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2005/05/26

クロカル超人の北欧文学散歩 2 『今日の北欧文学素描 Ⅱ』 

たまたまNHKBS2でノルウェー映画『ソフィーの世界』を途中からだが1時間ばかり観た。日本でも売れた哲学を解りやすく書いた本の映画化。ちょっと飛躍と言うか無理があるかなとは思って観てたが・・・。

本題に戻ろう。『今日の北欧作家素描』続き。

Kjaerstadの勝利のあとの年に同胞であるLars Saabye Christensen が作品Harvbroren[(The Half Brother)でNordic Prizeを受賞した。その小説は800ページもある大冊。著者を引き合いにだしながら、「不適切な場所に生き、不適切な場所でも笑う大人的生活の愛好家」について扱っている。成長することと家を離れることは多くの北欧の小説のテーマ、多分まさしくテーマそのものだ。
Hanne Ørstavikも例外ではない。彼女もまた、子どもと親の間にある開放の苦痛と運命的な絆である『愛と家族』の争いを扱った三部作を書いた。彼女の最新作Uke43(Week43)では、個人生活に文学が重要であることを議論する。Ørstavikが主張するのはその本で生活が救われることや、目立たないやり方だが、確信そしてKjaerstadのテーマが映し出されることだ。
KjaerstadやSaabye Christensen がページ数の少ない本で多くの自信をさらせば、10年若いJohn Erik Rileyは作品varnland(Mill Land)の薄い本でフィクションとジャーナリズムの境を探り尋ねるだろう。その本はボスニア戦争の残虐行為について短い物語とインタビューで構成されていて、そこではインタビューをした人の質問が消されるが、それでもなお困惑したインタビューされた人たちの回答のなかに推測が下される。読者は多くの沈黙のために耳を傾けなければならないし、彼女がやればメディアの冷笑的な声を聞くはずである。
スウェーデン系のフィンランドではUlla-Lena Lundberg が、最近戦争のまさに男性の領域に敢えて乗り出した。『偉大なるフィンランド人の小説』は、いつも男性によって書かれてきたし、20世紀における戦争体験の辛苦と苦しさを扱ってきた。その時代ではフィンランドは3つの戦争に耐えた。偉大なる戦いと他の大きな出来事の間に何が起こるかに焦点をあてるとき、Lundbergは通常の流れの外にまったく違ったものをつくる。
作品Marsipansoldaten(MarzipanSoldier)は、戦争中でさえもいつもと同じようにいかにして生活を続けるかいう物語だ。
私たちはある教師の家族に日常生活を追う。そこでは子どもは学校のため家から離れ、夕食が料理され、そして食事中の会話では多くの取るに足らない問題と同じように戦争のことが話される。言うまでもなくLundbergは、低い視線で英雄的な戦争を大いに批判してきたにもかかわらず、彼女の本は、フィンランド人の歴史小説のタペストリーのなかである隔たりを埋めている(この項続く)。

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