文学・詩歌

クロカル超人が行く 218 草野心平生家・小川郷駅・好間三野混沌生家の詩碑

先週用事があって草野心平ゆかりの地、いわき市上小川や好間を訪ねた。

故郷は切り取ったストップモーション。
そこにはいつまでも変わらない風景があったが。
変わりつつある風景もまた新鮮だった。
故郷は遠かったり近かったりだ。

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❶草野心平生家
午後5時頃訪問したので閉館していた !
本当は家の中の心平の机も見たかった。
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➋草野心平生家内の碑

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❸JR磐越東線小川郷駅内
本当に久しぶり。その昔はバス亭もあったが。

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➍詩人草野心平の筆による三野混沌の詩碑
「天日燦として 焼くが如し 出でゝ働かざるべからず」

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➎詩人三野混沌(吉野義也)生家
いつかは来てみたかった菊竹山。カーペンターズと
書かれた旧居はもっと奥の方だと教えてくれたのは
近所のおばさん。あいさつで伺った折のご子息は混沌似。
混沌の詩集『否』は筆者の書棚にある。
❶~➎いずれの写真も筆者が撮影したもの。

蛙よ

口笛をふいて

寂しい月蝕をよべ

花火をかこんで

青い冷や酒を傾けよう
(『月蝕と花火』序詩)

―『草野心平詩集』(エッセイ 重松 清 ハルキ文庫 2010年)

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クロカル超人が行く 211 朝日カルチャーセンター名古屋教室 特別企画2回目「西脇順三郎 その詩を読み解く」

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朝日カルチャーセンター名古屋教室特別企画「詩人 西脇順三郎―その生涯と作品」(2月と3月の2回開催)を聴きに名古屋まで出かけた。講師は司会役の歌人の鈴木竹志氏、パネラーは歌人で東海学園大学教授の加藤孝男氏と詩人で名古屋短大教授の太田昌孝氏。第1回は2月18日に開催され西脇順三郎の生涯について上記3名のパネラーが語り合った。今回は2回目でもう1人、芥川賞作家の諏訪哲史氏が参加するはずだったが、前日に腰痛で救急車で運ばれたらしく不参加だった。これは筆者にとってはショッキングな出来事!諏訪哲史氏にサインしてもらおうと著作2冊を携えて臨んだからだ。残念。その代わりに『詩人 西脇順三郎』の著者加藤孝男先生と太田昌孝先生の生の講義を聴講できた。共著を読んで気づいたことだが、加藤先生の筆による文章と太田先生の文章には温度差があって、前者が柔らかいのに比べ、後者がやや硬い感じになっていることだった。しかし、シンポ形式の講義では、鈴木竹志氏の名司会の誘導で語るお二人の口調が逆転していたことが筆者とっては何より新鮮だった。
シンポ形式の講義は、有名な「天気」から始まって「雨」、「眼」、「秋」、「はしがき」(「幻影の人」の解釈はとても解りやすくすてきだった)、「山樝(さんざし)の実」などを読み解きながら、両者の感受力を駆使して独自の解釈を披露した。特に太田先生の解り易い解説は初めて聴く者にとって、難解で知られる西脇詩の“難→易変換”―例えば、パソコンの漢字からかな変換するようにやさしく(優しく・易しく)―を可能にし西脇詩の解釈を豊かにしている。一方、歌人である加藤先生は、塚本邦雄や萩原朔太郎を通じて西脇順三郎の詩を知ったと語る。そして、西脇詩の「眼」に注目し、その戦前版と戦後版の差異に一つひとつ鋭い解釈(改稿された戦後版の「眼」がすごいと絶賛。興奮気味)を施す。また、司会の鈴木氏選の詩は、「皿」と「雨」だ。その「雨」の詩。



南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

何ともエロチック。動詞「ぬらす」の効果が抜群の詩。 筆者的にはひらがな「ぬ」の文字が音韻「nu」と視覚のイメージ〈ぬ〉それに意味を重ねることによってポエジーを産み出していると思うのだ。それに何をぬらしているか、対象がおもしろい。「雨」の詩はイマジズムの手法を取り入れていると指摘したのは西脇順三郎研究家の澤正宏先生。ドナルド・キーン氏の「雨」の英訳ではそれを単純だが上手く表現している。“wet”の妙技―。

ドナルド・キーン氏の英訳を読むはこちら→http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2015/07/post-2929.html

ドナルド・キーン著『Dawn to the West』の西脇順三郎の言及の項を読むはこちらhttp://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2016/07/post-dc66.html

こうして質疑応答を含めて2時間のシンポ形式の講義は終了した。面白かった。
このあと場所を名駅近くの中華料理店『平和園』に移して懇親会があった。歌人が集まる場所だそうだ。作家志望の院生・学生さんも交えて講師の先生たちと楽しく歓談後、新幹線で帰宅。時刻はすでに午前0時を過ぎていた。

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【写真上: 朝日カルチャーセンター名古屋教室 写真下: 中華料理店『平和園』に集った人たち いずれも筆者撮影】


付記 昨日(2018年3月9日)アマゾンのwebslteを閲覧していたら『詩人 西脇順三郎』は、☆5つだった!

付記2 駄作を一つ。


〈覆されたダイヤモンド〉の夜
窓辺で誰もが叫ぶ
それはオーロラの誕生

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クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 5

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市川市文学ミュージアムの売店で購入した図録『永井荷風―「断腸亭日乗」と「遺品」でたどる365日―』を丹念に読んだ。そもそもは市川市文学ミュージアム開館記念特別展(2013年)用に作成されたもので、筆者が購入した図録は2018年1月に再版されたもの。「断腸亭日乗」をひもとく(大正7年から昭和36年まで44年間綴った日記は、作家の井上ひさしが言うように日記文学の傑作)、創作から広がる荷風の世界、荷風の本棚(フランス語の原書も並ぶ。興味津々)、荷風の暮らし(七輪を使って自炊していたこと、葬式の模様など興味深い)、市川を歩く(当時の市川の様子がよくわかる)、東京と荷風(銀座にあった『萬茶亭』と『ラインゴルト』。荷風が描いた店と女給。スケッチも上手い。1932年(昭和7)当時、なかなか洒落ていた様子が伺えて面白い)、玉の井(「通り抜けできます」の文字。猥雑な路地を訪ねてみたい。浄閑寺の詩碑「震災」は訪ねた)、浅草(ベレー帽と眼鏡がトレードマークの荷風が踊り子などをこよなく愛したところ。『ロック座』は何度か行ったことがある)、荷風をめぐる人々、ある日の荷風(何気ない日常の一コマが切り取られ表情が豊か。ファニー。これがとても面白い)など。
この図録に寄せた作家の井上ひさしは、荷風の浅草通いを近くで見ていた人で、『フランス座』でのエピソードを紹介していて可笑しい。ずっこけて笑った荷風の歯は汚なかった、と書いている。また、評論家の川本三郎は、荷風はどのように女性を愛したか、というタイトルで荷風の女好きの真髄に迫っている。かいつまんで引用しよう。「娼妓、芸者、女給、私娼など玄人を相手にしたわけは、明治人の女性に対する倫理観それに金銭を介した情事だから、ビジネスライクに割りきれる。江戸時代の男が吉原など遊郭で遊ぶのと同じ感覚である。ただ荷風の場合には、それだけにとどまらない独特の女性観がある。それは、何人もの男を相手にする玄人の女性を、ミューズ、美神としてみてしまう詩人としての目である。汚れたもののなかに美しさを見る。『墨東奇譚』の玉の井の私娼、お雪はそういうミューズの代表になっている」。そして、荷風の作品は老人文学と定義し、自分を無用の者、世捨人に見立て女性を見る。そこにぎらぎらした欲望をそぎ落とした詩情が生まれると書く。

図録(P..27まで)を読むはこちら→「20180227110540.pdf」をダウンロード

永井荷風展を観に市川市文学ミュージアムを訪ねたプチトリップは、予想外の副産物を生み出した。いろいろと読みたい本が山積みの筆者だが、『断腸亭日乗』をさらに読み進んでみたい。
『墨東奇譚』を青空文庫で読むはこちら→http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/52016_42178.html「20180227110540.pdf」をダウンロード

松岡正剛の千夜一夜の『断腸亭日乗』http://1000ya.isis.ne.jp/0450.html
なかなかオモロイ。

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クロカル超人が行く 207  市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 4

ここに岩波文庫版『墨東奇譚』のページに挟まれた一片の新聞記事がある。_20180308_083459

9年近く前のものだ。そこには荷風散人、独り逝くとの見出しで永井荷風の死が簡潔に綴られている。

私とは全然違うが、あんな孤独な生活を私もしてみたらよかったと思うほどうらやましかった。1959(昭和34)年4月

30日朝、永井荷風が千葉県市川市八幡の独居宅で吐血してこときれているのを通いのお手伝いが見つけた。79歳。胃かいようだった。その日の毎日新聞夕刊で谷崎潤一郎がこう語っている。耽美世界を思うままに描き、また現実に生きたはずの谷崎にもうらやましがられた。自由、反骨、奇行の人だった。日記「断腸亭日乗」(岩波書店)は死の直前、29日まで付けられている。〈四月廿九日。陰〉具合が悪くなったのは3月初めだ。〈三月一日。日曜日。雨。正午浅草。病魔歩行殆ど困難となる〉
荷風は自動車を雇って家に帰り病臥するが、しばらくすると習慣を再開する。近くの料理店〈大黒屋〉(大黒家)通いである。(中略)彼は通帳類など全財産を詰めたボストンバッグを持ち歩き、浅草のストリップ劇場へ行く時も手放さなかったという伝説がある。(毎日新聞夕刊 2009年4月30日 ●肉声再生 プレーバック 玉木研二)

遺体の脇にはボストンバッグがあって、中身の預金通帳の額面の総額はなんと2,334万円以上、それに現金31万円が入っていたという。
谷崎潤一郎も羨ましがった荷風の生き方、そこには荷風流の美学があったかも。特に市川時代の晩年は逍遙老人、徘徊老人として自由気ままに散策を楽しんでいた。 そう言えば、1952年の文化勲章受賞理由はこうだ。「温雅な詩情と高慢な文明批評と透徹した現実観照の三面が備わる多くの優れた創作を出した他江戸文学の研究、外国文学の移植に業績を上げ、わが国近代文学史上に独自の巨歩を印した」と。筆者は特に「透徹した現実観照」の表現に興味を引かれた。(「ウィキペディア」参照)

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クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 3

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印象に残った展示品を展示目録から列挙してみよう。【第一章 異国女性気風】上海での家族写真、1897年(明治30)【第二章 憧れの花柳界】筆記具(鉛筆/つけペン)、「断腸亭日乗」1巻原稿、1917年(大正6)9月16日、明治の新橋芸者栄龍(展示パネル)絵葉書、新橋新翁屋富松(展示パネル)写真、1912年(大正元)、「萬朝報」複製、1916年(大正5)、新橋巴家八重次(展示パネル)写真、1908年(明治41)、藤陰静枝(展示パネル)写真、「文明」第1巻1号、1916年(大正5)4月、偏奇館の登記権利証、1936年(昭和11年)、荷風生誕の屋敷見取り図原稿、1893年(明治26) 【第三章 最先端のカフェー】永井荷風自画像軸、1922年(大正11)、銀座のカフェーWaitress服装採集(展示パネル)原稿、1926年(昭和元)、今和次郎コレクション 【第四章 玉の井はユートピア】昭和九年玉の井富川町 風景写真、1934年(昭和9)、荷風撮影 玉の井界隈夜景写真、関根歌と荷風(展示パネル)写真、1932年(昭和7)、荷風筆 白百合さくや扇面書画、荷風撮影 玉の井夜景5葉写真、「お雪さん」のモデルとされる女性、「墨東奇譚」(複製)原稿、1971年(昭和46)中央公論社、手革包、荷風宛谷崎潤一郎葉書書簡、1947年(昭和22)9月21日付、荷風宛谷崎潤一郎書簡、1945年(昭和20)6月27日付 【第五章 新しい時代の到来】いろは通り旧玉の井特飲街の入口 墨田3-5(展示パネル)写真、1965年(昭和40)頃、ロック座の楽屋で踊子に囲まれる荷風複製、1951年(昭和26)、阿部雪子と行徳橋にて(展示パネル)、1952年(昭和27)、新潮社印税領収書写真、1959年(昭和34)、キッチン・アリゾナメニュー、キッチン・アリゾナマッチ箱、大黒家(展示パネル)写真、1959年(昭和34)、晩年の荷風自宅にて(展示パネル)、1958年(昭和33)、三つ揃いスーツ、かばん、机、筆/つけペン。(続く)

この展示の目録と年譜を読むはこちら→
「20180227110414.pdf」をダウンロード

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クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 2

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市川ゆかりの作家に次のような人がいる。主な作家を挙げると、井上ひさし、五木寛之、郭沫若、北原白秋、草野心平、幸田文、幸田露伴、島尾敏雄、宗左近、高野公彦、中野孝次、永井荷風、葉山修平、安岡章太郎、山本夏彦、吉井勇、吉野俊彦、和田芳恵など。そうそうたる作家たちが市川に住んでいた(市川市文学ミュージアムの施設案内パンフレットより)。都心から近く国鉄(現JR)、私鉄、地下鉄と3つの鉄道路線があって便利だからかも。
ある知人から頂いた招待券を持参して市川市文学ミュージアムで開催中の企画展―永井荷風の見つめた女たちを観に出掛けた(2月18日までで終了)。永井荷風は耽美派作家で知られ、師匠は森鴎外、明治末から大正期の6年間は慶応大学仏文の教授そして『三田文学』を創刊し谷崎潤一郎を見出だした作家である。今回は荷風が愛した女たちに注目。展示品は写真、原稿、愛用品、雑誌、図書、軸、台本、屏風、書画、新聞、書簡、印刷物、ノートなど総数152点。第1章 異国女性の気風 第2章 憧れの花柳界 第3章 最先端のカフェー 第4章 玉の井はユートピア 第5章 新しい時代の到来で構成。文学館展示としては規模が小さいが、まめだった荷風のノート、写真、原稿、書簡が観られたことは貴重だった。「断腸亭日乗」を綴る几帳面な文字群、見事という他ない。(続く)

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クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち―

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筆者が青春の一時期お世話になった虎ノ門の共同通信社ビル地下にあったR書房(かつてあった洋販の子会社で毎日新聞社、サンケイ新聞社、赤坂東急ホテル、虎ノ門共同通信社ビル、青山ツインタワー、銀座、フジテレビ、田町、広尾、成田空港、溝ノ口NEC内、市川などに店を構えていた。筆者はR書房については青山ブックセンターに吸収されたまでは覚えているが、その後はブックオフに。紆余屈折を辿って今はTSUTAYA・多田屋等の書店を経営する、日販系のプラスコーポレーション傘下にあるらしい。ネットで調べたらR書房フジテレビ店はあるのでR書房の名前は残しているみたい)。そこで共同通信社に勤務のいつもスーツ姿できめていた紳士風の常連客が『荷風全集』を定期購入していたのをふと思い出した。高価な本を購入しているサラリーマンもいるんだと感心したほど。
さて、本八幡駅でラーメンを食べたあと、目的地の市川市文学ミュージアムを目指した。駅からこの文学ミュージアム付近まではシャトルバスも出ているらしいが歩いた。この辺は市川市中央図書館が設立されて少したった頃に訪ねたことがあったが、駅から気持ち遠かった記憶がある。
商店街を通り抜け7分くらい歩くと比較的大きな通りに出た。横断歩道先の左側にこんもりした一角を発見してこの辺かなとスマホのナビを見たら、指し示す方向が違っていたのでナビの誘導に従った(後で気づいたことだが、チケットに書いてある地図を再確認すれば良かった!)。スマホナビを信じて右折、比較的大きな通りに沿ってその方向へさらに進み、市川市の仮庁舎を過ぎ、四つ角を通過したら高速道路風のやや高く広い道路にぶち当たり、再度スマホナビを確認。で、指し示す方向へ歩いた時になぜかスマホナビの位置情報が突然変わったようなのだ。なぜって、指し示す方向が仮庁舎の先にあったのだ。変、先ほど来たところへ向かっている、要はある大きな区画を一巡した格好だ。いやはや、GPSがいつの間にか軌道修正していたのかも知れない。筆者が知らないうちに誤動作していたのか、不思議である。しかし、相当遠回りしたおかげで今まで見かけない日常に出会いかつエクササイズにもなった。この辺は住宅地やマンションが立ち並ぶ地域だ。散策好きの荷風に倣ったか(笑)。しかし、戦後昭和20年代の荷風が散策している写真を見れば、街の風景が一変していることがよくわかる。土地開発が進んだ地域なのだろう。先ほど見かけたこんもりした一角に文学ミュージアムがあったのだ。うっかりである。ついでに書けばこの一角はニッケコルトンプラザ(日本毛織の工場跡地にできた商業施設)、千葉県立産業科学館、美術館それに市川市中央図書館などがある文化ゾーン。(続く)

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クロカル超人が行く 206 世田谷文学館「澁澤龍彦展 ドラコニアの世界」続

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【写真: ⑧『高丘親王航海記』最後の長編小説。唐に渡り天竺をめざした9世紀日本の僧侶・真如(高丘親王)を主人公に長旅を綴った作品。⑨『高丘親王航海記』草稿と最終章「頻伽」】

渋澤龍彦略年譜と主要著作(図録P.266~P.274)☞「20171201181449.pdf」

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クロカル超人が行く 206 世田谷文学館「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」

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【写真上から下へ: ①澁澤龍彦展チラシ ②図録 ドラコニアの地平 ③球体、円環への志向 ④「さようなら、土方巽」1986年1月 土方巽への弔辞 ⑤ジャン・コクトーからの手紙ほか ⑤金子國義・四谷シモンの作品 ⑦北欧神話 宇宙樹イグドラジィルの話と愛用のパーカー万年筆それに澁澤龍彦のネーム入り原稿用紙】②~⑦は『図録 ドラコニアの地平』(平凡社 2017年10月刊)より。

世田谷文学館で開催中の没後30周年特別企画「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」を観に出かけた。10年前に横須賀美術館で開催された没後20周年記念イベント、「澁澤龍彦 幻想美術館」を観たが、今回はどんな展覧会になるか楽しみだった。また、美術館と文学館での展示の相違はあるのか、あれこれ思考を巡らせたのだ。その相違は歴然で、manuscriptの祝祭ともいうべきディスプレイ、書き記した夥しい数の生原稿の類が現前、ドラコニア(龍の世界)へようこそといった感じだ。鉛筆で書いた丸みがかった文字の原稿はとてもきれいで読みやすい。それにしても原稿、原稿また原稿のオンパレードである。約2時間鑑賞。興味深いところはいろいろとあったけれども、筆者が特に印象的だったところを図録(巻頭に菅野昭正「高丘親王航海記」讃、巖谷國士「澁澤龍彦と文学の旅」の好エッセーを掲載。展示内容を編集して反映している)から拾ってみた。

②見返しに黒を配して澁澤龍彦の世界をシンボライズしページ配置等細工を施した凝った本、その表紙。自分自身を写し出した鏡、キルヒャーの『シナ図説』、四谷シモンの「機械仕掛けの少女」ほか。帯には待望の大回顧展 公式カタログと書かれている。図録に挟み込まれた小冊子には妻の澁澤龍子さんと四谷シモン氏の対談があってなかなか読ませる。龍子さんから澁澤龍彦の日常が見えてきて何となく親しみが沸いてきた。食べ物や服の話など。著名人のエッセイも面白いが、その中でも芥川賞作家の諏訪哲史氏の澁澤龍彦評が秀逸。それはこのコラムの最後に引用したい。③球体、円環への志向のページには次のような言辞が。伸縮自在のマクロコスモスとミクロコスモスの観念を、二つながら手に入れることが必要ではないかと。円環志向はどこかの版元のモットーでもある。3つの矢を射る円環運動 : 異文化・文学・歴史統計。多分に澁澤龍彦の影響下にあるはず。マジナリアしかり。ついでに球体ほかオブジェに言及すると、地球儀、アストロラーベ(古代の天体観測器)、ウニの標本、ドライフラワー.鉱物、鏡、貝殻、小瓶のなかの玉虫等々。偏愛の賜物。④土方巽の弔辞、独特のかすれ声にひかれた。一つひとつ原稿を追った。文章も味わい深い。次を捲ると、右頁が土井典作「貞操帯」と左頁が雑誌『血と薔薇』。

⑤ジャン・コクトーの手紙。筆者的にはこの展示会で一番の収穫。便箋に万年筆で書いたジャン・コクトーのやわらかい文字が踊る。ブルーカラーのCher Tasso Shibusawaがいいね! likes ! 澁澤龍彦、初翻訳はジャン・コクトーの『大股びらき』(白水社 1954年8月)だ。次頁は東京大学仏文学科に提出した卒業論文「サドの現代性」(1952年12月)⑥画家金子國義と人形作家四谷シモン、いわば、澁澤龍彦ファミリーの人たちの作品、「エロティシズム」と「天使ー澁澤龍彦に捧ぐ」⑦北欧神話を読み解くエッセイ、宇宙樹イグドラジィル(ユグドラシル Yggdrasill)に魅せられて。羽のデザインが特徴のパーカー万年筆、筆者の高校時代の一時期、当時の友人N男と万年筆談義に花を咲かせていた。専らボディの緑が特徴のドイツ製ペリカン万年筆をあれこれ話題に。買えないくせにカタログを弄っていた。もちろんスマートなアメリカ製パーカー万年筆も地元の大きなステーショナリーで特別に見せてもらったりした。パーカー万年筆もゲットしたが、胸ボケットにさしているうちに羽の部分が何かに引っ掛かって折れたりしたので、それ以来使っていない。やがて大学生になってモンブランを手に入れ、今も愛用している。モンブランのカタログでは一番先に登場するモデルだ。たまに銀座のモンブランの日本支社に行ってオーバーホールをしてもらっている。澁澤龍彦のパーカー万年筆は保管が良いのか歴史性を感じさせない。Good fountain-pen, good job ! 自家製原稿用紙には澁澤龍彦の「彦」の独特なのばし方に魅了される。遊び心たっぷりなところがいい。原稿用紙はそれこそ銀座の「伊東屋」に行って気に入ったものをゲットしたりしたが、筆者にはどうも馴染まない。きちんと文章を書くのが目的なのに、いやに升目の鉛筆文字の格好を気にし過ぎていたのかも。升目を埋める丸みのある澁澤龍彦の文字群を“見る”と、一見さりげなく綺麗に並んではいるが、どういうわけか不思議な魔力を感じざるを得ない。そう、野中ユリの作品「新月輪の澁澤龍彦」がそれを見事に表現している。筆者は横須賀美術館の「澁澤龍彦 幻想美術館」の最後にこの作品が飾られていたのをよく覚えているしまた、ずっとそれこそ頭を抱えて考えていたことも事実なのだ。構図の奇抜性(宇宙観・感、大きなものとちっぽけな眼差し、その対比のオモシロさ、『高丘親王航海記』の原稿の配置、幻想、闇考)だけではあるまい・・・。そして今、謎が少しずつ解けていくような、溶けていかないような、健全な暗黒世界に誘われている。澁澤龍彦はいつも無限の可能性を秘めているのだ。

さて、芥川賞作家諏訪哲史氏の図録に寄せたエッセイだ。最後の何行かを引用してこのコラムを締めよう。
「澁澤龍彦とは果たして人がいうような異端者であろうか。偏綺を愛する彼自身の本質とは天使の如き「聖性」だ。サドが時に聖侯爵と呼ばれるように、澁澤さんはいわば裏返された聖人であった。」(図録『 澁澤龍彦 ドラコニアの地平』P.261より)

世田谷文学館の「渋澤龍彦 ドラコニアの地平」の展示会の実際の様子はこちらへアクセスされたい。→http://s.webry.info/sp/mignonbis.at.webry.info/201710/article_2.html

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草野心平詩集(岩波文庫)『 侏羅紀の果ての昨今』抄から 或る永遠 J.N氏に

草野心平の西脇順三郎について書いた詩。

或る永遠

J.N氏に

日本海に面したN県に。
川がある。
川底の小砂利の見えるセルリアンに布を流し。
川底の雪の上にそれらを並べて晒す。
赤ギレの手によって生まれるニッポンの高貴な縮である。
J.N氏はその界隈で生まれた。
ふるさと。
けれどもJ.Nにふるさとはない。
ギリシャ神話と玄のいりまじった次元が氏の脳髄のふるさとである。

J.N氏は書斎のなかで世界をうろつく。
多島海の渚に足をひたし。
ラテン語だけしか通じない中世の村道でプラチナの太陽をまぶし黒仰ぐ。
もどって武蔵野のイノクロ草をちぎったり。
エンサイクロビデア・ブリタニカの頁のなかに一ミリの小人になってもぐったりする。
地理や歴史や。
虹かかる永遠。
永遠に向かってJ.N氏は書斎をぬけでる。
永遠のなかに歩いてゆく。
そのうしろ姿。
陽は正に没しようとしてそのうしろ姿。
永遠のなかの一つ黒子。

黒子のなかの或る永遠。

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