建築

2019/05/19

超人の面白建築 ヴィトラ社のベルヴィル チェア

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ヴィトラ社のベルヴィル チェア。シンプルで機能性に優れた椅子。ヴィトラ社はフィンランドのアルテックの親会社。先日表参道にある『Artek Tokyo Store』で購入したもの。この椅子で3時間読書を楽しんだ。この椅子についての詳しい情報はこちらへアクセスされたい➡

https://www.vitra.com/ja-jp/product/belleville-chair

 

アホイズム

 

フォルムよフォルム

おまえはいつからそんなふうに立ち振舞っている?

晴れの日も雨の日でさえいつも同じ

何喰わぬ顔のおまえ

それがカワユイ

 

フォルムよフォルム

椅子椅子さあベンち

曲線のマジック

ブラック&ベージュ

 

 

2019/05/05

クロカル超人が行く 235 表参道 フィンランド インテリアブランド『Artek Tokyo Store』

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フィンランドの有名な建築家アルヴァ・アアルトら4名が創業したインテリアブランド会社『Artekアルテック』(現在はスイスの家具メーカーVitraヴィトラの子会社)のアジア最初の店が表参道にオープンして1週間(2019年4月27日オープン)。連休後半の特別の日の今日、思い切って出かけてみた。目的はK's garden用の椅子(読書用椅子兼用)を見ることで、気に入れば買うというもの。アアルトといえば、3本脚の丸椅子stoolだが、いやいや、椅子の種類の豊富さはもちろんのこと、テーブル、ソファ、照明器具それにテキスタイル、小物類、果ては共同開発した、木の香りが施された香水まで、シンプルさと優れたデザインの数々がディスプレイされていた。この社の社員の男性によれば、藍染の丸椅子までありますと入口左側のディスプレイ品を見せてくれた。日本の家具と比べればやはり高額だが(一つひとつ手作りなので人件費が掛かっている由)、座り心地など人間工学的によくできている。試してみてよく分かった。手が出ないのが正直な気持ちと思っていたが・・・。

【写真 : ①旧アルテックのロゴが棚に並んだ布製品、トレーやマグカップなど   ②入口正面の日芬100周年記念用の丸椅子ほか ③壁一面に飾られた新旧のデザインが入り混った椅子の数々  ④ソファなど ⑤屋外用のブラスチック製の椅子など  ⑥テーブルや椅子など】

アルテックの日本進出は、上述した優しそうな男性社員によると、日本が世界で2番目のマーケットであることがその理由で更なる需要喚起を促すことらしい。また、北欧家具の人気は、日本人の感性にあっているのが最大の理由とも。フィンランド関連ものは飯能市にも。開園した「ムーミン谷のテーマパーク」も人気で、キャラクター商品、雑貨からレストランなど北欧もののショップが並んでいてこれまた人気らしい。

余談だが、スウェーデンなど北欧諸国でキャッシュレスが進んだのは、フィンランドではユーロ、スウェーデンではスウェーデンクローナ、デンマークではデンマーククローナを使用していて複雑なことも理由らしい。筆者も昨夏その体験をさせてもらった一人でなかなか厄介だった。

2019/04/08

クロカル超人が行く 232 東京駅ステーションギャラリーでフィンランドの建築家アルヴァ・アアルト展を鑑賞

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北欧モダニズム建築の典型的な実例である、フィンランドの建築家Alvar Aaltoアルヴァ・アアルトが設計した老舗のアカデミア書店。昨夏筆者が訪ねた書店だが、天窓からの光がガラス越しに差し込んで開放感があった。その時筆者がスマホで撮った写真が、左からアカデミア書店の玄関、2階のカフェ・アアルトそして店内だ。カフェ・アアルトにはアアルト作の椅子が並んでいた――。

 

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東京駅ステーションギャラリーは、できたときから気にかけていたギャラリーで、東京駅改装後以前あった場所から今の丸の内北口改札近くに移動している。今回初めて入った。丁度フィンランドの建築家アルヴァ・アアカルト展「もうひとつの自然Second Nature」が開催されていたのだ。土曜の昼下がり、東京駅内は平日より混雑していたが、このギャラリーに入ったらさすがに静か、レンガ造りのひんやり感もあって、建築家の細密な図面や写真、照明器具、模型、有名な椅子などの作品群を鑑賞できた。自然の中に建築物をいかにマッチングさせるか、建築やデザインに触れて自然の存在を想起させる、或いは自然と建築がいかに共生できるかがテーマ。森と湖の国ならではの建築家のなせる技が散りばめられている感じだ。フィンランドの1930年代の雰囲気が味わえるドキュメンタリーの映画も観賞できた。妻の尽力も大きかったようだ。アアルトは妻と1935年にヘルシンキでインテリアブランド会社を設立したが、そのアルテック社が、直営店Artek Tokyo store(案内チラシを見る→http://crosscul.com/artek.pdf を表参道に2019年4月27日にオープンする。家具、照明、テキスタイル、現代のデザイナーの最新作まで取り扱うらしい。近くにはこれまたフィンランドを代表するブランド『マリメッコ』もある。今や北欧デザインはその優れたデザイン力で極東のこの日本でも人気であちこちにその商品を扱う店ができている。また、この3月に埼玉県飯能市にオープンした小説家のトーベ・ヤンソンの人気キャラクター”ムーミン”にあやかった「ムーミンバレーパーク」も注目されている。3000万弱の人口だが幸福度が高い北欧は、政治、経済、文化、芸術、建築などあわゆる分野で現代の日本の生活文化に浸透しているといっても過言ではない。そこには決して気候には恵まれているとはいえない生き延びて行くための知恵が凝縮されているのだ。建築家アルヴァ・アアルトの作品にもシンプルだが機能性抜群の傑作品が多い。よく考え抜かれているし、木の性質を存分に活かして暖かみもある。何よりも自由度が高いのだ。

「アルヴァ・アアルト  もうひとつの自然」展は東京駅ステーションギャラリーで14日まで開催中。その展示案内チラシとプログラムを見るはこちらで→http://crosscul.com/alvar.aalto.pdf

 

 

2019/02/20

クロカル超人が行く 229  国宝迎賓館赤坂離宮と藤田嗣治の絵

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【写真: 迎賓館赤坂離宮State Guest House Akasaka Palace】

昨日の日経新聞朝刊(2019年2月17日の日曜日)の文化欄に作家の林真理子が「冬のパリ」と題してエッセイを書いていたが、そのなかで藤田嗣治の呼び名について言及していた。正式な呼び名は「ふじたつぐはる」で、林真理子は「つぐじ」と呼んでいた。藤田自身が、両方書いていたらしくどちらも正しいとか。筆者などもある画家の名前をそのまま勘違いして覚えてしまって“ふじたたいじ“と長い間呼んでいたのだ。【原】田【泰】治の2文字を混同して(笑)。わらっちゃいまんねん。ついでに書けば、この画家には日本の原風景(その昔朝日新聞の日曜版でよくお目にかかった)を描かせたらあの週刊新潮の表紙を飾った谷内六郎と双璧だろう。
さて、藤田嗣治(ふじたつぐはる)の話だ。彼の初期作品が見つかったとつい先日毎日新聞の社会面にその記事が掲載されていた。彼は生涯5回結婚したが、その一番目の妻の出身地の秋田で見つかった。初期の作品らしく画風はパリ時代と違っていて貴重らしい(その記事を読むは
こちら➡毎日新聞の記事)
前段はこれくらいにして本題に入ろう。実は去年のクリスマス前の12月22日に四谷にある国宝迎賓館赤坂離宮を訪ねる機会があった。その日は外国の賓客をもてなす晩餐会などに使われている国宝迎賓館赤坂離宮の内部を特別に見学できる日で、アメリカから一時帰国した友人家族と訪ねたのだ。この機会に日本における西洋建築の際立った実例をぜひ見たいと思ったからだ。最寄りのJR四谷駅を出たら小雨がちらついて戸惑ったが、歩いてそんなにかからない距離に迎賓館赤坂離宮はあった。テレビなどではお目にかかっているものの、実物は初めてで庭先から眺めるヴェルサイユ宮殿を模した建物全体は、まさしく西洋宮殿の威厳のあるがっしりとしたもので、両端が内にうねったアーチ状でカメラに収めるには難儀の逸品である。中に入ると玄関の天井の幾何学的な紋様、深紅の絨毯、柱の紋様と大理石、西洋特に栄華を極めたハプスブルク家のウィーンやパリなどを容易に想像できるネオバロック様式。玄関・大ホール➡彩鸞の間(控えの間、外国の元首との懇談などに使用)➡フランス製のシャンデリアや欄間のコブラン織風の綴織、壁面に楕円形の七宝が凄すぎの花鳥の間(晩餐会)➡羽衣の間(招待客に食前酒を振る舞う部屋で演奏会も行われる部屋)➡朝日の間(国賓が天皇皇后両陛下とお別れの挨拶する、最も格式の高い部屋)と室内をめぐる短い時間でも荘厳な雰囲気を堪能できた。些か勇ましくもありまた。和洋折衷の装飾もあって空間演出の重厚さを思わせた。士気高揚感が漂う感じだ。ナポレオンが馬に跨がっている勇姿も描かれているかと思うと日本の花や鳥をあしらった紋様も飾られていた。そうだ、国宝迎賓館赤坂離宮には藤田嗣治(レオナール・フジタ)の絵が2点かけてあったのだ。同伴者が誰の画家の絵?と尋ねてきた。少しファンタスティックでメルヘンぽい絵、それがまさしく藤田嗣治の初期の絵だった。銀座の洋菓子店の依頼に応じて描かれたものと小冊子に書かれていた。「ポプラ並木の女性と楽士」と「葡萄の収穫」。藤田嗣治といえば、ロイド眼鏡にちょび髭というユーモラスな出で立ちがトレードマークの画家である。
見学終了後庭園近くの広場に出た。雨が本降りに変わっていた。屋台の車が並びテラスは見学者の人で埋まっていて一息入れたかったが叶わなかった。聞けばこの広場の地下に商店街ができる計画があるらしい。それほど国宝迎賓館赤坂離宮に来る見学者が多く、人気のスポットになっていて賑わいを見せているのだ。
【迎賓館沿革】紀州徳川家中屋敷➡明治42年(1909)東宮御所➡戦後、国立国会図書館➡内閣法制局➡東京オリンピック組織委員会➡昭和49年(1974)迎賓館赤坂離宮
※このコラムを書くにあたって国宝迎賓館赤坂離宮の小冊子を参照した。
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【写真: 右側。国宝迎賓館赤坂離宮の小冊子の中の藤田嗣治の絵】

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【写真上: 庭園Garden 写真下: 門牆Gate and Fence】

2014/01/20

超人の面白鉄道物語  T駅の開かずの大踏切が今風の陸橋に変身

開かずの大踏切で有名な東海道線T駅、特に箱根駅伝では権田坂の次に選手が戸惑うことで名を馳せた。その大踏切がいろんなエピソードを残して念願の陸橋に生まれ変わった。しかも今風の屋根付きで。つい二三日前のことだ。一つは解消したが、地下化する車道はまだ工事中。

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2012/09/29

クロカル超人が行く 166 装い新たなJR東京駅丸の内側

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2012年10月1日、工事に5年を費やしたJR東京駅が復元、営業を開始をする。この日はもしかしたら台風が関東地方を襲う日になるかも(幸いにも台風一過の今朝は快晴ー2012月10月1日 追記)少し前にあちこち撮ったのがこれ。煉瓦と真鋳の色合いそして白の線、大正ロマンの再現が人々を魅了するはず。東京中央郵便局も出来ている。新丸ビル群、日本銀行協会倶楽部等々、JR東京駅丸の内側は新たな顏ぶれが加わって、その昔ロンドンのシティーに模したといわれる一角は今や一大パノラマ。夜の丸ビルから見下ろす東京駅はライトアップも手伝って素敵な夜を演出してくれるはず。あなたも素敵な女性とニュースポットへ。

東京駅の辰野さん

辰野さん よかったですね
一時はつぶされるかと ひやひや
よかったよかった

辰野さん よかったですね
まるいまるい天井も再現されて
よかったよかった

ニューヨークのグランドセントラル駅
見上げた先の星座も
まるかった

みんなみんな こんな風に
丸くなればいいのに 
地球だってまるいのに
どうしてアワ吹いているの

辰野さん 煉瓦と真鋳
そして微妙な白の線
ありがとう

できればカメラのフレームに
収めてほしかったな
辰野さん
でもよか

2012/03/24

超人の面白建築 東京駅丸の内側駅舎

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東京駅丸の内北口側の駅舎。1914年に辰野金吾(仏文学者辰野隆の父)と葛西萬司が設計したレンガ造り3階建て建築が完成。どこかに書いてあったが、オランダのアムステルダム中央駅をモデルにしたという俗説は面白い。今そのドーム型の駅舎等の復元工事が急ピッチで進められている。
この写真は東京駅1番線ホームから撮影した工事中の駅舎。にょきっと姿を現した復元中の建造物、全体像を早くみたいものだ。今年の暮れには完成するらしい。

ここはどこおらんだあたりにみえかくれ

2009/08/23

超人のジャーナリスト・アイ 110 テレ東美術番組「美の巨人たち」―前川國男邸

Photoこのテレ東の美術番組「美の巨人たち」も今年で10年目を迎えるらしい。2009年8月14日付毎日新聞夕刊の放送欄で貧しい無名画家発掘も光るとしたタイトルで、この長寿番組の人気の秘密をナレーターの俳優小林薫や永田浩一プロデューサーのインタビューを交えながら探っていた。最近は渋い小林薫の声にプラス、シリアスときにコミカルなドラマも挿入されて益々内容の濃い番組になってきている。不況でもろに制作費削減が取り沙汰されているテレビ番組制作だが、この長寿番組は海外ロケや著作権処理などに膨大な費用がかかるにもかかわらず予算は減っていないと担当のプロデューサー氏。自信の一端が伺えるところだ。筆者もこの記者と同様に無名の作家や気鋭の現代芸術家も取り上げてほしいと期待したい。

  さて、絵画だけではなく今回は建築シリーズ。以前にもヴォーリズを取り上げていたが、フランス人建築家、ル・コルビュジェの弟子、前川國男作「前川國男邸」が今回の一枚だ。西洋建築の様式美と日本建築のそれを配した傑作である。最初品川の上大崎に建てられたが、今は移築されて小金井市にある江戸東京建物園にある。下記はテレ東番組HPからの引用。

4週連続でお送りする、日本の建築スペシャル第3弾。今回は、東京文化会館や、国会図書館、京都会館などで知られる建築家、前川國男の自邸、『前川國男邸』を紹介します。
わずか30坪の土地に建てられた、どこか懐かしい日本民家。空を切り取るような切妻屋根に、建物の中央に据えられた丸柱。渋みのある茶色の壁は、ぬくもりと落ち着きを醸し出します。しかしその内部は、モダンな造りとなっています。リビングは、高さ4.5メートルの吹き抜けが生み出す開放感があり、南向きの格子窓からは優しい光が差し込みます。そしてリビングの味わい深い階段の先にはロフトが設けられています。
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革新的な造形で、20世紀の建築界に革命を起こしたフランス人建築家、ル・コルビュジェ。彼の書いた本に、前川は心を奪われます。東京帝国大学建築学科で学んだ前川は、昭和3年、卒業式を終えたその足でパリへ旅立ちます。憧れのコルビュジェのアトリエに勤め、建築家としての第一歩を踏み出しました。当時のコルビュジェは、従来の伝統や慣習を否定し、技術の進歩を活かした自由な空間作りを掲げていました。前川は彼の下で2年間の実務を経験し、近代建築の信念と理想を受け継いでいきます。帰国後は日本独自の近代建築を目指し、30歳で事務所を構えました。しかし、日本は戦争に突入し、設計の仕事はなくなっていきます。そんな中、昭和17年、前川は妻と二人で暮らす家を建てました。それが、前川國男邸です。戦争による資材統制によりほとんど木材しか使えず、また建坪30坪以下という制限があった中で、前川は3LD、キッチン、ロフト付きという、モダンな一戸建てを建築するのです。空襲により事務所を焼失すると、ここを事務所代わりに使い実務を続けました。敗戦後住宅不足に直面すると、安く、簡単に作れる木造のパネル組み立て式住宅を考案し、ここから戦後の日本の復興を支えました。前川は、あるテーマを持って建築に取り組んでいました。それは、人のために建築は何が出来るのか(太字は筆者)、ということです。このテーマの答えの一つが、彼の自邸には隠されていました。前川が30坪という敷地に込めた、思いに迫ります。
P004写真左は前川國男の一筆書きの図、一見迷路だが広がる空間がきちっと考えられているのだ。国立国会図書館の内部もそうなのかと改めて考えさせられた次第。

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■次はWEBPAGEより

1942年(昭和17)品川区上大崎に建てられた住宅です。
中庭を正面に大きく開けていて二階部分は組んだ木の間にガラスがはめ込まれ、照明など建物の内装や生活空間が少し見える様な開放的なデザインになっています。それとは反対に一階部分は障子によって外部からの視線から生活空間が見えない様に建築家の配慮がなされています。しかし、この障子を開けると中庭の芝生と一階部分とが一体化したような開放的、且つ木の素材で出来た家が庭の自然によく映える自然環境の間となります。
内装は変わっていて、どちらかというと統一感はなく、球の形をした照明やカサを被った形の照明、椅子や机のデザインも様々で他の住宅に比べると計算高いというよりは“奇抜”なデザインだったと思いますが、幅広い年齢層の人が馴染める住宅デザインだったと思います。あまり仕切りがなく天井なども吹き抜けになっているので書斎や寝室も風通しが良く、快適な空間になっていました。(土屋 聡美)

2008/08/24

超人の面白建築 W.M.ヴォーリズ 

P001_2今回のテレビ東京の番組「美の巨人たち」は日本の建築スペシャルで建築家W.M.ヴォーリズ William Merrell Vories(1880-1964)を取り上げていた。題してウィリアム・メレル・ヴォーリス作「浮田山荘」("ヴォーリス"とテレビ東京の番組では表記していたが正式な読み名は"ヴォーリス゛"だろう)。いつものことだが、ナレーターの俳優小林薫の渋い落ち着いたナレーション。その声にのって紹介される建築群、その建築には簡素で優しく安らぎを与えた空間があったのだ。それではこの番組のHPから引用してみよう。

避暑地・軽井沢の小道沿いにひっそりと佇む小さな建物。ドアを開けると、暖炉を備えたおよそ5坪ほどの広間を中心にして、2段ベッドがある一坪ほどの寝室と同じくらいの大きさのキッチン。贅沢さはないものの、家族で夏のひとときを過ごしたいと思わせる素朴な魅力にあふれる空間。ここは元々ヴォーリスが妻と過ごした別荘でした。
戦前にアメリカから来日したヴォーリスは、神戸女学院などの学校やデパートなど約1500の建築を手がけました。しかし、彼は建築の教育を受けたことのない、いわゆる “素人建築家”でした。さらに、彼の建築にはモダンで洗練されたデザインは見当たりません。そんな彼の建築がなぜこれほど日本人に受け入れられ、今なお愛されているのだろうか。その秘密に迫る。 ―という文言。

 この「浮田山荘」は思ったより小さいが、光がよく入るような大きな窓、料理が食卓にすぐ届くような便利な食器棚、小さな寝室、暖炉等々狭いながらも工夫された配置は江戸時代の長屋の9尺2間(4畳半と竈)の簡素な生活空間に倣った建築になっているという。その個人まわりとした西洋風の別荘は声が届くような距離で優しさや安らぎを覚える空間なのだ。建築家藤森昭信よれば、ヴォーリスは図面書きも下手な素人の建築家だったらしい。しかし彼は教会、学校、図書館、講堂、郵便局、百貨店、個人宅などを手がけその建築物は1500を超すという。しかも彼は始めはアメリカから来たキリスト教の伝道師、高校の英語教師に任命されるもキリスト教の布教に熱心なあまり解雇を余儀なくされ挫折(近江八幡は仏教の盛んなところだった)、後にはメンソレータムの近江兄弟社、建築事務所を設立して信仰と事業に一生を捧げた。1941年には日本に帰化し一柳米来留と名乗り日本の女性と結婚して1964年83才で他界している。その簡素と優しさを象徴したデザインなど西洋風の建築はヴォーリズスタイルと呼ばれている。具体的な建物を千代田郷土史のHP他などから拾ってみよう。ちょっとその前に、近江兄弟社は昭和49年に倒産、その後富山の売薬業者、大鵬薬品会社、キリスト教関係者などの支援を受け再建、今日に至っている。この倒産劇はシカゴにあるメンソレータム本社が支援しないとかするとかあるいは日本の他の製薬会社との提携を拒否するとかでもめて当時新聞を賑した。だからこの倒産劇を筆者も記憶している。御茶ノ水駅を降りてスクランブル交差点を渡り駿河台下方面に歩くとすぐに緑色の近江兄弟社の看板に出くわすが、筆者はいつもこの看板をみては何か不思議な感じがしていたのだ。その謎は千代田郷土史のHPで氷解した。あっ、そうか、そうだぁ。brotherhood―(兄弟2人で創業した会社だと思い込んでいたのだ)。最近の建築は癒し系っぽいが・・・。それではその建築の数々を―。

浮田山荘、軽井沢ユニオン教会、近江兄弟社学園、近江金田教会、近江八幡YMCA博愛社礼拝堂、近江郵便局、神戸女学院大学礼拝堂・図書館、明治学院大学礼拝堂200812041136000
、同志社大学今出川キャンパス内校舎、西南大学博物館、関西学院大学、大阪医科大学、西南女学院ロウ講堂、旧百三十三銀行今津支店、旧寺庄銀行本店、旧居留地38番館[旧ナショナルシティ神戸支店]、大丸百貨店心斎橋店、石川記念館、主婦の友社写真館、佐藤新興生活館(後の山の上ホテル)等々。この番組で雑誌「主婦の友」(1922年2月号)―すでにこの雑誌は最近その長い歴史に終止符を打ったばかり―が特集を組んだほどでその隆盛を伝えていた。建築にかける情熱は相当なものだったことは想像にかたくないが、それよりもヴォーリズは私有財産を持たなかった。キリスト教の奉仕精神を実践したのだろうか。

追記。筆者は明治学院大学、関西学院大学、聖和学院大学、神戸女学院大学、主婦の友社、山の上ホテル、水口図書館などヴォーリズ建築物を外側からしか観ていないが、屋根の赤っぽい色、壁の色合いと木造の構図に素朴な温かみを感じたのだ。ヴォーリズ建築に関しては最近山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008年 創元社刊)が出ているし、ヴォーリズ自身の著書『失敗者の自伝』(1970年)なる本も出ている。各地で音楽にも造詣が深かったこの建築家のイベントが盛んらしい。

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