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2005/07/23

超人の面白読書 12 三嶋善之著『詩集 標本』

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久し振りに本当に久し振りに詩集を読んだ。福井在住の詩人三嶋善之の第2詩集『標本』(2002年11月刊 砂子屋書房 P.118 定価2,625円)である。かつては現代詩手帖とか詩誌、詩集も大分読んでいたが、30代後半頃からあまり読まなくなっていた。と同時に現代詩がその役割と方向性を喪ったかのようにその独自の世界を構築しては難解に晦渋に言葉のなかへ、内向きに蠢いていたような気がする。当然詩の売れ行きはごく一部の詩人を除いては芳しくないし、それは大書店の詩集の棚を覗けば一目瞭然。ところが、ここ何年か様相は違って来ているような感じを受ける。現代詩を含めた詩が哲学書と同様に新たな読み直し、時代の雰囲気を感じ始めているようだ。
そんな社会的コンテクストの中で、この詩集を手に取ってまず感じたことは、若い時分の瑞々しさは多少ないかも知れないが、哀感の漂う低音が響いていて優しさの織り成すページになっているということだ。連作標本と題した11篇をはじめ、十九になった頃、南国土佐高知をあとにして、腸に、水仙、横浜、銀杏、テロの日など30篇がここには収められているが、亀、クラゲ、蟹、海老、かぶと虫、夜鷹、蛾などの生物への閉じ込めたもの(=標本)への偏愛(?)と閉じ込めたく(=標本にしたい)なるほどの愛おしいまなざし、遠出したときの心象スケッチ、故郷と家族への想いと自分への労わりがこの中年に達した著者の感性モーメントの確かさを思わざるをえない。生と死の凝視、人生の哀歌とも言うべき主調が感じられる所以だ。諧謔が時折顔を覗かせるものの、やはり何と言ってもこの詩の持ち味はペーソスだ。著者の視線はどこにあるか ? 天空へか、海の、山のかなたへか、あるいは限りなく地球の中へかは、読者は一読すれば感得できるかもしれない。筆者はこの詩集を持ち歩きながら最近ずっとそのことを考えていたのだった。本文から1,2編引用してみよう。

標本 1

川のそばの小学校の
校長室に
亀の標本がある
百五十年生きて
亀は標本になっている

国と国の親善のために
交換される
鹿


川のそばの小学校の
児童が整列して
わかれの歌をうたう
鹿は啼く おお
鹿は啼く 

母馬と子馬が離れるほろんこ市
母馬は肉になるんだと
子馬はだからこれでお別れだと
鹿は啼く おお
人も泣く


地上は
生と死で一杯だ

おまけに
秋だ
とても寒い秋だ


敦賀
 

海岸通りに拡がる
松原
胸の中一杯に
波が押し寄せて

敦賀
古い港町
波は眠らない
ざぶりと砂を移動させる


子供の頃
目隠しをして
すいかを割った

母は若く
父は
厚い胸板に
首に浮き輪を引っ掛けて
笑っていた

両親に逢いたい
不意にそう思う

二人は
向こうで
仲良く住んでいるだろうか

僕の事を
どう思っているのだろうか


著者はあとがきで主として詩誌『螺旋』に発表したものをまとめたと書いている。第一詩集『相聞』では母の死、この詩集では父の死に遭遇した由。そして33歳の処女詩集から18年が経過、51歳の作品である。時代は確実に時を刻み、感性は鈍くなるのが普通の人間、言語感覚が多少古いのが気になるが、瑞々しさを保つ秘訣がこの著者にはあるのかも知れない。清楚な装丁もいい。
蛇足ですが、筆者の6月4日の記事を参照していただければ理解が深まるかも知れません。
そして、この記事を校正していたとき、まさしく地の方から生物の怒りではないが、大きな揺れを感じました。
震度4以上の地震でした。クワバラ クワバラ。

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