北欧映画

超人の面白北欧映画 雑誌『ニューヨーカー』に載ったイングマール・ベルイマン生誕100周年に因んでロングランで上映するという記事

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たまたま雑誌『ニューヨーカー』の電子版を覗いていたら思わぬ記事に出くわし、そうか、ベルイマンが生まれて100年かと思いを新たにした。難解で知られている彼の作品を完全制覇したいと考えている筆者だが、仕事もあるのでまだ実現していない。確か去年の2月にスカパーでベルイマン映画特集をしていたはず。今度は海の向こうのニューヨークで上映会か、行ってみたい気もするが時間がないし遠い……。
下記は『ニューヨーカー』2018年2月7日号に掲載された記事(執筆者は映画評論家のアンソニー・レイン氏)の一部を試訳。

イングマール・ベルイマンの不滅の世界

今年はイングマール・ベルイマン生誕100周年で敬意を払うに熱心なニューヨーカーのために、今旅が始まる。木曜日の『第七の封印』を皮切りに5週間以上にわたってフイルムフォーラムが47作品を上映するのだ。ベルイマンの最大の魅力的な特徴の一つ、それは彼の映画が難解で危険を孕んでいることはつとに有名だが、彼がほとんど手に負えないほど映画にたくさん吐露されたことである。彼はほかに公開されないことを知っていた。映画について夢を見、引き出し、考え込み、精査しそして苦悩した。その結果、ほとんどはスリラーとワルツの優雅さを掴んだ。中間的なものができると思い起こさせようとするなら、あるいは、見破られるのを待ちながらセルロイドの平らな皮膚の下に潜む深淵を考えるなら、ベルイマンこそ最高の人だ。
回顧的なものが好きな人にとって少なからぬ喜びが繋がるチャンスになる。例えば、1955年の作品『女たちの夢』の軽やかなヒロイン役のハリエット・アンディション(筆者注:1932年1月14日生まれだから今年86歳)が老年の放蕩者の家で立ち並ぶレコード盤を探し、抜き出して、“サラバンド“や“バッハ”(もっとも彼女は“バッチ”と発音しているが)と言いながら大声でラベルを読む。すぐに私たちの気持ちは、内面を更に掘り下げた作品、“叫びとささやき”へと向かう。バッハのチェロ無伴奏組曲5番からの律動があって、悲しげなサラバンドが和解のシーンの間中聴こえてくる。シンプルなタイトルの2003年スウェーデン放送用に制作されたベルイマンの最後の仕事の時にもそのままもう一度聴こえてくる。いずれのケースもベルイマンの映画には不可欠のもう一人の女優、リブ・ウルマンが音楽の奏でるようにスクリーン上に現れる。もっとリンクしたい?“叫びとささやき”の作品ではガンで亡くなる女性の役割をハリエット・アンディションが演じている。これらすべての映画は、何十年と離れていても相互に同じ軌道を通過する。観ているのが多ければ多いほど引力が大きくなるのだ。

冒頭の写真はハリエット・アンディション。1953年作の『不良少女モニカ』(英語名: Summer with Monika.
原題(瑞語):Sommaren med Monika)からの一場面、と書かれている。何ともいえない少しセクシーな健康美。自由で解放的なアプレゲール的雰囲気がプンプン。

『ニューヨーカー』2017年2月7日号の原文を読むはこちら→https://www.newyorker.com/culture/culture-desk/the-immortal-world-of-ingmar-bergman

関連サイトを見るはこちら→http://www.ingmarbergman.se/en/event/bergman-100-years
スウェーデン美術館で開催。そのタイトルは「真実と嘘」。こちらも訪ねてみたい…。

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超人の面白北欧映画 ノルウェー映画『ヒットラーに屈しなかった国王』続々

藤原帰一氏は前述の毎日新聞のコラムで書いている。
「国王がドイツを拒む姿には感動があります。国民に責任を負う者が国民を見捨てることはあってはならない。ホーコン7世は、君主のエゴや国家の大義ではなく、ノルウェーの立憲君主制という制度と、国民への責任からドイツの要請を拒みました。
これが、ノルウェー国民が忘れてならない過去なのでしょう。ひねりや工夫のない、直球だけで投げたような映画ですが、それだけに印象が強い。小国の意地と誇りを感じました」
また、映画監督の井筒和幸氏は、自身のコラムで(『週刊現代』の井筒和幸の映画監督ムービーメーカー)次のような監督らしいユニークな映画評を書いている。
「ハリウッド製では味わえない深刻な緊迫感で見せていく作り手たちの手腕にも、そして、すべての俳優らの即興演技にも脱帽だよ。ガキのじゃれ会い映画しか作れなくなった邦画界。自然さがまったくない、セリフセリフした言い回ししか出来ない今の俳優モドキは、これを観て、一から勉強し直したらどうだと思ったよ。中略。『私はノルウェーで唯一、国民に選ばれた国王』とキングが自負してきた国。だから今も世界幸福度も民主主義も第1位なのか。戦前、キングではなく、エンペラー(皇帝)がいた某国の今の有り様も改めて考えさせられたよ。年の瀬に良い映画を観た」

「昭和天皇は国民と共に歩んだ。映像に映ったホーコン7世の決断は昭和天皇の言葉と重なった。生涯2度自分の意思で決めたことがある。2.26事件とポツダム宣言だ」(皇室ジャーナリスト・神田秀一 映画 『ヒトラーに屈しなかった国王』のチラシから)

雪のなか、老人が子どもとかくれんぼをして遊んでいる、一見のどかで静的な映画のスタートシーンと村人と共に雪の原野を命がけで逃げる国王の緊張感漂う動的なラストシーンの対比も見もの。

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【https://www.filmweb.no/film/からの画像】

この映画についてノルウェーのネットを見るはこちら→
https://www.filmweb.no/film/article953091.ece

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超人の面白北欧映画 ノルウェー映画『ヒトラーに屈しなかった国王』 続

国民投票で選ばれた最初の国王が語った言葉は、民主主義の基本で重い。

“この国の行く末は密談によって決まるものではない。国民の総意で決まるのだ”

“降伏に屈したならば私は国王を辞し王室を解散する”

1940年4月9日、ナチス・ドイツ軍がノルウェーの首都オスロに侵攻(一言でいうと、大義はナチスドイツがスウェーデンの鉄鉱石を手に入れたいため、諸事情により海上輸送ルートとしてノルウェー沿岸を使用可能な状態にしたかった)。ドイツ軍の攻撃に交戦するノルウェー軍だったが、圧倒的な軍事力によって、主要な都市は相次いで占領される。降伏を求めてくるドイツ軍に対しノルウェー政府はそれを拒否し、ノルウェー国王のホーコン7世は、家族、政府閣僚とともにオスロを離れて郊外のハーマルに逃れる。一方、ヒトラーの命を受けたドイツ公使は、ノルウェー政府に国王との謁見の場を設けるように、最後通告をつきつける。翌日、ドイツ公使と対峙した国王は、ナチスに従うか、国を離れて抵抗を続けるか、家族のため、国民ため、国の運命を左右する究極の選択を迫られる━。
この映画のエピローグ。ノルウェー国王7世がナチスに屈しない決断を下したあと、ノルウェーはナチスドイツに協力するヴィドクン・クヴィスリング政権になり、事実上ドイツの支配下に。国王の家族はアメリカに、自身はイギリスに亡命、後に連合軍が勝利しノルウェーは解放され、国王はノルウェーに戻り1957年に死去。一方、ドイツ公使はその後ロシアに赴任、敗戦後流刑された。最後にこの映画は事実に基づいたフィクションであるとの断り書きで字幕が終了、続いて関係者の名前がずらっとリストアップされて映画は終わる。

上映時間136分。出演: イェスパー・クリステンセン、アンドレス・バースモ・クリスティアンセン、カールマルコヴィクスほか。監督: エリック・ポッぺ 。 製作: ピーター・ガーデン[メランコリア] 2016年ノルウェー。言語: ノルウェー語、ドイツ語、デンマーク語、スウェーデン語。字幕翻訳: 佐藤南 。原題: KONGENS NEI /英: The King's Choice
(一部はこの映画のチラシから抜粋)

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【上映館: ジャック アンド べティ 撮影時刻: 18時30分】


世界の王室で最も開かれた王室(買物など護衛なしで市民が通うごく普通の市場にも行っているなど)であるノルウェー王室は、ホーコン7世が死去したあと子息のオーラヴ5世が継ぎ、今は平民出身のソニアさんと結婚した(1968年8月。結婚にあたっては日本の皇室を参考したと伝えられている)ハーラル5世が国王である。その子息ホーコン王太子が子持ちのシングルマザーと結婚し、世界中を驚かせ話題を振りまいたことは記憶に新しい。
【超簡単なノルウェー王国年表】
ノルウェー王国(872ー1319)
スウェーデン・ノルウェー連合(1319ー1380)
デンマーク・ノルウェー連合(1380ー1814)
スウェーデン・ノルウェー連合(1814ー1905)
ノルウェー王国(1905ー現在)


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超人の面白北欧映画 ノルウェー映画『ヒトラーに屈しなかった国王』

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久し振りに北欧映画を観た。今回はノルウェー映画だ。毎日新聞の日曜版「藤原帰一の映画愛」(2017年12月17日)で紹介された『ヒトラーに屈しなかった国王』を観に出かけた(藤原帰一氏といえば、もう4、5ヶ月前になるか偶然にも帰りの通勤電車で隣席に居合わせたことがあった。先生は原稿を執筆中だったのか長い時間スマホで文字を打っていた。【筆者注】。今度はテレビで拝見。2018年1月12日朝7時台のBS1NHK国際ニュース関係の番組にゲスト出演していた。たまたまチャンネルを捻って。滞留時間はわずか1分位!)。3連休の初日、スウェーデン家具の『IKEA』で買物とスウェーデン家庭料理の定番ミートボールなどを含め軽い食事を済ましたあと、横浜の阪東橋近辺で古本屋2、3軒を見て回り、簡単早分かりの全国鉄道会社関係の文庫本と矢崎泰久氏が書いた雑誌『話の特集』の顛末記なる本をゲット。まだ上映開始までには時間があったので、手作り焙煎のカフェ『まめや』やサンマー麺で有名な『玉泉亭』に寄ったあと映画観賞となった。何せ夜の8時55分の始まりなので、『IKEA』を出てから約4時間もあったのだ。おかげで伊勢佐木町~黄金町にかけてのディープなエリアをあぶない、アブナイと言い聞かせながら徘徊させてもらった。

ノルウェー映画『ヒトラーに屈しなかった国王』は、第二次世界大戦中の1940年4月9日~11日のたった3日間の出来事を描いているが、実はこのたったの3日間が北欧の小国、ノルウェー王国が歴史上かつてなかったほどの大国難に見舞われ、国家の存続の危機に大きく揺れた、とんでもない3日間だったのだ。ノルウェーがヒトラー政権のドイツに占領されるかの瀬戸際外交が、国王とそのファミリーそれに時の政権の首相など上層部たちとヒトラー政権下の公使間でなされたが、そのタフなネゴシエイターたちの様子をリアリステックに描き出したドキュメンタリー風の映画だ。迫り来る決断の日々を追う人間ドラマは感動的だ。ドイツとの激しい戦いも痛々しい。大国の部隊と若者も巻き込まざるを得なかった小部隊との戦いでもあったのだ。
今朝のテレビの報道番組ではドイツやインドで台頭するヒトラー讚美の政党や若者の姿を映し出していたが、排除や分断や自分ファーストが更に表面に噴出した感じを強く持った。不寛容さと狭い了見が横行しているのだ。それがエスカレートすると、まさしくかつて私たちが辿った戦争への道に繋がりかねない危険な道だ。そこでは酷い殺戮やホロコーストが起こった。戦後はその反省のもと、今日の平和維持が世界規模で成立して来たはずなのに、特にここ15、6年前頃からかその空気感が変わり始めていて、日本も例外ではなく、平和憲法すら維持できなくなりつつあり、懸念される社会状況が現出している。その文脈からいえば、この映画の主人公ノルウェー国王ホーコン7世が苦渋の末下した決断は、歴史に学ぶ最良の教訓ではないだろうか。歴史は繰り返すというが、繰り返してならない歴史を創ることを私たちはもっと学ばなければならない。この映画はそのことを強く訴えているように思える。特に印象に残った言葉は国王の下記の言葉だ。(続く)

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超人の面白映画鑑賞 デンマーク映画 ラース・フォン・トリアー監督『メランコリア』

映画『二ンフォマニアックⅠⅡ』を観た翌日偶然にもスカパーで同じラース・フォン・トリアー監督の前作『メランコリア』を観賞。この映画は3年前の作品で、『二ンフォマニアック』とは対照的にセックス描写が一度ぐらいしかなく、全体的なトーンは憂いに満ちて暗いが饒舌。“メランコリア”という惑星に囚われたイカれたコピーライターの妹(キレティン・ダンスト)と生真面目な姉(シャーロット・ゲンスブール)、その姉の夫(キーファー・サザーランド)や息子(キャメロン・スパー)を取り巻く奇妙な人間ドラマ。2部構成で舞台は姉夫婦が経営する由緒ある高級ゴルフ場。結婚式場のゴルフクラブハウスに大分遅刻してやってきた妹がさらに式をぶち壊すイカレた行動を取ったことに、式次第全般を取り仕切る姉が怒りを露わにする。反社会的な母親キャビー(シャーロット・ランプリング)と冗談好きの父親デクスター(ジョン・ハート)、過大評価する新郎マイケル(アレキサンダー・スカルスガルド)、金儲けしか頭にない会社の上司(ステラン・スカルスガルド)と少しおっちょこちょいの上司の甥の新人君ティム(ブラッディ・ユーベット)等々親戚縁者が集う結婚式の披露宴ではよくみえる世間―。そんな宴の中で何度も取り乱す妹に姉が、やがて精神的な病(鬱状態)だと気づき理解しようと努める。
後半は姉夫婦が生活を営む由緒あるゴルフ場が舞台で、妹が訪ねてくるところからストーリーが展開する。今度は前半とは対照的に姉がおかしくなり、妹がシャーマン的な役割を果たしてゆく。天文好きで科学的な姉の夫と叔母の妹を愛してやまない息子ー。“メランコリア”という惑星にとりつかれ地球と接近するとき爆発すると信じ、その実現性に恐れ戦く家族。やがて夫は馬小屋で自殺し、残された姉と息子それに妹の3人が爆発を避けるメイポールのようなシェルターを建てて入る。そのとき“メランコリア”という惑星が爆発したかのように周りが急に明るくなる。この世の終末を思わせるシーンだ。ストーリーの中身や展開についていけないところもあったが、映像がいい、音楽も効果抜群。

【キャスティング】
ジャスティン(コピーライター): キレティン・ダンスト
クレア(ジャスティンの姉): シャルロット・ゲンスブール
マイケル(ジャスティンの夫): アレキサンダー・スカルスガルド
ティム(ジャスティンの会社の若手社員): ブラッディ・ユーベッド
レオ(クレアの息子): キャメロン・スパー
キャビー(ジャスティンの母親): シャーロット・ランプリング
デクスター(ジャスティンの父親 ) : ジョン・ハート
ジャスティンの上司 : ステラン・スカルスガルド
クレアの夫 : キーファー・サザーランド

上映時間135分。

最後のシーンはハッピーエンドを思わせるものだと監督が仄めかせたとか。

追記 デンマーク映画のラース•フォン•トリアー監督の記事を読みたい方は、こちらも参考になるかも。
筆者のコラムのカテゴリー「北欧映画」をクリックして「より以前の記事一覧」から「超人のジャーナリスト•アイ 81 『デンマーク映画特集』2008年5月31日」をさらにクリックして見てください。

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超人の面白映画鑑賞 デンマーク映画 ラース・フォン・トリアー監督『ニンフォマニアックⅠⅡ』

デンマークのテレビドラマ『キングダムⅠⅡ』をWOWOWで観たのは今から16、7年前、それともそれ以前 ? サスペンスドラマで、いつの間にかストリーに引き込まれてしまう妙なスリリングがあった。舞台は王立病院。医師を取り巻く人間ドラマだが、病院内で次々と起こる奇妙な出来事に恐ろしさも加わり、犯人捜しについ拍車がかかった。また、このドラマのもう一つの見どころは、2人の知的障害者の少女が病院内の軒下で出来事の展開を予測するあたり。続編を期待していた筆者だったが、医師役の俳優が死去したことで続編は中止になっていた。
今回新宿武蔵野館で観た映画『ニンフォマニアックⅠ Ⅱ』の監督が、このテレビドラマ『キングダムⅠ Ⅱ』のラース・フォン・トリアーだった!
『ニンフォマニアック Ⅰ Ⅱ』のテーマは女性のセクシュアリティー。ストーリーは“ニンフォマニアック(色情狂)”なジョーという女性の半生を描いたものだが、過激なセックス描写があるものの映像や演技は新鮮かつ重層的。そして過激でショッキング。
映画は2部8章の構成。第1部 1.コンプレートアングラー 2.ジェローム 3.ミセスH 4.せん妄 5.リトル•オルガン•スクール 第2部 1.東方と西方の教会 2.鏡 3.銃、とそれぞれにタイトルが付けられ、ストーリー展開を示唆する。
とある路地裏で殴打され血まみれになって倒れている女性ジョー(シャーロット・ゲンスブール)を通りがかった初老の男性セリグマン(ステラン・スカルスガルド)が助け自分の家に連れ込み、そして彼女の生い立ちを尋ねる。ストーリーは知的でハンサムな初老の男性の質問に女性が答える形式で回想を織り交ぜながら展開する。幼少期の性的な目覚めと物まね的行為、前が5と後が3のセックス(こういうゲームがあるのかが不思議だが)に明け暮れる10代、結婚しても止まらないセックス依存症的でアブノーマルな行為による男性遍歴、離婚、不感症、自己愛と孤独の愛憎連鎖、ついには裏社会まで踏み込み、そこでひょんなことで再会する羽目になった元夫ジェローム(シャイア・ラブーフ)におもっきり仕返され血まみれになる。回想はここで終わり、男性は半生をすべて語った彼女にゆっくりお休みと告げて自分の部屋に戻る。ここで終了かと思いきや、彼は下半身裸で戻り彼女に迫る。これは一体? 観客の常識を裏切った斬新さ。笑っちゃいマンねん。滑稽、コケコッコウである。彼は彼女のエロス的話に魅惑され欲望を剥き出しにされたということかー。しかし、すべてをさらけ出した彼女はそれを拒んだ。ここで映画は終わる。
驚いたことが一つ。第2部でセリグマンがバッハの「ポリフォニー」を説明していたが、筆者はこの言葉を文学用語(複数の独立したパートからなる文学、とりわけ小説の類)として拙い書きものの冒頭に使った。まさかこの映画に出て来るとは。また、推理小説・ホラー小説の先駆的作家のエドガー・アラン・ポーを登場させ、ヌードと重ね合わせた映像美を作り出している。その他セリグマンに語らせる文学(監督好みの?)などややもすると低俗に落ち入りやすい映画(日本でいえば、かつての日活ロマンポルノ映画など)を文学や音楽を導入することで質的転換を図り、特異な映像美を作り出した。高級なポーノグラフィーを観た感じだろうか。

【キャスティング】
ジョー : シャルロット•ゲンスブール
セリグマン : ステラン•スカルスガルド
若いジョー : ステンシー•マーテイン
ジェローム•チリス : シャイア•ラブーフ
ジョ-の父 : クリスチャン•スレター
ミセスH : ユマ•サーマン

上映時間『ニンフォマニアック Ⅰ』 117分 『ニンフォマニアック Ⅱ』 123分。

【写真左下 : この映画のチラシより】

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超人の面白映画観賞 スウェーデン映画『シンプル・シモン』

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アスペルガー症候群は自閉症の一種で興味・意志疎通に特異性がみられる広汎性障害。普通の自閉症とは違って行動にこだわりなどはみられるものの、知的障害や言語障害はないし、IQが高いといわれている。
そんな障害者が主人公のスウェーデン映画を渋谷のユーロスペースで観た。映画の邦訳名は『シンプル・シモン』だが、原題は『I rymden finns inga kanslor』で和訳すれば、宇宙には感情がないという意味だ。
アスペルガー症候群を表明している主人公シモンが大好きな兄サムと日々の葛藤をコメディータッチで描いた映画。
あらすじはこうだ。こだわりを持つ物理とSF好きのシモンは“ロケット”というブリキ缶に閉じこもったまま、母親の必死の呼びかけにも応じない。兄サムが2人にだけ通じる不思議な交信言語で発信すると弟シモンが反応する。兄サムはそんな弟シモンを面倒みれるのは自分しかいないと恋人を含め3人で暮らし始めるが、兄サムの恋人はこだわりが激しすぎる(ある意味では非常識に映って)弟シモンの行動について行けず兄サムと別れてしまう。やがて落ち込んでいる兄サムのために新しい恋人探しにシモンが自ら一役買って奔走するが、兄に自分のルールで折角選んだ女性を気に入ってもらえず、今度は兄のアドバイスに従って性格が正反対の女性イァニファーを探し当て(仕事に行く通勤バスの運転手が有名なフランスのシェフの言葉を持ち出しながら、愛はソースと同じく時間がかるものだと言ったこともしかと聞き入れて)兄が好きになれば弟の自分も好きになるはずと探し当てた女性イェニファーに自分の仕事の様子を見てもらったり彼女の家に呼ばれて遊興する。そこでシモンは強がりで天真爛漫な彼女の意外な一面を見る。そうとは知らず兄サムは何時になっても帰宅しない弟シモンを必死に探し回る。そして、遅く帰宅した弟に対して兄が感情をむき出しにして怒りをぶつける…。その後シモンが仕事仲間に協力してもらい兄のデートを大々的に演出し実行に移す。一生懸命努力したにもかかわらず、兄は乗り気ではなくその表情を見て彼女が一足先に帰ってしまう。そのことで落ち込んでしまったシモンは、また、例の“ロケット”に閉じこもってしまう。兄が再び交信言語を弟に発信、彼女はきっと現れると…。そうこうしているうちに彼女が家に入ってきて例の“ロケット”の“ハッチ“を開けシモンの手に触れる。触れられることに今まで嫌悪感を示していたシモンにある種の感情の変化が現れる。彼女がシモンに恋愛感情を抱きシモン自身を変えてしまったのだ。ハートフルなこのストーリーはここで終わる。感情を持たない人がポップミュージックやいろんな人と触れあうことで頑なに閉ざしていた心の世界を外へ向かって開く。この映画はそういうことを深刻ぶらずにコメディタッチで描いているのが味噌。
アスペルガー症候群も自閉症の一種だが、自閉症を持つ家庭の人々はこの映画に共感し励まされるはず。また、この映画はさらに他人との触れ合いが苦手でこだわりを持つ障害者にもっと理解をとのメッセージも込められているはずだ。日本の映画にもこういった深刻だがユーモラスに描いた映画作品があってもいい。監督は新鋭アンドレアス•エーマン監督。俳優たちの演技も新鮮、難しい役柄をこなしていた。スウェーデンの色彩豊かな風景も魅力の一つ、またポップなミュージックも聴けて面白かった。泣き笑いしてしまうほどユーモアもあり深刻さもちょっぴりあって好感度一杯の映画。新しい世代の人たちの登場だ。
2011年アカデミー賞 外国語映画スウェーデン代表作品。2010年製作。上映時間86分。
午前11時35分の上映でチケットには68の番号が振られていた。これは入場者数を表しているはず、上映前にさっと観客を数えたら80人あまりだった。やはり女性が多かったが。映画終了後にドアから出たら次の午後1時35分上映の観客がすでに待っていた。午前の上映より観客数は多いようだ。
この映画でもそうだが、日常生活では障害者も悪戦苦闘、親・関係者も悪戦苦闘の連続なのだ。

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超人の面白映画鑑賞 リヴ&イングマール ある愛の風景

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渋谷のユーロスペースで『リヴ&イングマール ある愛の風景』を観た。ノルウェー出身の女優りヴ・ウルマンとスウェーデン映画監督の巨匠イングマール・ベルイマンとの個人的な関係を描いたドキュメンタリー映画。
リブ・ウルマンがベルイマンと愛憎劇を繰り広げたスウェーデン・フォール島のベルイマンの自宅でのインタビューそれにベルイマンが彼女に宛てた手紙などから構成されたドキュメンタリー映画で、『仮面 ペルソナ』、『狼の時刻』(劇場未公開作品)、『恥』(劇場未公開作品)、『沈黙の島』(劇場未公開作品)、『叫びとささやき』、『ある結婚の風景』、『秋のソナタ』や『サラバンド』の作品を挿入しながら、監督と女優の関係からパートナーへ、また、愛憎劇の後友人となり、2007年7月のベルイマンの死に際してはいち早く駆けつけて看取った一人として、彼女のベルイマンに対する思いのたけを語りつくしたラブストリー。ここには人間ドラマの究極な姿、尊敬と理解の入り混じった人間の“痛いほどの絆”painful connectionがあった―。有体に言えば、リブ・ウルマンは強い女だったということか。
そう言えば、イプセンの戯曲『人形の家』でノラが家から出で行く最後の有名なシーンも登場(りヴ・ウルマンが演じた舞台のシーン)し、リブ・ウルマンは自分の個人的な体験も踏まえてこのことに言及していた―。

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超人の面白映画鑑賞 イングマール・ベルイマンの初期作品『野いちご』と『処女の泉』余滴

ベルイマン監督の映画『処女の泉』の原作、中世スウェーデン南部のバラード“Per Tyrssons 's daughters in Vänge“の歌詞は次のようだ。

Pehr Tyrssons's daughters in Vänge
The forest was so cold
They slept a sleep too long
While the forest came into leaf
They youngest one woke up first
The forest ...
And so she woke up the others
While the forest...
Then they sat up on their beds.
So they braided each other's locks.
So they put on their silken clothes.
So they went to church.
But when they came to the Vänge hill.
They met three highwaymen
" You either be highwaymen's wives,
Or would you lose your lives?"
"We do not wish to be highwaymen's wives,
We'd rather lose our young lives."
They cut their heads off on a log of birch.
There soon three wells sprung up.
The bodies buried in the mud.
The clothes taken to the village.
When they came to Vänge farm,
Lady Karin met them in the yard
"And would you buy silken shifts,
By nine maidens knitted and stiched?"
"Untie your sacks and let me see,
Perhaps I know all three."
Lady Kalin beat her chest in pain.
And went to find Pehr Tyrsson.
"There are three highwaymen in the yard,
Who have our daughters slain."
Pehr Tyrsson grasped his sword.
He slew the eldest two.
The third he left alive.
And then he asked him thus:
"What is your father's name?
What is your mother's name?"
Our father is Pehr Tyrsson in Vänge,
Our mother is Lady Kalin in Stänge."
Pehr Tyrsson then went to the smithy,
And had iron crafted'round his waist.
"what shall we do for sins?"
"we shall build a church of lime and stone.
That church will be named Kerna.
And we will willingly build it.

from " Töres döttrar i Wänge"("Töre's daughters in Vänge" ) or "Pehr Tyrssons döttrar i Vänge"("Per Tyrsson's daughters in Vänge") is a medieval Swedish ballad on which Ingmar Bergman's The Virgin Spring is based. Wikipedia.


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超人の面白映画鑑賞 イングマール・ベルイマンの初期作品『野いちご』と『処女の泉』

渋谷の映画館「ユーロスペース」で始まったイングマール・ベルイマン映画のデジタルリマスター版での上映第二弾。今回は1956年の第10回カンヌ国際映画祭審査員特別賞作品の『第七の封印』、1957年の第8回ベルリン国際映画金熊賞受賞作品の『野いちご』それに1959年の第33回アカデミー賞外国語映画賞作品の『処女の泉』の初期3大傑作。20130731120937_00001
【写真は「ユーロスペース」のパンフレットより】

筆者は酷暑の中、ゲリラ豪雨が来ないことを祈りつつ、渋谷の道玄坂の映画館「ユーロスペース」に向かった。昨年12月に上映された『秋のソナタ』に続いてのベルイマン作品鑑賞のためである。渋谷の人混みの中を掻き分けて真っ直ぐに目的地へ。到着したのはなんと上映開始の1分前だった。ネットで書いてある案内で3本、1500円と思っていたら、当映画館は“名画座“ではありませんとチケット売り場の受付嬢に言われた。各作品、1500円ときちっと書いておかないと勘違いする人もいると筆者が指摘。『野いちご』と『処女の泉』を続けて鑑賞。
『野いちご』は人生の終焉にさしかかって小旅行する老医師が、短い一日を通して人間の老いや死や家族を、夢や追想を織り交ぜながら描いた映画。青春の叙情的な象徴としての野いちごがこの映画のタイトル名。人生の豊饒さと優しさに満ち溢れた作品。成功者として名誉博士号を授与される老医師にも、夢にまで出てくる青春の甘酸っぱさがあったこと、息子の妻が同伴する小旅行では青春を過ごした家の周りにあった野いちごを案内、それは青春時代を過ごした、男女間の懐かしい一コマ、車中で息子のことを語る息子の妻、老母見舞い、また、イタリア行きの若い男女に出会い世代間を超えた優しい交流を、たまには“交通事故”もー。旅は道ずれ世は情けを地でいく。やがてルンド大学での名誉博士号の授与式に出席、祝福のうちにそれも無事終える。息子夫婦も仲直り、家の外ではイタリア行きの若者が歓喜の歌を披露、家政婦に最高の日と祝福され、老医師は平和のうちに眠りにつく。
誰でもやがては味わう老後、大事な人生の充実感をいかに味わうかと問うた作品。何でもこの映画の着想はベルイマンの出身地ウップサラに行く途中に浮かんだとか。出演はビビ・アンデショーンやイングリッド・チューリン、ヴィクトル・シューラストルムなど。女優のあやしい演技が光るが、主旋律は哲学的。56年前の映画だが現代でも充分に通用するテーマ、否現代に生きる日本にとっては更に深刻かも。映画のタイトルの『野いちご』からの連想だけでは全体のストーリーは掴めなかった。もっとロマンチックなものとずっと考えていたのだった。
午後3時から始まった2本目は『処女の泉』。ベルイマンが黒澤明監督の作品『羅生門』に感銘を受けてできた作品といわれている。清らかな少女に起こった悲劇と父親の痛烈な復讐を描いた名作。北欧独特の光のコントラストが見事。出演はマックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ヴァルベルィ、ビルギッタ・ペテルソン、グンネル・リンドブロム他。
ある本によれば、この映画の直接の題材はスウェーデン南部のイェトランド地方に伝わるバラード『浮浪者の処女殺し』から取られたらしい。しかもスウェーデンの中世を題材にしている。スウェーデンの最初の宗教は戦いの神オーディンを中心とする自然神的多神教だったが、9世紀前半ごろから急速にキリスト教ーカトリック教にとって代わられた。しかし、民間、特に下層階級には、古来の信仰も長いこと根強く残っていた。この映画のテーマは、そうした時代と社会とを反映している。
浮浪者に処女殺しをされた父親の復讐は凄絶で聴衆の目に鋭く焼き付き、心にもぐさっと来るものがあった。迫力満点の演技。浮浪者の犯すシーンも凄まじいが、それにもまして感動的なシーンは、娘の死体を抱き上げた後その亡骸の前で父親が叫ぶシーンだった。父親が神に向かって痛烈な祈りを捧げる。神の存在する余地がないほど、哲学的な命題が露出する。復讐と異常な殺人の後の祈り。ラストシーンは死体のほとりから自然に湧き出た水だ。やがて清らかな泉に。父親はここに教会を建てることを誓う。
今回ベルイマンの初期作品『野いちご』と『処女の泉』の2作品を鑑賞したが、これらの作品に共通していることは、一見静と動のコントラストのようにみえて実は二つとも神の赦しの問題を扱っている。Gods silenceー。ベルイマンは牧師の息子で権威主義的だった牧師の父を長い間嫌っていたー。


残りの一本『第七の封印』はかつてテレビで観たので今回はパス。

追記 この7月30日でベルイマン監督が亡くなって丸6年が経った。(2013年7月31日 記)

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