文学・詩歌

2019/03/23

クロカル超人が行く 231 山中湖文学の森 三島由紀夫文学館 続

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【写真上から : ①山中湖文学の森   ②文学の小径案内図  
  ③遊覧船が走る山中湖   ④JR御殿場駅から見えた冠雪の富士山】

 

 

 

2019/03/22

クロカル超人が行く 231 山中湖文学の森 三島由紀夫文学館

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【三島由紀夫文学館の庭にあるアポロン像】

 

山中湖村の文学の森にある三島由紀夫文学館に行ってきた。自宅から東海道線熱海行の電車で国府津駅まで行き、そこで沼津行の御殿場線に乗り換え御殿場駅で下車(待ち時間約20分、所要時間約40分)、今度は山中湖行の富士急山梨バスに乗り換えて45分揺られ(バス料金1010円)バス停文学の森公園前で降り、春のめざめを感じる林の中を歩くこと8分、ついに山中湖文学の森 三島由紀夫文学館に到着。乗り継ぎの待ち合わせ時間を入れると約3時間40分の旅だ。海ありの神奈川県横浜から海なしの山梨県―湖があり富士山が身近に見ることができる―だが、やはり遠いのだ。去年の10月に山梨県立文学館を訪ねて以来二度目の山梨県の文化施設めぐりである。前回は草野心平展と隣にある県立美術館のミレーの“落穂拾い”それに購入したばかりのミレーの絵画等を鑑賞したが、今回は三島由紀夫文学館でプチプチ企画、特集展示「美と孤独――帰ってきた『金閣寺』」(宮本亜門演出のオペラなど二次創作の『金閣寺』(Le pavillion d'or)の周辺資料を展示。フランス・ストラスブール国立・大学図書館、ストラスブールライン国立オペラ座、公益財団法人東京二期会協力)を鑑賞した。平日とあって訪館者は筆者一人で貸切状態だった。三島由紀夫の文学館創設構想の話は新聞などで知っていたので少なからず興味があった。早いもので開館して20年になるらしく、筆者的にはやっと実現した格好だ。この際三島作品を少し読んでおこうと考えていたら三島解釈の本が出たり、それにつられて関連本まで読んでいるので4冊くらい持ち歩いている始末だ。
三島由紀夫文学館受付で係員の女性に入館料500円を払って館内入り。受付の女性と少し立ち話をした。三島邸は今は誰も住んでいない、館長はほとんどこちらには見えませんと受付女性。最寄りのバス停から帰りの御殿場行の時刻を訊いて、鑑賞時間は約1時間しかない。この館は村営なので受付の女性は村役場の職員かしらと余計ことを詮索しつつ、入口にあった三島由紀夫の詩集を捲り、二三篇読んだ。ヨーロッパの作家の影響を受けたような観念的な詩だ。その後そんなに大きくない館内の展示を観て歩いた。
〔初版本―初版本99冊](この館のホームページのフロアガイドを参照。以下この項に従って書き記す)  『花ざかりの森』の初版本を筆頭に『仮面の告白』、『潮騒』それに『金閣寺』など99冊がずらり、作家生活20数年でよく書いたものだと感心感心、有名なイラストレーターによる装丁もあってさながら装丁史の様相。
〔平岡から三島由紀夫へ―10代の文学]  次に左側のウィンドウには写真とともに幼少期の絵や作文など貴重な品々が陳列されていて、そこから見えてくるのは、絵心もありしっかりした鉛筆書きの文字群だ。官僚の家柄、何不自由なく育った感じは分かるがまた、幼少期から賢かった、利発だった様子もまた理解できる(極度に運動オンチだったことはよく知られたことで、『金閣寺』を書いた頃にはボディビルやボクシングなどで肉体鍛練、改造に挑戦していた)。学習院高等部時代には担任の先生(ペンネーム、三島由紀夫の名付け親)に文才を認められ同人誌に書くようになる。その掲載雑誌などが整然と並んでいた。
〔プロフェッショナルの道―20代の苦悩]  川端康成に師事。大蔵省を辞職して『仮面の告白』で作家デビュー、映画化されてベストセラーになった『潮騒』を書き一躍有名作家に。世界一周旅行の旅にも出る。その頃の資料が並ぶ。世界一周旅行の時のエッセイは読んでみたい。ギリシャに憧れていたらしい。あのアポロンの像が象徴的だ。
〔拡大する活動領域―30代の若き大家] 『金閣寺』など問題作を書いたりと創作活動が活発な時期。ボディビルなどを始めるのもこの時期。
〔文武両道―40代の挑戦]  『豊饒の海』や『サド伯爵夫人』などを執筆。ノーベル文学賞の候補に挙がる。
〔三島由紀夫の本棚] 整然と並ぶ本棚にはこだわりや雰囲気が充分に感じられた。かの明治の文豪夏目漱石の書斎も神奈川近代文学館で見たことがあるが、作家の仕事場には個性が出ていて大変興味深い。更に〔映像で知る三島由紀夫]、〔三島由紀夫ガイダンス]それに〔翻訳書紹介]などの展示品を観て回った。最近視力の衰えを感じているのでウィンドゥ越しに展示品やその解説を読むことが辛くなってきている。最後の展示品は企画もの。「美と孤独――帰ってきた『金閣寺』」。ううん、少し物足りない。館内の展示品鑑賞後に映像で三島の生涯と作品を見ていたら、鑑賞時間の1時間があっという間に過ぎてしまった。慌てて館外の庭にあるアポロン像をスマホで撮影して外に出た。4時12分の御殿場行のバスに乗らなければとバスに間に合うように最寄りのバス停まで走った。が、時間になってもバスは来ない、行ってしまったのか、果たしてバスは来るの?来ないとあと1時間半待ち、これは耐えられない、大変なことになる――。イライラが募るなか、バスは15分くらい遅れて到着した。乗車して驚愕、満員で乗客のほとんどは中国人やアメリカ人だったのだ。この観光客の何人かでも三島由紀夫文学館に立ち寄ってくれれば日本文化に触れられる絶好のチャンスだと思ったものだ。村の教育委員会も外国の観光客に向けにもっと情報発信をしたらと考えたほど。でないともったいない――。
今回の三島由紀夫文学館訪問は、過激な思想の側面はさておいて三島文学の代表作の一つ、『金閣寺』の企画展を覗くことだったが、これはプチプチ過ぎた。しかし、三島由紀夫の生涯と作品を垣間見ることができたことは筆者には収穫だった。
尚、三島由紀夫文学館のwebpageはこちらから→http://www.mishimayukio.jp

 

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【写真左から: バス停文学の森公園前   三島由紀夫文学館の看板   文学館の建物】

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2019/03/04

自由の女神像にあるエマ・ラザラスの詩再考

The New Colossus

Not like the brazen giant of Greek fame,
With conquering limbs astride from land to land;
Here at our sea-washed, sunset gates shall stand
A mighty woman with a torch, whose flame
Is the imprisoned lightning, and her name
Mother of Exiles. From her beacon-hand
Glows world-wide welcome; her mild eyes command
The air-bridged harbor that twin cities frame.
"Keep, ancient lands, your storied pomp!" cries she
With silent lips."Give me your tired, your poor,
Your huddled masses yearning to breathe free,
The wretched refuse of your teeming shore.
Send these, the homeless, tempest-tost to me,
I lift my lamp beside the golden door!"

(Emma Lazarus, 1883)

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【コラージュ Ⅰ】

「The New Colossus」(14行のソネット詩)筆者訳。

新しい巨像

かの有名なギリシャの巨像とは違い
土地と土地を支配の手足で跨ぎ
海に洗われ 夕日に染まる港に
立つのは力強い女性
稲妻を閉じ込め 松明を持つのは亡命者の母
広く世界に向け歓迎の光を照らす
優しい目が二つの街を囲む吊り橋の港を見渡す
「古い国々よ、華やかさをとっておくがいい」
と静かに語る
「疲れはてた 貧しい人たちを
自由の息吹を求め寄せ合う群衆を
海岸で惨めに拒まれた人たちを
わたしのところに預けてください
祖国もなく 動乱に翻弄された人たちを
わたしのもとに送ってください
わたしは松明を掲げて見守ろう
金色の扉のそばで !」

アメリカのトランプ大統領は6日、テロリストの対策を目的にした入国禁止の新大統領令を発令。イラクを除くイラン、シリア、リビア、イエメン、スーダン、ソマリアが対象国で、アメリカ入国を90日間禁止する。ビザやグリーンカード保有者は対象外。実施は3月16日から。移民の国アメリカが再び閉ざし始めたのだ。大義はどうであれ大きな外交政策転換であることは間違いない。空港などアメリカの入口で混乱が再び起こるかも。

アメリカよ!

自由と寛容さはどこへ行った?

追記 アメリカのトランプ大統領の移民政策が大きな波紋を呼んでいる。移民の国アメリカで移民をしめだす政策が親子分離の悲惨な扱いを招いていて国際社会から非難を浴びているのだ。(2018.7.24 記)

下記は最新の移民に関する「ニューヨーカー」の電子版記事→https://www.newyorker.com/news/our-columnists/immigrants-keep-coming-as-trump-grows-ever-more-hostile

追記2 明日11月6日はアメリカの中間選挙。メディアの報道によれば、上院では50対44で共和党が優勢で下院は202対195で民主党が上回っている。中米のホンジュラスなどからアメリカへ向けて移民キャラバンが続いていてその数4000人とも7000人ともいわれている。2600キロに及ぶ距離を徒歩で行進中なのだ。ホンジュラスでは政情不安が続いていて殺人などが日常茶飯事に起こっているという。それもアメリカの援助が削減されたからだとも。アメリカのトランプ大統領は、国境越えをおさえようと軍を派遣、6日の中間選挙前に移民問題がまた浮上している。寛容さをもった抜本的な解決策はないのか。一方、少子高齢化で働き手が不足している日本も他人事ではない。目先にとらわれず熟考した移民政策がまたれる。(2018.11.5 記)

追記3 先週の日曜日(2018年11月11日)に放送したTBS朝の番組「サンデーモーニング」でアメリカトランプ大統領の移民政策に関連したコーナーではアンカー役のジャーナリスト青木氏が、エマ・ラザラスのこの詩の一部を引用していた。それほどまでに若いニューヨーカーが書いたこの詩は移民のことを語ってあまりある。(2018.11.15 記)

追記4 メキシコとアメリカの国境沿いに壁を建設することで大統領と議会がその予算をめぐって揉め、決着がつかずに去年の12月から深刻な事態が続いている。一部の公務員は1ヶ月給料をもらえず離職する人たちも出て大混乱を引き起こしているのだ。トランプ大統領の選挙公約実現というが、移民の国で成立しているアメリカ特にトランプ大統領は、この詩にあるようにその原点を噛みしめて打開策を打ち出してほしいものだ。(2019.1.21 記)

2019年2月5日のトランプ大統領の一般教書演説についてニューヨーカー誌の記事。その記事を読むはこちら➡https://www.newyorker.com/news/current/trumps-dangerous-scapegoating-of-immigrants-at-the-state-of-the-union

追記5 トランプ大統領は2019年会計年度で国境の壁建設費に57億ドル(約6300億円)を要求したが、揉めに揉めて議会が可決した予算では13億7500万円。このためトランプ大統領が非常事態を宣言、議会の承認を得ず大統領権限で予算を組み替えて最大67億ドルの財源を捻出。これに対し、アメリカ議会の上下院の長(民主党ペロシ下院議長と上院シューマー院内総務)は、「議会の憲法上の権限を守るため、議場、裁判所、公衆の場、あらゆる機会を活用する」との共同声明を発表し、壁建設の阻止に全力を挙げる姿勢を示したと毎日新聞(2019年2月17日朝刊)が報道。(2019年2月17日 記)

2019/02/25

日本文学研究の第一人者で翻訳家ドナルド・キーン氏の死

日本文学研究の第一人者で翻訳家のドナルド・キーン氏が昨日亡くなった。享年96歳。東日本大震災後に日本に帰化、キーンドナルド鬼怒鳴門の日本名を持った。川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、安部公房など日本の作家と交流し、多数の日本文学の作品特に小説、詩歌、能や日記など古典から現代文学まで多岐にわたって翻訳した。筆者的には西脇順三郎を世界的文脈できちんと位置づけたことが印象に残る。(Together with Rirke, Valery, and Eliot, he is one of four great poets who represents the twentieth century. ―from P.323, DAWN TO THE WEST Japanese Literature of the Modern Era POETRY, DRAMA, CRITICISM, HOLT, RINEHART AND WiNSTON NEW YORK, 1984)また、流暢な日本語のなかに氏独特のアクセントがみられ、それが却って氏の人柄を表していて親しみが持てた。
氏の業績を讃えたコレクション・展示室には次のようなものがある。コロンビア大学のドナルド・キーンセンター(筆者も二三度訪ねている)、柏崎にあるドナルド・キーン・センター柏崎(地元の菓子製造会社ブルボンの好意で建てられたことは知っていて訪ねたいと思っている)それに晩年を板橋で過ごし、蔵書を板橋区に寄贈して造られた、板橋区立中央図書館内のドナルド・キーンコーナー(ここは近日中に訪ねたい)など。
ジャパンタイムズのドナルド・キーン死亡記事を読むはこちら➡https://www.japantimes.co.jp/news/2019/02/24/national/japanese-literature-scholar-donald-keene-dies-96/#.XHMs3eqCjqB

ドナルド・キーン氏には松尾芭蕉の有名な句の英訳もある。

古池や蛙飛び込む水の音

The ancient pond
A frog jump in,
The sound of water

追記 ドナルド・キーン氏の死を悼む「週刊NY生活」(電子版)の記事にはコロンビア大学のドナルド・キーンセンターで秋に追悼講演を開催それに奨学金制度を設立するとも書かれている。その記事を読むはこちら➡https://www.nyseikatsu.com/ny-news/02/2019/24655/

追記2 毎日新聞夕刊(2019年3月4日)には、寄稿 鳥越文蔵氏(早大名誉教授)の「運命を呼び寄せた天才 ドナルド・キーンさんを悼む」のタイトルで追悼記事が掲載されている。コロンビア大学の名物教授角田柳作先生のこと、中央公論社に書くようになったきっかけ、これは意外、荷風の日本語が一番美しかったとキーン氏が話していたことなど端的に書かれている。その記事を読むはこちら➡https://mainichi.jp/articles/20190301/k00/00m/040/289000c
(2019.3.6 記)

2018/07/20

クロカル超人が行く 218 草野心平生家・小川郷駅・好間三野混沌生家の詩碑

先週用事があってS先生と草野心平ゆかりの地、いわき市上小川や好間を訪ねた。

故郷は切り取ったストップモーション。
そこにはいつまでも変わらない風景があったが。
変わりつつある風景もまた新鮮だった。
故郷は遠かったり近かったりだ。

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①草野心平生家
午後5時頃訪問したので閉館していた !
本当は家の中の心平の机も見たかった。
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②草野心平生家内の碑

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③JR磐越東線小川郷駅内
本当に久しぶり。その昔はバス亭もあったが。

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④詩人草野心平の筆による三野混沌の詩碑
「天日燦として 焼くが如し 出でゝ働かざるべからず」

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⑤詩人三野混沌(吉野義也)生家
いつかは来てみたかった菊竹山。カーペンターズと
書かれた旧居はもっと奥の方だと教えてくれたのは
近所のおばさん。8軒ほどだったのが今や40何軒あるらしい。あいさつで伺った折のご子息は混沌似。敷地は想像したより広い。混沌の詩集『否』は筆者の書棚にある。
👀①~③は草野心平記念文学館のOさんのガイドつき。①~⑤のいずれの写真も筆者が撮影したもの。

蛙よ

口笛をふいて

寂しい月蝕をよべ

花火をかこんで

青い冷や酒を傾けよう
(『月蝕と花火』序詩)

―『草野心平詩集』(エッセイ 重松 清 ハルキ文庫 2010年)

尚、小川町高萩にある「草野心平記念文学館」では現在開館20周年記念夏の企画展「宮澤賢治展 ―賢治の宇宙 心平の天―」を開催中。8月26日まで。手帳に書かれた「雨ニモマケズ」の原稿、書簡類、心平が関わった詩誌類など貴重な資料が展示公開されている。学芸員の本気度が感じられ、一見の価値あり。詳細はこちらを参照されたい→http://www.k-shimpei.jp

追記 余談だが、この文学館にあるレストランは店主がユニークでレパートリーは少ないがなかなか凝ったものを供してくれる。


2018/03/11

クロカル超人が行く 211 朝日カルチャーセンター名古屋教室 特別企画2回目「西脇順三郎 その詩を読み解く」

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朝日カルチャーセンター名古屋教室特別企画「詩人 西脇順三郎―その生涯と作品」(2月と3月の2回開催)を聴きに名古屋まで出かけた。講師は司会役の歌人の鈴木竹志氏、パネラーは歌人で東海学園大学教授の加藤孝男氏と詩人で名古屋短大教授の太田昌孝氏。第1回は2月18日に開催され西脇順三郎の生涯について上記3名のパネラーが語り合った。今回は2回目でもう1人、芥川賞作家の諏訪哲史氏が参加するはずだったが、前日に腰痛で救急車で運ばれたらしく不参加だった。これは筆者にとってはショッキングな出来事!諏訪哲史氏にサインしてもらおうと著作2冊を携えて臨んだからだ。残念。その代わりに『詩人 西脇順三郎』の著者加藤孝男先生と太田昌孝先生の生の講義を聴講できた。共著を読んで気づいたことだが、加藤先生の筆による文章と太田先生の文章には温度差があって、前者が柔らかいのに比べ、後者がやや硬い感じになっていることだった。しかし、シンポ形式の講義では、鈴木竹志氏の名司会の誘導で語るお二人の口調が逆転していたことが筆者とっては何より新鮮だった。
シンポ形式の講義は、有名な「天気」から始まって「雨」、「眼」、「秋」、「はしがき」(「幻影の人」の解釈はとても解りやすくすてきだった)、「山樝(さんざし)の実」などを読み解きながら、両者の感受力を駆使して独自の解釈を披露した。特に太田先生の解り易い解説は初めて聴く者にとって、難解で知られる西脇詩の“難→易変換”―例えば、パソコンの漢字からかな変換するようにやさしく(優しく・易しく)―を可能にし西脇詩の解釈を豊かにしている。一方、歌人である加藤先生は、塚本邦雄や萩原朔太郎を通じて西脇順三郎の詩を知ったと語る。そして、西脇詩の「眼」に注目し、その戦前版と戦後版の差異に一つひとつ鋭い解釈(改稿された戦後版の「眼」がすごいと絶賛。興奮気味)を施す。また、司会の鈴木氏選の詩は、「皿」と「雨」だ。その「雨」の詩。



南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

何ともエロチック。動詞「ぬらす」の効果が抜群の詩。 筆者的にはひらがな「ぬ」の文字が音韻「nu」と視覚のイメージ〈ぬ〉それに意味を重ねることによってポエジーを産み出していると思うのだ。それに何をぬらしているか、対象がおもしろい。「雨」の詩はイマジズムの手法を取り入れていると指摘したのは西脇順三郎研究家の澤正宏先生。ドナルド・キーン氏の「雨」の英訳ではそれを単純だが上手く表現している。“wet”の妙技―。

ドナルド・キーン氏の英訳を読むはこちら→http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2015/07/post-2929.html

ドナルド・キーン著『Dawn to the West』の西脇順三郎の言及の項を読むはこちらhttp://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2016/07/post-dc66.html

こうして質疑応答を含めて2時間のシンポ形式の講義は終了した。面白かった。
このあと場所を名駅近くの中華料理店『平和園』に移して懇親会があった。歌人が集まる場所だそうだ。作家志望の院生・学生さんも交えて講師の先生たちと楽しく歓談後、新幹線で帰宅。時刻はすでに午前0時を過ぎていた。

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【写真上: 朝日カルチャーセンター名古屋教室 写真下: 中華料理店『平和園』に集った人たち いずれも筆者撮影】


付記 昨日(2018年3月9日)アマゾンのwebslteを閲覧していたら『詩人 西脇順三郎』は、☆5つだった!

付記2 駄作を一つ。


〈覆されたダイヤモンド〉の夜
窓辺で誰もが叫ぶ
それはオーロラの誕生

2018/02/27

クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 5

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市川市文学ミュージアムの売店で購入した図録『永井荷風―「断腸亭日乗」と「遺品」でたどる365日―』を丹念に読んだ。そもそもは市川市文学ミュージアム開館記念特別展(2013年)用に作成されたもので、筆者が購入した図録は2018年1月に再版されたもの。「断腸亭日乗」をひもとく(大正7年から昭和36年まで44年間綴った日記は、作家の井上ひさしが言うように日記文学の傑作)、創作から広がる荷風の世界、荷風の本棚(フランス語の原書も並ぶ。興味津々)、荷風の暮らし(七輪を使って自炊していたこと、葬式の模様など興味深い)、市川を歩く(当時の市川の様子がよくわかる)、東京と荷風(銀座にあった『萬茶亭』と『ラインゴルト』。荷風が描いた店と女給。スケッチも上手い。1932年(昭和7)当時、なかなか洒落ていた様子が伺えて面白い)、玉の井(「通り抜けできます」の文字。猥雑な路地を訪ねてみたい。浄閑寺の詩碑「震災」は訪ねた)、浅草(ベレー帽と眼鏡がトレードマークの荷風が踊り子などをこよなく愛したところ。『ロック座』は何度か行ったことがある)、荷風をめぐる人々、ある日の荷風(何気ない日常の一コマが切り取られ表情が豊か。ファニー。これがとても面白い)など。
この図録に寄せた作家の井上ひさしは、荷風の浅草通いを近くで見ていた人で、『フランス座』でのエピソードを紹介していて可笑しい。ずっこけて笑った荷風の歯は汚なかった、と書いている。また、評論家の川本三郎は、荷風はどのように女性を愛したか、というタイトルで荷風の女好きの真髄に迫っている。かいつまんで引用しよう。「娼妓、芸者、女給、私娼など玄人を相手にしたわけは、明治人の女性に対する倫理観それに金銭を介した情事だから、ビジネスライクに割りきれる。江戸時代の男が吉原など遊郭で遊ぶのと同じ感覚である。ただ荷風の場合には、それだけにとどまらない独特の女性観がある。それは、何人もの男を相手にする玄人の女性を、ミューズ、美神としてみてしまう詩人としての目である。汚れたもののなかに美しさを見る。『濹東綺譚』の玉の井の私娼、お雪はそういうミューズの代表になっている」。そして、荷風の作品は老人文学と定義し、自分を無用の者、世捨人に見立て女性を見る。そこにぎらぎらした欲望をそぎ落とした詩情が生まれると書く。

 

図録(P..27まで)を読むはこちら→「20180227110540.pdf」をダウンロード

 

永井荷風展を観に市川市文学ミュージアムを訪ねたプチトリップは、予想外の副産物を生み出した。いろいろと読みたい本が山積みの筆者だが、『断腸亭日乗』をさらに読み進んでみたい。
『濹東綺譚』を青空文庫で読むはこちら→http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/52016_42178.html「20180227110540.pdf」をダウンロード

 

松岡正剛の千夜一夜の『断腸亭日乗』http://1000ya.isis.ne.jp/0450.html なかなかオモロイ。

 

 

2018/02/26

クロカル超人が行く 207  市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 4

ここに岩波文庫版『墨東奇譚』のページに挟まれた一片の新聞記事がある。_20180308_083459

9年近く前のものだ。そこには荷風散人、独り逝くとの見出しで永井荷風の死が簡潔に綴られている。

私とは全然違うが、あんな孤独な生活を私もしてみたらよかったと思うほどうらやましかった。1959(昭和34)年4月

30日朝、永井荷風が千葉県市川市八幡の独居宅で吐血してこときれているのを通いのお手伝いが見つけた。79歳。胃かいようだった。その日の毎日新聞夕刊で谷崎潤一郎がこう語っている。耽美世界を思うままに描き、また現実に生きたはずの谷崎にもうらやましがられた。自由、反骨、奇行の人だった。日記「断腸亭日乗」(岩波書店)は死の直前、29日まで付けられている。〈四月廿九日。陰〉具合が悪くなったのは3月初めだ。〈三月一日。日曜日。雨。正午浅草。病魔歩行殆ど困難となる〉
荷風は自動車を雇って家に帰り病臥するが、しばらくすると習慣を再開する。近くの料理店〈大黒屋〉(大黒家)通いである。(中略)彼は通帳類など全財産を詰めたボストンバッグを持ち歩き、浅草のストリップ劇場へ行く時も手放さなかったという伝説がある。(毎日新聞夕刊 2009年4月30日 ●肉声再生 プレーバック 玉木研二)

遺体の脇にはボストンバッグがあって、中身の預金通帳の額面の総額はなんと2,334万円以上、それに現金31万円が入っていたという。
谷崎潤一郎も羨ましがった荷風の生き方、そこには荷風流の美学があったかも。特に市川時代の晩年は逍遙老人、徘徊老人として自由気ままに散策を楽しんでいた。 そう言えば、1952年の文化勲章受賞理由はこうだ。「温雅な詩情と高慢な文明批評と透徹した現実観照の三面が備わる多くの優れた創作を出した他江戸文学の研究、外国文学の移植に業績を上げ、わが国近代文学史上に独自の巨歩を印した」と。筆者は特に「透徹した現実観照」の表現に興味を引かれた。(「ウィキペディア」参照)

2018/02/25

クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 3

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印象に残った展示品を展示目録から列挙してみよう。【第一章 異国女性気風】上海での家族写真、1897年(明治30)【第二章 憧れの花柳界】筆記具(鉛筆/つけペン)、「断腸亭日乗」1巻原稿、1917年(大正6)9月16日、明治の新橋芸者栄龍(展示パネル)絵葉書、新橋新翁屋富松(展示パネル)写真、1912年(大正元)、「萬朝報」複製、1916年(大正5)、新橋巴家八重次(展示パネル)写真、1908年(明治41)、藤陰静枝(展示パネル)写真、「文明」第1巻1号、1916年(大正5)4月、偏奇館の登記権利証、1936年(昭和11年)、荷風生誕の屋敷見取り図原稿、1893年(明治26) 【第三章 最先端のカフェー】永井荷風自画像軸、1922年(大正11)、銀座のカフェーWaitress服装採集(展示パネル)原稿、1926年(昭和元)、今和次郎コレクション 【第四章 玉の井はユートピア】昭和九年玉の井富川町 風景写真、1934年(昭和9)、荷風撮影 玉の井界隈夜景写真、関根歌と荷風(展示パネル)写真、1932年(昭和7)、荷風筆 白百合さくや扇面書画、荷風撮影 玉の井夜景5葉写真、「お雪さん」のモデルとされる女性、「濹東綺譚」(複製)原稿、1971年(昭和46)中央公論社、手革包、荷風宛谷崎潤一郎葉書書簡、1947年(昭和22)9月21日付、荷風宛谷崎潤一郎書簡、1945年(昭和20)6月27日付 【第五章 新しい時代の到来】いろは通り旧玉の井特飲街の入口 墨田3-5(展示パネル)写真、1965年(昭和40)頃、ロック座の楽屋で踊子に囲まれる荷風複製、1951年(昭和26)、阿部雪子と行徳橋にて(展示パネル)、1952年(昭和27)、新潮社印税領収書写真、1959年(昭和34)、キッチン・アリゾナメニュー、キッチン・アリゾナマッチ箱、大黒家(展示パネル)写真、1959年(昭和34)、晩年の荷風自宅にて(展示パネル)、1958年(昭和33)、三つ揃いスーツ、かばん、机、筆/つけペン。(続く)

 

この展示の目録と年譜を読むはこちら→
「20180227110414.pdf」をダウンロード

 

 

2018/02/21

クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 2

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市川ゆかりの作家に次のような人がいる。主な作家を挙げると、井上ひさし、五木寛之、郭沫若、北原白秋、草野心平、幸田文、幸田露伴、島尾敏雄、宗左近、高野公彦、中野孝次、永井荷風、葉山修平、安岡章太郎、山本夏彦、吉井勇、吉野俊彦、和田芳恵など。そうそうたる作家たちが市川に住んでいた(市川市文学ミュージアムの施設案内パンフレットより)。都心から近く国鉄(現JR)、私鉄、地下鉄と3つの鉄道路線があって便利だからかも。
ある知人から頂いた招待券を持参して市川市文学ミュージアムで開催中の企画展―永井荷風の見つめた女たちを観に出掛けた(2月18日までで終了)。永井荷風は耽美派作家で知られ、師匠は森鴎外、明治末から大正期の6年間は慶応大学仏文の教授そして『三田文学』を創刊し谷崎潤一郎を見出だした作家である。今回は荷風が愛した女たちに注目。展示品は写真、原稿、愛用品、雑誌、図書、軸、台本、屏風、書画、新聞、書簡、印刷物、ノートなど総数152点。第1章 異国女性の気風 第2章 憧れの花柳界 第3章 最先端のカフェー 第4章 玉の井はユートピア 第5章 新しい時代の到来で構成。文学館展示としては規模が小さいが、まめだった荷風のノート、写真、原稿、書簡が観られたことは貴重だった。「断腸亭日乗」を綴る几帳面な文字群、見事という他ない。(続く)

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