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2017年1月

超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと 2

新聞に掲載されたドナルド・トランプアメリカ大統領の15分足らずの就任演説を読んだ(原文と和訳)。テレビで視聴したが、何せ深夜で眠たい時だけによく覚えていなかった。“And, yes, together, we will make America great again”という今や彼の代名詞みたいな文言で演説を締め括ったが、筆者的にはファーストレディになったばかりの東欧系(スロベニア人)の美人、メラニア夫人(ソフィア・ローレン似)の艶やかなブルー系のファッションに目を奪われたのが正直な気持ち。それはさておきトランプ大統領の就任演説の内容だ。時代や政治理念等を考えるのにキーポイントになると思われるので、ここで1961年のジョン・F・ケネディの就任演説の有名な箇所を引用してみたい。

And so, my fellow American: ask not what your country can do for youーask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.

“国家があなたのために何ができるかを問うことではなく、あなたが国家のために何ができるかを問うてください”

このあまりにも有名な政治哲学的な命題否言葉は、筆者が高校の時分に英語の授業で教えられ暗記したものだ(そう記憶しているが大昔のため曖昧だ)。そしてジョン・F・ケネディ大統領の写真と文章で綴った本まで買ったのだ。
そうだ、忘れていたドナルド・トランプ大統領の就任演説の内容に言及することだった!平易な英語は筆者たちの外国人には理解するのに大いに助かるが、あまりにも短絡すぎる文言やリフレインが多く、選挙公約実行に向けた各論のオンパレードで薄っぺらな印象、これが大統領就任演説かと目を疑ったほどだ。これではほぼ半分の支持者向けの演説と変わらない。強いアメリカを取り戻せ、アメリカ第一で。そう訴えている背景には弱くなっているアメリカの現実があるが、政治は正義に基づき公平に平和的に解決することが求められる。少なくともデモクラシーの国民国家では。今や短文形式のツイッターが政治に利用されて独り歩きしている。強気だったりときに弱気だったりと感情の起伏があるトランプ砲だが・・・。
ニューヨーク在住の身内はラインでデモが急増していると書き込んできた。やはりケネディ大統領の言葉を再考してもよさそうだ。

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超人の生真面目半分転生人語 11 ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領に思うこと

トランプで切れるキレないドルミドル

先週の金曜日の深夜、第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ氏の就任式をテレビで観た。ワシントンDCからの中継はいつもの大統領就任式とは趣が些か違っていたようだ。押し寄せた観客は、前回の大統領選で“チェンジ”を訴えて当選した黒人系アメリカ人初の大統領オバマ氏の180万人より遥かに少なく90万人位(?)、しかもそのほとんどが白人 。100近くの団体の抗議デモもあって、一部は暴徒化して銀行などの窓ガラスを破壊し警察との衝突も出た。セレモニー会場は60名ほどの国会議員の欠席もあってか空席も目立った。興味深かったのはあのマドンナがプラカードをもって抗議デモをしていたことだ。

3日後、ホワイトハウスの執務室のカーテンの色がトランプ大統領好みの金色に塗り替えられた。思い出した、思い出した、日本にもスケールは小さいが、予備校の先生で金ピカ好きの英語のカリスマ先生がいたことをー。(続く)

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超人の新年の詩 2017 ニュースピークの幻影

新年の詩 2017

ニュースピークの幻影

穏やかに流れてゆく
新年の陽光に
誰かの展示会のタイトル
陽光礼讚がかぶる

日はまた昇る
日はまた笑う

誰もが特別な朝に
願うのは平和

緩やかに流れてゆく
新年の陽光に
小さな庭の赤い薔薇
陽光礼讚が似合う

日はまた昇る
日はまた笑う

世界はことばの限界を
露呈し始めて
取り付く暇もなく漂流

ポスト トゥルース
ニュースピークの幻影

羅針盤が壊され
新たな航海が視界ゼロに

果てしなく続く局地戦

武器をさらば
武器をさらば

何時になったら
止められる 暴力

非戦の誓いは
本当に来るのか

それでも日は昇る
それでも日は笑う

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クロカル超人が行く 197 三島市 大岡信ことば館『谷川俊太郎展 本当の事を云おうか』余滴

大岡信ことば館『谷川俊太郎展 本当の事を云おうか』の
「大岡信の部屋」にあった持ち出し自由の連詩のコピーから。

フランクフルト連詩


ガブリエレ・エッカルト
ウリ・ベッカー
谷川俊太郎
大岡信

(訳)エドゥアルド・クロッペンシュタイン
福沢啓臣

1

この町で『西東詩集』の詩人は生まれた
東と西の言葉でぼくらが織物を始める朝
テーブルには新しい星座のように 栗の実が
飾られている 緑のはっぱを敷いて―
栗のいが 陸にあがった雲丹

2

私にはうらやましい あなたたち詩人は
夢中になって積み木と遊んでいる
あるいは―
消えてしまった意味をなぞりながら―
系統樹にイースターの卵をつり下げる

書くことで私にできるのは
私を窒息させるものを吐き出すだけ

ガブリエレ

3

森の中の切り倒された老いた木の切り株の
波紋のようにひろがる年輪があなたの一生
そのまんなかで子供のあなたが泣きわめいている
バウムクーヘンが食べたいのだ

俊太郎

4

ケーキを食べたらいいじゃないか、詩の
きらいな人は、今日のお祝いに
四人で一緒に祝おう、おれたちのやり方で
ヒステリー気味の歴史抜きで

公園に出ておいで、友よ、見ろよ……
ドイツ自慢の樫の木に差し押さえの敦公印がぺたっとくっついているぞ。

ウリ

続きを読むはこちら→「frankfurt_liked_poem.pdf」をダウンロード


筆者の寸評。
連詩は連句にヒントを得て大岡信が提唱してできた詩的遊戯でワールドワイドな試み。このフランクフルト連詩は、丁度ベルリンの壁崩壊という歴史的な出来事があった時期で、旧東ドイツの詩人が連詩を始める前と後では心理的に違って、セラピー効果があったと当事者の一人である谷川俊太郎が語っていた(季刊雑誌『大岡信ことば館だより』季刊第11号 2013年春 対話=谷川俊太郎/三浦雅士 大岡信との絆を語る。P.28)。

20170106164843_00001 政治的抑圧からの解放あるいは内面を言葉で表出したあとの癒し効果なのか。詩的実験から新発見があったことは確かだ。

追記 詩人で評論家の大岡信さんが昨日(2017年4月5日)に亡くなった。享年86歳。連詩・連句の試みなど海外にも広げ、多作の作家だった。本望は「願わくは花の下にも春死なむ」だった。事実その通りの死だった。安らかにお休みください。(記 2017年4月6日)

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