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超人の面白読書 73 三浦哲郎著『忍ぶ川』 2

 この作品は第44回(昭和35年下半期)芥川賞を受賞し雑誌『文藝春秋』に掲載された。また、映画は栗原小巻や加藤剛の出演で評判を呼んだから大体の内容は知っていた。今回文庫本で読むきっかけは作者が亡くなったこととも関係するが、私小説風の小説を読みたかったからに他ならない。最近の小説では少し私小説が顧みられている傾向があるらしい。毎日新聞夕刊文芸時評欄の一角に編集部が今月の3冊を取り上げるコーナーがあるが、6月のこの欄で編集子がこう書いていた。最近、「私小説」という言葉にしばしば接します。先日発表された三島由紀夫賞の候補作のいくつかも「私小説的」と評される作品でした。候補者の一人は「自分が経験したことに、人が共感できるところがある」と言います。また、小説をめぐるイベントで「私的な言葉のみが公共性を持つ」と発言した作家もいました。厳密に言えば、どんな小説にも、作家の個人的経験が反映されているのかもしれません。ただ、それが伝わり安い作品が書かれ、受け入れられているのだと思います」と書いて、田中慎哉著『実験』や三浦哲郎著『おふくろの夜回り』を取り上げていた。(2010年6月29日)同じ作家の『白夜を旅する人々』は、2、3ページを読んでそのまま本棚に置き去りにされたまま。物語の内容が暗く重たそうだから敬遠したのかも知れない。
 『忍ぶ川』は私大生と若い女性との恋愛をテーマにした私小説だが、ここには短編小説の極意がある。自分に起きた出来事を下地に創られているが文章が凝っている。普通は漢字なのが、コンテストの中の効果を狙って柔らかいイメージを醸し出すひらがなに、そして何より句読点の独特な使い方―作者の息吹を伝える可能な限りの装置―が施されている。どうしてこんなところに読点がと一瞬読者を困らせるほど「、」の位置が独特だ。同郷の太宰治の影響が感受される(文庫本解説の文芸評論家奥野健男の言葉)短編小説だが、題材、構成や進行などよく出来ている。特に男女の内面を抉る短い会話に顕著だ。つい最近筆者は、村上春樹の初期作品『風の歌を聴け』を読んだ。群像新人受賞のこの作品は1979年(昭和54年)、そして芥川賞受賞の三浦哲郎の『忍ぶ川』が1960年(昭和35年)、この二つの作品には約20年の隔たりがあり、同じ恋愛を描くにしても時代背景が違っている。同じ青森県出身の評論家三浦雅士氏は、毎日新聞書評欄(2010年10月3日)この人・この3冊のコーナーで、『忍ぶ川』を読み返すと、1950年代日本の濃密な、だがあくまで爽やかな風が吹いていることに驚かされると書いていた。それに比して村上春樹は、シティノーベルと言おうか、都会の匂いがぷんぷん、アメリカナイズした軽快かつ渇いた文体でオトコとオンナを描いた。二人とも同じ年頃にデビューしているが対照的だ。
 話は多少横道に逸れた。急いで本題の核心に戻そう。この短編小説には読み進むにつれて少しやるせなくなり、うっかり目頭が熱くなる描写や貧乏だが幸せを目一杯感受する美しい感動的な描写が多々ある。作者の筆の運び方が上手いと言ってしまえばお終いだが、物語を無限に紡ぎだすことこそが作者三浦哲郎の本領(上述の三浦雅士氏)であって、ここに短編の名手たる所以が隠されているようだ。無駄のない、バランスのとれた文章がいい。そして会話に方言がほどなく挿入されている。この妙―。その人なりの呼吸が聞こえる。強いて言えば、それぞれの生き様が少し覗けるのだ。志乃の父と弟妹、私大生の両親、友達―。

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