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2018年2月

クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 5

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市川市文学ミュージアムの売店で購入した図録『永井荷風―「断腸亭日乗」と「遺品」でたどる365日―』を丹念に読んだ。そもそもは市川市文学ミュージアム開館記念特別展(2013年)用に作成されたもので、筆者が購入した図録は2018年1月に再版されたもの。「断腸亭日乗」をひもとく(大正7年から昭和36年まで44年間綴った日記は、作家の井上ひさしが言うように日記文学の傑作)、創作から広がる荷風の世界、荷風の本棚(フランス語の原書も並ぶ。興味津々)、荷風の暮らし(七輪を使って自炊していたこと、葬式の模様など興味深い)、市川を歩く(当時の市川の様子がよくわかる)、東京と荷風(銀座にあった『萬茶亭』と『ラインゴルト』。荷風が描いた店と女給。スケッチも上手い。1932年(昭和7)当時、なかなか洒落ていた様子が伺えて面白い)、玉の井(「通り抜けできます」の文字。猥雑な路地を訪ねてみたい。浄閑寺の詩碑「震災」は訪ねた)、浅草(ベレー帽と眼鏡がトレードマークの荷風が踊り子などをこよなく愛したところ。『ロック座』は何度か行ったことがある)、荷風をめぐる人々、ある日の荷風(何気ない日常の一コマが切り取られ表情が豊か。ファニー。これがとても面白い)など。
この図録に寄せた作家の井上ひさしは、荷風の浅草通いを近くで見ていた人で、『フランス座』でのエピソードを紹介していて可笑しい。ずっこけて笑った荷風の歯は汚なかった、と書いている。また、評論家の川本三郎は、荷風はどのように女性を愛したか、というタイトルで荷風の女好きの真髄に迫っている。かいつまんで引用しよう。「娼妓、芸者、女給、私娼など玄人を相手にしたわけは、明治人の女性に対する倫理観それに金銭を介した情事だから、ビジネスライクに割りきれる。江戸時代の男が吉原など遊郭で遊ぶのと同じ感覚である。ただ荷風の場合には、それだけにとどまらない独特の女性観がある。それは、何人もの男を相手にする玄人の女性を、ミューズ、美神としてみてしまう詩人としての目である。汚れたもののなかに美しさを見る。『墨東奇譚』の玉の井の私娼、お雪はそういうミューズの代表になっている」。そして、荷風の作品は老人文学と定義し、自分を無用の者、世捨人に見立て女性を見る。そこにぎらぎらした欲望をそぎ落とした詩情が生まれると書く。

図録(P..27まで)を読むはこちら→「20180227110540.pdf」をダウンロード

永井荷風展を観に市川市文学ミュージアムを訪ねたプチトリップは、予想外の副産物を生み出した。いろいろと読みたい本が山積みの筆者だが、『断腸亭日乗』をさらに読み進んでみたい。
『墨東奇譚』を青空文庫で読むはこちら→http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/52016_42178.html「20180227110540.pdf」をダウンロード

松岡正剛の千夜一夜の『断腸亭日乗』http://1000ya.isis.ne.jp/0450.html
なかなかオモロイ。

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クロカル超人が行く 207  市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 4

ここに岩波文庫版『墨東奇譚』のページに挟まれた一片の新聞記事がある。_20180308_083459

9年近く前のものだ。そこには荷風散人、独り逝くとの見出しで永井荷風の死が簡潔に綴られている。

私とは全然違うが、あんな孤独な生活を私もしてみたらよかったと思うほどうらやましかった。1959(昭和34)年4月

30日朝、永井荷風が千葉県市川市八幡の独居宅で吐血してこときれているのを通いのお手伝いが見つけた。79歳。胃かいようだった。その日の毎日新聞夕刊で谷崎潤一郎がこう語っている。耽美世界を思うままに描き、また現実に生きたはずの谷崎にもうらやましがられた。自由、反骨、奇行の人だった。日記「断腸亭日乗」(岩波書店)は死の直前、29日まで付けられている。〈四月廿九日。陰〉具合が悪くなったのは3月初めだ。〈三月一日。日曜日。雨。正午浅草。病魔歩行殆ど困難となる〉
荷風は自動車を雇って家に帰り病臥するが、しばらくすると習慣を再開する。近くの料理店〈大黒屋〉(大黒家)通いである。(中略)彼は通帳類など全財産を詰めたボストンバッグを持ち歩き、浅草のストリップ劇場へ行く時も手放さなかったという伝説がある。(毎日新聞夕刊 2009年4月30日 ●肉声再生 プレーバック 玉木研二)

遺体の脇にはボストンバッグがあって、中身の預金通帳の額面の総額はなんと2,334万円以上、それに現金31万円が入っていたという。
谷崎潤一郎も羨ましがった荷風の生き方、そこには荷風流の美学があったかも。特に市川時代の晩年は逍遙老人、徘徊老人として自由気ままに散策を楽しんでいた。 そう言えば、1952年の文化勲章受賞理由はこうだ。「温雅な詩情と高慢な文明批評と透徹した現実観照の三面が備わる多くの優れた創作を出した他江戸文学の研究、外国文学の移植に業績を上げ、わが国近代文学史上に独自の巨歩を印した」と。筆者は特に「透徹した現実観照」の表現に興味を引かれた。(「ウィキペディア」参照)

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クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 3

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印象に残った展示品を展示目録から列挙してみよう。【第一章 異国女性気風】上海での家族写真、1897年(明治30)【第二章 憧れの花柳界】筆記具(鉛筆/つけペン)、「断腸亭日乗」1巻原稿、1917年(大正6)9月16日、明治の新橋芸者栄龍(展示パネル)絵葉書、新橋新翁屋富松(展示パネル)写真、1912年(大正元)、「萬朝報」複製、1916年(大正5)、新橋巴家八重次(展示パネル)写真、1908年(明治41)、藤陰静枝(展示パネル)写真、「文明」第1巻1号、1916年(大正5)4月、偏奇館の登記権利証、1936年(昭和11年)、荷風生誕の屋敷見取り図原稿、1893年(明治26) 【第三章 最先端のカフェー】永井荷風自画像軸、1922年(大正11)、銀座のカフェーWaitress服装採集(展示パネル)原稿、1926年(昭和元)、今和次郎コレクション 【第四章 玉の井はユートピア】昭和九年玉の井富川町 風景写真、1934年(昭和9)、荷風撮影 玉の井界隈夜景写真、関根歌と荷風(展示パネル)写真、1932年(昭和7)、荷風筆 白百合さくや扇面書画、荷風撮影 玉の井夜景5葉写真、「お雪さん」のモデルとされる女性、「墨東奇譚」(複製)原稿、1971年(昭和46)中央公論社、手革包、荷風宛谷崎潤一郎葉書書簡、1947年(昭和22)9月21日付、荷風宛谷崎潤一郎書簡、1945年(昭和20)6月27日付 【第五章 新しい時代の到来】いろは通り旧玉の井特飲街の入口 墨田3-5(展示パネル)写真、1965年(昭和40)頃、ロック座の楽屋で踊子に囲まれる荷風複製、1951年(昭和26)、阿部雪子と行徳橋にて(展示パネル)、1952年(昭和27)、新潮社印税領収書写真、1959年(昭和34)、キッチン・アリゾナメニュー、キッチン・アリゾナマッチ箱、大黒家(展示パネル)写真、1959年(昭和34)、晩年の荷風自宅にて(展示パネル)、1958年(昭和33)、三つ揃いスーツ、かばん、机、筆/つけペン。(続く)

この展示の目録と年譜を読むはこちら→
「20180227110414.pdf」をダウンロード

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クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 2

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市川ゆかりの作家に次のような人がいる。主な作家を挙げると、井上ひさし、五木寛之、郭沫若、北原白秋、草野心平、幸田文、幸田露伴、島尾敏雄、宗左近、高野公彦、中野孝次、永井荷風、葉山修平、安岡章太郎、山本夏彦、吉井勇、吉野俊彦、和田芳恵など。そうそうたる作家たちが市川に住んでいた(市川市文学ミュージアムの施設案内パンフレットより)。都心から近く国鉄(現JR)、私鉄、地下鉄と3つの鉄道路線があって便利だからかも。
ある知人から頂いた招待券を持参して市川市文学ミュージアムで開催中の企画展―永井荷風の見つめた女たちを観に出掛けた(2月18日までで終了)。永井荷風は耽美派作家で知られ、師匠は森鴎外、明治末から大正期の6年間は慶応大学仏文の教授そして『三田文学』を創刊し谷崎潤一郎を見出だした作家である。今回は荷風が愛した女たちに注目。展示品は写真、原稿、愛用品、雑誌、図書、軸、台本、屏風、書画、新聞、書簡、印刷物、ノートなど総数152点。第1章 異国女性の気風 第2章 憧れの花柳界 第3章 最先端のカフェー 第4章 玉の井はユートピア 第5章 新しい時代の到来で構成。文学館展示としては規模が小さいが、まめだった荷風のノート、写真、原稿、書簡が観られたことは貴重だった。「断腸亭日乗」を綴る几帳面な文字群、見事という他ない。(続く)

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クロカル超人が行く 207 市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち―

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筆者が青春の一時期お世話になった虎ノ門の共同通信社ビル地下にあったR書房(かつてあった洋販の子会社で毎日新聞社、サンケイ新聞社、赤坂東急ホテル、虎ノ門共同通信社ビル、青山ツインタワー、銀座、フジテレビ、田町、広尾、成田空港、溝ノ口NEC内、市川などに店を構えていた。筆者はR書房については青山ブックセンターに吸収されたまでは覚えているが、その後はブックオフに。紆余屈折を辿って今はTSUTAYA・多田屋等の書店を経営する、日販系のプラスコーポレーション傘下にあるらしい。ネットで調べたらR書房フジテレビ店はあるのでR書房の名前は残しているみたい)。そこで共同通信社に勤務のいつもスーツ姿できめていた紳士風の常連客が『荷風全集』を定期購入していたのをふと思い出した。高価な本を購入しているサラリーマンもいるんだと感心したほど。
さて、本八幡駅でラーメンを食べたあと、目的地の市川市文学ミュージアムを目指した。駅からこの文学ミュージアム付近まではシャトルバスも出ているらしいが歩いた。この辺は市川市中央図書館が設立されて少したった頃に訪ねたことがあったが、駅から気持ち遠かった記憶がある。
商店街を通り抜け7分くらい歩くと比較的大きな通りに出た。横断歩道先の左側にこんもりした一角を発見してこの辺かなとスマホのナビを見たら、指し示す方向が違っていたのでナビの誘導に従った(後で気づいたことだが、チケットに書いてある地図を再確認すれば良かった!)。スマホナビを信じて右折、比較的大きな通りに沿ってその方向へさらに進み、市川市の仮庁舎を過ぎ、四つ角を通過したら高速道路風のやや高く広い道路にぶち当たり、再度スマホナビを確認。で、指し示す方向へ歩いた時になぜかスマホナビの位置情報が突然変わったようなのだ。なぜって、指し示す方向が仮庁舎の先にあったのだ。変、先ほど来たところへ向かっている、要はある大きな区画を一巡した格好だ。いやはや、GPSがいつの間にか軌道修正していたのかも知れない。筆者が知らないうちに誤動作していたのか、不思議である。しかし、相当遠回りしたおかげで今まで見かけない日常に出会いかつエクササイズにもなった。この辺は住宅地やマンションが立ち並ぶ地域だ。散策好きの荷風に倣ったか(笑)。しかし、戦後昭和20年代の荷風が散策している写真を見れば、街の風景が一変していることがよくわかる。土地開発が進んだ地域なのだろう。先ほど見かけたこんもりした一角に文学ミュージアムがあったのだ。うっかりである。ついでに書けばこの一角はニッケコルトンプラザ(日本毛織の工場跡地にできた商業施設)、千葉県立産業科学館、美術館それに市川市中央図書館などがある文化ゾーン。(続く)

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超人の面白ラーメン紀行 245 市川市『八幡 だんちょう亭』

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通算1900本目の記念の記事。

土曜日の昼、本八幡にある文学ミュージアムを訪ねる前にラーメン店に寄った。千葉方面のラーメン店訪問は松戸の『とみ田』以来久し振りだ。炙りチャーシューが売りの店は駅降りて3分のところに。入ってプチサプライズ、店内が妙に暗く、紙片に書かれたテレビで騒がれていますの文字がいやに目立つ。カウンター8名、テーブル席4名(小さなちゃぶ台2台)の小さな店は土曜の昼時とあってカップルなどで占められていた。さて、ラーメンである。醤油もいいが味噌系の旨いところを探索中なので、ここはやはり味噌らーめん(850円)を頼んだ。炙りチャーシューが1枚しか入ってないらしく、オプションで炙りチャーシュー(3枚で300円)を追加注文。一啜りした舌触りは特別に味わい深いというわけではなく、ベースの味噌がやや甘めで香ばしい炙りチャーシューがやわらかく際立った感じ。黄色味がかった麺はまあまあ、トッピングの炙りチャーシュー以外のもやし、メンマ、ネギ、葉物の類いもごく普通。ラーメンの他に餃子や釜飯も。杏仁豆腐がカウンターの女性に出てきたのにはまたプチサプライズ。店主とチャイニーズの女性で切り盛りしている昭和レトロを演出した、ラーメン店にしてはややディープな店だ。店の名前は永井荷風の『断腸亭日乗』に因んで付けたのかしら。実はその永井荷風展が開催しているということで本八幡駅にやって来たのだ。この文学ミュージアムの話は別なコラムで。

市川市『八幡だんちょう亭』1.スープ★★2.麺★☆3.トッピング★★4.接客・雰囲気★5.価格★☆☆

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超人の面白北欧映画 雑誌『ニューヨーカー』に載ったイングマール・ベルイマン生誕100周年に因んでロングランで上映するという記事

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たまたま雑誌『ニューヨーカー』の電子版を覗いていたら思わぬ記事に出くわし、そうか、ベルイマンが生まれて100年かと思いを新たにした。難解で知られている彼の作品を完全制覇したいと考えている筆者だが、仕事もあるのでまだ実現していない。確か去年の2月にスカパーでベルイマン映画特集をしていたはず。今度は海の向こうのニューヨークで上映会か、行ってみたい気もするが時間がないし遠い……。
下記は『ニューヨーカー』2018年2月7日号に掲載された記事(執筆者は映画評論家のアンソニー・レイン氏)の一部を試訳。

イングマール・ベルイマンの不滅の世界

今年はイングマール・ベルイマン生誕100周年で敬意を払うに熱心なニューヨーカーのために、今旅が始まる。木曜日の『第七の封印』を皮切りに5週間以上にわたってフイルムフォーラムが47作品を上映するのだ。ベルイマンの最大の魅力的な特徴の一つ、それは彼の映画が難解で危険を孕んでいることはつとに有名だが、彼がほとんど手に負えないほど映画にたくさん吐露されたことである。彼はほかに公開されないことを知っていた。映画について夢を見、引き出し、考え込み、精査しそして苦悩した。その結果、ほとんどはスリラーとワルツの優雅さを掴んだ。中間的なものができると思い起こさせようとするなら、あるいは、見破られるのを待ちながらセルロイドの平らな皮膚の下に潜む深淵を考えるなら、ベルイマンこそ最高の人だ。
回顧的なものが好きな人にとって少なからぬ喜びが繋がるチャンスになる。例えば、1955年の作品『女たちの夢』の軽やかなヒロイン役のハリエット・アンディション(筆者注:1932年1月14日生まれだから今年86歳)が老年の放蕩者の家で立ち並ぶレコード盤を探し、抜き出して、“サラバンド“や“バッハ”(もっとも彼女は“バッチ”と発音しているが)と言いながら大声でラベルを読む。すぐに私たちの気持ちは、内面を更に掘り下げた作品、“叫びとささやき”へと向かう。バッハのチェロ無伴奏組曲5番からの律動があって、悲しげなサラバンドが和解のシーンの間中聴こえてくる。シンプルなタイトルの2003年スウェーデン放送用に制作されたベルイマンの最後の仕事の時にもそのままもう一度聴こえてくる。いずれのケースもベルイマンの映画には不可欠のもう一人の女優、リブ・ウルマンが音楽の奏でるようにスクリーン上に現れる。もっとリンクしたい?“叫びとささやき”の作品ではガンで亡くなる女性の役割をハリエット・アンディションが演じている。これらすべての映画は、何十年と離れていても相互に同じ軌道を通過する。観ているのが多ければ多いほど引力が大きくなるのだ。

冒頭の写真はハリエット・アンディション。1953年作の『不良少女モニカ』(英語名: Summer with Monika.
原題(瑞語):Sommaren med Monika)からの一場面、と書かれている。何ともいえない少しセクシーな健康美。自由で解放的なアプレゲール的雰囲気がプンプン。

『ニューヨーカー』2017年2月7日号の原文を読むはこちら→https://www.newyorker.com/culture/culture-desk/the-immortal-world-of-ingmar-bergman

関連サイトを見るはこちら→http://www.ingmarbergman.se/en/event/bergman-100-years
スウェーデン美術館で開催。そのタイトルは「真実と嘘」。こちらも訪ねてみたい…。

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