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超人の面白読書 86 吉村昭著『三陸海岸大津波』 3

 原題は『海の壁―三陸沿岸大津波』1970年7月中央公論社刊〈中公新書〉で後に題名を「三陸海岸大津波」と改め、1984年8月中公文庫刊、2004年3月「文春文庫」刊、そしてこの文春文庫は2011年4月で11刷の本。地道に評判を呼び10万部以上出ているそうだ。

 さて、明治29年の大津波の被害の様子を本書に沿ってみてみよう。宮城県下、死者3,452名、青森県下、343名、岩手県下、22,565名。その岩手県南部の気仙沼郡では6,748名で人口の21%が死亡。上閉伊郡、死者6,969名、釜石町は6,557名中、5,000名が死亡。下閉伊郡は全人口35,482名中、7,554名が死亡。船越村、山田町、津軽石町、田老町、普代村は住民の半分は波にのまれた。この数字は今回の3.11より大きな被害数字だろう。
 そしてこれら4郡下人口103,772名の22%が津波による死者でまた、総戸数17,211戸の36%にあたる6,156戸が流失した。こう被害概要を数字で示した後、作者は次のように大津波襲来後の様子を描く。少し長くなるが引用してみる。

 村落は、荒地と化していた。津波のはこんできた大小無数の岩石が累々として横たわり、丘陵のふもとにある家々がわずかに半壊状態で残されているだけで、海岸線に軒をならべていた家々は跡形もなく消えていた。
 海は、平穏な海に復していた。しかし、そこには家屋・漁船の破片や根こそぎさらわれた樹木が、芥のように充満していた。
 住民たちは、再び津波の来襲するのをおそれて、丘の上から海岸へ降りようとはしなかった。そして、虚脱したように海岸を見下ろしたまま時をすごした。
 夜になると、丘の上で火が炊かれた。電線も道路も杜絶して、救援隊もやってこない。かれらは、ようやく激しい飢えになやみはじめた。
 やがて夜が明けた頃、住民たちはおびえながら丘から海岸へとおりていった。見失った肉親の安否を気づかって、かれらはあてもなく海岸をさまよった。
 死体が、至る所にころがっていた。引きちぎられた死体、泥土の中に逆さまに上半身を没し両足を突き出している死体、破壊された家屋の材木や岩石に押しつぶされた死体、そして、波打ち際には、腹をさらけ出した大魚の群のように裸身となった死体が一列に横たわっていた。
 所々海岸のくぼみにたまった海水の中には、多くの魚がはねていた。それを眼にした住民たちは、飢えに眼を血走らせてそれらをとらえてむさぼり食った。
かれらは、あまりの惨状に手を下すことも忘れて、ぼんやりと死体の群をながめているだけだった。
 梅雨期の高い温度と湿度が、急速に死体を腐敗させていった。家畜の死骸の発散する腐臭もくわわって、三陸海岸の町にも村にも死臭が満ち、死体には蛆が大量発生して蝿が潮風に吹かれながらおびただしく空間を飛び交っていた。

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