌 ?

追記。京都は立命館大学近くにも同じ名前の店を見かけましたが、同じチェーン店なのかしら。

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31