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超人の面白読書 31 戦後文学の傑作・梅崎春生著 『幻化』

031 筆者は10月のある日東京駅近くの書店で何気なく『三田文学』(秋季号)を捲っていた。その雑誌は「昭和文学ベストテン」の特集を組んでいて、作家や編集者がアンケートに答えている。そのベスト4は大岡昇平『野火』、遠藤周作『沈黙』、島尾敏男『死の刺』それに梅崎春生『幻化』だった。意外にも若手作家のものがないのに驚いていたら、毎日新聞の文芸批評(2007年10月29日夕刊)で川村湊が同じような感想を書いていた。それで筆者はまだ読んでいなかったその中の一つ、梅崎春生『幻化』を図書館から借りて読んだ。途中からはネットで入手した新潮文庫に替えたが(定価200円だが絶版。古本で900円)。
 梅崎春生著『幻化』は不思議な中編小説である。現実と虚構が見境つかないほど入り組んでいる。ぼうっとしながら現実世界を彷徨っている。しかも死を意識した主人公が、過去の出来事と向き合っては避ける、というふうにジグザグに歩いている。死の予感と生への不安そして虚無感―。
あらすじはこうだ。主人公の五郎は東京の精神病院を抜け出し飛行機で鹿児島に降り立つ。途中飛行機で隣り合わせた映画関係の自殺願望の強いセールスマンと知り合う。20年前の戦争時に通信兵だった五郎は、それから坊津、熊本、阿蘇と戦争当時仲間の死に直面したことなどを回想しながら一人思い出の地を尋ね歩く。ときに行きずりの女、子どもや大人たちとも会話を交して。そうして現実と虚構の世界を織り交ぜた物語は後半部分、阿蘇山行きの電車の中で主人公、五郎が映画関係者のセールスマンと再会する。彼は五郎と阿蘇山火口を一周後に飛び込むかどうかについて賭けをする。話が成立するやセールスマンは歩き始めるが、その足取りはふらふら、それを備え付けの有料望遠鏡で覗き込んで確かめている五郎。「しっかり歩け、元気だして歩け」と叫ぶ。ここでこの物語は終わる。筆者はこの短い作品を2週間ばかりかけて所々休んでは再開しながら読み終えたのだ。しかし途切れ途切れだったが、情景は鮮やかに覚えていてすぐ次の行から入れる不思議さがこの小説にはあった。
愚問ではあるが、はて、このあとを続けるとしたらどんな言葉が入るか・・・。ここは読者の想像に任せてやはり余韻で終わろう。
この小説は現実と非現実が入子構造的に構成されている。現在形で書かれた短い文章、会話そして絵画的な描写と閑かな南国の場所と風景、やや生きるのに欠いた、飲んだくれの中年の呟きや独白(これが妙)―それらはこの戦後派作家が書かなければならなかった戦争体験とその愚劣さ、それに虚無感を浮き彫りにさせるに充分な表現手段だ。作家・梅崎春生はその奥に生の根源的な問いをこの短篇で書き上げ、しばらくして肝硬変で逝った。享年50歳。若過ぎた死だ。すでに40歳頃から体調に不調を兆していたらしい。『幻化』は通常げんけと読み、万物は皆幻のごとく変化するとの意味でこの小説の題はそこから取られている。坊津(現南さつま市)には氏の文学営為を讃えた碑が建てられていて、それには「人生 幻化に似たり 梅崎春生」と書かれているという。(新潮文庫『幻化』解説より)文庫版で153ページの短編。やはり戦後文学の名作の一つである。他に『桜島』、『日の果て』、『庭の眺め』、『空の下』、『凡人凡語』、『ボロ家の春秋』、『砂時計』、『狂い凧』、『仮象』等々。
椎名麟三、武田泰淳、埴谷雄高、野間宏などと戦後派作家に属する。年譜を読んで気付いたことだが、昭和22年から昭和32年まで梅崎春生は東京新聞を中心に文芸時評を断続的に担当していたとある。これは興味深い。一度読んでみたい。

『幻化』の出だしの数行を書き写しておこう。

  五郎は背を伸ばして、下界を見た。やはり灰白色の雲海だけである。雲の層に厚薄があるらしく、時々それがちぎれて、納豆の糸を引いたような切れ目から、丘や雑木林や畠や人家などが見える。しかしすぐ雲が来て、見えなくなる。機の高度は、五百メートルくらいだろう。見下ろした農家の大きさから推定出来る。
  五郎は視線を右のエンジンに移した。
<まだ這っているな>
と思う。

(新潮文庫『幻化』昭和49年4月30日2刷刊より)

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