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超人の面白読書 79 永井荷風作『夢の女』

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 評論家川本三郎が「図書」2010年11月号に荷風家のお手伝い福田とよについて書いていた。荷風は昭和34年(1959年)4月30日亡くなったが、彼女はその荷風遺体の発見者だ。

 『夢の女』(1903年)を読んだ。荷風23才の作品。人情話や写実的な描写も良いけれども、それに加えて文体も良い。そして会話の妙も。彼は生涯にたくさんの作品を書いたが、この小説は『地獄の花』(1902年)に続く作品で、荷風の初期小説の傑作、花柳小説のジャンルに入る。フランスの小説家エミール・ゾラの影響(明治20年代はエミール・ゾラなどの自然主義文学が流行った)を強く受けた写実性に富んだ作品と言われている。
 貧しい武士の娘が家族のために妾奉公、そして売られて娼妓に、その娼妓に煩悶しながらも成長、やがて待合の商売で繁盛する。両親と妹、それに商人の間に出来た子どもを引き寄せ、一家5人で暮らすが、妹の出奔、父親の死に遭遇、心の空洞を感じて冷たい夢のなかを彷徨う。
 かつて吉永小百合主演で映画にもなった『夢の女』、女主人公お浪を通じて見えてくるのは、人間の悲惨や、哀れさ、破滅、遊廓の世界の欲望蠢く愛憎劇を伴う遊泳術、ろうかいさ、商売力などであるが、何と言っても悲哀の情感が主旋律だ。荷風は歩く人でもあったので、特に東京の下町深川あたりの活写は、彼の写実のフレームの陰影を際立たせている。情感が漂っているのだ。また、明治中期の社会反映も読み取れる。
 解説で菅野昭正は次のように書いている。『夢の女』は、哀傷、悲哀の情調にいろどられた小説にもかかわらず、暗色の印象は意外なほど強くない。それはひとつには、濁りのない抒情性をたたえた文体の効果によるところが大きいだろう。
 最後の10数行を書き写しておこう。葬式の場面あたりから。

 母親お慶の泣声が聞こえた。お祖父さんと呼ぶ娘お種の声も聞こえた。お浪は此に父親の身躰とは全く明暗の世界を異にしたのである。けれどもお浪は最早この場合に至っては、今更らしき特別の悲しみを感じ得るだけの明かな心は持っていなかったらしい。悲しい事、痛ましい事、凡てそれらの感情は、既に既にその極度を通り越してしまって、いわばその身は茫然と、何か分からぬ冷い夢の中を彷徨っているような心持であったが、しかしいよいよ空しき我家へ帰るべく、幌深き車に乗って、寺の門を後にすると、突然何とも付かず、例えられぬ落胆を覚えた。それは自分の身中の魂までが、己に父親と一緒に、この生きた身躰を離れて、行辺知れず逃げて行ったような念がしたのである―生活と戦うべき意気と精力は最早全く衰滅してしまったのだ。
 死たる心、空洞になった身体は、これから幾年と自分の前に進んで来る長い月日を如何に送り過して行くものだろうか。ああ ! 自分の車の先に進んで行く、同じ車の中にはなお重い責任のある年老った母親、幼い私生児 ! お浪は力なきドンヨリした眼を以って、幌の隙から行手を眺めると、粉々たる雪は暫く吹添う風に連れて、縦横に飛び散りつつ、林、道、人家、電柱、諸有る物を埋め尽くそうとする。
 今日の夜は、無数の人の生活がその集合を為したこの一都会も、淋しき墓場のそれと同じように、やはりこの白き衣の下に声なく眠って行くのであろう。お浪は母娘の車が行悩みつつ暫く築地の待合近く来た頃には、何処も彼処も真白な雪と雪との間から、血のような燈火の光が流れた。(本文P.177〜P.178)

 前後するが、待合営業の繁盛を祈るために深川の不動尊を参詣する途中の場面、これも良い風景描写。

 長い鉄橋の欄干には既に電気燈が輝いている。淡き夕べの星光も三ツ四ツと、憂鬱なる蒼白い空から燦き初めると、広漠たる河口の空を遮る佃島や石川島の建物、さては両岸に立連人家の屋根は、等しく暗い夜の影の中に沈もうとして、新しい燈火の光が殆ど数限りなく水の上を流れた。林の如く帆柱を連ねて停泊している帆前船からも、同時に青い色や赤い色の灯が、あるいは高くあるいは低く、あたかも美しい花火をょ見る如く散乱したので、お浪は今、丁度橋の半ばほどまでに行き掛けながら、立ち止まるともなく、自然と欄干の傍へ引き止められたのである。
 全く何心なしに唯だ美しい光景を見取れたのであるが、偶然にも忽ち思起した―というのは早や幾年かの昔、遠い故郷の地を離れて、深川の遊郭へ身を沈めるため、始めてこの大い鉄橋を渡り初めた時の事である。その場合の心持は如何様であっただろう。(本文P.150)

 さて、昔の洲崎あたりをぶらぶら散歩しながらあさり丼でも食べに行こう。荷風の文学風景を訪ねて・・・。

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