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2019/02/25

日本文学研究の第一人者で翻訳家ドナルド・キーン氏の死

日本文学研究の第一人者で翻訳家のドナルド・キーン氏が昨日亡くなった。享年96歳。東日本大震災後に日本に帰化、キーンドナルド鬼怒鳴門の日本名を持った。川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、安部公房など日本の作家と交流し、多数の日本文学の作品特に小説、詩歌、能や日記など古典から現代文学まで多岐にわたって翻訳した。筆者的には西脇順三郎を世界的文脈できちんと位置づけたことが印象に残る。(Together with Rirke, Valery, and Eliot, he is one of four great poets who represents the twentieth century. ―from P.323, DAWN TO THE WEST Japanese Literature of the Modern Era POETRY, DRAMA, CRITICISM, HOLT, RINEHART AND WiNSTON NEW YORK, 1984)また、流暢な日本語のなかに氏独特のアクセントがみられ、それが却って氏の人柄を表していて親しみが持てた。
氏の業績を讃えたコレクション・展示室には次のようなものがある。コロンビア大学のドナルド・キーンセンター(筆者も二三度訪ねている)、柏崎にあるドナルド・キーン・センター柏崎(地元の菓子製造会社ブルボンの好意で建てられたことは知っていて訪ねたいと思っている)それに晩年を板橋で過ごし、蔵書を板橋区に寄贈して造られた、板橋区立中央図書館内のドナルド・キーンコーナー(ここは近日中に訪ねたい)など。
ジャパンタイムズのドナルド・キーン死亡記事を読むはこちら➡https://www.japantimes.co.jp/news/2019/02/24/national/japanese-literature-scholar-donald-keene-dies-96/#.XHMs3eqCjqB

ドナルド・キーン氏には松尾芭蕉の有名な句の英訳もある。

古池や蛙飛び込む水の音

The ancient pond
A frog jump in,
The sound of water

追記 ドナルド・キーン氏の死を悼む「週刊NY生活」(電子版)の記事にはコロンビア大学のドナルド・キーンセンターで秋に追悼講演を開催それに奨学金制度を設立するとも書かれている。その記事を読むはこちら➡https://www.nyseikatsu.com/ny-news/02/2019/24655/

追記2 毎日新聞夕刊(2019年3月4日)には、寄稿 鳥越文蔵氏(早大名誉教授)の「運命を呼び寄せた天才 ドナルド・キーンさんを悼む」のタイトルで追悼記事が掲載されている。コロンビア大学の名物教授角田柳作先生のこと、中央公論社に書くようになったきっかけ、これは意外、荷風の日本語が一番美しかったとキーン氏が話していたことなど端的に書かれている。その記事を読むはこちら➡https://mainichi.jp/articles/20190301/k00/00m/040/289000c
(2019.3.6 記)

2019/02/20

クロカル超人が行く 230 山の上ホテルのバー『ノンノン』

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シングルスモルトのバッカラン12年とテキーラベースのカクテルサンライズ。

ほろ酔いでバー駆け込み春の夜

夢叶え止まり木はウキウキボキボキ

神戸女学院大学や明治学院大学の教会などを手掛けた建築家ウィリアムス・ヴォーリズ設計の山の上ホテルHiltop Hotel(人に歴史あり、ホテルにも歴史あり)はまた、「文化人の宿」でも有名なこぢんまりしたシティホテルだ。テレビや雑誌などで度々紹介されているのでご存知の読者諸氏も多いはず。川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静などの作家がよく利用したことでも知られている。そのバーに寄り、特別に部屋まで見せてもらったのだ(和洋折衷の部屋ではなかったが)。英国調のクラシカルでシックな客室だ。1泊25,000円とか。関係者に感謝である。筆者的にはウン十年前に友人が結婚披露宴をしたホテルとして記憶している。因みに結婚式は神田カトリック教会だった。

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クロカル超人が行く 229  国宝迎賓館赤坂離宮と藤田嗣治の絵

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【写真: 迎賓館赤坂離宮State Guest House Akasaka Palace】

昨日の日経新聞朝刊(2019年2月17日の日曜日)の文化欄に作家の林真理子が「冬のパリ」と題してエッセイを書いていたが、そのなかで藤田嗣治の呼び名について言及していた。正式な呼び名は「ふじたつぐはる」で、林真理子は「つぐじ」と呼んでいた。藤田自身が、両方書いていたらしくどちらも正しいとか。筆者などもある画家の名前をそのまま勘違いして覚えてしまって“ふじたたいじ“と長い間呼んでいたのだ。【原】田【泰】治の2文字を混同して(笑)。わらっちゃいまんねん。ついでに書けば、この画家には日本の原風景(その昔朝日新聞の日曜版でよくお目にかかった)を描かせたらあの週刊新潮の表紙を飾った谷内六郎と双璧だろう。
さて、藤田嗣治(ふじたつぐはる)の話だ。彼の初期作品が見つかったとつい先日毎日新聞の社会面にその記事が掲載されていた。彼は生涯5回結婚したが、その一番目の妻の出身地の秋田で見つかった。初期の作品らしく画風はパリ時代と違っていて貴重らしい(その記事を読むは
こちら➡毎日新聞の記事)
前段はこれくらいにして本題に入ろう。実は去年のクリスマス前の12月22日に四谷にある国宝迎賓館赤坂離宮を訪ねる機会があった。その日は外国の賓客をもてなす晩餐会などに使われている国宝迎賓館赤坂離宮の内部を特別に見学できる日で、アメリカから一時帰国した友人家族と訪ねたのだ。この機会に日本における西洋建築の際立った実例をぜひ見たいと思ったからだ。最寄りのJR四谷駅を出たら小雨がちらついて戸惑ったが、歩いてそんなにかからない距離に迎賓館赤坂離宮はあった。テレビなどではお目にかかっているものの、実物は初めてで庭先から眺めるヴェルサイユ宮殿を模した建物全体は、まさしく西洋宮殿の威厳のあるがっしりとしたもので、両端が内にうねったアーチ状でカメラに収めるには難儀の逸品である。中に入ると玄関の天井の幾何学的な紋様、深紅の絨毯、柱の紋様と大理石、西洋特に栄華を極めたハプスブルク家のウィーンやパリなどを容易に想像できるネオバロック様式。玄関・大ホール➡彩鸞の間(控えの間、外国の元首との懇談などに使用)➡フランス製のシャンデリアや欄間のコブラン織風の綴織、壁面に楕円形の七宝が凄すぎの花鳥の間(晩餐会)➡羽衣の間(招待客に食前酒を振る舞う部屋で演奏会も行われる部屋)➡朝日の間(国賓が天皇皇后両陛下とお別れの挨拶する、最も格式の高い部屋)と室内をめぐる短い時間でも荘厳な雰囲気を堪能できた。些か勇ましくもありまた。和洋折衷の装飾もあって空間演出の重厚さを思わせた。士気高揚感が漂う感じだ。ナポレオンが馬に跨がっている勇姿も描かれているかと思うと日本の花や鳥をあしらった紋様も飾られていた。そうだ、国宝迎賓館赤坂離宮には藤田嗣治(レオナール・フジタ)の絵が2点かけてあったのだ。同伴者が誰の画家の絵?と尋ねてきた。少しファンタスティックでメルヘンぽい絵、それがまさしく藤田嗣治の初期の絵だった。銀座の洋菓子店の依頼に応じて描かれたものと小冊子に書かれていた。「ポプラ並木の女性と楽士」と「葡萄の収穫」。藤田嗣治といえば、ロイド眼鏡にちょび髭というユーモラスな出で立ちがトレードマークの画家である。
見学終了後庭園近くの広場に出た。雨が本降りに変わっていた。屋台の車が並びテラスは見学者の人で埋まっていて一息入れたかったが叶わなかった。聞けばこの広場の地下に商店街ができる計画があるらしい。それほど国宝迎賓館赤坂離宮に来る見学者が多く、人気のスポットになっていて賑わいを見せているのだ。
【迎賓館沿革】紀州徳川家中屋敷➡明治42年(1909)東宮御所➡戦後、国立国会図書館➡内閣法制局➡東京オリンピック組織委員会➡昭和49年(1974)迎賓館赤坂離宮
※このコラムを書くにあたって国宝迎賓館赤坂離宮の小冊子を参照した。
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【写真: 右側。国宝迎賓館赤坂離宮の小冊子の中の藤田嗣治の絵】

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【写真上: 庭園Garden 写真下: 門牆Gate and Fence】

2019/02/18

超人のドキッとする絵画 32 ムンク展―共鳴する魂の叫び(東京都美術館) 3

会場は人で溢れ(中には車椅子で熱心に鑑賞していた年配者も)作品鑑賞もままならぬまま出口のミュージアムショップへ(館内鑑賞時間は約1時間30分。いつもより40分くらい少ない)。ところが、ここも人で溢れていたのだ。15分くらい並んでいつものように図録と絵葉書を買ってさっさと外に出た。外はこの季節にしては意外と日差しがあって暖か。右にフェルメール展、左にルーベンス展の看板が並び、上野公園界隈はさながら著名な西洋絵画のオンパレード風。先々週あたりの新聞の文化欄には美術館関係者が美術館は儲かるかのタイトルで最近の美術館事情を書いていたが、その関係者によると、この界隈で150万人が来館したようだ。
さて、筆者なりの今回のお気に入りをピックアップしてみたのが前々回のコラムだ。その中でも⑦「生命のダンス」や⑧「マドンナ」、⑩「メランコリー」(以前から取り上げていた)を除いて⑨「星月夜」、⑪「二人、孤独な人たち」と⑫「自画像、時計とベッドの間」の絵がいい。⑨の「星月夜」はゴッホの同名の絵1433695175288_2

【写真: ニューヨークのMoMA 美術館所蔵のゴッホ作「星月夜」 筆者=撮影】

と比べて夜景がどう描かれているか。⑪の「二人、孤独な人たち」の色遣いと配置が抜群、気に入った一枚。なぜ二人は後ろ向き?チコちゃんに訊いてみたい(笑)。そして⑪の「自画像、時計とベッドとの間」の絵がこれまたいいではないか。最晩年、死と隣り合わせの生活の一コマ、都美術館の図録の解説でも言及していたが、自意識過剰から解放されたありのままの作者がいる、しかもかつてはすべてを“捧げた”彼女の姿も侍らせて、柱時計には時間は刻まれず“溶けている、“あるいは消えかけている、今や何にも役に立たない、時間が止まったまま。赤と黒のツートンカラーのベッド、そして猫背で立っている。すべては自然、ありのままの自分を受け入れている、老境、死を意識した姿だ。実際にムンクはこの絵を描いた翌年の1944年に亡くなっている。絵に一生を捧げ独身を貫いた。
今回のムンク展はテーマ別の構成で配置され、暗さから明るさへと変化していく様が絵間(感)から読み取れた。“感性の画家”理解が更に深まったようだ。残念ながら、筆者が好きな「思春期」や「カール・ヨハン通りの夕べ」は観ることができなかった。今回のオスロ市立ムンク美術館所蔵とは違う美術館などで所蔵しているみたいだ。これらの絵を観に今年の夏はノルウェーのオスロに飛んでみたい。その前に1970年開催の「ムンク展」のことを遠い記憶を辿りながら書いてみるつもり。手がかりは少しはあるのだ。筆者の古いノートから雑誌『世界』(1971年2月号。P.221~P.242)の座談会、ムンク―芸術と狂気の間―(小野忠重、寺田透、なだいなだ、針生一郎)の切り抜きが出てきたのだ。
その出てきた雑誌『世界』の座談会ではムンクの版画、リトグラフ、エッチングなどの技法を取り上げていた。そこには日本の浮世絵の影響もみられると 。また、なだいなだが精神科医らしくムンクの狂気について熱く語っていた。美術評論家の針生一郎の意見が鑑賞者としては一番参考になった。座談会の冒頭で次のようにムンクについて語っている。
「彼は絵画のなかに文学をもちこんでいるんじゃなくて絵画でも文学でもなくなるような、表現の限界を越えるようなところにぶつかった作家ではないか」
作家の寺田透は、ムンクの絵など日本人に人気なのは、絵より人なのかもと、精神に異常のある人たちの絵がカタルシスになるような要素があると。
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【写真左上: 「思春期」 写真左下: 「カール・ヨハン通りの夕べ」『図録 ムンク展 ―フリーズ・装飾性 』(東京新聞 2007年)より】

2019/02/12

超人のドキッとする絵画 32 ムンク展―共鳴する魂の叫び(東京都美術館) 2

ムンク展は1970年、2007年それに今回の2019年1月と3度鑑賞した。ムンクの絵画はルノアール、モネやセザンヌなど印象派の絵画それにゴッホ、モジリアーニ、ユトリロ、ミッシャなどと同様に日本人にウケるらしく、今回も開催日の2018年10月27日~最終日の2019年1月20日の約3ヶ月間で67万人が来館し成功を収めたようだ。
筆者は前売券をコンビニで購入していたにもかかわらず、会場の上野の東京都美術館に足を運んだのは最終日の前々日だった。平日とあって30分くらい並ぶだけで会場に入れたのでラッキーだった。今回はやはり目玉の「叫び」を鑑賞することが主目的だが、過去に観たものとどう違うかも興味のあるところ。
1 ムンクとは誰か 2 家族―死と喪失 3 夏の夜―孤独と憂鬱 4 魂の叫び―不安と絶望 5 接吻、吸血鬼、マドンナ 6 男と女―愛、嫉妬、別れ 7 肖像画 8 躍動する風景 9 画家の晩年 の9パーツから構成。第一印象は自画像や肖像画が多いことだった。エドヴァルト・ムンクはドイツ「表現主義」、北欧リアリズムそして資本主義の矛盾を突く社会派の画家で、巧みな心理描写で愛、欲望、不安、絶望、嫉妬、憧憬、孤独、死をテーマにいくつもの作品を残した。また、多くの自画像や肖像画も描いた。代表作『人形の家』のイプセン、代表作『令嬢ジュリ―
_20190212_171826_3_20190212_105015_2や映画監督ベルィマンにも多大な影響を与えたストリンドベリ、フランスの象徴主義を代表する大詩人マラルメ(筆者はまたまたこの詩人に挑戦中)それに『ツァストラはかく語りき』でニヒリズムの創始者ニーチェの肖像画は、ごく身近に作家や哲学者がいて交流、刺激を受けた人たちを優しさを込めて描いている。イプセンやストリンドベリは明治期・大正期に日本でも流行った自然主義文学に影響を与え、ムンクの絵は大正文学の一大潮流を形成した“白樺派”によって日本に紹介されたのが最初らしい。
超有名な「叫び」の前では、係員が立ち止まらないで次にお進みくださいと何度も来館者に声をかけていて煩いくらいだった。それほど多くの人たちが観に来たということだが、肝心の絵の前ですっと通りすぎるとは画家に対して失礼と思うのだが・・・。じっくり鑑賞する暇がないのだ!美術館に来ていつも思うのだか何とかならないものか。しかも混雑している館内では少し離れて作品を眺めざるを得ない、視力の衰えた筆者などにとっては何かと不自由さも感じたのだ。
さて、「叫び」である(「叫び」は様式や描いた時期が違うものが全部で5点存在している。今回の回顧展ではオスロ市立ムンク美術館所蔵の1910年制作?の絵が初出展された)。橋の上で耳を塞いで何かを叫んでいる、顔には目玉が描かれていない、そう、あの有名な絵だ。夕陽が血の色に染まるような空の明るさと微妙な暗さも不気味、また、橋の奥に見える黒い無関心を装う男たちにも注目だ。恐怖―。画家はこの時期精神を病んでいて、心の、魂の叫びを表出、人間として一杯一杯の表情を見せているのだ。それはレッドとオレンジ、ディープブルーそれにグリーンを配した独特の色彩と曲線で紡いだ心模様、言い換えれば、心象風景だろうか。〈不安〉と〈疎外感〉の象徴―。画集ほかでこの絵を何度観てもその時々で印象がかわるから不思議だ。今に生きる私たちにも共感を呼び起こす「叫び」は確かに普遍性を帯びている(だからこの絵はスキャンダルにまみれ、窃盗団―テレビでは事件の一部始終をドキュメンタリータッチで放送していた―に持ち逃げされたり、価格が跳ね上がったりと善悪は別として世界中の絵画ファンを魅了しているのだ)。はて、この人は叫びながら何を訴えているのだろう、それとも声にならない声を心の底から発しているのだろうか。後ろから何者かに追いかけられている、切羽詰まったものが・・・。うむ、橋の右上の方にはフィヨルドに浮かぶ小さな二艘の舟の姿も―。忘れようとしても忘れられない強烈な印象を残す。大昔作家の五木寛之がこの絵を繙いて解説していたのを思い出した。そして今回印象に残った作品は前のコラムで書いた作品だが、特に―。(続く)

【写真右上: 『令嬢ジュリー』英文ペーパーバック版 の表紙と裏表紙 METHUEN &CO LTD 1967。購入日: 北澤書店にて1972年10月28日】

2019/02/11

超人のドキッとする絵画 32 ムンク展―共鳴する魂の叫び(東京都美術館)

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_20190211_134140_2 _20190211_134024_2②③
_20190211_133017_2_20190211_133951_2④⑤
_20190211_133833_2 _20190211_133203_2⑥⑦
_20190211_133303_2 _20190211_161245⑧⑨
_20190211_133722_2 _20190211_133433_2 ⑩⑪
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①叫び The Scream 1910年? テンペラ・油彩、厚紙 83.5×66.0cm
②自画像 Self-Portrait 1895年 リトグラフ 46.0×31.5cm
③ハンス・イェーゲル Ⅰ Hans Jaeger Ⅰ 1896年 リトグラフ 52.0×40.1cm
アウグスト・ストリンドベリ August Strindberg 1896年 リトグラフ 66.5×49.7cm
④フリードリヒ・ニーチェ Friedrich Nietzsbhe 1906年 油彩・テンペラ、カンヴァス 201.0×130.0cm
⑤ステファンヌ・マラルメ Stephane Mallarme 1887年 リトグラフ 61.0×37.6cm
⑥グラン・カフェのヘンリック・イプセン Henrik・Ibsen at the Grand Cafe 1902年 リトグラフ 51.6×66.4cm
⑦生命のダンス The Dance of Life 1925年 油彩、カンヴァス 143.0×208.0cm
⑧マドンナ Madonna 1895/1902年 80.0×60.0cm
⑨星月夜 Starry Night 1922-24年 油彩、カンヴァス 12.5×100.5cm
⑩メランコリー Melancholy 1894-96年 油彩、カンヴァス81.0×100.5cm
⑪二人、孤独な人たち Two Human Beings, The Lonely Ones 1899年 多色刷り木版 46.0×59.5cm
⑫自画像、時計とベッドの間 Self-Portrait Between the Clock and the Bed 1940-43年 油彩、カンヴァス 149.5×10.5cm
⑬ムンク展図録 MUNCH: A Restrospective A4変型 230頁
2018年10月27日刊
※上記の①~⑫の絵は『ムンク展図録―共鳴する魂の叫び』(朝日新聞社)からピックアップしたもの。


超人の面白読書 136 雑誌『ニューヨーカー』電子版最新号に載った作家村上春樹のインタビュー記事

今冬一番の寒波が日本列島を襲撃(一昨日の北海道陸別町では気温が-31.8℃に達し観測史上初の記録となった。1週間前にはアメリカのシカゴで-46℃と大寒波襲来のニュースをアメリカの友人がラインで伝えてきたばかり)、珍しく関東地方でも雪が降っている。そんな寒い朝、スマホでザッビングしていたら、雑誌『ニューヨーカー』の電子版で作家村上春樹のインタビュー記事を偶然見つけ、途中朝ドラの「まんぷく」を見たため中断したが何とか読み終えた。少し長いインタビュー記事だが、作家の小説作法、作品を産み出すプロセス、考え方や日常それに小説を書き始めた頃などが知れて興味深かった。その記事(タイトルは“THE UNDERGROUND WORLDS OF HARUKI MURAKAMI ”)を読むはこちら➡https://www.newyorker.com/culture/the-new-yorker-interview/the-underground-worlds-of-haruki-murakami
インタビューアーのデボラ・トレ―ズマンDeborah Treisman女史に関する記事はこちら➡http://www.artscouncil.ie/Arts-in-Ireland/Literature/Deborah-Treisman/
追記 作家の村上春樹が自作の『海辺のカフカ』の舞台公演をパリで行うのを機会にフランスの若者と対話や講演をした。ロングランで開催されている「ジャポニズム 2018」(2018.7-2019.2)という日本フェスティバルの一環らしい。この日本祭典は国際交流基金が事務局を担い、フランスで伝統から現代まで、多種多様な日本文化・芸術を紹介する日仏友好160周年に因んだ企画。

2019/02/04

超人の面白読書 135 三島由紀夫著『金閣寺』(新潮文庫) 4

蛇足だが、ネットで読んだ三島の生き証人美輪明宏の話は貴重で面白い。
『金閣寺』は通勤中の電車の中で少しづつ読んだ。ほかの本や雑誌と平行して。再読を試みさらに理解を深めたい。また、翻訳された英文版で豊富な描写をどう英文で表現されているかチェックしながら読んでみたい。
いま山中湖の三島由紀夫文学館では「美と孤独―帰ってきた『金閣寺』」展を2019年5月13日まで開催中だ。
追記 2019年1月27付毎日新聞書評欄に渡辺保評で菅孝行著『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)という三島由紀夫論が載っていた。「大切なものからの宿命的な隔離の感覚が促す極限的な孤絶」―。(2019.1.30 記)
追記2 大澤真幸著『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書 2018年11月刊)20190204173743_00001_3
と橋本治著『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮文庫 2005年11月刊)を同時並行して読んでいる。社会学者大澤氏の論理的で比較的分かりやすい文章とつい最近急逝した橋本氏のうねっていて少し分かりづらい文体を咀嚼しながら、筆者なりの三島由紀夫の謎を追っている。(2019.2.4 記)
追記3 三島由紀夫について書いていた矢先、偶然にも今夜のNHKの番組「クローズアップ現代+」 で“三島由紀夫・・・驚きの秘話ノーベル賞と自決の謎”というタイトルで三島由紀夫と川端康成を取り上げていた。演出家宮本武亜門、芥川賞作家平野啓一郎と女優・作家中江有理がゲスト。人間の矛盾を露骨に出ていると語ったのは宮本亜門。そういえば、また2.26事件の日がやって来る。(2019.2.4 記)
追記4 『三島由紀夫 二つの謎』をめぐって『週刊読書人』(2019年1月25日号)で著者の大澤真幸と芥川賞作家の辻原登が対談。『豊饒の海』のラストと自決の二つの謎を追う深読み。三島は世界を滅ぼす否定の言葉に魅力を感じていたとする大澤、一方、愛憎半ばの三島由紀夫読書を通じて、天皇を大トリックスター(文化的英雄)、自分(三島)をを小トリックスターと位置づけする辻原登の意見。いずれにせよ、三島を読んでいない人が読んでもそれなりに面白いというのが重要で、三島を読まないということは喪失があまりにも大きい(大澤)。筆者も共感できない側の一人だった―。(2019.2.28 記)

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