« 超人の面白テレビ観戦 女子サッカーワールドカップドイツ大会 なでしこジャパンが初優勝! | トップページ | 超人の面白読書 87 雑誌『文學界』2011年5月号掲載の津村節子作「紅梅」を読む 2 »

超人の面白読書 87 雑誌『文學界』2011 年5月号掲載の津村節子作「紅梅」を読む

 津村節子作「紅梅」を一気に読んだ。240枚、80ページ。『三陸海岸大津波』の作者吉村昭を夫に持つ妻が書いた私小説だが、壮絶な死を遂げた、その死に至る記録を傍らにいた妻が克明に描いた作品。死と向き合った人間の、家族の、職業作家の日常が、抑制の効いた分かりやすい文体で紡ぎだされている。とりわけ最後の2ページは感動的だ。
 癌を患って自宅での養生時に夫が妻に命じて好物のコーヒーやビールを飲ませてもらってから、「うまいなあ」と嬉しい顔をしたあと、作者は次のような延命を拒否した夫の最後の瞬間を克明に描く。

夕食後、育子はベッドの傍に蒲団を敷き始めた。
その時、夫がいきなり点滴の管のつなぎ目をはずした。育子は仰天し、
「何するの」
と叫んだ。寝返りして腕を動かし時に、管にあたってはずれたのかもしれない。すぐ娘と看護ステーションに電話をし、娘は顔色を変えて走り込んで来た。
「お父さんたら! 気をつけてよね」
娘は管のつなぎ目を何とか繋いだ。
すると、夫は、胸に埋め込んであるカテーテルポートを、ひきむしってしまった。育子には聞き取れなかったが、
「もう、死ぬ」
と言った、と娘が育子に告げた。
育子は気も転倒して、
「あなたったら、あなたったら」
何をどうしてよいかわからず、腰がぬけたようになって叫んでいた。
看護師が、駆けつけて来た。看護師も慌てていた。
「何をなさるんです」
と言いながら、ガーゼと絆創膏をあててあったカテーテルポートを、もとの位置にもどそうとした。
夫は、看護師の手を振り払った。
看護師は夫を落ち着かせようとして、名前を呼びながら応急処置をしようとする。しかし夫は、長く病んでいる人とは思わぬ力で、激しく抵抗した。とても、手のつけようもない抵抗だった。
育子は夫の強い意志を感じた。延命治療を望んでいなかった夫の、ふりしぼった力の激しさに圧倒された。必死になっている看護師に、育子は、
「もういいです」
と涙声で言った。娘も泣きながら、
「お母さん、もういいよね」
て言った。
看護師が手を引くと、夫は静かになった。
中略。
やがて力尽きたように腕をはなして、仰向けになった。
呼吸があえぐようになった。
三人は口々に夫を引き戻すように呼んだ。
呼吸が間遠くなり、最後に顎を上げるようにして、呼吸が止まった。
部屋中に、泣声が響いた。
中略。
あれほど苦しんだ病気から解放された夫は、おだやかな顔で眠っていた。

 これが病院から自宅に移して夫の看護を育子と娘が始めたときのシーンだが、作者そのものの投影である育子の心模様が反映されている。同業ライバルとして、妻として、親としての顔も見え隠れする。また、夫の抵抗的な最後の力を振り絞った仕草に対する育子の心情が吐露されている。

 育子が夫の背中をさすっている時に、残る力をしぼって身体を半回転させたのは、育子を拒否したのだ、と育子は思う。情の薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負ってゆくのだ。

 全てを知り尽くしたかにみえる作家を生業とする夫婦関係にはそれぞれ立ち入らない不文律がある。お互いに自分の領域に侵入しない、お互いに尊敬しているなど以外にそれは、創造力・想像力の枯渇を何よりも恐れやがてそれを乗り越えたとき初めて、作家としての円熟期を感受する喜びに変わる。それはとりもなおさず生活の安定でもあるのだ。夫の吉村昭が137冊以上の単行本、妻である「紅梅」の作者である津村節子は67冊以上(結婚当初、家計を助けるため少女小説を書いて人気作家の一人だったから、もちろんこれ以上はあるはず)の単行本を書いている。数々の文学賞をこの夫婦は受賞してきた。明治以来、夫婦で作家はすぐ思い浮かべれば、与謝野鉄幹と晶子、岡本一平とかの子、島尾敏雄とミホなどがいるが、それぞれの日常における夫婦間の緊張関係は作品に昇華している。〈続く〉

|

« 超人の面白テレビ観戦 女子サッカーワールドカップドイツ大会 なでしこジャパンが初優勝! | トップページ | 超人の面白読書 87 雑誌『文學界』2011年5月号掲載の津村節子作「紅梅」を読む 2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/77059/52249611

この記事へのトラックバック一覧です: 超人の面白読書 87 雑誌『文學界』2011 年5月号掲載の津村節子作「紅梅」を読む:

« 超人の面白テレビ観戦 女子サッカーワールドカップドイツ大会 なでしこジャパンが初優勝! | トップページ | 超人の面白読書 87 雑誌『文學界』2011年5月号掲載の津村節子作「紅梅」を読む 2 »