書評

2019/09/14

超人の面白読書 142 第1回中央公論新人賞 深沢七郎著『楢山節考』(新潮文庫版) & 次席 鈴木一郎「神童」(『中央公論』昭和31年11月号掲載複製版)を読む 3

『楢山節考』の解説で文芸評論家日沼倫太郎は深沢七郎の世界を次のように書いている。
「深沢七郎氏にとって世界とは、それ自身としては何の原因もない「自本自根」のものすなわち無であり、空間の拡がるかぎり時間の及ぶところ、何時はじまって何時終わるとも知れない流転である。万象はその一波一浪にすぎない。あらゆる事象は「私とは何も関係もない景色」なのである。このような作家が、作中に登場させる人物たちをあたかも人形か将棋のコマのように扱ったとしても無理はないだろう。心理とか感情とか一切みとめない。物として処理する。これは前述の『楢山節考』をみてもはっきりしているので、向う村の後家は、亭主が死んでも3日もたたぬのにヤモメになったばかりの辰吉と結婚しなければならない。いや、しなければならないのではなく、するのがあたりまえなので、当人たちにとっても、村人達にとっても、後家とヤモメが一緒になるのは〈自然〉だし、またみごもった赤子を「捨(ぶ)ちゃる」相談を夫婦でするのも〈自然〉なのだ。このような深沢氏は、近代の人間中心主義的な思想とはまったく対蹠的な地点に立っている。これは深沢氏が徹底したアンチ・ヒューマニストであることを示している。」

また、日沼氏はこうも書いていた。「全体として、酸鼻とも明るさともつかぬイメージをみなぎらせているのが『楢山節考』なのである。」
さて、現在の『楢山節考』は、さしずめ年金も充分に受けられず貧老・弧老を余儀なくされている高齢者か。孤独死は充分に社会問題化している。『楢山節考』は、63年前の小説にもかかわらす、今なお色褪せていず却って現代に警鐘を鳴らし続けているように筆者には思える。いろいろと考えせてくれる小説なのだ。筆者もまた、文芸評論家の正宗白鳥が〈人生永遠の書〉と絶賛した意味を少しは理解できる年齢に達した証左なのかもしれない。万物は流転する――。

2019/09/13

超人の面白読書 142 第1回中央公論新人賞 深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫) & 次席 鈴木一郎「神童」(『中央公論』昭和31年11月号掲載の複製版)を読む 2

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深沢七郎の『楢山節考』は、映画化され狂言の演目にもなった超有名な作品だ。恥ずかしながら“姥捨物語”としては知っていたものの、きちんと読んでいなかった。古本屋の棚で見つけてふと読んでみたくなったのだ。大分黄ばんでいて破けてしまいそうな新潮社の文庫本だ。奥付を見ると昭和39年7月30日発行、昭和57年5月30日 31刷とある。先々週の日曜日だか何気なくETVの番組を観ていたら野村万作の狂言をやっていた。で、しばらくその〈古典芸能・狂言〉の出し物、「楢山節考」を観ていたのだ。ラストシーンの一部だった。その狂言にも刺激を受け、翌日から通勤の電車の中でこの文庫本を読みはじめ、4日くらいかけて読み終えた。
民間信仰の棄老伝説を題材にした『楢山節考』は、異界の表情を余すことなく伝えていて、時として一種不気味で恐怖心を抱かせるシーンも。描写力に優れそら恐ろしいほど。それは単なる小説というフィクションを超えて、大袈裟にいえば、私たちが出逢う“人生の秋”のリアリズムを感得するものだろうか。姥捨て、口減らし、非人情、ニヒリズム、虚無、不要な人間の物質化等々この短編小説は、多くを暗示している。構成も方言を巧みに挟み、唄を挟み、山あいの日常を描くが、不気味なトリックも潜んでいる。特に楢山まいりを早めるため石で前歯を折るシーンが何度か出てくるが主人公おりんの強い性格を感じると同時に、かなりショッキングなシーンだ。辰吉がおりんを背板に乗せて楢山へ山道を歩く描写もまた、寒々とした空恐ろしい光景だ。卓越した言葉の喚起力もあり見事に小説に昇華した傑作だ。辛口文芸評論家正宗白鳥が、“人生永遠の書”と絶賛したことも頷ける。選考委員の一人、三島由紀夫は「特異な題材の特異な扱い方」と評した。


20年前に夫を亡くした女主人公のおりんは69歳。とある山あいで息子辰吉とその孫けさ吉をはじめ4人と暮らしている。息子の嫁は若くして谷底に転落して亡くなり、まもなく向かい山から後妻玉やんをもらう。村のしきたりとして楢山まいりがあり、おりんもその事を積極的に受け入れ、後妻にも日常的になすべきことを教え、来るべく楢山まいりに備える。貧しく食物が乏しいから楢山に捨てられる日を早めるため石で前歯を折ることも。孫が近所の女に手を出し子を孕んでやがて生まれることにはおりんも覚悟を決める。また、芋を盗む不届き者など小さな共同体は少しざわめく。そんなある日裏山で宴が催される。それは村の習わしに従って楢山まいりの送迎会を開く。おりんが作った料理や亀に入った酒が長老から村の衆一人ひとりに振る舞われる。そこで楢山まいりの掟を聞かされ、それが村の習わしと悟り、やがておりんは倅の辰吉の背板に乗せられ楢山まいりに出る。途中村人が作った道を行くも山越えの谷には死骸が散乱、楢山はすぐそこにあるも深い谷には行く道を阻める何かが―。不届き者が供走していてその親を背板から谷底めがけて突き落とす。そこはカラスの巣があるらしく餌食にされるのは目に見えている。それを見たおりんの息子辰吉は、自分にはそういうことはできないと自問する優しい心はあるが・・・。すでにおりんは自ら背板から離れ一人旅立っていた。粉雪が舞っていた。辰吉は家に帰ると玉やんに「粉雪が待って運がいい」としきりに言うのだった。


これが大雑把なあらすじだ。とある山あいは信州か甲府か、それはフィクション仕立てで、その雰囲気を醸し出せばば足りる。しかし、筆者はまた違った意味でこの小説の舞台に親近感を抱く。原風景が似ているのか心がざわつくのだ。幼少期、母の里に連れられてそれこそ春はワラビ取り、秋は松茸取りと山歩きを余儀なくされた。山を知る母親はすぐ嗅ぎつけて目的を果たすが、連れ出された子はやたらに山道をさ迷ってばかりで得るものが皆目ない。また、開墾地なので何かと不自由さはあるものの、“裏山”の小川のせせらぎには、この小説にも登場するヤマメもとれ、水は見事に澄んでいて手を組んで飲んだほど。山から山へ、それこそ母の青春期には背板に生活の足しになる物を背負って、また、時には幼子を背負って歩いただろうことは想像がつく。また、700メートルの山の頂上から眺める山暮らしの過酷さは想像を絶する思いもするのだ。そう、母の青春期は昭和初期。親戚宅への使いなのか若い頃の母は、隣の山、向こうの山の集落へ何里も歩いたと言っていた。それこそこの小説にある岩肌のみえるところや竹藪などが生い茂ったところ、あるいは人が入り込めない原生林のところもあったはず。夜道にそういうところを通ることは肝試しではないが、明かり一つぶら下げて通ることがいかに大変だったか想像がつきそうなものだ。山あいの開墾地には口減らし、ひょっとしたらあったかもしれない、なかったかもしれない・・・。遠い昔、昔。死者をやさしく弔うためにも唄は必要だった――。この地方には有名な念仏踊りもあるし。今はゲンパツ被害、大きな大きなゲンコツを腹いせに喰わしたいくらいだ。筆者は幼少期にバスの終着点から山あいにあった母の実家へとぼとぼと歩いた光景が、今もって時折夢に現れる。夢の中では遠く感じられたが、大人になって同じ道をバスで通過するとバス停が3、4つほど縮まった不思議な現実に遭遇するのだ。


〈楢山節〉の唄

かやの木ぎんさん
ひきずり女
姉さんかぶりで
ネズミっ子抱いた
夏はいやだよ
道は悪い
むかでながむし
山かがし
塩屋のおとりさん
運がいい
山へ行く日にゃ
雪が降る
楢山まつりが三度来りゃよ
栗の種から花が咲く
おらんの母ャやん
納戸の隅で
鬼の歯ァ33ぼん
揃えた

歌詞はこの短編小説のメインストリームを奏でていて哀しい。

2019/09/11

超人の面白読書 142 第1回中央公論新人賞 深沢七郎著『楢山節考』(新潮文庫) & 次席 鈴木一郎「神童」(『中央公論』昭和31年11月号掲載複製版)を読む

一難去って初秋の空茜カラー

南の太平洋上で発生したばかりの中型の台風が、忽ち日本列島に近づき関東地方を直撃した。風台風で神奈川や千葉で被害が出た。特に南房総、君津、鴨川、八街、市原市など約50万世帯に今もって大停電が続いている!復旧に手間取っているらしい。この分でいくと、来年7月下旬から8月一杯かけて開催される東京オリンピック・パラリンピックも台風で延期となりかねない。確率は高いはず。そもそも1964年の東京オリンピックはその意味も考慮に入れて10月に開催したのでなかったか。放映権やらでビジネス化した最近のオリンピックは、莫大な開催地の施設建設費用もありまた、開催後の経済低迷も過去の開催地をみれば明らかで、果たしてオリンピックをやっていいのか甚だ疑問が残る。筆者など初めからこれだけ投資するならもっと福祉政策に力を傾けた方が国民の利益に叶うものだと思うのだ。
さて、文学とりわけ小説の話だ。今回は1956年(昭和31年)、第1回中央公論新人賞の深沢七郎『楢山節考』、次席の鈴木一郎「神童」を取り上げてみたい。前者は新潮文庫、後者は雑誌『中央公論』(昭和31年11月号掲載)を読んでの書評だ。

2019/09/10

超人の面白読書 141 雑誌『世界』8月号の特集2 出版の未来構想 15

大原ケイ氏の「すべての本を、すべてのチャンネルで、すべてのアカウントに 挑戦し続けるアメリカの出版社」は、有名な出版人の訃報から書き始めて、アメリカの出版概略史、「ビッグ5」出版社の実態とその規模、再販制度と取次の特徴、出版社とってアマゾンとは、出版不況知らずのアメリカ、で終わる。ここで特徴的なのは、“インプリント”という出版形態だ。出版社が出版物を刊行する際に用いるブランド名。アメリカの出版社は合併や買収が盛んに行われ、どう繋がっているのか分かりづらいことも。特にここ20、30年で大分競争が激しくなって入れ替わりが大分あった印象を受ける。大原ケイ氏が掲げた表、「ビッグ5」の売上額(P.201)は107億ドル。

出版社 年間総売上額 コングロマリット(本拠地)
ペンギン・ランダムハウス 33億ドル ベルテルスマン(ドイツ)
アシェット 27億ドル レガルディエ(フランス)
サイモン&シュスター 18億ドル ヴァイアコム(アメリカ)
ハーパーコリンズ 15億ドル ニューズ・コーポレーション(アメリカ)
マクミラン 14億ドル ホルツブリンク(ドイツ)
7社 107億ドル 5社

これでいくと全米の総売上額262億3000万ドル(2017年、全米出版社協会発表)のうち「ビッグ5」の示す割合は41%になる。
日本とアメリカで大きく違うところに著者と出版社の関係がある。少し長いがわかりやすく書かれているので引用したい。
「もともとアメリカの出版社は著者から直接持ち込まれた原稿は受け付けず、目利きであるエージェントを介した作品でなければならないところがほとんどだ。本という形にする価値のあるコンテンツかどうかを判断する出版社のプロはしばしば「ゲートキーパー」と呼ばれる。狭き出版への門を守る門番だ。出版社を通して出される本は、刊行時に紙の本とEブックのフォーマットが同時に発売となり(最近はそこにオーディオブックが加わるようになってきた)、Eブックの値段は10ドルを切ることはない。その一方で、セルフ・パブリッシングによるEブックは数ドル~10ドル未満の値段がつけられることが多く、ISBNを持たないタイトルも多いため、一体どのぐらいの部数が買われ、いくらぐらいの市場規模になっており、どの著者がどのくらいの印税を稼いでいるのか、わかりづらくなっている。」
刊行した本の4冊に1冊しか黒字化できず、その1冊がベストセラーになり、大ブロックバスターと呼ばれる大ヒットにつながる。大原ケイ氏は、それがアンドレ・シフリンの『理想なき出版』(2002年、柏書房)の“書籍ビジネス”だというがまた、この翻訳本の原題“Business of Books”のタイトルの付け方に違和を唱えている。“アメリカの最近の書籍ビジネス”くらいにおさえておけば良かったはずなのに、意訳し過ぎた感は歪めない。

また、1994年に登場したオンライン書店アマゾンに不利な卸し条件をつきつけられたり、勝手な値段を付けられたりするのを防ぐには、それなりのサイズ、つまりタイトル数を揃えた大きな組織であれば、いいなりになって潰されることは起きにくいからだ。それがアメリカの出版社が巨大化し続けた理由だという。規模は違うが日本でも同じようなことが起きている。「すべての本を、すべてのチャンネルで、すべてのアカウントに」とは、あらゆる限りの方法で読者に本を届ける努力をするという意味だという。“What els is new?”(他に何か新しいのは?)と挨拶がわりに質問をぶつけてくるアメリカの編集者たち、オリジナル溢れる本の企画を考えていることは間違いない。それは「何か面白いものない?」と筆者たちが使っている言葉と同義語のような感じを受ける。

以上、雑誌『世界』(8月号)の特集2 出版の未来構想の読後感を少し時間をかけて述べた。日本は、マーケット縮小のなか新ツールで読書傾向が変貌、出版界は紙媒体の生き残り、電子本の更なる開発それに“マーケットイン”的な新たな出版流通を構築していかなければならない。特に取次の役割と書店の活性化、「活きた」知恵と絶えざる「生きた」努力が求められる。その意味でもドイツやアメリカの現状報告(イギリスやフランスの報告もほしかったが)は、大いに参考になるはずだ。
読書論、読者論それに書店論に言及できなかったが、別の機会に書いてみたい。みなさん、真摯に本と向き合っていて頭が下がる。本は決して生活必需品ではないが、心の糧を得るには必需品なのだ。

追記 返品枠付き「買い切り」方式 需給バランスみて適正配本 徳間書店・平野健一社長に聞く、というタイトルで出版界注目の記事が掲載された(毎日新聞2019年9月5日夕刊)。その記事を読むはこちら→

ダウンロード - 20190910161043.pdf

2019/08/12

超人の面白読書 141 雑誌『世界』8月号の特集2 出版の未来構想 14

日本では出版関係は、東京特に千代田区、文京区、新宿区辺りに集中しているが、ドイツでもいくつかの都市に集中しているようだ。放送・出版・音楽ソフトなどのメディアミックス・コングロマリットのベルテルスマン(ペンギン・ランダムハウス社などを傘下にもつ大企業。売上額は163億5600万ユーロ)の本部はノルトライン=ヴェストファーレン州ギュータースローにある。ドイツの大手出版社はスプリンガーナトウレ、クレットグループ、ウェスターマン出版グループ、ランダムハウス、バスタイ・リュッペ、エス・フィッシャーなどだが、多くの出版社はベルリン(146社)、ミュンヘン(114社)、シュトゥットガルト(76社)などの都市にある。最大チェーン書店のタリアの本部は北のハンブルグ、マイヤーシュ書店は西のアーヘン、取次店KNVはシュトゥットガルトに(P.193)。

ここでアメリカも入れた出版関係3ヵ国比較。

               日本              ドイツ          アメリカ

人口       1億2,680万   8,279万       3億2,720万

出版社   3,435             3,000            2,600

書店数   12,026           6,000            5,000

売上      7,152億        1億2800万    2兆7803万

(書籍) ✳1ユーロ➡120円、1ドル➡106円で換算。

この表で見る限り日本は書店数が多い割には書籍売上額が少ない。意外なのは、ドイツが書店数が日本の半分と少ない割には書籍売上額が日本の1.5倍以上。因みに、ドイツの人口は日本の約65%だ。ちょっとした表からでもドイツ人は読書好きということが分かる。また、この特集2で出版流通部門を担う取次店は、日本、ドイツ、アメリカではその機能が違う。スピッツゲール典子氏が書いているように、価格拘束保護の下取次店は存在するが、日本ほど取次店の存在は大きくないようだしまた、非再販のアメリカよりは確かな存在意義を見出だしているようだ。書籍やデータの即日配送など。アメリカは出版社と書店との直接取引が大半で、その他のルートとしては出版社と読者を直接つなぐブック・クラブがある。因みに、出版取次会社は、日本には日販、トーハン(かつてはトーハン、日販だった)、大阪屋栗田(今は楽天傘下)、中央社、日教販、八木書店など20社ほど(かつては48社ほどあった)、ドイツ及びスイス、オーストリアのドイツ語圏にはKNV、リブリ、ウンベルトの三大書取次会社、アメリカにはイングラムやベイカー&テイラーがある(アメリカの書籍取次会社には、日本似た取次店の「ホールセラー」と中小出版社に代わって書店の受注、発送、営業も請け負う「ディストリビューター」がある)。しかし、前にも書いたように、日本のような委託販売や配本制度はない。


2019/08/08

超人の面白読書 141 雑誌『世界』8月号の特集2 出版の未来構想 13

シュピッツナーゲル典子氏の「ドイツ出版界の対応と適応」の小見出しは、ドイツ出版産業の現状(🔷書店、🔷電子書籍、🔷出版社、🔷価格拘束の保護)、経営戦略にもとづく二大書店の合併、取次大手破産に打撃を受ける小出版社、出版社はどうあるべきか、とドイツの出版界が直面している問題を浮き彫りにしている。中でも“即日配送”を試みてきた大手取次店の一つ、KNVがロジスティクスセンターの配送システムの不手際による突然の倒産の知らせは、流通改革に新たな可能性を見出だした矢先のできごとで、関係者にとってはショックを隠せない様子。特に中小出版社が痛手を被ったようだ。ドイツではアマゾンのシェアが50%から70%と推定され、売上額が10億ユーロ以上とドイツでも今や脅威の存在。日本の取次店(日販やトーハンなどは大手出版社が株主!)もアマゾンの下請け的なことを止めて書店即配サービスを積極的にやったらいいと思うのだ。コストやロジスティクスそれにシステム構築と実現に向けたハードルは高いが、中小書店も維持させて出版文化の多様性を活かすためにもアマゾンに果敢にチャレンジしてほしい。日販などは生協と組んで、インターネットを使い客注品をいち早く届けるシステムを稼働させてはいるが、出版社としては客注先がみえにくい難点も――。ここで思い出した。某大手書店の役員が埼玉にロジスティクス センターをつくり出版社と直仕入れして取次会社抜きの販売ルートを考えていたことだ。(続く)

2019/08/06

超人の面白読書 141 雑誌『世界』8月号の特集2 出版の未来構想 12

さて、ここまで書いてきて今更ながらIT産業の凄まじい発達――それもわずか四半期くらいの時期に――には脅威すら感じてしまう筆者だが、それはアメリカから忽ちのうちに全世界を駆け巡り、今や世界を一変させたばかりではなく、人々の暮らしに広く深く浸透してしまった。コミュニケーション ツールがコンピュータ、パソコン、スマホのSNSと益々コンパクトになり、掌サイズで操作ができるようになって便利になったのだ。今やツイッターで世界を動かす某国の大統領を見れば分かるというもの。そしてそれは出版業界をも様変わりさせた。紙媒体と電子媒体の攻防である。

次にドイツとアメリカの出版界の現状報告をジャーナリストと常日頃から出版社との版権売買などを手がけているエージェントの二人のエッセイから手短に感想を述べてみたい。今回の特集2ではイギリスの現状報告がないが、英語圏の代表格のアメリカをピックアップすれば足りる。昨夏北欧、ヘルシンキとストックホルムを訪ねた際に書店(ヘルシンキのど真中の「アカデミア」、ストックホルムはセントラル ストックホルムから地下鉄で20分のところにある「アカデミー」とアーランダ空港内のペーパーバック中心の書店)に立ち寄った。スウェーデンでは大分前に再販制を撤廃していて、大手出版社の何社かがコングロマリット的な複合企業体を形成している。また、書店は大手チェーン店が支配的らしい。ネット書店の「Bokus」もその一つ。筆者も試しに本を購入したことがある。また、コングロマリットのBonnier社から直接電子本も購入したことも。概して本は高め、品数は豊富でやはり英語圏や独語圏の翻訳ものも多い。カズオ・イシグロや村上春樹は人気で棚に陳列してあった。

ドイツの出版界の話は、雑誌『図書』でも何回か取り上げていてご存知の方も多いはず。現にこのエッセイでもドイツでの読書傾向を調査した資料に基づいて、「昨今の生活スタイルの変化が読書に費やす時間を減らしている」と同じことを書いていたが、やはり現代人は何処も同じで“忙しすぎる”のかも。それより何よりドイツの出版社、取次店、書店の“直近”の動向が知れて勉強になった。(続く)

2019/08/04

超人の面白読書 141 雑誌『世界』8月号の特集2 出版の未来構想 11

ドイツ方式をモデルてして出版流通システムを大改革して書き手→出版社→取次店→書店→読者のいわゆる正常ルートの割合を、取次店のシェアを少なくして、出版社→書店→読者のルートの比率を高くするなど見直すことも必要になってきている。しかし、前にも書いたが、それでは再販制度を堅持しながら、出版社、取次店、書店の取り分、マージンをどう分配するのか、ドイツ方式だと出版社負担が増える。リスクを背負って出版活動をしている出版社にとっては頭の痛い問題だ。原材料費や人件費の値上げをも考慮し、仮にマージンを下げて本の値段をあげたとしたら、読者は高い本を買わざるを得なくなる。買い控えが起こるかも。特に硬派ものは益々売れなくなる・・・。取次店は大手ばかりに目を向けるではなく、出版文化の担い手として中小にも目を配って促進活動を強化することができるのか。星野氏が書いているように、取次店は読者や書店を意識したプロダクトアウトからマーケットインへのパラダイム変換をしようとしているらしい。パターン配本を抜本的に見直し、販売意欲のある中小書店をサポートできる目配りのある独自のシステムを構築してほしい。また、書店は独自の責任ある仕入れ能力を高め、責任販売を実行し返品を最小限に食い止める活動ができるのか。出版社は資金繰り的な安易な企画を止めてインパクトのあるしっかりした本づくりができるのか。そのような基本的なことが問われているような気がするのだ。

星野氏は締め括る。「本」の作り方や流通の仕方がどのように変化するのかを見極めながら、その時々に合わせた仕組みを編み出していく者こそが、次の時代の「出版人」であろう。(続く)

2019/08/02

超人の面白読書 141 雑誌『世界』8月号の特集2 出版の未来構想 10

[近代出版システムの形成と衰退]のところで星野氏が次のように書いている。「日販やトーハンなどの総合取次は、雑誌や書籍を書店に運んでいるだけではなく、書店から販売代金を回収し出版社に支払う決済機能や、大手や老舗出版社に対しては納品された出版物の代金を売れる前に一定割合を支払ったり、大手書店が新規店を出すとき、納品した商品代金の支払いを一定期間猶予するなど金融的機能、さらには書店が経営破綻しても出版社への支払いは保証する信用保証機能など、出版取引に関わる広範な機能も提供してきた。まさに日本独特の出版プラットホームだった」。また、物流コストの値上がりや雑誌販売の減少により現状維持が困難になり、物流コストの一部負担や卸値率の引き下げを出版社に持ちかけているという。そんな中、取次大手のトーハンが支援に乗り出すなど取次店の口座開設が以前より容易になったことで独立系の“ひとり出版社”が多くなったようだ。既存事業者なのか新規開業者なのかには関わりなく、時代の変化に対応して自ら新たな仕組みを作り出していこうとする人々が登場しやすい時代なのだ。執筆者はこれを前向き、ポジティブに受け取っている。明治、大正、昭和、平成の長いレンジの出版流通史を繙けば、その時々の新たな“出現”とエボックを見出だせるが、今の時代の変革はそれより巨大なうねりであることは確かだ。

さて、雑誌の衰退やデジタル化でその販売が見込めなくなった総合取次は、その活路を再び書籍販売に大きく舵を切ったようだ。それは星野氏が示した直近の日販やトーハンの事業計画を見れば明らかだ。執筆者が雑誌の崩壊とあえて書く所以でもある。(続く)

2019/08/01

超人の面白読書 141 雑誌『世界』8月号の特集2 出版の未来構想 9

このドイツ方式だと出版社の書店へのいろんな仕掛け、事前プロモーションが必要になってくる。手間隙かけないとせっかく売れると考えてつくっても書店店頭に並ぶとは限らない。しかも、返品は出る。至近の例を出していえば、出版社としては原材料費の紙などが値上がりしている現状を考慮に入れると定価付けや発行部数のよみも難しいし、秋の消費税値上げも響くはず。それでいてオンラインショップ、アマゾンなどの売り込みを在庫を切らさないように常に働きかけをしていかなければならない。アマゾンなどは直仕入れを提案しているが、現状では取引条件が弱小出版社にとってはメリットがあまりないようだ。実売数を示さず、“クリック数”で機会損失が大きいと巧妙に直取引を促しているようだ。(続く)

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