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超人の面白読書 67 PR 雑誌「學鐙」最新号を読む 3

 「教養」の定義を一応広辞苑の電子版で確認すると以下の通りになる。
1.教え育てること
2.(cultureイギリス、フランス、Bildungドイツ)学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。その基礎となる文化的内容・知識・振る舞い方などは時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。

 教養教育の将来と題する村上陽一郎氏の小論は、大学の教養教育は、1991年の「大綱化」以来衰退を辿ったとし、その真意は一種の自由化だったが崩壊したと「大綱化」の弱点を鋭く突く。次に大学の「学部・学科」には必ず学生定員がつき、そのための予算処置も講じられるが、教養部には学生定員がつかない、教員どうしが造った幽霊団体だと指摘。もともと国立大学では、文部省の元帳には形式上は存在しない構成だという。個別学部・学科にはもともと「法学」や「物理学」を講じる教員がいるし、一般科目として教える教員は、「二級市民」的な扱いになるが、それは教員だけではなく学生も同様に感じていても不思議ではないと書く。村上陽一郎氏は長らく東大で科学史を講じてきた学者である。それは師範学校や旧制高校が「昇格」した大学に引き継がれ、一般教養科目を担当したことと関係すると指摘。旧国立大学で「教養部」を堅持しているのは東京医科歯科大学ただ1校だけだという。教養教育は「基礎専門」という形で学部・学科の教員が基礎的なところを学生に提供するようになったが、一般教養(=全学共通科目)は混迷のなかに置かれているという。また、昨今の大学院事情にも及んで、インフレ現象気味で受験生の間で、東大や京大に入りたければ、学部受験よりも大学院受験の方がはるかに容易だいうのも頷けるという。筆者も大学の内と外から最近の傾向を見ててそう思うのだ。現に東大など学部学生数より大学院生の数の方が多い。大学院自体の価値が薄まってしまったことと今や必ずしも研究者の道とは限らなくなり(あまり魅力がなくなった?)、むしろ一般社会への門戸開放だろうか。そして大学院における「一般教養」の必要性が真面目に議論され始めているらしい。このあと欧米の教養教育の話、アメリカの「グレート・ブックス」やドイツ語のBildungの本来の意味(自分を作り上げること)を確認して村上陽一郎氏は次のように書いて締めくくる。

 如何なる「他者」に対しても、平等にコミュニケーションができる能力を持ち、かつ他者の枠組みに理解と共感を得ることができる能力、そして、自分のなかに作り上げた規距への信頼とともに、それを他者との共感のなかで修正する可能性に開かれているような自分を確保する能力を備えることこそ、教養教育の目的とすべきではないか。形造るは過程であり、動的である。その過程に油を差し、燃料を与えることに将来の意義を見いだしたいと。

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