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超人の面白読書 69 『萩原延壽集 1 馬場辰猪』

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 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が人気だ。自由闊達かつ坂本龍馬扮する役者の容貌と語り口、また、同じ土佐出身の三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎扮する役者の演技も主役と対照的で、この点でも視聴率を上げる好材料になっている。龍馬は今でいえばコーディネーター的な人物で、日本を変えるという大きな理想に燃えて突き進んだ幕末の群像の一人だろう。作家司馬遼太郎は生前もっと長生きして欲しかった人物の一人とどこかで語っていた。それにしても日本人は斯くも龍馬が好きなのか。さらに最近では“歴ドル”なる新しい愛好者も加わって女性にも人気が出ている。
 翻って今の日本の政治はどうか、確かに政権は変わった、だが前政権と変わらない政治家の金と政治の不透明さ、政策決定の遅れ、政府と与党間の不協和音などが目立ち始めているが、一方、野党第一党でも党首の存在が薄いのか、まとまりにかけ今や分裂状態で、すでに何人かは離党して新党を立ち上げた。地方の首長らも立ちあがった。政治改革、刷新とは言うものの、参議院選挙に勝つための自分たちの狭い世界だけを泳ぐ強者に映る。今一つ彼らの言説には私たち国民の目線が感じられないのだ。目先の政治に忙しい。政治哲学や政治理念、倫理があまりにも欠如しているとしか思えない、言わば、政治が安っぽくなった。国民が納得できる政策を打ち出せずに何か内向きの政治に固執しているようにみえる。このままでは日本丸は迷走して荒海に飲み込まれてしまうような感じすら受ける。期待や希望が持てないのだ。マスコミの論調もただ批判の矢を射るだけではなく、ジャーナリズムの健全な見識を持ち、もっと私たち国民が知りたいことを客観的かつ分かりやすく報道してもらいたいものだ。枝葉末節なことはどうでもいい、独自な取材で得た、骨太の記事を期待したい。政党政治の有様、勝てば官軍、後は数の論理で押し通していく昨今の日本の議会制民主主義の有様が問われている。有権者の一票、政治の無関心も問題だ。
 さて、本題。今から125年前の明治10年代に政治改革を掲げて闘った、自由民権運動家の馬場辰猪。その生涯を綴った萩原延壽の評伝『萩原延壽集 1 馬場辰猪』を読んだ。きっかけは大分前に歴史学者の勧めだったが、当時文庫本は絶版、図書館から借り出して多少読み、それを何回か繰り返しているうちに忘れてしまっていた。そして2007年に『萩原延壽集 1』が朝日新聞社から刊行されて購入。馬場辰猪の墓の話を探し出すところから始まる文章に目がとまり、何か気になって来た。一体馬場辰猪とは何者か。最近彼がロンドン留学中に書いた最初の英文、『日本語文典』に興味を持つようになって、観光ついでに彼の墓のあるフィラデルフィアまで出かけて探したのだった。ペン大学の一画にてっきりあるものとばかり思って探したが(現地の大学の人にも聞いたが、ちょうど土曜日で歴史関係者も休みの人が多かった)、結局帰り際のタクシーのなかで、試しに携帯の端末の検索をかけてみることで一縷の望みを託した。すると同じように探しに来た誰かのブログでその場所が特定できたのだった。何とアホなことを、その時にはもう時間はなかった。ああ、ウッドランド・セメタリー! 資料コピーを持参するのを忘れてうろ覚えのままが悪かった。

  この400ページ弱の重厚な書物は、単行本として約40年前に中央公論社から刊行された。朝日新聞社のものは萩原延壽集として陸奥宗光や東郷茂徳の評伝などが収められた1巻目として刊行されている。
在野の歴史家・萩原延壽氏の緻密な筆の進め方で見えてくる馬場辰猪の生涯、それは著者の言葉を借りて言えば、性急な歩行者の姿だ。また、萩原延壽氏の文章もいい。対象にのめり込まず、距離感がほどよい。だからと言って対象者に愛情がないわけでもない、むしろ人一倍あるくらいだ。解説者の宮村治雄氏は、「馬場辰猪の生涯を識るものは一種凛冽の気に打たれるのを覚える」と著者が語った言葉が、馬場辰猪の師福沢諭吉が「気品品格の高尚」と讃えた言葉と響き合っていると書いていることでも分かる。萩原延壽氏の文章は遠く遡れば、朝日新聞の夕刊で連載された「遠い崖―アーネスト・サトウ抄」ですでに触れていた。日記を詳細に追っていた。それはしつこいほどだった。この馬場辰猪の評伝も歴史家とジャーナリストの2つの眼を持って書かれているような気がしてならない。それが対象をみつめる視線のしなやかさに繋がっている。
 土佐藩士の次男として生まれ、アメリカのフィラデルフィアで客死するまでの39歳の生涯は、日本の政治改革に純粋に向き合った人間の早すぎた死だろうか。結核に倒れたのだ。1850年、土佐藩士校の次男として生まれ、藩校文武館で学んだ後、17歳で福澤塾に入塾、21歳、他の4人と藩留学生として海軍機関学を学ぶためロンドンに留学、幾何、地理、歴史、物理学を学ぶ。23歳、イギリス滞在中の岩倉遣米欧使節団に法律学修得を願い出て許可、藩留学生から政府留学生に切り替える。24歳、『日本語文典』刊行。25歳、帰国、26歳、共存同衆で最初の演説、再留学ロンドンへ、『日本における英国人』刊行。27歳、文化人類学者の嘱託で『古事記』の冒頭部分の翻訳、『日英条約論』出版、28歳、健康衰え、送金も途絶えがちになる。29歳、イギリス留学中の真辺戒作と口論、殺傷、勾留、帰国、京橋区日吉町一番地に下宿。30歳、日本語の最初の著作『法律一斑』刊行、31歳、交詢社常議員に当選、東京両国中村楼で演説討論政談会(のち政談討論演説会に改称)を開く。32歳、政談討論演説会を国友会に改称、明治義塾を開校、発起人、自由党常議員に選出、33歳、朝野新聞社客員、自由党機関紙『自由新聞』創刊、板垣退助、後藤象二郎の洋行に強く反対する。34歳、『天賦人権論』刊行、各地で遊説、『商法律概論初編』刊行、自由党脱党。35歳、自由党解党、『雄弁法』刊行、爆発物取締罰則違反で逮捕、37歳、結核悪化のため監獄病院に入院、証拠不十分で無罪放免、大石正巳と横浜からゲーリック号で渡米。38歳、アメリカ各地で講演、フィラデルフィアに移る、ペンシルベニア大学で講演、成功、アメリカの新聞に投稿する。39歳、陸奥宗光を訪ねる、『日本の政情』を刊行。ペンシルベニア大学病院で死去。フィラデルフィアのウッドランド・セメタリーに埋葬。以上、巻末にある馬場辰猪年譜を追ってみた。本文からこれといった箇所を2、3引用してみよう。
 「観念としての民衆と事実としての民衆との間の乖離が、自由民権家としての自分の前におかれている課題が二重のものであること、つまり、取り組むべき対象が圧制官吏ばかりではなく、自由民権運動そのものの純化であることを、はっきり語っていた」(P.117)、「馬場には、福沢や中江とちがって、知識人が政治に参加する場合に不可欠な精神の『戦略論』」、この場合についていえば、理念と現実との間に時間という要因を介入させてゆく媒介的な思考が欠如していたのではないかと、現在わたしは考えている」(P.270)、「もし板垣自由党にかわって馬場自由党が出現した場合、自由民権運動の解体をよく防止することができたであろうか。馬場には、自分と自分自身が没入していた自由民権運動とを越えたところに、もう別な視点を設定してみるという精神の『戦略論』は、やはり無縁なものであったようである。つまり、馬場は、自分に執しすぎていたといってよいのである」、著者は藤田省三氏の書物(「あるマルクス主義学者」、『転向』上巻所収)を引用しながら次のように書く。「河上肇の『自叙伝』と福沢諭吉の『福翁自伝』を比較しながら、藤田氏は次のようなするどい指摘を行っていたが、…中略。『自叙伝』は全く私小説のスタイルであって、方法的に組み立てられていないのに対して、『自伝』は叙事的で、かつ叙述は方法的である。したがって福沢には簡略化の能力があり、河上にはその力はないといえる。そしてこれらの特徴はまた、自己と自己を取り巻く状況から超越した眼をもつことができるかどうか、の能力から生まれるものである(この河上のところを馬場と置き換えるとよく分かると著者)」(P.284)、それに次のような箇所。「旧師の福沢や旧友の中江にくらべれば、馬場は、けっきょく、人生というドラマの俳優ではありえても、これを演出する役割には適しなかった人間であったのだろう』(P285)。
 ここには著者の鋭い分析がある。論理の直線、西欧流知識人対日本の政治、そして何より生き方が生真面目過ぎた。もっと迂回すれば良かったのだ、良い意味での遊びが必要だった。それは父や兄の不祥事を見て知ってしまったことと無縁ではあるまい。
  ここで解説者宮村治雄氏も言及している著者の「挿話」の典型を本文から拾ってみたい。
自由党系の新聞人大井通明の編集した『日本全国新聞記者評判記』(明治15年12月刊)の「馬場辰猪評判」。
「文章 大ニ其法ニ暗クシテ書翰モ能ク認ムルヲ得ズト云フノ評判。 議論 理論ニ精明ニシテ東洋ニ於テハ氏ノ右ニ出ルモノナシト云フ程ナリ。 学芸 久シク西洋ニ遊学セシヲ以テ深ク洋学ニ達ス、泰西古今ノ事情寸毫モ識リ得ザルハ無ク、且ツ政事学ニ法律学ニ皆ナ然リトイエドモ、惜匕哉漢学ニ於テハ実ニ暗シトイフ。 弁舌雄弁 デモスゼンスヲ欺キ能舌パトリックヘムリーヲ慚愧セシムルニ足ル。故ニ氏ノ演説ヲナスニ方テヤ衆人聴イテ為メニ恐敬セザルハナシ。実務 其術ニ迂ニシテ、時事ヲ整頓ス可キノ議論ヲ立ツルコト稀レナリトノ評判。 性質 深沈ニシテ而シテ大度アリ、容姿艶然、真ニ学者社会近世ノ美男子ナリ。」(P.388)
 おそらく、当時の日本の政治社会と言論界に流布していた代表的な馬場の人間像であろうと著者は書く。
 政治におけるリアリズムとは、「権力」だけに着目するのではなく、政治を動かしている「理念」についても、正当な評価を与える態度を指すのである。双方に対して、過不足のない認識と理解をしめすものだけが、政治の世界において真にリアリストの名に値いするのだ(「陸奥宗光小論」)という著者の見解を引用しながら、これに対して、解説者宮村治雄氏は、政治のリアリストたらんとするものは、果たして馬場の生涯を無視したり、軽蔑したりできるだろうかと疑問を呈している。また、馬場における「政治の技術」的契機の視点がなかっただろうかと書き、さらにその理解は、いささか一面化されていなかったろうかと書く。馬場の言動は、一私人の、一私人だから駆使しうる「政治の技術」もまたありえることを示唆しているからだと書く。
 馬場辰猪という一人の西洋知識人が日本の現実の政治と向き合って叫ぼうとした行為は、民心から政治を変える一言に尽きると思うのだ。結果的には国家権力の及ぶことになったり、自由民権運動の衰弱を招いたり、曖昧な民衆に戸惑ったりと明治10年代を疾走した。終には馬場辰猪自身アメリカに新たな可能性を求めて亡命、道半ば病で果てた。アメリカで講演者として生きることを決意、外から政府批判を続けようと企てたが果たせなかった。
 萩原延壽のこの評伝にはもの悲しさが漂っている。著者の筆運びはこの辺の醸し方を心得ているようにも思えた。始めはデクレッシェンド、徐々にクレッシェンドへと流れる文章―。明治初期の書物や書簡の引用文を読むのには不慣れな筆者だが、なかなか読み応えのある重厚な1冊だ。
 筆者の目下の関心事は、森有礼の反駁の本として書かれた、馬場辰猪著『日本語文典』だ。ここには彼の早い時期の思想があるようだ。
 尚、少し違和感を感じたが、付録として「福沢・中江・馬場」、「丁丑公論」、「瘠我慢の説を読む」を収録」している。

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