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2006/02/18

超人のジャーナリスト・アイ 26 『SAYURI』考

 このコラムで2005年7月、8月と2006年1月に取り上げたスピルバーグ演出・ロブ・マーシャル監督チャン・ツィイー主演の『SAYURI』について、2006年2月18日付毎日新聞の世界の目Global View 欄でトム・プレート氏(米カリフォルニア大ロサンゼルス校教授)が「SAYURI」を巡る論争で配役論争に言及している。昨年のアジアで最も失望させられたことは、日中間の憎しみが再燃したことだったと書き、両国関係が近い将来、改善する見通しは少ないとし、対立の根源が両国の国民の中にあるという厳しい政治的現実に縛られている思いかもしれないとその証拠にこの映画の配役を巡る論争を上げている。この映画は芸者文化と日本の慣習を研究したベストセラーが原作だ。しかし、映画監督や製作会社は研究者ではない。ハリウッドには芸術をうむために芸術があるのではなく、カネのために芸術がある。映画の主演女優3人はすべて中国系だ。チャン・ツィイー、ミシェル・ヨー、コン・リーが日本人の代わりに役を得たが、あまり驚くことではない。ハリウッドの配役基準は、歴史的・民族的な意味でなく興行収入を追求することだ。しかし、この作品は中国人と日本人の間に新たな民族主義的憎悪の火をつけた。インターネット上では、この配役は誤りで俳優に対する人権侵害だと騒いでいる。香港の英字紙は特集記事で、中国のネットで書き立てられている内容を引用した。「チャン・ツィイーはどうして芸者の役を演じられたのか。なぜ恋人役の日本人俳優とキスできたのか」。これは中国人だけの怒りで、日本人は芸者役に一人も日本人女優がいないことに憤慨した。チャンは日本人ではないが、並外れた才能を持つ。スターの座をつかむのを批判するのは、女優に競争心を持たないよう求めるようなものだし、ロブ・マーシャル監督を非難するのは、ハリウッドの監督であるのを忘れよと言っているのと同じことである。立派な女優なら、日本人でなかろうと構わないではないか。日本人女優に公正を期すなら、両民族の怒りを静めるために日本人の役を演じるよう運動しよう。そうなっても日本人と中国人の違いに気づく米国人は、ほとんどいない。
これがこのコラムのほぼ全文。微妙なニュアンスをカットした、いかにも米国人らしい言説ではある。これは日本を舞台にしたアメリカ人が作った映画で、たまたま監督の目にかなった中国系の女優が主演ということに過ぎない。ディテールの大まかさは別としてこの映画のメッセージを読み取ることの方が映画を楽しむことに相応しいと筆者は思うのだ。ま、両国間のギクシャクの問題としてこのコラムニストが象徴的に取り上げたことかも知れないが。

余談ですが、映画「SAYURI」の影響かも知れませんが、京都の祇園の元芸者でスナックのママさんがアメリカの大学に招聘されて近々行ってきますと今年の年賀状に書いてありました。

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