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超人の面白読書 73 三浦哲郎著『忍ぶ川』 3

 木場は、木と運河の町である。いついってみても風がつよく、筏をうかべた貯水池はたえずさざ波立っていた。風は、木の香とどぶのにおいがした。そしてその風のなかには、目にみえない木の粉がどっさりとけこんでいて、それが慣れない人の目には焚火の煙のようにしみるのである、涙ぐんで、木場をあるいている人はよそ者だ。(P.10)

 それは、異様な街であった。けばけばしい彩りのちいさな家々が、せまい路地をはさんでぎっしりと軒をつらねていて家々の屋根という屋根、窓という窓には、赤や白の布ぎれがいっせいに風になびいていた。田舎者の私の目には、好奇をそそるながめであった。
「あの街へいきたい」と私がいうと、「ばか」と兄は叱って、そして、ぼおっと頬を赤らめた。
洲崎は、娼婦の街であった。(P.14)

 志乃は、焔になめられたあとが黒い縞になってのこっている石の欄干を、なつかしそうに手のひらでぴたぴたたたき、それから、橋のむこうの空をよぎっている高いアーチを、めずらしそうに仰いで、そこに書いてある、夜はネオンになるだろう、豆電球にふちどられている文字を、
「洲・崎・パ・ラ・ダ・イ・ス」とひくく読んだ。
「バラダイスなんて、あたし、なんだかいやですわ」志乃は、上気したように頬を赤くしてそういうと、だまってあるきだした。
  志乃はすたすた橋をわたるのであった。私は、ひとりでに胸の鼓動が高まった。(P.15)

 忍ぶ川は、料亭というけれども、いかめしい門構えや植え込みなどがあるわけでもなく、直接都電の通りに面していて、階下には豚カツやお好みの一品料理で簡単に飲めるカウンターもあり、その方の店の隅にはタバコの売場もあるという、いわば小料理屋に毛が生えた程度の、だから自家用車でのりつける客なんかめったになく、常連というのも近くの国電の駅から本郷あたりへ通う学校の教師、会社員、それに土地の商家の楽隠居たちで、たまには魚屋や肉屋のあんちゃんが女めあてに、青い背広を着て通ってきたりする。場末のちいさな料亭なのであった。それでも、界隈にいちおう名の通ったのれんの手前、格式と酒の値だけは一段高く、私どもにはそうたびたび出入りできる店ではなかった。(P.21)

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