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超人の面白読書 131  ジョージ・オーウェル『1984年』 4

旧訳本を借り出すことに成功して訳者の解説を読んだ。この小説が書かれた背景を新たに知ることができた。
『1984年』は、たしかに“スターリンのソヴィエト”に触発された反(ディス)ユートピアの権力世界である。それはあらゆる人間性の集奪の上に成立する不毛の世界―人間を人間たらしめない権力集中への告発であった。ハーバード・リードがいみじくも指摘したように、ユートピアを装った体制の中にひとつの悪夢を構築することで“1984年”全体を風刺したのである。たとえ真理省は現代を支配する巨大化マスコミ組織、ゴールドスタインの哲学はマルクス主義の歴史観(トロツキーの『裏切られた革命』を模したものといわれるが、オーウェル独得の権力観を展開したエッセイである)、ニュースピークは英語の簡略化をはかるベイシック・イングリッシュ(言語について一家言を持ってきたオーウェルは、文化そのものである言語の簡略化が持つ危険性を警告する)、カブト虫のような党員はいわば党官僚や技術官僚のカリカチャアなのである。もちろん、作品全体が『動物農場』と同じような風刺劇として描かれているわけではなく、それはまた、政治的ユートピアがいかに諷刺の対象となりにくいかを物語るものであろう。(P.420―P.421 旧訳解説からの抜粋)
さて、旧訳の解説を読み終えて、一応この小説の背景などをおさえたところで、原著に戻り、P. Davisonの【注】を再度読んだ。今度は注意深く。出版の裏側を知り得て興味深かった。この小説の仕掛けの最大のテーマの一つ、数式2+2=5の5が組版段階で脱落していたにもかかわらず、イギリスの出版社もアメリカの出版社もミスしたまま刊行してしまった事実、また、英語版と米語版では語法に違いも。しかし、何よりアルゼンチンでのスペイン語版での当局の削除要請は、1949年(昭和24年)当時といえ、あまりにも衝撃的である。該当の削除頁を当たってみると、当局にとっては表現が道徳上いかがわしいものと映ったのだろうか。【注】者も次のように鋭く指摘している。「我々の時代の強力な権力を持つ動きに直に抗う目的の小説の基本的な理念を損ねてしまう」。この小説の読み方の一つは、過激な仕掛けがあればこそさらに想像力を膨らませて、一つひとつ繙いていく過程の中に気づきを(たとえ絶望の淵を歩かされても)、ごく普通の営みの中に優しさを見出すことなのかも知れない。ジョージ・オーウェルは書いている。政治的なものと芸術的なものの融合が最後のこの小説に課したテーマだと。
旧訳解説の最後に訳者も書いている。「『1984年』はわれわれにとっても重大である。なぜならそこには人間の尊厳をおびやかす実体が普遍的な問題として予言されているからであり、未来のはらむ危機と現代の政治的な荒廃とか、権力の構造ないし論理をぬきにしてはまったく考えられないからである」

追記 水道橋駅付近の通りで社民党の元党首福島瑞穂議員に偶然遭遇。背が低いが愛想は良く身近なところで手を振ってくれた。気さくぅ。(2018.6.4 記)

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