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クロカル超人が行く 207  市川市文学ミュージアム企画展―永井荷風の見つめた女性たち― 4

ここに岩波文庫版『墨東奇譚』のページに挟まれた一片の新聞記事がある。_20180308_083459

9年近く前のものだ。そこには荷風散人、独り逝くとの見出しで永井荷風の死が簡潔に綴られている。

私とは全然違うが、あんな孤独な生活を私もしてみたらよかったと思うほどうらやましかった。1959(昭和34)年4月

30日朝、永井荷風が千葉県市川市八幡の独居宅で吐血してこときれているのを通いのお手伝いが見つけた。79歳。胃かいようだった。その日の毎日新聞夕刊で谷崎潤一郎がこう語っている。耽美世界を思うままに描き、また現実に生きたはずの谷崎にもうらやましがられた。自由、反骨、奇行の人だった。日記「断腸亭日乗」(岩波書店)は死の直前、29日まで付けられている。〈四月廿九日。陰〉具合が悪くなったのは3月初めだ。〈三月一日。日曜日。雨。正午浅草。病魔歩行殆ど困難となる〉
荷風は自動車を雇って家に帰り病臥するが、しばらくすると習慣を再開する。近くの料理店〈大黒屋〉(大黒家)通いである。(中略)彼は通帳類など全財産を詰めたボストンバッグを持ち歩き、浅草のストリップ劇場へ行く時も手放さなかったという伝説がある。(毎日新聞夕刊 2009年4月30日 ●肉声再生 プレーバック 玉木研二)

遺体の脇にはボストンバッグがあって、中身の預金通帳の額面の総額はなんと2,334万円以上、それに現金31万円が入っていたという。
谷崎潤一郎も羨ましがった荷風の生き方、そこには荷風流の美学があったかも。特に市川時代の晩年は逍遙老人、徘徊老人として自由気ままに散策を楽しんでいた。 そう言えば、1952年の文化勲章受賞理由はこうだ。「温雅な詩情と高慢な文明批評と透徹した現実観照の三面が備わる多くの優れた創作を出した他江戸文学の研究、外国文学の移植に業績を上げ、わが国近代文学史上に独自の巨歩を印した」と。筆者は特に「透徹した現実観照」の表現に興味を引かれた。(「ウィキペディア」参照)

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