日記・コラム・つぶやき

遠い記憶 ある死その7 長男Y男の少し早すぎた死

栄枯盛衰世のならわしとは含蓄に富んだ言葉だ。一地方の小企業が昭和20年代後半でピークを迎えるとそれ以降は次第に地方に進出して来た大企業に駆逐されて行く。かつてのK家もその例に漏れなかった。日本国が大きく変化し高度成長を遂げ始まるきっかけをつくった昭和39年の東京オリンピック、その時期から遡ること4、5年前だったか。半商半農のK家は当時両親と男4人女2人の6人兄弟姉妹の家族構成で、生活は決して楽ではなく子どもたちは家業の手伝いを余儀なくされていた。春夏秋冬ほとんど休みのない子どもたちの家業の手伝いは、ある意味ではかけがいのない労働力を提供して家計を助けたはずだが、それでも家計は苦しく外に働きに出ざる得ない状況もあったのだ。遠い記憶はその家族の犠牲者となった一人の人物を否応なしに引き出す。シリアス映画のワンシーンそのもの。その人物こそ3日前に急死した長男Y男である。
ある夜のこと、珍しくK家では深刻な家族会議が玄関を入ってすぐの六畳の居間で行われた。子どもたちの前で父が家業の窮状を告げ、それに対して二言三言言ってすすり泣く母がいた。奥の納戸の前に座っていた長男に父がT屋に働きに出てくれと告げた。それが長男Y男とっての出稼ぎの始まりだった。要は長男故稼ぎの糧にされたのである。
家業がうまく行っている間長男長女は大事に扱われたが、せいぜい7、8才止まりだった。長女N子ともどものんびりした性格で育ちの良さも伺えるほどだ。その頃K家の洒落た薄黄色の小さな工場の裏には何本もの無花果の木と桐木があって、小学生だった丸坊主で制服を着た長男Y男がその無花果の木に登っておどけて見せた。無花果の木の下には笊に一杯の取り立ての無花果があった。弟たちに自慢したかったのかもー。それは家族の古いアルバムの一ページにモノクロの写真で収められていたが、はて、古い家が放火で焼失(そう、K男は実家が焼失し新築した時期は、青春時代のど真ん中でアルバイト三昧の日々。正直言って経済的にも全く余裕がなかった。だから実家の放火→新築の過程は分からず。しかし、家計を支えていたのは長男Y男夫婦だったのである)してからは、今実家を継いでいる末弟M男が持っているのか定かではない。かつてK家で働いていたH女史が撮ったものか、今となってはそれこそ遠い消えかえそうな記憶だ。そういう楽しい日々もあったのだ。それから何年か経って家業が傾き、前に書いたように長男の出稼ぎが始まったのである。
Here's an eldest brother in family history.
記憶はさらに違った局面も抉り出す。こんなこともあった。一つは何かの調子で父の逆鱗に触れ、長男Y男が当時家業で使っていた大きな冷蔵庫に小一時間閉じ込められたこと、また、地元の夕刊紙にも写真入りで掲載された台風余波中洲置き去り事件は、小さな集落の大事件で今もって語り草となっている。長男Y男の母が亡くなったあとすぐ彼の家に焼香に来てくれた友人の一人に、彼の叔父がその当時のことを尋ねていたので、やはり伝説化していて関係者の脳裏に焼き付いていたのだ。夏のある日、台風が近づいているにも拘わらず近所の同級生何人かとN川で水遊びをしている最中に、台風の影響で急にN川の水かさが増して流され、中洲に漂着したものの引き返しができず置き去りにされてしまった。通報を受けた消防隊員が助けに出て一命をとりとめたという、誠に人騒がせな出来事だった。それは今たがらこそ笑える話だが一歩間違えば命を落としかねない非常事態だ。幼少期の苦い思い出だろう。
長男Y男はその後仕事を替えてサラリーマンになった。ある時期から請われて叔母夫妻の青果店の店長として働き独立、すでに結婚していて夫婦ではじめた青果店だったが、Y男はその事業をU駅近くのショッピングセンターの中でしばらく続けたが、立地が悪いのか客足が今一でうまくいかなかった。それと自分たちではじめた青果店だが以前に働いていた青果会社の叔母たちが役員に入り、まだ事業が利益を十分に出させずにいる段階でそれなりの報酬を払っていたことも経営を圧迫していたのかも知れない。これはK男が長男Y男から実際に聞いた話で、今だから書けるが、叔母にはこの役員報酬の話は内緒にと口止めされていたのだ。長男Y男にも遠慮があったのだ。そこはビジネスと割り切って事業が軌道に乗るまで凍結してもらっても良さそうに思うが、見栄というか独立するときの条件か何か柵があったのか、門外漢のK男には分からないままだ。それはどうだろう、K男が想像するにビジネスの基本で最も重要なことだが、計画的な事業遂行が見通せなければ撤退も仕方なしの大原則の決断を踏襲することなのだが、これができなくずるずるとさらなる悪化を招いてしまったのだと想像する。経営悪化の泥沼化だ。確かにどのタイミングで決断を下すかがなかなか難しいことなのだが。会社経営している人たちが攻めの営業展開するより守りを固めることがもっと難しいかよく知っていると思うのだ。長男Y男はこのビジネスの総合的判断からして見通しの甘さを露呈した形だ。時すでに遅しー。生前Y男の叔母がどういうつもりで言ったか知らないが、K男に「Y店長は計画性がないね」と言っていたことを思い出す。若い頃から一家の長として自分のやりたいことがままならないジレンマと闘ううちに(それは経済的な理由で満足に上級学校に進学できなかった無念さもあったことは容易に想像がつく)、自然と「仕方がない、今日を生きさえすればいい」という刹那的な見方や諦観や無常観が芽生えていたのだろう。さらに長男Y男が母から子どもが授からないことを咎めらたとK男に話していたこともあった。そのことも長男Y男の諦観や無常観を助長したものと思われるのだ。優しい繊細な男の心情を慮る配慮がK家には不足していたのかも知れない。今でいう家族のコミュニケーション力が足りなかったのだ。家父長制が多分に残っていて長男長女の両親にもそれなりの重荷に耐えた歴史があったからこそ、母の言葉も自然と出てきたことなのかも知れない。跡継ぎ問題はどこの家庭でも重要なテーマだ。K男が思うに、そこには母の表面的な取り繕った構えた仕草ではない、もう一つの子どもに対する深い愛情に支えられた仕草があってしかるべきだった。母にその感情があったなら長男K男のその後の生き方も柔らかな肯定的な人生を歩んだはずだ。かつて帰省したときなど送迎の車の中で、家督を譲ってもいいと言っていたのを思い出す。それは諸事情が重なって嫌になっていた時期だったかも知れない。これも遠い記憶、消えかけた記憶の一つだ。そして長男Y男は青果店つながりで運送屋に。それから細君と惣菜店を営み、その商売が上向き出した時期に病に倒れた。心身ともどもボロボロだったかも知れない。70才の生涯だった。少し早すぎた死だ。せめて人生の帳尻が合う時期まで生きて欲しかった。あと10年はー。さぞ無念さが残る一生だったとは本人が一番知っていたかも知れない。酒、タバコそして競輪のギャンブルもやった。あまりにもあまりにも人間的であった。波乱万丈ともいえる長男Y男に長年連れ添った細君T女史には大感謝だろう。苦労が絶えなかったはずだが明るく振る舞ってくれた。
K男は小さいときから長男N男とは何となく少し距離をおいていた。とことん話し合ったことは一度もなかった。多分相互に干渉されたくない関係を保ちたかったのだろう。しかし、彼の人生を他山の石としたい。そして、作家梅崎春生の言葉を贈ろう。「人生 幻化(げんけ)に似たり」。ありがとう。Y男兄さん。さようなら。安らかにお休みください。合掌。
(2017年10月9日 記 10月10日修正)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 12 公衆トイレ考

トイレ(便所)の話は古来様々なエピソードが語られ書かれているが、筆者が最近読んだ最たるものが文豪谷崎潤一郎が昭和初期に書いたエッセイ、『陰翳礼讚』のなかの厠についての考察だ。これはいちいち説明するほどでもあるまい。文庫本で読めるのでぜひ手にとって読んでほしい。ともかく彼なりの美学があり、含蓄があってオモロイ。昭和初期の、関西のトイレ事情がリアリスティックで、特に奈良に行ってトイレに入った話は秀逸である。
さて、前置きはこのくらいにして本題に入ろう。
いつもより比較的早く目が覚めたせいかー午前5時半過ぎかなー体調がイマイチで、肩が凝ったりして動きが鈍く、ひょっとしたら血圧が上がっているのかなと疑心暗鬼になりながら仕事で電車に乗ったり歩いたりしていた。そしてT駅北口で下車、小さい方の用を足すためトイレに入った。すると、 一面が水浸し状態なのだ。「何だろう、掃除したばかりなのかしら」と足元を注意して用足し状態に入った。そのとき掃除のおばさんが入ってきて、「何を、この水浸し状態は」とぶつぶつ言って不思議がっていた。筆者が「おばさんが掃除したんじゃないの」と言ったら、「いや、今から掃除するところなの」とおばさん、困った様子。「えっ、そうなの」と筆者。「それじゃ、一体どうなってるの」と筆者が呟き、辺りを見渡した。すると、左端の大きい方使用の洋式トイレの便器が異常をきたしているではないか、しかも汚物が浮かび水が満タン、すでに溢れ出した状態なのだ。少し距離があったから臭いはそれほどでもない。恐らくは何らかの原因でトイレが詰まり、便器から水が流れてトイレの床を水浸しにしたのだ。ということは、水浸しになったところには汚染されたものが混じっていたことになりはしないか。あぁ、汚い。しまった!それにしても大きい方の用を足した人は酷い、自分の始末もできず垂れ流しとはー。やりきれない気持ちだ。公衆トイレの最低限のマナーは遵守してもらいたいものだ。掃除のおばさんが可哀想。見てしまったことの強い憤り、残像が瞼に残った。次に入ったY駅東口出口を過ぎた地下街端のトイレの清潔なこと、先ほどのトイレとは段違いだった。気持ちが晴れ晴れしたことは言うまでもない。世界一清潔な都市は東京だと1週間ほど前にテレビのニュースでランキングを伝えていたが、まだまだの感を強くした。よく利用するT駅もリニューアルしたにもかかわらず、公衆トイレのマナーが悪いのか相変わらず汚い。定期的に清掃しているはずなのに。特に夕方から遅い時間が酷い。皆が利用するトイレだからマナーを守ってきれいに使いたいもの。家人曰く、駅の女子トイレも汚くて入りたくないっー。
これはスカトロジー(糞尿趣味)の話ではないのだ。


追記  今朝のネットには常磐線の電車の中で長椅子めがけて立ち小便をしている輩が映し出されていた。夜遅くのここの車両は人がいなかったようだが、とんでもない勘違いである。別に酒に酔っていたわけでもないらしく、次の駅辺りで下車していったという。全く呆れてしまう。恐らくこの車両は即取り換えものだろう。JRの方もこんな乗客がいて大迷惑に違いない(2017年4月27日 記)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 10 ウラジミール・プーチンロシア大統領の来日に思うこと

プーチンロシア大統領が12月15日に来日、山口県長門市の老舗旅館で日露トップ会談が行われた。翌日は場所を東京に移し共同記者会見で会談を終えた。会談時間は約2時間半。終わってみれば領土問題は進展なし。経済支援ばかり(約3000億円の経済投資)が 引き出された格好だ。プーチン大統領のしたたか外交が目立った。何だったの、こんなに期待を持たせて安倍首相!勘違いやら外交交渉の常道に見落としや読み間違いがあったのではと言われても仕方がないほどの成果のなさだ。
最近の地政学研究やトランプ次期大統領の登場で、地政学的見地に加えて“地経学”(2016年12月17日付毎日新聞朝刊2面を参照)見地も必要になってくるかも。最近の国際情勢の変化の中で、日本の立場をいかに国際社会にアピールするかがまさに問われているのだ。
土曜日夕方のTBS報道番組で金平キャスターが「読売新聞・日本テレビ記者がモスクワのクレムリンで来日前のプーチン大統領との会見で、領土問題はないとプーチン大統領の口から引き出したことはスクープだ」と語ったことが今回のプーチン大統領の訪日を象徴しているだろうか。そのプーチン大統領の胸の内を読み切れなかったということか。プーチン大統領に振り回されたか。メディアの騒ぎ立ても安倍首相の“意気込み”に乗った感じだ。元島民の女性はテレビのインタビューに応えて「期待したいが期待せず」の複雑な心境を語っていた。2時間半以上遅れて、予定の15分前に切り上げてさっと帰国してしまう神経もなんだが、日本の外交の脆弱さを見事に見せつけられた形である。最後は弘道館での柔道見学で日本滞在2日の外交日程を終えた。プーチン大統領到着前の長門市の老舗旅館周辺の警備は異常なほど厳しかったけれども、弘道館への道路の警備も物々しいかった。その警備員の一人に筆者が“プーチン車”のことを訊ねたら、「プーチン車はほんの2、3分前に通り過ぎたと」。オバマ大統領が鎌倉の大仏前の店に抹茶を食べに来た時は沿道に並んで写真を撮ったが、今回のプーチン大統領ではそれほどの関心はなかった。
安倍首相は今回の来日記念として幕末の日露交渉を象徴する「プチャーチン来航図」の複製画をプーチン大統領に贈ったとメディアが報じた。この船の歴史的なエピソードは和歌山県沖でトルコ軍艦遭難事件のそれと劣らず素晴らしい出来事だった。トルコは親日家が多いと聞くが、これからは日露関係も民間レベルでの交流をもっと盛んにしてロシアにたくさんの親日家を創り上げることが政治レベルでの硬直化を突き破る鍵かも知れない。

1482039227030.jpg

追伸 NHKスペシャル「日ロ交渉の裏側」やフジテレビの番組「Mr.サンデー」に出演した安倍首相を見ていると何だかオプティミストにみえてしょうがないと思うのは筆者だけだろうか。メディアに対する偏見も露呈する首相だが、はて、この先の北方領土問題解決はどう進展するのかこれからも注視していく必要がありそうだ。ある程度対等な関係で相手に切り込んでいく強硬な姿勢も必要だろう。そこからみえてくるものを信頼する他ないのだ。日露関係の未来は過去の柵を一つ一つ解きほぐす道程だ。あらゆる面で相互理解を深めることが、結局は国益に繋がることかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 名古屋・関西出張

1481804099119.jpg

翌日も京都で仕事。衣笠あたりから千本北大路に向かうためタクシーに乗った。前夜に発生した通り魔事件の現場近くをタクシーで通ったら、タクシードライバーが「警察官が4発発砲して犯人の足に命中した」とやや興奮気味に話してくれた。5歳の子どもが通りがかった男性にいきなり頭など刃物で切りつけられたらしい。幸い子どもの命には別状なかったが、いつなんどき不可解なことが起こるか分からない。犯人は入院後逮捕された。発砲理由として警察官は襲いかかってきたのでやもうえなかったと話している。犯人の動機の詳細は分からなままだ。そういえば、京都精華大学近くの通り魔事件、山科区の『餃子の王将』社長殺害事件(一部足掛かりは分かり始めているが捜査の全面究明には至っていない)などの“京都事件”も未解決のままだ。
ここ最近でも大阪環状線の駅で線路に女性二人を突き落とした事件も発生している。ただの通りすがりで衝動的にやったことが怖い。こういった事件が多くなってきていて、何か社会の歪み、ぎすぎすした感じを受ける。テレビ局の車などが止まっていた現場を通りすぎてから筆者も少しの間動揺を隠せなかった。
昼に京都御所の庭を通り抜け、烏丸通りのホテルで知り合いの先生と食事しながら談笑し、日本庭園(小川治兵衛作の池泉回遊式。この日は結婚式もあって和服姿の花嫁花婿が庭園に映えていた)を眺めてやっと京都の紅葉を味わった。最近読んだブログの孫引きだが、文芸評論家の小林秀雄の文章に「言葉も季節によって色付く」という卓越した表現があった。まさしくその表現に相応しい季節に遭遇。リアルステックでかつ風情のある晩秋の京都だ。さらに夕方にはクリスマスツリーも間近に見ることができた。

1481804100267.jpg

1481804101335.jpg

【写真上から : 同志社大学図書館前のクリスマスツリー 、京都御所と京都平安ホテルの庭の紅葉 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 名古屋・関西出張 2

京都行脚の続き。
国立国会図書館関西館を訪ねる前に、昼食をとることにしたのだが、少し気が利いたところがないか探しているうちにプチショッピングみたいな一角を発見した。その一つの丸亀うどん店に入った。例のセルフサービス形式の讃岐うどん店だ。筆者の地域にもあって日曜日の午後に時々車で出かけている店である。造りもほぼ同じ、客はやはり地元の人特に年配者が多かった。祝園駅のある精華町は来ない間にマンションやらプチショッピングやらできている。サントリーの研究所も移って来ているとか。そうそう、悪評高かった「しごと館」は閉鎖したか。辺鄙なところだが企業の研究所がいろいろあって広大、関西文化学術研究都市(通称けいはんな学研都市)を標榜しているものの、果たして東のつくば学園都市と比べて成果のほどは?京都、大阪、奈良県に跨がって130もの施設があるらしい。特に筆者が興味のあるのは国会図書館関西館、人の入りはどうだろう。気になるところだ。でも、この辺に持ち家を購入して大阪や京都の中心部に通っている人たちも案外多いそうだ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 10 名古屋・関西出張

このところ忙しくてこのコラムもご無沙汰。11月の最終週から名古屋、京都、大阪それに神戸と出張したせいで書く暇がなかなか取れなかったのだ。何せ名古屋入りしたらその日のうちに京都へ移動の強硬スケジュールだった。名古屋は夕方、知人のいる刈谷市のレストランまで出かけた。店主は2年前にここに来たらしく、ここがついのすみかと言っていた。長野県ではビジネスは上手くいっていたはずだが、彼の口から思いがけない一言が。会社経営は面倒だったー。察するにあまりあるようだった。この辺はトヨタ車体の本社があるが、車がない人には結構不便。往生しながら何とか名鉄とJRの新幹線を乗り継いで京都に着いたのは夜11時過ぎ。京都は紅葉狩り真っ只中と思いきや、色付きは11月23日~週末の25、6日がピークだったらしく、あとは色鮮やかとはいかなかった。名古屋の先生がぜひ東福寺と薦めてくれたこともあって(京都はこれまで仕事で頻繁に来ていたが、意外と古寺巡礼はほんの少し)、着いた翌朝行ってみようと京都駅(やはり外国の観光客と国内のおばちゃん族が多かった)の奈良線に乗ったまでは良かった。が、最寄り駅から1キロもあると聞いて行くのを諦めたのだった。事前にある先生とアポを取りつけていたため、仕事に差し支えたら大変と考えてのことだ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

福島県沖で震度5弱の地震

今朝は5時手前で目が覚めてトイレに行き、また寝ようとしたが寝つかれず枕元のスマホでNPR(アメリカ公共放送)のトランプ次期大統領関連のニュースを読んでいたら比較的大きな横揺れの地震があった。透かさずテレビをつけて地震速報を見た。震度5弱、マグニチュード7.3(気象庁は後に津波注意報を警報に、マグニチュード7.3を7.4に修正した!)で震源地は福島県沖推定25kmと。テレビのアナウンサーが津波が発生しますのでいち早く高台に逃げてくださいと告げていた。何度も早口で繰り返し、しかも途切れることもなくいち早い避難を呼びかけていた。避難指示の呼びかけの言葉も短く分かりやすかった。報道の仕方も進化したのだ。一時福島第2原子力発電所の一部(後に冷却ポンプと判明)が止まった。えっ、危ないと思ったがまもなく再開したとのニュースが流れてほっとした(その後のニュースで福島第2原子力発電所では3ヵ所損傷していたことが分かった。やはり危ないのだ!)。地震発生から約75分過ぎたころ、福島県、宮城県、茨城県と千葉県の太平洋沿岸に津波の第一波が押し寄せた。60cm、90cmと思っていたほど大きくなかったのは幸いだった。しかし、仙台湾では1.4mもあった!アルゼンチン訪問中の安倍首相や菅官房長官の国民の安全に対して万全をつくすとの会見もあった。記憶に新しいニュースとしては、イタリアのローマ北東部の小さな村で2度地震に襲われたことだ。教会が破壊され住民は2度の地震に途方にくれていた。本当に気の毒なことだが。田園風景が広がる観光スポットだった。4月に起きた熊本地震は、地震大国日本のやるせなさを象徴しているが、地震予知が科学的知見に基づいて的確迅速に行われることを切に望みたい。筆者的には3.11の津波で大被害を被った岩手県沿岸部、特に田老地区の災害復興の新聞記事を切り抜き机において検証していた矢先だから尚更だ。災害は忘れたころにやってくる(だから風化を防ぐためには日頃の備えが必要。最少の災害グッズ、心構えと避難場所など)見舞ったいわき市在住の誰かのメールにそう書かれていた。

追記 午後11時過ぎに帰宅したら、震度4の地震がまた発生のニュース。津波の心配はなく、福島第1、第2原子力発電所も異常がないらしい。一安心。

追記2 この地震は6年前の東日本大震災の余震でまだ続くとは気象庁の話。

追記3 今回の地震で沿岸部の人たちが素早く高台に避難したのは賢明だったが、車での移動が却って道路の渋滞を招くはめになったと。あの3・11の津波に飲み込まれた車の光景ーまさに地獄絵ーが浮かぶ。自治体の関係者が言っていたことだが、必要以上に車を使わず歩いて避難することが大切だという。災害を克服するとは教訓を生かすことなのだ。(2016.11.23 記)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 ノーベル賞メダルの価値 2

夏目房之助の談話からの引用、続き。

ところが、これがまた本当に世間知らずが集まった家族だから、現金を払ったとたん、不動産屋がつぶれて連絡がつかなくなってしまった。つまり騙されたんですね。登記もせずに契約だけして金を払ったわけだから、国税、都税、銀行の差し押さえ付きの部屋に住まなくてはならなくなった。きちんと調べなかった自分も悪いけど、たいへんなショックでした。その時、「俺はやっぱり遺産を使っちゃいけなかったんだ」と後悔しました。別に天国の漱石に叱られたわけではないけれど、そう思ったのです。〈中略〉人間は、自分の意志で生きているように思っていますが、実のところ社会や周囲との人間関係の中にぽんと放り出されて、お互いの作用反作用で生きている。それはどうしようもないもので、ある種とても怖いものだと感じます。漱石に関しても、僕にとっては会ったこともない、関係のない人だと思っていたけれど、たまたま彼のお金を使っちゃたら、とんでもない目にあった。僕はこのことを「関係の怖さ」と名づけたんです。自分の目に見えない、因果関係もないはずのところから突然襲ってくる関係の怖さについて、哲学的に考えていたのです。(特別談話 私の漱石 百年の時を越えて、祖父・漱石に会う P.56より引用)

夏目漱石の直系の孫にあたる夏目房之助の談話を長らく引用したが、ここには競売にかけるノーベル賞受賞関係者とおぼしき人たちに一石を投じる至極重要な教訓があるように筆者には思えてならない。

付記。NPRの記事の詳細を読みたい方はこちらへアクセスされたい。→http://n.pr/2dVpYTU

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 ノーベル賞メダルの価値

アメリカのNPR(National Public Radio)の電子版が2、3日前に
伝えたところによると、ノーベル賞のメダルと証書が有名な競売会社サザンビーズにかけられ、今週始めにも250万ドル~400万ドル位で落札される見通しだ。当のノーベル賞受賞者は天才数学者でゲーム理論の権威の経済学者だったが、昨年交通事故ですでに死亡している。こういった名誉あるメダルを競売にかけるケースが結構あるみたいで、その競売価格が話題に。多くは身内が何らかの事情でメダルを手放さざるをえないのかもしれないが、普通なら家宝もので末代まで守ろうと考えるはずだ。そのメダルがいくらの価値があるかというのがこの記事のタイトル。この経済学者は冷戦時代に軍関係の研究所に入り暗号解読の仕事に従事したようだ。しばらくして統合失調症(精神分裂症)を患った。2001年に彼の半生が映画にもなって、2002年には日本でも公開された。映画のタイトルはA Beautiful Mind。残念ながら筆者は未見。

先週の土曜日にNHK土曜ドラマ「漱石の妻」を観たが、今年は夏目漱石没後100年、12月にはまたまた岩波書店から漱石全集も刊行される(岩波は出版事業が芳しくない時期に漱石全集を出すと聞く。それだけ漱石ものは売れることの証左かも)。今回平成16年12月文藝春秋社刊行の『文藝春秋 臨時増刊号 夏目漱石と明治日本』を引っ張り出して読んでいる。気がついたことの一つに、この雑誌に寄稿した人たちの中には鬼籍に入った人が結構いることだ。しかし、12年経った今でも読んでみてめちゃ面白い。やはり漱石は巨匠だった!
さて、この雑誌に夏目漱石の直系の孫にあたる漫画評論家夏目房之助が談話形式で寄稿していてその内容に興味を引かれた。それはこのノーベル賞メダルの話とも大いに関連する話だ。

当時、漱石の著作権は切れていましたが、新しい原稿が見つかったとか、広告関係などでまとまったお金が入ることがありました。たいてい母親に内緒で親父が趣味に使っていましたけれど、たまたま見つけた母が「房之助のために使ってちょうだい」と言ったんです。漱石に頼るなんて気が進まなかったのですが、結婚してすぐ子どもが生まれたばかりの26才でしたし、母親の好意も無駄にしたくありませんでした。結局、父にこのお金を頭金として出してもらう形でマンションを買うことになりました。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 8 相模原市の福祉障がい者施設での殺傷事件 続

昨日の新聞でこの事件の真相が少し明らかになったようだ。新聞によると、容疑者が職員にこの人は話せますかなど質問したら職員は機転を利かせて少し話せると容疑者に応えたという。その後容疑者はその人たちには手を出さなかったらしい。完全に重度障がい者を狙った犯罪と言わざるをえない。職員の機転を働かせた言葉は極限状況で人の命を救ったが、筆者的にはかなりショックだ。(2016.8.15 記)

追記 毎日新聞読者欄に掲載されていた女性看護士の言葉。喋れなくとも目や表情でよく伝わってきます、彼らは懸命に生きていますと現場サポートの声にグッと来る。また、同じ新聞の地方版に載っていたのは埼玉県羽生市の住職。彼には重度自閉症の息子さんがいて、敷地内に障がい者施設を建ててしまったほどの持ち主(いや、もうひとつも建てている!)、この事件でショックを受けご夫婦で事件のあった神奈川県のやまゆり学園に埼玉県から出向き供養なさったそうだ。
今朝の海外ニュースでヒットラーの側近の妻がアーリア人ではなく実はユダヤ人だったことを報じていた(スペインTV)が(今更ながらインチキも甚だしい。これが事実ならば許せない!)科学ジャーナリストの新聞コラムで優生思想の話を読んだばかりで薄気味悪かったが同時に、私たちはいつ障がい者にならんとも限らない、たまたま運がいいだけだと書いていた。然り、然り。(2016.8.24 記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧