« 超人の面白読書余話 森鷗外『舞姫』のモデルについて | トップページ | 学術先端情報ー学術mini情報誌『PS JOURNAL 』の紹介 4 »

2006/06/10

超人のジャーナリスト・アイ 31 新聞・雑誌拾い読み PR誌最新号を読む

 首都圏、関西の書店で出版社のPR誌をもらい、まとめて拾い読みをしてみた。驚いたことに新潮社の『波』、筑摩書房の『ちくま』がページを増やして96ページ。これは老舗の岩波書店の『図書』と同じページ数だ。続いて講談社の『本』が80ページ、未来社の『未来』が48ページそれに定期購読している丸善の『學鐙』が64ページ。手元にあるこれら6社のPR誌の合計ページ数は、480ページで新書版2冊分の分量である。それだけ出版各社は小さくとも内容の濃いそれでいて充分宣伝効果のあるPR誌に力を入れている証左かもしれない。
そのなかで面白く読んだ記事をピックアップしてみる。『図書』の冒頭の大岡信、岡野弘彦、丸谷才一の《座談会》歌仙 海月の巻、四方田犬彦の「万葉集」や河島英昭訳「新訳ダンテ神曲」、吉村昭、鶴見俊輔のものもいいが、英文学者の清水一嘉が書いた「酒飲みの国、イギリス」が目に留まった。゜イギリス人は外国人のあいだで不断に酒を飲む国民として知られている。かれらは病気になるまで飲む習慣がある"と書き、何とこれはNorman Conquest(1066年)以前の話だから驚く。 パブの隆盛・衰退とコーヒー・ハウスの増加の相関関係など歴史を紐解きながらイギリスの節酒・禁酒運動とコーヒー・ハウス運動が無駄であったとは言い切れないと説き、現在のイギリスの酒飲み事情も盛られいて面白い。この英文学者は9時過ぎには寝てしまうらしいが、バッカスの味はその本領を発揮するのは9時過ぎてかもしれない。あぁー、mottainaiかも。
 木田元の「反哲学入門」新連載(『波』)が始まった。第一回第一章は哲学は西欧人だけの思考法である との刺激的なタイトルである。そのなかでガンで亡くなった作家の日野啓三に言及しているところに惹かれた。死をどう考えるかという問題で、サルトル、ハイデガー、メルロ=ポンテの考え方特にサルトルの死はわたしのすべての可能性を無にし、わたしの人生からすべての意味を除き去る、まったく不条理な偶発事に自分の考え方は近いとし、哲学的な知は宗教的な悟りとは違うと言った後に、曰く、日野啓三さんの晩年の作品を読んでいると、生と死の瀬戸際を生きるという状態がありえる、と思わされますね。日野さんのばあいは、悟りの境地のようなものではなくて、普通の人とはちょっと別の感受性を持っているということではないでしょうか。死に直面したぎりぎりの状態で、醒めた意識で生死の問題を考えることができる感受性。わたしは、常識的な人間です。生死の境に直面したら、何か書こうなんて気はおこりそうにありません、と。また、哲学とは「ありとあらゆるもの(あるとされるあらゆるもの、存在するものの全体)が何であり、どういうあり方しているのか」ということについてのある特定の考え方、切り縮めて言えば「ある」ということがどういうことかについての特定の考え方だと言っている。さて、どの程度理解して読んでいるか自問せざるを得ないとは筆者の呟き。哲学者・木田元はハイデガー他の哲学書の読書会をずっと続けているらしくその訳がどこかの出版社からでたはず。元NHKアメリカ特派員の手嶋龍一と元外務省職員の佐藤優のニュースソースの秘匿や守秘義務など様々な制約がある情報=インテリジェンスについての対談も面白い。
 ドキュメンタリー作家・映画監督の森達也の「勝手にシンドバット」(『本』)は、大学四年の就職時期にフラッシュバックし、その当時流行ったフォークソングと重ね合わせ青春の不安定な心模様を描いて筆者も思わず頷けたりして可笑しかった。その後この同級生はレコード会社に就職、学生バンドのライバルだったサザンオールスターズを売り出すことになったとそのデビュー秘話を面白く書いている。学生時代には髪を切る切らない話はあったし、この森達也氏と同様結局のところは皆、死ぬまで、モラトリアムにいるのかもしれないには筆者も同感だ。
さて、最後は現代フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーの小特集を組んでいる雑誌『未来』だ。「神の死」の再考、「キリスト教の脱構築」の試みなどで有名な哲学者はこの春来日し日仏会館、東大駒場、早稲田大学それに立命館大学で精力的に講演・討論を行ったとはこの小特集の報告者西山達也氏の記事。ダ・ヴィンチ・コードは今や流行語、その謎は深まるばかりだが、マグダラのマリアなど読み解く『私に触れるな-ノリ・メ・タンゲレ』などの著書を持つ哲学者だ。この哲学者を読み込むのは大変かなー。ところで、雑誌『未来』と言えば、親子二代でコラムを書き続けている社主の出版事情エッセー「未来の窓」だ。今回の"ふたたび人文書ジャンル見直しという課題をめぐって"のタイトルで111回目。時に切り口の鋭い提案もあれば時に愚痴にも思えてトーンダウンすることもあるが、エネルギッシュで意気軒昂である。手に入れたときははいつも、筆者はまずこのコラムから読む。そしてちょっと考えさせてくれるのだ。このなかでこのコラムの西谷能英氏が言及している紀伊國屋書店本店の人文書担当者の「じんぶんや」の試みが面白い。著者や編集者という言わば本読みのプロにあるテーマで20~30点ほどの本をコメント付きで推薦してもらい、さらにそのテーマに沿ったエッセーを寄稿してもらったものを小冊子にして店頭配布している。各ジャンルの基本書や、埋もれつつある良書を掘り起こし、スポットをあてることができ、また、回を重ねることによって、それらを各トピックの基本書や良書のデータベースを作ることができ、社員教育に繋がる(基幹棚にうまく反映させる)ことを指摘している。西谷氏も指摘しているようにこの人文書の試みをぜひ継続してもらいたいと思うのだ。何と言っても書店にとっては棚が生命なのだから。点、線、面と逞しく想像力を働かせよと言いたいな。結果はあとでついて来るのだから。

« 超人の面白読書余話 森鷗外『舞姫』のモデルについて | トップページ | 学術先端情報ー学術mini情報誌『PS JOURNAL 』の紹介 4 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 超人の面白読書余話 森鷗外『舞姫』のモデルについて | トップページ | 学術先端情報ー学術mini情報誌『PS JOURNAL 』の紹介 4 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31