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2005/01/30

クロカル超人が行く 2 続 冬の北海道   

札幌駅北口から徒歩10分のところにある北海道大学は、やはり雪の塊でした。よく降ったなという光景です。ポブラ並木も白樺も雪化粧。筆者も急いでいたせいか不慣れな雪道で二度ほど転んでしまいました。それにしても学生達が、颯爽と早足で歩いていたのには驚きでした。笑ってしまうのは、クラーク像がところどころ雪化粧していてその威厳さが失われ、滑稽に見えたことです。
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2005/01/29

超人の面白読書 5 「ワルシャワの七年」

wasaw5.工藤幸雄著「ワルシャワの七年」 新潮選書 238ページ 定価770円(絶版) 
この前読んだ工藤幸雄著「私の翻訳人生」の関連書、26年以上前の本。と言うことは著者54歳。絶版とのことで図書館から借り出した。まだ48ぺージ目。この本の裏表紙に書かれた、今は亡き島尾敏雄の賛辞が良い。曰く、なぜポーランドの人と国に引きつけられるのか。かつてその国の映画を見て言い知れぬ戦慄が身内を走ったからか。中略。彼の描いた、歴史の傑作であるポーランドが、柔軟なふくらみをもって迫ってくるのは、家族ぐるみこの国にかかわりを持つに至った宿命の日本人の体験が、あたたかく息づいているからである。ポーランド気質、哀愁に彩られたポーランドの歴史、ワルシャワの生活、ポーランドと日本の関係云々が主な内容。26年前の著者の文章は活き活きしていて滑らかである。その苦渋の歴史を語るとき、特に冴える。と言ってもまだ48ページだ、読了したような文章は書けまい。クワバラ、クワバラ。

超人の面白読書 4 「超簡単 ! ブログ入門」

Img094 増田真樹著「超簡単 ! ブログ入門」2005年1月刊 角川oneテーマ21 190ページ 定価705円 この新年に近くの書店で何冊か購入した本のひとつ。たった二時間で自分のホームページが持てると副題が付いているが、それほど簡単には行かないのが現実。筆者も以前から興味があったが、この本で実践することに。つい1,2週間前ブログをやっている人が急増しているとテレビ、新聞等で報じている。それほど手軽にできる日記形式による個人ホームページは、面倒くさいHTMl言語も使わずに、しかも画像の取組みもできて面白い。ブログはおすそわけの精神とは著者の言葉。入門編、実践編とに分かれ、若い著者の平易な文章がこの新しい潮流を浮き出させている。資料集と用語集もあり。参考資料として手軽に読める本。

 

 

超人の面白ラーメン紀行 2 札幌市『けやき』

keyaki超人の面白ラーメン紀行 2   
すすきのにある評判のラーメン店『けやき』。(札幌市中央区南6条西3丁目仲通り。011-552-4601)味噌に拘ったラーメンは、味噌の持つ旨みを引き出してくれてあまりあります。表にはすでに20人位並んでいて、ここでもまた店員が注文取りを始めました。醤油、塩他ありましたが、ここは味噌ラーメン。チャーシューは刻んであって麺に絡んでいます。卵縮れ麺、味噌はちょっと油で炒めたような独自のカラッとした味。刻んだネギが妙に味噌に合います。好みの一つのラーメンかも。もう少しスープが欲しかったとは多少わがままか。一杯700円。横浜のラーメン博物館内B1にもあります。

超人の面白ラーメン紀行 3

2005年1月28日昼に食べた新札幌は厚別東にある『味の何とか時計台』。特製味噌野菜ラーメン、800円。
チェーン店化していて無難なラーメン店とはタクシーの運ちゃんの評。合格ラインの味噌ラーメンです。
札幌から新千歳に向かう車中、網棚の上にこのラーメン店の文字の入った大きな手提げ袋を見つけて頷けました。
やはり激戦区札幌、ともかくいろいろ、いろいろありますね。こんなにラーメンを食べているとはラーメン好きの筆者も驚きです。

超人の面白ラーメン紀行 4

釧路のラーメンは何とかがうまいけど(店の名前を失念!)独特とは若いJRマン。変わりに教えてくれた駅前のラーメン店に突入。あっさり味噌味、650円。

超人の面白ラーメン紀行 5

"創業昭和39年以来、職人の技と心で伝統の味を守り続け、丹念に仕上げております"とは帰宅途中、新千歳空港で買ったお持ち帰り用の袋のコピー。これは『すみれ』のラーメン、お持ち帰り用(定価550円)はチャーシューも入っていず、多少味噌味も『けやき』とは違っていました !!
お土産の中にもう一つ、サッポロラーメン横丁の『萬来軒』。秘伝のスープが売り、多少味噌が甘いか。家族の者からおすそわけしてもらい一口での感想。


超人の面白ラーメン紀行 1 札幌市『五丈源』

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札幌でうまいと評判のラーメン店『五丈原』、札幌の繁華街"すすきの"周辺に位置し、12,3人も座れば一杯の個人回りした店。すでに店内には10人以上並んでいて店員が慣れた手つきで注文を取り始めていました。やや大きめチャーシューの入った五目おにぎり、おしんこそれに塩ラーメンで1、100円かな。豚骨ベースだが独特の味、麺は卵縮れ麺、やや細。筆者にはいまいち。やはり味噌味の整ったものが好いね。夜の11時近くでも次から次と客が入るから不思議です。外は雪の塊があちこちにあって歩くのに難儀すると言うのにです。気温-13,4℃。(2004年1月26日記)

クロカル超人が行く 1 冬の北海道

otaruekiI've been here in Hokkaido for the first time in seven years !
というわけで北海道に仕事で来ています。釧路は快晴、気温-6℃、思ったより寒くありません。海側なのでそんなに雪は積もらないらしい。今は札幌に向かう車中、車掌は新夕張駅を告げています。かの高価な、ミスターこと長島茂雄さんも大好きな夕張メロンの産地ですが(可笑しかったのは冬でも食べられる夕張メロン、お菓子になってと車内広告があったこと)、今は宵闇、車窓から明かりが見えますが、雪、雪、雪景色。小樽出身の作家伊藤整の詩集『雪明りの路』を彷彿させます。あと3,40分で札幌です。持参した2冊の本も読みかけのまま、4時間の旅は終わります。聞けば札幌の積雪は1メートルとか。嗚呼 !!!
(2005年1月25日記)
このあと仕事で小樽に行ったのですが、雪の積もっている小樽の町は全体像が中々掴めません。それだけ先週雪が降ったらしい。運河も北一ガラスも小樽の珈琲館もそう、伊藤整文学記念館も行けませんでした。駅そばの三角市場には寄りましたが、ほっけ650円でどうですかとか、蟹が4,000円以上しては手持ちがさびしくなり、急いでそこを立ち去った次第。それにしてもその市場は、時間帯がOFFだったのか客がいませんでした。いつかテレビ中継していた時の賑やかさは一体と゛こにいったのでしょうか。小樽は吉永小百合主演で今話題の『北の零年』のロケ地とか。札幌に向かう車中でそのことを何故か想い出していました。(2005年1月30日記)

2005/01/23

フットワークで集めた学術先端情報-学術mini情報誌「PS JOURNAL」の紹介

学術mini情報誌「PS JOURNAL」 2003年11月創刊 日本図書センターP&S 無料
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2003 autumn 創刊号 特集 転機の大学
■国立大学も法人化で競争の時代へ    京都橘女子大学教授  教育行政学    渡部 蓊
■大学教員の身分保障問題          横浜市立大学助教授  教育学       高橋寛人
■【使える資料】2003年度21世紀COEプログラム
■PS JOURNAL 新刊あらかると
■学術図書案内

2004 spring 第2号  特集 研究者の現在 ■研究と調査                   
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山梨学院大学教授   日本近現代史   我部政男
■日系カナダ人史研究の現在         京都女子大学教授   文化史        坂口満宏
■大学で「文学」を読むことの質的転換の試み
                            福島大学教授      日本近現代文学  澤 正宏

■「平成の大合併」と農村社会史研究     同志社大学教授    農業経済史     庄司俊作
■旧農林水産省管轄岩手牧場所蔵資料   
               岩手県立大学盛岡短期大学部助教授    日本近現代史   後藤致人
■250年間の「平和」                広島修道大学教授  日本経済史   落合 功
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2004 summer 第3号 特集 研究者の現在
■ジェンダーの視点からの軍隊戦争研究    関東学院大学教授 現代史       林 博史
■「ヒロシマ・ナガサキ」からの59年-風化に抗する意思
                            筑波大学教授      憲法        黒古一夫

■曖昧な科学としての教育学          名古屋大学助教授   教育学       牧野 篤
■汝、自身を知れ-京都大学総合体育館の建築論
                            京都大学助手      建築論       藤原 学
■市町村合併と行政文書             福島大学助教授     地方行政      荒木田 岳
■中国語教育雑感                 京都大学助手 日本語学      李 長波
■250年間の「平和」(その2) 広島修道大学教授   日本経済史    落合 功

汝、自身を知れ―京都大学総合体育館の建築論

藤原 学 (京都都大学大学院人間・環境学研究科助手/建築論)

京都大学には、入学式や卒業式を行う専用の施設はない。それらの式典は総合体育館(増田友也設計、1972年竣工)で行われている。一年間に二度、運動施設は式場の仮面をかぶるわけである。いや、仮面というのはふさわしくないかも知れない。隠されていた建築の意味が現れ出る、といった方がよさそうだ。総合体育館は、京都大学創立七十周年記念事業の一環として建築されたが、その事業終了を伝える記事には「入学式、卒業式等全学的な式典にも兼用できる施設とした」(「京大広報」No.176)とあるから、総合体育館を式典に用いることは、設計段階から想定されていたと考えられるからである。
 ところで、建築は、いわゆる純粋芸術とは異なり実用目的をもっているから、その造形を審美的に観ることもできれば、倫理的に読み解くこともできるはずである。大仰な言い方だが、倫理とは、ここでは、人間の行為について考えること、といったことを意味していることに過ぎない。そして実用目的とは、建築を利用する人間の行為に関わることに違いないから、建築の造形には、設計者がその行為をどのように考えたかが反映されているはずである。総合体育館には、入学式と卒業式という、教育機関にとって節目となる重要な式典の意味が、どのように織り込まれていたのだろうか。
 総合体育館は東大路通りを隔て、京大の本部キャンパスと向かい合って建っている。本部キャンパスが塀と門で囲われているのに対し、体育館は東大通りに直接面している。このように外部と何ら隔てなく建てられている建築は、京都大学にはこの体育館と楽友会館(森田慶一設計、1925年竣工)の二棟あるが、楽友会館は同窓会館として建てられたものだから、在学生が利用する施設では体育館のみということになる。塀で囲うことは、その領域を画定、他と区別することにほかならないから、体育館はこの点では文字通り社会に開かれて建っていることになる。逆に言えば,体育館の扉の前にたつとき、そこが京都大学であるということは、形式的には保証されていないのである。その扉だが、総合体育館には入口が二箇所ある。それは二階建てで、プラットフォームと呼ばれる基壇の上にそびえる二階部分が主体育館であり、そこが式典の場所となるのだが、入口もまた二階に設けられている。一つは、東大通りに面した大階段を上った正面(東側入口)。もう一つは、体育館の南側に並ぶ部室群の奥にある階段を上ったところ(南西側入口)。南西側入口に入ると、靴脱ぎがあり、ロッカー室がある。対して東側にはそのようなものはなく、ラウンジを経てアリーナへとつながっている。つまり、運動施設として用いるときには南西側入口を、その他の用途として用いるときには東側入口を利用するよう、区別されているのである。大階段を上って東側から入る体育館、これが式典の場所としての体育館なのである。
東大通りから大階段を上ると、目の前に立ちはだかるように壁が建っている。大規模な建築物にありがちな単調な壁面となることを避けるかのように、堀の深い格子が、独特のプロポーションで配されている。このデザインの壁面が、体育館の四周すべてを被っている。余談になるが、これだけの規模の建築を、単一の素材による単一のデザインで設計することは、相当に勇気のいることである。しかも単調な印象を与えず、端正で格調高く、ある種厳格な印象を生み出しているのは、設計者の力量を物語るものである。
再び大階段の正面の壁に戻ろう。入口はその壁面の下、奥まったところにある。壁面の量感の大きさに比べ、いかにも小さく、入るのを逡巡するような扉である。扉を開け、内に入ると、再びあの格子が見える。ところがこの正面の壁面は、ロッカー室とアリーナとを隔てるもので、体育館外壁の裏側が露出しているのではなく、いわば仕組まれた意匠なのである。式典に参列する者に、あの壁の下の小さな扉から入ってきたことを、改めて思い起こさせるよう工夫されているといえよう。なぜそんな設計にしたのか?入学式も卒業式も、参列するには資格が問われる。形式的には入学試験に合格したとか、単位が足りているといったことだが、その意味するところは、京都大学で学ぶにふさわしいか、京都大学で学んだにふさわしいか、ということである。それは学部長や総長の許可を得るという手続きを得るが、式場の設計者はさらに別のことがらを要求しているように思われる。
総合体育館の大きな壁面と小さな扉は、式場に向かう人の流れを一端とどまらせることになるだろう。それは設計者から与えられた、自問自答の場なのである。京都大学であることが保証されていない場所で、壁に向かい、何を問えというのか。式場へ入るにふさわしいか否か、自分で判断しろというのである。京都大学での学問を確認する場へと進むことは、他人の判断を待つのではなく、己自身で判断できるはずだ。自分自身を知るというこという、古来最大の課題に挑まない者は、たとえどのような知識を得たとしても、この大学にはふさわしくない。こうした設計者の頑とした問いかけが、あの壁面に結ばれているのである。みずから問い、みずからの判断で式場へと歩み出した者は、再びその壁面を前にして、己の判断に責任を持つよう促されるのである。
いったい、自分自身を知ることは、新しい知識を得ることよりも遥かに困難なことである。こんな困難を投げかけてくるのだから、総合体育館はやっかいといえばやっかいな建築といえるかも知れない。だがしかし、どこかで見たようなデザインをパッチワークのように並べ、見かけだけは「大学らしい」建物が建っていく中、京都大学の建築としていずれがふさわしいのか、火を見るより明らかであろう。Img014

超人の面白読書 3 「夏目漱石と明治日本」

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「夏目漱石と明治日本」雑誌『文藝春秋」』平成16年12月臨時増刊号特別版 2004年12月刊 文藝春秋 226ページ 定価1,000円

1月2日拾い読み。意外な読み方が出来て面白かった。全編書き下ろし。芳賀徹の漱石の『靴足袋』では、靴足袋のあみかけてある火鉢哉(明治32年)を夏目漱石の句集から拾い、靴足袋は(靴下の明治の言葉!)火鉢の傍らにあみかけのままおいてあるという。漱石は胃弱で寒さに人一倍に弱かった、と。また、『門』から。夕方、宗助がくたびれて帰宅して着替えると、いつもその「襯衣や洋袴や靴足袋を一抱えにして」六畳の間にかたづけるのが御米である。通勤途上のどこかの唐物屋で買ったか、御米が舶来ものが長持ちすると言って買ってくれたのであったか、想像してしまうと。また、別なページでは孫の半藤末利子の筆による漱石の妻鏡子に言及した『中根家の四姉妹』が面白い。漱石と鏡子とのやり取りを紹介しながら、鏡子は少々のことではびくともしない姿勢を貫き通した女性ではなかったかと著者。中根家の四姉妹(長女の鏡子、次女の時子、三女の梅子、四女の豊子、三女までは豪奢な暮らしを享受したが、四女豊子は生家の没落の理由で享受できなかった。そんな豊子を不憫に思い漱石は特に可愛がった、と)また、余談だがと断りながらも、鏡子の父中根重一の妻豁子(つまり鏡子の母親)の性格は、貞淑そのものの妻であったと。孫や曾孫にまでバカ丁寧で、これが鏡子の母なのかと只々驚いた記憶があると書いている。漱石の登場するヒロイン達は男性に隷属していない。中根家の四姉妹が、漱石の小説の中の女性造型に、描写に、どれだけ大きな貢献を果たしたか計り知れないものがあると著者は書く。その他丸谷才一と山崎正和の対談、漱石の魅力の特集、吉本隆明の『漱石の巨きさ』、孫の夏目房之介の『百年の時を越えて、祖父・漱石に会う』、作家、研究者他の特別随想から成っている。略年譜付。日露戦争から100年、明治の諸相が又違った角度から蘇った感じである。小学生時代に読書感想文を書かされ発表した時の本、即席で「坊ちゃん」を選んで無事済ましたことが懐かしい。また、小学四年の時分、確か担任が女性の森下先生、君の頭は漱石の頭みたいにでかいねと言われた記憶が蘇る。いずれにせよ、日本人が好きな作家の一人であることは間違いない。最後に、大学1年の頃図書館で漱石全集を借り出しては書き写しながら方丈記の漱石の英訳を読んでいた。和文英訳には自信があった頃。そんなときを思い出させるページが秀明学園理事長・教授の川島幸希の「再考 漱石の英語力」である。しかも方丈記の英訳をかの巨人南方熊楠のと比較しているのだ。あっぱれ。紙が少し厚く重たいのが気になる。226ページをスキップしながら拾い読みを続けたい。どこかの版元がまた、衣替えして全集を出すのかしら。

追記。2006年9月7日号の週刊新潮によれば、夏目漱石の96年前の『門』についての書簡が発見されたという。
実業家でコレクターでもあった愛知県西尾市の岩瀬弥助氏、その古典籍含め8万点を擁する岩瀬文庫で資料整理を委託された研究者によって発見された。なかなか筆が進まない様子が淡々として書かれているらしい。
(2006年9月16日 記)

超人の面白読書 2 「ぼくの翻訳人生」

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工藤幸雄著「ぼくの翻訳人生」2004年12月刊 中公新書 267ページ 定価820円+税

1月15日読了。"翻訳歴50年。ポーランド語、ロシア語、そして英仏語翻訳で名訳を世に送り出した著者による言葉をめぐる自分史。ひとりの日本人の外国語体験の記録でもある。"とはこの本の腰巻の弁。
以前から気になっていた翻訳者だが解説書類以外はその翻訳書をほとんど読んでいない。確かゴンブローヴィチか何かだったと思う。雑誌「海」の海外特集とか、恒文社の現代東欧文学全集とか、主婦の友のノーベル文学賞全集とかでポーランド文学者の名前と解説等を拾い読みしたぐらい。そう、チェコとかハンガリーとか北欧、東欧等マージナルな地域に関心があったので・・・。白水社の『ポーランド語辞典』の共著である著者の名前は知っていて、その本を何度かパラパラ捲っては子音の多いことや特殊記号が付いた発音が難しいこととかで齧るのを諦めたことを想い出す。著者の言う先代ロシア文学者中村白葉・米川正夫・原久一郎、御三家原卓也・木村浩・江川卓(トルストイ、ドフトエフスキー、チェーホフ、プーシキン、ソルジェニーツィン等のロシア文学者の作品を誰の訳で読むか読み比べて見たりしたことが学生時代にあったが)、そしてそのなかの原卓也、江川卓他との親交をはじめ満州(著者は生まれたところでもあり、この地名に固執またこの地から出た面々を自慢気に紹介している。三船敏郎、秋吉敏子、遠藤周作、ジョージ川口、清岡卓行、安部公房、三木卓、小澤征爾、別役実、山崎正和、ジェームス三木、なかにし礼、小田島雄志、山田洋次、北畠洋一、毎日新聞の岩見隆夫、哲学者の木田元、桂米朝等々多士済々、インターナショナルというか、日本人離れというか、日本人的な狭さから解放されている観がある。こせこせせずに、のんびりしている。本文P.27)学生時代、『歴程』創刊に中心的な役割を果たした詩人、逸見猶吉、柴田天馬、『二十歳のエチュード』の原口統三等々、外国語の出会い、浪人時代、一高、東大フランス文学科時代(息の詰まるほどの服部四郎先生の言語学概論、人の顔を覚えない中島健蔵先生の文学談義、もっぱら避けたパスカル研究の森有正先生、鈴木信太郎、中村真一郎そして主任の渡辺一夫先生のエピソードと続くが、その渡辺一夫先生の落ちはあとがきと読者を最後のページまで引っ張っていくあたり、ベテラン翻訳者の成せる技か)、それから「血のメーデー事件」のこと、同人誌『世代』、共同通信社外信部時代の仏誌等の翻訳アルバイトで図書新聞、文藝春秋(担当者は今近現代史作家の半藤一利と)に売り込みをしたこと、アメリカ留学時の一冊20ドル(昭和34,5年頃)の「ポーランド論集」が寮の食堂で盗まれたこと等々懐かしく回想しているが、サタイアの効いた文章もあって興味深く読めた。
筆者の青春時代に読んだ作家達との交遊の何と多いことか、羨ましい限りだ。話しが先に進んだかと思えば戻ったりして前後関係に多少戸惑うが、著者の呟きがはっきりと聴き取れる。人生は山あり谷ありである。
後半は著者の自慢話にも聞こえる自分の翻訳書の話しにページを割いているが、この老輩の翻訳のプロは、言葉談義にも見られるように鋭い言語感覚の持ち主でもあり、日本語の語彙、使い方、誤用には手厳しい。これから翻訳を志す人には必読の書。中原道喜著『誤訳の構造』(聖文新社、04年)は著者推奨の一冊。


2005/01/16

巻頭挨拶 超人の面白読書 1 「大学の危機」

これから大学関係、異文化、多文化、文学、歴史、社会科学等々の分野に関する小論、エッセイ、新聞記事評、雑誌・書籍の書評、読後感、読書メモ、旅行記等を折に触れて書いて行こうと思います。


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1、潮木守一著「世界の大学危機 新しい大学象を求めて」 2004年9月刊 中公新書 238ページ 定価780円+税

1月2日読了。去年から読んでいてやっと終えたイギリス、ドイツ、フランス、アメリカの大学の歴史を踏まえて問題点を抽出した大学改革事情。今やイギリスは89の大学、学生数160万人、ドイツは総合大学96、専門大学154、私立大学79を含め大学総数350、(2000年現在)、フランスの高等機関在籍数は221万人(2003年現在)、アメリカは2000年現在で短大、大学院含めて4,182大学、1,531万人の学生数、と。因みに日本の大学総数は1,221。特に私立大学の増加、大学への予算の傾斜配分の実施、労働者師弟にも大学への門戸開放するなど斬新な教育改革制度を実施中のイギリス、国立行政学院、高等師範学校等のグランゼコールと呼ばれている高等教育機関とパリ大学に代表される所謂大学との高等教育制度の二元化が見られるフランス、早くから独自に進められたアメリカの大学院教育、アメリカから入ったドイツの経営学専門私立大学等々興味深い内容が多く、少子化、国立大学の法人化等日本の大学改革只中においては示唆に富む好著。また、大学の今後の行方は大学普及拡大と卓越性の追求と著者は結論づける。もともとある大学院の大学アドミニストレーション課程の通信課程用のテキストとして書かれたもの。

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