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超人の面白読書 67 PR雑誌『學鐙』最新号を読む 4

 今や売れっ子の亀山郁夫東京外国語大学長の記事は今風である。ちょっと前の話題の本、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』は全冊購入しているがまだ読みかけだ。小論は村上春樹の『1Q84』(これも読みかけ)の冒頭部分のヤナーチェックの『シンフォルニエッタ』の引用から始め、自分を語り、そして『1Q84』は教養教育に打ってつけのサブテキストだと書く。そして「教養知」の力を提案。次に教養の基準を考察。どのような相手を「教養人」とイメージするか、「教養人」と「常識人」の違いは何かの判断基準を置き、40代の中高年世代を想定、文学や芸術作品の中から具体的にアイテムを上げて語る。教養の定義は動機付けに裏づけられた経験の深さと幅広さが欠かせないと。また、最近はやりのツイッターやウインドウズ7などを話題にさらされたらお手上げと言っている。こういう点では「教養人」失格だろうと。
 亀山氏も関わっている日本学術会議。「日本の展望委員会」が作成した「日本の展望―21世紀の教養と教養教育」の格調高い草案に些か疑問を呈し、亀山氏は文科会で文系理系に関わりなく、大学の教養カリキュラムのコアの部分には、音楽と美術の教育をしっかり位置づけないといけないと言ったらしい。教養とは、世代間戦争であり、それぞれの世代が、自分が過去に積み上げたアイテムを絶対化しては、何ひとつクリエーテイティブな成果は生まれない、と。『教養知』とは、感動する心、無意識へと「下降」する勇気だと書き、結局は、他者への寛容が教養人の前提となるかもしれないとこの小論を締めくくる。最後に村上春樹に戻り、あなたを求めている、という告白の上手さにかけて村上春樹に叶う作家はいないと書く。なるほど、この後の小論、リベラルアーツこそ大学の原点の西尾隆氏も国際基督教大学の「平和・安全・共生」の共同研究の過程で村上陽一郎氏から教わったと断りながら、リベラルアーツの価値の核心に「寛容」があると非寛容さの目立つ日本社会にこの精神を根づかしたいと書いている。キーワードは「寛容」のようだ。なかなか易しいようで難しい。他者の痛みが分かる人間が今求められているのだろう。高等教育史が専門の潮木守一氏の小論も欧米の教養教育をひもとき(アラン・ブルーム著『アメリカン・マインドの終焉』にも言及)、現実社会でおきている正規社員と非正規社員の格差問題などを取り上げ、高校・大学の新卒者も大分非正規労働に流れていると書いている。ただ知識だけではなく、その知識を基とする人間観、社会観、価値観を学生に与える必要があると説く。今問題の法科大学院、そのことにも触れた法科大学院とリベラルアーツ、自然科学、現代経済とリベラルアーツと読ませる小論が続く。

 紅野敏郎氏の連載「學鐙」を読むは渡辺一夫(上)。これもなかなか面白い。青山南氏の長い長いしっぽは、インターネットやウィキペディアの話だ。

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