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2008年11月

超人のドキッする絵画 16 『フェルメール展』

200811291622000_3晩秋の晴れ渡った土曜日の午後、筆者は上野の東京都美術館で開催中の『フェルメール展』を観に出かけた。やはり予想通り入口で40分待たされた。大人気である。この人気の秘密は何かしら ? 朝日新聞社やTBSが主催し第一生命保険が特別協賛したからその宣伝効果 ?作品の希少価値 ? 日本人の感性にあった解り易い写実絵画とさりげない日常 ? 光と影の遠近図法の巧みさ ? オランダ絵画 ? 等々が思い浮かぶが、さて、どうだろ。それにしてもこの人、ヒト、ひと、凄いに尽きる。ここまで書いて一時中断した。
 さて、フェルメール絵画鑑賞とあいなったが、入るなり人集りができてじっくり鑑賞している暇などないのだ。「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」、ヤン・ファン・デル・ヘイデン作『アウデ・デルフト運河と旧教会の眺望』(1660年頃デトロイト美術館所蔵)から始まってカレル・ファブリティウス、ピーテル・デ・ホーホの『幼児に授乳する女性と子供と犬』『訪問』などを首を突っ込みながら急いで回った。『ディアナとニンフたち』『小路』『ワイングラスを持つ娘』『リュートを調弦する女』『ヴァージナルの前に座る若い女』『手紙を書く婦人と召使い』などフェルメールの作品は、1655年から1670年頃に描かれた作品だ。生涯33点しか描いていない。特に光と構図そして色彩が見事なタッチで描かれ、女性の表情もさり気ない日常生活そのものの世界だ。当時の豊かな家庭の有様も見られるけれども。実は小林頼子著『フェルメールの世界 』(NHKブックス)を読んでいた。そしてフェルメールは実際どんな生活をしていたのかまで読んだ。また、ヒットラーも愛したフェルメールの作品、有名な贋作事件なども引き起こしたことなどそのフェルメールの魅力に迫ったテレビのドキュメンタリー番組も見ていた(途中からだったが)。BS朝日ではフェルメールの映画もやっていたのだ(これまた途中からだった)。それで自分の中で勝手に増幅、フェルメールの有名な絵(『真珠の耳飾の少女』Img014_2や『牛乳を注ぐ女』Img015Img016など)が見られると思い込んでしまった。これがいけなかった。40点の中でフェルメールの絵画はわずかに7点だけ、あれっ、である。しかも有名な絵画はあまりなく虫食い状態だった。『絵画芸術』も都合により不出品だ。光の天才の絵画展は肩透かしだったのだ。元々作品が少ないのだから7点もよく出展できたと解釈できそうだが。それしてもこの混みようは芋洗い状態、何とかしてよと悲鳴を上げたくるほどだった。図録を購入中に隣の店では男性が、70万人突破記念セールの関連商品を売り込んでいた。商戦も活発なのだ。筆者は出口まで出るときにエレベーターを使った。試しに何人乗れて男女の数は?とカウントしてみた。全部で16人、男性3人に対し女性13人だ。圧倒的に女性が多かったが、年配の男性やカップルも目についた。やはり女性同士が多かった。Img017

オランダ17世紀の絵画は写実絵画の宝庫だ。東インド会社本社もここにあって交易は盛んだったのだ。印象に残った絵は、『小路』と『ワイングラスを持つ娘』そして『手紙を書く婦人と召使い』。【写真は一部パンフレット、絵葉書から】
隣の西洋美術館ではデンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)展200811291630000
が開催中だ・・・。

追記 フェルメールと贋作者ハン・ファン・メーヘレンについて2015年1月11日(日)のBS朝日で滝川クリテルがオランダの彼らに関係の深い美術館などを訪ねる番組を観た。以前から贋作については読んだり聞いたりはしていたはずだが、忘れていたらしい。今回この番組を観て贋作者の全貌とテクニックの素晴らしさがはっきり分かったと同時に、贋作の真相やナチスとの関連性も理解できた。面白かった。(2015.1.13  記)

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クロカル超人が行く 98 京都 永観堂の紅葉

クロカル超人が行く 98<br />
  永観堂
クロカル超人が行く 98<br />
  永観堂
クロカル超人が行く 98<br />
  永観堂
クロカル超人が行く 98<br />
  永観堂
古の都京都。晩秋。東山の永観堂禅林寺の紅葉。拝観料1000円!10年前に観た紅葉とは―。色彩が確かに落ちている。人は一杯。11月だけで20万人とか。

今は昔紅葉狩りには葉の景色
境内は人の数珠か紅葉笑み

追記。毎日新聞12月3日の夕刊にこんな句を見つけた。
裏を見せ表を見せて散るもみぢ  良寛

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クロカル超人が行く 97 大阪北新地『エデンの東』

クロカル超人が行く   北新地
 ジョン・スタインベック原作エリア・カザン監督『エデンの東 East of Eden』。繊細な表現力で一躍スターに躍り出たジェームス・デイーン主演映画の名作―あの月明かりの夜に屋根を歩くシーンが今以て焼きついている―の題名に綾かってつけたという店の名前。優しく柔らかく彩られた空間、それが大阪北新地にある『エデンの東』である。店主はミュージカルインストラメントをいとも簡単に操る名人、以前はエレキギター、今はピアノしかもこの日はショパンの「別れの曲」を弾いていたのだ。ちょっとその前に美人の若い女性がアコーディオンを奏でていた。あれっ、“コバ”ちゃんかとその音色だけを聴けば間違えるほど音に華があったのだ。それよりも先週TBS(毎日放送)の番組「ウルルン滞在記」の後番組(依頼人から受けたものを芸能人がポストマンになって世界中に届ける番組)で見たルーマニアのロマ(ジプシー、このユダヤ人たちは楽器を操る名人)の80歳を過ぎたおばあさんの使い古されたアコーディオンの色と心に響く声量に魅せられ、暫し茫然とさせられた。特にヴィンテージものの茶褐色のアコーディオンが出色だった。
時折11月20日の解禁後のボジョレー・ヌーボーをこの店で味わってきたが、今年は仕事が忙しかったこともあってかありつけなかった。すでに店のラブメールで告知されて知ってはいたのだが・・・。いつだったか同じラブメールでこんなふうに語っていたことがあった。今日はマスターの誕生日です。奮ってご来店をお待ちしております、といたって簡単なメッセージ。送り主を読むと何とママその女性(ひと)からだった。優しさとビジネスがシンクロナイズしている真夜中のラブメールだ。でも客として行けば何か特典があるのかとついガメツクなるのだ。想えばこの店とは兎我野町にあった頃からのお付き合いだ。その当時は沖縄出身の姉妹(?)がいてほそぼそと経営していたようにみえた。が、今や北新地に移り、大きくしかも歌手の卵を抱えたセミプロもいたり、ふくよかな女性もいたりしてバラエティーに富んでいる。オモロイのだ。カウンター席にいつものH氏と座った。久し振りに座が盛り上がった。水割りの焼酎にウィスキーの水割りそれにレーズンバター、会話は夜の浪花を弾ませた。皆高笑いだ。この店に入る前に妙なジョークが過っていたのだった。ドバイでグットバイだと―。H氏の顔が一瞬見えなくなった。他の席は何社かの男性客で一杯だった。時間はたっぷりあると思っていたら、例の高笑いするほど笑いのサービスをしてたら時間がなくなってしまった。
いつの間にか大勢いた客が退けた。カラオケの音も止んだ。店主のピアノの弾く音だけが店内に心地よく響いていた・・・。
『エデンの東』は大阪北新地の高級飲食店のなかでは良心的でリーズナブルな店だ。
住所:大阪市北区曽根崎新地1-6-28 第2三貴ビル2階 TEL:06-6345-1248

逝く秋やエデンは西へ舵を取り

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超人の面白読書 46 『源氏物語』の冒頭を読む

 今年は源氏物語千年紀。新聞でドナルド・キーン氏が戦争中にアーサー・ウェリー訳の『源氏物語』に出会った話に刺激されて少しでも原文に触れてみようと考えた次第。実は今年前半に何訳でもいいからが読んでみようと考えていたのだ。少なくとも6月頃までは。で、文庫本も買い込んでいた。新聞記事も何社か押さえていたのだ。しかし仕事に大きな変化があって時間が取れず、ついこの時期になってしまったというわけだ。要は怠けたのだった。ところで、ドナルド・キーン氏は60年ぶりに大統領選挙で実際に投票(郵送)し、人種差別撤廃を願うオバマ氏に入れた由。60年ぶり―。
それでは有名な冒頭のところ。

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬがすぐれてときめき給ふ有けり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方ゞ、めざましき物におとしめそねみ給ふ。同じ程、それよりげらうの更衣たちはまして安からず。朝夕の宮仕えにつけても人の心をのみ動かし、うらみを負ふ積もりにやありけむ、いとあづしくなりゆき物心ぼそげに里がちなるを、いよゝあかずあはれなる物に思ほして、人の謗りをもえ憚らせ給はず、世のためしにも成ぬべき御もてなしなり。
 上達部、上人などもあいなく目を側めつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり、唐土にもかゝることの起こりにこそ世も乱れあしかりけれ、とやうゝ天の下にもあぢきなう人のもてなやみ種に成て、楊貴妃のためしも引出でつべくなり行に、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひ給ふ。      (岩波書店刊『新日本古典文学大系 源氏物語一』 <桐壺>冒頭より)


久しぶりの本当に久しぶりの古文、まさしく別世界である。何というか口語のざわざわ感がないのだ。このつづきはのちほど。

さて、与謝野晶子訳ではどうか―。

 どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃むところがあって
宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焔をもやさないわけもなかった。夜の御殿の宿直所から退る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目には見耳に聞いて口惜がらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるというご様子で、人が何と批評をしようともそれにご遠慮などというものがおできにならない。御成徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなこともなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたという態度をとるほどの御寵愛ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと陰ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩いだとされるに至った。馬嵬の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。(与謝野晶子訳『全訳 源氏物語一』新装版 2008年4月 角川文庫刊)

わが十二ものゝ哀れを知りがほに読みたる源氏枕の草紙  晶子 「二六新報」明治44.6.20
 
追記。関西学院大学図書館のウィンドウに陳列されていたアーサー・ウェリー訳の源氏物語(2008年11月28日 記)。
200811281449000

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超人の面白ラーメン紀行 100 横浜市戸塚区『支那そばや』

超人の面白ラーメン紀行 100

 超人の面白ラーメン紀行も記念の100軒目。その100軒目の店は横浜市戸塚区の『支那そばや』。この店はカウンター8席、テーブル8席の計16席のシックな店。店はまだ開店(2008年11月1日オープン)して日が浅いが、テレビや新横浜ラーメン博物館などで有名な支那そばの伝道師佐野実氏の店である。あるエリア新聞の人欄によると、鵠沼の本店を閉めて3年、満を持しての地元戸塚での開店らしい。今後はここを本店とするみたい。このあたりはおにぎり・お茶漬け屋や旅館『丁子家』があったところ。今戸塚駅西口周辺は再開発中で新旧交代の真っ只中、新しい店もちらほら。
最初筆者は醤油ラーメンを頼んだ(850円)。ところが、セルフ式なのも珍しいがコップに水を入れてカウンターの右端に座ろうとしたら、カウンターの前にチャーシューが何本も並べてあるではないか。これを食べない手はないなと思い、チャーシュー(200円)を追加、合計1050円の醤油チャーシューラーメンにしたのだ。あっさり系のスープ(名古屋コーチン鶏ガラ使用とか)、自家製麺のストレート系麺、刻んだ葱、メンマ、海苔それに柔らかいチャーシューが3枚乗ったこだわりのラーメン、否、支那そばである。また、どんぶりにもこだわっていて、見た目や手触りが楽しめるのだ。一応完食。量は少なめ、麺は柔らか。スタッフは5名。時間帯なのか満席ではなかった。今注目の支那そばの店だろう。
営業は午前11時〜午後7時。スープがなくなり次第閉店。休み未定。電話045-827-3739。
支那そばや』1.スープ★★☆2.麺★★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★☆5.価格★★ 
 
100軒目木枯しの麺懐しき

追記 佐野実監修 冬限定 四万十ぶしゅんかん抽出オイル使用 『明星塩らあ麺』を食べた。偶然コンビニで見つけて。熱湯4分が仕事中で5分経っての試食、麺が癖がなく上品。塩味なので物足りなさはあるが―。(2014.1.10 記)

追記2 『支那そばや』を再訪。主が亡くなって3ヶ月、客入りはまあまあ。前回同様醤油ラーメンを注文した。コクが気持ち足りなかった感じだ。この辺は再開発もほぼ終え、後は長年の夢である地下道の完成を待つばかり。(2014.7.13 記)

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超人のドキッとする絵画 15 岡本太郎の壁画

超人の面白絵画 岡本太郎の壁画
超人の面白絵画 岡本太郎の壁画
岡本太郎渾身の壁画。メキシコで行方不明の壁画が発見され日本に帰還。愛媛の篤志家の手で修復作業を無事終え、京王井の頭線渋谷駅近くのコンコースの壁に飾られた。意外に若者の間で関心を集めていた。以前から気にかけていた絵だ。圧巻、鮮やか。その赤、太い線・・・。パチリと捕えたが納まり切れず。そしてこの2枚。タイトルは?広島の原爆にインスピレーションを得た『明日の神話』だ。

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超人の面白ラーメン紀行 99 世田谷区『アイバンラーメン』

超人の面白ラーメン紀行
ひらがな新聞(ひらがな表記を中心に日本語と英語の新聞)。創刊号から購読していたが、いつしか止めていた小さな新聞だ。日本語を学ぶ外国人のためのものだが日本人にも英語上達には役立つ代物。過日それをネットから取り込んで読んだとき妙な感動があった。月並みで言えば、へぇ、まだやってるんだ―。
その新聞に今回登場の「アイバンラーメン」の経営者アイバン氏のインタビュー記事が載っていた。日付は去年の10月某日、なかなか興味深い。実はニューヨークでシェフをしていた人がラーメン店を開いて行列ができていると教えくれたのは家人。日本に来る飛行機のなかで観た伊丹十三監督の映画「タンポポ」がラーメン店を開くきっかけとか。家人はフジテレビで放映しているのを観たらしい。三鷹、三鷹と言うので捜すもない、諦めてネット検索、みたかではなく、ろかこうえんだった。三鷹で芦花、講演、なんちゃって。
本日二度目の来店である。正確に言えば、昼食にラーメンと考えてのことだったが、生憎開いてなかった。午後5時半からと貼紙がしてあって引き返すことにしたのだ。あといつ来るかと仕事の合間に考えた挙げ句、そうだ、芦花公園へ行こうと思い至ったのだ。 6時近くに店に入った。あれっ、アメリカ人がいない、いるのは男3人、黒の仕事着にアイバンラーメンの白い文字がチラチラと見える。これではいつものそこらそんじょのラーメン屋じゃないか。ともかく10席の左端に座った。塩ラーメン(800円)か醤油ラーメン(800円)か迷ったが、結局醤油チャーシューラーメン(1000円)を頼んだ。
美味。さっぱり系。太いメンマと刻み葱少々のトッピング。ストレート系極細麺。余り黄色っぽくないのだ。自家製麺だ。チャーシューは厚手で柔らかボリューム感たっぷり。釣り針状の白いどんぶりに受け皿付き。流石レストラン風。完食である。オーストラリア産缶ビールのCastlemaine(400円)もまあまあの味。いやにバックグラウンドのジャズボーカルの声が響く中、一瞬外国かなと思わせるトイレ付近の臭いが印象的だ。このコーナーはもしかしてニューヨークスタイル―。さて、スープ。鰹出汁と鶏ガラのミックス、醤油もこだわりがある。しつこくなく妙に醤油醤油していない。あくまでもベタベタした感じではなく距離感があるのだ。オイシイ。少し厨房に顔を出したアイバン氏、スタッフによれば奥で雑誌の撮影中とか。厚かましくも呼んでもらった。このRAMEN店主は気さくだった。近くエッセイを出すと自らややコンパクトな見本をカウンター越しに見せてくれた(リトルモア社)。次は英文で書いてみたいと言っていた。40代?シェフ笑顔がチャーミングだ。そして店を出た。あっ、この味、あの音羽の『ちゃぶ屋本店』の味―かな。
 それから2時間後、帰宅直ぐの家人の話。「アイバンラーメン」、先ほどフジテレビでやっていたよ。またー。今度は味噌ラーメンを出すらしい。そう言えば、今日初めて来た中年の男性は味噌ラーメンを注文していた・・・。
東京都世田谷区南烏山3-24-7 TEL:03-6750-5540 営業時間月〜土17:30〜22:30 日11:30〜17:30 定休日水曜日/第四火曜日 最寄の駅は京王線芦花公園徒歩3分 www.ivanramen.com
世田谷区『アイバンラーメンIVAN RAMEN』スープ★★★麺★★☆トッピング★★☆接客・雰囲気★★価格★★☆


「タンポポ」や濾過したスープに行き渡り

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ミシュランガイド東京2009

『ミシュランガイド東京2009年版』が11月21日に発売される。前回2008年度版は初めての出来事また、ものめずらしさも手伝ってか30万部も売れたそうだ。先行しているニューヨークでさえ12万部なので関心の度合いが解るというものだ。人口規模や嗜好が元々違うので一概には言えないが。今回は191の★印の店(因みに前回は150)でパリの2倍の数らしい。今度は6人の日本人と1人のヨーロッパ人で調査員を構成、レイアウト他日本人読者を更に意識したとはミシュラン日本支社のジャン・ルック・ナレ部長。評価対象は、product quolity, preparation and flavors, cuisine personality,value for money, and consistencyだ。それにしても書店からの予約注文が80万部あるそうで、デッドストックを出したくなく30万部出荷が限界だという。ボジョレー・ヌーボーみたいな年間行事にしたいと意気込んでいる。因みに筆者はまだ★印の店に一軒も行っていないのだ。いつだったかの夕刊紙にミシュランの★印から解放されたくて閉店してしまったフランスの片田舎のオーナーシェフの話が載っていた。重圧だったらしい。で、定食屋を今は経営している。
さて、どうなる、年末前の恒例行事になるか見守りたいところだ。それにしてもB級料理ばかり追ってないで、たまには★印の店を訪ねるか・・・。
英文週刊紙「The Japan Times Weekly」 Nov.15,2008の記事から。

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2008年黄金の秋

黄金の秋

娘よ 黄金の秋を見よ
太陽が落ちる
海はまだ凪
空は茜色
聞こえるのは晩秋の音
娘よ 屹立だ

魂は洪水だらけ
救済のない旅

人間たちの愚かな
仕草が新たな洪水を引き起こして
魂は宇宙まで真っ逆さまに落ちていくよう

娘よ 黄金色に染まった秋を見よ
あなたの内なる叫びは乾いた水の
その一滴

探そう そうすれば独りで生きられるのだ
幸せが見つかるのだ

蛇口に無理やり口を
近づけて飲んだ

おいしかった?

(モ・チ・ロ・ン・ヲ)

娘よ 黄金の秋を見よ
まだまだ
娘よ
あなたの“弟”や“妹”もいる
しかも産声を上げたばかり
名前は
“オーネスト・ジョン”

“ハートフル・アン”

娘よ 黄金の秋に語れ

wuuhu wuuhu
aaha aaha

acchi

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超人の面白読書 45 アメリカの雑誌「A PUBLIC SPACE」第6号・最新号から

 ニューヨーク生まれの文芸誌最新号(第6号)にLETTERS HOME というタイトルでコリーン・キンダーがアイスランドのことを書いている。オモシロイ。筆者は谷川俊太郎の詩集『定義』を思い出す。少し前にレベッカ・ソルニット氏のアイスランド報告の私訳を試みたが、この作家も同じ時期にアイスランドに滞在、ビョルクのフリーコンサートを見ているのだ。で、また電車の中で携帯メールを使って私的翻訳。

アイスランドを定義する

明るい―午後11時36分のレイキャビーク上空をどう描こうか。

リンダルガータ通り―私が住んでいる通りの名前。(住まないのが嬉しい通りの名前。スコラヴォドゥストゥグル、グノダルヴォグル、グレダルボルガルスティグル)

虫たち―土地固有のものではない。意味。1.ベッドでお菓子を食べる許可。2.移動用のゴミ箱の上の寛大さ。3.シャーロットやインターネットもなし。

明るくピンク色―12時30分の空をどう描こうか。
その時私は歯を磨き、空を眺め、自然の母が箒に乗って飛んでくるかどうかを思うのだ。

ヴァイキング料理」―発酵させたサメ、干したニシン、塩漬けのタラ、血のように赤いソーセージ。地元の料理を味見しようとするときは余りいい兆候ではないのだ。地元の人がカメラ付携帯電話を取り出す。www.tinypic.com/player.php?v=2hn40sp&=3.

ヴァイキング料理の夕食の値段はノーシーで91ドル。

フィヨルド―アイスランドで絶えず聞かれる言葉。辞書で絶えず一瞥できると聞かれるときの言葉。フィヨルド。岩壁と急坂の間にある海の狭い入り江。

フィヨルドのような―アイスランドの海岸線。

ビョルク―スポンサー。国の十分の一の人が出席した先週あったフリーコンサートのシンガー。

明るく白い―午前4時に毎日ベッドから私を愚かにする光。

スタイル―ゲートル、飛行士のサングラス、スカーフ、革のブーツ、イヤリング、滅多にないがたくさんのアイシャドー、マント。

公衆浴場―アイスランドで私自身ずっと閉じ込められ続けたこと。言葉が話せない外国の公衆浴場に閉じ込められると、すぐにパニックになる(鍵をがらがら鳴らせ、ドアを引け、助けてと叫ぶことを考えよ)私にはこんなことがたまたま3度起きたのだ。事実3度だけ閉じ込められていない。他の鍵を軽く叩くことで、更に静かにするとドアが開くのに気づく。ドアが私のために開く。歩き出ること。公衆に向かって。はーい。

電話帳―ファーストネームでリスト化。

何故―ここでは名字はただ単に父の名前だ。例えば、Molly Kinderは、Molly Drewsdottir(Drew's daughter)、Bushは、Georg Georgsonのようにだ。

推薦読書―電話帳。特にアイスランドに住んでいるアメリカ人を探すとすると。インジビョルクスやグドュムンデュルスの長い記事の間に一人のフランクという名前がまっすぐに目に飛び込む。

フランク―96才のアイスランドに住んでいるアメリカ人。1941年軍艦に乗船していたときでも、彼はブルーインディゴという行き先のコードの名前だけ告げられたのだ。

ブルーインディゴ―私が容易く眠り込んでしまう色。
ニィクイル―私が公園通りと28丁目のコンビニで購入したのをはっきりと覚えているもの。

ニィクイル―荷物のどこにも見付けだせないもの。

夏のベッド―3年生のときに毎日暗記し、使うのに20年も待ったロバート・ルーイス・スチーブンソンの詩。
www.lone-star.net/mall/literature/rls/BedinSummer.htm

ニィクイル―私が最近飲み込むことについて夢見るもの。2冊のエメラルドグリーンの水なしのメモ帳。

ニィクイルの夢の意味―私は眠り込んでしまった。

コリーン・キンダー氏はニューヨーク州バッファロー出身。2003年イェール大卒。1年間キューバに住む。著書『Delaying the real world』。

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超人のジャーナリスト・アイ 97 あるジャーナリストの死 元テレビキャスター筑紫哲也

 ジャーナリストの筑紫哲也氏が先週の金曜日に肺癌で亡くなった。享年73才。ハイライトとマーブロを愛した愛煙家だった。棺には取材ノートなどは入れたが、タバコ関係は夫人の計らいでお法度だったとスポーツ紙が報じた。彼は政治、経済、外交、社会、文化や芸能に至るまで幅広い活動をしたマルチジャーナリストだった。同じ新聞記者出身のテレビキャスター鳥越氏は、朝日新聞記者(1959年入社、政治部記者、沖縄返還交渉取材、ニューヨーク特派員時はウォーター事件取材などで活躍)、雑誌「朝日ジャーナル」編集長、テレビキャスターと同じような道(因みに、鳥越氏は毎日新聞記者、サンデー毎日編集長、テレビキャスター)を辿った人は筑紫さんただ一人だったと語っていた。また、元日経新聞記者で早稲田大学教授の田勢氏は政治部時代を回想して同じところで隣り合わせ、群れずひょうひょうとしていたと語っている。白髪で甘いマスク、ソフトな語り口と笑顔、鋭い切れ味などある意味ではスター的な存在だった。TBSのニュース番組「NEWS 23」の“多事争論”では世相を短い時間で斬っていて小気味が良かった。今日はこんなところで、と筑紫さんの名文句で番組が終了していたが、目指したのは活字の映像化だろうか。しかしオーム真理教報道問題では苦い経験をしたのだ。「朝日ジャーナル 」編集長時代の時代を読む企画、インタビューなど印象深い。合掌。

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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 23 最終章

 メディアサーカス、投票、基金上昇、競争的な要求、プラカード、討論、スキャンダルはなく、もちろん選挙運動や選挙もない。単純な問題として見せかけの野党の中でさえ立候補することに誰もが煩わせたくなかった。選挙はなかったが、アイスランドの環境問題に目覚めさせる目的をもった、ビョルクと新しい国際的なスーパースターのシグル・ロスをフィーチャーリングしたフリーのコンサートがあった。私は組織者が呼んでいた“エココンサート”は、一種の今時のAlthingアルシング的情熱や約束をという沸き立ちを引き起こしたか、少なくとも結果的には草の根的な反体制活動を打ち上げたはずだ。事実アイスランドの人口の十分の一ほどの3万人が気温華氏45度の黄金の夏の夜のレイキャビークの公園に集った。音楽特にシグル・ロスの荘厳で妙なうねり歩きは壮観だった。洪水に襲われてしまった巣で苦しむ鳥たちのイメージが巨大スクリーンに映し出されるようになっているが、ビョルクが自分の唄を激しく唄った後に独立をしよう、ナトゥーラ、ナトゥーラ、ナトゥーラ、ナトゥーラ、ネイチャー、ネイチャー、ネイチャー、ネイチャーと歌うまさに最後まで、誰も環境のことを口にしていなかった。コンサートだけだった。翌朝このイベントを手伝ったマグナソン氏のところに駆け込んだ。環境についてのコンサートなのになぜ誰も環境、政治、民主主義、ダム、人々が違いを示す行動について口にしないのかと質問した。彼らは説教したくなかったとはっきり言った。それは世界で最も合理的なことだったかのようにだ。

筆者のレベッカ・ソルニット氏はサンフランシスコ在住の環境ジャーナリスト。最新作は『Storming the Gates of Paradise』 。

追記。歌手のビョルクは帝王切開で女子を出産したとラジオで聴いた。また、執筆者のレベッカ・ソルニット氏の翻訳本『災害ユートピア』は、2010年に高月園子訳で亜紀書房から刊行されている。2012年1月9日 記。

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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカ大統領選雑感

 アメリカ大統領選挙は、大方の予想通り民主党のオバマ氏が共和党のマケイン氏を敗って黒人初の大統領になった。同時に行われた議会選挙では民主党が躍進、やはり共和党のブッシュ政権に嫌気がさした証左だろう。今やアメリカは病んでいるが、これを再生させるには並大抵ではあるまい。経済の長期低迷が懸念され、また、医療などの社会基盤整備も緊急の課題だ。やはり戦争は止めたほうがいい。もうすでにオバマ次期政権は、いろいろと打開策を打ち出し始めているが道のりは遠いはず。しかしいち早く成果を出して人気も不動のものにしたいのも事実だろう。ここ一週間はこの話題に事欠かないが、オバマ氏のルーツ、ケニアでは大統領当選を記念して6日は祭日だとか。一方、小学生時代を過ごしたインドネシアではイスラム圏との関係改善を期待する声が上がっているとマスコミは報じている。果たして47才の若き政治家は舵を「CHANGE 変革」に切ったが、波は、風は、そして方向は?大海原をオバマ丸は進水したのだ。暗殺説も飛びかうが勇気をもってビジョンとリーダーシップを発揮してほしいものだ。次期政権での日米関係は中国の躍進で日本に向ける目は厳しいとは関係者の話。翻って日本、全国紙の一面トップの見出しが踊った。消費税18%だと、この、何考えてんの!その前に議員の数、官僚の天下り、無策の公務員を減らすことなど実行することだと思うのだ。それにしてもアメリカの大統領選では民主主義の原点を見せつけられる政治の祭りだが、リンカーンの言葉、“人民の、人民による、人民のための政治”がここでも力強い。アトランタの106才の女性が1票を投じていたことが一番印象的とオバマ次期大統領。政治的課題は難問揃い。経済の立て直し、エネルギー問題、平和、環境、人種差別、教育もそうだ、“Yes,we can.”。言葉のだけではなく、いかに実行するかが問われている。

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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 22

 アイスランド人は問題に気づいているが、解決できないようだ。夢の国で。アイスランドの2006年のベストセラー『ドリームランド 恐怖国家ための自己救済マニュアル』の著者、アンドリ・スナイル・マグナソン氏は書いている。アイスランドの偉大な自然の財宝はここ10年間森林の開墾で売り出されていたと言っても過言ではない。国家が何を売り出すのか過去に説明がなされないでいたのだ。不思議なほど受身的に聞こえる人々にあって、この文章はアイスランド人が力強く説明を要求してこなかったと書き直すはずだった。レイキャビークの繁華街のアナーキストが集まるカフェでマグナソン氏が私に言った。アイスランドは歴史の終焉の時代に住んでいたのだ。ダムや精錬工場の計画が満足を打ち裂いたまでは。80年代の後半や90年代の前半にビョルクはアイスランドの超有名人輸出者第1号になった。誰もが植林に加わり、漁業はよく管理されたようだ。そして国は世界で初めての人民支配の大統領、ヴィグディス・フィンボガドッティル氏を選んだ。しかし矛盾に満ちた国家は続かなかった。アイスランドの場所に対する固執は金持ちになることの幻想と相容れない。反撃することは誰にも容易いことではないのだ。ヴァイキングの遺産について話すが、居住者の半分は奴隷だったいう事実を常に端折っているとマグナソン氏は冗談を言った。私たちはビジネスマンとヴァイキング精神について話したが私たちもまた、奴隷の精神を持ち合わせているのだ。

 オラフル・ラグナル・グリムソン氏がアイスランド大統領の第4期目を獲得した日、太陽は6月28日いつものようにレイキャビーク上に登った。その日は真夜中の日没と白夜のあとは3時間足らずだった。

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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 21

 アイスランド人に耳を傾けると、私は過去に語られたお伽噺を聞いているように感じた。そのお伽噺には大きな贈与権や生存権を所有していなかった。まず最初に魚を獲る権利が民営化され、魚は譲渡しうる商品になり、小さな海岸の村は衰え始めた。その後1998年に国の医学的な統計と全ての家系的な記録が―有名だが馬鹿げている―一民間企業に売られた。この均一的な人口の近親的家系の秘密を研究することで生まれる発見、そこからその民間企業は利益を導く排他的な権利を守ったのだ。同時に、荒地、少なくともその大塊は、アルコアの精錬の安価な電力を生産するために犠牲にされた。他の川はそのあとすぐに提供された。民営化と黙従の悲劇である。

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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 20

 世界で最も美しい場所だと彼は語った。多くのアイスランド人が自分たちの田舎を持ちたい願望に再び燃えていた。ダムの背後の谷にいる農民は、自分たちの土地と隣人がなくなってしまうことを恐れた。成功しなくともどんな法的手段を講じても建設を阻止しようとした。だから彼らはさらに直接的なアプローチを取ることに決めたのだ。指定された夜、200人以上の市民が建設現場に集まった。何人かは土のダムの中に穴を掘るためトラクターを動かし、他の人はその穴にダイナマイトを置いた。第三のグループはダイナマイトを爆発させた。人々はそこにいたが、彼らが吹き飛ばした、とクリスチャンソン氏。彼らが吹き飛ばしたんだ。
 私は後でこの事件を読んだとき、結果が更に驚くべきことになることさえ分った。誰もが自分の行動に誇りを持つ公聴会からのドキュメント事件と雑誌「Environmental Review」の1981年の記事でハラルドュル・オラクソン氏がリポートしている。インタビューや他の情報源から私は起訴された多くは裁かれたグループのなかにいたはずと思う。65人しか罰金が科せられなかった。最高裁は極端に罰金そのものすら破棄したのだ。参加者の一人は他の記者に語った。私たちはノーベル平和賞もらうべきだった。人間と自然の平和を再構築するノーベルの発明したものを使ったのだから。

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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 19

 アイスランドの伝統的な政治の前向きさは、民主主義とは市民支配のことだということでわかる。その仮説を思い出した。アイスランド共和国には人々が独りで自治的な権力を保持すべきという伝統があるのだ。この黄金の過去は、現在の状態とは鋭い対照をなすが、その状態は民主主義の模索のなかで何とか切り抜けてきたと書ける。アイスランドの統治システムは、現代の民主主義の国々の立場と似て、相当厄介で複雑化したために政治的調整が必要になってきている。
 私は何が起こったのか彼に質問をしてみた。店で首相と会いましょう、と彼が言った。大臣、大統領だよ、大統領とアポを取って下さい。しかし同時に、統治する社会では市民に勇気がないのだ。立ち上がって本当のことを話してくれる人々がいない。それは素早い行動を起こすことで解消された。アルミニウム会社、国際的な投資家、アイスランドの新興富裕層からだ。1000年の民主主義の伝統をもつ魅力的な島国でさえ、市民が失敗させられるところはどこでも間接民主主義も失敗するということだ。
 クリスチャンソンは、二つのケースを指摘した。一つは、25年前に行ったことだ。政府が過剰な漁業からアイスランドの海を建前で保護するために、割り当て数量漁業システムに分離したこと。これは良いアイディアのようにみえた。魚貯蔵庫が本当に空になってしまったのだ。しかし政府もまた、民営化についてははやりのアイディアに流された。船主たちは最近の漁獲を基に割り当て数量を与えれたが、それらの割り当て数量は売られてひどくなってしまったはず。だから大きなトロール船主が許可証を集め始め、小さい漁民は除外され始めた。アイスランドの世襲制で最も豊かな何世紀ものの財産である魚は、個人の繁栄になり、村自体が消滅に直面した。現在スティッキショルムルのような古い漁業の町にたくさんのボートが浮かんでいる。それらのボートの窓にある許可証の列は1990年代以来リニューアルしていない。割り当て数量を持っている人たちはそれを売り引っ越してしまうのだ、とクリスチャンソン氏は言うのだ。記憶が蘇った。彼の父もまた漁民だった。そして裏切り者のように急落を見たのだ。
 それからクリスチャンソン氏が、変革を扱う比較的古いが積極的なアプローチについて私に話してくれた。1970年政府はラクサ川にダムを造ることを決定した。


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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 18

 前のオラフル・グリムソン氏のようにスバヌル・クリスチャンセン氏はアイスランド大学の政治学の教授である。グリムソン氏の焦点は権力の理論に関してだったけれども、クリスチャンセン氏は自分たちの国を含めて、たいていのところでは実践が理想的ではないことに気づくという意味の民主主義の理論を専門にしてきた。クリスチャンセン氏は顔には皺、髪は金髪で哀しげな眼と1970年代にイリノイ大学アーバナ-シャンパン校で磨いた英語があった。あまりきれいで現代的なキャンパスの、本が積まれた研究室で会ったとき、彼はアイスランドにとって小さなことでは何もできなかったと私に話してくれた。事実彼は雑誌「スカンジナビアン ポリテカル スタディズ」の中の2004年の論文で言及した。

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超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 17

 モリスのガイドが見せてくれたのは今は肥料の貯蔵に使われている国会議事堂だ。さあ、皆さん、教えましょう。私たちの現在の国会議事堂は一ヶ所で収容するのは無理なんです、全部の人が私たちの議会なんですから、と彼は説明する。他の惑星人である皆さんは、政府と呼ぶものはもはや何もないと言えば皆さんは驚くに違いない。ガイドはその時冗談を飛ばす。この国の政治というのは、18世紀自然史の短い章にアイスランドに昔蛇がいたということの話しと通じるんですよ。アイスランドには蛇はいない。
 モリスのユートピアにおいては誰もが統治に参加する。誰もが政治家ではないのだ。間接民主主義よりむしろ直接民主主義の手法だ。それは熱望的に約束された市民社会の存在を必要することだけの幻想的な考えだ。そのような直接民主主義はスペイン内戦時のロイヤリストよって展開されてきた。1994年のメキシコ政府から撤退し、それ以来チパス州を自治してきたザパティスタスによって。また、ボリビアのレガンテスのような伝統的な農民文化によって。1999年のシアトルWTO封鎖以来少なくとも企業のグローバル化に反対して直接行動する運動の多くによって。私はアイスランドはあるいはアメリカの問題として直接民主主義を備えていることを議論するためだけではなく、これが民主主義だということを示すスローガンとして思い出させるためにもモリスの考えを取り上げたのだ。
私が去年遅く尋ねたザパティスタ村の看板には、「ここは人々が治めそしてそれに従う」と書かれていた。アイスランドには多くの間接民主主義の国々のように請求権がないのは真実だ。

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