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2017年12月

クロカル超人が行く 207 東京新名所① 東京駅丸の内広場

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【①東京駅中央正面の松 右側に東京中央郵便局のあるKITTEビル ②東京駅中央正面口 左下の「東京駅」の文字をフレームに③真正面からの東京駅中央正面口 建築家辰野金吾はオランダのアムステルダム中央駅に倣った ④丸ビル手前からの東京駅 おめかししてパフォーマンスも ⑤皇居方面の夜景 超モダンなぼんぼり 行幸通りはまだ工事中 ⑥灯りがほどよい東京駅 ⑦ライトアップされた東京駅 ⑧東京駅正面入口に戻って出来たばかりの広場を撮影 夜景が美しい】

東京駅丸の内

東京駅丸の内
駅舎の外には
ストーン カーペット

怪しい光を放って
ぼんぼりも整列

ポストモダンよ今晩は
さながら異空間

はねるでもなし
うねるでもなし

真っ直ぐ伸びて
お城のある方へ

ビルビルビールと
叫んでみたものの

ビルは今宵に限って
すました美人顔

仄かに赤く染まって
しかもほろ酔い気分

かつてここは人々を
戦地へ送り出したところ

惜別の唄も聴こえた
軍靴の音も響いた

忘れようとしても忘れられない
ボウヨウとした宵闇

構内では多くの勤め人が
足早に家路を急ぐ

流れからはみ出たら弾かれる
振り向けば張り倒される

駅舎は寄宿舎に似て
広場は歴史の箱庭のよう


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ノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロ 余滴

12月16日の毎日新聞夕刊コラム「土記」には、カズオ・イシグロ氏の父親についての興味深い話が書いてあった。海洋学者であった父親が発明した「高潮予測シミュレーター」がイギリスロンドンの科学博物館に新設された数学ギャラリーの目玉展示の一つとして展示されているという記事だ。また、この父親は長崎気象台時代には「長崎気象台の歌」なる作曲もしている多才な学者なのだ。毎日新聞夕刊の記事を読むはこちら→
https://mainichi.jp/articles/20171216/ddm/003/070/050000c
NHKBS1ではノーベル受賞式直前にインタビューした模様を放送(12月16日午後7時~7時50分)。そこで語られたことはノーベル平和賞を受賞した「I CAN」の核廃絶に向けた運動の評価、イギリスのEU離脱に対して否を唱えていることそれに日本の漫画にヒントを得た作品を書く用意があることなどだ。

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超人の面白読書 130 小冊子『神保町が好きだ!』第11号 特集 神田神保町書肆街考 4

神保町の新刊書店、古書店、版元それに取次店4者の座談会の中である古書店主の話が面白く印象的だ。

酒井 小学生のときからランドセルしょって口笛吹きながら通っている生意気な子どもがいたけどね。何十年も前に何千円も買っていったのでびっくりしました。今はかなりの個人コレクターになりましたけどね。ある銀行の担当者も、彼はまだ30歳前だけど、小学生の頃から神保町に通っていたとかで、神保町の支店に転勤になって嬉しいとしょっちゅう歩いていますよ。有名な大名の末裔です。そういう人もいるんです。

他にも神保町を舞台した朝ドラを制作したらなど現場からの声に耳を傾けたくなるような話が満載、しかも手軽に読める。必ずしも安泰としてはいられない神保町本屋事情も解って、本好きな人あるいは予備軍さんよ、ネットばかりに頼るのではなくもっと書を探しに神保町を闊歩したらいい。鹿島茂の『神保町書肆街考』はそういう人たちにとって確かに応援歌になり得る一冊である。神保町もだんだんと違った業種に侵食されつつあるが、そこは雑多な文化の香りも良しとし共存共栄を図って生き延びてほしいものだ。

下記は本文から明治期の三省堂書店と大正2年の一誠堂の写真。何とも風情があるではないか。当時の書店さんの様子が手に取るようにわかる。家屋や店員たちにもその時代の特色が出ていて面白い。

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超人の面白読書 130 小冊子『神保町が好きだ!』第11号 特集 神田神保町書肆街考 3

神保町も来年1月から「神田神保町」と神田が付く地名に変わる。二文字増えていろいろと大変なことも。住所表記を直さないといけないからだ。それはともかく神保町は神保某の地名に由来するが、鹿島茂氏が描き出した界隈は、古本の街の歴史だがそれより何より大学街としての神保町を浮かび上がらせたことだ。社史や大学史それに区史などを駆使して幕末からの神保町の変遷を辿っている。博識な著者の面目躍如といったところ。池上彰ではないが、ああ、そうだったのか、神保町さん、といったところが随所に出てきて興味が尽きずまた、教えられることもしばしば。トレビアの噴出である。
さて、小冊子から筆者の目に留まった箇所を抜き出してみたい。

鹿島 明治42年からある(筆者注: 主語はランチョン)。1972年、3年にランチョンが火事になった時に、僕の友人がその前を通るとビールを持って逃げ出してきた吉田健一に遭遇したそうです(笑)。

森 中央大学の先生でしょう。テストの採点をランチョンの人にやらせて自分はビールを飲んでいたとか(笑)。その話を書いて見せに行ったら、そこだけは書かないでくれと言われたことがありました。

吉田健一は文芸評論家、英文学者、作家でエッセイスト。あのぎょろっとした眼と目立つ鼻、それでいて英国紳士を地で行くような独特な風貌が懐かしい。旧字体で句読点の取り方がユニークな、くねくねした文章を書いた。当時筆者は『ヨオロッパの世紀末』のタイトルの“ヨオロッパ”の表記に不思議な匂いを感じたものだ。

鹿島 (中略)なぜ私立大学ができたかと言うと、東大が明治初年に外国語教育を英語だけに統一する方針を打ち出したからです。フランスやドイツで学んだ人たちの行き場がなくなってしまった。それでフランス留学組が明治大学、ドイツ留学組が日本大学の前身の法律学校を自分たちで作った。一方、英米のロースクールに留学した人たちは、官史養成の東大の法学部とは異なる弁護士養成のためにイギリス留学組が中央大学、アメリカ留学組が専修大学を作った。東大の英語統一が色々なところで余波を与えている。

森 どうして英語に統一したんでしたっけ?

鹿島 それは英独仏の3ヵ国語の授業があれば教師をたくさん雇わなくてはならないから。一人にたくさん授業をやらせる大学経営の簡略化です。これで日本の文化も随分変わったでしょうね。私立大学ができたから良いけれども。

ここには日本の大学の黎明期の話が手短に示されている。大学の成り立ちとつながりが解って面白い。いま大学では英語による授業が盛んになってきているが、その他のドイツ語やフランス語の衰退が叫ばれて久しい。その代わりに中国語の台頭が著しい。ヨーロッパの魅力が薄れているということか。インターネットの急速な普及が英語の世界的な制覇に拍車をかけた格好だ。多様な言語の活用がもっとあってもいい。

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2017年ノーベル文学賞受賞者式 日系英国人作家カズオ・イシグロ氏のスピーチ

下記は昨夜(12月10日)スウェーデンのストックホルムで行われたノーベル賞受賞式でのノーベル文学賞受賞者・日系英国人作家カズオ・イシグロ氏のスピーチ。

Kazuo Ishiguro - Banquet Speech
Kazuo Ishiguro's speech at the Nobel Banquet, 10 December 2017.

Your Majesties, your Royal Highnesses, ladies and gentlemen.
I remember vividly the large face of a foreigner, a Western man, illustrated in rich colours, dominating the whole page of my book. Behind this looming face, to one side, was smoke and dust from an explosion. On the other side, rising from the explosion, white birds climbing to the sky. I was five years old, lying on my front on a traditional Japanese tatami floor. Perhaps this moment left an impression because my mother's voice, somewhere behind me, was filled with a special emotion as she told the story about a man who'd invented dynamite, then concerned about its applications, had created the Nobel Sho - I first heard of it by its Japanese name. The Nobel Sho, she said, was to promote heiwa - meaning peace or harmony. This was just fourteen years after our city, Nagasaki, had been devastated by the atomic bomb, and young as I was, I knew heiwa was something important; that without it fearful things might invade my world.
The Nobel Prize, like many great ideas, is a simple one - something a child can grasp - and that is perhaps why it continues to have such a powerful hold on the world's imagination. The pride we feel when someone from our nation wins a Nobel Prize is different from the one we feel witnessing one of our athletes winning an Olympic medal. We don't feel the pride of our tribe demonstrating superiority over other tribes. Rather, it's the pride that comes from knowing that one of us has made a significant contribution to our common human endeavour. The emotion aroused is a larger one, a unifying one.
We live today in a time of growing tribal enmities, of communities fracturing into bitterly opposed groups. Like literature, my own field, the Nobel Prize is an idea that, in times like these, helps us to think beyond our dividing walls, that reminds us of what we must struggle for together as human beings. It's the sort of idea mothers will tell their small children, as they always have, all around the world, to inspire them and to give themselves hope. Am I happy to receive this honour? Yes, I am. I am happy to receive the Nobel Sho, as I instinctively called it when, minutes after receiving my astounding news I telephoned my mother, now 91 years old. I more or less grasped its meaning back then in Nagasaki, and I believe I do so now. I stand here awed that I've been allowed to become part of its story. Thank you.
ーノーベル賞委員会公式ホームページより
また、12月7日のカズオ・イシグロ氏の記念講演の内容や模様を見るはこちらへアクセスされたい。http://www.nobelprize.org


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超人の面白読書 130 小冊子『神保町が好きだ!』第11号 特集 神田神保町書肆街考 2

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鹿島茂の『神田神保町書肆街考』は、『ちくま』連載時には読むのが楽しみなページで毎月ほとんど欠かさず読んでいた。その連載に多少加筆して分厚い一冊の本が出来た。目次は下記の通り。



1 神保町という地名
神保町の地理感覚 8

2 蕃書調所の設立
昌平黌と2つの官立大学 15
護持院ヶ原はどこにあったか 20
蕃書調所から洋書調所、そして開成所へ 27

3 東京大学の誕生
高等教育の始まり 34
まず外国語学校から 41
『高橋是清自伝』を読む 48
東京大学誕生の背景 54

4 『当世書生気質』に描かれた神保町
花街と丸善 62
淡路町の牛鍋屋 69
書生たちの懐事情 76



5 明治10年前後の古書店
古書店街を作った条例 84
有斐閣 90
三省堂書店 97
冨山房 104
東京堂書店 111
東京堂の取次進出 118
中西屋書店の記憶 125
中西屋のウィリアム・ブレーク 131

6 明治20年代の神保町
白樺派と東条書店 138
ピカロ・高山清太郎 145
セドリ事始め 152
『紙魚の昔がたり 明治大正篇』 158



7 神田の私立大学
明治大学 168
中央大学 175
専修大学 181
日本大学 188
法政大学 196
東京外国語学校と東京商業学校 203
共立女子職業学校の誕生 210

8 漱石と神田
成立学舎の漱石 219
坊っちゃんの東京物理学校 227

9 神田の予備校・専門学校
駿台予備校 236
百科学校・東京顕微鏡院・遊輪倶楽部自転車練習場・
東京政治学校・済生学舎 244



10 神田神保町というトポス
神保町の大火と岩波書店 254
神田の市街電車 262

11 中華街としての神田神保町
幻のチャイナタウン 271
松本亀次郎の東亜学校 279
中国共産党揺籃の地 286
古書店街は中華料理店街 293

12 フレンチ・クォーター
2つの三才社に集まった人々 309
仏英和高等女学校 317
ジョゼフ・ コット氏とアテネ・フランセ 324

13 お茶の水のニコライ堂
異様な建物 324



14 古書肆街の形成
大火以前以後 344
関東大震災の古書バブル 354
セリ市での修業 360
一誠堂の古本教育 368
九条家本購入始末 375
『玉屑』と反町茂雄 382
200軒の古本屋が並ぶ街 389
デパートで古書を売る 397
巌松堂から巌南堂へ 404
古書の街に救われた命 413

15 神田と映画館
三崎三座 421
神田パノラマ館・新声館・錦輝館・東洋キネマ…… 428
シネマパレスと銀映座 436
その後の東洋キネマ 443

16 神保町の地霊
駿河台のお屋敷町 453



17 戦後の神田神保町
『植草甚一日記』 466
空前絶後の古典籍の大移動 474
記録の人・八木敏夫 483
折口信夫と『遠野物語』の出会い 491

18 昭和40~50年代というターニングポイント
中央大学の移転とスキー用品店の進出 501
鈴木書店盛衰史 510
一ツ橋グループ今昔 518
現代詩の揺籃期 527
古書マンガブームの到来 540
サブカル・オタク化する神保町 547

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クロカル超人が行く 206 世田谷文学館「澁澤龍彦展 ドラコニアの世界」番外編

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世田谷文学館で「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」を鑑賞しながら、展示品以外にも“あること”をきっかけに関心を抱いた。文学館の企画展会場の設営、多種多様なパネル、展示品や入れ物、レイアウト、映像や音響、貴重品の扱い、集客や注目度を上げるためのコーナーの仕掛け、順路(これが時として解り難い)、関連グッズなど所謂企画展構築はブランから実際の組み立てに至るまでの作業(格好良くいえば、感動的な空間プロデュース)ーそれは当事者の腕の見せどころとなるがーにはやはり並大抵ではない苦労があるはず。美術館や博物館それに文学館のイベントを扱う専門の業者が関わるとは思うのだが、どう造られていくのか興味のあるところだ。裏方の仕事に興味津々、それこそ達成感に向けた人間ドラマが展開しているのではと勝手に想像してしまう。いやいや、これは筆者の思い過ごしで専門業者に丸投げしているのが事実かもしれない。そうだ、こういうことは長らく美術館や文学記念館に携わってきた友人S氏に訊いてみた方が良いかも。
ところで、前に“あること”をきっかけにと書いたが、それは2階の展示入口から順路を辿ってちょうど中間地点にあった、澁澤龍彦本が約70冊くらい、確か4段にわたって配列された壁と一体型の奥行があまりない陳列棚だのことである。バックの壁と浅い陳列棚は白一色に統一され、透明なガラス(多分アクリル製)に覆われた澁澤本がことのほか映えていた。これこそback to the futureそのもの。見事である。それでこのスタイリッシュな陳列棚がほしくなったというわけ。実は最近ある部屋の入口付近にこのような書籍用のディスプレイ シェルフを置きたいと探していたのだ。この陳列棚の前に立ってラフスケッチを試みた。今ある業者に依頼しようと思っている。
そう、世田谷文学館はしばらく改装のため休館していて最近再オープンしたのだ。それを知ったのはこの文学館を12月に入ってすぐに取材した【東京サイト】の動画でしかもユーチューブでだった。それによると大胆に模様替えしたみたいで、地元の作家たちの作品や遺品がディスプレイされていて以前とは格段に違い充実度が窺い知れる。知らなんだ!改装中なのは何かの用事のついでに現地に赴いて知っていた。今回の「澁澤龍彦展」の鑑賞後に館内を一巡すれば良かったと猛省。

ところで、芦花公園駅に来たついでに近くのラーメン店『アイバン』を覗いてみようと思い寄り道をした。以前に立ち寄って、もはやこれまでかと店の将来を心配したのだが、その後どうなったか確認したかったのだ。夕方の5時半過ぎ、果たしてその店はまだあるのか思い巡らしながら店に近づいた。店は夜の部がまだ開店前らしく看板文字を照らす灯りだけで半開き、よくよく見ると、あれっ、看板の文字が違っている、どういうこと、やはり「アイバン」ラーメン店は無くなっていて人の手に渡っていた? 暗い中店の貼り紙を恐る恐る読んで納得。貼り紙には秋刀鮪出汁のラーメン、アイバンラーメンで修行した者、と書かれていた。アイバン氏が弟子に譲った格好なのか。店の名前は「アイバン」ではなく「宣久」だった。6時開店なのでパチリと撮ってその場を後にした。当のアイバン氏は出身地のニューヨークでラーメン店を開いて繁盛しているらしい。

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クロカル超人が行く 206 世田谷文学館「澁澤龍彦展 ドラコニアの世界」続

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【写真: ⑧『高丘親王航海記』最後の長編小説。唐に渡り天竺をめざした9世紀日本の僧侶・真如(高丘親王)を主人公に長旅を綴った作品。⑨『高丘親王航海記』草稿と最終章「頻伽」】

渋澤龍彦略年譜と主要著作(図録P.266~P.274)☞「20171201181449.pdf」

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