日記・コラム・つぶやき

超人の生真面目半分転生人語 10 ウラジミール・プーチンロシア大統領の来日に思うこと

プーチンロシア大統領が12月15日に来日、山口県長門市の老舗旅館で日露トップ会談が行われた。翌日は場所を東京に移し共同記者会見で会談を終えた。会談時間は約2時間半。終わってみれば領土問題は進展なし。経済支援ばかり(約3000億円の経済投資)が 引き出された格好だ。プーチン大統領のしたたか外交が目立った。何だったの、こんなに期待を持たせて安倍首相!勘違いやら外交交渉の常道に見落としや読み間違いがあったのではと言われても仕方がないほどの成果のなさだ。
最近の地政学研究やトランプ次期大統領の登場で、地政学的見地に加えて“地経学”(2016年12月17日付毎日新聞朝刊2面を参照)見地も必要になってくるかも。最近の国際情勢の変化の中で、日本の立場をいかに国際社会にアピールするかがまさに問われているのだ。
土曜日夕方のTBS報道番組で金平キャスターが「読売新聞・日本テレビ記者がモスクワのクレムリンで来日前のプーチン大統領との会見で、領土問題はないとプーチン大統領の口から引き出したことはスクープだ」と語ったことが今回のプーチン大統領の訪日を象徴しているだろうか。そのプーチン大統領の胸の内を読み切れなかったということか。プーチン大統領に振り回されたか。メディアの騒ぎ立ても安倍首相の“意気込み”に乗った感じだ。元島民の女性はテレビのインタビューに応えて「期待したいが期待せず」の複雑な心境を語っていた。2時間半以上遅れて、予定の15分前に切り上げてさっと帰国してしまう神経もなんだが、日本の外交の脆弱さを見事に見せつけられた形である。最後は弘道館での柔道見学で日本滞在2日の外交日程を終えた。プーチン大統領到着前の長門市の老舗旅館周辺の警備は異常なほど厳しかったけれども、弘道館への道路の警備も物々しいかった。その警備員の一人に筆者が“プーチン車”のことを訊ねたら、「プーチン車はほんの2、3分前に通り過ぎたと」。オバマ大統領が鎌倉の大仏前の店に抹茶を食べに来た時は沿道に並んで写真を撮ったが、今回のプーチン大統領ではそれほどの関心はなかった。
安倍首相は今回の来日記念として幕末の日露交渉を象徴する「プチャーチン来航図」の複製画をプーチン大統領に贈ったとメディアが報じた。この船の歴史的なエピソードは和歌山県沖でトルコ軍艦遭難事件のそれと劣らず素晴らしい出来事だった。トルコは親日家が多いと聞くが、これからは日露関係も民間レベルでの交流をもっと盛んにしてロシアにたくさんの親日家を創り上げることが政治レベルでの硬直化を突き破る鍵かも知れない。

1482039227030.jpg

追伸 NHKスペシャル「日ロ交渉の裏側」やフジテレビの番組「Mr.サンデー」に出演した安倍首相を見ていると何だかオプティミストにみえてしょうがないと思うのは筆者だけだろうか。メディアに対する偏見も露呈する首相だが、はて、この先の北方領土問題解決はどう進展するのかこれからも注視していく必要がありそうだ。ある程度対等な関係で相手に切り込んでいく強硬な姿勢も必要だろう。そこからみえてくるものを信頼する他ないのだ。日露関係の未来は過去の柵を一つ一つ解きほぐす道程だ。あらゆる面で相互理解を深めることが、結局は国益に繋がることかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 名古屋・関西出張

1481804099119.jpg

翌日も京都で仕事。衣笠あたりから千本北大路に向かうためタクシーに乗った。前夜に発生した通り魔事件の現場近くをタクシーで通ったら、タクシードライバーが「警察官が4発発砲して犯人の足に命中した」とやや興奮気味に話してくれた。5歳の子どもが通りがかった男性にいきなり頭など刃物で切りつけられたらしい。幸い子どもの命には別状なかったが、いつなんどき不可解なことが起こるか分からない。犯人は入院後逮捕された。発砲理由として警察官は襲いかかってきたのでやもうえなかったと話している。犯人の動機の詳細は分からなままだ。そういえば、京都精華大学近くの通り魔事件、山科区の『餃子の王将』社長殺害事件(一部足掛かりは分かり始めているが捜査の全面究明には至っていない)などの“京都事件”も未解決のままだ。
ここ最近でも大阪環状線の駅で線路に女性二人を突き落とした事件も発生している。ただの通りすがりで衝動的にやったことが怖い。こういった事件が多くなってきていて、何か社会の歪み、ぎすぎすした感じを受ける。テレビ局の車などが止まっていた現場を通りすぎてから筆者も少しの間動揺を隠せなかった。
昼に京都御所の庭を通り抜け、烏丸通りのホテルで知り合いの先生と食事しながら談笑し、日本庭園(小川治兵衛作の池泉回遊式。この日は結婚式もあって和服姿の花嫁花婿が庭園に映えていた)を眺めてやっと京都の紅葉を味わった。最近読んだブログの孫引きだが、文芸評論家の小林秀雄の文章に「言葉も季節によって色付く」という卓越した表現があった。まさしくその表現に相応しい季節に遭遇。リアルステックでかつ風情のある晩秋の京都だ。さらに夕方にはクリスマスツリーも間近に見ることができた。

1481804100267.jpg

1481804101335.jpg

【写真上から : 同志社大学図書館前のクリスマスツリー 、京都御所と京都平安ホテルの庭の紅葉 】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 名古屋・関西出張 2

京都行脚の続き。
国立国会図書館関西館を訪ねる前に、昼食をとることにしたのだが、少し気が利いたところがないか探しているうちにプチショッピングみたいな一角を発見した。その一つの丸亀うどん店に入った。例のセルフサービス形式の讃岐うどん店だ。筆者の地域にもあって日曜日の午後に時々車で出かけている店である。造りもほぼ同じ、客はやはり地元の人特に年配者が多かった。祝園駅のある精華町は来ない間にマンションやらプチショッピングやらできている。サントリーの研究所も移って来ているとか。そうそう、悪評高かった「しごと館」は閉鎖したか。辺鄙なところだが企業の研究所がいろいろあって広大、関西文化学術研究都市(通称けいはんな学研都市)を標榜しているものの、果たして東のつくば学園都市と比べて成果のほどは?京都、大阪、奈良県に跨がって130もの施設があるらしい。特に筆者が興味のあるのは国会図書館関西館、人の入りはどうだろう。気になるところだ。でも、この辺に持ち家を購入して大阪や京都の中心部に通っている人たちも案外多いそうだ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 10 名古屋・関西出張

このところ忙しくてこのコラムもご無沙汰。11月の最終週から名古屋、京都、大阪それに神戸と出張したせいで書く暇がなかなか取れなかったのだ。何せ名古屋入りしたらその日のうちに京都へ移動の強硬スケジュールだった。名古屋は夕方、知人のいる刈谷市のレストランまで出かけた。店主は2年前にここに来たらしく、ここがついのすみかと言っていた。長野県ではビジネスは上手くいっていたはずだが、彼の口から思いがけない一言が。会社経営は面倒だったー。察するにあまりあるようだった。この辺はトヨタ車体の本社があるが、車がない人には結構不便。往生しながら何とか名鉄とJRの新幹線を乗り継いで京都に着いたのは夜11時過ぎ。京都は紅葉狩り真っ只中と思いきや、色付きは11月23日~週末の25、6日がピークだったらしく、あとは色鮮やかとはいかなかった。名古屋の先生がぜひ東福寺と薦めてくれたこともあって(京都はこれまで仕事で頻繁に来ていたが、意外と古寺巡礼はほんの少し)、着いた翌朝行ってみようと京都駅(やはり外国の観光客と国内のおばちゃん族が多かった)の奈良線に乗ったまでは良かった。が、最寄り駅から1キロもあると聞いて行くのを諦めたのだった。事前にある先生とアポを取りつけていたため、仕事に差し支えたら大変と考えてのことだ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

福島県沖で震度5弱の地震

今朝は5時手前で目が覚めてトイレに行き、また寝ようとしたが寝つかれず枕元のスマホでNPR(アメリカ公共放送)のトランプ次期大統領関連のニュースを読んでいたら比較的大きな横揺れの地震があった。透かさずテレビをつけて地震速報を見た。震度5弱、マグニチュード7.3(気象庁は後に津波注意報を警報に、マグニチュード7.3を7.4に修正した!)で震源地は福島県沖推定25kmと。テレビのアナウンサーが津波が発生しますのでいち早く高台に逃げてくださいと告げていた。何度も早口で繰り返し、しかも途切れることもなくいち早い避難を呼びかけていた。避難指示の呼びかけの言葉も短く分かりやすかった。報道の仕方も進化したのだ。一時福島第2原子力発電所の一部(後に冷却ポンプと判明)が止まった。えっ、危ないと思ったがまもなく再開したとのニュースが流れてほっとした(その後のニュースで福島第2原子力発電所では3ヵ所損傷していたことが分かった。やはり危ないのだ!)。地震発生から約75分過ぎたころ、福島県、宮城県、茨城県と千葉県の太平洋沿岸に津波の第一波が押し寄せた。60cm、90cmと思っていたほど大きくなかったのは幸いだった。しかし、仙台湾では1.4mもあった!アルゼンチン訪問中の安倍首相や菅官房長官の国民の安全に対して万全をつくすとの会見もあった。記憶に新しいニュースとしては、イタリアのローマ北東部の小さな村で2度地震に襲われたことだ。教会が破壊され住民は2度の地震に途方にくれていた。本当に気の毒なことだが。田園風景が広がる観光スポットだった。4月に起きた熊本地震は、地震大国日本のやるせなさを象徴しているが、地震予知が科学的知見に基づいて的確迅速に行われることを切に望みたい。筆者的には3.11の津波で大被害を被った岩手県沿岸部、特に田老地区の災害復興の新聞記事を切り抜き机において検証していた矢先だから尚更だ。災害は忘れたころにやってくる(だから風化を防ぐためには日頃の備えが必要。最少の災害グッズ、心構えと避難場所など)見舞ったいわき市在住の誰かのメールにそう書かれていた。

追記 午後11時過ぎに帰宅したら、震度4の地震がまた発生のニュース。津波の心配はなく、福島第1、第2原子力発電所も異常がないらしい。一安心。

追記2 この地震は6年前の東日本大震災の余震でまだ続くとは気象庁の話。

追記3 今回の地震で沿岸部の人たちが素早く高台に避難したのは賢明だったが、車での移動が却って道路の渋滞を招くはめになったと。あの3・11の津波に飲み込まれた車の光景ーまさに地獄絵ーが浮かぶ。自治体の関係者が言っていたことだが、必要以上に車を使わず歩いて避難することが大切だという。災害を克服するとは教訓を生かすことなのだ。(2016.11.23 記)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 ノーベル賞メダルの価値 2

夏目房之助の談話からの引用、続き。

ところが、これがまた本当に世間知らずが集まった家族だから、現金を払ったとたん、不動産屋がつぶれて連絡がつかなくなってしまった。つまり騙されたんですね。登記もせずに契約だけして金を払ったわけだから、国税、都税、銀行の差し押さえ付きの部屋に住まなくてはならなくなった。きちんと調べなかった自分も悪いけど、たいへんなショックでした。その時、「俺はやっぱり遺産を使っちゃいけなかったんだ」と後悔しました。別に天国の漱石に叱られたわけではないけれど、そう思ったのです。〈中略〉人間は、自分の意志で生きているように思っていますが、実のところ社会や周囲との人間関係の中にぽんと放り出されて、お互いの作用反作用で生きている。それはどうしようもないもので、ある種とても怖いものだと感じます。漱石に関しても、僕にとっては会ったこともない、関係のない人だと思っていたけれど、たまたま彼のお金を使っちゃたら、とんでもない目にあった。僕はこのことを「関係の怖さ」と名づけたんです。自分の目に見えない、因果関係もないはずのところから突然襲ってくる関係の怖さについて、哲学的に考えていたのです。(特別談話 私の漱石 百年の時を越えて、祖父・漱石に会う P.56より引用)

夏目漱石の直系の孫にあたる夏目房之助の談話を長らく引用したが、ここには競売にかけるノーベル賞受賞関係者とおぼしき人たちに一石を投じる至極重要な教訓があるように筆者には思えてならない。

付記。NPRの記事の詳細を読みたい方はこちらへアクセスされたい。→http://n.pr/2dVpYTU

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 9 ノーベル賞メダルの価値

アメリカのNPR(National Public Radio)の電子版が2、3日前に
伝えたところによると、ノーベル賞のメダルと証書が有名な競売会社サザンビーズにかけられ、今週始めにも250万ドル~400万ドル位で落札される見通しだ。当のノーベル賞受賞者は天才数学者でゲーム理論の権威の経済学者だったが、昨年交通事故ですでに死亡している。こういった名誉あるメダルを競売にかけるケースが結構あるみたいで、その競売価格が話題に。多くは身内が何らかの事情でメダルを手放さざるをえないのかもしれないが、普通なら家宝もので末代まで守ろうと考えるはずだ。そのメダルがいくらの価値があるかというのがこの記事のタイトル。この経済学者は冷戦時代に軍関係の研究所に入り暗号解読の仕事に従事したようだ。しばらくして統合失調症(精神分裂症)を患った。2001年に彼の半生が映画にもなって、2002年には日本でも公開された。映画のタイトルはA Beautiful Mind。残念ながら筆者は未見。

先週の土曜日にNHK土曜ドラマ「漱石の妻」を観たが、今年は夏目漱石没後100年、12月にはまたまた岩波書店から漱石全集も刊行される(岩波は出版事業が芳しくない時期に漱石全集を出すと聞く。それだけ漱石ものは売れることの証左かも)。今回平成16年12月文藝春秋社刊行の『文藝春秋 臨時増刊号 夏目漱石と明治日本』を引っ張り出して読んでいる。気がついたことの一つに、この雑誌に寄稿した人たちの中には鬼籍に入った人が結構いることだ。しかし、12年経った今でも読んでみてめちゃ面白い。やはり漱石は巨匠だった!
さて、この雑誌に夏目漱石の直系の孫にあたる漫画評論家夏目房之助が談話形式で寄稿していてその内容に興味を引かれた。それはこのノーベル賞メダルの話とも大いに関連する話だ。

当時、漱石の著作権は切れていましたが、新しい原稿が見つかったとか、広告関係などでまとまったお金が入ることがありました。たいてい母親に内緒で親父が趣味に使っていましたけれど、たまたま見つけた母が「房之助のために使ってちょうだい」と言ったんです。漱石に頼るなんて気が進まなかったのですが、結婚してすぐ子どもが生まれたばかりの26才でしたし、母親の好意も無駄にしたくありませんでした。結局、父にこのお金を頭金として出してもらう形でマンションを買うことになりました。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 8 相模原市の福祉障がい者施設での殺傷事件 続

昨日の新聞でこの事件の真相が少し明らかになったようだ。新聞によると、容疑者が職員にこの人は話せますかなど質問したら職員は機転を利かせて少し話せると容疑者に応えたという。その後容疑者はその人たちには手を出さなかったらしい。完全に重度障がい者を狙った犯罪と言わざるをえない。職員の機転を働かせた言葉は極限状況で人の命を救ったが、筆者的にはかなりショックだ。(2016.8.15 記)

追記 毎日新聞読者欄に掲載されていた女性看護士の言葉。喋れなくとも目や表情でよく伝わってきます、彼らは懸命に生きていますと現場サポートの声にグッと来る。また、同じ新聞の地方版に載っていたのは埼玉県羽生市の住職。彼には重度自閉症の息子さんがいて、敷地内に障がい者施設を建ててしまったほどの持ち主(いや、もうひとつも建てている!)、この事件でショックを受けご夫婦で事件のあった神奈川県のやまゆり学園に埼玉県から出向き供養なさったそうだ。
今朝の海外ニュースでヒットラーの側近の妻がアーリア人ではなく実はユダヤ人だったことを報じていた(スペインTV)が(今更ながらインチキも甚だしい。これが事実ならば許せない!)科学ジャーナリストの新聞コラムで優生思想の話を読んだばかりで薄気味悪かったが同時に、私たちはいつ障がい者にならんとも限らない、たまたま運がいいだけだと書いていた。然り、然り。(2016.8.24 記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人のひと夏の想い出 七葉変幻

Image_10

Image_11

Image_12

Image_13

Image_14

Image_15

Image_21


写真上から。
1. 玄関の窓に偶然とまったガ
2. 日比谷公園で開かれていた朝顔テント
3. 仙台駅の七夕祭のデコレーション
4. 足立区の花火大会直前の2 rainbows
5. 西脇順三郎関係雑誌 “ポポイ”ワールド
6. 京都四条・鴨川での“プフィ”の夕涼み
7. 怪しげな動物園のヒマワリダンス

さて、1~7までの共通項を見出だせば“天気”だろうか。
5がなぜ? それは筆者の最近のコラムをご覧あれ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

辛島泉さん追悼「豊後のくにのサイエンス リテラシー伝道師」続々

昨日『科楽知タイム』児童文学と科学読物の会会報 NO.93 2015年7月16日の最新号が届いた(辛島泉さんの亡くなられた日!)。辛島泉追悼臨時増刊号の趣。会員の方の「皆様にお知らしせします」の小文には、癌と闘っていた辛島泉さんの姿がリアルにやさしく描かれている。何と読書欲の旺盛な方だったか。また、会の活動の顔として講演、読書会、科学あそび等精力的にこなしていたかは、最新号の辛島泉さんの筆による「総会を終えて」に見事に結実している。特に児童文学と科学読物の会の2014年度活動プログラムを一瞥したとき、筆者は会の活動の充実振りと意欲ある取組に頭のさがる思いがした。今や子どもたちだけではなく、大人も科学をもっと身近に、それが辛島泉さんの願いだ。最新号で採り上げた課題書、大枝史郎 佐藤みき訳『月の満ちかけ絵本』の取組も力が入っていて、15、6頁を割いてリポートやらトークやらそれに月の満ちかけ見実験まであり、実にバラエティ―に富んでいる。こういうところに理論と実験の醍醐味があるのだ。すごいのは英語版の間違いまで指摘していることだろう。これはこの本をよく読み込んでいる証左だ。なかなか興味のある読書記録、良質な綴り方教室になっている。特別に刷り込まれた様子の「庄内新聞」には“文化としての科学を求めて”との辛島泉さんならではの思いが書かれていたが、これは5年前の小さな雑誌に寄稿したものと符合する。そういえば、この号の「残映」にも豊後のくにの偉人、福澤諭吉の『訓蒙窮理図解』に触れて“科学読物は大分から”と少し照れながら宣伝していたー。

辛島泉さんは、病院のベッドで津村節子の『紅梅』(夫の作家吉村昭のことを描いているが、最後の章には癌と闘う夫がカテーテルを外し死を遂げる様が、妻の眼を通してリアリスティックに描かれている傑作。凄絶な最後を描いて余りある)などを読み、最後はスイカを少し口にして旅立ったという。ある意味では辛島泉さんは幸せな人生を送られたのではないかと思う。(2015年8月6日 記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧