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超人の面白読書 127 加藤孝男(東海学園大学教授) 太田昌孝(名古屋短期大学教授) 『詩人 西脇順三郎 その生涯と作品』 7

太田氏は「山樝(さんざし)の実」、「まさかり」、「アポカリプス」、「えてるにたす」と「はしがき・幻影の人と女」を取り上げて繙く。そこには長年西脇詩に親しんできた太田氏ならではのやわらかい批評の眼があるように思われる。そのなかの「えてるにたす」から。

シムボルはさびしい
言葉はシムボルだ
言葉を使うと
脳髄がシムボル色になつて
永遠の方へ傾く
シムボルのない季節にもどろう
こわれたガラスのくもりで
考えなければならない
コンクリートのかけらの中で
秋のような女の顔をみつけ
なければならない季節へ
存在はみな反射のゆらめき
世界へ
寺院の鐘は水の中に鳴り
逆さの尖塔に
うぐいすが走り
ひつじぐさが花咲く
雲の野原が
静かに動いている


“シムボルはさびしい
言葉はシムボルだ”
西脇らしい言葉使いの二行だ !


太田氏は書いている。

西脇詩は難解であり、深い教養に象られた崇高な詩であるという評価は、実は西脇詩の全体像を把持した批評ではない。中略。西脇の何物も求めないという「空」で原初的な思考が、戦後の世界が目指したものとは大きく異なる方向性を持ったため、現代人の感性や理解のアンテナに触れなかったのである。

本書ではやや難解な部類に属する文章だ。理解が全くできないというわけではないが、執筆者の太田氏が言わんとしていることも分かるような気がする。それは時代の感性といったものだろうか。筆者が青年時代に親しんだ北欧文学研究者で詩人・作家・評論家の山室静は、西脇よりはるかに思想遍歴をした人だが、「無常観」を人一倍持っていた人だ。晩年は植物を愛でてその詩もあるくらい。

西脇の詩は読者にアタルクシア(魂の平安)をもたらすという(本文P.140)。また、同じ頁でこうも語る。太田氏も20代の頃深沢を徘徊しながら「人間存在の根本的なつまらなさ」(『超現実主義詩論』)を実感したというのだ。
太田氏は、最後に『旅人かへらず』の「はしがき・幻影の人と女」を引き合いに出しながら、西脇詩学の鉱脈として、またその中枢を形成する詩想の源泉として評釈を試みている。ここには「幻影の人」を定義しながら、著者太田氏の西脇詩に対する深い愛情があるように思われる。(続く)


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