北欧文学

超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞 スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 47 余滴 続 再録など

約4年振りでノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル(トラン=鶴、ストロンメル=川の意味。さしずめ日本名は鶴川だろうか)氏の作品を読むを再読、改訳したり訂正したりと手を入れた。トーマス・トランストロンメル氏の作品「わが回想」(英文タイトル : Memories look at me 記憶が私を見つめている。もともとは英文詩集『The Great Enigma」の付録)を改めて読んでみると幼少年期の記憶が鮮明で、その後の生き方を反映している出来事が散りばめられていて興味深かった。そのトーマス・トランストロンメル氏が今年の3月26日に死去した。心理学者として長らく更生施設で活動しながら詩作を続けてきたが、1990年はじめに脳梗塞で倒れ、後遺症で右手が麻痺、また失語症状態になった。それでも左手でピアノの鍵盤を叩いていたという。その腕前は相当なものだったー。この「わが回想」にも終わりの方にピアノの話が書かれている。社会の周辺で人々を救済する仕事に従事する一方で俳句にも親しみ、イメージ豊かで転調の効いた短い詩を数多く残した。この「わが回想」は、ノーベル文学賞受賞後に独立した形で英文版が出ている。
さて、以前にも書いたが、筆者は途中からストックホルムの市内地図を購入し、主要な地名や通りを地図上に落としてこの回想記を読み進んだ。これでより理解の度合が深まったことは言うまでもない。今回その地図を掲載することを思いついたわけだが、ついでにそのとき書いた記事も再録した。

今一万分の一のストックホルムの市内地図を広げてトーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』に出てくる地名などを記し、その足跡を追っている。もちろん戦前と現在では街の風景は変わっているに違いないが(行ったことがないので分からないが、テレビの映像やインターネットの動画で多少知っている程度。近い将来行ってみたいが)、地図上では公共の建物、駅名などはそんなに変化がないはずだが、通り名などは変化しているところもあるはずだ。また、イングマール・ベルイマン映画の『もだえ』は著者の学校がロケに使われた映画で、当時の学校生活の雰囲気を見事に活写しているだけでなく、その当時の学校周辺の建物なども写し出していて大変印象深かった。特にロケで使われた学校は、威厳がある建物、また、高台にあることも映像を通じて判った。

さて、この『わが回想』をページを追いながら実際に地図上を歩いてみよう。最初出てくるのは著者や母方の両親の住所、スウェーデンボリィ33番地、ブレーキンゲ通り、その後の転居先住所、フォルクンガ通り57番地、警察本部のあるクングスホルメン、ストックホルムのど真ん中で消えたところへトルイェット、家に帰る途中の橋ノルブロー 、旧市街ガムラスタンそしてスルッセンからセーデルへ、鉄道博物館のあるイエヴレ、国立歴史博物館通いでは路面電車でロスラグスツルまで、高台にある南ラテン中学校への通勤は家からビョルンの庭園、イェート通りやヘーベリィ通りを通って行く、というように該当の地名を一つ一つ蛍光ペンで記しながら追ってみた。著者の行動範囲が判って面白かった。そして印象に残った二ヶ所―ストックホルムのど真ん中で迷って家に帰るところや南ラテン中学校通勤のところ―の距離を大雑把だが試しに測ってみたのだが、結果的には想像していたより長い距離ではなかった。テキストの地名を地図上で当たり、行動範囲を描き、点→線→面に到達していく過程の面白味を味わった。ついでにインターネットでストックホルムの現在の映像を見て、夜のスルッセン辺りを確認したのだ。それにしても周りは大小の島々という多島海である。余談だが、近代的な建物と古い建物が混在しているような街並みの中に緑色に染められた公園が多いことに気づくと同時に、病院も多く存在していることも地図で判った。

あまり裕福ではない友人の家に遊びに行ったときのトイレの話は大変印象的で、なぜかその場面が目に浮かぶくらい。戦前の話なのであり得るし、日本でも形態は違うが大なり小なり同じようなことはあったはずだ。貧富差が激しい時代は当然あり得た。今でこそトイレは衛生的かつ快適な空間、しかもデザインも優れているが、その昔は汲み取り式で田舎では畑に肥やしとして蒔いていたのだ。東京などの都会では役所の清掃車が来ていたはず。この記事には筆者も驚いた。

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追記 文中にある南ラテン上級中学校は現在の「南ラテン高校」Södra Latins gymnasium。
英語名 : upper secondary school ("gymnasieskola")。

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南ラテン上級中学校はイングマール・ベルイマン監督の映画『もだえ』のロケ地の学校で有名だが、学校の教室、廊下、講堂それに学校周辺など映画のシーンが瞼に浮かぶ。『もだえ』はベルイマン監督の初期作品で倫理とエロスを扱った傑作。ベルイマンは19世紀のスウェーデンの劇作家アウグスト・ストリンドベリーから多大な影響を受けた人である。写真で見る限り現在の南ラテン高校の校舎は建造物といい、色調といい大変立派だ。ついでに言えば、今は音楽や演劇などの芸術関係の高校として有名とか。

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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 47 余滴 続々

ラテン語の章ではベルイマンの『もだえ』にも授業は厳格だが私生活は乱れた、二重人格のラテン語教師が登場していたが(ベルイマン自身の高校時代の実体験に基づいているらしく、大分憎たらしく描いていた)、著者のギリシャ語・ラテン語の教師でクラス担当のボッケン先生の描写はこれまた観察が鋭く、ユーモラスかつペーソス的だ。笑えるようで実は笑えない。それは厳しいが優しさも持ち合わせた教師のキョウジというものだろうか。日本も戦前はドイツ風の教育が幅を利かせていて、特に旧制高等学校はその典型だった。古典語の教養は筆者には未だに身についていないがイギリスの文芸評論家ジョージ・スタイナーの本を繙けば一目瞭然だ。それはヨーロッパの文化風土に根ざした古き良き伝統だろう。筆者は岩波文庫あたりでその古代ギリシャやローマの文芸を本の少しだけしか知るよしもないが、著者のラテン語の話に刺激され、ホラチウスの作品を読みたいと思い図書館から借り出したのだ。日本でこれだけ本が溢れているのにホラチウス全集が一つだけしか刊行されていない。日本の文化風土が分かるというものだ。もちろん需要がないのも知れないから当然と言えば当然だとも思うのだが。日本語は言語構造がギリシャ語やラテン語とかけ離れているから習得がなかなか難しい。著者的な古典的教養はどこで身につけられるか。人文学の伝統のあるヨーロッパと日本は文化的風土が違い過ぎるか。しかしトーマス・トランストロンメル氏は日本の芭蕉や子規の俳句にも影響を受けていることは知られている。その三行詩は1950年代後半から作句し続け、一旦離れるが、脳梗塞で倒れた1990年代から再び短詩を作り始めている。この『わが回想』の直後からか。
 
さて、韻律の話。日本語は原則的に母音の長短がなく子音の豊富さにおいてもヨーロッパ諸語に比べて乏しく、抑揚も平坦な言語だ。詩の頭律や押韻が成立しにくいが、その代わり字数を制限して楽しむ文芸、短歌や俳句が昔から盛んだ。これは著者を刺激した。既存のコンテキストに異なるイメージあるいは新たなイメージを挿入して透明性の高い次元を創り出す。

古池や蛙飛び込む水の音

芭蕉

 以前にこのコラムでも言及したが、この有名な一句にして解釈が異なり、一冊の本が出来上がるくらいだ。

韻律、韻律。先ほど書いたが、日本語はこの点難があるようだ。かつてフランス文学の先達(加藤周一、中村慎一郎、福永武彦、窪田啓作や原條あき子など)らが、『マチネ・ポエテック1948 』を発表、日本語による韻律詩の実験詩を書いたことがあった。また、法律家で詩人の中村稔氏はこの実験を続けている数少ない詩人である。
トーマス・トランストロンメル氏はホラチウスやギリシャのサッフォーに倣って古典的な詩を書いた。

卒然と 旅人の前に立つ かの老いた
巨大な樫、さながら石と化した大鹿
果てしなく拡がる枝角を 九月の海の
暗緑の砦の前に
(『17の詩』1954年)
エイコ・デューク訳『悲しみのゴンドラ』(思潮社 2011年10月刊)P.89より

サッフォー的な韻律と訳者が言及しているが、当然原語に当たらないと分からない(筆者も原語から訳出を試みた)。
同じページからこの『わが回想』の余滴終了に相応しい文章を引用しよう。

中世以来の文学伝統の濃い高校で詩への接触を拡げ、自身試作を始めていた16歳の詩人は、ホラチウスの古典詩にも惹かれ、その韻律で詩を書いたのだった。伝統と新しい創作の独自な連鎖が見える。当時は高校文学にとって、類い稀な良き時代で、各校内誌に英才が輩出、「月桂冠への萌え」としてボニエル出版社がその特集を出していた。この若い詩才はたちまち注目され、詩集によるデビュー以前に非常な評価を得ている。

そして先週ノーベル賞委員会のウェブサイトの動画で2011年12月7日に行われたノーベル文学賞受賞講演を見た。車椅子のトーマス・トランストロンメル氏の表情に“静かな歓喜”に似たものを感得して感激、ピアノにも造詣深い詩人らしいセレモニーだった。
厳かの中にもハーモニーの美しい合唱、男優や女優による張りがあり抑揚の効いた詩の朗読、リストやシューベルトの室内楽演奏そして外国に翻訳された詩を朗読しかもその国の著名人の手で、その響きの多様、それは至上の悦びといったら当たるだろうか。終始穏やかに時折ハンカチを取り出して顔を拭うトーマス・トランストロンメル氏、上品で含羞に富んだモダニストの姿をそこに見た。バンケットスピーチはモニカ夫人、短くもクィーンズイングリッシュのきれいなこと、彼女のスピーチも感動的だった。

2011年ノーベル文学賞受賞講演はこちらのホームページで→http://www.nobelprize.org

追記 トーマス・トランストロンメル氏は2015年3月26日に死去していた。筆者は3ヶ月後にその死をネットで知ったのだ。不覚である。しかも自分のブログで彼の記事がランキングされているのにー。あーあ。ご冥福を祈る。合掌。

追記2 下記はスウェーデ゜ンの新聞『8 Sidor』のトーマス・トランストロンメル氏の死を伝えた記事。

Tomas Tranströmer är död.

Författaren Tomas Tranströmer är död.
Han blev 83 år gammal.
Han har varit sjuk en tid
och på torsdagen dog han.

2011 fick Tomas Tranströmer Nobelpriset.
Han fick priset för sina dikter.
Det är många som tycker om hans dikter.
De har översatts till mer än 60 språk.

Det är bara sju svenska författare
som fått Nobelpriset i litteratur.
Innan Tomas Tranströmer fick priset
var det 37 år sedan
någon från Sverige fick priset.
Då fick författarna Eyvind Johnson
och Harry Martinson
ta emot priset tillsammans.
2015 - 03 - 27

Tomas Tranströmer begravdes

Författaren Tomas Tranströmer
dog för ett tag sedan.
På tisdagen begravdes han
i Storkyrkan i Stockholm.

Tomas Tranströmer är en
av världens mest kända författare.
Han skrev dikter som lästes
i många av världens länder.
Han fick Nobelpriset i Litteratur
år 2011.

Många kända författare
var i Storkyrkan för att
ta farväl av Tomas Tranströmer.

– Han har betytt mycket
för svensk diktning.
Han är vår största diktare
efter Gunnar Ekelöf,
sade författaren Per Wästberg.

2015 - 04 - 29

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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 48 余滴 続

今一万分の一のストックホルムの市内地図を広げてトーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』に出てくる地名などを記し、その足跡を追っている。もちろん戦前と現在では街の風景は変わっているに違いないが(行ったことがないので分からないが、テレビの映像やインターネットの動画で多少知っている程度。近い将来行ってみたいが)、地図上では公共の建物、駅名などはそんなに変化がないはずだが、通り名などは変化しているところもあるはずだ。また、イングマール・ベルイマン映画の『もだえ』は著者の学校がロケに使われた映画で、当時の学校生活の雰囲気を見事に活写しているだけでなく、その当時の学校周辺の建物なども写し出していて大変印象深かった。特にロケで使われた学校は、威厳がある建物、また、高台にあることも映像を通じて判った。

さて、この『わが回想』をページを追いながら実際に地図上を歩いてみよう。最初出てくるのは著者や母方の両親の住所、スウェーデンボリィ33番地、ブレーキンゲ通り、その後の転居先住所、フォルクンガ通り57番地、警察本部のあるクングスホルメン、ストックホルムのど真ん中で消えたところへトルイェット、家に帰る途中の橋ノルブロー 、旧市街ガムラスタンそしてスルッセンからセーデルへ、鉄道博物館のあるイエヴレ、国立歴史博物館通いでは路面電車でロスラグスツルまで、高台にある南ラテン中学校通勤は家からビョルンの庭園、イェート通りやヘーベリィ通りを通って行く、というように該当の地名を一つ一つ蛍光ペンで記しながら追ってみた。著者の行動範囲が判って面白かった。そして印象に残った二ヶ所―ストックホルムのど真ん中で迷って家に帰るところや南ラテン中学校通勤のところ―の距離を大雑把だが試しに測ってみたのだが、結果的には想像していたより長い距離ではなかった。テキストの地名を地図上で当たり、行動範囲を描き、点→線→面に到達していく過程の面白味を味わった。ついでにインターネットでストックホルムの現在の映像を見て、夜のスルッセン辺りを確認したのだ。それにしても周りは大小の島々という多島海である。余談だが、近代的な建物と古い建物が混在しているような街並みの中に緑色に染められた公園が多いことに気づくと同時に、病院も多く存在していることも地図で判った。

あまり裕福ではない友人の家に遊びに行ったときのトイレの話は大変印象的で、なぜかその場面が目に浮かぶくらい。戦前の話なのであり得るし、日本でも形態は違うが大なり小なり同じようなことはあったはずだ。貧富差が激しい時代は当然あり得た。今でこそトイレは衛生的かつ快適な空間、しかもデザインも優れているが、その昔は汲み取り式で田舎では畑に肥やしとして蒔いていたのだ。東京などの都会では役所の汲み取り車(正式な名称があるはずだが忘れた)が来ていたはず。この記事には筆者も驚いた。

悪魔祓いの件は筆者も若い自分に似たような体験したが奇妙なものだ。疲れたときによく出ると言われている“金縛り”の類だろうか。この情景描写も興味津々。

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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 46 余滴

2011年10月始めにノーベル文学賞の発表があったが、日本ではあまり知られていない詩人トーマス・トランストロンメル氏の本をノーベル文学賞発表のあとすぐに都内の洋書店へ駆け込んで予約、1週間くらいでアメリカから届いた。それが『The Great Enigma』。それとインターネットでスウェーデンの版元から直接手に入れたe-bookの原書をゲット。英訳本をたよりにスウェーデン語の原書を参照しながら(スウェーデン語では意外と手間隙かかるのではとの勝手な筆者の思いで)、その本に掲載されている「わが回想」の日本語訳を試みた。それから約3ヶ月かけてようやく1月28日に“私訳”を終えた。大半が朝の通勤電車内で携帯電話のメール機能を使って行った。原書で約40頁、英訳本で約25頁そして日本語“私訳”で約21頁(但しA4判)だ。
回想、博物館、小学校、図書館、中学校、悪魔祓い、ラテン語の小見出しがついて幼少の頃から大学入学直前までの回想が綴られている。著者60才の回想記は筆者のそれとはかけ離れて一言でいえば〈内なる図書館〉の構築の過程であったか。誰でも小学校、中学校それに高校ではその時々の心に残る教師が良いにつけ悪きにつけいるものだ。筆者の例でいえば、高一の生物(著者は生物学や地理学それに中世の歴史が得意だった)の授業で生物担当の教師が、高校自分に出来の悪かった生徒でも後に大成する云々の話を白衣を着ながら語っていたのを昨日ように鮮明に覚えている。今そのことの意味をつらつら考えるに、エネルギーがまだまだ残っているので、それを自分が発見して行けばある程度(運不運はあるが)人生の荒波の中でナビが見つかり、自信をもって理想(自分の夢の実現)の岸に辿れるのではないかという意味だと解釈できた。
この回想を読み解く限りでは、著者は教師の一人息子というま、恵まれた環境(筆者の友人にもいるが)で育っているけれどもまた、早くして離婚の環境にも接していてその家族愛や兄弟姉妹などの揉まれ方が些か違っている。しかも1930〜1940年代の戦前戦中だ。その時代の幼少時の過ごし方―小学校前、小中学校生活―が手に取るように分かるのだ。特に教師の観察や描写が鋭い。思い入れや造形も深いのだ。筆者的にはギリシャ・ラテン語の教師のボッケン先生が魅力的だ。それとおませだったのか著者の博物館や図書館通いも凄い。しかも学校に上がる前にである。博物館では余りに熱心に通ってくるので正規登録させてもらったり学者と議論したりしている。相当おませである。また、図書館では大人の本を借り出そうとして司書に断られ、叔父が一計を案じて借り出しに成功する。悪ふざけもあるのだ。全てはかわいい少年の好奇心を満たしてあげたいばかりの大人の配慮なのだった。

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ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 45 最終回

私の彼に対するイメージが13世紀の人生を扱った中世ラテン語の授業のあと更に悪くなった。曇天の日だった。ボッケンは身体の調子が悪く怒りが爆発寸前だった。突然彼は質問を浴びせた。「エリック・ザ・レイム・リスパー」とは誰か?テキストでエリックを調べた。私が彼はグレン・シェッピング(註。元々は小さな街。風刺週刊紙、グレンシェッピングス ヴェッコブラッドによれば、街はエリック・ザ・レイム リスパーとして知られているが、エリック エリックソン王(1216-1250)が創設した)の創始者ですと答えた。これは重苦しい雰囲気を明るくするための私の発した咄嗟の行動だった。しかしボッケンの怒りはその時だけでは収まらず、学期末でさえまでも続いて、ついに「警告」を私に言い渡したのだった。これは簡単な家庭への伝言だった。生徒がラテン語の授業のようなケースで科目をさぼったことに対して使われたのだが。私の作文の点数はすべて高かったので、この「警告」はラテン語の実績というよりはむしろ人生になった。
最終学年で私たちの関係は良くなった。試験があったときには全く本物になった。
その時あたりから二つのホラチウスのスタンザ形式、サッフォー的詩風それにアルカイオス的な詩を自分の作品に反映する術を発見したのだ。大学入学後の夏私はサッフォー的なスタンザでニ編の詩を書いた。一つは「ソローへのオード」、後に簡潔にして「ソローへの五つのスタンザ」となり、更に青春の部分が消されて行った。もう一つは「秋の群島」を順々にした「嵐」だ。しかしボッケンがこれらの詩を本当に知っていたかは知らない。古典的な韻律、それをどういう風に使うようになったか?
それは単にひょっこり現れただけだった。というのは、私はホラチウスの詩を現代的と見ていたのだ。彼はルネ・シャール、オスカー・レルケ、アイナー・マルムのようだ。その考えは大変ナイーブだが洗練されるようになった。


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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 44

ボッケンは慢性的な関節炎を患っていて強く足を引きずっていた。早く動くのがやっとだった。彼は自分の鞄を机の上に投げ出していつもドラマチックに教室に入って来た。数秒後私たちは機嫌が良いか悪いかはっきりと判った。天気の状態が彼の気分に影響するからだった。ある冷たい日に彼の授業は全く快活そのものだった。低気圧に覆われていて雲が多いときには彼の授業は抑えがたい怒りの爆発で中断され、鈍くイライラした雰囲気の中でのろのろと授業が進められた。 彼は他のラテン語の先生と同じだと想像することすらできなかった。事実学校の先生より他に想像することは難しいと言われていたはずだ。最終学年の前年のコースで現代詩の自分の作品を製作中だった。私が古い詩を引用したと同時にまたラテン語の授業が戦争、元老院や執事官の歴史ものからカトウルスやホラチウスの詩に進んだときには、私はボッケンの支配する詩的世界に喜んで入ったのだ。
詩をこつこつ学ぶことは勉強になった。こんなふうに。生徒がまず多分ホラチウスからのスタンザを朗読しなければならなかったはずだ。

Aequam memento rebus in arduis
servare mentem, non secus in bonis
ab insolenti temperatam laetitia, morituri Delli

ボッケンが叫んだ。「訳しなさい!」そして生徒が強制された。
一つの気持ちでさえ…あー… 思い出して下さい、一つの気持ちに…いや、… 気難しい気持ちを持ち続けることが、そしてダメなら…あー…そしてこの、気持ちのいい…あー…極端な…あー…溢れている喜び、いつかは死ななきゃならないデリウス

現在古代ローマ時代のテキストは本当に地に落ちた。しかし次のスタンザのときにホラチウスがラテン語で詩の奇跡的な正確さを携えて戻って来たのだ。一方でつまらないものや老朽化したもの、他方で楽天的なことや崇高さを選択することで私はたくさん教えられた。それは詩と人生のことを扱っていた。詩の形式をおさえることで次のレベルまで引き上げてくれた。芋虫の足が消えて翼が広がったのだ。人は希望を失うべきではないのだ。
悲しいかな、ボッケンは私がいかに古典のスタンザから学んだか全く知らなかった。彼には私が1948年秋の学校誌に掲載された1940年代的な詩を書いている生徒にしか理解していなかったのだ。彼が私の詩の出来を見ると、大文字や句読点のマークを一貫して避けたことに関して彼は憤慨の反応を示した。私は粗野の進んだ兆候の一つだと判った。このような人はホラチウスの詩にも動じないに違いない。

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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 43

ラテン語

1946年の秋私は高等学校のラテン語コースに入学した。新しい先生の登場だ。モッレ、サターン、スレマン(スレ=さえない)に替わってフャーラル、フィード、リッラン、モステル(おばちゃん)やボッケン(山羊)のような人物だ。最後の名前が一番重要だった。彼は担任で私たちの個性が潰されたと思いたいほど私に影響を与えた。
私の先生になる数年前、私たちは劇的な接触の瞬間があった。ある日私は遅れて学校の廊下を走っていた。もう一人の少年が私と反対方向で突進して来た。似たようなクラスにいたGで雄牛としてよく知られていた。衝突を全く避けようとしなかったので向き合って急に止まった。この急なブレーキで勢いあまる攻撃を封じ込められたが私たちは廊下にぽつんと置き去りにされた。Gは右手の拳を出して私の上腹部をなぐった。私は目の前が真っ暗になり床に倒れた。19世紀の小説の中における独身女性のように唸った。Gが消えた。暗さが晴れてくるにつれて私は曲がっている一本の指にチカチカした星印があるのに気がついた。やつれて喚き、「どうした?どうしたんだ?」と絶望したかのように繰り返し声を出し続けた。そのとき私はピンク色の顔と白チョーク色のとても身綺麗な顎髭を見たのだ。顔の表情は心配している様子だった。
その声や顔からラテン語やギリシャ語を教えているペール・ヴェンストルム、別名ペッレ・ヴェンステル(左の意)、別名ボッケンだったと判った。彼は私が床にどっしりと倒れている理由について何も質問しなかった。彼は私が助けを借りずに歩けるのを見て満足そうだった。ボッケンが心配して現れ、手助けをしようとしたので、私は彼が良い人だという印象を持った。その印象は後々まで続き、私たちが心配事があるときでもそうしてくれたた。
ボッケンはかっこよく本当に芝居じみていた。彼は普段は白い顎髭を生やし、つばの広い帽子を被り、短いコートを着ていた。冬の外での最低の着飾りだ。ドラキュラの格好だとはっきりわかるのだが。ちょっと離れて見れば彼は優秀で着飾っていたが近寄って見れば彼の顔は無力そのものだった。
彼の特徴の半ば歌うような抑揚はゴットランド仕込みだった。

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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 42

当時私はすべての宗教に対して無神論者だった。確かに私は一度も祈らなかった。数年後に危機がやってきたなら、ある黙示として経験できたはずだ。私に起きたこと、それは釈迦の4人の邂逅者(老人、病人、死人そして物乞う僧)みたいだ。私は無意識に侵入した変人や病人に対して多少哀れみの感情や怖れない感情をどうにか持ったはずだ。しかしその時に戻って恐怖にとりつかれていたならば、宗教色に染まった解釈は私には役立たなかったのだ。祈らなくも音楽で悪魔祓いをしようと思えばできた。私は熱心にピアノを叩き始めた。
そうしてずっと成長してきた。秋季学期の始めに私はクラスで一番背が低かったが、終わりには一番背が高くなっていた。私の中に棲みついた恐怖は植物が急に成長するのを手助けする化学肥料的な役割を果たしたのだ。
冬が終わりかけ日が長くなった。今奇跡的に私自身の中の暗闇が引いた。少しずつだが事は起こったが何が起こっていたのかよく理解するには時間がかかった。ある春の夕方、私の恐怖は今端なものだと解ったのだ。私は深く考えたり煙草を吹かしたりしながら友達と座った。蒼白い春の夜に歩いて帰宅するときだった。家に待っている恐怖に私は怯えなかった。私が加担してしまったもの、おそらくは私の一番大事な経験だろう。でも終わった。地獄だったが煉獄だったと思った。

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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 41

私は最近生きることの喜びをなくした10代の若者たちについて読んだ。エイズが世界を支配するという考えに彼らがとりつかれるようになったからだ。彼らは私を理解したはずだ。
危機が始まった晩秋の夕方私が患った金縛りを母が目撃していた。しかし母は外部者に過ぎなかっただろう。誰もが締め出されるに違いなかった。先行不明は議論するにはあまりにも恐ろし過ぎた。私は幽霊に囲まれていたのだ。私自身が幽霊だったのだ。毎朝歩いて学校に行く幽霊が自分の秘密を暴かず授業中ずっと座っていた。学校は一息つく空間になっていて、私の恐怖はそこでは同じではなかった。幽霊が出没した私の私生活、すべてが混乱していたのだ。

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超人の面白読書 90 ノーベル文学賞受賞者スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 40

しかし私の怖さは増大し夜明けまでまとわりついていた。夜中支配した感情は恐ろしい人フリッツ・ラングのようだった。『マビュース博士の遺言』のはじめのシーンで機械や部屋が揺れ動いている間誰かが隠れている工場のシーン。夜はさらに静けさを増していたが、すぐにこんな状態にいると解った。
自分の存在で一番重要な要素が病気だった。世界は広い病院だった。人間が肉体や精神の中で変形されるのを私はじかに見たのだ。灯りが燃えて恐ろしい顔を掴み返そうとするが、時々うとうとして瞼を閉じてしまうと、突然に恐ろしい顔が私に近づいて来たのだ。
すべて沈黙のまま起こったが、沈黙の声が際限なく騒がしかった。壁紙の原型が顔に変身。時々沈黙が壁のちくちく鳴る音で破られた。何で生み出されたか?誰が?私が?私の病的な考えがそうさせたから壁が崩れたのだ。さらに悪いことには…。私が狂っていたのか?ほとんど。
私は狂気に引き込まれるのを恐れたが、一般的には病気を怖く感じなかった。心気症のケースはめったになかった。が、病気の絶対的な力で恐怖を引き起こしたのだ。映画のシーンのように、つまらないアパートのインテリアが絶えず人物に変身する場所や単調な音楽が聞こえるときなどに、私は全く違った外の世界を経験した。病気にうなされ目覚めたからだが。数年前には私は探検家になりたかった。今私はなりたくなかった未知の世界への道を推し進めてしまった。私は悪魔の力を見つけてしまったのだ。むしろ悪魔の力が私を見つけたと言った方が正確かも知れない。

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