書評

超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』最終回

終章の「横浜学」では今までの7つの物語とは違って本書の締めとして全体的なアプローチの仕方に触れている。最近地域研究や地方史研究が盛んになる一方、グローバルに捉えようとする歴史学の新しい枠組でのアプローチも行われている。いつだったか、雑誌『思想』で中堅の歴史学者たちが戦後歴史学の時代区分の新しい分け方を提案していた。また、一部の出版社のPR誌で周辺領域を含めた歴史学の見直しを試みるエッセイも書かれている。戦後70年以上経過した現在、歴史学も新たな時代を迎えているということなのかも知れない。換言すれば、中心が少しズレ周縁よりになった感じだ。遺跡の科学的発掘とITを駆使し図解解析を容易にした追跡調査や古文書の卓越した解読と発見が次々と現れ今まで半ば常識化した歴史的な事柄が少しずつ塗り替えられているのだ。テレビやゲームそれに中高年の“歴史散歩”が歴史ブームに拍車をかけているのも事実だ。そして何より歴史は民衆史の視点を忘れてはならない。それと民間学―。著者が本書で言及している鹿野政直の唱えた歴史学の方法である。かつては大阪学を唱えてベストセラーになった学者もいた。立命館大学の地理学科は京都学を唱えて“営業中”だ。東京圏といえば、比較的活発なのが「多摩学」だろう。「多摩学」に関係する小冊子は何冊か筆者の手元にある。読んでみると目から鱗の事柄も。
本書はフェリス女学院大学国際交流学部のテキスト用に編まれているが、新書版サイズは一般読者にも手軽で読みやすい。著者は前任者の高村直助先生から引き継いで「横浜学」を今も講じている。横浜を身近に知る好著。最後は著者に倣って。Think locally, Act globally ! (2007年3月刊、フェリス女学院大、新書版、206頁、700円+税)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 7

横浜大空襲の被害の数字を眺めるとその被害の大きさが解るので本書から拾ってみよう。死者3649人、重傷1655人、軽傷8542人、行方不明309人、罹災者311218人、当時の人口比からすると二人に一人が罹災。民家の被害は中区、南区、西区、神奈川区に集中し約80000戸が全焼、その後の調べで死者は7000人から8000人と推定されるという。ここでの注目は
京浜急行電鉄の横浜駅と戸部駅の間にあった旧平沼橋の話だ。1944年に廃止されその後横浜大空襲で焼け落ちたホームと鉄筋の残骸は残っていたが、今は撤去されてないそうだ。アメリカ軍の爆撃機B29による攻撃は、戦略的で容赦ないものだった。そういった意味で旧平沼橋駅の残骸は歴史的証拠で貴重な戦争遺跡、移築して残しておけば良かったと思うのだ。これこそ横浜各地に残る戦没者の碑とともに“戦争と平和”を考える生きた教材として役に立つのに―。
尚、この横浜大空襲の話は、小堀 聡著『京浜沿線の近現代史』(クロスカルチャー出版 2018年12月刊行予定)でも言及される。
港北区の慶応義塾大学日吉校舎の地下にある、旧海軍軍司令部がおかれた巨大地下豪の話や病院として使われたフェリス女学院の地下豪の話しも戦争遺跡として貴重だ。日吉の巨大地下豪は機会があったら一度見学したい。
第7章の「占領のまち横浜とザンダー先生」。パイプを加えたマッカーサーが厚木飛行場に降りたときから横浜は「占領のまち」化した。横浜市内に互楽荘(慰安所)、日本造船大丸谷寮(慰安所)やエキスプレスビル(バー)や大阪商船ビル(キャバレー)などの「進駐軍将兵慰安施設」が設けられるも、米兵の間に性病が蔓延し、GHQは民主化の一環として「公娼制度廃止」を指示せざるを得なかった。遊廓の公認を禁止した。日本政府はこういった施設をつくることによって一般女性にまで被害が及ばないことを目論んだが失敗に終わり、まちに「パンパン」(映画、舞台、詩、写真集それに漫画などのモデルになった“メリーさん”はつとに有名)など街娼があふれることになる。これを機にやがては「売春禁止法」が制定される。筆者的には著者が書いている「二業街」(芸者や料理屋を中心とする歓楽街)には興味大。そう、大昔まだ都会に出始めの学生時代の頃、アルバイト先のオーナーに夜半伊勢佐木あたりの食堂(?)に連れて行かれ、そこで目にした光景は、白衣を着たやや年増の女性が給仕している妖しくも不思議な光景だった。これが「二業街」だったか。
そういった占領時代にGHQの兵士たちの振る舞いが横暴さを増すなか、フェリス女学院と極めて縁の深いヘレン・ザンダー女史がいたことは救われる。リンゴの代金支払いや少年を野球場に連れて行った話は感動的だ。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 6

第6章の「戦争遺跡が示すもの」に入る前に、直近のテレビニュースから一つ。毎年夏が近づくと戦争関連ものが話題になるが、今年もその類いのニュースが飛び込んで来た。福井県の若狭湾でナチスドイツのUボート(Unterseeboot 潜水艦)が発見されたニュースだ。日本に製造依頼(川崎重工)して出来なかったもの。戦後すぐGHQによって沈められたという。前章でナチスドイツに触れたがまさしく「戦争遺跡」、3年前には戦艦「武蔵」がフィリピン沖でアメリカの富豪マイクロソフトの創業者ポール・アレン氏よって発見され話題になったことも記憶に新しい。
さて、この章では「戦争遺跡」の簡単な定義に始まって、原爆ドーム、戦争遺跡の種類、横浜の戦争遺跡、日吉の巨大地下豪、横浜の大空襲の傷跡それにフェリスと戦争を扱っている。やはり日吉の地下豪と横浜の大空襲が見逃せない。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 5

野村家の援助で1936年に長女ヨアン、翌年にゴッドフリートが横浜の病院で生まれる。ヨーンもドイツ人弁護士の事務所で働く。日本はドイツほどにユダヤ人を排斥せず、むしろ豊富なユダヤ系資本を利用して局面を打開したいという思惑があるから、ヨーロッパから満州や上海経由でやって来るユダヤ難民を積極的に受け入れる。その大半は自由を求めて北米へ出国する。当時神奈川県内でポーランドから289人、ドイツから47人など354人のユダヤ難民がいたそうだ。著者は所々にマリアの回想録を挟み、1930年代~1940年代の戦前・戦中・戦後において時代に翻弄されていくマリア一家の動向を描く。あの“ゾルゲ”にも一度だけあったと回想録に書き残しているが、当時のナチスドイツ政権下のドイツ大使館員もマリア一家を手助けしている。ドイツ人、日本人それにアメリカ人といろいろな人に助けられながら横浜、茅ヶ崎、軽井沢、茅ヶ崎と転々する。そして戦後自由を求めてアメリカに渡ることになる。なるほど、この手の話としてはリトアニアのカナウスで6000人余のユダヤ人にビザ発給をした外交官杉原千畝の人道主義はあまりにも有名だが、著者も言っているようにそれだけではない歴史に埋もれた民衆の有様を掬いとることもまた大事なことなのだ。その実例がドイツの家族の物語だ。さて、横浜生まれのゴッドフリートさんは大学で何を研究していたのだろうか、筆者的には大いに興味あるところだ。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 4

第4章は「シアトルの石灯籠とバラ」。関東大震災の見舞金のお返しに横浜市がシアトル市に石灯籠を贈り、また、シアトル市が2000本のバラの苗を贈った話。いい話である。まさにgoodwill diplomacy。その重たい石灯籠を運んだのが移民船としても有名な日本郵船の船。つい最近では高円宮家3女の絢子さまと婚約したのが日本郵船の社員だ。ということで日本郵船の社員の名前が大きく報道され一躍時の人に。その日本郵船株式会社は1886年(明治19)に創立、戦前最大の輸出品生糸を主に運搬したことで知られる。北米航路のほか欧州や豪州の三大航路を開設 し、北米航路では日本から移民を運びやがてはシアトルに日本人町を形成するほどに。話は逸れるがこの欧州航路を利用して横浜からマルセイユ経由でロンドンに留学したのが詩人で英文学者の西脇順三郎である。
さて、戦争を挟んで紆余曲折するが、日本郵船の日枝丸が運んだ石灯籠はシアトルに、お返しとして贈られたバラは横浜のこども動物園で健在だという。日米を跨いだ市レベルの交流史である。
第5章はユダヤ系ドイツ人故にナチスドイツから逃れて翻弄する家族の物語。著者は2001年春にカナダのヨーク大学の教員ゴッドフリート・パーシェ氏に会い、母が書いた回想記「Our Thanks to the Fuji-san」をもらった。それをもとにドイツから来た家族を紹介している。本書に沿って追おう。ゴッドフリート・パーシェ氏の母親は、ドイツの貴族出身で名はマリア・テレーゼといい、ヒトラー政権樹立の1933年にベルリンで東洋学を志すヨーン・パーシュという青年と結婚する。その青年の父親はユダヤ人でかつ祖父が社会主義者。ニュルンベルグ法(ユダヤ人の市民権を剥奪したりユダヤ人との結婚を禁じた法律)成立の前年1934年にドイツを離れる決心をする。オランダそしてロンドンに渡り、そこで当時横浜正金銀行ベルリン支店駐在員よで休暇で一時帰国途上の久米邦武・多賀子夫妻(久米邦武は『米欧回覧実記』を編纂した人。筆者はかつてこの岩波文庫版『米欧回覧実記』を持参、読みながら最初のニューヨーク行きを敢行した。1980年代半ば過ぎだ。ある先生が久米編纂のは間違いがあるとしきりに言っていたが、何年か前にその内容を照合して修正した本が慶応大学出版会から出た。水澤周『現代語訳 特命全権大使 米欧回覧実記』だ。何度か買おうと書店に足を運んだが高額なので買えず。今は廉価版も出ている)、娘寿賀子に出会う。久米邦武は真珠王木本幸吉の甥、妻多賀子はホテルニューグランド、サムライ商会などを経営する日本有数の実業家野村洋三の三女だった。日本郵船の欧州航路で横浜へ、ホテルニューグランドに投宿した後野村家の別荘を提供される。ここまで来ると出会いが運命的で日本人のもてなしも卓越していると言わざる得ない。度量が深いのだ。さて、その後。横浜ニューグランドに投宿した時のマリアの回想記。トーフ入りの味噌汁に馴染めなかったのか、クリームを入れて飲んだと。木の風呂や海苔がまだとれた時代の様子も。戦前の横浜の生活の様子が書かれていて面白い。それこそ詩人西脇順三郎の夫人だったマージョリーさんの挿絵が入ったキャサリン・サンソム著『東京に暮らす』を彷彿させる。時代もそう違わない。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 3

第3章の「関東大震災と朝鮮人」で小見出しを拾うと、関東大震災発生、軍隊の出動、流言の発生、横浜の流言飛語、フェリス生徒のみた震災と朝鮮人、「不逞日本人」、朝鮮人に対する偏見、朝鮮人の犠牲者たちそしていま学ぶべきこととなっている。
つい最近大阪北部地方を中心にマグニチュード6.1の地震があり犠牲者も出た。大阪でこれほどまでに起きた地震としては、1596年の豊臣秀吉の伏見城築城時以来とか。なんと420年以上経っての地震だ。そしてSNSなどでは少なからず流言も出た。地震大国日本は、昔から地震やそれに伴う津波災害を受け、その都度復興してきた。それはこの風土に生きた先人たちの知恵である。記憶に新しい東日本大震災・福島第1原発メルトダウンは甚大な被害をもたらし改めて自然災害・人災の恐ろしさを痛感、特に福島第1原発のメルトダウンは瞬時に世界の知ることに。「備えあれば憂いなし」を心掛け「楽観バイアス」(昨日の毎日新聞日曜版海原純子のコラム「新・心のサプリ」)に陥らないことだとか。
さて、近年の大地震はやはり1923年(大正12)に起きた関東大震災だろう。その時朝鮮人に対する流言が流れたことはつとに有名だが、本書は横浜での動きを統計などを駆使して追っている。その一部。

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これで見ると著者も言っているように、集中度からいえば横浜は東京以上の大きな被害を受けたことになる(本文P.62)。そして朝鮮人に対する流言(デマ)。コトの真相は山口正憲を首領とした「横浜震災救護団」を名乗って略奪や暴行をほしいままにした一派の暗躍によるものだという。それではなぜパニックを起こさせるような流言が起こったか。それは第一次大戦による好景気で京浜工業地帯が発展し、労働力として朝鮮人が移住してきたからだ。低賃金で働かされたのである。と同時に、底辺で働く日本人労働者の職を奪いかねない存在となり、植民地支配の優越感や差別感情とつながって朝鮮人を敵視し排除する方向に。日常の不安がそうさせたと著者は書いている。専門家の研究では朝鮮人の犠牲者は2000人あまりだという(本文P.81)。最近のヘイトスピーチなど隣国に対して不寛容さが目立つが、過去の悲惨な出来事を歴史的事実として受け止め向き合い、決して歪めることなく相互交流・理解を深めていくことだ。江戸時代には朝鮮通信史の善隣外交が12回も続いたのだから。その中心人物雨森芳洲の朝鮮語読本は立派なものだ。筆者は20年以上前に彼の生誕の地滋賀県高月町の記念館を訪ねてその現物を見たことがある。著者もこの章の終わりで国際交流の重要性を説いている。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 2

第2章の「二つの開港記念日」は、長らく横浜史編纂に関わった著者でしか書けないややマニアックな事柄だ。それは行政史料などを丹念に読み込んでコトの経緯を調べあげた成果(明治大正期、開港50年祭は7月1日に実施していたが、1928年2月の市会で横浜港開港日の1859年7月1日は、日本の暦では安政6年6月2日だとの理由で開港記念日をこの日に決定し変更された。戦時中一時中止を余儀なくされたものの、戦後1950年に復活、1979年には市制90周年・開港120周年祈念式典が行われ、1981年、日米和親条約締結の地、大桟橋のたもとに横浜開港資料館がオープンした。―本文56頁から一部抜粋)だろう。この件に関して著者が開港資料館の研究員の言葉を紹介していたが、これが妙にリアリティーを持つから不思議だ。当時の有吉忠一市長の誕生日が6月2日との単純な理由からだったと。誕生日なら普通は忘れない。いかにもありそうな話だ。(続く)

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超人の面白読書 133 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』

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大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』は、副題が地域から見る歴史と世界、と付いているように、港ヨコハマの内と外のつながりを幕末から現代まで分かりやすく繙いた、新書版フェリス ブックス シリーズ、約200ページの近現代史。著者は前任者から引き継いで長らく大学で横浜学を講じている。分かっていることは更に確認することで掘り下げ、また、“知らなんだ”ことは知識の幅を広げることに一役かって豊穣に。読書はほんの些細な書物から啓発されることや再発見することがしばしば。その度に己の無知を恥じるのだが止められない。それが時間を割いた読書の醍醐味である。それはさておき横浜学の書評だ。

第1章 横浜の風車とあるデンマーク人
第2章 二つの開港記念日
第3章 関東大震災と朝鮮人
第4章 シアトルの石灯籠とバラ
第5章 ドイツから来た家族の物語
第6章 戦争遺跡が示すもの
第7章 占領のまち横浜とザンダー先生

実は第1章のデンマーク人と風車の話が、毎日新聞神奈川版連載第1回目に登場して興味深く読んだ(その記事を読むはこちら→「横浜の中の世界 ①コスモポリタンたちの現代史」)。
そのネタがこの本なのだ。現在会社の役員をしている子孫がいることまで足跡を辿っている。風車windmillは風頼りで他力本願的、色鮮やかでどこか19世紀的なのどかさがある。生活用水に欠かせない実用的な風車だが見た目はメルヘンチック。しかし、デンマーク人グランが横浜山手のフェリス学院に建てた風車は街にマッチしたと容易に想像できるが、グランが日本人と結婚して横浜の郊外の田園風景(都筑郡田村)が広がる小高い丘に風車を建てたことは、当時の地域の人々にとってはさぞビックリしたに違いない。いやいや、著者が書いているようにその地域の目印landmarkとしても威力を発揮したかも。折しも今年は日本デンマーク交流150周年でこれを機に日本で活躍した新たなデンマーク人が掘り起こされるかも。北欧に興味のある筆者には本書の第1章は大変興味深い。デーン人の面目躍如といったところだろうか。(続く)


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超人の面白読書 131 ジョージ・オーウェル『1984』 5

北朝鮮でまた金正恩委員長の親戚が脱北してヨーロッパへ逃亡、これを金委員長の命を受けた刺客が暗殺に動き出しているという。不穏な動きである。こういった人権無視の恐ろしい出来事がなぜ起こるのか、疑心暗鬼の独裁体制の不信感の果てなのか。私たちはほんの少し前の歴史を顧みるとき、旧ソ連や中国で酷い粛清が行われた、また、戦前の日本でも軍部が暴走して多くの犠牲者を出した負の遺産に遭遇するが、体制維持を金科玉条のように振りかざしたがる権力者をどうチェックしたら良いか、確か歴史から教訓を引き出したはずなのに最近ではその歴史が繰り返されようとしているような風潮が目立つ。日本国の政治も権力者の利害に絡んで政治が歪めら、改竄が行われた事実。そう、権力者へのそんたく、もりソバ・かけうどん問題だ。論理のすり替えなど巧みな政治手法で逃れようとしている。国民を騙し続けているのだ。まさしく『1984年』の2+2=5の論法だ。憲法が謳う「国民の幸福の追及」はどうなっているのか。

主人公ウィンストンが働いているオセアニアの党機関のテレスクリーン(双方向モニター。ジョージ・オーウェルの近未来を予測させる情報操作機器の創作)ではBig Brother is watching you. ビッグ ブラザーはあなたを見ている、という文字が流される。定期的に流される2分間憎悪と体操。党のスローガンは、War is Peace.戦争は平和なり Freedom is Slavery.自由は隷従なり Ignorance is Strength.無知は力なり、の皮肉たっぷりのdouble think二重思考である。(続く)

追記 『図書』2018年7月号に文芸ジャーナリストの佐久間文子氏の「ディストピア小説の現在」という記事が掲載されていてなかなか面白い。その記事を読むはこちら→「20180629161725.pdf」をダウンロード(2018.6.29 記)

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超人の面白読書 131  ジョージ・オーウェル『1984年』 4

旧訳本を借り出すことに成功して訳者の解説を読んだ。この小説が書かれた背景を新たに知ることができた。
『1984年』は、たしかに“スターリンのソヴィエト”に触発された反(ディス)ユートピアの権力世界である。それはあらゆる人間性の集奪の上に成立する不毛の世界―人間を人間たらしめない権力集中への告発であった。ハーバード・リードがいみじくも指摘したように、ユートピアを装った体制の中にひとつの悪夢を構築することで“1984年”全体を風刺したのである。たとえ真理省は現代を支配する巨大化マスコミ組織、ゴールドスタインの哲学はマルクス主義の歴史観(トロツキーの『裏切られた革命』を模したものといわれるが、オーウェル独得の権力観を展開したエッセイである)、ニュースピークは英語の簡略化をはかるベイシック・イングリッシュ(言語について一家言を持ってきたオーウェルは、文化そのものである言語の簡略化が持つ危険性を警告する)、カブト虫のような党員はいわば党官僚や技術官僚のカリカチャアなのである。もちろん、作品全体が『動物農場』と同じような風刺劇として描かれているわけではなく、それはまた、政治的ユートピアがいかに諷刺の対象となりにくいかを物語るものであろう。(P.420―P.421 旧訳解説からの抜粋)
さて、旧訳の解説を読み終えて、一応この小説の背景などをおさえたところで、原著に戻り、P. Davisonの【注】を再度読んだ。今度は注意深く。出版の裏側を知り得て興味深かった。この小説の仕掛けの最大のテーマの一つ、数式2+2=5の5が組版段階で脱落していたにもかかわらず、イギリスの出版社もアメリカの出版社もミスしたまま刊行してしまった事実、また、英語版と米語版では語法に違いも。しかし、何よりアルゼンチンでのスペイン語版での当局の削除要請は、1949年(昭和24年)当時といえ、あまりにも衝撃的である。該当の削除頁を当たってみると、当局にとっては表現が道徳上いかがわしいものと映ったのだろうか。【注】者も次のように鋭く指摘している。「我々の時代の強力な権力を持つ動きに直に抗う目的の小説の基本的な理念を損ねてしまう」。この小説の読み方の一つは、過激な仕掛けがあればこそさらに想像力を膨らませて、一つひとつ繙いていく過程の中に気づきを(たとえ絶望の淵を歩かされても)、ごく普通の営みの中に優しさを見出すことなのかも知れない。ジョージ・オーウェルは書いている。政治的なものと芸術的なものの融合が最後のこの小説に課したテーマだと。
旧訳解説の最後に訳者も書いている。「『1984年』はわれわれにとっても重大である。なぜならそこには人間の尊厳をおびやかす実体が普遍的な問題として予言されているからであり、未来のはらむ危機と現代の政治的な荒廃とか、権力の構造ないし論理をぬきにしてはまったく考えられないからである」

追記 水道橋駅付近の通りで社民党の元党首福島瑞穂議員に偶然遭遇。背が低いが愛想は良く身近なところで手を振ってくれた。気さくぅ。(2018.6.4 記)

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