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2005/06/25

超人の面白読書 11 ハインリッヒ・シュリーマン著石井和子訳 『シュリーマン旅行記 清国・日本』

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ハインリッヒ・シュリーマン著石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫 800円)を読了。
金沢へ行く途中のバスの中に置き忘れ買い直した文庫本。190ページ足らずのこの旅行記は原題"La Chine et le Japon au temps présent"(1869年パリで出版)、シュリーマンの処女作。前半70ページは当時の中国、清国の旅行記。万里の長城、北京から上海へ、上海の章と後半は江戸上陸、八王子、江戸、日本文明論、太平洋の章からなっている。シュリーマンと言えば『古代への情熱』、『シュリーマン伝』があるが、トロイア遺跡の発掘で有名だ。また、数ヶ国語も操る語学の天才で高校時分によくその伝記を読んだものである。その語学獲得の方法を真似てみたもののそんなに身につかなかった記憶がある。才能がなかったのかも。
ハインリッヒ・シュリーマンは、1822年、北ドイツのノイブコーに牧師の子として生まれ、考古学好きの父親、音楽好きの母親だったが、母親は9歳のとき亡くなっている。ホメロスの叙事詩やポンペイの悲劇などを父親から聞いていたらしい。その語学の才はある国の言葉を覚えるのに6週間もあれば充分だったという。11歳でオデュッセウスやアガメムノンの冒険譚についてラテン語で作文を書いたことでも語学の才がうかがえるとは訳者のあとがき。また、少年時代はけっして恵まれていず、学校教育も満足に受けられないまま14歳で小売店の小僧をしながら簿記の勉強をした。19歳のとき運ためしでアメリカ行きを試みるが、不幸にも船は難破、オランダの砂洲の一つに打ち上げられ九死に一生を得た。アムステルダムで糊口を凌ぐかたわら、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語等をマスターしていった。類まれな商才にも恵まれ24歳でアムステルダムの貿易商となり、モスクワのインディゴ(藍色染料)の商売で成功しペテルスブルグで独立して商館を開き、ゴールドラッシュのアメリカに銀行を持つなど国際的な大商人となって巨万の富を築いた。1863年、41歳のとき経済活動を止めてトロイア遺跡の発掘に精を出し1871年その発掘に成功するのである。その6年前の1865年3月に世界漫遊の旅に出る。そしてこの旅行記は横浜港を離れ、太平洋上をサンフランシスコへ向かう船中約50日のあいだに書き上げられたもの。(訳者のあとがき)何か日本国にも似たような人がいた。50何歳かで家業を譲って日本全国測量の旅に出て、終には精緻な日本全図を完成した、あの伊能忠敬に似ていない ?

1865年6月1日から7月4日アメリカのサンフランシスコへ向けて出発するわずか1ヶ月間の幕末・日本の滞在見聞記だが、通読して感じたのは、ものを正確に見る目、また異常なる好奇心からくる観察の鋭さ、道幅、日本の家屋、屋敷、運搬に必要な馬のことなど具体的な数字を示して説明したり、金銭感覚も鋭い。参勤交代の現場、土砂降りの八王子行きのてんやわんやの道中記。冠婚葬祭にも出くわし、事件も見ている。原町田の茶屋、八王子の絹織物の店、田植えの風景も活写している。相当な記憶力とメモが手かがりになかったならば書けないほど細部に渡っている。また、事前に日本に対する教養も身につけていたに違いない。オールコック卿の引用も度々。確かに間違いはあるもののこれだけ詳細な描写は普通はなかなかできないはず。上海から横浜まで3日間の船賃(蒸気船に乗って)100両(清国の貨幣テール)、900フランに驚き、1865年6月4日日本上陸の横浜港ではちょん髷をし入れ墨した船頭たちに労賃が4天保銭(13スー)請求されて驚く。
富士山についての記述では4725メートルで山頂が万年雪で覆われ、日本の霊山、各地から巡礼者が訪れるとある。3776メートルの誤りとは訳者註。また、1859年当時の横浜はちいさな漁村だったが、いまや人口4000人を数えて道路はすべて砕石で舗装されていて幅10~20メートル、青みがかった瓦葺の木造二階建ての家が道に沿って並んでいる。ときどき練り土で作られた完全な耐火建築の家〔土蔵造り〕も見られるとその建築方法まで詳述している。日本は地震が1ヶ月に6回も起こり、ときには日に2回も揺れることもあると当時の横浜を詳細に観察している。家々の奥には花が咲いていて小さな庭が見え、日本人はみんな園芸愛好家かと言えば、床は道路から30センチほどあがったところにあって長さ2メートル、幅1メートルの美しい竹製のござ〔畳〕で覆われていると書く。その観察の鋭さにに恐れ入ります。主食は米で、日本人にはまだ知られていないパンの代わりをしている。日本の米はとても質が良く、カロライナ米よりも優れている。ご飯が炊けると、主婦は漆器の大きな椀〔お櫃〕に盛って、部屋の中央のござのうえに置く。そのそこへぴりっとしたソースで煮た魚を一椀と、日本人の好む生魚〔刺身〕の入ったもう一つの椀とが加えられる。ナイフ、フォークではなく長さ30センチほどの漆塗りの箸と、皿ではなくて赤い漆塗りの椀が出るなどの椀にも聖なる火山・富士かコウノトリ〔鶴のことだろうとは訳者註〕が金で描かれている。コウノトリは長寿と至福の象徴として、富士山と同様、聖なるもとみなされている。住宅は清潔さのお手本とその前に清国では不潔極まりないところを見てきたことにもあるのか。また、夜9時には寝てしまうとか、税関で遭遇した光景か、正座して帳面に非常な速さで上から下へ、右から左へ筆で書いていて、実に奇妙な眺めだと書いている。
その国の生活費が高いか安いかは、日常出回っているものの最低額によって計られるという。日本人の生活費はとても安いに違いない。一天保は小額貨幣〔キャッシュ〕百枚にあたり、したがってキャッシュ640枚は1フランに相当することになる。この小額貨幣は架空の貨幣ではなく、実在の通貨であると書き、着物、下駄、おはぐろ、簪、馬丁、半纏について活写する。公衆浴場の前を通りかかって浴場から飛び出してきた人に何の恥じらいも感じていないとその清らかな素朴さに感嘆。男女混浴の容認云々にも及ぶが、疥癬の皮膚病が多く、その唯一の原因は生魚〔刺身〕を食べることにあると断言しているところが可笑しい。それだけ当時の外国人には異常に見えたのかも知れない。
そして売春についても書いている。日本政府は、売春を是認し奨励する一方で結婚も保護している。正妻は一人しか許されず、その子供が唯一の相続人となる。ただし妾を自宅に何人囲おうと自由である。貧しい親が年端も行かぬ娘を何年か売春宿に売り渡すことは、法律で認められている。契約期間が切れたら取り戻すことができるし、さらに数年契約を更新することも可能である。この売買契約にあたって、親たちは、ちょうどヨーロッパ人が娘を何年か良家に行儀見習いに出すときに感じる程度の傷みしか感じない。なぜなら売春婦は、日本では、社会的身分としてかならずしも恥辱とか不名誉とか伴うものではなく、他の職業とくらべてなんら見劣りすることのない、まっとうな生活手段とみなされているからである。娼家を出て正妻の地位につくこともあれば、花魁あるいは芸者の年季を勤めあげたあと、生家に戻って結婚することもごく普通におこなわれる。
娼家に売られた女の児たちは、結婚適齢期までーすなわち12歳までーこの国の伝統に従って最善の教育を受ける。つまり漢文と日本語の読み書きを学ぶのである。さらに日本の歴史や地理、針仕事、歌や踊りの手ほどきを受ける。もし踊りに才能を発揮すれば、年季があけるまで踊り手として勤めることになる。
遊郭は、町から離れた一角に集められている。江戸の遊郭は極めて数が多く、城壁や壕によって他の地域から隔てられた、もうひとつの町をつくっている。吉原である。Img025_1
吉原に入るには、夜昼を問わず警備の役人に守られているたったひとつの門をくぐるしかない。吉原は周囲2マイルほどの平行四辺形をしており、7本の道が直角に交差していて、町を9つの地区に分けている。それぞれの区域はたがいに木の格子戸〔大戸〕で仕切られ、警備の人が随時門を開け閉めするから、監視は厳重である。【写真右:本文から「吉原への道」の図】
吉原には10万人以上の遊女がいる。しかしどんな遊女でも外に出るには通行証が必要で、通行証を手に入れるためには、相当なお金を用意しなければならない。遊里の営業権は、各町ごとにセリでいちばん高い値をつけたものが、数年間にわたる独占権とともに政府から払い下げられる。遊里の収入は莫大であり、国家のもっとも大きな財政源のひとつになっている(P.90~P.92)。こういうところの言及も冷静で鋭い。

クロカル超人が行く 34 天王寺界隈

tobitashinchi_map 今筆者は樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』を読んでいますが、その独特の一葉調の文章に梃子摺っては他の本を読んでしまったりしてなかなか進んでいないのが現状です。林芙美子の小説の舞台にもなっている天王寺・飛田新地。その歴史を紐解くとこうだ。以下はあるコラムからの引用。【写真右:「飛田新地」の地図(HPから転載)】
飛田は、江戸期~現在にいたる大阪市西成区の汎称地名である。大阪市西成区の北東隅、旧飛田新地一帯の呼称であり、同区山王~天下茶屋東にかけての地域をさす。現在でも飛田新地(飛田遊郭)の所在地として知られている。1980(昭和50)年までは、南海平野線飛田駅が中心に位置していた。

 江戸初期、元和の市街地整理により、大阪七墓の一つとされ刑場ともなった。明治初年に墓地が東方に移転し(阿倍野墓地)、刑場も廃止された。

 当地の名が一躍高まったのは1918(大正7)年の飛田遊郭の設置・開業である。1912(明治45)年、大阪ミナミの大火のため、難波新地での廃業・移転に迫られた貸座敷業者らが、当地を新しい候補地として選び、阪南土地建物会社を設立し、阿倍野墓地北西の低地に開業したのが飛田遊郭の端緒である。

 同遊郭は、各楼に寄寓する娼妓に限り遊客の求めに応じる乙種貸座敷であった。大正末期には松島とともに、大阪市内の二大遊郭の一つとして繁栄し、郭外の大門通りの商店街をはじめ、今池・萩之茶屋方面まで賑わいをみせた。また、新世界の発展ともタイアップし、飛田本通りを結ぶジャンジャン横丁は庶民の盛り場となった。1958(昭和33)年の売春防止法施行により、この地は商店街などに展開したが、現在もバーや待合が多くみうけられる。また、山王一帯は、ぞくに「天王寺村」と呼ばれ、寄席芸人が多く住む場所であった。

 近代の都市建設における遊郭の立地は、決して見逃すことのできない大切な問題であった。それは、学校の設置などと対立するものであり、売春の是非そのものに関わる問題をも誘発した。

 1909(明治42)年に大阪市北区の曽根崎新地が全焼し、翌々年には吉原遊廓が、さらにその3年後の1912年には大阪市南区の難波新地が火災に見舞われた。「フジヤマ、ヨシワラ、ゲイシャガール」といわれるように世界的に名を轟かせていた吉原では、娼婦のイメージが江戸時代の遊女に近いものとして捉えられていたため、「歓楽文化」を守る風潮が強く、再建にはさほどの軋轢がなかったが、大阪では、曽根崎と難波の二大遊廓が廃止されるにいたった。

 しかしながら、難波遊廓に関しては、再建案として飛田が指定された。これを機に、大阪府を中心とした行政が貸座敷業者と結託し、廓清会を代表とする設置反対組織との間に政治闘争が起こったのである。この闘争では、難波新地からの移転先である飛田新地が、各種の学校、天王寺公園、動物園、美術館、公会堂などの散在している天王寺に位置していたため、風紀面で立地場所に問題があるとされ、設置反対運動も徹底したものとなった。

 このように、日本の遊郭を考える場合、20世紀初頭の都市計画や風紀状態などと関連づける必要がある。また、戦後のフェミニズム運動などの台頭と売春防止法との関連も見逃すわけにはいかない。なぜなら、日本の場合、まともに議論されることなく売春が地下に潜ってしまったという経緯があり、現在でも公然と売春が行われている遊郭もあるからである。

 このような問題関心にたって、色恋の舞台としての遊郭という側面だけでなく、都市計画に関連した遊郭という側面からも、私は「遊郭」にこだわって街を追っていきたいと考えている。


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【参考文献】
■吉見周子『売娼の社会史』(増補改訂版)雄山閣出版、1992
■吉見周子「売娼の実態と廃娼運動」1982(女性史総合研究会編『日本女性史 第4巻 近代』東大出版会)
*なお、林芙美子の『めし』で舞台となっている天神ノ森という場所がこの付近にある。さらに少し南へ下れば萩之茶屋、天下茶屋(『じゃりんこチエ』の舞台)などの下町になる。


先週の土曜日か、NHKの番組「新日本紀行」で将棋の坂田三吉を生んだ将棋の集会所のあるジャンジャン横丁の今昔を昔の映像と今の映像を比較して街の移り変わりを映し出していたが、その通りを嗚呼、なかなか大変だな、と思いながらあのテレビで観た床屋さんも確かこの辺とぶらつきながら、飛田本通りも通過したところを左に折れた。今はKOBAN゛と書かれていた飛田交番がすぐ見え、ちょっと暑かったので涼むため、角にあった屋台もやっている店で缶ビール一本、缶チュウハイとキムチに手羽焼き一つを頼んでしばし腹ごしらえをした。二人のヤングアダルト風の女性が身の上相談風の話しを缶チューハイの飲みながらしていた。一人は眼鏡をかけていて高校生位の男の子がいるらしく、あるスポーツの大会に出て惜しくも負けたとか、アダルトDVDを観ては興奮していたとか、年頃なんだねぇと半ば息子を容認気味。もう一人は聞き役風でタバコを燻らす女性。腕に刺青がしてあるが朗らか。イケメン風の店主がたまに口を挟んでいた。そのうち仕事を終えた建築系の男性がやってきて、モンゴル系は高くて使えないとか言ってビールを口にしていた。その男性が眼鏡をかけた女性に上の子どもは見たことがないなと話したかと思うと、いや、よく会っているはずと店の店主、また、近くの店で働いているよとかで会話は盛り上がっていた。可笑しかったのは、仲間の一人なのか、すっかり阪神ファンのそれに着替えて小道具もぶらさげてこれから大阪球場に応援に行ってくるっと言っていた若い男性。これがこてこての浪速ッ子とそのとき思ったね。その間ちょっと距離がある斜め向かいの妓楼の女性が何やら合図しているみたいに取れた。ここはそうした妓楼が150軒もある有名な遊郭。ある建築家のコラムでは標準ユニットは2階の腰壁から突き出た屋号の書かれた店の看板、1階は玄関脇に提灯、両引きの玄関扉があって、その脇に格子窓、その隣りに通用口、その奥は内緒。tobitashinchi_3

しかし、その建築とただずまいは奥の世界を知らない人でも夕暮れは感動的だ。通りを軽自動車で見物にきている人にはビックリ。tobitashinchi_2
その格子他家屋の独特さも手伝ってか、着ている衣装も和装洋装バラエティに富んでいて、しかも美人が多い。兄ちゃん、にいちゃん、戻って寄ってらっしゃいと年配の女性に声かけられる度に困惑し、無意識に筆者の足は急ぎ足になってしまった。小説の舞台、建築と都市環境問題等と興味は尽きない筆者には、この一時は映画の一シーンかと思えて仕方がなかった。それにしても蒸し暑かった。梅雨だというのに雨降らず。洪水になったら海抜ゼロメートルのここはどないしはる? それって、余計なお世話!
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大正期の建築様式を今に残して余りある文化財指定の料亭『鯛よし百番』


2005/06/24

クロカル超人が行く 33 奈良 ⑤

その昔修学旅行で来たところですが、古都奈良は修学旅行生と外国人に人気があるんですね。勿論年配の方も尋ねていましたよ。中国語、韓国語、英語にスペイン語など耳を傾けて聞けば何処か懐かし国です。出合ったその人たちにとってみれば、ですが。仕事の合間に参拝したのですが、人が一杯。記念のスタンプがこの写真。

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 東大寺大仏殿に聴えるは古の夏いにしえのこゑ

クロカル超人が行く 32 奈良 ④

立て札に曰く(この写真のものではなく見えませんが、正門に向かって左側にある)。奈良公園の鹿は国の天然記念物に指定されている野性動物です。5月ー7月は発情期、近づくと前足で蹴飛ばされることがありますので近づかないで下さい、とね。でも鹿の方が近寄って来てしまいます。シカたない、シカとない・・・。馬鹿だねぇ、そんな下らないこと考えて。そう、思い出しました!大分前に奈良出身の明石家さんまがフジテレビの番組「笑っていいとも」で、吉永小百合のレコードB面に“鹿の糞、鹿の糞”と唄ったレコードがあると実際かけて一緒に唄っていましたね。しかも out of toneで。これは可笑しかった。

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2005/06/23

クロカル超人が行く 31 奈良 ③

これが有名な奈良の大仏です。鎌倉の大仏と並べたら、どちらが大きいでしょうか?これって、トレビア!そのうち鎌倉の大仏も登場するかもね。ここは堂々と撮影できるのです。但し団体撮影は禁止だそうです。

200506231554001.jpgいくとせのひとのちからささげこし おほきほとけはあふぐべきかな
(昭和18年作)あをによしならのみほとけひたすらに さきくいませといのるこのごろ(1945年)  会津八一

クロカル超人が行く 30 奈良を行く ②

東大寺は奈良時代(710-794)の中頃に聖武天皇の発願によって創建。天下泰平・万民豊楽などを祈願にする道場と教理研究所を兼ねる寺で多く学僧を輩出、開山は良弁僧正。現在は華厳宗の大本山。

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クロカル超人が行く 29 奈良 ①

世界遺産に指定された東大寺の碑

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超人の面白ラーメン紀行 18 天理市『彩華ラーメン天理西店』

奈良県天理市には有名な彩華ラーメンがありますが、本店は開店が5時からだそうで食べられず、消防署近くの姉妹店『彩華ラーメン天理西店』で食べました。ニンニク唐辛子のきつい鶏がらスープですが、スープにコクがなくただ辛いという印象ばかりが残りました。麺は細麺ストレート系。淡路島産の白菜をふんだんに使って炒めた肉野菜のトッピングが彩華ラーメンの特徴。これは美味。価格580円。客席は100人入れる大スペースになっていてちょっとビックリです。それにはそれなりの訳がありました!タクシードライバーがそっと教えてくれました。この地では毎月26日に天理教のおつとめ、月次祭(つきなみさい)があってその日は全国から信者が集まるらしい。そのことも考慮されているというのだ。そうか、このスペースで7人位しか入っていないもんね。mottainai-desu.食べてみてちょっとガッカリしちゃったな。こういう日もあるか、ま、いいか。
『彩華ラーメン天理西店』(1)スープ★☆(2)麺★★
(3)トッピング★★★(4)接客・雰囲気★☆(5)価格★★★

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2005/06/21

超人携帯でプロ野球中継を観る

日刊ゲンダイを読んでいましたら面白い記事を発見しました。今日からケータイでプロ野球がライブで見られる。発信主は楽天。球界初のサービスとあって話題をかっさらっているという書き出しの記事。筆者は自称ミーハー、早速アクセス方法を取得し挑戦してみました。するとどうです、ソフトバンク対楽天イーグルスの試合が生中継されているではありませんか、画期的です。サプライズですよ。ライブ映像は30秒で20~30円、1分30秒位は観たかな。「楽天イーグルスモバイル」の最新映像サービスで「テレビ回線を使ったライブという点が球界初」と広報のコメントを載せています。楽天は1秒で126フレームを送信する技術をドコモと約一ヵ月かけて開発したという。ライブのゲームは本拠地のフルキャストスタジアム宮城だけで今年いっぱいはテストサービスとか。会員登録料金は月額315円。次回は6月22日だそうです。ライブ映像は残念ながらありません。次回挑戦してみます。代わりにこんなのが出ました。200506212352000.jpg

超人の面白ラーメン紀行 17 続 和歌山市 中華そば『井出商店』  

この写真は、中華そば『井出食堂』の暖簾です。レトロですね。もう一つの半透明鶏がら醤油スープの和歌山ラーメン店は、ここから10キロ程の三井寺球場近くにあるそうです。

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追記。久し振りに和歌山を尋ねる機会が2006年9月下旬にありました。ラーメンの美味いところはタクシードラバーに訊けば分かりますとはよく言われていること。それに倣っておそるおそる尋ねてみました。すると、この中華そば『井出食堂』には地元の人は行かないですよとの返事。あっさり系がいいんですよ、とチョイ悪風の年配のドライバー氏の弁。なるほど・・・とは筆者。この日の和歌山は残暑、このタクシードライバーお気に入りの何でもあり系のラーメン店『熊五郎』に入っちゃいました。あっさり系塩ラーメン、まあまあでした。

超人の面白ラーメン紀行 16 和歌山市 中華そば『井出商店』

梅雨の中休みの和歌山。気温26度、蒸し蒸し。7,8年前にラーメン日本一になって以来行列ができるほどの井出商店のラーメン、実ははシンプル イズ ベストの見本みたいです。人に歴史ありですが、この店も例外ではありません。戦後すぐ子供を食べさせるため氷卸のサイドビジネスで始めた屋台が始まりだとか、しかも女性です。肝っ玉かあさんだ。豚骨醤油で煮込んだ結果出来た濁ったスープ、見た目よりしつこくなく、美味。和歌山ラーメンの原点を見た思いがしました。チャーシューは多少薄いがやわらかくて舌触りが非常に良くて美味しい。ストレートで細麺、これがよくスープと絡み合っていて、食べるとき思わず少し高く上げてその麺を見たほど。青ネギ、メンマとカマボコ少々のトッピング、これで500円は安い。ゆで卵一個50円、そして名物おし鯖すし一個150円は別売。昼時は営業していないかもとはタクシーの運転手の話でしたがラッキーでした。やはり次から次へ客が入って来るではありませんか!今は息子さんが店主。
もう一つ和歌山ラーメンには半透明な鶏がら醤油スープ系があるそうな。車庫系と言うとは店に貼ってあった紹介記事。因みに和歌山ではラーメンとは言わず『中華そば』と言うそうです。ジャンジャン
『井出商店』(1)スープ★★★(2)麺★★★(3)トッピング★★☆(4)応対・雰囲気★★★(5)価格★★★

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2005/06/18

超人の創作・小説 『風に魅せられて』     

                     風に魅せられて
                     
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1987年1月2日、ニューヨーク・クィーンズ区の友人宅へ向かうためナオミは、地下鉄ワシントン39ストリート駅の階段をやや急ぎ足で駆け下りていた。すでに時計は夜11時を回っている。吐く息は白く、凍てつく寒さが彼の頬を刺した。何日か前に降った雪が階段の下のほうに見えてきた。いかにも滑り落ちそうな階段を下りて右へ、と言ってもこのまま友人宅へ直行するにはまだ早すぎる時間、友人T男も仕事から帰っていないと勝手に想像しながら灯かりのついているバーに立ち寄った。前から看板を見ていて気になっていたアイリッシュバーである。
「バーボンウィスキーをシングルで。それにアイスと水をお願いします」
ナオミは怪しげな英語で注文した。するとナオミの英語が通じたらしく、素早く中年太りの男が注文のウィスキーを運んできた。
客はカウンターに一人いたに過ぎず、何やらお代わりのウィスキーをおねだりしている様子だった。
「明日は早いからこの辺で止めておきな」
店主の声がナオミにも聞こえた。
しかし、カウンターの男は帰ろうとせず
「もう一杯」
店主に懇願していて、終いに根負けしたのか店主はしぶしぶウィスキーを差し出して
「これで帰れよ」
その男は窘められながらクシャクシャのドル紙幣を受け取った。
ナオミはリスニングのトレーニングには絶好の場所と思い、よくある光景の米国バージョンと二人の会話のやりとりを楽しんでいた。

夜はすでに落ちていた。
信号機の色が窓ガラスに赤く、時に青く映えているのが見てとれた。
ナオミはT男宅に電話して帰宅しているのを確かめてからその店を出た。そこから5、6分も歩けばT男宅に着けた。外は凍てついていた。
T男はこのニューヨーク来て7年が経っていた。その間ミッドタウンにある旅行代理店に勤めていたが、トラブルがあって転職し、今は42丁目にある日本料理店『ナンバーワン』のアカウンティングマネジャーを勤めている。
この日本料理店は夕方5時から夜11時半まで営業していて、その後店の後片付けしてその店を出るのが大体12時頃らしい。ニューヨークの地下鉄は一日中動いているから電車で帰れる。地下鉄で20分位の距離である。ナオミがここニューヨークに年末年始の休暇を利用してやってきても、なかなかT男と休みを共有する時間が取れないでいた。しかし、一人でぶらぶらとあちこち歩くのは例の好奇心も手伝って面白く、そういう人間にとってはニューヨークは恰好の場所である。
ナオミは帰宅後T男とライト系の缶ビールを手にしながら、その日の出来事について多少談笑した。

こうしてナオミのニューヨーク5日目が過ぎた。

(つづく)

2005/06/17

超人が京都で見つけた季節の花

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京都大学構内で見つけた季節の花、紫陽花。色合いが多少薄いかな。歴史の重みを感じさせる煉瓦造りの建物にあってなかなか季節感を漂わせています。ここ何年かで京都大学構内もただずまいが今や一変した感があります。その象徴的なものが正門入って左側にあるモダンなカフェレストラン。女性スタッフの対応はイマイチですが、夕方になるとクラシックの小ライブなどもあってビールも飲めるそうです。アイスコーヒーがたっぷり入って210円は安い!外国人留学生も多く、さながらパリのカルチェラタン?それにしても旧教養部の建物は大分変わりましたね。学生の表情は様々。フランスのジャパノロジストが和辻哲郎の「風土論」に触発されて書いている環境論的哲学を読み始めていますが、京都学派は今ポストモダンのなかで新たな知的鉱脈を掘り当ているのでしょうか。筆者には学問レベルの相対化現象に見えてしかたがありませんが・・・。それは京都に限ったことではないのですが。
あじさい、紫陽花って、味彩とその昔駄洒落ぽい詩を書いたことがあったかな、忘れた、忘れました。

クロカル超人が行く 28 京都

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八坂神社南門下ル石塀小路にある創作日本料理『さくら』のお造りと洒落たお皿に盛られたオリジナリティー溢れる二品がこの写真。灯り加減が微妙、物の陰影を捉えて絶妙とは言い過ぎか。また、店の雰囲気も落ち着いていて、青葉がガラス越しに綺麗に映えているあたりは心憎い演出。さながら京都のなかの京都、和の小宇宙を観たおもいでした。店主のもてなしも大変すばらしく一時を忘れさせ心地好い気分。また、お供させて頂きましたS先生にはその見識に脱帽しつつ、また、エピュキュリアン・食の達人の匂いに、いゃー、"まねぶ"ところ大でした。この日はお酒が進みました。アメリカ東部の話、日本の研究者の話と話題はあちこち飛びましたが、極めつきはこのあとに行ったお店で艶がかった飛田新地の話でしたね。これは笑える話、筆者も参加したかったなぁー。ishibeikouji石塀小路でS先生。

         店の艶知らずは梅雨の葉に流れ

2005/06/16

超人の面白ラーメン紀行 15 京都・山科『夜鳴きや』

yonakiya_raumen京都は山科・南大塚にあるラーメン『夜鳴きや』。この日は遅い昼食をここで取った。この時間帯だと(午後3時過ぎ)開いていないことが多いのでラッキーだった。鶏がらスープに中細麺、チャーシューが4枚、もやしにネギがタップリその上、コショウまでかけて出されたのは、フツウと呼ばれている「中華そば」、700円。スープは豚骨系よりはしつこくなく麺も歯応え充分、チャーシューは筆者には少し硬かったが美味。メニューは中華そばの他にライスの大中小、細切り肉入り中華そば(700円)、焼豚麺(1,000円)といたってシンプル。テーブルの自家製の比較的太いタクアン、ニンニク唐辛子、まるごとニンニクはサービス。大きな声でいらっしゃい、おおきにを言ってた有名な店主(その後この店主は亡くなられたみたい)はこの日は見えず、娘さんが切り盛りしていた。店主が作っていた時よりスープにコクがなくなったかな、それとちょっと脂っこかったかな。駐車場も小さな改装前の夜鳴きやの'中華そば'にはそれなりのウマさがあったかも。また、以前食べに来た時にも思っていたが、ここでパートで働いている女性と店主の娘さんとの会話が可笑しい。何と言うかな、ボケと突っ込みみたいな掛け合い漫才ではないが、声のトーンや仕草が対照的だった。客から見ると怒られて仕事しているように見えるが。さて、真相は ?
京都のラーメン店は、京大人文研の裏手にある鶏がらで透明感のあるスープ『東京ラーメン』(訪ねたが臨時休業だった。玉子ラーメンが430円?安い)仏教大学近くの『タンポポ』、一面に浮いた背脂と唐辛子と豚骨ベースの鶏がらスープでそんなに辛くない。ラーメン並で600円。市バス銀閣寺道下車すぐにある豚に背脂を加えたスープの、京都屈指の人気ラーメン店『ますたに』(追記。東京御徒町周辺にも出店していた。2008年7月12日 記) 、京都駅近くにある『本家第一旭たかばし本店』や『新福菜館本店』、比較的新しいところでは円町にある北海道ラーメン系の鶏がら豚骨醤油スープの『みつくらラーメン』(追記。2008年4月現在ではこの店名はなく、他の店名に変わっていた)、こってりさっぱり系だ。最近では京都駅ビルのラーメン街の中にあっさり系のラーメン店『麺幸』もある。そう忘れてはならないのは、京都の定番『天下一品』ラーメン、河原町三条にあるとんこつ系長浜ラーメン『みよし』だ。その昔ー21、2年前頃ー京都には美味しいラーメン店がなく、百萬遍に一つと、京大元教養部の建物から徒歩5分位の近衛通りの大きな提灯が目印の『ランタン』(追記。2008年7月10日午後6時頃この店の前を通ったら営業中だった。ここの角煮が美味しかったのを覚えている)それに細くて薄口の京風ラーメン、これも駅中ではみかけた。それに比べれば今や110軒以上のラーメン店が京都にあるから隔世の感だ。それがうどん文化の関西でですよ。帰り際買い込んだ『たべあるき激うまラーメン』(昭文社2004年1月刊)にその一軒一軒が写真とコメントつきで紹介している。それだけ日本人はラーメン好きなのだ。今やそば、うどん、スパゲッティーの麺文化に伍して、"野生王"そのものがラーメン。

『夜鳴きや』①スープ★★☆②麺★★③トッピング★★☆④応対・雰囲気★★⑤価格★★★
■クロカル超人流最高評価はスープが最優先、★★★星三つが最高点。
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追記 本当に久し振りで『夜鳴きや』でラーメンを食した。某書店のKさんと。ま、ラーメンの味は変わらずといったところか。沢庵も美味。それより何より以前に書いたボケと突っ込み漫才のコンビが健在だったことだ。当時のかけ漫才は聞かれなかったが、ここのラーメン店には欠かせない従業員になっていた(2012.7.10 記)。

追記2 雨のなかタクシーで『夜鳴きや』の前を通り過ぎたのは正午前、店の駐車場はほぼ満杯状態。改めて外から店を見ると暖簾の赤が目立っていた。先頃この山科地区では面倒見の良い人情肌の『餃子の王将』社長が殺害されてまだ犯人が逮捕されていない。社員の恨み、『大阪王将』との商標争い、近所とのトラブル(この社長は鳩飼育が趣味だったがその鳩の糞害もあったらしい)など殺害動機がいろいろと推測されている。タクシードライバーの言い草が奮っていた。早く捕まえて殺害動機を聞きたいと。
昨夜は痛飲。 そのせいか遅い朝食を取ったため、この時間帯でも空腹感はなく『夜鳴きや』のラーメン食べはパス。残念、斬り(2014.1.30 記)。

追記3 約1年振りで『夜鳴き』を訪問。サービスのニンニクを出すのを止めていた。ご飯がなくなり炊いてる最中で、女店主が店に入ってきたお客さんに事情を説明するのに躍起になっていた。いつものラーメンを注文(価格は100円アップして800円だった!)。あっさりしていて深みがあるが、以前より味がやや薄く感じたのは気のせいか。“そうだ、京都へ行こう”のフレーズにあやかって、“そうだ、ラーメンの写真を撮ってY先生に写メールしよう”と食べる直前まで考えていたが、空腹を満たすのが先立ったのか写真を撮るのをつい忘れてしまったのだ。一振りして撮ったのがこの写真。

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【写真左上 : リアリズムたっぷりのラーメン 写真右上 : つい3年まであった『東京ラーメン』の店】

らーめんは進化退化の笑い泣き

ラーメンの進化退化は出汁加減

らーめんの進化退化もうら哀し

見た目はどうかなとは思うが多少はラーメンの中身が分かるのではないか、リアリズムのお趣たっぷりだ。昼時の時間帯を過ぎた午後1時20分頃は、混雑時を避けた地元の常連客がぼちぼち現れ始める時間帯、ローカルな会話が飛び交っていた。ところで、例のパートの女性は少し垢抜けた感じに変身していた!但し筆者の見た限りではの話。
昨日このコラムでも言及した京大人文研の裏手にあった『東京ラーメン』を訪ねたが、3年前に閉店したと真向かいの八百屋さんが教えてくれた。30年以上やっていた店で、記念に椅子一脚をいただいたと八百屋さんが自慢気にみせてくれた(2015.1.23 記)。

追記3を書き終えてこのコラムを反映させたら日付が勝手に変えられてこの位置に!制限時間内か何度か手直しを入れたいずれかの操作ミスが原因なのかは判然としない。元の記事は2005年の記事だ。

追記4 追記2で『餃子の王将』 の社長だった大東さんの射殺事件(もう丸3年になる)に触れたが、ここに来て新たな事件の展開を見せている。DNA鑑定で射殺された現場の元社長の遺留品と銃で射殺した犯人のたばこの吸殻が一致したと捜査当局が発表。犯人は九州にある暴力団関係者とみられ、警察が捜索し始めたことを明らかにした。 以上マスコミの報道から。(2015.12.17 記)


2005/06/13

クロカル超人のグルメの話 カツオ 4

カツオがいない、捕れない、漁師さん上がったりのニュースが昨日あたりのテレビで報道されていました。確かにいつもの年より出回っていない感じ。しかも値段が高いし、捕れるところが限られていて味にムラがあります。黒潮が日本列島から遠ざかっているのが原因らしく、高知の漁師さんの嘆きは深刻らしい。これもエルニーニョ現象、地球温暖化の原因かとは専門家の話。カツオを追いかけていつもより遠くの漁場まで出かけて一日の水揚げが8、400円そこらで、それにかかる経費は20、000円ではあがったり、とはある漁師さん。近場て゛タコ釣り、イワシ漁に切り替えて日々を繋いでいる漁師さんもいるとか。
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今日買ってきたカツオは、恐らく千葉産で一さく398円、色もまあまあ、やわらかくて美味。
カツオの話で思い出したのは先々週の金沢は駅構内の新装グルメ街での話。カツオは太平洋沿岸の回遊魚なので日本海では捕れないのですが、夕食にと入った店でメニューにカツオのたたきが900円と書いてあったので、珍しいと思い早速注文してみました。しばらくして出てきたカツオのたたきは、色は白っぽく鮮度が落ちているのは明らか、店の若いアルバイト風の女性が、"お客さん、これをかけて召し上がってください"とポン酢を指して半ば強制的に言ってるではありませんか。黙って玉ねぎとショウガをポン酢に混ぜて食べようとしていたら、今度はこのカツオのたたきの食べ方が知らないと見えたのか、店の女将さんらしき中年の女性がでてきて、"こういう風にしてポン酢をかけて食べて下さい"と仕草を施しては早く言うとおりにかけろと言うではありませんか。そこで、あまりにも食べ方を強要するので言ってやりました、よくカツオを食べているので言われる筋合いはありません、とね。きっと鮮度が落ちていたので当たったら怖いという店の事情が働いたのかなと邪推をしてしまったほどでした。店には2,3人の客。料理長らしきは店の女将さんの息子らしいが、テレビのチャンネルをかえては暇を持て余し気味の様子でした。ジャンジャン

2005/06/12

クロカル超人の北欧案内 Scandinavia とNordicの違いは

以前から気になっていたことのひとつをあるHPで見つけました。Scandinavian とNordic の違いです。以下はScandinavica.comからの引用。
Scandinavian and Nordic
What exactly is "Scandinavia"? and what are the "Nordic countries"? is there any difference between these two terms?

The difference between being Scandinavian and Nordic

Have you ever been corrected in Finland when you called a Finn "Scandinavian"? Or perhaps this has happened to you in Iceland? Is Denmark a Nordic country? Are the Danes actually Scandinavians?

Although in the rest of the world the words "Scandinavian" and "Nordic" are happily used in similar manner and are interchangeable, in northern Europe they are not. Europeans love to magnify even the smallest difference between neighbouring countries and you will probably be corrected if you don't use the words in their appropriate context. The problem comes when even northern Europeans can't agree themselves on the meaning of "Scandinavian" and "Nordic"...

Where is Scandinavia?

Greeks and Romans were the first to write about Scandinavia. They had a vague knowledge about what they called "an island on the edge of the civilized world", populated by the barbarian tribes from Germania.

Geographically speaking, the Scandinavian peninsula is a territory shared by Norway, Sweden and northern Finland. The Scandinavian countries would therefore only be Norway and Sweden.

Linguistically, Swedish, Norwegian and Danish have a common word called "Skandinavien" which refers to the ancient territories of the Norsemen, and for most people in these three countries "Scandinavia" consists only of Sweden, Norway and Denmark. This one is considered to be the most commonly accepted definition of "Scandinavia".

However, Iceland was also a Norse territory and Icelandic belongs to the same linguistic family than Swedish, Norwegian and Danish. And so does the Faroe islands. Therefore, you will find some people for which Scandinavia is Sweden, Norway, Denmark and Iceland.

And finally, Swedish language is also spoken in Finland and reciprocally, Finnish and Sami languages are spoken in Sweden and Norway. Again, we have a new definition of Scandinavia, which would include Sweden, Norway, Denmark, Iceland and Finland.

Culturaly and historically, the north of Europe has been the political playground of the kingdoms of Sweden, Denmark and Norway. Finland was a part of the kingdom of Sweden and Iceland belonged to Norway and Denmark. Besides a common history, politically and economically these five countries have followed a similar model known as the Nordic welfare state since the 20th century. One more time, these five countries are perceived as an unity by some and therefore called by the same name: "Scandinavia".

What are the "Nordic countries"?

In such a state of linguistic and geographical confusion, the French came to help us all and invented the term "Pays Nordiques" or "Nordic Countries", which has become the most standard term to bring together Scandinavia, Iceland and Finland under the same umbrella.

The creation of the Nordic Council in 1956 gave us another new word to define the cultural affinity of our five countries: "Norden". Norden is commonly used in the Nordic countries, although this term is rather unknown in English.

The Baltic countries and Greenland

The Baltic countries are the three young Baltic republics of Estonia, Latvia and Lithuania. Neither the Baltic countries nor Greenland are considered as Scandinavian or Nordic. However, there is a close relation between the Nordic countries and the Baltics and Greenland:

The Baltic republics have been strongly influenced, culturally and historically, by the Scandinavian countries. Lithuania, Latvia, and particularly Estonia, are very proud of the cultural heritage received from Scandinavia and there is a wish for close co-operation on both sides of the Baltic sea.

The same applies to Greenland, a territory which is closer to America than to Europe, but that belongs politically to the kingdom of Denmark. Half of Greenland's historical and cultural heritage is Scandinavian and therefore these strong ties often bring Greenland together with the Nordic countries.

2005/06/10

クロカル超人が行く 27 下関

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火の山展望台にある回転式のレストランからの関門海峡。上が門司港。この日は靄がかかっていてこの通りの写真しか撮れませんでした。宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いで有名な巌流島は右下の方に微かに見えると思いましたが、この写真では残念ながら見えないですね。また、源平の合戦で名高いのもこの地域。関門海峡のふもとには、明治維新で活躍した騎兵隊の大砲が三門、観光用に並んでいて、いくばくかのお金を入れるとドドドーンと音が鳴る仕組みとか。その脇にはその当時を伝える紙芝居もあって観光地になっているらしい。

クロカル超人が行く 26 広島

200711291553000_2今年は戦後60年目の節目の年、10年前の50年後とはまた違った様相を呈しています。しかし、戦争の悲惨さは今もって絶えることはありません。それはイラクの現状を考えれば明らか。靖国問題で揺れる日本国は、時の首相の極めていい加減な発言には呆れますが、二度とこの悲惨さを繰り返してはならないという強烈なメッセージを共有していくことが後に生きている私たちの願いでもあるのです。この原爆ドームに立って考えたことは、この人類の悲惨さを決して忘れてはならないし、また風化してはならないという強い意思を持つことだということ。中国からやってきた5、6人の集団が写真を撮ったり、大きなカメラをぶらさげながら手を合わせていた30代の男性、地元の中年の女性の姿など20分ばかりの光景は、陽が落ちかけようとしている一瞬とは違って永遠の願いに見えたのです。広島、ひろしま、ヒロシマ、そしてHIROSHIMAです。PEACEの連鎖よ、永遠にです。

尚、関連書籍として黒古一夫・清水博義編日英二ヶ国語表記『ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』(定価 1,890円)が最近日本図書センターから刊行され話題になっております。

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2005/06/04

クロカル超人が行く 25 福井

 北陸路3日目。特急しらさぎでJR福井駅に滑り込んだのは朝10時頃。ここは駅工事が真っ只中、立派な階段、今風の行き先電子表示板そして昔の改札口を思わせる重厚な改札口と改装工事が急ピッチ。駅構内のデパートも明るく変身、福井弁を話すマネキンのおばさんの言葉もどこか明るく感じてしまうから不思議。一歩外へ出れば外壁と駅周辺はこれからといった感じであちこちが工事中の看板で仕切られていて、どこがどうだか分からない始末。
 福井と言えば越前そば。タクシーの運転手さんに訊いてもイマイチ。ここでちょっとタクシーの話しに逸れます。そうそう、ここのタクシーの運転手さんにもいろいろなひとがいました。某大学へ行くには遠くて電車を繋いで行こうと思って尋ねたら、いくらでもいいですよ、お客さん、まけますからタクシーを使って行って下さいと以外な返事が返ってきてビックリ。2800円ではどう?もちろんいいですとも、と。あまりにも調子が良いので、こちらが引いて断ったほど。その後に利用したタクシーの運転手さんにこのことを尋ねたら、お客さん、騙されてはいけませんよ。あそこまでは料金がかかっても3000円以内で行きます。その運転手さんはうまく吹っ掛けたのですよ。よく言うじゃないですか、お客さん、知らないですか。越前の何とか、加賀の何とか、越中の何とかと。ハハーッと筆者は頷くばかり。タクシーの運転手さんのこと、タクシーの運転手さんの話しでは優に一冊は本が書けるほどありますね。いろんな話しが。筆者がそれだけタクシーを利用しているということですが、ただ単に運転免許がないだけ。

 本題に戻そう。越前そばの話しです。昼飯に偶然入った某工大前の蕎麦屋の天ぷらそばは、ここの奥さんに勧められたせいかとても美味でした。新そばを使った、至ってシンプルなものでしたが、食べ終わって思わず美味いと言ってしまったほど。しかもめったに食べないこの筆者が、です。ついでにそばつゆなどもいただいて、〆て750円。
 用事は午後の5時に某大学のYさんのところで終わるはずだった。アポはすでに取っていましたが、先方も身体の調子がいまいちとのことで無理せずに行こうと考えて、今回筆者が先回りして金沢で帰りの飛行機のチケットも買い込んでYさんに臨んだのだった。一昨日も金沢で一杯飲ったばかりだし、Yさんも体調が思わしくないということなので、今回はパスして次回にと覚悟は決めていました。何せ It is the first time in 10 years or so.なのですから。でもお会いした瞬間からちょっと様子がおかしい(いきなりビロウな話しには参ってしまいましたが)、先方さんが外交辞令だけて゛なく店でも予約していたらと考えれば考えるほど筆者の取った行動に黄色信号が点り始めているのが分かりました。が、どうしょうもありません ! N書店の人間模様の話し、従兄弟が肝臓ガンで京大病院入院、その彼を見舞った話し、詩の話し、文学の話し、Yさんが地元が創設した文学賞で入賞し5万円頂いたこと、K出版社のKさんの話しと、ともかく久し振りですからいろいろと話しがあちこちと飛びながらも弾みました。もちろん、仕事の話しもしました。でも、時間はありませんでした。それで究極はYさんが自ら運転してくれることになり、最短コースでの食事をということで、まずは彼の贔屓の店へ、それが割り箸の袋に書いてあったこの店。田舎にもおしゃれな店ができているのだ。200506041618000
 しかし、小松空港まですでにJR北陸本線等のチケットはゲットしていたにもかかわらず、親切なYさんは、少しでも談笑の時間が取れればと思い、高速バスで行く手はないかと部下の女性に発車時刻を調べてもらいましたが、その時間に間に合うようなバスは走っていないことが分かり、Yさんと筆者の取った次の行動は、ともかくJR駅に行ってコインロッカーから荷物を取り、駆け足で特急列車に飛び乗るということでした。この時、残り時間は19分。本当にせわしいな、せわしいなと小浜弁(?)で呟きながらも、Yさんにご馳走になり(出されたのは生ビールとお通しだけ、その生ビールの一口、二口が美味しかったこと)JR福井駅の方へ走り出しました。ところが、帰宅時間帯に引っかかり駅方面のメイン道路は多少渋滞気味、近道を駆使してその間、福井出身の某詩人は打算的政治的で、あまり好きじゃないなどの話しもして、もう駅。あと5分。荷物を取ってから乗り込むのはちょっと時間的に無理と車から降りると同時に、二度目の判断。ダダダダダダダダー。

 結局は、大いにYさんの手を煩わせて一路小松空港へ向かったのだ。途中、奥さんから携帯に電話が入って、何やら云々。やきもち焼きだから、内の奥さんは、と冗談を言うほどこの一騒動は収束に向かってエネルギーを共有したみたい。北朝鮮拉致被害者の地村さんは同じ小浜出身で小学中学は一緒だったとか、県で支援策を練り、朝鮮語の書誌を編んだとか西葛西に住んでいた息子さんが病気になり、福井、小松空港、羽田、西葛西、病院と走り、日帰りで福井に戻ったときの感想は不思議な日常の感覚、感激だったとか(これは一日という日常を身内を助ける使命感はもとより、最も効率的に動き、活きた達成感があったことの証左、充実感だろうか)、車中で話しするうちに1時間足らずで小松空港に着いた次第。確かな6月の風を感じて・・・。

感謝感激雨あられ。本当にYさん、ご苦労様でした。多謝、謝謝。今度行くときは充分に余裕をもって福井行きを決行したいです。あわただしい福井行きはこの辺で。Yさんの詩集、楽しみです。

クロカル超人が行く 24 金沢

7,8年振りの金沢。サプライズは駅そのものにありました。東口が開発され、バスセンター、広場と大きく綺麗に変貌しているではありませんか。右側にANAのホテルは以前からあって一度は泊まりましたが、その対面の方にPORTEというANAビル以上の細長いビルが聳えています。それにしてもいくら観光地だと言ってもですよ、駅周辺にこれだけのホテル、旅館が立ち並んでいて本当に商売になるのかねと他人事ですが心配しちゃいますね。

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2005年3月20日に完成してからまだ2ヶ月ちょっと。JR金沢駅東口は、金沢の能楽「加賀宝生」で使用する鼓の"調べ緒"がモチーフになっている。近代的な建築の駅広場にあって木造建築はひときわ目をひきます。筆者は思わずその下に立ち、じっとその木造建築に見惚れてしまいました。でも、はたっと思ったのだ、これで本当に調和が取れているって?ほんと、ちょっとした違和感はあるかな。写真は撮ったのは撮ったのですが、ちょっと仕上がりがイマイチで、この写真は雑誌『るるぶ』からの借用です。
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また、降水量の多い金沢の気候を考慮し、人々が集う広場の上に傘を差し出すような「もてなしの心」を表現しているとは雑誌るるぶの文言。その東口広場の噴水の脇では、北陸新幹線が本格的に着工との文字が大きく祝の冠をつけて踊っていました。全てが速く画一的になっていくのは一挙に地方性が失われていくことですが、富山駅の旅行代理店や新装した金沢駅構内のお店の人たちの接客態度に触れて、無味乾燥、効率的な処理に追われて大事な先程の「もてなしの心」が失われているなと筆者は感じましたが。こういうことが立て続けに3件ほどありました。
それでも、筆者も金沢駅構内で大失態を遣らかしましたが。夕方、コインロッカーの鍵をどこかで無くし開けられず慌てました。すでに帰宅途中の係員をキオスクのおばさんに頼んで来て頂きました。しばらくしてその係員がやってきて、そのコインロッカーを(始めはそのコインロッカーの番号も忘れてどうしようかと思いましたが、勘で当てたから助かりました)合鍵で開けてから、新しく鍵を作りますのでその代金1、500円をお支払い下さいと言ってきました。別に御礼だけで良いかなと思っていた筆者。甘かった! 次の瞬間、咄嗟に持ち合わせが少ないので500円にまけて下さいと言ってしまったのだ。すると、どうでしょう、その人の良さそうな60歳後半で、白髪混じりの係員が仕方ないなあ、という表情で500円玉一枚を受け取って帰って行きました。ありがとうございます、と半ば得したような、半ば自分の失態に呆れて一礼しました。あとの1000円はどう埋め合わせたのかななどと野暮なことは考えないで・・・。この駅ではこういうこともあったのです。

クロカル超人のジャーナリスト・アイ 新聞・雑誌拾い読み 11       

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毎日新聞2005年6月3日付夕刊文化批評表現欄の「海外の文学」デンマーク編で、クロカル超人の『北欧文学散歩 5』で取り上げましたデンマークの現代作家イプ・ミカエルの最新作『グリル』について長島要一・コペンハーゲン大学異文化研究・地域研究副所長が書いている記事を見つけました。下記は本文からの引用です。

マジックリアリズムの冒険
 小説で読者を魅了し、今年はアンデルセン親善大使にも任命されたデンマークを代表する作家、イプ・ミカエル=写真=の最新作『グリル』が、賛否両論で話題になっている。
 イラク戦争に参戦しているデンマークの役割を糾弾するこの作品は、作者にとって初めての政治スリラー小説である。百四十年も戦争を体験することなく平和の温床にぬくもってきた小国が、悪の独裁者から国民を解放するという大義名分を鵜呑みにして、何はともあれ独立国であるイラクに派兵した。一部に批判的な声は上がったものの参戦は何となく受け入れられ、終結のめどもなく続いている、とイプ・ミカエルは言う。そしてその胡散臭さをえぐるように、テロ攻撃あり人質事件ありの現実を従軍記者のような眼で描き、九・一一以後の世界の根無し草的状況を浮き彫りにしている。
 ストーリーは、夜空を飾るイリュミネーションの制作者グリルが住むコペンハーゲンのアパートで始まる。彼女の知り合いの若い女性がイェーメンに旅行してそこで恋に落ち、千夜一夜物語まがいのような思いをする。その相手というのがデンマーク人とアラブ人の混血の男。やがてコペンハーゲンで殺人事件が発生し、アラブ系移民二世の若い男が、事件に無関係なのに名乗り出て罪を着る。そこで中年女性グリルの出番となるのである。
 コペンハーゲンを舞台にその背後に広がる国際政治の複雑で不透明な世界が描写されるのだが、色彩豊かなエピソードがあまりに多すぎる、変装やら偶然、どんでん返しなど、小道具を使いすぎると批判されている。


超人の面白読書 10 吉村昭著『大黒屋光太夫』

吉村昭著『大黒屋光太夫』(新潮文庫)を買い込んだ。なぜかこのところ買い込むスピードがあがっている。この漂流民の話は吉川弘文館の人物評伝シリーズか何かで読んでいたが、異文化接触の先駆け、18世紀の当時のロシアに流され、ペテルブルグで日本語を教え、ロシア政府の政策転換で10年後に帰国を果たした漂流民、大黒屋光太夫の伝記小説。時の将軍徳川家斎に拝謁し見聞を披瀝するも長らく幽閉を余儀なくされる。結局は、すべて晴れて帰郷を許されるが、時代は江戸時代、鎖国政策の真っ只中、時代状況は推して知るべし。数奇な運命を庶民レベルで綴った吉村昭得意の歴史伝記小説。川西政明の解説に依れば、神昌丸の遭難から帰国までの記録として重用されてきた『北槎文略』が幕府が未知のロシアの実情を知るために残した公式な記録に対し、『魯西亜国漂白聞書』や『極珍書』は平談俗語駆使した同行の漂流民、磯吉の語り言葉から成り立っており、そこには主ではなく民の目線があると。この資料を使って書いたのがこの歴史小説だ。かつて同じような漂流民を題材にした井伏鱒二著『ジョン万次郎』を面白く読んだ。こちらは江戸時代にアメリカに渡った漂流民の話。
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2005/06/03

超人の面白読書 9 山田詠美著『風味絶佳』

講談社学術文庫のシュリーマンの『シュリーマン旅行記 清国・日本』(1998年4月初版、2005年1月第19刷、定価800円、ちょっと高い文庫本)を読み始めていたところ、小松空港から金沢に向かう途中のバスのなかに置き忘れたらしい。残念、斬りっ!同じ本を金沢駅構内の書店で探しましたがありませんでした。それで最近書評か何かで読んで、たまにはベストセラーものも良いかと思い、『ベッドタイム アイズ』以来ご無沙汰していました山田詠美著『風味絶佳』をゲット。また、雨に濡れてしまい、読むに耐えなくなった'サオリイキ'の岩波文庫版を角川文庫版に替えて樋口一葉著『にごりえ・たけくらべ』も一緒に買い直しました。あの一葉調の文章に触れたばかりなのに。雨に濡れさせた馬鹿者が、ああ、mottainai。
この山田詠美の新刊『風味絶佳』には珍しく著者あとがきがあって、日頃から、肉体の技術をなりわいとしているひとたちを描いてみたいとこの小説を書いた、と。味わいのある短篇6篇。著者の目線が優しいのだ。多少仕掛けが効いていて、文章は緩慢さを極力抑えて、キリッとしている。読んでみたい一冊かも。
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2005/06/02

クロカル超人が行く 23 続々富山

ほんの半日の旅はこんな風にして呆気なく終わりました。JR富山駅からタクシーを拾い、近道だよと運転手の言われるまま乗ること7、8分、山の麓には民芸村、合掌造りの茅拭きの民家、陶芸館、この辺はちょっとした観光地になっているんだとか。そして多少坂を登ると富山市内が一望できた展望台、一瞬車のなかから見ただけで、一番目の目的地、富山県立図書館に到着。そして、富山大学で用事を済ませた後、例のバス乗車後、富山駅へ。お土産はやっぱり鱒寿司ではなく、庶民的な四方のかまぼこと決め込み買い込みました。と言っても多少ミレンタラシク、電車に乗る直前まで鱒寿司を売っている駅中の店のウィンドーをちらりと眺めてはいました。値段で諦めましたが。ここのかまぼこはなかなか味わいがありますよ。なぜって、富山出身の大家さんからよくもらって食べていましたから、舌は肥えているのです。今度はたまにはお返ししてみようと思った次第。さて、反応はいかが?That's too absurd !
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【後日談】このかまぼこのお土産は、ホテルの冷蔵庫に忘れて宅配便で筆者の家まで届けてもらいました。開けてびっくり、ひょっとしたら大家さんから頂いたものと同じじゃないか、困った、なんで中身を確かめて買わなかったか、これは差し上げられない代物。筆者の身内にあげることにしました。残念、斬りっ !

クロカル超人が行く 22 続 富山

富山と言えば、越中富山の薬屋さん。その昔三段式の行季に大きな紺色の風呂敷で包み自転車でわが家にやってきたものです。とんぷくとか風邪薬とか薬箱を点検しては補充し、最後に紙風船などをおまけで置いて行ったものです。これが代物、よく破れました。不思議と座敷には上がらず、玄関の板の間で売薬の補充をしていましたが、いつだったか、一度だけ上にあがっていろんな薬を広げて大量に補充していたのを覚えています。何年か前、そんな薬屋さんも事業が苦しくなり、代々続いてきた大福帳を確か、800万とか1000万で売りに出されたとのニュースを聞いたがありました。ところで、富山駅プロムナードの地下ウィンドーで見つけたこの写真の文言が振るっていてポエジーさえ感じました。これらの売薬のデザインは古臭く、みんなから馬鹿にされてきましたが、近年大手メーカーなどから見直され人気を博していますと書かれていました。微笑ましいかぎりです。また、レトロですか、メトロとは全然違いマッセ。200506021323000.jpg

クロカル超人が行く 21 富山

富山大学からバスに乗ってJR富山駅に向かう車中、左手に富山城が見えたのでカメラ付き携帯電話で写真を撮ろうとしましたが、ぼやぼやしていたのかしら失敗してしまいした。で、折角と思いまして撮ったのが富山駅に通じる地下ブロムナードのウィンドーに飾ってありました富山城のこの絵。
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