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2017年8月

超人のうまかカレーや 神保町『共栄堂』

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これが噂のスマトラカレー。

食通で世界中食べ歩いている。
急がしの原田マハも。
毎日新聞日曜版のコラムで。
食べに行ったと書いていたが。
食後の特別なコメントはなかった。

不思議。
不思議発見。

海軍カレーみたいじゃないの。
具がたっぷりじゃないの。
あまり味がないじゃないの。
宣うカレー好きの女子もいたが。

不思議。
不思議発見。

果たしてスマトラカレーは。
たっぷりの。
トロトロレトロ。
しかも限りなく黒。

不思議。
不思議発見。

ポークは角切り。
ライスはパサパサ。
スープは薄め。
味はベターザン海軍カレー。

不思議。
不思議発見。

染み込んだ甘辛。
スマトラ伝説。

タンタントとした中年男性。
オールディズの椅子やテーブル。
ラッキョウとフクジンツケのビン。

味もタイムスリップしていた。


追記 スマトラカレーの『共栄堂』で本屋の『邦栄堂』を思い出した。今も鎌倉にあるのかしら。店主が上客に作家の井上ひさしがいたと言っていた。大分昔の話。その前の筆者20代の頃に実は井上ひさし書籍注文受係をしていた。


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草野心平詩集(岩波文庫) 『乾 坤』抄から 噛む 少年思慕調

噛む

少年思慕調

阿武隈はなだらかだつた。

だのに自分は。
よく噛んだ。
鉛筆の軸も。
鉛色の芯も。

阿武隈の天は青く。
雲は悠悠流れてゐた。
けれども自分は。
よく噛んだ。
国語読本の欄外はくしやくしやになり。
活字の行まで噛みきると。
空白になつた分は暗誦した。


小学校は田ん圃の中にぽつんとあり。
春は陽炎につつまれてゐた。

だのに自分は女の子の胸にかみついて。
先生にひどくしかられた。

ゆつたりの薄の丘や。
昼はうぐひす。

だのに自分は。
カンシャクをおこすとひきつけた。
バケツの水をザンブリかけられ。
やうやく正気にもどつたりした。

指先の爪は切られなかつた。
鋏のかはりに。
歯で噛んだ。

なだらかな阿武隈の山脈のひとところに。
大花崗岩が屹ッ立つてゐた。
鉄の鎖につかまつてよぢ登るのだが。
その二箭山のガギガギザラザラが。
少年の頃の自分だつた。

阿武隈の天は青く。
雲は悠悠と流れてゐたのに。

この詩は少年時の回想だが、筆者も二箭山には従兄弟の案内で登った。鉄の鎖でよじ登ったあとの頂上から眺めた秋晴れの景色は絶景だった。その従兄弟は大分前に死んだ。

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超人の面白趣味の園芸 MORNING GLORIES

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MORNING GLORIES
―a special message to Sally

A morning glory,
Three morning glories

And
Many morning glories
With various faces

Just come out.

朝顔
―サリーへの伝言

朝顔一輪
アサガオ三輪

また
たくさんのあさがお
いろんな顔みせて

咲いたよ

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超人の面白読書 128  雑誌『うえいぶ』第50号 終刊号(2017年3月31日発行) 10

ここまで書いてきてふとタイトルを読み返した。確かにこの関内幸介氏のエッセイのタイトルは、夏井川のほとりにて―“本郷界隈のことども”―と名付けられている。草野心平家だけの人たちだけではなく、草野家とゆかりのある群像でもあったのだ!それは前にも書いたが、extraordinary family history 傑出した人物の家族史、個性豊かな人たちの物語だろう。否、家族の栄枯盛衰の物語としても読める。江戸後期から追った主に草野心平家には、病気で早死にした人たちなど不幸も相当あってまた、子宝に恵まれず養子縁組をして家督を守ってきた。その血筋の不思議さ、怖さを思わずにはいられない。このファミリーヒステリーには当時の磐城中学を中退している人たちが心平をはじめ何人かいる。一つの枠には収まり切れない、個性豊かで血気盛んな人たちもいたのだ。それにしてもと思う、血筋の不思議さや育てられ方の不思議。草野心平の詩にはこの体験が反映しているようで、中国での詩作とグローバルな詩的世界、アメリカの詩の影響、初期詩集、蛙に託した詩、宇宙観、汎神論、アナーキズム等々の根底には存在のいたずら、虚無感、寂寥感があったように筆者には思われる。また、エネルギッシュで生活力が旺盛(『火の車』や『学校』を営んで生活費を稼いでいたがずっと貧乏だった。『学校』は筆者の20代の頃に何度か訪ねてみようと思ったが実現しないままだった。3年ほど前にようやく新宿ゴールデン街の店を訪ねたが、場所は同じでも店の名前や経営者が替わっていた。実は『学校』は大分前に草野心平のファンだった女性が引き継ぎ、新宿ゴールデン街に移ってしばらく営業していたがその女性も高齢で今は人に譲って引退。現在の店の女性経営者の特別な計らいで筆者は、元『学校』店主と電話で話すことができた。店の看板は草野新平記念館に寄贈したと店主が電話の向こうで語っていた。新宿ゴールデン街の入口の案内板には『学校』の名前だけが残されている)、詩人や作家との交流の広さ、面倒見の良さ、一言でいえば人間的魅力に溢れ、宮澤賢治をはじめ村山槐多や吉野せいなどを発掘した名編集者でありコーディネーターでもあった。
この関内幸介氏のエッセイを注意深く読めばもの悲しいトーンが流れていることも感知できよう。草野心平については今まで数多く書かれてきた。新たな視座で取り組めば生誕120年が草野心平詩にとって大きなエポックになるだろう。その意味でもこのエッセイにある第一級資料の草野氏文書の公開を俟ちたい。

タイトルの本郷界隈は、JR磐越東線「小川郷」駅近くの、福島県いわき市上小川・本郷公民館周辺。貴重な写真も何枚か挿入されている。

追記 草野心平の前橋時代の写真。ここには珍しく心平の奥さんも写っている。なかなかの美人である。若い伊藤信吉もいる。88年前の昭和4年の写真。

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前橋文学館特別企画展
風邪には風ー草野心平の前橋時代
萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち前橋文学館 2011年11月
発行より

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超人の面白読書 128 雑誌『うえいぶ』第50号 終刊号(2017年3月31日発行) 9

ここで執筆者関内幸介氏のエッセイに登場した草野心平家に関係する主な人物名を筆者流に挙げてみよう。そうすれば具体的に人物関係がよりたやすく理解できるはずだ。ついでに当時の名前の付け方の特徴も見出せる。小見出し「紋十郎家」。草野紋十郎、喜佐衛門、源蔵、政五郎、富蔵、興兵衛、林之輔、やす、はま。小見出し「登と欽一郎」。白石長兵衛、キヨ、登(みのる)、吉田一民、さだ、モリ、ヨシ、欽一郎、タカ、コト、豊、鷹雄、エイ、信男、悟郎、武子、萬次郎、草野晴次郎、シゲル、政右衛門、白井菊造、渡邊己之吉、草野正壽。小見出し「佐平太と遠平」。佐藤幸助(後の白井佐平太)、常松(後の白井遠平)、酒井興兵衛、柴原の鈴木才兵衛門、子眞山人、鶴、きさ、草野米吉、根本武郎。小見出し「戊辰戦争と奥羽出張病院」。関寛斎、小野亀七、関内半兵衛、本郷の庄兵衛、兵吉、新吉、ヒサ、正太郎、甚三郎。小見出し「宮本壽硯」。宮本秀英、室桜関。小見出し「牧牛共立社」。大久保利通、大悲山重一、伊藤正太郎、緑川萬次郎。小見出し「天文一揆と草野興八」。草野興八。小見出し「高蔵・馨・心平」。高蔵、トメ。小見出し「櫛田民蔵とマルクス學」。櫛田民蔵。小見出し「眞崎甚三郎」。眞崎甚三郎。小見出し「草野氏文書」。仁太郎。小見出し「生と死と」。幸平、セキ、庄平、アサ、半平。(続く)

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超人の面白読書 128  雑誌『うえいぶ』第50号 終刊号(2017年3月31日発行) 8

執筆者が文献資料涉猟の人だとは分かるが、草野心平の家系は普通でも複雑過ぎてなかなか理解しにくい上に執筆者の関内幸介氏の文章もなかなかなもの、理解するのに一苦労した。単純だけどすんなり頭に入っていかないのがミソ。ということで、簡単な家系図を作れば更に理解が深まるはずと昔読んだ本を参照しようと書棚から引っ張り出した。ついでに関連の本を3、4冊積んで斜め読みしてみた。深澤忠孝著『草野心平の世界ーその道程と風土ー』(1978年、ふくしま文庫)や『猪狩満直全集』(1986年 猪狩満直刊行委員会)それに草野心平著『私の中の流星群―死者への言葉―』(1975年、新潮社。草野心平の詩を最初に認めた詩人山村暮鳥の一文も。掲載誌・年月一覧の作成は草野心平の年譜作成者の長谷川渉。兄民平や弟天平の記述もある。三兄弟全員が詩を書いていた珍しいケース。3、4年前に用事があって戦後すぐの文芸誌で西脇順三郎の記事を探していたら天平の詩が何編か断続的に掲載されていたのを偶然見つけた。1991年発行の新編本では解説は伊藤信吉、あとがきが長谷川渉になっている。ここには西脇順三郎についての記述があって、心平が西脇から慶應大学の教授に誘われたエピソードを紹介している)そして平窪郷土史編纂委員会編『平窪郷土史』だ。ローカル色の色濃い書籍がほとんど。深澤氏の新書版の略系図(本文P.23)と深澤氏が参考にした長谷川渉氏の草野家系譜(筆者による全集からのコピー製本)

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を見つけて合点、『猪狩満直全集』所収の初期詩集に跋文を寄せた心平の文章も読んだ。吉野せいが書いた文章を没にした経緯など内輪の事情が綴られていて興味深い。また、ネットでも関連ものを探った。その中に「草野心平研究史」なるのもあって、これまた参考になった。大分前の論考だが。残念ながら『平窪郷土史』にはこの関内エッセイに登場する草野家の人たちが通った中平窪富貴内の幕末平藩儒学者櫻關の培根塾についての記述はなかった。牧畜や牛乳舎にも言及したかったがそれは後ほど。(続く)


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超人の面白読書 128 雑誌『うえいぶ』第50号 終刊号(2017年3月31日発行 ) 7

いわき風土記・人物編 上小川村@草野家の続き。執筆者関内幸介氏は草野心平の親戚筋の人で資料も手に入りやすい環境にあることは容易に頷けるが、そればかりではなく、いろいろな文献をよく調査し解読しているようだ。惜しいかな、解りやすい文章がほしいー。それはさておき草野家では病気で早世したり、子どもに恵まれず養子をもらって家督を継がせていたりと複雑な家族だったことがよく分かる。寺の過去帳を調べることだけでは分からないことが多いはずだが、関係資料を執拗に追った賜物だろう。江戸後期には椎茸栽培、福島県で初めて株式会社組織の牧牛共立社を明治初期に戸渡に設立、馬喰を使って牛集めをしていたことしかもチーズや粉ミルクまで製造してわずか20年弱で解散したこと、いわき銘菓「六段最中」を発明し販売していたことなど興味深い事柄が続々と出て来るではないか。日本で初めて株式会社の会社組織を横浜で創設したのは丸善(創業者は福澤諭吉の影響を受けた早矢仕有的で店名は丸屋商社、現丸善雄松堂)で、確か明治2年、そういった近代的なビジネスモデルが福島県しかも小川町で設立されていたのだ。
試しにネットで関連事項を検索してみたら、執筆者の関内幸介氏は戸渡の「やまのがっこう」(3.11以降は放射能の影響もあって休止中)などいろいろなところで講師や案内役をしている。

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超人の面白読書 128 雑誌『うえいぶ』第50号 終刊号(2017年3月31日発行) 6

小川(筆者的には敢えて小川)の風土がそうさせたのか、それともたまたまそういう進取の気性に富んだ人たちが集まっていたのか分からない。大方はむしろごく普通の暮らし向きを良しとしていたのではないかと考えたいが、その辺の事情は筆者には分からない。母親の実家周辺を見渡せば先祖がやはり山あいに入って山林関係の仕事に携わっていたことは容易に想像がつく(母方の祖母の出の内倉あたりは江戸時代に新田開発を手掛けていたようだが、内倉から少し下ったところで生計を立てていた祖父の時代は炭焼きや材木切り出しなどの山仕事や葉煙草栽培、果樹園それに田畑での野良仕事が主であったと記憶している)。母親の実家が湯の沢の近くだったということもあって、小学時代は母親の用事がある度にバスなどでよく“重箱運搬人”として駆り出されたものだ。バスは路線によっては確か一旦小川郷駅に入って上小川方面に向かうこともあった(が、時々は父親の妹、叔母の嫁ぎ先の柴原、父方の祖母の出の高萩に寄ったことも)。上小川行の終点はお菓子屋の「吉野屋」の前、それから乗り換えて二ツ箭山の中腹、内倉方面行のバスに乗り湯の沢の先のバス停留所で下車するのだ。次のバスを待つ間、鰻の寝床みたいな細長い「吉野屋」の窓側の小さな畳張りの休憩所で母親とバスを待った。その間母親はやや小柄だがはきはきした店の女将と世間話をしていたのだ。今となっては遠い記憶ー。(続く)

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超人の面白読書 128 雑誌『うえいぶ』第50号 終刊号(2017年3月31日発行) 5

阿武隈高地(昔は確か山脈と言っていたが)、とりわけ二ツ箭山近くの磐越東線「小川郷」駅周辺の地域を巡る物語は、明治、否江戸後期、大正、昭和の時代を逞しく生きた草野家の人々の物語、言い換えれば個性豊かな人々の輩出であったことがこのエッセイから読み取れる。夏井川、本郷、紋十郎家、登と欽一郎、小川の百貨店、佐平太と遠平、戊辰戦争と奥羽出張病院、宮本壽硯、櫻關と培根塾、牧牛共立社、小川劇場、常慶寺、天文一揆と草野興八、高蔵・馨・心平、皇室と戸渡のヤマユリ、櫛田民蔵とマルクス學、眞崎甚三郎、草野氏文書、生と死と、祖父の家、結びにそして謝辞が小見出しで、読み進むにつれ、静寂の地下道から水滴がぽとりぽとりと零れ落ちる音が聞こえてくるようだ。
ここで草野心平自身の詩作品、かの有名な詩篇「上小川村」を書き写してみれば本郷界隈、“火の見やぐら”周辺がより鮮明になる。

上小川村

  大字上小川

ひるまはげんげと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。
ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは小作人。小作人のとなりは質屋。
質屋のとなりは鍛冶屋。鍛冶屋のとなりはおしんちやん。おしんちやんのとなり
は馬車屋。馬車屋のとなりは蹄鉄の彦・・・・・・。
昔はこれらはみんななかつた。
昔は十六七軒の百姓部落。
静脈のやうに部落を流れる小川にはぎぎよや山魚もたんさんゐた。
戸渡あたりから鹿が丸太でかつがれてきた。
その頃ここで。
白井遠平が生まれ育つた。
櫛田民蔵が生まれ育つた。
いまも変なのが少しはゐる。
人のいい海坊主みたいにのろんとした草野千之助も生きてゐる。

ひるまはげんげんと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。

   背戸は赤松の山。前はすすきや草のなだらか
   な丘に屏風岩。そのまんなかのにぶい蛍色の
   出で湯をまもる家一軒。ここを湯の沢といふ。

ー岩波文庫『草野心平詩集』より
(続く)

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超人の面白読書 128 雑誌『うえいぶ』第50号 終刊号(2017年3月31日発行) 4

この雑誌の目玉ともいえる、詩人草野心平の家系を探って余りある関内幸介氏の「夏井川のほとりにてー本郷界隈のことどもー」を二三度繰り返して読んだ。旧仮名遣いを使っていてやや読みづらかったが、内容は興味深く教えられることも結構あった。何度も地図を見ながら本文を追うと同時に、筆者の幼少期の記憶も動員しての多重奏的な読書となった。22頁もあるエッセイは草野心平の家系図を一つ一つ繙いていて、遠い記憶をジグザグしながらも見事に蘇らせている。それはやや“複雑系”のファミリーヒステリーと呼ぶべきものだろうか。進取の気性に富んだ人々の歴史でもあるのだ。鉱物学が得意な執筆者らしく、地形を詳しく描くところから書き始めている。(続く)

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