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超人の面白読書 87 雑誌『文學界』2011年5月号に掲載の津村節子作「紅梅」を読む  7

 この私小説のもう一つの読みどころ、それは夫が残した遺言状だ。

1、私が死亡した時は、梓夫婦、千春夫婦のみが承知し、親戚の者をふくむ第三者には報せぬこと。

この文言から始まり、最後はお願い、

いかなる延命処置もなさらないで下さい。あくまで自然死を望みます。

で終わる。何とも潔いではないか。ある年齢になるとみんな一度は考えるはずである。ここに書かれている遺言は究極のものだがまた、ごく普通のことを踏襲したとも取れる。有名な作家である前に一人の人間としての最後の振舞である。幕末の医家伝の主人公蘭漢方医佐藤泰然に倣ったか―。彼は、自ら死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物をも断って死を迎えたという。
家計や税金のことまでこと細かく書かれている。悲哀めくのは、信頼していた保険員に預けたお金が、その会社が倒産してパーになりかけた時の夫が保険員に向けた尋常ならぬ怒りだ。それにしても妻である育子はそんなことがあっても銀行員に相談しながら現実的な処置を講じる。流石である。
静脈から中心静脈まで前胸部や首や足の付根にカテーテルを入れ、カテーテルは点滴をポート(器具)に接続、皮下に固定すれば、ポートの留置針が点滴に接続、常に薬液が中心静脈に投与され続けるという。針を舌に刺し、膵臓と十二指腸と胃の半分を切除し、今度はカテーテルを静脈から中心静脈まで挿入する手術をすると書く著者の思いは痛いほど分かる。

 これほどひどい目に遭わなくてはならない夫は、どんな悪いことをしたというのだろう。

 退院は7月25日。夫が家に戻って療養を続ける。特別に誂えたリクライニングベッドで。窓からは公園の林が見える。育子は夫を風呂に入れたり、口に氷を含ませたりと献身的な看病をする。
そしてラストシーン。それはこのコラムの最初に書いた。
以上が大体のあらすじ。
 再度読み込んだ。ほとんど通勤電車の車中。取り留めもない日常がある、家族の誰かが体験している日常。そして人間の晩年と死と向き合う家族、育子は死を見つめて生を生きる。夫が残した〈日記〉と自分の〈記憶〉の異質な二つの組み合わせから紡ぎ出された作品は、作者のリアリステックな書き方が優れているからこそ感動をよぶのだ。死んだ「夫」に声をかけて書いているのだ。

 文芸評論家の田中和生氏は毎日新聞夕刊の4月文芸時評(2011年4月28日夕刊)で書いている。

 とりわけその作品をささえているリアリズム的な書き方が感動的なのは、あらかじめ死者となることがわかっている作中で生きている「夫」の希望を、現実が知っている死という結果とは別の未来を記述するからだ。それを象徴するのが、「夫」に癌の疑いがあることがわかる場面で咲いている「紅梅」である。人は死ぬ。それは自然だ。だがその自然は、死の場面でも生であることを止めない。わたしはその自然を、それが死の場面だと知っている作者が書きつけていることに深く打たれる。
 その作品は瓦礫のようななにかの死を意味する「もの」を記述しても、そこに生の可能性があることを教える。それがいま文学が語ることできる希望だと。

7月27日発売の『紅梅』
201107271009000


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