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超人の面白読書 61 アメリカのベストセラー A Gate at the Stairs の最後のページを読む

「夕食なの ? 」と私はまた言った。
自然に振舞うことは何も大袈裟なことではなかった。難しく振舞うことではなかった。
それから彼は少し休んだ。「あまりに急な電話だろ」
彼の声は疲れていて辛らつだった。「多分出し抜け過ぎたのよ」
アマンダが私の部屋の戸口にやってきて頭を突き大声で言った。
「ピザ食べたくない ? 」
私は頷いた。いいよ。彼女は行ってしまった。
地球は完全に丸くなく梨みたいな形だった。ブラックホールの専門家によれば、宇宙の90%は不明だったらしい。
 まだどこかに常にサーカスがあった。
「夕食なの ? 」と私は繰り返し電話で言っていた。私のげん骨はオパールみたいに白く見えた。すべての歩みのなかで動じない母である神は何でも今尚先に進む説教をしない ?
 エドワードは私と同様に沈黙したままだった。何のために生きていた ? 私は必ずしも分かっているわけじゃないし迷惑もかけていないはずだった。今私はただ単に自分の息遣いする音に気づいただけだった。風のように吐く息―私が言ったのだが―は実際より電話での声の方が大きかった。窓は避けられない予測不可能なドラマだった。西風が必ずしも多いとは限らなかった。時には南からも事はやって来るし小さな渦巻きを創ったのだ。そう、やきもきさせる天気の小さな渦巻き―をね。私はゆっくりと受話器を動かして自分の顔から離した。それはゆりかごの方へ進み浮かび続けるように思えた。ぼんやりと自分の手に導かれて。空気が自分の頬をさっと冷やした。夕方外はすでに雪が降り始めていた。


読者よ、私は彼と一緒にコーヒーさえ飲まなかった。
それは私が大学で充分に学んだことだった。


 これが今夏アメリカのベストセラー小説『A Gate at the stairs』の最初と最後の部分だ。筆者はこの小説家について正直言って何も知識を持ち合わせていない。ただ何となく興味を抱いただけだ。出だしと結末を少し感受すれば多少何かが手応えとして分かるかなという安直な考えで書いた。否、自分流に日本語にする試みを敢てした。それはなぜか。現代アメリカが抱えている問題が小説という文学の一形式を通じて“みえてくる”かもしれないという微かな希望だろうか。内面のうごめき―。
筆者は冒頭の鳥たちに関して勝手に連想したのがなぜか、鳥たちが帰ってきた、という詩人・飯島耕一の有名な詩だった。具象と抽象―。最後の章は電話、小道具とつぶやきが散りばめられていて結局、情景描写と行間よろしく多少の著者注釈で終わるという構成だ。はて、冒頭と最後の章をつなぐ起承転結の内容とは ? そして、アメリカの読者を惹きつけて止まないこの小説の魅力とは―。

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