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超人の面白読書 82 「文藝春秋」2011年3月号掲載の第144回芥川賞受賞作 西村賢太作『苦役列車』を読む

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 2月26日の天声人語子は、「希望の処方箋」を書くことが政治の仕事なのに、希望つぶしの名人大会ばかり永田町で盛大だと皮肉たっぷりに今国会での有様を書いていた。
 
 さて、小説が好きでたまらないというせいぜい3000人ほどの人に向けて書かれた西村賢太『苦役列車』と朝吹真理子『きことわ』が、芥川賞を受けて10数万部から20万部近くも売れていると毎日新聞2月24日付夕刊「文芸時評」で佐藤英明氏(近畿大学教授・日本近代文学)が書いていたが、今回の芥川賞は好対照な二人とあってマスコミの露出度も特に高いようだ。筆者は大分前1976年に『岬』で芥川賞を受賞した中上健次の時を思い出した。その時も「文藝春秋」を購入して読んだ。彼は羽田沖合いで土木作業して食い繋ぎながら書いていた。そのことが鮮烈だった。あれから35年、風貌恰好も似ている人の登場だ。私小説がまた、脚光を浴びている。

 今最も話題の作家の一人、西村賢太作『苦役列車』を読んだ。芥川賞作品が掲載されている雑誌『文藝春秋』2011年3月号は品切れでこの雑誌は増刷分。久し振りに買い込んだ。序にその他の記事も拾い読みした。

 『苦役列車』は選考委員の島田雅彦氏の言葉ではないが、随所に自己戯画化が施してあり笑えるのだ。90%本当の話とは作者の弁だが、駄目さ加減をここまで書ける、ということは自己を客観視して書いているということだ。この愛すべきろくでなしの苦役が芥川賞につながったかと思うと愉快でたまらない、私小説が、実は最高に巧妙に仕込まれたただならぬフィクションであると証明したような作品とは山田詠美氏の選評。何度か芥川賞の候補に上がっていたらしい。大正末期の私小説作家藤澤造をこよなく愛し彼の墓の脇にすでに自分の墓も作ってしまった作家だ。これはかつての胡桃沢耕史が直木三十五に惚れ込んで墓を作ってしまったのと同じだ。京浜急行線富岡駅近くのお寺に眠っている。筆者は何年か前にそこを訪ねたことがある。
 主人公北町賢多は、家庭の事情もあり(父が性犯罪者という負い目)、家を転々し、進学できる能力にも欠けて中卒で外に出る。羽田近くの平和島の港湾人足の日雇い仕事で生計を立てる。朝は迎えのマイクロバスに乗って出勤、昼食は岸壁で支給される箱弁当を食べ、帰りは浜松町までマイクロバスで送ってもらう日雇い生活で、冷凍のタコのかたまりを扱う重労働をしながら日々5500円の賃金を稼ぐ。そのやり切れない日常は、案外プライドは高いくせに屈折していて、自己卑下も相当なもの、自分のだらしなさを露呈して余すところないほど。食欲、性欲は人一倍強く、吐き出されていく日常の連続―。そんな時一緒に働く仲間と知り合いになり、飲みに行ったり、風俗に行ったりと親しくなるが、その彼に恋人ができ付き合いが悪くなる。自分も恋人がほしい一心で一案を案じた賢多は、好きな野球観戦行きを決行、しかし飲み屋で彼の言動がもとでトラブル、その後家賃の工面までしてくれたその友人とは疎遠になる。やがて仕事上でのトラブルなど駄目さ加減が露呈、辞めさせられる。友人は新たな可能性に向け、会社を辞めていく。やがて家賃の滞納も限界、引越しする羽目に。母から借金、横浜に引っ越すが、別の荷役会社で相変わらずの人足人生。ポケットに敬愛する藤澤造の作品コピーをしのばせて―。これがこの小説の大体のあらましだ。
 『苦役列車』。このタイトルは何となく人を喰った言葉で笑ってやって下さいと言いたげである。筆者はむしろ『哀愁列車』を連想してしまった。アナクロニズムの言葉使いもあって少し不思議な思いがしたが、私小説の彼方を見つめているような可能性を秘めた作家かも知れない。描写のリアリティーはあるが、その文体は意外に抑制が効いている。1980年代のバブル期をこういった形で描いた小説は珍しい。その意味では特異な作家の登場である。この豊穣な甘えの時代にあって、彼の反逆的な一種のピカレスクは極めて新鮮(石原慎太郎氏評)、主人公の奇行、愚行が必要以上に突出せず、若さによって受容され、思春期という器に収まってしまう面があるのに注目(黒井千次氏評)、「伝えたいこと」が曖昧であり、非常に悪く言えば、「陳腐」であると、村上龍氏の評は辛口だ。

 曩時北町賢多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。
 しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちに、そのまま傍らの流し台で思いきりよく顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケットの上に再び身を倒して腹這いとなる。
 そしてたて続けにハイライトをふかしつつ、さて今日は仕事にゆこうかゆくまいか、その朝もまたひとしきり、自らの胸と相談するのであった。

 これが『苦役列車』の冒頭書き出し部分である。ここにはアナクロニズム的な言葉使いと濃い体臭の臭いが感得される。それにしてもこの作家の風貌は中上建次を彷彿させてなぜか可笑しい。今後に注目しよう。

 もう一人の芥川賞作家朝吹真理子の『きことわ』の冒頭部分を少し読んだ。人工的で言いづらいタイトルだ。夢への誘い、時間軸の処理の巧さが光るとかプル―スト的とか。読むのが楽しみだ。冒頭の二行はこうだ。

 永遠子は夢をみる。
 貴子は夢をみない。

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