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2005/07/03

超人の面白読書 11 ハインリッヒ・シュリーマン著『シュリーマン旅行記 清国・日本』続

6月25日付でシュリーマンの『日本旅行記』の書評の前編を書き終えた月曜日の朝、出勤途中の電車の中で日経新聞朝刊を見てSURPRISE。その新聞のインタビュー記事、「領空侵犯」の欄で元東証理事長の長岡實氏が明治の庶民に志を学ぶの中でシュリーマンの旅行記に言及していたからだ。偶然と言えば偶然なのだが。『日本人が世界でいちばん清潔な国民だ』『教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。男も女もみなかな仮名と漢字で読み書きができる』と明治になる3年前に来日したシュリーマンのことを書いていた。その他ハリスの通訳ヒュースケン、モース、チェンバレンなどが当時日本をどう見ていたかが熱く語られていた。

さて、続きだ。6月24日から29日、シュリーマン一行は江戸に入る。途中茶屋で休むが、16杯頼んだ日本茶(駕籠人足他を連れ立っていた)、代金は1分(2.5フラン)。ミルクも砂糖も入れないで飲む緑茶に不満で、牛乳やバターも知られていなく、食べるのは動物性食品の海産物に限られていると半ば吐き捨てるように書いている。梅雨時なので流石雨にはマイッテいたかも。江戸のすべての道は、パリの大通りのように砂利で舗装されている。もっとも狭い道で幅7メートル、商業地域の平均的な道幅は14メートルくらい、大名の屋敷町はというと道幅20メートルから40メートルもあると具体的に書いている。参勤交代制にも言及して400家以上の大名、その20人は1石が7.3フランとすれば平均年収は4,562,100フランで、また、大名加賀前田加賀守は20,806,710フラン、大名薩摩松平薩摩守は13,161,840フラン、そして大名陸奥仙台松平陸奥守は10,829,800フランなどと江戸で公布された公式目録を参照して書いていることが驚きだ。
愛宕山に登り、大君の城〔江戸城〕(〔〕は訳者註)を眺め日本の家屋の襖、障子に言及するかと思えば、増上寺の墓地、御台場あたりの日本の蒸気船も見ている。猫は尾っぽが1インチしかない、犬はペテルスベルグ、コンスタンティノープル、カイロ、カルカッタ、デリー、それに北京では粗暴だが、日本の犬はおとなしく吼えもせず道の真中に寝そべっていると観察の鋭さを滲ませている。そして幕末の事件を詳述する。1861年のアメリカ公使館付通訳ヒュースケン暗殺事件の舞台・済海寺、オランダ公使館のあった長応寺、最初のイギリス公使宿館としてオールコック卿等が駐在した僊源亭・東禅寺(1861年、62年と二度の殺傷事件で、ここには玄関の柱等に現在でも刀創や弾のあとが残っているー本文P.131)など。浅草観音寺では今の仲見世辺りと思うが、商業地域を歩き、漆器、錦絵の盆、日本刀、木彫、下駄屋、傘屋、提灯屋、教養書や孔子、孟子の聖典を売っている本屋などを見て回っては人々の唐人!唐人!の叫びに相当(筆者の想像)気にしている様子も書かれていて興味がつきない。浅草観音寺の中を見て次のように書くシュリーマン。日本の宗教について、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であると確信し、ここでは宗教儀式と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのであると指摘するあたり、ちょっとぎょっとしてしまう。独楽回しには感嘆し外国興行を推めたりする。また、団子坂にある苗床と公園、王子の茶屋(現在の扇屋か?とは訳者註)に遊び、深川八幡宮、ヒュースケンの墓のある赤羽の寺(現在の麻布・四ノ橋近くの光林寺、住職は道心の発露からヒュースケンやイギリス公使館通訳の義僕伝吉の屍体を引き取り手厚く葬ったというー訳者註)の公園など精力的に訪ね歩いた。当時の首都の人口は250万人を超えないだろうとぺリー司令官の秘書のち総領事館員のポートマン氏の考えを引用している。そして横浜外国人居留地のグラヴァー氏の住まいを称えて終わっている。第7章は短い「日本文明論」でもし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は、工芸品において最高の完成度に達しているし、男も女もみなかな仮名と漢字で読み書きができると書き、一方でオメツケという忌まわしい諜報機関があることや外国貨幣をメキシコ・ピアストルしか認めず法外な兌換率にかなり怒っている。人間シュリーマンの面目躍如か。それにしても観察眼が鋭い。何回か同じところを読み返してもそうだ。幕末・日本の様子がリアリスティックに描かれていて映画にでもしたら面白い。
1865年9月2日横浜港からサンフランシスコへ、洋上50日の間にこの見聞記を書く。8月7日午前7時45分から11時にかけて北緯43°9′、西経149°42′27、まさしくペテルスブルグの対蹠点を通過したところでこの本は終わる。
前半清国の項では、万里の長城に登った印象とやたらに衛生が良くないこと意外とりたてて記すに足りず、ただ読み通した。あとがきが30ページは長く少々ウンザリでしたが、参考になったことも事実。訳者の日本語もこなれていて読みやすい。ちょうど140年前の今の梅雨時期、この大金持ちのシュリーマンはマルコ・ポーロの『ジパング』に魅せられこの極東の地まで何故にやってきたのか、ただ単なる好奇心かそれとも ? 好著の一冊だ。

schlieman ロシア商人時代のシュリーマン

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