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超人の面白読書 121 『三田文学』冬季号 2016年2月号 西脇順三郎特集を読む

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『三田文学』冬季号 2016年2月号は西脇順三郎特集。ややボリューム感が不足気味。寄稿者に常連の人もいるが、我らの澤正宏先生も「西脇順三郎の現代詩の始まり」(P.83~P.90)のタイトルで寄稿している。萩原朔太郎から西脇順三郎へ、経験意識の「無」を追求する試論と詩、イマジズムの詩の宣言、イマジズムで書く「抒情詩」の4章で構成。澤先生は難解な(南海=「Aegean sea」な、と呼びたいが)西脇詩をとてもわかりやすく具体的に(裏の裏まで読み込みながら、華やかさや明るさを通り越して結局は“存在の無”に行きつく・・・)解説しているのだ!それでも筆者などはパラグラフごとに2回ほど読み直しながらこの小論を読了した。これほどまでに明解(明快)に詩を解説した詩論家がいただろうか。かつての伊藤信吉や大岡信の詩論に負けず劣らず、否、それ以上にそのスタイルのスマートなこと、今風にいえばクールなタッチが素晴らしい、しかも西脇詩についての感受力の鋭いこと、ピカイチである。近代詩から現代詩へ、朔太郎の影響を受けながらも独自(西脇順三郎は初め英語で詩作その後母語の日本語で詩作するというたぐいまれな言語感覚の持主)でギリシャ的な乾いた明るいイメージを定着させるも、言語の鎧を一つ一つ剥ぎ取っていった曉に聳え立つのは「孤愁」そのものだとその内奥を鋭く抉る。切れ味がいいのだ。それは若い時分から西脇順三郎にとりつかれ、謎解きの回路を幾度も試みて得た、云わば、澤詩学の結晶だろうか。静かな確信に満ちた解釈が横たわっているのだ。この小論でも明らかなように特に、西脇の初期の作品鑑賞において冴えわたっている。筆者はこの静かな解釈の響きが心地いい。
澤先生の小論「西脇順三郎の現代詩の始まり」の前に詩人吉増剛造と美術評論家で世田谷美術館長の酒井忠康との対談を読んだ。そしてメモった。

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