経済・政治・国際

超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと 6

ドナルド・トランプ大統領が就任して1ヶ月、閣僚人事の議会承認が大幅に遅れていてまだ半分にも満たない有様で、その上解任や辞任も出て初動から躓いている。記者会見では相変わらず自分の仕事の成果をアピールするのに躍起だ。2月中旬には安倍首相との会談・ゴルフで親密さを演出、真意のほどは皆目分からないが安倍首相に“感謝”まで飛び出す始末。メディア批判は相変わらずで収拾がつきそうにもない。この先どうなるか、何が飛び出すか予断できない状態だ。そんな折アメリカの精神科医の投書が話題になっているという。
www.j-cast.com/2017/02/19290985.html?p=all
自己愛が強すぎるなど性格に問題を抱えるドナルド・トランプ大統領は、国家のリーダーとして相応しくないとの見解を表明したのだ。これは極めて異例だそうだが、そういう人物を支持している人々もいるから不思議に思える。自己顕示欲が強くて強情張り、事実をねじ曲げても自分の意見を押し通してしまう強引さ、自分を批判するメディアに対しては容赦しないほどの罵倒を浴びせて不満をぶちまける、この何とも幼稚すぎる振る舞いには品格dignityなど微塵もないのだ。
漫画のヒーローにはうってつけのキャラと思われるが、この分で行けば一年中良いに悪いせよ、メディアを賑わすことはあり得るかも。アメリカの政治が正義、平等、少数の意見の尊重、寛容さ、多様性など民主主義の土台を崩さず社会の要請に応えるべく政治力を発揮してもらいたい。選挙キャンペーンの支持者向けに雇用促進など公約実行中と経済力で強いアメリカを取り戻せと意気込むこともいいがー。

1487602046168.jpg

ニューヨーク在住の私設特派員が送ってきたトランプタワーの最新写真。歪んで見えるのは気のせいか(笑)。

fake +fake = new face


| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと 5

ドナルド・トランプ大統領が就任して2週間、全速力で突っ走ってきた感じだが、融和どころか対立と分断の様相がより鮮明になってきている。中でも中東やアフリカ7ヵ国の人々の一時入国禁止は、現政権と連邦裁判所の対立が激化、様相は前代未聞の事態に。また、ツイッターでのやり取りは相変わらずで、ニューヨークタイムズやCNNなどメディアとの対立も。現政権はいつまでも持つか、途中で投げ出すのではと囁かれている。大統領選挙のレースに勝つことに興味があるだけで、大統領になることには興味を示していないとも言われている・・・。
アメリカに不利益のTPPからの離脱、不法移民を防ぐメキシコとの国境の壁構築、雇用促進のための自動車メーカーへの国内移転、大義名分はテロ対策の難民・移民の一時入国廃止等々矢継ぎ早に強権的な大統領令を発令、これに対して比較的大きな反対デモも各地で起きている。世論調査の大統領支持率を巡ってもメディアと対立している有り様だ。フェイクニュース(嘘のニュース)、フェイクニュースと言ってはメディアを煽っている。
ここに来てまた新たな問題が浮上してきている。議会に副大統領がやって来るなど前代未聞のケースが起きて、ベッツィ・デボス教育長官が均衡を破って上院の議会承認が得られたと今朝のアメリカのメディアは伝えていた(APS やABCのニュース)。ベッツィ・デボス教育長官自身は私教育の享受者で公教育の素人、教育制度改革を行うらしい。6000万人の生徒、4000万人の学生を擁する全米の学校や大学で教育予算やスカラーシップの問題をどうするか、今からその手腕に疑問符が付いている。気になるのは中東・アフリカ7ヵ国の人々のアメリカ一時入国禁止だ。テロ防止だと嘯くが明らかに移民排斥や人種差別だ。これは佐藤優や金平茂紀が指摘するまでもなく(『週刊現代』2017年2月18日号)、今後アジアに波及する恐れがあることを私たちは自覚しておくことが必要かも知れない。いつか来た道を辿らないためにも、かつて黄過論で日系移民などアジア移民バッシングあった歴史を忘れてはならない。筆者の身内もニューヨークに留学中なので他人事ではないのだ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと 4

アメリカの現政権で初めて来日したマティス国防長官は、海兵隊大将の経験を持ち蔵書7000冊ともいわれている学者肌の独身の長官。奇しくも毎日新聞の朝刊トップの見出しは「総合科技会議 大学の軍民両用研究を推進」だった。中国や北朝鮮など東アジア地域の安全保障を睨んだ日米軍事同盟のあり方を日本政府関係者と探るものとみられている。
マティス長官のあだ名は狂犬(mad dog)、様々な戦争に加担した張本人でしかも前線の指揮もとった軍のエキスパート。今日の稲田防衛大臣の会談・記者会見ではより強い日米同盟関係を築くことを協調するも、トランプ大統領の言及した在日米軍駐留経費負担(米軍駐留経費負担、いわゆる思いやり予算、2015年度の日本側負担は約1910億円、アメリカ側の負担率13.6%の約300億円に過ぎないー2017年2月4日毎日新聞朝刊から引用)問題については日本は他の国々のお手本と持ち上げ明言を避けた格好だ。
さてさて、トランプ大統領の吠え方がツイッターを使って益々過激、その上に大統領令(executive order)を連発して内外にトラブルメーカー振りを発揮している。目下の見せどころは大統領令に添えた彼のユニークなサインそれに書きやすそうなペンーそんなパフォーマンスばかりが目立つ(筆者的には確かにペンの銘柄は気になるところ)。中でも中東・アフリカ7ヵ国の難民の一時入国禁止は、準備不足も関係していて空港などの現場が大混乱しているばかりか、連邦裁判所の却下判断、反対デモと全米各地で波紋も広げているのだ。トランプ砲は取り敢えず打ち放っている感じにしか見えない。少なくとも筆者には。日本のメディアも特に週末となれば“トランプ占い”に躍起だ。筆者たちの大学時代からいわれてきたことだが、最近特に新聞・テレビ・雑誌それにメディアその上ネットメディアの政治色がより鮮明になってきている感じだ。何だかねぇー。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと 3

そうだ、忘れていたドナルド・トランプ大統領の就任演説の内容に言及することだった!平易な英語は筆者たちの外国人には理解するのに大いに助かるが、あまりにも短絡すぎる文言やリフレインが多く、選挙公約実行に向けた各論のオンパレードで薄っぺらな印象、これが大統領就任演説かと目を疑ったほどだ。これではほぼ半分の支持者向けの演説と変わらない。強いアメリカを取り戻せ、アメリカ第一で。そう訴えている背景には弱くなっているアメリカの現実があるが、政治は正義に基づき公平に平和的に解決することが求められる。少なくともデモクラシーの国民国家では。今や短文形式のツイッターが政治に利用されて独り歩きしている。強気だったりときに弱気だったりと感情の起伏があるトランプ砲だが・・・。
ニューヨーク在住の身内はラインでデモが急増していると書き込んできた。それと狙われているのではとの噂も。ここで立ち止まって、やはりケネディ大統領の言葉を熟考・再考しようではないか。誘導尋問が上手くその“白熱教室”ですっかり日本でも有名になったハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンダル教授にも訊きたいが、ここはフランスのジャック・アタリの発言が近い将来を読み解いているかも。彼によると戦争の時代再び・・・。3日ばかり前かテレビの報道番組でポーランドのアウシュビッツからの特派員の報告があったばかりだが、さて、今、世界は超激動の時代に突入したかー。イギリス、北欧、ドイツ、フランス、オーストリア、ハンガリー、イタリアなどの欧州にも難民・移民排斥の右翼勢力が台頭し始め、“~first”が罷り通る気配だ。筆者などは大正14年(1925 )頃の日本・世界情勢を年表や当時の経済資料・文学資料を使って読み込んでいるが、この5年後の1929年、世界恐慌が起こり世界の動きが大きく旋回し人類にとって悲惨な負の遺産をもたらす時代に。ジャック・アタリは第三次世界大戦があるかもと含みを持たせた発言をテレビのインタビューで語っていたのだ。いやはやー。
ドナルド・ダック君否ハートがなくchildishと囁かれているトランプさん、手形乱発みたいな切りすぎたカードは使いものになら変!対立を煽らないで。

ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領の就任演説を読むはこちら→http://mainichi.jp/english/articles/20170121/p2g/00m/0in/004000c

目を国内政治に向ければ、1月の国会質疑の答弁で「云々」を“でんでん“と読んだどこかの首相もいたとか。今日などネットで話題沸騰している。いやはや。

追記 先ほど入ってきたネットニュースによれば、カリフォルニア大学バークレー校で学生が暴徒化し右翼の講演のボイコット(トランプ政権の関係者がいたメディア)したことに対してトランプ大統領が早速反応、大学への補助金カットを示唆したという。これはアメリカの大学にはリベラルな人が多いらしく、現政権と不測の事態がいつ起きてもおかしくない証拠、日本にも少なからず影響が出るはずと筆者がつい2日前に話題にしたばかりの出来事だ。(2017.2.3 記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと 2

新聞に掲載されたドナルド・トランプアメリカ大統領の15分足らずの就任演説を読んだ(原文と和訳)。テレビで視聴したが、何せ深夜で眠たい時だけによく覚えていなかった。“And, yes, together, we will make America great again”という今や彼の代名詞みたいな文言で演説を締め括ったが、筆者的にはファーストレディになったばかりの東欧系(スロベニア人)の美人、メラニア夫人(ソフィア・ローレン似)の艶やかなブルー系のファッションに目を奪われたのが正直な気持ち。それはさておきトランプ大統領の就任演説の内容だ。時代や政治理念等を考えるのにキーポイントになると思われるので、ここで1961年のジョン・F・ケネディの就任演説の有名な箇所を引用してみたい。

And so, my fellow American: ask not what your country can do for youーask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.

“国家があなたのために何ができるかを問うことではなく、あなたが国家のために何ができるかを問うてください”

このあまりにも有名な政治哲学的な命題否言葉は、筆者が高校の時分に英語の授業で教えられ暗記したものだ(そう記憶しているが大昔のため曖昧だ)。そしてジョン・F・ケネディ大統領の写真と文章で綴った本まで買ったのだ。
そうだ、忘れていたドナルド・トランプ大統領の就任演説の内容に言及することだった!平易な英語は筆者たちの外国人には理解するのに大いに助かるが、あまりにも短絡すぎる文言やリフレインが多く、選挙公約実行に向けた各論のオンパレードで薄っぺらな印象、これが大統領就任演説かと目を疑ったほどだ。これではほぼ半分の支持者向けの演説と変わらない。強いアメリカを取り戻せ、アメリカ第一で。そう訴えている背景には弱くなっているアメリカの現実があるが、政治は正義に基づき公平に平和的に解決することが求められる。少なくともデモクラシーの国民国家では。今や短文形式のツイッターが政治に利用されて独り歩きしている。強気だったりときに弱気だったりと感情の起伏があるトランプ砲だが・・・。
ニューヨーク在住の身内はラインでデモが急増していると書き込んできた。やはりケネディ大統領の言葉を再考してもよさそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと

トランプで切れるキレないドルミドル

先週の金曜日の深夜、第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ氏の就任式をテレビで観た。ワシントンDCからの中継はいつもの大統領就任式とは趣が些か違っていたようだ。押し寄せた観客は、前回の大統領選で“チェンジ”を訴えて当選した黒人系アメリカ人初の大統領オバマ氏の180万人より遥かに少なく90万人位(?)、しかもそのほとんどが白人 。100近くの団体の抗議デモもあって、一部は暴徒化して銀行などの窓ガラスを破壊し警察との衝突も出た。セレモニー会場は60名ほどの国会議員の欠席もあってか空席も目立った。興味深かったのはあのマドンナがプラカードをもって抗議デモをしていたことだ。

3日後、ホワイトハウスの執務室のカーテンの色がトランプ大統領好みの金色に塗り替えられた。思い出した、思い出した、日本にもスケールは小さいが、予備校の先生で金ピカ好きの英語のカリスマ先生がいたことをー。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の面白、街の話題 12 アメリカの9.11 と日本の3.11 続

 テレビは3.11から半年後の被災地の姿を新たに入手した映像を加えてこれでもかこれでもかとリポーターやキャスターを現地入りさせて映し出していた。
 ちょうど今日、新野田閣僚の要、経産省鉢呂大臣が原発舌禍事件で辞任、後任に枝野元官房長官が任命された。政治は何をやっているのか、まだ13日の臨時国会での首相所信表明演説前である。すっかり有名になったどじょうの話、泥臭い政治で震災復興、景気対策を掲げたまでは…。しかし、もう、辞めた、が出てしまった。メディア(誰が名付けたかマスゴミだと、この語感の妙)が政局を造る構図も見え隠れしないでもないが、昨夜遅くの某ニュース番組では解説者がメディアのやり過ぎと非難していた。しかし大臣たるものその職責の重さを感じて政治力を発揮してもらいたい。被災地の人に反感買う言葉は慎むべきだ。もし自分がそういう立場だったらどうする?政治家の想像力の欠如、今何よりも被災地の動向が大事なことなのに、自ら被災地に入っての発言だから困る、要は“軽い”のだ。大本営擬きの政府筋や東電側の発表にはうんざりだが、未曾有の大自然災害と大人災に一早く立ち向かわなければならない事態に遅々として進まない被災地の現状を見せつけられるにつれ、日本国はいつから人との繋がりをなくしてしまったか。がんばろう、日本、絆等々の言葉が実体を伴わず浮いている。掛け声だけの空虚なものだ。もっともっと一人一人の気持ちの有様を保たなければならないのに…。天災は忘れた頃にやって来る、とはよく言われること。アメリカのハリケーンやトルネードの自然災害を持ち出すまででもないが、今はリアルタイムで被害現場を映し出してくれる。しかし、真実の報道もまた、問われているのだ。そんな中で光っていたのは、災害を乗り越え懸命に生きる一地方紙の姿だ。「石巻日日新聞」、その活動は大津波の被害を受けて輪転機など新聞社に欠かせないものが機能不全の状態に陥る中、壁新聞を自ら発刊、記者魂を奮い起こさせ、報道の大切さ、ジャーナリストの何たるかを私たちに教えてくれた。3.11から半年経った昨日、某テレビのドキュメンタリー番組がこの石巻日日新聞社の記者たちを追っていた。地域密着で行かないと私たちは生き延びていけないと語るある記者の言葉が印象的。まだ避難所暮らしを強いられているある中年の女性は、この新聞を読むのが何よりの楽しみだと。ここには派手に文字が躍る見出しがない代わりに、新聞の使命の基本的な形がある。
紙面の印刷は盛岡にある新聞社の輪転機を借りてしているのだろうか。この日曜遅くのドキュメンタリー番組は、最後の5分を3.11から半年の特別号を出した直後の石巻日日新聞社を映し出していた。敢えて表現すれば、希望の灯りのような仮社屋。
ところで、某テレビではすでにお馴染みになった“サンダル”教授、否マイケル・サンデル教授の特別白熱教室を放送。今回は確か特別講義の第2弾、日本・東京、中国・上海、アメリカ・ボストンを結ぶ衛星テレビ討論会だ。前にも感じたことだが、どうやって討論会に参加するメンバーを選考するのか興味あるところ。みんな同じ条件だろうか。
 それは余談だが、その討論会で驚いたことがあった。ある質問の答えにアメリカ・ボストンのハーバード大学の学生たちが原発維持に全員賛成していたことだ。昔流行った言葉に“なぜだ”という言葉があったが、まさにこの言葉を発しそうだった!放射能漏れが起こった場合、どんな影響が出るかすでに実証済なのだが、それでも便利さを享受したいのか、少し考えさせられた討論会だった。相変わらずサンデル教授の進行のテンポは良い。今回はアメリカ通の3人がゲストコメンテーターとして登場していた。

 以上が土日のメディアをウオッチした感想だ。

今日(13日、水曜)野田首相が所信表明演説をしたが、掛け声だけではなく、実りのある震災復興をいち早くやりとげてほしい。
フランスの核施設で爆発事故が起きた模様。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の面白、街の話題  11  アメリカの9.11 と 日本の3.11

 昨夜はなでしこジャパンが対中国戦で苦しい戦いの末、1-0で勝利。これでアジア予選、4勝1引き分け。すでに来年のロンドンオリンピック行きは決定しているが、他の地域の強豪と戦って金メダルを獲得するためにはパワーや試合運びに一工夫もニ工夫も必要だ。若手選手を起用した昨日の中国戦では、アウェイ、雨天のコンディションもあったけれども、相手の中国側には運動能力に優れた選手もいたのだ。過酷な試合日程でチームのコンディションもあまり良くなかったようだ。これを機に更なる進化を遂げてほしい。
 ところで、筆者の家の近くにもなでしこジャパンのメンバーがいるとは知らなかった!
 前置きはこの位にして本題に入ろう。9.11と3.11の話だ。メディアの伝えた範囲での話だが、9.11以後ブッシュ政権時代に急遽通した法案に「Patriot Act愛国者法」がある。この法律ができたことで個人情報が筒抜けになり、全然関係のない人までFBIからテロ容疑にかけられている事実を目の当たりにして、あってはならないことが現実的にアメリカで起きていることを実感した。昨日のBBC放送のドキュメンタリーでの放送だ。また、ニューヨーク市街は政府の監視カメラが至るところに取り付けられていてその数、500とも800個とも。新たな監視社会の出現だ。そして今朝方のABCニュースの伝えるところによれば、グランドゼロでの10周年追悼式の直前、ブルームバーグニューヨーク市長が緊急会見、グランドゼロ近くとニュージャージーで盗難車を発見、テロを未然に防いだとの報道があった。元大統領のブッシュ氏と現大統領のオバマ氏そして元ニューヨーク市長のジュリアー二氏らが出席して大きな節目の追悼式がグランドゼロのモニュメント広場で5時間かけて行われた。メインセレモニーは遺族の代表者が死亡者の名前を読み上げるセレモニー、しかしブルームバーグニューヨーク市長は来年から一歩前進の意味を込めてこの行事は取り止めるという。このところのアメリカは元気がないどころか大国の陰りがでてきているように見受けられる。リーマンショック以来、経済的には立ち直っていない、ドルは2001年時、143円、2011年9月11日では77円でドルの威信は半減である。イラクやアクガン戦争で若者の死者の数も多い、戦費は8兆円を超えているという。安心安全がまた、信頼も失われているようだ。オバマ政権の景気刺激策や雇用問題の解決などマクロ経済政策の抜本的解決が急がれると同時に、病んだアメリカを元気にしてもらいたい。保守派のティーパーティーの連中だけではよりよい社会実現は難しいと思うのだ。排他的差別的格差的現象が益々起きる可能性があるからだ。自由、平等、正義、そして移民の国だからこそできることを成し遂げてほしい。
翻って日本国の話。3.11。これについては次のコラムで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人のジャーナリスト・アイ 144 ノルウェーの銃乱射事件

 下記は今日日本時間午前11時半過ぎに起きたノルウェーの首都オスロでの爆破・銃乱射事件の報道。筆者はちょうど原発問題を放送していた番組を視ていたが、このテレビ局はニュース速報を番組を中断して流した。
 ノルウェーの新聞アフトンポステン紙の電子版の記事。死亡者は90人以上の大惨劇。オスロはノーベル平和賞受賞者の舞台、いやはや―。犯人はノルウェー人の32歳の右翼、背景には移民問題が絡んでいるらしい。ヨーロッパではスウェーデン、ドイツやフランスなどイスラム圏の移住者が増えていて社会問題になっている。下記の記事を読むと事件直後の生々しさが伝わってくる。 

Hell on Utøya

Photo: Christopher Andersen Øverli _sccaipub_fbr_dt_1515027e
PRABLEEN Kaur - Chairman of Differences AUF. Survivors of the tragedy on Utøya Updated: 23.07.11 at. 12:58 Posted: 7/23/11 at. 11:52
_sccaipub_al_pet_1515056x_3

We consoled ourselves that we were safe on an island after a bomb attack in Oslo. No one knew that hell would break out with us too.
I woke up . I can not sleep more. I'm sitting in the living room. Feeling grief, anger, happiness, God, I do not know what. There are too many emotions. There are too many thoughts. I'm afraid. I react to the slightest sound. I will write about what happened on Utøya. What my eyes saw, what I felt, what I did. The words come straight from the liver, but I would also anonymize many names out of respect for my friends.

We had a crisis meeting in the main building after the explosions in Oslo. After that there was a meeting for members of Akershus and Oslo. After the meetings were many, many people around and in the main building. We consoled ourselves that we were safe on an island. No one knew that hell would break out with us too.

Prableen Kaur survived the tragedy of Utøya. This is her story about what happened. Photo: Trygve Indrelid
I stood in the main time when panic broke out. I heard shots. I saw him shoot. All started to run. The first thought was: "Why shoot the police on us? What the hell?! "I ran into the little room. People ran. Screamed. I was scared. I managed to get into one of the rooms at the back of the building. We were many in there. We lay on the floor all together. We heard several shots. Were more afraid. I cried. I knew nothing. I saw my best friend through the window and wondered if I should go out and bring him to me. I did not. I saw fear in his eyes.

We were lying on the floor inside the room for a few minutes. We agreed not to release more in case the killer came. We heard several shots and decided to jump out the window.

Panic broke out among us.

All in the room rushed to the window and tried to jump out. I was the last and thought, "I'm the last to jump out the window. Now I'm dying. I'm sure, but it might be okay, then I know that the others are safe. "I kasket my bag out the window. Tried to managed down, but lost her grip. I landed hard on the left part of the body. A boy helped me up. We ran into the woods. I looked around. "Is he here? Shoot him for me? Viewing him myself? "

A girl had a broken ankle. Another was severely injured. I tried to help a little bit before I went down to the water. I sought cover behind a sort of brick wall. We were many.

I prayed, prayed, prayed. I hope that God saw me. I called Mom and said that it was not safe we ​​would meet again, but that I would do anything to clear me. I said several times that I loved her. I heard fear in her voice. She cried. It hurt. I sent a text message to my dad, told him I loved him. I sent a text message to another person I am very, very happy in. We were a little contact. I sent a text message to my best friend. He did not answer.

We heard several shots . Snuggled together. Did everything we could to keep warm. There were so many thoughts. I was so scared. My dad called me. I cried, said I loved him. He said he was going with my brother to take me welcome when I come across to the mainland, or they came to the island. There were so many emotions. So many thoughts. I told everything I could. It took some time. The other called parents eventually started all texting for fear that the killer would hear us. I thought of my sister who's away. How I would tell her how it went? What happened to me. I updated on Twitter and Facebook that I was still alive and that I was "safe." I wrote that I was waiting for the police. People jumped into the water, started swimming.

I was lying.

I decided that if he did, I would play dead. I would not run or swim. I can not describe the fear, all your mind, what I felt.

A man came. "I'm from the police." I was lying. Some shouted back that he had to prove it.

I do not remember exactly what he said, but the killer started shooting. He charged. Extension more. He shot those around me.

I was lying. I think: "Now it's over. He's here. He takes me. Now I'm dying. "People screamed. I heard that others were shot. Others jumped into the water. I was there. The mobile phone in hand. I lay on top of the legs of a girl. Thurs the 2nd was on top of my leg. I was lying. The insert in text messages. The mobile phone rang several times. I was lying. I played dead. I lay there for at least an hour. It was completely quiet. I gently turned her head to see if I could see someone live. I looked like. I saw blood. Fear.

I decided to get up. I had been lying on top of a dead body. Thurs like lying to me. I had a guardian angel.

I did not know if he would come back again. I had not the courage to look at all those who had called and texted me. I hurried down to the water. I took off my sweater. It was great. I thought it would be difficult to swim to me. I considered whether I should bring my cell phone or leave it again. I put it in his back pocket and jumped into the water.

I saw several others in the water. They had swum far. I saw that someone had gathered around a floating luftbåt or something like that. There were many who picked up those who swam out. I swam, swam, and swam towards the air thing. I screamed. Weep. Was cool. I thought of when I would drown. It was heavier and heavier. I asked. I continued. Was tired arms. Decided to turn my back and just use your legs to swim on. I sank. I started to swim normally again.

A little while I thought they had gathered around the air boat began to move away. I screamed. Begged them to wait for me. I must have seen visions. I swam at least a few hundred meters before I arrived. We talked a little together. Did what we called, where we came from. When the boats passed us shouting for help, but they picked up the others just swam first. A man in a boat came to us. He threw out several life jackets. I got hold of one. Got it on me. I held on to the small air boat a long time until the same man came back to pick us up.

All got into it. He began to run towards the shore. After a while it started small his boat to take in some water. I did everything I could to get the most water out. I used a bucket. I was exhausted. Another girl in the boat took over.

We got to shore . We got blankets. Tears pressed on. I cried more. A woman hugged me. It was so good. I wept aloud. I sobbed. A man lent me his phone. I called my dad, "I live. I did it. Now I am safe. "I hung up. Cry more.

We had to walk a bit. Completely unknown people took us into their cars and drove us to Sundvollen hotel. I ran in to see if I could see my best friend. I saw him at any place. I saw a friend. I cried loudly. We hugged each other for long. It was good. I walked around, looking for friends. My heart pounded. I cried more. I signed up with the police, then through all the lists. I did not know about my best friend lived. I looked through all the lists. I could not find his name anywhere. I was scared. I got a duvet. I took off my wet socks. I was half naked. Got a jacket.

I tried to dial a bit. Contacted my parents again. My dad and brother were on their way to fetch me. I drank some cocoa. I sat down. Thought. Weep. So many friends. Hugged them. Weep. I borrowed a computer. Updated the Facebook and Twitter again that I was safe. I was at the hotel for several hours before my family came. I looked for familiar. I talked to a priest. I told all I had seen. It was a good call. A man from the Red Cross saw all my wounds. Cleanse them.

Time passed.

I was with some of my friends. All talked about the same. How we survived. What had happened. I asked several if they had seen my best friend. No one had seen him. I was scared. I thought that it was my fault because we had not managed to stay together. A friend got the key to a hotel room. We sat there, looked at the news. There was anger, sorrow, so many emotions. My dad called, they had come. I took the elevator down. Run out to them. Hugged my brother and my dad a long time. I wept aloud. My brother was crying too. It was a good moment.

I saw a boy who looked like my best friend. I shouted his name. He turned around. It was him. We hugged each other for long. Both crying, we asked each other how we had managed. After a while, I registered myself and we drove home. Someone else sat in with us. My best friend was with me. His brother had come to me with his best friend. There were several who had gathered at my home. They would not go home until they had seen that I was fine. We talked a little bit. I drank a glass of juice. Ate a yogurt. Talked some more with my mom and my family. I called my best friend. It was a good call. She said: "I was not sure if I would ever get this phone." Tears pressed on. We talked a little bit. After that I lay. It was three. Mom refused to let me sleep alone, so we slept together.

There have been several hours since all this happened. I'm still in shock. Everything has not fallen into. I have seen the corpses of my friends. Several of my friends are missing. I am glad that I can swim. I am glad that I live. For that God watched over me. There are so many emotions, so many thoughts. I think of all the relatives. In all I lost. In the hell that is and was on the island. This summer's most beautiful fairy tale is transformed into Norway's worst nightmare.
_sccaipub_gtitte_1515016xUpdated: 23/07/11 at. 11:16 Posted: 7/23/11 at. 10:53Public Construction was started on terrorist safe street where the car bomb went off yesterday. About two months would the street be closed to all traffic.
In September Grubbegaten was closed to all traffic.

- Efforts to terrorist safe street in progress, said Christian Horst, director of the Ministry of Government Administration and Reform. The plan was to put up barriers that you needed special permission to get past, but this was not in place when the bomb went off.

Examined safety
It was after the terrorist attacks of 11 September 2001 that was decided that the street should be closed.

- When was it made an analysis of various scenarios and the consequences of a terrorist attack could get. Delivery of vehicles with explosives was something we looked at in terms of buildings in Grubbegaten, says Horst.

- It's a long time since 11 September. If you have secured the necessary buildings quickly NOK?

- I can not speculate, says Horst.

City Council Decision
The final go-ahead for terrorist protection demanded among other things, approval by City Council in Oslo, where the case was decided in the summer of 2009.

Ellen de Vibe, Director of Planning and Building Services, said the case was delayed after some complained the city council's decision to the County. The County rejected the complaint in February last year.

Adopted in 2009.
Øystein Sundelin, commissioner secretary of city council leader's office, said the council supported the closure of the street

- But when we get this from a distance, it is conceivable that one can see that the effort to close the street should have been initiated earlier by the Construction and Property, said Sundelin,

- The closure has had an entirely appropriate proceedings in the City Council. This was a case that went back and forth, and in 2009 was almost all parties agreed to close the street, he adds.

- What do you think when you hear that a bomb slammed into a street that should be protected against terrorist attack just two months before the security work was completed?

- Now we need to first find out what has happened. Our thoughts are now to all the injured and the dead. We also have municipal employees who have been near the explosion that we must take care of.
―from Aftonposten.no


| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人のジャーナリスト・アイ 130 今年のノーベル賞

 昨日発表のノーベル経済学賞受賞者がアメリカの2人とイギリスのキプロス国籍を持つ経済学者に贈られて、これで今年のノーベル賞がすべて発表された。その中で特記すべきことは、ノーベル化学賞にアメリカ人の学者と日本人2人を含めた3人が受賞したことだ。有機化合物の革新的な合成法を開発した鈴木章・北大名誉教授(80)、根岸英一・アメリカパデュー大特別教授(75)、リチャード・ヘックアメリカデラウェア大名誉教授(79)の3氏だ。2種類の有機化合物を、金属のパラジウムを触媒に使って結合させる化学反応「クロスカップリング」と呼ばれる手法をそれぞれ独自に開発、医薬品製造やエレクトロニクスの分野で、様々な新しい物質の合成を可能にした功績が評価された(2010年10月7日付毎日新聞朝刊)。これで日本出身者の受賞は、医学生理学賞1、物理学賞7、化学賞7、文学賞2、平和賞1の18人。
 一つ気懸かりなことは今年のノーベル平和賞だ。ノルウェーのノーベル平和賞委員会は、満場一致で中国の反体制運動家で服役中の劉暁波氏に贈ることを決定したが、これが中国政府を刺激している。中国政府はノルウェー政府と漁業交渉などの会議を見送り両国間がギクシャクしているとマスコミが連日報道。去年はアメリカのオバマ大統領だった。受理するか話題になったし、受賞演説も何かと物議を醸したことは記憶に新しい。ノーベル平和賞は現実的すぎるからか話題には事欠かない。それと今年もノーベル文学賞の候補者になっていた村上春樹氏だが、受賞者はペルー出身のマリオ・バルガス・リョサ氏(74)だった。ファンがその知らせを固唾を飲んで待っていたが残念、また来年にとテレビが悔しそうな比較的若い男女の集団を映し出していた。
 昨夜某テレビ局のBS放送で「ノーベル賞・知の冒険と葛藤」という番組を放送していた。途中から視たのだが、なかなか面白かった。湯川秀樹の物理学賞には長岡半太郎の強力な推薦があった事実。また、長岡半太郎が推薦する学者は100%受賞していて、関係者にはミスター100%と呼ばれたエピソードも披露。同じく後に物理学賞を受賞した朝永振一郎と湯川秀樹は年の差もあまりなく良きライバルだったなど、今だから訊けるノーベル賞の舞台裏に迫っていた―。ノーベル経済学賞は成り立ちも違い、また、同じ科学でも経済学は社会と人間を扱うから評価と言ってもなかなか難しいらしい。戦後世界経済をリードし続けたアメリカが圧倒的に強い。フリードマンやハイエクが代表的、日本はまだこの分野では受賞者はいない。ゲスト出演した慶大の金子勝教授が経済学の学問の発展と社会貢献を手短に説明するも、ノーベル経済学賞受賞者でもその後にその理論が通用しなくなっていることもあると鋭い指摘をしていた司会の一人、タレントの山田氏。また、イギリスの2人の学者がDNAの構造が二重螺旋構造であることを発見してからこの分野は分子生物学として発展、最近の研究ではゲノムの解析、それにより遺伝子組み換えが可能になり、人間も優秀な頭脳や美形などを人工的に作り替えることが可能になってきた。また、今年最有力のノーベル賞候補だった京大の山中教授のiPS細胞の研究は、特に難病患者には朗報でまさに夢の医療だ。皮膚から取り出した細胞をある細胞を媒介することで初期化し新たに再生する仕組みだ。使い方や科学の進歩を過信すれば、人類の方向性が危ぶまれる最も危険なところでもある。倫理観と想像力が求められるとはこの番組に出演した全員の一致した意見だった。
最近ガンバリズムが著しい韓国だが、日本人2人のノーベル賞受賞者が発表された日の韓国の新聞が、まだ一人も受賞者が出てないことを嘆き、奮起を促していたと日本の新聞が伝えていた。いずれにせよ、今やノーベル賞は世界的な影響力を持ち始めているのだ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧