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2005/10/23

学術先端情報- 学術mini 情報誌『PS JOURNAL』の紹介 続々

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2005年 第7号 特集 研究者の現在Ⅵ 越境する日本文化

【目次】
■エリーゼは「伯林賤女」に非ず          金沢大学教授    上田 正行
■プリンストン大学東アジア図書館日本語コレクションについて   
                     プリンストン大学東アジア図書館司書   牧野 泰子
■ドイツ・エルフルト大学東アジア史研究室の概要  エルフルト大学教授  ラインハルト・ツェルナー
■ニコライ2世日記 挫折と再読         大阪学院大学助教授   広野 好彦
■市民と大学生にとっての歴史展示の意味
 ー「軍事郵便」の運命を危惧して           専修大学教授    新井 勝紘
■中原中也、新聞を読む             梅光学院大学講師   加藤 邦彦
■「情報公開法」と「近代史科学」           駒沢大学講師   熊本 史雄
発行:日本図書センターP&S 編集:日本図書センターP&S PS JOURNAL刊行委員会 無料 

エリーゼは「伯林賤女」に非ず

上田 正行(金沢大学教授/日本近代文学)

 小池正直の石黒忠悳宛書簡(明治22年4月16日付)が見つかり紙面を賑わせた。森林太郎を追いかけて、はるばる極東の島国までやって来たドイツ人女性、エリーゼ・ヴィーゲルトの正体が何か分かりそうに思われたからである。この女性の謎に迫ろうと既に数冊の本が刊行されているが、研究者以外でもこの女性に惹かれる人は多いようだ。今回の騒ぎで残念だったのは、そこに書かれていた「伯林賤女」と「手切」、森の「天狗之鼻」が三題噺のように結びつけられてしまって、あたかもエリーゼが「伯林賤女」であったかの如き先入観を読者に与えてしまったことである。いけなかったのは本年2月24日の「朝日新聞」(大阪版)に載った山崎國紀氏の一文である。その紙面で書簡発見者の高橋陽一氏の「日本医事新報」(平成16年6月12日)掲載の記事を知ったが、論旨は山崎氏と全く同じであった。
 これに対して、同じく7月6日付「朝日新聞」に「『鴎外と手切れ』に異論」が載り、『仮面の人・森鴎外』の著者、林尚孝氏の反論が紹介されていたが、論旨が一貫しており私も林説を支持するものである。
 林説の眼目は原文に二つの「○」印が付されており、この書簡が三つの部分から成り立っているというところにある。始めにロッツベッギ(小池の他の書簡ではロッツベッキ)と菊池常三郎のことが触れられ、次に橋本綱常の息、春(長男長勝の幼名、『橋本綱常先生』による)の話題となり、最後に森林太郎のことに及んでいるのであり、この文脈で書簡は読まれなければならない。
 問題は第二と第三の段落にある。まず前者であるが、ヴュルツブルグからやってきた春がベルリンの「賤女」と続いていた関係を、小池の度重なる忠告で漸く断念し、これで手切れになりそうで一安心だと、その経緯を春の父親に報告しようとしているのが趣旨である。綱常も小池から報告を受けて息子と女性とのことを気にしていたのであろう。山崎氏は「文芸春秋」(平17・6)の記事でベルリン・ヴュルツブルグ間の距離を問題にしているが、恐らく春に暫くのベルリン滞在期間があったか、ヴュルツブルグから出かけた折に知り合った玄人の女性がいたと考えれば済むことである。
 小池に「烏城紀行」(「中外医事新報」212号,213号 明22・1・25,2・10)があるが、小池がヴュルツブルグを訪れたのは明治21年10月26日から28日の三日間で、旅行の目的を「私事ヲ以テ烏城ニ赴ク」としている。しかし、春の寄寓先を宿としているので春に会うのが最大の目的と考えてよい。紙数の関係で詳述できないが、当然、女性との関係が話題の中心となったことは間違いない。
 今一つ考えなくてはならないのは森と小池との関係である。明治22年に入って二人の関係が急速に冷え込む事態になりつつあり(特に小池が森のことを快く思っていない)、とても小池が森のために一肌脱ぐような心理状態ではなかったことである。又、22年4月の時点で既にエリス事件は決着を見ており、ここで「手切金」など出ようはずがない。ベルリンに戻ったエリーゼが、今更、「手切」などと言い立てたところで誰が相手にするのであろうか。小池は明治21年5月20日にベルリンに入り、6月にはミュンヘンに移っており、それこそ、どうして見ず知らずのエリーゼの苦情を聞けるのであろうか。エリーゼが日本を発つ前に、滞在費や旅費を含めて何がしかの手切れに相当するものが森家から支払われたと考えるのが大人の常識であろう。(小金井喜美子の「次ぎの兄」の中には旅費、旅行券、皆取り揃へて、主人が持つていつて渡したさうです」とある)文脈から言っても「伯林賤女之一件」と
は橋本春に関わることは明白であるが、このことを決定付けるのが第三段落である。
 小池は森宛の書簡をわざわざ開封して石黒に読ませ、読了後に貼附して森に転送するように頼んでいるのである。何のためか。「天狗之鼻」を挫くためであるが、これには石黒も同意してくれるであろうという読みがあった。何をさして「天狗之鼻」というのであろうか。それは、直前の「同人ト争フ気ハ少モ無之候得とも」と関わる。
 二人の間に争い(意見の対立)があったのであり、この争いを知るには明治22年前半の「中外医事新報」と「東京医事新誌」を見なくてはならない。最初の対立は「中外医事新報」211号(明22・1・10)に掲載の「在独逸国医学士小池正直氏書翰」に端を発する。主文ではなく追伸が鴎外の反論を招くことになった。まず日本人に日本文で以って研究成果を発表すべきという小池の論に対して、森が「東京医事新誌」565号(1・26)で痛烈にその非なることを難じた。既に「戦闘的啓蒙家」の面目は躍如としている。小池は「中外医事新報」220号(5・25)掲載の社員原田宛書簡で自説を繰り返している。これが第一回の契機である。
 第二の契機はこれも森宛の小池書簡(「東京医事新誌」566号 2・2)にあった。二人の共通の師であるペッテンコ―フェルの七十賀の新聞記事の訳載を森に依頼したのが事の始まりである。いけなかったのは森が訳した「ペツテンコーフエルノ逸事」(「東京医事新誌」570号~572号,3・2,3・9,3・16)であった。その前書きで森は小池から送られてきた新聞の切り抜きが不完全なことを指摘して、「記録に漏れて知られずにしまった事柄」と掛けて「逸事」というタイトルを付けたように取れる説明をしている。嫌味な洒落である。小池は憤然として「与森林太郎書」(「東京医事新誌」583号,6・1)を書いた。書簡の日付は4月1日となっているので、今回、発見された書簡の二週間前ということになる。恐らく、この書簡か、あるいは殆ど同じ内容のものが4月16日付の石黒宛書簡に同封されていたのであろう。戦闘的啓蒙家の慢心を諌めようとの思いもあろうが、語調から見て、森のやり方に腹
に据えかねるものを感じていたのであろう。又、森がドイツや日本の新聞に記事を寄せ「新聞屋」を兼職していることも気に入らなかった。これが「天狗之鼻」の背景であり、小池の森に対する感情は悪化していた。
 伝統的保守主義者としての小池の面目は書簡で明らかであるが、同期生とは言え七つ年上の友人に食って掛かる林太郎も相当なものである。戦闘的啓蒙家は一切の私情を顧ようとはしない。このような森に小池が私事に渡ることについて、口を差し挟むような余地など全くなかったのである。第二段落と第三段落とは完全に切れていて、繋がらないことはこれで明らかであろう。この書簡からはエリーゼが「伯林賤女」であったという読みはどこからも出てこない。
                    

         
                  

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