« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »

2016年8月

超人のお薦めスイスワイン シュタイシュライファ―(有機ワイン)

1472432443394_2

Gschwind wineryのシュタイシュライファ― 赤 (有機ワイン)。程よい酸味と濃厚さが深い味わいを醸し出す大人向けの一品。熟成度の高いワインなのだが、なぜか冷えていてワインク―ラ―か倉庫に大分置いてあったものかと疑いたくなるもの。 実は同じGshwind wineryの軽めのシュタイバングラー〈赤〉がほしかったが品切だったので、代わりにワンランク高いものを供給してくれたのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の面白魚事情 秋刀魚の季節にまた異変

1472164621018.jpg

戻り鰹にやっと旨さを感じた矢先、今度は秋刀魚に異変が。今日で新秋刀魚の塩焼きを食したのは3度目だが、高値でやや細身しかも脂ののり具合がイマイチでややパサパサの感じ(いつものスーパーの鮮魚売場に仕事帰りの午後9時頃立ち寄って残り一匹分を安価でゲット。298円のが50%引きで149円!)。でも何か変、今年の秋刀魚、これではさんまもビックリや(笑)
この原因と言われているのが外圧で中国などの乱獲。中国などでは食生活が変わり、今や秋刀魚や鯖などが好んで食べられているという。鯖の味噌煮は人気商品の一つらしい。近年三陸沖にはこの季節になると中国船が横行していて、日本政府は資源の有効活用のため、国際会議の場で漁獲高の制限を交渉中とか。また、近年の海水温度の上昇に伴い、鰹と同じく回遊魚である秋刀魚の遊泳回路が変化して、より沖に行かないと獲れなくなったことも不漁の原因とか。しかし、去年も秋刀魚の出回る初期にはそう言われたが、その後多少は緩和されたはず。美味の秋刀魚の塩焼きにありつけたかは些か疑問である。

秋刀魚焼くわての楽しみ今何処

七輪で焦げた秋刀魚の懐かしき


追記 秋刀魚の食べ方も国によって様々。台湾ではパンに挟みサンドイッチにして食べ、中国では漢方のタレに浸した秋刀魚を串に刺して焼いたものを食べる。今や秋刀魚は日本の公海域で中国や台湾船の漁師によって大漁に捕獲されているのだ。その秋刀魚を台湾から中国やアメリカへ輸出されているという。先週の日曜日の夕方日テレの報道番組「バンキシャ」が特集していた。(2016.9.6 記)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 8 相模原市の福祉障がい者施設での殺傷事件 続

昨日の新聞でこの事件の真相が少し明らかになったようだ。新聞によると、容疑者が職員にこの人は話せますかなど質問したら職員は機転を利かせて少し話せると容疑者に応えたという。その後容疑者はその人たちには手を出さなかったらしい。完全に重度障がい者を狙った犯罪と言わざるをえない。職員の機転を働かせた言葉は極限状況で人の命を救ったが、筆者的にはかなりショックだ。(2016.8.15 記)

追記 毎日新聞読者欄に掲載されていた女性看護士の言葉。喋れなくとも目や表情でよく伝わってきます、彼らは懸命に生きていますと現場サポートの声にグッと来る。また、同じ新聞の地方版に載っていたのは埼玉県羽生市の住職。彼には重度自閉症の息子さんがいて、敷地内に障がい者施設を建ててしまったほどの持ち主(いや、もうひとつも建てている!)、この事件でショックを受けご夫婦で事件のあった神奈川県のやまゆり学園に埼玉県から出向き供養なさったそうだ。
今朝の海外ニュースでヒットラーの側近の妻がアーリア人ではなく実はユダヤ人だったことを報じていた(スペインTV)が(今更ながらインチキも甚だしい。これが事実ならば許せない!)科学ジャーナリストの新聞コラムで優生思想の話を読んだばかりで薄気味悪かったが同時に、私たちはいつ障がい者にならんとも限らない、たまたま運がいいだけだと書いていた。然り、然り。(2016.8.24 記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の面白セミナー参加  大学人会議主催 講師 : 吉見俊哉東大教授『文系学部廃止』の衝撃 : 大学はどこへ行くのか

今リオオリンピックが開催中。15日現在、日本は金7、銀4、銅15、あわせて26獲得。代表選手の予想以上の活躍で夏休みの日本では、メディアに釘付けされて眠気もそっちのけの状態が続いている。特に水泳、柔道、体操の競技では複数のメダルをゲット、テニスや卓球それにカヌーでも大躍進している。苦手な陸上でもやがて躍進が期待できる選手が出てくる予兆も。バレーボール、バドミントン、レスリングなどメダル獲得にむけて後半戦が楽しみの競技もある。今回のリオオリンピックでは水泳の萩野選手の金、体操の個人総合で逆転劇を演じて金メダルをものにした内村選手に刺激されて日本の他の選手も発奮した結果、メダルラッシュが起きたのだろうと勝手に想像したくなるほど。いや、コーチや監督の指導力の賜物だろうか。(重量上げの三宅選手や競泳の金藤選手に顕著)そういった場面がメディアを通じてクローズアップされたオリンピックでもある。

ところで、スポーツ教育を含めた高等教育、さしずめ大学の文系廃止問題がここ一、二年話題になっているが、そんな折知り合いのM氏に誘われて80数回も続いているあるセミナーに参加した。下記はそのときに取ったメモ。

Img083_2

2016年8月2日、霞が関ビル35階で開催されたセミナー。
NPO大学人会議主催「文系学部廃止」の衝撃 : 大学はどこへ行くのか
講師 :吉見俊哉(東京大学大学院情報学環 教授)
パワーポイントを使って説明。
【写真 : 当日会場で配布された資料】

まずは自著の宣伝から。
『大学とは何か』(岩波新書)、『文系学部廃止の衝撃』(集英社新書)の紹介。会場にいた23名に回覧された。『大学とは何か』のページを捲っていると、GHQ先導の戦後教育改革、“教育刷新委員会”の南原繁の話も出てくる。
集英社文庫の『文系廃止の衝撃』については自説を展開し、独創的な概念も導入されている。

はじめに言っておきたいことは、この問題に対してメディアの取り上げ方がエスカレートしていたこと。実は2015年6月8日の通知の前に、2015年8月に文科省は同じような文言で声明を出したが、メディア等の反応がなかった。
それは当時の政治状況が安保法制に揺れていた時期だった。それが約10ヶ月後に再び出した文系廃止の声明をメディアがキャッチ、波紋を広める羽目に。最初は産経、文科省が通知を出す前の5月、これははっきり言ってフライングと講師の吉見教授。ついで朝日他追随。

文科省にも問題があるが、マスコミの報道にも問題が。エスカレートする報道に。
一般社会にも「理系は役立つ、文系は役立たない」の風潮がある。
教養教育の崩壊?大学院生の凡人化?国立大学の企業化? 質の低下ー。
揺り戻し➡名大、教養復活
ICUの例。
学部学生の方が大学院生のよりレベルが高い。
※昨日(8月1日)会った早大の非常勤講師を務める専修大学のN先生も同じようなことを言っていた。

戦後の大学の数の推移。
1945年➡48
1950年➡201
1960年➡245
1970年➡382
1980年➡446
1990年➡507
2000年➡649
2008年➡785

質の低下(志願者マーケティング)、グローバルな大学間競走➡世界大学ランキング
アメリカの大学数➡2500
日本型大学体制の限界
➡大学ランキング➡人の奪い合い。
学部名のカンブリア紀爆発
1975年➡69種類
1990年➡97種類
2000年➡235種類
2010年➡430種類
2015年➡464種類

「化粧」して「客」を引く。
大学へ行くこと自体の価値劣化➡再び大学を襲う改革の嵐。教授たちの疲弊、管理者、研究者、教育者の一人三役をこなす。

「文系」は役に立つ➡役立たないけど価値がある?
地球社会のために「役に立つ=効果をもつ」は必要。

「役に立つ」とはどういうことか?
目的遂行的(=手段的有効性)
価値創造的(=価値反省的)
価値創造的、変化する多元的な価値の尺度を視野に入れる。
・理工系=役に立つ(3年~5年)
・文系=長く役に立つ(20年~1000年)
創造的破壊→いま当たり前のことを批判すること。
価値観。オリンピックの例。
「文系」とは何か?「人文学」と「社会科学」。
中世のヨーロッパ→「神学」「法学」「医学」と「リベラルアーツ」「哲学」。
・国民国家と人文学の誕生
・産業革命と「自然科学」対「社会科学」
リベラルアーツ(教養)と人文社会科学(文系)
文法学、修辞学、論理学、代数学、幾何学、天文学、音楽学。

・教養 一般教育 共通教育
・スキル教育 ・コンピテンス ・活動能力。
19世紀→文系と理系の区別→産業革命
産業革命と人文社会科学の成立。
産業革命→自然科学支配と人文社会科学の成立
「価値」への注目→マックス・ウェーバー社会学への決定的影響。
意味/価値の問題
「文(主体)」「理(客体)」の境界の曖昧化(21世紀)。

視点の違いー文系理系の融合
価値を見いだす、価値の転換→文系的な知。

甲殻類 脊索動物への進化。

5つの壁を越える
入試の壁、就活の壁、学年の壁、学部の壁、言語の壁。
ボーダーレス時代、グローバル時代、持続可能な社会。
大学の再定義←縦横の横断→21世紀の宮本武蔵を育成する、二刀流のすすめ。壁の溶解。
各分野における専門教育×諸分野の横断・融合。
文系重点型学際人/理系重点、複合的。
グローバルな課題と地球社会の価値創造。

人生で3回大学に入る。
18才、30才、60才。
アメリカに比べれば日本の大学には
社会人学生が少ない。

高校・大学の一貫も視野に。
入試があって非常に難しいが、繋ぐことが大事。
現状の大学の劣化。
文理融合の複眼的な学び
→教育において文系理系を組み合わせて学ぶこと→これが講師の結論、まとめ。
講演時間約120分(午後2時~午後4時)。

パワーポイントの文言を追えないところや聴き漏らしもあって不完全だが、以上がメモのあらまし。賢明な読者諸氏はこのメモから講演者の意図を読み取ってほしい。

この示唆に富む話は今後の大学問題を考えるとき、上述の講師の著作とともに筆者には大いに参考になる。実学か教養か、教養も実学も、大学は厳しい運営面を含めてあり方が問われている。

格差社会が顕著になっている昨今、昨日(8月14日)の日経新聞の対談でも学生の奨学金支給の改革(経済的理由で大学進学困難者や大学在学者向けに奨学金の枠を広げ、貸与型→給付型への改革推進)も緊急の問題として提示されてきている。

追記 「文系廃止」など関連の文化講演会が、クロスカルチャー出版主催で 光本滋先生(北海道大学準教授/高等教育論)を講師に迎えて7月9日に開催された。その講演レジュメと関連記事を読むはこちら→
レジュメhttp://cpc.la.coocan.jp/20160715171411.pdf

関連記事http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2016/05/10-dd04.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クロカル超人が行く 196 横浜ユーラシア文化館特別展『ギリシャ考古学の父 シュリーマン』 続々

20160725114641_00001_2


シュリーマン自伝。

BIOGRAPHICAL NOTE

The son of a Lutheran pastor, Heinrich Ernst Schliemann was born on January 6, 1822 in Neubuckow, Mecklenberg-Schwerin, Germany. The following year, his family moved to Ankershagen, the town that Heinrich Schliemann considered his hometown. The house where he grew up has since been converted to the Heinrich Schliemann Museum. In 1841, at the age of 19, he planned to leave Germany and sail to Colombia, South America for employment opportunities. The ship, however, met with a tremendous storm and made it only as far as Holland before it was stranded on the coast. With the help of a local family, Schliemann recuperated from the shipwreck and moved on to Amsterdam where he worked as a clerk and began to study a wide variety of languages. As it turns out, Schliemann had an aptitude for languages and during his life expanded his knowledge to include English, French, Dutch, Spanish, Portuguese, Swedish, Danish, Polish, Italian, Greek, Latin, Russian, Arabic, and Turkish.

In 1844 he became an employee of the trading house B.H. Schröder and Co. Two years later, after learning Russian, the company sent him to St. Petersburg to serve as a commodities trading agent. Although he remained an agent for B.H. Schröder, Schliemann started his own agency as well. This independent venture was the first step in accumulating his great personal fortune. In 1852, he married a Russian woman, Ekaterina Lyshina, and had three children with her. In the following years, Schliemann, by now economically secure, began the first of his many travels around the world which would eventually include Egypt, Greece, the Near East, North Africa, India, Singapore, China, Japan, North and South America. During these travels he always kept a diary and it is from these that we learn much about his life. Today, these diaries reside in the Gennadius Library.

In 1863, worn out by the commercial business world and estranged from his Russian wife, Schliemann decided to semi-retire and revert to his childhood love of ancient Greek. The story Schliemann himself told was that he became enamored with ancient Greek as a young grocer’s apprentice when he heard a drunken man in the store reciting passages of Homer. In 1866-7 he made formal steps towards the study of ancient Greece by enrolling in archaeology courses at the Sorbonne in Paris. As Schliemann became more absorbed in the ancient Greek world and more estranged from Russia and his Russian wife, he decided to make Greece his home and began searching for a Greek wife. While on a trip to America in 1869, Schliemann was granted U.S. citizenship in New York and a divorce from his Russian wife by the State of Indiana. In September of that same year he married the 17 year-old Sophia Engastromenos, who was chosen from a pool of prospective brides presented to him by Theocletos Vimpos, Archbishop of Mantinea and Schliemann’s friend and former ancient Greek teacher. The following year, Schliemann commissioned Ernst Ziller to construct a permanent residence for his new bride. The house, named the Iliou Melathron in honor of Troy, was finished in 1880 and still stands—one of the finest examples of Neoclassical architecture in Athens today. It presently houses the Numismatic Museum of Greece.

Schliemann absorbed by his passion for Homer and archaeology, spent the remainder of his life on archaeological endeavors all of which he was able to finance personally. The discovery of Troy (1870-73) was one of Schliemann’s greatest accomplishments and brought him worldwide fame. His other excavations were also significant and include important sites such as Mycenae, Tiryns, and Orchomenos. In 1882 he met Wilhelm Dörpfeld, with whom he collaborated at Troy and Mycenae for the rest of his years and who, after Schliemann’s death, continued excavations at Troy with the financial help of Sophia. Despite all these activities, Schliemann managed to publish the results of his excavations quite rapidly, and often in more than one language (see, for example, major publications such as Mycenae, Ilios, and Tiryns).

Heinrich Schliemann died December 26, 1890 in Naples, Italy succumbing to an infection which had developed after an ear operation earlier that November in Halle, Germany. Wilhelm Dörpfeld accompanied the body back to Athens a few days later. Schliemann is buried in the First Cemetery of Athens in a mausoleum he designed himself. His second wife, Sophia, and their daughter, Andromache, along with her family (surnamed Melas) are also buried there. Heinrich and Sophia’s son Agamemnon is buried in Paris, France.

在アテネ米国古典学研究所・ゲンナディオス図書館のシュリーマン文書のリスト一覧からの引用。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クロカル超人が行く 196 横浜ユーラシア文化館特別展『ギリシャ考古学の父 シュリーマン』 続

1470913443790_2

今日横浜ユーラシア文化館で開催中の「ギリシャ考古学の父 シュリーマン」展を再訪。シュリーマン自筆の原稿を観に。それはイギリスの植物学者宛の書簡。きれいな字で書かれていたが、慣れないと流れるような英語(ペン字)は判読しにくいみたい。再度じっくり展示物を観ていたら、学芸員(福原さん)の説明会に偶然出くわし、30分ほど説明を聞くことができた。特に『日本旅行記』のシュリーマン自筆原稿(パリで1867年に出版された時の清書されて編集者に渡されたもの)をもとに幕末の日本、江戸の見聞を写真や浮世絵で追った企画はこの館独自のもの、手作り感もあって解りやすい。本にしたらともいわれているらしい。独自さは活字になる前の清書原稿を読むことの意義だ。情熱や雰囲気や好奇心が伝わってくるのだ。残念ながらwebからの取り込みらしく鮮明さがイマイチ。この自筆原稿は、アテネの米国古典学研究所・ゲンナディオス図書館のシュリーマン文書にあってネットでも見られる。(2016.8.11 記)

付記 該当の自筆原稿(Diary A6)を読むはこちら→http://www.ascsa.edu.gr/pdf/uploads/Schliemann_Diary_A6.pdf。また、続きの自筆原稿(Diary A7)を読むはこちら→ http://www.ascsa.edu.gr/pdf/uploads/Schliemann_Diary_A7.pdf

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の面白テレビ観賞 リオオリンピック 2016 日本の体操、団体戦で見事金メダル

リオオリンピックが始まって4日目、南米初の大会で日本選手の活躍に一喜一憂しているが、競泳、重量上げで金と銅を獲得してさらにこの先の競技に弾みをつけたいところで、今朝のニュースが飛び込んできた。体操の内村航平選手率いるチームジャパンが3大会振りの金を獲得したのだ。彼らの願いだった団体で金を、が実現したのだ。テレビでみる彼らの表情には達成感がみなぎっていてその笑顔の素晴らしかったこと。内村選手は予選の鉄棒でまさかの落下、それを押しきっての難易度をこなす見事なパフォーマンス、白井選手の天才的なひねりの入った前人未到の高度で芸術的な業は神業としか言うようがないほど、その他の選手にも多少失敗はあったものの、気合充分で大舞台で達成する意気込みと内村選手の言った“神憑り的な”目に見えない力が加わり、見事なパフォーマンスを完成させた。体操のチームジャパンは新たな歴史をつくったのだ。競技終了後のインタビューで皆さん、異口同音に金メダルの重みを感じていたことが印象的。偉業を達成するのがいかに大変だったかかみしめていたのかも。優勝した内村航平、山室光史、田中祐典、加藤凌平、白井健三の選手にCongratulations !😃✌スポーツ選手の見事な心技体に拍手!

追記  リオオリンピックは日本選手の予想以上の活躍で(和・輪になった形で)21日に閉幕した。日本は金12、銀8、銅21を獲得して、前回のロンドンオリンピックより上回り、次回の東京オリンピック向け弾みをつけたようだ。
競泳、体操、柔道、テニス、卓球、バドミントン、レスリングなどの活躍が目立ったが、何といっても陸上競技の男子400メートルメドレーで3位銅メダルを獲得したことだ。これは画期的だろう。ところで、選手の報償金は金メダルが500万円、銀メダルが200万円、銅メダルが100万円とか。(2016.8.23 記)

追記2  男子卓球団体戦の決勝で破れたものの、中国のエースの選手を破ったことで一躍時の人になった水谷隼、その彼が今やノーパン男子とテレビ等で話題をさらっている。そもそもリオオリンピックの個人戦か団体戦の試合終了後にメディアのインタビューに答えて話したことだが、これが受けた。下ネタはすぐ多くの人に拡散するのだ。その余波があちこちのメディアに。確かに解放感もある・・・。(2016.9.6  記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の生真面目半分転生人語 8 相模原市の福祉障がい者施設での殺傷事件 

神奈川県相模原市緑区の福祉障がい者施設「津久井 やまゆり園」でクレイジーな障がい者殺傷事件が起きてから一週間、事件の真相がだんだんと明らかになりつつあるが、一つ気がかりなことは、容疑者の26歳の男性が大麻などの薬物使用で犯行に及んだのではないらしく、かなり以前から計画を練って犯行に及んだということだ。確信犯に近い行動だ。彼は役立たない者は生きていても意味がない、全員抹殺するという社会的弱者切り捨て思想、いわゆるヘイトクライム(憎悪犯罪)だ。事件から一週間以上経過してもそう漏らしているというのだ。これは精神を病んだ状態という他ない。然るべく精神鑑定を受けることが事件の解明には必要だろう。動機がどうであれ、19人もの障がい者を殺害し26人に傷を負わせた罪は大変重い。親御さんなど障がい者の家族は何ともやるせないに違いない。憎い、許せないの一言だろう。障がい者も懸命に生きているのだし、親御さんたちも愛情を持ってサポートしているのだ。その障がい者施設の元職員が真夜中寝静まった施設に侵入して次々と殺害したから尋常では考えられないことと言わざるえない。無抵抗のままの被害者はさぞ悔しかったはず。職員は拘束されていたものの、ほとんど被害はなかった。障がい者だけを狙い撃ちした悲惨な殺傷事件で、これだけの犠牲者を出したのは戦後最悪。アメリカのフロリダで性的マイノリティを銃撃した事件はまだ記憶に新しい。少し趣は違うが何年か前のノルウェーでの少年による銃乱射事件もヘイトクライム(憎悪犯罪)の類だ。
私たちはこういった言葉にならない悲惨な事件が起こりえることを日頃から身近な問題として受け入れていく覚悟が必要だろう。それにしても嫌な社会になったものだ。地震せよ災害にせよ、覚悟はある程度出来ているものの、今度は隣人にも気を遣なければならなくなった。寛容の精神持を持ち、理性と想像力をもっと働かせていかなければいけないと思うのだ。障がい者よ、めげるな ! 親御さんや障がい者施設の関係者には更に行きわたったサポートを続けてほしい。自分の身近でこんな悲惨な事件が起こったらと想像を巡らすとぞっとする、いや、卒倒してしまいそうだ。今回被害者の障がい者の詳細は公開されていないし、加害者の親御さんもメディアに登場していない。早く正確な事件の解明(容疑者の男性の殺傷に至った動機と精神状態の解明、措置入院→退院の問題など)を期待したい。そう、社会的弱者との共存が今問われている。弾力性のある創造的想像的なコミュニティーの出現が待たれているのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超人の面白ラーメン紀行 215 町田『汁場 しおらーめん進化 町田駅前店』

Image_2

小田急町田駅徒歩3分のところにある『汁場 しおらーめん進化 町田駅前店』。店自慢の塩ラーメン(750円)のスープは確かに透明感があってまろやか。(昆布出汁、鶏出汁、豚ゲンコツそれにアゴ出汁をミックスしているらしい。スープや麺の素材に徹底的に拘り、それが進化したラーメンを生む?)表面には鶏油が浮かぶ。あっさりすっきりの上品な一杯。美味。自家製ストレートの細麺はイケた。トッピングが硬めのチャーシューだけでは少し寂しすぎないか。いや、メンマとネギはあったか。量は少な目、これで750円もするのだ。本厚木に塩ラーメンの美味しい店があるが、その店でももっと量、具材とも多かった!

『汁場 しおらーめん進化 町田駅前店』1.スープ★★★2.麺★★3.トッピング★☆4.接客・雰囲気★☆5.価格★☆


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »