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2006/06/18

超人の面白読書 20 文庫クセジュ『スロヴェニア』

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  サッカーのワールドカップ(FIFA2006年)ドイツ大会F組で初戦オーストラリアと3対1で負けた日本は、2戦目はクロアチアと戦う。そのクロアチアは1991年6月25日旧ユーゴスラビアから独立した新生国家。同じく独立して今年で15年、その西隣に位置するスロヴェニア。ほぼ四国位の面積に201万人が住み、北はアルプスの南麓オーストリアに接した山岳地帯、東はハンガリー平原と接する穀倉地帯、西はイタリア、南東はアドリア海の海岸線もあるリゾート地、そしてクロアチア近く中部の荒涼としたカルスト地形といった風光明媚と変化に富んだ小国、それがスロヴェニアSloveniaである。最新情報では謳い文句は"LOVE"のある国 Slovenia where "love"can be found らしい。
この本は、フランスで最も評価の高い「アカデミー・フランセーズ賞」を二度も受賞している東欧史研究の第一人者でパリ第三大学国立東洋言語文化学院名誉教授のジョルジュ・カステランGeorges Castellansと『スロヴェニア史』の著作もある同じ国立東洋言語文化学院(INALCO)のスロヴェニア語の教授のアントニア・ベルナール女史Antonia Bernardの共著『スロヴェニア』の翻訳である。訳者の千田善氏は1986年ベオグラードやリュブリャナで7年間過ごしたフリーランスのジャーナリストで国際問題研究家。新書版形式のクセジュ文庫の一冊だが内容は濃い。目次を見ると第1章国土と人間、第2章スロウ゛ェニアの歴史、第3章スロヴェニア文化とスロヴェニア民族の形成、第4章ユーゴスラウ゛ィア統治下のスロヴェニア人、第5章独立、第6章スロヴェニアの経済、第7章スロヴェニアの文化から構成されていて1、5、6はジョルジュ・カステラン、3と7はアントニア・ベルナール女史が担当している。185ページのこの本を読了して感じたことは、長い長ーい歴史の困難を乗り越えて自分たちの国民国家を樹立し、今日の繁栄を享受しているスロウ゛ェニア人は辛抱強い国民だということだ。去年はポーランドに関する本を数冊読んだが、それと劣らず歴史から国名が消えた屈辱の歴史は同じかも知れない。
この本には巻末に歴史年表が付いていないので、日本ースロヴェニア友好協会編で簡単にこの国の歴史を垣間見てみよう。

869年 スラブ人君主コーツェルによって、スロヴェニア人による初めての独立国家を建国
900年 騎馬民族マジャール人の侵略により王国は崩壊
1804年 オーストリアのハプスブヘルグ家の武力に鎮圧され、スロヴェニア全土を支配される
1848年 3月革命によりメッテルニヒが追放され、ウィーン体制が崩壊
     ・ スロヴェニアはオーストリア=ハンガリー帝国の保護下にあることを選択
     ・ 第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊
1918年 南スラブ人の統一国家であるセルビア人・クロアチア人・ スロヴェニア人の王国に参画
1929年 セルビアの強い影響下になる最初のユーゴスラビアが誕生
1941年 ユーゴスラビアがナチス・ドイツとムッソリーニのイタリアに占領される
1945年 第二次世界大戦が終結するとともに、チトー将軍率いる共産党がユーゴスラビア連邦を建国
1990年 スロヴェニア初代大統領ミラン・クーチャンを党首とする連立政党デモスが共和国議会の多数を獲得
1991年 6月25日 独立国家へ
2002年 ミラン・クーチャン大統領の任期切れに伴う大統領選挙が実施され、ヤネズ・ドゥルノフシェク(Janez
Drnovsek)大統領(自由民主主義党党首)が誕生
2004年 ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、リトアニア、エストニア、マルタ、キプロスとともにEU加盟

  この文庫クセジュ本は1996年発行なので2002年、2004年までは勿論言及されていない。全体的に文学関係が地理、歴史、政治、経済関係より多く割かれていて、この小国の文学特に詩歌の豊かさが窺え知れるのだ。ということで文学に関するページを追ってみた。なかでも著者は18,19世紀の作家達に注目し、その活躍は今日のスロヴェニア文学に強い影響を及ぼしていると書く。スロヴェニア人による最初の詩集『試みのための詩Pesmi za pokušino』(1806年)やスラブ人の土地に古代のローマ時代のイリリア州を復活させたことに関し、ナポレオンをすぐれた騎士としてささげた最も有名な詩『イリリアの再生Iliirija oživljena』(1811)などを書いた聖職者で詩人のヴォドニクValentin Vodnik(1758~1819)、『青春の決別Slovo od ladosti』、『マティアス・チョップの思い出にDem Andenken des Matthias Čop』、『不運のソネットSoneti nesreče』、叙事詩「サヴィツァの滝の洗礼Krst pri Savici』(1836)それに民謡を採録した「美しきヴィーダLepa vida」を書いてその大半は『ポエジーPoezije』(1847)に収められているスロヴェニア最大の詩人フランェ・プレシェーレンFrance Prešeren(1800~1849)。これは、スロウ゛ェニア人にとっての民族的シンボルである言語と文学の代表作として大きなよりどころとなった(第3章スロヴェニアの文化とスロヴェニア民族の形成 Ⅳフランツェ・ブレシェーレンP.50~P.51)。
  言語学者イェルネイ・コピタル(1780~1844)がスロヴェニア語の本格的な文法書を出版したり教会改革思想のヤンセン主義を受け継いだ聖職者による聖書のスロヴェニア語翻訳(公教要理、福音書講和、祈祷書、旧約聖書の詩篇など)は、スロヴェニア語の文語の確立に大いに貢献し、知識人にも影響を与えた。その他1800年から1825年にかけて、J・ヤーペリ、V・ワイセントゥルム、J・L・シミゴツ、P・ダインコらによっておびただしい文法書が出版された事実は、言語の問題が日常生活の一部になっていたことの証明であるが、それでも高等学校より高いレベルのスロヴェニア語の教育は、1919年のリュブリャナ大学の開設を待たねばならなかったと著者は書く。この本に則って19世紀後半、20世紀の文学史を素描するとしよう。
ウィーンの学生たちや、後に偉大な作家となる若者によって創刊された『スロウ゛ェニアの報道者Slovenski glasnik』誌に、詩人・作家・劇作家・批評家・百科事典編集者・文法学者のフラン・レウスティクFran Levstik(1831~1887)の作品『リティヤからチャテジュへの旅Popotovanje iz Litije do Čateža』が掲載されたことは画期的と記し、今日でも依然として新鮮な印象を与える、スロヴェニア人のダヴィデ(しっかりした農民で知恵が回る)と巨人(ウィーン政府とその貴族たちに恐れられている)の戦いを簡潔、明快に描いた『マルティン・クルパンMartin Krpan』とこの作家の独自性はそのジャンルの多様さにあると書く。J・ユルチッチJ.jurċiċ(1844~1881)の『スロヴェニアイェニチェリ、ユーリー、コズィヤックJurij Kozjak,slovenski janiČar』、『10番目の弟Deseti Brat』、『ドーメンDomen』(歴史物語)、『隣人の息子Sosedov sin』、『ユーリー・コピラJurij Kobila 』、『ドクトル・ゾーベルDoktor Zober』、『美しきヴィーダLepa Vida』などの散文の最初の古典といわれる作品、スロヴェニアのハイネと呼ばれるシモン・イェンコSimon Jenko(1835~1869)の『前進Naprej』、大衆小説で知られるフラン・エリャヴィツFran Erjavvec(1834~1887)の『家畜および野生動物図解Domaċe in tuje živali podobah』、イワン・タルチャルIvan TavČar(1851~1923)の短編集『冬の夕べZimski VeČeri』、歴史小説『城の書記Grajski pisar』、『ヴィソコ年代記Visoška kronika 』、新興中産階級の生活を描いた小説『死んだ心Mrtva srca』、『秋の花Cvetje v jeseni』がある。その他ヨシブ・ストリタルJosip Stritar1836~1923)の『ゾーリンZorin』、『ミランドルの紳士Gospod Mirandolski』、詩集『ウィーンのソネットDunajski soneti』の作品やアントン・アシュケルツAnton Aškerc81856~1912)の詩集『バラードとロマンスBalade in romance』などの作品もある。スロヴェニアで今日評価の高い作家の多くは19世紀後半の人びとであると著者はこの時代の書き手に詳細を施す。その後の文学の変遷は近代文学、モデルナのグループ、社会主義リアリズム、戦争文学そして現代文学と紆余屈折しながら今日の隆盛を迎えている。
  それらの詩歌のなかでもアヴァンギャルドの代表のトマージュ・シュラムンTomaź Ŝalamun(1941~)は(外国生活も長くコスモポリタンの詩人で多くの作品をスロヴェニア語に翻訳したり、彼自身の詩集も多くの外国語に翻訳されている)、処女詩集『ポーカーPoker』(1966)、『アメリカAmerika』(1972)、『ソイ・リアリダードSoy realidad』(1985)などが代表作であるが、つい最近「 EURO-JAPAN POETRY FESTIVAL」 日欧現代詩フェスティバル in 東京(2005年12月9、10日、東京九段のイタリア会館で開催)で来日して自作詩の朗読を行っている。筆者も聴きに行ってその"死者たちよ"のリフレーンの響きが妙に未だ耳元に残っている。全体で75行もあるトマージュ・シュラムンの詩「死者たちよ !」の最初の17行を引用してみる。

Mrtvi fantje

Mrtvi fantje ! mrtvi fantje !
kjer stepah hušknejo ptice in se raqzpolovi dan
kjer so kocke glav jardrnice za śepetanje in se vozovi
desk odbijajo od skal
kjer so jutra bleśčeča kot oči slovanov
kjer se na serveru kloftajo bobri da odmeva kot vabilo
k smrti
kjer kažejo otroci podplute oči in z besom skačejo
po butarah
kjer z odtrganimi rokami plašijo sosedom bike
kjer čakajo mraz v vrsti
kjer smrdi kruh po kisu, ženske po zvereh
mrtvi fantje ! mrtvi fantje !
ker se čekani zabliskajo in zaśumijo pravljice
kjer je največja umetnost pribiti sužnja v loku skoka
kjer koruzo zažigajo na ogromnih ploskvah da jo zavoha bog
mrtvi fantje ! mrtvi fantje !

死者たちよ

死者たちよ ! 死者たちよ !
ステップに鳥が飛び交い、日が二つに割れ
るところ
頭のダイスが囁きの帆船となり、板を
       乗せた車が岩にあたって跳ね返
るところ
北でビーバーが叩きあい、それが死へ
      誘うかのように響くところ
子供たちが血走った目をして、薪の上を
     怒りにまかせて飛び跳ねるとこ

もぎ取られた両の手で隣人の牛が脅かされる
ところ
厳寒を列を成して待つところ
パンが酢のにおいを放ち、女たちが獣のに
おいを放つところ
死者たちよ ! 死者たちよ !
牙がきらめき、御伽噺がざわめくところ
最高の芸術品が奴隷を虚空でくぎつけにす
るところ
巨人な平原でとうもろこしが燃え盛り、神
がそれを感じるところ
死者たちよ ! 死者たちよ !

【金指久美子訳】

  訳者あとがきで歴史については、この新しいスロヴェニアはまだ通史がなく、旧ユーゴスラビア、オーストリア、ハンガリーなどの複数の地域にまたがる文献から自分でまとめなければまらなかっこととウィーンから見れば、旧帝国の辺境、田舎にすぎず、「支配者」の側からの断片的な記録しかないという。スロウ゛ェニアは西欧の影響を強く受け、文化やメンタリティーの点でほかのバルカン的地域とは一線を画している上に、経済的にも生活水準が飛び抜けて高いなど南スラブの仲間のなかでも異端児だった。今も色濃く残る中世の教会や建造物はこの国が培った歴史そのもの、筆者も訳者同様否訳者に刺激されて、神聖ローマ帝国や宗教改革、ルネッサンス、バロックなどの西洋文化史について勉強し直さなければとつくづく感じた次第。このスロウ゛ェニアについては知っていることがあまりにも少なすぎた。あるHPを読んでいたら今やこの国の首都リュビャナには世界的なハンバーガーチェーン店も進出、大分流行っていて既存の伝統的な店が閉店に追い込まれているというちょっと淋しいニュースも入っている。聖職者で詩人のウ゛ォドニクがその詩を捧げたようにスロヴェニア語への思いを象徴するものの一つが”イリリアの塔”だ。訳者が言及しているこの話には筆者も感動したね。リュブリャナの国立国会図書館裏手の「フランス革命広場」に、高さ13メートルの塔がそびえている。「イリリア」はナポレオンの軍隊がこの地を占領し、フランス領土として編入した属州の名で、この当時、史上初めて、スロウ゛ェニア語がドイツ語と対等な公用語として認められるという画期的な「大事件」が起こった。ナポレオン統治はわずか9年間だったが、オーストリア宰相メッテルニヒがウィーン体制によって封じ込めるもスロヴェニア人は、これをきっかけに民族的に「目覚め」る。その後多数のスロウ゛ェニア語の文法書や詩人や作家が輩出し社会的に影響を与える。゜イリリアの塔"はこれを記念し、20世紀になってスロウ゛ェニアの代表的建築家ヨージェ・プレチェニク(リユブリャナの主な建築のほか、プラハ城の修復でも有名)の設計で建立された。日本でもこの国についての本格的な最新の成果を踏まえた概説書がそろそろ出て来てもよさそうなものだ。もっと知りたいスロウ゛ェニア、だ。最後に難点を言うと、図表はほんのちょっとあったが写真なども入れて欲しかったし、歴史、政治、経済、地理と文学、文化史とで分けた方が通史としては読みやすい。
さらにスロヴェニア文学を知りたい方は下記のHPにアクセスしてみて下さい。
http://www.synapse.ne.jp/saitani/slovenia.htm


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