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2005/06/25

クロカル超人が行く 34 天王寺界隈

tobitashinchi_map 今筆者は樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』を読んでいますが、その独特の一葉調の文章に梃子摺っては他の本を読んでしまったりしてなかなか進んでいないのが現状です。林芙美子の小説の舞台にもなっている天王寺・飛田新地。その歴史を紐解くとこうだ。以下はあるコラムからの引用。【写真右:「飛田新地」の地図(HPから転載)】
飛田は、江戸期~現在にいたる大阪市西成区の汎称地名である。大阪市西成区の北東隅、旧飛田新地一帯の呼称であり、同区山王~天下茶屋東にかけての地域をさす。現在でも飛田新地(飛田遊郭)の所在地として知られている。1980(昭和50)年までは、南海平野線飛田駅が中心に位置していた。

 江戸初期、元和の市街地整理により、大阪七墓の一つとされ刑場ともなった。明治初年に墓地が東方に移転し(阿倍野墓地)、刑場も廃止された。

 当地の名が一躍高まったのは1918(大正7)年の飛田遊郭の設置・開業である。1912(明治45)年、大阪ミナミの大火のため、難波新地での廃業・移転に迫られた貸座敷業者らが、当地を新しい候補地として選び、阪南土地建物会社を設立し、阿倍野墓地北西の低地に開業したのが飛田遊郭の端緒である。

 同遊郭は、各楼に寄寓する娼妓に限り遊客の求めに応じる乙種貸座敷であった。大正末期には松島とともに、大阪市内の二大遊郭の一つとして繁栄し、郭外の大門通りの商店街をはじめ、今池・萩之茶屋方面まで賑わいをみせた。また、新世界の発展ともタイアップし、飛田本通りを結ぶジャンジャン横丁は庶民の盛り場となった。1958(昭和33)年の売春防止法施行により、この地は商店街などに展開したが、現在もバーや待合が多くみうけられる。また、山王一帯は、ぞくに「天王寺村」と呼ばれ、寄席芸人が多く住む場所であった。

 近代の都市建設における遊郭の立地は、決して見逃すことのできない大切な問題であった。それは、学校の設置などと対立するものであり、売春の是非そのものに関わる問題をも誘発した。

 1909(明治42)年に大阪市北区の曽根崎新地が全焼し、翌々年には吉原遊廓が、さらにその3年後の1912年には大阪市南区の難波新地が火災に見舞われた。「フジヤマ、ヨシワラ、ゲイシャガール」といわれるように世界的に名を轟かせていた吉原では、娼婦のイメージが江戸時代の遊女に近いものとして捉えられていたため、「歓楽文化」を守る風潮が強く、再建にはさほどの軋轢がなかったが、大阪では、曽根崎と難波の二大遊廓が廃止されるにいたった。

 しかしながら、難波遊廓に関しては、再建案として飛田が指定された。これを機に、大阪府を中心とした行政が貸座敷業者と結託し、廓清会を代表とする設置反対組織との間に政治闘争が起こったのである。この闘争では、難波新地からの移転先である飛田新地が、各種の学校、天王寺公園、動物園、美術館、公会堂などの散在している天王寺に位置していたため、風紀面で立地場所に問題があるとされ、設置反対運動も徹底したものとなった。

 このように、日本の遊郭を考える場合、20世紀初頭の都市計画や風紀状態などと関連づける必要がある。また、戦後のフェミニズム運動などの台頭と売春防止法との関連も見逃すわけにはいかない。なぜなら、日本の場合、まともに議論されることなく売春が地下に潜ってしまったという経緯があり、現在でも公然と売春が行われている遊郭もあるからである。

 このような問題関心にたって、色恋の舞台としての遊郭という側面だけでなく、都市計画に関連した遊郭という側面からも、私は「遊郭」にこだわって街を追っていきたいと考えている。


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【参考文献】
■吉見周子『売娼の社会史』(増補改訂版)雄山閣出版、1992
■吉見周子「売娼の実態と廃娼運動」1982(女性史総合研究会編『日本女性史 第4巻 近代』東大出版会)
*なお、林芙美子の『めし』で舞台となっている天神ノ森という場所がこの付近にある。さらに少し南へ下れば萩之茶屋、天下茶屋(『じゃりんこチエ』の舞台)などの下町になる。


先週の土曜日か、NHKの番組「新日本紀行」で将棋の坂田三吉を生んだ将棋の集会所のあるジャンジャン横丁の今昔を昔の映像と今の映像を比較して街の移り変わりを映し出していたが、その通りを嗚呼、なかなか大変だな、と思いながらあのテレビで観た床屋さんも確かこの辺とぶらつきながら、飛田本通りも通過したところを左に折れた。今はKOBAN゛と書かれていた飛田交番がすぐ見え、ちょっと暑かったので涼むため、角にあった屋台もやっている店で缶ビール一本、缶チュウハイとキムチに手羽焼き一つを頼んでしばし腹ごしらえをした。二人のヤングアダルト風の女性が身の上相談風の話しを缶チューハイの飲みながらしていた。一人は眼鏡をかけていて高校生位の男の子がいるらしく、あるスポーツの大会に出て惜しくも負けたとか、アダルトDVDを観ては興奮していたとか、年頃なんだねぇと半ば息子を容認気味。もう一人は聞き役風でタバコを燻らす女性。腕に刺青がしてあるが朗らか。イケメン風の店主がたまに口を挟んでいた。そのうち仕事を終えた建築系の男性がやってきて、モンゴル系は高くて使えないとか言ってビールを口にしていた。その男性が眼鏡をかけた女性に上の子どもは見たことがないなと話したかと思うと、いや、よく会っているはずと店の店主、また、近くの店で働いているよとかで会話は盛り上がっていた。可笑しかったのは、仲間の一人なのか、すっかり阪神ファンのそれに着替えて小道具もぶらさげてこれから大阪球場に応援に行ってくるっと言っていた若い男性。これがこてこての浪速ッ子とそのとき思ったね。その間ちょっと距離がある斜め向かいの妓楼の女性が何やら合図しているみたいに取れた。ここはそうした妓楼が150軒もある有名な遊郭。ある建築家のコラムでは標準ユニットは2階の腰壁から突き出た屋号の書かれた店の看板、1階は玄関脇に提灯、両引きの玄関扉があって、その脇に格子窓、その隣りに通用口、その奥は内緒。tobitashinchi_3

しかし、その建築とただずまいは奥の世界を知らない人でも夕暮れは感動的だ。通りを軽自動車で見物にきている人にはビックリ。tobitashinchi_2
その格子他家屋の独特さも手伝ってか、着ている衣装も和装洋装バラエティに富んでいて、しかも美人が多い。兄ちゃん、にいちゃん、戻って寄ってらっしゃいと年配の女性に声かけられる度に困惑し、無意識に筆者の足は急ぎ足になってしまった。小説の舞台、建築と都市環境問題等と興味は尽きない筆者には、この一時は映画の一シーンかと思えて仕方がなかった。それにしても蒸し暑かった。梅雨だというのに雨降らず。洪水になったら海抜ゼロメートルのここはどないしはる? それって、余計なお世話!
taiyoshi_hyakuban

大正期の建築様式を今に残して余りある文化財指定の料亭『鯛よし百番』


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