クロカル超人が行く 223 泉岳寺

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泉岳寺といえば赤穂義士の墓がある寺で有名である。忠臣蔵とか赤穂浪士とか呼ばれて日本では歌舞伎、講談、小説、芝居や映画などで昔から親しまれてきた。1964年のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」は、豪華キャストを配して高視聴率を獲得した。筆者などは今でも討ち入りのシーンや吉良邸それに大石内蔵助をはじめ四七士の“活躍”の場面が目に浮かぶ。

筆者が訪ねた日、泉岳寺は静かに佇んでいた。義士の墓には線香が絶えず墓参りの多さを感じさせた。やはりここでもアジア系のカップルや家族の姿があった。なぜに受ける赤穂浪士、この時期になるといつも考えさせられる問題だ。そうして、まもなく12月14日がやって来る。

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クロカル超人が行く 222 京都点景 夕暮れ・夜 2018 晩秋

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【写真: ①京都大学時計台下、名物の立看板が消えていた! 小綺麗になったが少し寂しい ②③④南座、発祥400年新会場記念公演中 ⑤スウェーデンの蒸留酒アクアビット 「スコーネ」】

秋は幻(げん)
鏡台に映る
タテカンバン


晩秋に
コトノハ落ちる
GION街


せめて一度
歌舞伎に触れたい
京の夜

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クロカル超人が行く 221 京都・兵庫 キャンパス紅葉

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【写真: ①大谷大学 ②③京都産業大学 ④神戸大学 ⑤関西学院大学】


キャンパスはボルドー色に染まりけり

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超人の面白ラーメン紀行 256 京都・伏見区深草『ラー麺 陽はまた昇る』

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面白い出合いもあるものだ。仕事が一段落してさて、昼飯にラーメンを食べようと京阪深草駅近くに自家製麺の濃厚とんこつラーメンを見つけた。入る前に店をパチリと撮っていたら、高校生がやって来てもっと旨い店がこの近辺にあると自ら先導してくれたのだ。それが関西ラーメンフェスティバルでグランプリを取った(高校生の話では)『ラー麺 陽はまた昇る』だ。店お薦めのとりとんこつラーメン(750円)を先ほど出会った高校生のT君と食べた!形状は異なるが味は松戸の『とみ田』似。奢ってあげれば良いものの逆に、ぼく、卵苦手なのであげるとゆで卵を筆者のどんぶりに入れてご馳走してくれた。それからは彼の友達にスマホでやり取りして京都ラーメン旨い店探し。池田屋、高安、菜館等々。聞けばその高校生の実家は木津川でラーメン店『無鉄砲』の近くだという。近鉄京田辺駅『あまのじゃく』、近鉄桃山御陵前『大中』、京阪墨染『地球規模で考えろ』などとんこつ系のラーメンを教えてくれた。やはりラーメン好きはどこにもいるのだ。


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クロカル超人が行く 220 東京ミッドタウン日比谷

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三井不動産が手掛けたJR有楽町駅近くの「東京ミッドタウン日比谷」。グランドオープンして約8ヶ月、ここに来ていた親子が言っていた、“外国にいるみたい”という言葉がこのミッドタウンの雰囲気を言い当てているようだ。3階に出店した有隣堂をはじめ、レストランも一味違った雰囲気で、デザインやファッションを優先した高級感を演出した空間になっている。窓外には日比谷公園が見える。
ところで、写真にもあるがエントランスすぐにワインの試飲する場所があって結構賑わっていた。筆者もアルゼンチン、チリ、スペイン、ドイツのワインの試飲をさせてもらったが、渋味からやや甘味まで様々な赤ワインを味わったが、やはり飲み慣れて手頃なチリワインが口に合った。ワイン試飲開催中の輸入業者(会社名は失念したが品川にあるみたい)の社員の方によれば、この場所を1日借りるだけで100万円するという。それを10日間借りていて今日が最終日とか。じゃ、どうやって売上を確保するのか。基本はワインの瓶でテイスティングして気に入ったら即決してもらい、1本2500円~4000円くらいのワインをダースで販売するらしい。リピーターを増やすことで採算ペーストに持ち込めると踏んでいる。ワインの輸入業者は大胆だ。いや、待てよ、考えてみると輸入したワインの在庫セールとも受け取れる・・・。
東京ミッドタウン日比谷の客入りは3連休の最終日としてはまあまあか。

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小田急財団・専修大学講演会 永江雅和先生「小田急沿線の近現代史」

小田急財団・専修大学講演会 : 永江雅和先生「小田急沿線の近現代史」。2018年11月23日、専修大学10号館大教室(600人収容)。午後2時~3時30分。天候は晴れ。150人のところ800人の応募あり。抽選で400人が聴講。大盛況。

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【写真①講演会案内 ②永江雅和先生講演 ③開演前の会場 ④受付 ⑤関連書籍展示販売】

追記 ついにこのコラムの本数が2000本に達成!一応大きな節目をこえた。

追記2 講演の内容を読むはこちら➡https://www.senshu-u.ac.jp/news/20181207-03.html?utm_source=dlvr.it

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超人の面白ラーメン紀行 255 神田錦華通りラーメン店『五ノ井』

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最近特に神田錦華通り界隈にはコジャレな店が増え始めている。カレー店は何軒かあるのだが、15、6人が入れば満杯のSOHO的な飲食店である。元あった場所が何だったか分からないほどポツリポツリと出来てきているのだ。
その一つ、入れ替わりが何回かあったところのラーメン店に入った。排骨担々麺が売りの『五ノ井』ラーメン店だ。店に入って大分思案したあと、辛いのはスキップと考えて券売機で排骨(パーコー)ラーメンの食券を買った。排骨ラーメンとワンタン麺とが上下で並んでボタン一つ押せば、料金は同じ980円で2種類のラーメンが出てくるシステムになっている。筆者は戸惑いながら店主に食券を渡そうとしたら、「ワンタン麺ですか」と訊いてきたので、思わず「そうです」と答えてしまった。筆者的には排骨+ワンタン麺と想像していたが、しばらくして出てきたのはワンタン麺のみ。「えっ」と筆者。「排骨ラーメンではなかったの?」と店主に訊ねた。すると、排骨ラーメンに取り替えますとあっさりワンタン麺を持ち帰ったのだ。紛らわしい券売機のおかげで余分なエネルギーを費やしてしまった。ラーメン店によっては商売根性丸出しの紛らわしい券売機表示もあるが、一品ずつ表示してあるのが分かりやすくて普通と思うのだ。
さて、排骨ラーメン。まずはキツネ色に揚がっているか、次に豚あばら肉が柔くてサクサク感があるか、スープがトッピングの排骨とマッチしているか、ホウレン草やもやしが生き生きしているか、そして麺がストレート系中太麺か、その辺を瞬時に総合的な見地でチェックすると万世排骨ラーメンのそれとは違う、深みのないエピゴーネン、どうやら亜流のよう。醤油味や排骨(パーコー)の豚あばら肉は似ていた感じもしたが残念ながらイマイチだった。改良すればもっとうまくなるかも。
神田錦華通り『五ノ井』1.スープ★☆2.麺★☆3.トッピング★4.接客・雰囲気★☆5.価格★☆

追記 久し振りに『万世ラーメン有楽町店』に寄って排骨(パーコー)ラーメンを食べたが、証拠写真を撮るのを忘れてしまった(笑)。(2018.11.25 記)
以前に書いた万世ラーメンの記事はこちら→
http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2005/07/__11_8e78.html

追記2 排骨担々麺(1000円)を食べた。そう辛くはないが、肝心の排骨がスープに負けてしまい味がボケていた。やはり排骨ラーメンで良かったのだ。肉厚もイマイチだ。今度は自分で揚げて作ってみたい。(2018.12.8 記)

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追記3 そういえば、この店の奥さんらしい女性―券売機のメニューの紹介や買い方まで指南(前に来た時迷って希望通りのラーメンが出てこなかくて替えてもらったのを知ってか)―してくれたが、こちらから何も言わないのに排骨ラーメンの有名店らしい、渋谷の台湾ラーメン『亜寿加』で修行した人ですと言っていた。

追記4 作りました、作りました、排骨ラーメン。濃厚醤油スープに生麺を入れ、揚げた豚バラ肉をのせて。肉厚過ぎて揚げるのに一苦労した。初めてチャレンジした割にはま、星★の自己評価。『五ノ井』のは肉が薄かったのでその反動かも(笑)。渋谷の『亜寿加』には近いうちに行ってみたい。(2018.12.10 記)

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超人の面白ラーメン紀行 254 世田谷『麺屋 武一』

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『麺屋 武一世田谷店』の特製鶏鰹ラーメン(930円)。濃厚鶏そばがメインの店だが、あえてスッキリ味を選んだ。しかもつくねなどがトッピングされた特製を。本店は新橋。味はごく普通。土曜午後2時半頃だったからか客はほとんどいず。マレーシアなどアジア国々にも店舗があるみたい。

『麺屋 武一世田谷店』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★☆5.価格★☆

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超人の面白ラーメン紀行 253 元浅草4丁目製麺所『浅草 開化楼』

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よくラーメン店で見かける中華麺の浅草 開化楼。その有名な中華麺工場(製麺所)へ麺を買いに浅草まで出かけた。時々ラーメンを食べに行っている『神田勝本』には開化楼の箱がいつもぎょうさん積んである。この店はまだ開店して3年くらいだが去年のミュシュランで一ツ星を獲得、それ以後行列が絶えないのだ。さすがに最近は以前ほどでもなくなかった様子、それでも少しは並んでいる。ここでのこだわりはつけ麺のストレート系細麺と中太麺のダブル麺の絶妙な組み合わせ(合い盛り)に表現されている。麺の力、歯応え、食感を充分に堪能させてくれる。そこで使われている麺が浅草開化楼の麺である。

“製麺師”にお会いしてラーメン店『勝本』の話をした。
「『神田勝本』にはお世話になっています。そう、普通のものより配合が違うんです」と半ば嬉しいそうに話す“製麺師”。
冷蔵庫(中華麺貯蔵庫)には背の高さ以上に積み重ねた麺の箱がずらり、程よい温度で管理されている。100種類以上の麺の種類があるらしく、どの麺がいいかと訊かれたので醤油ラーメン用細麺と味噌ラーメン用中太麺をお願いした。箱には浅草 開化楼しか書いていない箱の中から職人技よろしく取り出してくれた。工場名の浅草 開化楼名しか書いてないのに箱で中身の麺が判るとは不思議。どうして判るとツッコミを入れると、すべて食べているからとの返事。実は取って置きの麺があるんだと言って“製麺師”が取り出そうとしたが、奥のほうにあるらしく何度か試みたができなかった。細麺と中太麺をゲット。

「いくらですか」とお勘定をたずねた。
「今日はお金はいらないよ」とこちらが出しても受け取らなかった。また電話して来いよと名刺を渡された。
今度は必ず電話で予約して取って置きの中華麺を買いに来たい。なかなか粋な“製麺師”である。

その中華麺は10日間もつそうで食べ方まで伝授された。事前に用意したスープに1分間麺を茹でて入れること、でないと麺がのびてしまうそうだ。この麺を使ってラーメンを食べた感想は【追記】で。乞うご期待。

_20181117_123045 右の写真の手前奥に中華麺の冷蔵庫(貯蔵庫)がある。実は”製麺師”に麺箱がぎょうさん積み重ねてある奥の冷蔵庫を撮影していいかと許可を乞うたが、ややこしくなるからと(殺到する?)NG。残念。

追記 おすそ分けした郡山の友人は、すでにこの麺を食べたとメールあり。美味しかったみたい。

追記3 仕事帰りに渋谷駅東急に寄った。ラーメン“小道具”をゲットするためだが。ちょうど製麺所試食コーナーがあって醤油と味噌スープを買い込んだ。札幌森住製麺所のもの。販売員に井上製麺所は知っていますかと訊いたら知らない、西山製麺所なら知っていると。そうです、そうです、筆者の勘違い!札幌に西山製麺所あり、あの黄色い麺だ。で、東京の開化楼の麺は知っていますかと販売員に訊いてみた。知らないとばっさり。そうそう、井上製麺所は尾道ラーメンの麺だった!

追記4 さて、試食タイム。上記「追記3」で触れた森住製麺所の醤油用のスープに煮干と鰹節を加えて煮立ちし、アレンジしたスープを作って開化楼製細麺を入れた。トッピングにもやし、玉ねぎ、ピーマン、ナルト、メンマ、少し厚手のチャーシューそれに韓国海苔をのせて半ば自家製の醤油ラーメンが完成。身内にもプレゼントした。麺がたっぷり、うまい、うまいとべた褒め。大盛だったのか腹一杯で動けないと(笑)。確かに細いにもかかわらず麺がしっかりしていて美味。
試食するのに夢中でカメラに納めることを怠り、あわてて一箸つけてから撮ったのが下記の写真。

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うまか麺
啜るにつれて
秋深し

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追記 右は開化楼製中太麺にチャレンジしたもの。森住製麺所の味噌ラーメン用スープに多少アレンジしたスープ、トッピングはチャーシュー、キノコなどが入った野菜炒め用もやし、ピーマン、ホウレン草、コーン、刻みネギ、くずれ気味のゆで卵、メンマ。細麺の醤油ラーメンとはまた違った味わい。うまか。(2018.11.19 記)

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クロカル超人が行く 220 山梨県立文学館で「草野心平展」、美術館でミレー作「落穂拾い」や新着「角笛を吹く羊飼い」などを鑑賞

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10月上旬に山梨県立文学館で開催中の「草野心平展」と一度は観たいと思っていた美術館のミレー作「落穂拾い」を観に出かけた。良く晴れた日で甲州路の秋を少しばかり堪能した。文学館の「草野心平展」ではやはり同人誌『銅羅』の赤い表紙が目立ったほかは、山梨のシンボルの富士山と関連した心平詩などが展示されていたにすぎない。心平関係は少しは観てきたので何か目新しいものがないかと訪ねたのだった―。草野心平の中国留学や滞在での活動に関心大の筆者だが、資料提供者リストに名前のあった中国人心平研究者に注目したい(追記。それと、もう一つ重要なエッセイが図録にあった。それは草野心平が1940年代に中国滞在中に書いた小説に言及しているエッセイだ。それを読むはこちら↓
20181207190523_00001 先ほど亡くなられた詩人の入澤康夫は、岩波文庫版『草野心平詩集』の解説で心平の1940年代の中国滞在期間―汪兆銘南京政府の宣伝部顧問時―の行動が謎だと書いていた・・・)。
ついでに観た山梨ゆかりの多彩な作家たちのコーナーは意外と面白かった。そうか、この作家も山梨出身だったかと忘れていたことも。館内がいやに騒がしいなと思っていたら、どうやら子どもたちがスタンプラリーをしているらしく即席の回答求めて走り回っていたのだ。
マルシェ開催中の広場を通り向かいの美術館に出向いた。ここではフランスバルビゾン派のミレーの「落穂拾い、夏」(1853、油彩・麻布、38 .3×29.3)や9月に開館40年を記念して購入した「角笛を吹く羊飼い」(制作年不詳、油彩・板、38.1×27.9)などを鑑賞した。

ミレー作品収蔵数は今では70点、世界有数でその収集の根拠は、山梨とフランスの農村地帯がいずれもブドウ畑や気候が似ていることらしい(毎日新聞2018年10月31日)。

滞在時間わずか2時間、甲府駅近くでほうとうを食べて帰った。山梨でほうとうを食べたのは15年振りくらいだ。

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【写真: 『小作甲府駅前店』のほうとう定食】

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クロカル超人の面白読書 133 大矢悠三子著『江ノ電沿線の近現代史』

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藤沢と鎌倉を走る江ノ電は、走行距離10キロ、10駅約30分の短いレイルウェイだ。しかし、民家や海岸線をすれすれに走る緩い走りの車窓からは風光明媚な箇所がいくつもあり、一駅一駅降りては乗るを繰り返せば1日あっても時間が足りないくらいだ。筆者などは、春には鶴岡八幡宮での花見や江の島マリンタワーすぐ近くのイタリアンで誕生日祝いをしてもらうのが恒例だし、夏には海辺でシラスを食べ、秋には鎌倉山麓で紅葉狩りも。そして冬、鯵の干物買いついでに蕎麦を食べに出かける。混雑する観光シーズンはなるべく避け、土曜日などにふらっと出かけるのがいい。そんなとき車に乗れない筆者はいつも江ノ電を利用して移動している。そっと耳を傾ければ線路を走るガタコトガタコトという音が聴こえる、それが心地良いのだ。最近では中国からの若いカップルも多くなり、極楽寺駅(かつてはテレビドラマで脚光を浴びた)をはじめ江ノ電沿線の駅に甲高い中国語が飛び交う。これも古都鎌倉の新たな風物詩になりつつある。
そんな江ノ電利用者に待望の本が刊行された。藤沢市史に関わり、『湘南の誕生』の共著もある海水浴(そう、湘南の海水浴に触れた、タレントのタモリが主演のNHK番組「ブラタモリ #115 湘南~湘南の人気のヒミツは“いとしのヘリにあり”~」が10月13日に放映された!)やリゾート史に詳しい大矢悠三子氏の『江ノ電沿線の近現代史』、ここには今まで知らなかった事柄が分かりやすく書かれていて沿線の顔をリアルに浮き彫りにさせてくれる。目次は下記の通り。

第1章 江ノ電の開業―湘南トライアングルの形成
第2章 湘南の大都市・藤沢
第3章 憧憬の鵠沼―開発分譲型別荘地の嚆矢
第4章 大東京の風景地と湘南海岸
第5章 湘南ランドマーク―不思議アイランド・江の島
第6章 海岸線―「江ノ電のある風景」の変貌
第7章 鄙の地、聖地となる
第8章 鎌倉を愛した文士たち
第9章 由比ヶ浜に海浜院ありき
第10章 古都・鎌倉に遊ぶ、暮らす
あとがき、関連年表、参考文献

筆者としては特に江ノ電小史、藤沢駅と周辺エリアの盛衰、湘南海岸物語、鵠沼などの宅地開発、江の島アイランドストーリー、鎮魂歌であまりにも有名な逗子開成高校ボート水死事故の話、由比ヶ浜海浜院物語、江ノ電唯一のトンネル極楽洞の話(ツルハシで掘削)、戦後すぐ鎌倉文士によって開校した鎌倉大学校→鎌倉アカデミー、鎌倉文庫、いくつものテレビドラマの舞台そして数字で示してみせた観光のあゆみなどが著者の視点も見え隠れしていて興味を引いた。鉄道本にはビジュアル的なものが多いが、コンパクトに活字で読ませる本書には、電車で未知の旅に出るようなある種のワクワク感がある。今度の週末は本を片手に江ノ電乗車といきますか。窓外から見える沿線の景色が少し違って見えるかも。
A5判・177頁、定価本体1800円+税。2018年10月31日、クロスカルチャー出版刊。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 余滴

ここからは「フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅」にこぼれ落ちた写真を中心にアトランダムに取り上げてみたい。

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【写真: ①コペンハーゲン空港内にある人魚姫像とアンデルセンの婢 (観光地として有名)②アーランダ空港内にある『ポケットショップ』で購入した文庫本(昨年のノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロの本がベストテン入り)】③スウェーデン国会議事堂 (2018年9月8日の総選挙で左右政党がほぼ拮抗状態。9月下旬、現ロヴェーン首相の信任得られず退陣、混迷を深めるスウェーデン議会)④スルッセンやセーデルマルムへの方向を示す標識(このエリアを歩けたことはある意味で非常に良かった。ノーベル文学賞受賞者のトーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』に出てくる重要な地名だからだ) ⑤衛兵交代時間に遭遇(ラッキー!)】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 35 最終回

コラム「フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅」も今回で最終回。まだまだ書きたいことは山ほどあるがこの辺で一区切りをつけたい。
本で読んだりテレビの旅番組では知ってはいたものの、実際行ってみるのとは大きく異なる。当たり前のことだがこの当たり前のことに気づくことが大事である。旅人はしばし待て、考える旅人よ、国の、街の匂いを嗅ぎ取ったか、胸に手をあてて考えるがいい。あの膨大な羊皮紙の書棚は王様のものだった、貴重書も元を正せば戦利品ともいわれているが、それはともかく、ヘルシンキにしてもストックホルムやウプサラの図書館にしても、それが国立か市立かは問わない、この膨大な本を前にしてただ撮影許可をもらったから写真に収めるだけでは余りにも短絡的で実利すぎる。やはり街の匂いには本の匂いが大いに関係しているのだ。何故なら人間の営みの基本形がここにあるからに他ならない。人はなぜ収集するのか。その問いに向き合いながら、収集したものを整理(修復、保存)し、研究に役立て、市民に開放し知的循環を心地よいものにしていくには図書館人の不断の努力なくしてありえない。私たちはこれらの人々に感謝しなければならない。ウプサラ大学図書館では年間20万冊をデジタル化、電子資料に変換していると言っていたが、果たしてこの試みが人類にとって吉と出るか筆者には分からない。「紙」側の人間の少なからずの抵抗があるのかないのか―。確かにデジタル資料は重たくはないが。そして、この北欧図書館研修・見学ツアーは、短期間でいろんな研修を行って知識や技術を学んだが、それだけでない図書館人との距離を縮めまた、本の匂いを感得する大切さを教えられた旅でもあった。そして、この北欧図書館研修・見学ツアーを企画した人たちや参加者にも感謝したい。筆者は図書館研修・見学はもちろんのことプラスアルファの方にも大分興味をひかれた。例えば、優れた北欧建築、デザインそれに都市発展と政治、移民・難民受け入れ問題と極右政党の台頭、EU離脱問題、教育改革等々。ビデオを再生してみると再発見できて活字とはまた違った楽しみ方ができる。

クングスホルメン島のホテル近くで100年以上続く老舗のレストラン『Restaurang Löwenbrau』に3度ほど入ってビールを嗜んだが、それこそごく平凡な暮らしがそこにはあった。それも街の灯り、匂いの一つだろう。
アーランダ空港のポケットショップで村上春樹著『ノルウェーの森』やジョージ・オーウェル著『1984』のスウェーデン語訳のペーパーバックを買った。カズオ・イシグロの本がベストテン入りしていた。そして、コペンハーゲン空港を飛び立った飛行機から見た洋上風力発電、原発事故を体験した日本でこのような風力発電をもっと増やして環境にやさしい暮らしの実現を願いたい。また、そのすぐ近くにはデンマーク・コペンハーゲンとスウェーデン・マルメを結ぶエーレスンド橋がかかっている。その昔テレビで開通直後の様子をライブで見た。いつかは渡ってみたいとずっと思っている(このコラムでしばしば登場した“相棒”が、このツアー前に実際に電車で渡りマルメ市立図書館を見学してきたと言っていた。いとも簡単にやってのけたのだ。やはり好奇心の塊かつ行動的な人もいるもんだと感心した次第)。
旅はいろいろなことを教えてくれる。地球儀で日本を中心にして世界を見ていることに慣れている私たちだが、その地球儀を少しだけ回して視点を替えて例えば、フィンランドやスウェーデンの方から眺めればまた、違った世界を現出させてくれる、その視点、みえ方こそが大事なのだ。北欧特にヘルシンキ、ストックホルムそれにウプサラが少し身近になったことは言うまでもない。Tack så mycket. Hejdå.

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 34 再びガムラスタンへ

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ガムラスタンへは地下鉄シスタ駅からブルーラインでクングストレドゴーデン駅(ガムラスタンに近い駅)で降り少し歩いて行けた。車内はちょうど金曜夕方のラッシュ時間帯、勤め帰りの年配の女性たち、片手に缶ビールを手に持ち飲んでいた外国人風の若者、若い女性たちそれにビジネスパーソン等で混雑していた。20分ばかりで目的地に着き、王宮近くのノーベル博物館前で1時間近く自由時間となり近くを散策、その後再集合して晩餐会会場へ。会場はドイツ教会近くのイタリアレストラン『Agaton』。入口のメニューを見ていたら雨が降ってきた。変わりやすい北欧の天気の実感だ。メニューは鮭の魚料理、地元のビールで乾杯しながらイタリアンを堪能した。しばらくするとすぐ近くのキッチンから日本語が飛び込んで来た。しかも砕けた日本語である。

「シェフはどこで日本語を習ったの?」と筆者が訊ねると、

「北海道にいるときだよ」

冗談が好きそうな明るいアジア系の男性だ。まさかストックホルムのど真ん中でしかもイタリアンで日本語が聞けるとはビックリぽんや!料理はハム&トマト系、次にメインディッシュの鮭料理最後にティラミスのごくカジュアルな料理だ。鮭は本場とあって美味。しかし、飲物は自腹の地元のビール(小瓶)を3杯も飲んでしまった。金曜日の夜はどこの国でも同じく賑やかだ。で、すでに帰ってしまった現地のガイドさんに教えてもらったラーメン店『Cafe Stierman』をどしゃ降りの雨の中訪ねたがすでに閉まっていた。時間も遅かった。仕方なくずぶ濡れになりながら地下鉄ガムラスタン駅からホテルに帰ったのだ(本当のところは庶民の日常に触れたいと思い老舗のレストランやホテルのバーを2軒ほどハシゴしたのだ)。
ストックホルムでは2年ほど前から日本の寿司やラーメン店が出来て流行っているらしい。しかし、味の保証はない。それはヘルシンキの『かもめ食堂』でも同じだろう。地元の人たちにも受けないとビジネスはやっていけないのだ。先ほどの現地のガイドさんが言っていたが、日本に行ったことがない店主は、ビジネスなどでスウェーデンで生活をしている人たちにアドバイスをもらって日々研鑽を積んでいるのでラーメンの味は良くなっているという。味噌ラーメン一杯、1700円ぐらいらしい。それはニューヨークで食べたMOMOFUKUラーメンとほぼ同じ値段だ。ラーメン好きの筆者としては食べたかった。残念である。今度行ったときにはぜひ試食したい。ついでにアジア料理について書けば、中華料理よりはベトナム料理やタイ料理がイケるらしい。筆者も詳しくは知らなかったのだが、タイはスウェーデンと経済的な結びつきが深く、スウェーデンの農業に従事しているタイ人労働者は多くまた、スウェーデンがタイに投資したり、工業製品ほかを輸出している。タイとの直行便も就航しているという。

さて、次回最終回はホテル近辺にある老舗のレストラン、アーランダ空港内、コペンハーゲン空港から日本向け飛び立った飛行機から見えた、環境にやさしい洋上風力発電Offshore wind powerやコペンハーゲンとマルメを結ぶエーレスンドの話を少し。

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【写真: ①ノーベル博物館 ②地下鉄シスタKista駅 ③イタリアン『Agaton』メニュー ④トマト&ハム ⑤サーモン ⑥ティラミス ⑦地元のビール ⑧ラーメン店『Cafe Tierman』。この店の詳細はこちら→https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g189852-d2189992-Reviews-Cafe_Stiernan-Stockholm.html?m=19905

追記 今日2018年のノーベル生理学賞に京都大特別教授の本庶佑氏に授与すると発表された。NHKのインタビューで彼は教科書を疑えと言っていたことが印象的(2018.10.1 記)。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 33 サイエンスパーク Kista シスタ図書館

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【写真②の左側画面の下の方に文字が書かれているが、「自由とは自分の意見を言うことができることだ」と読める】

ウプサラ大学図書館のスタッフのご厚意により当初予定した 時間より3、40分延長になり、図書館研修事務局はスケジュール調整に一苦労したようだ。何とかシスタ図書館に辿り着いたが、今度は時間オーバーでバスサービスが終了してしまったのだ。今夜はガムラスタンで主催者側による晩餐会が予定されているらしく、急遽地下鉄移動になった。
ストックホルムの郊外にあるサイエンスパーク(元々軍の施設だった地区をエリクソン社など企業、政府系機関それにストックホルム工科大学やストックホルム大学などが進出して今やIT企業など4200社、65000人が働く産官学の一大産業集積基地。筆者注: 一部ネットからの引用)、そこにあるシスタ公共図書館は、今まで見てきた図書館とは些か趣が異なる図書館だ。どちらかというと外国人に開放した図書館、特に移民・難民やセクシャルマイノリティの、社会的弱者の人たちにも行き届いた図書館のようだ。夕方の時間帯にさしかかってしまい、館内を見せていただいただけだが、ユニークな棚のレイアウト、スウェーデン語を習得するための辞典類、テキストや新聞(筆者なども電子版で愛読している、易しいスウェーデン語で書かれている新聞『8sidor』も)なども所狭しと置かれている棚、言語スタジオ、オーディオ、リラックスして本が読めるコーナーもある。16万人もの難民を受け入れたスウェーデンでは一定数の人口維持と近い将来働き手になる人材をいろんな形で支援し実践しているようだ。いわば、福祉政策の実験的な試みがこのストックホルム公共図書館分館シスタ図書館の魅力なのだろう。この試みに拍手を送りたい。館内には中東から来た子ども連れの人たちの姿があった。

“スウェーデンでの仕事の準備してください”と掲げられた文字が象徴的だ。

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【写真: ①シスタ図書館内検索端末周辺 ②図書館入口電子掲示板 ③シスタ サイエンスタワー ④シスタ図書館など100店舗と10のレストランが入ったショッピングモール『シスタガレリア』⑤就職斡旋の電子掲示板 ⑥福祉系8頁仕様の易しいスウェーデン語新聞『8sidor』 ⑦スウェーデン語の様々な辞典類が置かれた棚 ⑧新刊コーナー】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 32 映画監督イングマール・ベルィマンの生家探し

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【写真: 公園通り12番地にある祖父の家】

ウプサラでのもう一つの目的は、イングマール・ベルィマンの生家(確か父は牧師)を見ることだった。しかし、午前11時半過ぎから午後1時まで自由時間があったが探し出すことは時間的に無理だった。そこで帰国後、まだウプサラ大学で研究中のH先生に無理を言って頼んだのだ。ベルィマン生家そのものではないが祖父の家を見つけてくれた。そして、素敵な写真を届けてくれたので紹介したい。先生に感謝しつつ。また、もう一つの写真の「公園通り 12番地」のプレートにはウプサラ市による次のような記載がある。

イングマール・ベルィマン(1918ー2007)の祖母アンナ・オーケルブロム(1864ー1934)が亡くなるまで住んでいた家で祖父ヨーハン・オーケルブロム(1864ー1934)が1887から1888年にかけて建て、祖父が所有していた家である。ベルィマンはこの家で幼少期の大部分を過ごした。ここでの幼少期の生活が彼の演劇と映画に多大なインスピレーションを与えた(筆者注: たとえば、映画『ファニーとアレクサンドル』など)。


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【写真: ウプサラ市による公園通り12番地と来歴が書かれたプレート】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 31 ウプサラ大学図書館 続

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【写真: ウプサラ大学図書館特別コレクションホールから眺めたウプサラ大聖堂と町並み】

ウプサラ大学図書館の“デジタル工房室”に行く前に少し余談を。日本関係書籍の特別展示をしてくれたホールには貴重書がずらり、コレクションの山である。羊皮紙の魅力をたっぷり堪能したのだ。諸言語の集積地、英知の結晶ともいえる。一つひとつ見て歩いたら相当時間がかかるにちがいない。その中で特別展示品の和綴本が異彩を放っていたことは特筆に値する。何故なら文化の相違なのか硬軟の差異を感じてしまうのだ。まさに異文化交流史の現場に居合わせたことに感慨深いものがあった。コレクションホールの窓外には今にも雨が降りそうな雲行きの下ウプサラ大聖堂が聳え立っていた。ツゥンベリーの本は今週末(26日)まで日瑞交流150周年記念行事で日本に特別貸出中だと図書館のスタッフ(確か今年の春だったかこのツゥンベリーの本の展示のことは新聞か何かで読んで知っていたが、忘れていて行かなかった。つい最近東京駅に隣接する商業施設『KITTE』で開催されていたことを知った。惜しいことをしたと思っている)。
館内を少し移動して“デジタル工房室”へ。この部門の専門担当者のプチレクチャーを受けて実演の現場に出向いた。スキャニングは特大、大、中、小とサイズによって作業室があり、そこには取り込み作業のマシンがそれぞれの役割を担って稼働している。その中で特に優れものは、ページを捲る超高速マシンの存在だろう(超高速スキャナー)。担当者が実演してくれたが、速いの何のそれは大袈裟にいえば新幹線並の速さなのだ。1分間にどのくらい捲れると言っていたか聞き漏らしてしまった。筆者などもこういった作業に大分関心はあるものの、これはテクノロジーの優れた一端を見せつけられた格好だ。この超高速ページ捲りマシンを再度実演してもらった時には上手く作動しなかった!加減が微妙なのだろう。優れものには多少の危険も伴うということか。ともかくいいものを見せていただいた。感謝である。

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【写真: 超高速ページ捲りマシンのあるデジタル工房室】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラ8の旅 30 ウプサラ大学図書館

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【写真: 改修工事中のウプサラ大学カロリナ図書館】

ウプサラ大学は、1477年に創設された北欧最古の由緒ある大学で、人文社会自然科学分野をカバーする総合大学である。学生数、約23000人、職員数1800人余。植物学研究や生命科学の世界的な拠点(スウェーデンの製薬会社との結びつきが強いらしい)だがまた、千単位の共同研究もあって世界中から研究者がやってくる。筆者などは植物学の分類法のカール・フォン・リンネの出身大学それに大きな聖書があることぐらいは知っていた。アフリカなどの紛争解決に尽力したことで有名な前国連事務総長だったハマーショルドに因んだ図書館もある(彼はウプサラ大学出身で彼の家系はスウェーデン王室と関係が深いらしい)。ハマーショルドといえば、飛行機事故で不慮の死を遂げた政治家だ。11年前に飛行機事故に疑問、という記事がスウェーデンの有力紙に掲載されて読んだことを思い出した。このコラムでも書いたが、この話は別な機会に譲ろう。
さて、ウプサラ大学図書館は蔵書520万冊、電子ジャーナル購読12,000を誇る大学図書館(A科人文科、B科社会科、C科リンネ科の3科それと別に文化保存科がある)で本館にあるカロリナ図書館で北欧最後の研修をした。
図書館スタッフによる約30分間のプレゼン、レクチャー→リンネの部屋でfika(スウェーデン式コーヒーブレイク。ヘルシンキにしてもストックホルムにしても北欧はコーヒー先進国で美味しい)→歴史の重味に耐えた羊皮紙の書籍が天井高く幾層にも積み上げられた貴重書室、近寄って背文字を読めばラテン語をはじめ外国語の文字。見事という他ない。貴重な体験→特別コレクション室(シルバーバイブルといわれている6世紀ごろのゲルマン語祖語であるゴード語で書かれた聖書。Condex Argenteus 銀泥聖書。銀装丁の美本。海図、ツュンベリーの『日本誌』、江戸時代の浮世絵師勝間龍水の魚絵図、杉田玄白の『解体新書』、シーボルトのものなど日本関係特別展示品閲覧→驚嘆の“デジタル工房室”へ。この項続く。

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【写真: Condex Argenteus 銀泥聖書の複製】


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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 29 大学町ウプサラ

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【写真: ウプサラ大聖堂遠景 撮影=H先生。先生に特別頼んで送ってもらったもの。筆者はウプサラで時間なく撮影する暇がなかった。うっかりである。しかし、とても良い写真を送ってもらったことに感謝したい】

ストックホルムから北へバスで約1時間弱(距離にして約70km)、ストックホルム市街からトンネルを抜けて少し走ると左側にサイエンス パークなる地区(Kista)、高速道路沿いには日産やトヨタの看板も見えたカーショップ、スーパーマーケットやガソリンスタンドの郊外店さらに進むと農家風の屋根が現れ、平坦な耕地にあって彩りを見せた。バスの窓からすぐ近くに見えた木々は少し青さに欠けた感じだ。夏が終わりかけ秋の始まりを告げる季節だが、日本とは四季の移り変わりが幾分違うような窓外の景色だ。送電線も見えた。そうそう、あのトーマス・トランストロンメル氏の短い詩を思い浮かべた(下記の和訳は毎日新聞2011年11月14日夕刊の記事からの引用)。

送電線
厳寒の王国の上にのび
あらゆる調べの
北にあり

やがて小高い丘や耕地を抜けると前方に高い教会が見えてきた。ウプサラ大聖堂である。高速道路を降りてウプサラ市街に入り、ウプサラ駅で迂回のため少し停車、その間現地ガイドさんがウプサラ観光案内のパンフレットを駅まで取りに行ってくれた。ウプサラの最初の印象は、緑の木々の中に黄色がかったベージュ色の建物の壁が目立つ落ち着いた大学町といったところか。ストックホルムみたいに大都会のざわめきはなく、むしろこぢんまりとした古さを残すもまた新しさもある、清潔感にあふれた町のようだ。
そして、ウプサラ大学図書館の前でバスを降り午後1時まで自由時間となった。筆者は事前にアポを取っていたH先生と会うことができた。彼は共同研究で約1ヶ月間ウプサラ大学経済史学部で金融史を研究中(一つけ加えるとH先生曰く、ここの大学は経済史の学部があることだと言っていた。確かに)こういうことはレアケースだと思うのだが、遠い極東アジアの日本から来た者としては何か感慨深いものがある。昼食をウプサラ大学から歩いて7、8分の町中のイタリア レストラン『RIFIFI』で取った。パスタを食べながら会話はお土産に持参した消えるボールペン(FRIXION BALL)のセット、筆者の企画、今回の図書館研修や彼のこちらでの研究生活のことなどで盛り上がり、1時間があっという間に過ぎた。彼は消えるボールペンのことは知らなかったみたいで校正などで役に立つと喜んでくれた。こちらに来て図書館から借りた本はたった一冊であとはダウンロードして研究していると。これには筆者も驚きを隠せなかった。ウプサラ大学ではデジタル化がここまで進んでいるのかと半ば感嘆し半ば懸念も―。

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【写真: ウプサラ大聖堂と近辺の街並み 撮影=H先生】

→ウプサラ博物館案内図を見るはこちら(バスの中で配布されたもの)「UPPSALAS MUSEER.pdf」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 28 ガムラスタンの路地など

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写真左上から右へ。⑧⑨を除いて①~⑫は路地。⑩が一番狭い路地といわれている。

⑧『Apoteket Korpen(Korpenは渡り鴉の意)コルペン薬局』のプレート
ここにはこの店の来歴が書かれている。それによると、ルーツは1600年代のセーデルマルムで1674年に創業したとある。創業3年後にはガムラスタンに移っている。1721年、大広場16番地に移って約200年、その後現在の大聖堂の短い急坂ヴェステル ロングガータンの角に移って営業している。
その左下には多数の所有者そして名前が。また、右下にはこんな文言も。老舗の薬局はその目的、飾り付けに揺らいでいる、と。このプレートの右下最後の欄には全スウェーデン薬局とクレジットが入っている。

⑨幸せを運ぶといわれる「ダーラヘストDalahäst ダーラナホース Dalarna horseダーラナ地方の木彫りの木馬、伝統工芸品(置物)」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 27 ガムラスタンとその周辺の街歩き 続々

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地下鉄ガムラスタン駅Gamla stanを出てとりあえずメインストリートを目指した。午後7時頃ガムラスタンに灯りがともった。夕暮れのガムラスタンは12、3世紀からの石造建築物が残っていて狭い路地とともに映えること、映えること、誰かが書いていたが美しすぎる景観だ。西洋と東洋の違いは当然あるが、京都の木屋町や祇園の街並みを思い描けば夕暮れの美しさが分かるというものだ。片方は石造り、もう片方は木造りの大きな違いはあるものの、その根っこは歴史が織り成す人間の営みの遺産だろう。いな、過去、現在、未来と受け継がれるべく人類の所産、それが美しすぎる街並みを形成したと見るべきだろう。この路地の佇まいと石畳の強靭さには驚嘆する。しかし、所々に見られる石の綻びも歴史がもたらす愛嬌といったものでこれ又いい。中世のハンザ同盟で港湾都市が栄華を極めた頃に思いを馳せるのも、このガムラスタン(旧市街)散策の魅力かも知れない。

「えっ、こちらの通りかも」
相棒がすでに「STOCKHOLM 散策MAP」を見ていてアドバイスをしてくれた。

やがて路地を何本も通り抜け、メインストリートに到着。土産物店、古本屋、陶器店、ブティック、カフェ、レストランなどが立ち並ぶあたりだ。やはり夕暮れ時は人が多い。特に目立ったのは中南米からの家族連れの観光客が多く見受けられたことだ。ドイツ教会をパチリと写真に収めて近くのレストランで相棒とディナー。オープンテラスでの食事は格別で、生ビール(日本のビールとほとんど変わりはない。強いていえば苦味が少し足りないくらい)とパスタ(まあまあの遜色ない味。店員は外国人だったが)を食した。通りに面しているので観光客がひっきりなしだ。一息ついたので街並み再開。ドイツ教会を右手に上り坂を北の方へ、大広場やノーベル博物館、大聖堂、王宮の方へと歩いた。王宮(今は王室関係者は郊外に住んでいて執務があるときだけここに来ているらしい)では衛兵と“面会”、しかめっ面の若い衛兵にスウェーデン語でほんの少し冗談を言ってみた。

「Alltid leenedeいつも微笑んで」

少し笑ったように感じた。夕闇が迫っていたので鉄兜の下の顔が薄暗く表情が分かりにくかったことも手伝ってか“感じ”たと曖昧な表現にならざるを得なかった。別な門にいたもう一人の衛兵にも話かけてみたがこちらは無表情のままだった。そうこうしているうちに相棒が闇に消えた風で少し捜したが、すでに先方はるかStrömbron橋の方へ歩いていた。遊覧船乗り場から見る夜景はこれ又絵になる、美しすぎる光景である。王立公園を左手にトラムとすれ違いになりながら横断歩道を渡りグランドホテルの脇を通り、王立劇場や舞台芸術博物館に辿り着いた。夕暮れ→夕闇→夜景と北欧の長い夜を堪能したのだ。

夏歩き
王宮の窓に
月明かり

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【写真上から: 夕暮れの王宮 船着き場からの夜景 レストランの生ビール】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 26 ガムラスタンとその周辺の街歩き 続

さて、話を少し戻そう。王立図書館(国立図書館)研修を終えバスでホテルに着き、キャリーバック(ヘルシンキのホテルを出るときには片方の鍵が閉まらず急遽の策で透明なガムテープを巻いて対処した。で、ストックホルムのこのホテル(クングスホルメンKungsholmen 島地下鉄フリドヘルムプランFridhelmplan駅徒歩7分)を見たら鍵は左右両方とも閉まっていたのだ!奇跡。バルト海の真夜中の荒海で揉まれ元に戻ったのだろうか(笑)。それとも誰かが直してくれたのだろうか。ヘルシンキでは現地のガイドさんにも修理を依頼したが直らなかったので摩訶不思議である。とにかく無事直ったので荷物を部屋に入れて街歩きに出た。地下鉄フリドヘルムスプラン駅向かいにあるストックホルム市立図書館分館に立ち寄り館内見学、次にアカデミー書店に寄った。中規模書店といった感じでベストセラーものが一目で分かるように陳列されていた。ここでの書店員とのやり取りは前にこのコラムで書いたので省くが、トーマス・トランストロンメルの詩集はかろうじてゲットしたものの、もう一人の作家Stig Claesson(筆者は2006年に『Liv och kärlek』をアカデミー書店のネットで手に入れているし、大分前に購入した『Blå måndag』は持参した)の文庫本はなかった。易しい口語体で日常を活写して面白いのだがもう過去の作家あるいは人気がないということなのか。筆者にとって書店は居心地良い空間、それは日本でも北欧でも同じである。ヘルシンキの書店とはまた趣が違うストックホルムの書店はどちらかといえば実用的な感じだ。“相棒”のSさんは4、5冊装丁が綺麗な本をゲットしていた。
近くのキオスクらしき店で地下鉄のチケットを購入してフリドヘルムスプラン駅からT-Centralenで乗り換えガムラスタン駅へ。ストックホルムの地下鉄は岩盤むき出しでリアル、そういう地下鉄だからこそ美の施しが必要だったのか、至るところにアートが描かれている(現地のガイドさんよれば、メディアではこの最近描かれたアートがエロチック云々で物議を醸し出しているらしい)。大分掘削したのか長いエレベーターで降りるのだ。そう、東京駅の横須賀線ホームに行く距離ぐらいはあったか。地下鉄路線はブルー、グリーン、レッドの色で識別され、T-Centralen地下鉄中央駅を中心に郊外に伸びている。この日、行きはホテルの最寄りの地下鉄Fridhelmsplanフリドヘルムスプラン駅からグリーンラインでガムラスタン駅Gamlastanへ、そして帰りは クングストレドゴーデンKungsträdgådenからヒュールスタHjulsta行きのブルーラインに乗って帰ったのだ。ガムラスタンの街歩きは後ほど。

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【写真: アカデミー書店】
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【写真: アカデミー書店の新刊書コーナー】
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【写真: 地下鉄路線図】
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【写真: グングストレドゴーデン王立公園駅】
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【写真: ブルーラインの プラットホーム】
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【写真: 地下鉄の長いエスカレーター】_20180922_155007
【写真:岩肌むき出しの地下鉄内】
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【写真: 地下鉄構内にもユニクロ開店(8月24日)の広告。北欧初。現地のガイドさんの話では柳井社長も来ていると。現地メディアは労働条件が過酷と辛口報道されているらしい。】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 25 ガムラスタンとその周辺の街歩き

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【写真: 舞台芸術博物館Scenkonstmuseetで開催中(9月16日まで)のベルィマンフェスティバル、「真実と嘘」のポスター】

筆者にとってこの旅のメインテーマの一つは、ガムラスタンGamla stan(旧市街)近くの舞台芸術博物館あるいは国立劇場でベルィマン生誕100周年フェスティバルを観賞することだったが、やっとその辺を書けるところまで来た。結論からいうと、ベルィマン観賞はできなかった。自由時間を利用してホテルを出たのが夕方5時半過ぎでガムラスタンのレストランで夕飯を食べ(街歩きにお付き合い頂いたSさんと。そう、ヘルシンキの『かもめ食堂』で一緒だった)、路地や王宮を歩き回ってやっと舞台芸術博物館に着いた時には夜の9時前、すでに舞台芸術博物館は閉まっていた!国立劇場にはこの時間でも入口のロビーまでは入れて、丁度初演が終了したばかりだそうで出演者などが入口付近に出ていた。少し挨拶を交わした。ラッキーである。最新のプログラムを頂いて辞去した。ベルィマン生誕100年フェスティバルはネットで知ってぜひ観たいと思っていたが、今回はスケジュール的に無理で仕方がなかった。訪ねた記念として建物の外観や入口のロビーに貼られたポスターなどを写真に収め、せめて雰囲気だけでも味わったのだ。国立劇場はやはり歴史を感じる趣があった。北欧の夏は午後の8時過ぎまで明るいがさすが9時を回ると暗い。日本を発った8月中旬、東京や横浜のいくつかの映画館では「ファニーとアレクサンドル」などベルィマン生誕100周年に因んでベルィマン作品を特別上映をしていた。

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【写真上: 王立劇場 開催日時などを告げる電子掲示板
演目Riten遵守など4本のポスター 写真中: ベルィマン
フェスティバル(2018 8.23―9.2)上演プログラム
写真下: ベルィマンの手稿】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 24

閑話休題。

ここで視点をかえてスウェーデンに関する気になる最新ニュースを3本。

1.友人O氏から届いたメールから。時事通信(9月18日付)によれば、ストックホルムで3人の中国人観光客(親子3人の家族)が拘束され強制送還された記事。予定より半日前にホテルに着きロビーで寝泊まりしていたため、ホテルの従業員の退去勧告を無視し警察に通告した由。中国政府は人権侵害と抗議しているとう。

2.作家の村上春樹がノーベル文学賞の代わりに設けられた「ニューアカデミー文学賞」最終候補の一人に選ばれたがノミネートを執筆活動に専念したいという理由で辞退された記事(毎日新聞2018年9月17日朝刊26面社会面)。

3.ストックホルムのハンデルス銀行本店の地下に、設立時から140年にわたる取締役会の議事録が保管され、その記録には金融危機は17年に1度の頻度で繰り返されるパターンが認められるという記事(毎日新聞2018年9月19日朝刊3面)。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 23 スウェーデン王立(国立)図書館

https://youtu.be/HrCHT4YHMus

【スウェーデン王立(国立)図書館での“日本人女性”によるレクチャー】

スウェーデン王立(国立)図書館 Kungliga biblioteket, National library of Sweden。図書館スタッフに日本人女性がいたことは大変心強かった。さて、館内視察。スウェーデン人のスタッフと日本人のスタッフの2班にわかれて館内の説明を受け、最後に大きめの会議場で日本人スタッフによる王立図書館のガイダンスを受けた。初めに館内メイン閲覧室(Tyst!静かに!という閲覧室前に貼り紙が。“静かに”ドアを開けてすぐに感嘆、すばらしい!ニューヨーク公共図書館の閲覧室に劣らず立派)→借出カウンター(カウンター奥の眠そうな男性の職員に、Hur mår du? Det är bra ?お元気?快調? とスウェーデン語で声をかけてみた。彼は少し照れ臭かったのか更に奥に引っ込んでしまった)→スキャニングコーナー(一般の男性が使用中だった)→日本関係の貴重書特別展示コーナー(川端康成のノーベル文学賞受賞講演本、リンネの弟子のツュンベリーの『日本植物誌』など→近くの棚にはアウグスト・ストリンドベリーの本がずらり(彼はこの王立図書館に勤めていた)→中央の階段を降りて地下の新聞など資料がおかれたマイクロ・デジタル室で担当の女性スタッフからプチ レクチヤーを受けて見学→蔵づくりの小部屋を思わせるような、特別頑丈な貴重書室で古い巨大な聖書(サイズは世界最大で13世紀のチェコにあった中世の手稿ギガス写本 Condex gigas The Giant Book: 高さ89cm×49cm重さ75kg 悪魔の聖書)閲覧→会議場で王立図書館のガイダンス聴講。プレゼンのタイトルは、In the service of democracy 民主主義社会に貢献して。この図書館の基本理念はフィンランドの図書館でも同じく掲げられていた。スウェーデンの図書館は学校図書館を含めて2400館、その頂点がスウェーデン王立(国立)図書館、予算規模は約40億円。日本語で書かれた本は全く収集していない様子。この日本人女性スタッフもメールでの問い合わせがあればできたら英語でお願いしますと言っていた。筆者は図書館の予算、収集方針、利用状況、図書館内イベント、デジタル化、社会的役割等にはごく普通に関心をもつ一人だが、それよりむしろ日本の書籍や雑誌がどれだけ収集されているかの方にどうしても関心が向いてしまうのだ。
この図書館でツュンベリーの『日本植物誌』など日本関係の貴重書を何点か拝見させて頂いたけれども、その中には日本に最初に来たとされるヴィルマンの『日本旅行記』はなかった(ひよっとしたらと一瞬わくわく感が過ったが日本人の図書館スタッフに訊ねて確認したところ所蔵していないという)。尾崎義訳『日本滞在記』(原題: Een Reesa till Ost Indien, China och Japan 「東インド、シナ及び日本への旅行」 雄松堂出版 1970年初版)には原本の扉が掲載されていてスウェーデン王立図書館蔵と記されているのだが・・・。20180919180321_00001
また、尾崎義は昭和25年の雑誌『日本歴史』(第24号~第26号、昭和25年5月~25年7月刊)でヴィルマン小伝とともに「Olof Eriksson Willmanの“日本旅行記”について―オランダ使節に随行して来朝した最初のスェーデン人―」(ヴィルマンは1652年オランダ使節アドリアン・ファン・デル・ブルクAdrian van der Burgが4代将軍家綱に謁見のため参府したときに随行した)と題して一部を訳出している(訳出頁を読むはこちら→「尾崎義訳出Olof Eriksson Willmanの日本旅行記について。該当の雑誌が古く劣化が激しいため図書館では撮影での許可のみ。P.34とP.35は撮影漏れ。そのため大分前にコピーしておいたものをあてた)。今年は日瑞交流150年の大きな節目の年でスウェーデン研究者たちによる書籍、岡澤憲芙監修日瑞150年委員会編『日本・スウェーデン交流150年 足跡と今、そしてこれから』も刊行されているが、この本の最初の方にはヴィルマンに関する記述もある。ここで注目したいのはベリエンシェーナが1647年8月8日に、コイエットが1647年に来日していることが分かっていることだろう。ヴィルマンより先に来日しているスウェーデン人がいたことだ。筆者もてっきりヴィルマンだと思っていた。ヴィルマン(スウェーデン海軍大尉)の『日本滞在記』には道中や謁見の様子が小まめに記されていて興味が尽きないが、特に何月何日某所云々と筆者の住んでいる地名も出て来て大いに刺激される。

スウェーデン王立図書館のパンフレットを見るはこちら→「20180917113622.pdf」
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【写真: ①王立(国立)図書館外観 ②閲覧室 ③壁側の書棚 ④日本関係貴重書 ⑤ツゥンベリーの『日本植物誌』の扉 ⑥⑤の本文の一部、植物の写生図を特別に閲覧 ⑦特別貴重室での中世の手稿ギガス写本Condex gigas悪魔の聖書 ⑧⑦の本文の一部 ⑨デジタルで新聞などが読めるコーナー】「20181108181937.pdf」をダウンロード

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 22 トーマス・トランストロンメル氏の「わが回想」のあるシーンを地図上で歩く 続々

同じく「トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 46」(2012年1月31日 の記事)から再録。

今一万分の一のストックホルムの市内地図を広げてトーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』に出てくる地名などを記し、その足跡を追っている。もちろん戦前と現在では街の風景は変わっているに違いないが(行ったことがないので分からないが、テレビの映像やインターネットの動画で多少知っている程度。近い将来行ってみたいが。筆者注―今回やっと実現した !)、地図上では公共の建物、駅名などはそんなに変化がないはずだが、通り名などは変化しているところもあるはずだ。また、イングマール・ベルイマン映画の『悶え』は著者の学校がロケに使われた映画で、当時の学校生活の雰囲気を見事に活写しているだけでなく、その当時の学校周辺の建物なども写し出していて大変印象深かった。特にロケで使われた学校は、威厳がある建物、また、高台にあることも映像を通じて判った。

さて、この『わが回想』をページを追いながら実際に地図上を歩いてみよう。最初出てくるのは著者や母方の両親の住所、スウェーデンボリィ33番地、ブレーキンゲ通り、その後の転居先住所、フォルクンガ通り57番地、警察本部のあるクングスホルメン(今でもこの場所にある。地図で見ると偶然にも筆者らが宿泊したホテルからすぐ近くにあるではないか)、ストックホルムのど真ん中で消えたところへトルイェット、家に帰る途中の橋ノルブロー 、旧市街ガムラスタンそしてスルッセンからセーデルへ、鉄道博物館のあるイエヴレ、国立歴史博物館通いでは路面電車でロスラグスツルまで、高台にある南ラテン中学校通勤は家からビョルンの庭園、イェート通りやヘーベリィ通りを通って行く、というように該当の地名を一つ一つ蛍光ペンで記しながら追ってみた。著者の行動範囲が判って面白かった。そして印象に残った二ヶ所―ストックホルムのど真ん中で迷って家に帰るところや南ラテン中学校通勤のところ―の距離を大雑把だが試しに測ってみたのだが、結果的には想像していたより長い距離ではなかった。テキストの地名を地図上で当たり、行動範囲を描き、点→線→面に到達していく過程の面白味を味わった。ついでにインターネットでストックホルムの現在の映像を見て、夜のスルッセン辺りを確認したのだ。それにしても周りは大小の島々という多島海である。余談だが、近代的な建物と古い建物が混在しているような街並みの中に緑色に染められた公園が多いことに気づくと同時に、病院も多く存在していることも地図で判った。

関係地図を見るはこちら→「ストックホルムの地図.pdf」「20180917122404.pdf」
※実は2012年1月時にはストックホルムの一万分の一の地図を使って蛍光ペンで関係する地名を塗りつぶして地図を保管していたが、その地図が見つからず改めて買い直そうと書店で同じものを買い求めたところ、現在はこの一万分の一の地図は発売していないらしい。仕方なく縮尺7,400分の一の『STOCKHOLM & SOUTHERN SWEDEN』を購入して使用した。

トーマス・トランストロンメル氏の作品「わが回想」に興味ある方はこちらを読まれたい→http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2011/10/post-d9a9.html

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 21 トーマス・トランストロンメル氏の「わが回想」のあるシーンを地図上で歩く 続

下記はこのコラム「トーマス・トランストロンメルの作品を読む 9」(2011年10月26日の記事)からの再録。これはトーマス・トランストロンメル氏の「わが回想」の一部(ストックホルムの中心部ヘトルイエットHötorgetの周辺で迷い子になり一人で帰宅する件。筆者の試訳)

1930年代の半ばのある日私はストックホルムのど真ん中で消えた。母と私は学校の演奏会に行っていた。入口のそばで押しつぶされて母と握っていた手を離してしまったのだ。人混みの中で何も手助けもなく流された。私は大分背が低かったから見つけられなかったのだ。ヘトルイエットHötorgetに暗闇が降りていた。身の危険を感じて私は入口に立っていた。私の周りに人集りができていたが彼らは自分のことしか考えていなかった。私は持ちこたえられなかった。死の経験をした最初だった。
パニックが起きたあと、私は考え始めた。徒歩で家に帰れるだろう。絶対にできるはずだ。私たちはバスでやって来た。いつものように座席に座って窓の外を眺めた。王宮が窓外に流れ去った。今しなければならないことは単純に同じようにして徒歩で引き返すことだった。バス停留所を一つ一つ。
真っ直ぐに歩いた。長い間歩いているとわずか一ヶ所だけはっきりと覚えていた。ノルブロ―に着いて橋の下の水を眺めたのだ。ここでの交通量は多く、私はどうしても道路を横断できなかった。私の脇に立っていた一人の男性の方を振り向いた。「ここは混んでいますね」と私が言うと、彼は手をつないで横断してくれた。
だがそれから彼は私を突き放した。小さな子どもが暗い夕方にストックホルムを一人でほっつき歩くこと、そのことがこの男性や見知らぬ大人たちには全く問題ないと思うような神経が私には分からない。しかしそれが流儀だった。旅の残像―旧市街のガムラスタンを通り、スルッセンを越えてセーデルに入った―は複雑だったに違いない。多分犬や伝書鳩がしたように同じ神秘的な羅針盤の力を借りながら自分の方向に従って帰宅したのだろう。たとえ彼らが突き放そうとしても常に自分の帰り道は見つけられる。私の歩行のこのところは何も覚えていない。確かに自己信頼度はますます増大した。だからついに家に着けたのだ。祖父が私を出迎えてくれた。包容力のある母は警察署で座っていた。私の捜索の行方を見守りながら。祖父はくじけなかった。祖父は全く自然に受け入れてくれた。もちろんほっとしたが文句は言わなかった。すべては安全で自然なことに尽きた。

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【写真: トーマス・トランストロンメル著『詩集』に収録されている「わが回想」の本文の一部。写真は1933年ルンマレにて。祖父や両親らと一緒の写真。2011年秋にe-bookでゲットしたもの】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 20 トーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』のあるシーンを地図上で歩く

ここでかつてこのコラムで書いたトランストロンメル氏の「わが回想」に言及した一部を再録してみよう。何故なら、今回の図書館研修後の自由時間に、トランストロンメル氏の「わが回想」にある地名を実際に辿ってみる計画を練っていて地図などを用意していたからだ。しかし、後述するガムラスタン(旧市街)の街歩きに魅了されその計画は見事に消え伏せてしまった。それでもバスでの市内遊覧や街歩きでトランストロンメル氏の「わが回想」の中の地名が所々に出現していたのだ。その最たるものがHötorgetだ。
ところで、文学作品と地名・地理あるいは都市という切り口で文芸評論を書いたのは前田愛だった。つい一週間前に毎日新聞夕刊(2018年9月11日3面「著者のことば」)に明治の文豪夏目漱石に関して早大名誉教授中島国彦氏が『漱石の地図張―歩く・見る・読む』なる本を上梓したことが載っていた。本郷、小石川、牛込など坂と台地に注目して作中の場所や地理について考察。地理に着目することによって作品の時代背景が鮮明に見えてくると書いている。これほどまでに本格的なものではないが、文学鑑賞の方法論としては似通っている、トランストロンメル氏の「わが回想」の地名トレースの試みは、都市と文学、その背景を探るには路上観察の点でも少しは貢献するかもしれない。
「わが回想」は著者が60歳の時に書かれた、幼少期~大学入学直前までを綴った自伝的散文詩である。トランストロンメル氏は60歳の時に脳梗塞で倒れ、右手に麻痺が残り話すことも不自由な身になりながらも試作し生き延び、2011年にノーベル文学賞を受賞。受賞式には車イスで臨み、受賞スピーチは彼に替わって夫人が流暢なクウィーンズ イングリッシュで行ったことは記憶に新しい。また、クラシック音楽に造詣が深く自らもピアノを弾いた。2015年に83歳で亡くなっている。23年間病と闘っていたことになる。「わが回想」は、記憶、博物館、小学校、戦争時代、図書館、グラマースクール、エキソシスト、ラテン学校からなり、幼少期~高校時代の思い出が面白い可笑しく、時に哀しく綴られている。おませな子どもみたいな感じと受け取るには容易だが、むしろ今でいうシングルマザーの教師の一人息子が、絵を描き、工作や昆虫採集(このコラムでカブトムシの標本の写真があるが、これは「わが回想」に書かれている)をし、博物館や図書館通いもしている。また、学校生活特に授業のこともややシニカルに書いている。これらのことから見えてくるのは、知的で内気なしかも空想力に長けた感受性豊かな子どもだったことだ。中学生時代には学校がイングマール・ベルィマンの映画『悶え』(原題 Hets)のロケに使われて出演もしている。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 19 へトルイェトHötorget

もう一つこのコンサート ホール前の市場Hötorgetについて書き記しておきたい。前に書いた2011年のノーベル文学賞受賞者トーマス・トランストロンメル氏の「わが回想MINNENA SER MIG 1993」に出てくる印象的な場面がここHötorgetだ。「わが回想」に言及する前にトーマス・トランストロンメル氏の初期の詩を紹介したい。詩集『Dikter och prosa 1954-2004』の初期作品『17の詩篇』の有名な詩。

秋の群島

偶然にも歩行者がここで
巨大な樫の木に出会う。
幅一ハロンの王冠を被った
9月の海の
深緑色した要塞の前に立つ化石化した大鹿のようだ。

北の嵐。ナナカマドの実の房が成熟するとき。
暗がりで目が覚め
星座が木の上高く小屋の中を踏みつけているのが聞こえる。

(筆者の試訳)

また、俳句にも造詣が深く短詩を書いている。

高圧線の幾すじ―
凍れる国に弦を張る
音楽圏の北の涯。

(エイコ・デューク訳)

この詩のスウェーデン語の原詩と英訳を示そう。

Kraftledningarna
spända i köldens rike
norr om all musik.

The power lines streched across the kingdom of frost
north of all music.

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 18 コンサートホール近くでランチ 続

キャッシュレスの話の続き。つい一週間前に起きた北海道の大地震で想定外の「ブラック アウト」(大停電)があったが、北海道では全域で人々の日常生活に大打撃をもたらした。そこで浮上した問題は、カード決済を中心に据えた人たちが身動きが取れない状態に陥ったということだ。自然災害で文明の利器の限界を浮き彫りにされた格好だ。日本郵便は当初の計画を前倒しにして2020年の東京オリンピック開催にあわせてキャッシュレス化を急ぐと発表したが、果たしてそんなに急ぐ必要があるのか。キャッシュレス化にはいろいろとメリットはあるらしいがデミリットも充分考慮してほしい。
さて、ストックホルムの中心街でのランチの話しに戻るが、時間制限もあってセルフ式の海鮮料理店でランチメニューから魚スープをチョイスしてレジに進んだ。キャッシュを出すとカードでと催促されたが、ここは折角スウェーデンクローナに替えて臨んだわけだから使わなきゃ損と一応押し通した。女性店員は、渋々レジの下からキャッシュを探しておつりをくれた。日本では考えられない光景だか本当に現金がないのだ。わずか20クローナ以下のランチの代金までカード支払いで済ますのだ。仲間の一人は戸惑ったがどうにかクリアした。魚スープとパンそれにビールでランチを食べ終えて、さて、トイレタイム。トイレはスクウェア形の地下食堂街の左端にあって、先客が在室中で塞がっていた。しばらく経つと次の人の順番だったが、ここで問題が。入ろうとしたら有料でしかもカードで6クローナ支払いとトイレの左側入口に小さなカード支払い機が設置されているではないか。仲間の一人がカードを入れるもなかなか「non-approved」と表示され、3度目でやっと「approvedlと表示され入れた!急いで用を足す人はさぞ困ってしまうと短絡的に考えてしまうのだが。要は慣れかー。
キャッシュレスがここまで進んでいるストックホルムの現状を「視察」できたことはありがたいことだったか、戸惑う筆者だった。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 17 コンサート ホール近くでランチ

_20180912_121813_2 【写真: スウェーデンの魚スープfisksoppa】

「百聞は一見にしかず」のストックホルム市立図書館。今度訪ねる時はじっくりと自分の好きな作家を調べたい。1日中ずっといても飽きない図書館かも。それこそハードとソフトの融合形だ。カウンター脇には軽い読物の推理小説など文庫本も。スウェーデン発の犯人推理仕立ての警部もののシリーズは世界的に知られている。もちろん日本でも人気だ。

コンサートホールの斜め前にある映画館の地下で、北欧図書館視察団の仲間2人と昼飯を食べた。ランチタイムなので混雑していることは仕方ないとしても、どんな料理を食するか少し手間取った。なぜかふとアメリカのフィラデルフィアのオールドマーケットプレスの店の光景を思い浮かべた。ぐるぐると地下食堂を一巡後、手軽なスウェーデン料理が食べられる鮮魚料理店Kajsas Fiskに入った。そこで多少戸惑いながらスウェーデンの魚スープをパンと一緒に食べたのだ。レシートは右下。20181203174358_00001_4
この魚スープfisksoppa(ネットでレシピを紹介しているので参照されたい。→http://cookpad.com/recipe/2531139#shre_mail)は、日本のあら汁に似て美味。あら汁ほど骨っぽさはないが、鱈、鮭などの切り身、じゃがいも、太ネギ、バター、トマトの水煮、サワークリームなどを入れたスウェーデンの魚スープで、一応筆者の口に合った。 しかし、先ほど“戸惑いながら”と書いた理由は、店で代金を支払う時にキャッシュを出したら怪訝な顔をされカードで支払ってくれと女性店員に言われたからだ。また、この後トイレでちょっとした事件が・・・。この話の続きはまた。

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【写真左上: コンサートホール前の彫刻『オルフェ群像』
写真左下: コンサートホールのネームプレート】

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【写真: コンサートホール前の広場】
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【写真: 広場の出店果物屋
色鮮やかに旬のものが並ぶ】
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【写真: 映画館Filmstaden Sergel 筆者たちが
入った鮮魚料理店Kajsas fiskがある地下食堂街】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 16 ストックホルム市立図書館 続

まずコンピューターでスウェーデンの19世紀の国民的作家アウグスト・ストリンドベルイを検索、次にその作家の影響大のこれまたスウェーデンが誇る映画監督イングマール・ベルィマンを検索をしていたら、クリックして行くうちにダウンロードが次々と出て慌ててしまった。終にはコンピューターが一時動かなくなったので、近くにいた図書館人に恐る恐る拙いスウェーデン語と英語で訊く始末。我ながら少し恥ずかしかった。でも、少し離れたところから大丈夫かと伺っていたら、コンピューターはフリーズしていず動いていた。一安心。
「イングマール・ベルィマンのコーナーは階下です」と親切にも教えてくれたが時間がないため、階下へ行くことを断念せざわるを得なく説明会室へ。図書館人に折角教えてもらったのに大変残念だった。筆者らを案内してくれた人の良さそうな図書館人は、ホテルから近いからまた寄ればと気さくに話してくれた。筆者は文学特に詩のコーナーを見つけて最近刊行された古典から現代までの分厚いスウェーデンの詩のアンソロジーを閲覧することができた。カメラに収めたことは言うまでもない。

「ねぇ、ねぇ、この書棚を背景に私を撮ってくれませんか」
しきりにカメラに収めることに余念がない視察団の一人が声をかけてきた。
「いいですよ、バックが円形で書棚が超高い、きっと映えますよ」
筆者も撮ってもらった。

活気のある説明会が終わり館内を一巡、目立ったのは総選挙の期日前投票のコーナーだった。四角い箱に色別に政党名が書かれていた。有権者は自分が入れたい候補者と政党名を選んで投票するようだ(定数349のスウェーデン総選挙は、比例代表制で310議席が29選挙区、残りの39議席は全国で得票に応じて配分されるシステム。有権者は726万人―毎日新聞2018年9月11日付朝刊8面。選挙の仕方についてはこちらが参考になる→https://www.thelocal.se)

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【写真: 検索して出てきたアウグスト・ストリンドベリイの画面】
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【写真: 借出場所】

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【写真: 館内にある期日前投票所】


ストックホルム市立図書館のパンフレット。8月~10月にかけての行事も掲載されている。パンフレットを見るはこちら→「20180917113011.pdf」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 15 ストックホルム市立図書館

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ストックホルム市立図書館には今スウェーデン総選挙用の事前投票所が設置されている。今回の選挙ではEU離脱や移民問題が争点で、事前の調査で反移民政策を掲げる極右政党のスウェーデン民主党が大躍進して社会民主労働党を押し退けるとの予測が出ているらしく、こうなれば1917年の結党以来初めてで政治の舵取りが難しく一大事である。ここに来てSNSなどで極右支援の大量の書き込みがあるとの不穏の動きも。
(筆者注: 今朝総選挙の結果が出て極右政党が大躍進するも、現政権のロヴェーン首相率いる中道左派・社会民主労働党が第一党をかろうじて守った格好だ。EU離脱や移民政策問題を抱えて政権運営が難しくなった模様。詳しくはこちらを参照→https://www.dn.se)。

建築家グンナール・アスプルンド設計のストックホルム市立図書館は、外観から圧倒される。 『世界の図書館』にも掲載されている有名な図書館だ。優しそうな女性図書館人が北欧図書館視察団を迎えてくれた。エントランスすぐに円形の大書架が並ぶホール。見事と言うほかに言葉がない。Det är mycket bra !今までに見たことのない図書館だ。しかもサーメ語や少数言語にも配慮されながらジャンル別に開架されている。京都の国際日本文化研究センターの図書館も円形だが規模が小さい。規模が違う、人が違う、意識が違う―。

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建築家グンナール・アスプルンドについて。市立図書館のパンフレットを見るはこちら→「20180917113540.pdf」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 14 憧れのスウェーデン・ストックホルムバス遊覧

スウェーデンは他の北欧諸国、特にアイスランドやノルウェーとともにいつかは行ってみたい国だった。約30年前にニューヨークのケネディ空港で見た鷲の翼をもつコンコルドの飛び立つ勇姿を近くで見たとき、これでニューヨークから北欧に一気に飛び立てると真剣に考えた。しかし、今はそのコンコルドはない。それ以来北欧特にスウェーデン行き決行は延びに延びてやっと今回実現の運びに。
それは空路ではなく航路の終着点ストックホルムから始まった。シリアライン ターミナル内で現地ガイドと合流してバスに乗り込んだ。北欧図書館視察団のスウェーデン最初の図書館研修は、ストックホルム市立図書館だ。約束の見学時間にはまだ早いこともあって、少しの間バスでの市内遊覧となった。ストックホルムの東端Värthamnenバットハムン港シリアターミナルからバスはゆっくりと窓外を眺められるようにスピードを落として走行。まず現地ガイドさんが案内したのは、ヤーデットの芝で覆われた小高い丘、元は軍の練習場だったところ、次にスウェーデンテレビやラジオ放送局。実は筆者が常に現地語の生きた言語を身につけたいと考えてスウェーデン語放送をネットで聴いているのだ。その放送局を案内されたのだ。感激!ここで放送しているんだ、最新のニュースや天気報それに身近な話題を英米ほかのポップミュージックを挟んでネット配信している。1、2カ月前だったか、Kポップって、なにと質問していたアナウンサーがいたが)。最近のネットだと音声だけではなく、写真付きの記事がリアルに見れるから今は便利な時代である。ドュールゴーデン地区に入ると人気のスウェーデンが生んだ4人組ポップグループ、アバ(1970年代、「ダンシング クィーン」が代表ヒット曲)の博物館、ヴァーサ博物館、途中世界最古の野外博物館スカンセン(古き良き時代のスウェーデンが見学できる。本ではよく知っていた)の一角では、日本人たちによる撮影が行われている現場に遭遇した。来年のNHK大河ドラマ「いだてん―東京オリンピック噺 オリンピックに初参加 金栗四三」のストックホルムロケと判明。主役の中村勘九郎も来ていた。来年5月頃放送予定とか。
バスはトラムなどとすれ違いながら王立劇場などのある高級住宅街(住宅は今は供給不足、分譲と賃貸の割合は6対4だそうだ)や湖岸通りを抜け、王宮や大聖堂があるガムラスタン(12、3世紀~17世紀の建物で国の重要文化財に指定されている旧市街)からセーデルマルム地区のスルッセン方面へ。メーラレン湖とバルト海の水面を調節する水門(スルッセン)は、今150年に一度の改修工事中で大型の重機が何台も動いていた。2030年に完成予定らしい。先ほど通った湖岸通りに『ユニクロ』が明日北欧初の出店で開店準備中。店の前には大きな赤いユニクロの文字が踊っていたばかりでなく、トラムやバスにも派手な宣伝を繰り広げていた。スウェーデンのファストファッション『H&M』に向かい撃つビジネス展開になりそうだ。日本のアパレル企業がデザインの優れた北欧の地で認知されるか。
バスはさらにメーラレン湖河畔の橋を渡ってしばらく走り小高い丘で少しの間停止した。そこはストックホルムの王宮など有名な歴史的な建造物が一望できるまさしく絶景で撮影スポットになっている。なるほど北の水の都ベニスという意味がここに来て初めてわかる。14の島々からなるストックホルムは水の都で島を繋ぐフェリーが頻繁に出ている。ニューヨークのブルックリン橋の撮影スポットから眺めるマンハッタン島とはまた違った趣である。筆者流の新たな絵葉書が出来た格好だ。

追記 たまたまかは知らないが(そんなことばのニュアンスだったか)、シリア ラインの船着き場から次の訪問館のストックホルム市立図書館へ行くにはまだ時間がたっぷりあったので、バスガイド付きのバスでの市内観光となった。改めて旅行会社が作成した大まかなスケジュールを確認したがそこには市内観光とは書いてなかった。
バスの中から撮影したストックホルム市内をビデオで観るはこちら→
【ストックホルム市内観光①】
https://youtu.be/dzR6xuEITHw
【ストックホルム市内観光②】
https://youtu.be/rux7CFzUsQE
【ストックホルム市内観光③】
https://youtu.be/vYzV31a5cZc
【ストックホルム市内観光④】
https://youtu.be/mNP4NfQPaDw

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 13 スウェーデンのストックホルム港に入る前に

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てっきりスウェーデンのストックホルムにはアーランダ空港から入るものと勝手に想像していたが、いやいや、フィンランド湾、バルト海をショートクルーズしながら夕暮れ、夜、早朝としばしゆったりとした“海上の時間”を楽しんだ。晴れが続くかと思いきや、やがて暗雲が立ち込め忽ち雨に。3時間位過ぎると、今度は晴れ間が見えるという具合に気まぐれな天気に遭遇しながら船旅の醍醐味を味わった。暗雲が立ち込めた光景は不気味で、何故かイングマール・ベルィマンの映画の一シーンを思い浮かべた。北欧の人たちは、天気を気にせずマイペースでむしろ気まぐれな天気を楽しんでいるらしい。我々日本人は雨に対してセンスシティブだ。そのことは日本文学や随筆を読めばよくわかる。日本語には雨を表す表現の何と多いことか。しばし、待てよ旅人、このバルト海を眺めると見方が変わるような気がする。秋から長い冬を思うと激しい風雪に耐えなければならない過酷さを想像してしまうのだ。また、バルト海は、ヴァイキングの時代、中世のハンザ同盟の沿岸交易の時代、近世の覇権争い、近現代の戦争の時代には要衝海域であったため幾多の戦いの場ともなった歴史をもつ。
そうして、「シリア シンフォニー」号のデッキに立って朝日を拝めれば、少し前の真夜中の揺れは何だったのか。快と不快のはざまで心も揺れ動いたことは確かだろう。このルートは途中オーランド諸島のマリエハムンを経由してストックホルム港に朝9時半に入る。時間を1時間戻してしばらく経つが、ストックホルムが近づくにつれて群島のサマーハウスが所々に姿を現わし始めた。本で読んだ光景が広がる。サマーハウスを持つことはスウェーデン人のステータスなのだ。そうした贅沢な早朝の景色は点在するサマーハウスを視野に入れて船が、静かに方向をかえて旅の終着地ストックホルムに入っていく。ゆったりとした時が流れていくのを感じた。

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【写真: 上 船上からの朝方の眺め 写真: 中央 島々に点在するサマーハウスと思しき建物 写真: 下 ストックホルム港】


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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 12 豪華客船シリヤ シンフォニーでバルト海クルーズ 続

フィンランディア ウォッカ。京都の祇園にある店の名前も『フィンランディア』。7階のお店が並ぶフロア。スーパーマーケット。ムーミングッズ。That's show time. デッキからの眺め。

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『シリアシンフォニー』号にはもちろん書店も図書館もなかった(笑)

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 11 豪華客船シリヤ シンフォニーでバルト海クルーズ

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いつかは豪華客船に乗船してみたいと考えていたが、まさかこういうところで実現するとは夢にも思わなかった。横浜の大桟橋では飛鳥Ⅱ号を時々見かけるし、入港すると話題になるクイーンエリザベスⅡ号などはよく知られている。また、地中海あたりではこのような豪華客船クルーズが事故にあったりして深刻な事態を招いたこともテレビの報道で広く知られた事実。夢を運ぶ豪華客船が一瞬悪夢化し絶望の淵を渡る―。映画でお馴染みの豪華客船(タイタニック号)の沈没事故はこの典型だろう。
それはさておき夢の舞台に乗船だ。2000人以上の乗客を乗せた「シリア シンフォニー」号は、現地時間午後5時一路バルト海をクルーズしながらスウェーデンのストックホルムへ。快晴、気温24度。出航だ。11階のデッキから眺めるヘルシンキ港は180度パノラマの正真正銘のオーシャンビューである。船が離れる模様はしっかりとビデオカメラに収めた。船中一泊の始まりだ。フィンランドやスウェーデンなど地元のリタイア組のグループ、南米、韓国のグループ、日本のグループなど若い夫婦や老人まで多種多様である。6階と7階にはカフェやレストラン、土産物店、スーパーマーケットなどが並ぶ。7階のインフォメーションセンターではユーロからスウェーデンクローナなど両替ができる。何せお金に関しては慣れないと小銭がどんどん溜まってしまうのでウンザリしてしまうほど。トランジットのデンマーク・コペンハーゲン空港ではユーロは使えるがお釣りはデンマーククローナ、フィンランドではユーロのみ、スウェーデンではスウェーデンクローナのみ使用できると国よってまちまち。EU域内外の経済事情が覗けて興味深いが、観光客としては厄介である。特にスウェーデンは世界でもっとも進んだカード社会でそこではキャシュレスが浸透していた。スウェーデン中央銀行が紙幣を造るのを止める議論までしていると報道されて知ってはいたが、ここまで進んでいるとはリアルに驚きである。実際に遭遇した事例はのちほど紹介したい。
やがて楽しい夕食の時間。6階のレストランでビュッフェ形式のディナー、英語、フィン語、スウェーデン語で書かれたメニューは分かるが日本語で書かれたメニューがあったのにはサプライズだった。サーモンの生と焼き物、ゆで卵とスクランブルエッグ、エビ、小魚、ムール貝、ローストビーフ、ハム各種とソーセージ類、ミートボール、ポテト、キュウリやトマト、パン各種、軽いビールにワインなどを嗜んだ。もちろんこの他にも揚げ物、肉類(固そうだった)、ヨーグルトやデザート各種、ソース各種など。サーモンはさすが本場もので美味。意外や意外、キュウリがヘルシンキの朝食でもあったが新鮮で美味しかった。筆者的には醤油がほしいところで、周りを見渡したらやはり調味料コーナーに塩、ソースと並んでキッコーマンの醤油瓶があった。味付けに使ったことは言うまでもない。料理は自然の恵みがもたらす最高の贈物、感謝しつつ食べた。
下記の写真の説明、上から下へ。
サントリーのウィスキー「響」など高級ウィスキーが並んだ土産物店のコーナー。「響」は日本では手に入りにくいらしい。現に筆者の利用する駅近くの酒店では「響」は品切でいつ入荷するか分からないとわざわざ貼り紙が。6階のレストランでのディナー。7階のインフォメーション センターと寿司店にあった日本のサッポロビールとキッコーマン醤油。働いている人は全員外国人。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 10 ヘルシンキベイエリア

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【写真: ホテルに隣接する日本人経営のおみやげ店『NORDIC STAR』で買った2枚の絵葉書】

今まであまり触れずずまいだった『Library 10』は、音楽関係に特化した公共図書館で郵便局の2階にある。3Dプリンターもコンパクトだが使えるしまた、音楽スタジオまで装備されているのにはびっくり仰天。音楽関係が中心なので書籍はほんの一角にあるにすぎない。郵便局の上とあってロケーションもよく、かなり活用頻度も高いようだ。バックヤードで説明会を催したほどで館内は狭く少しごちゃごちゃしている感じは歪めない。帰り際出口付近で本格的な回転寿司店を見つけたがまだ開店していない様子。

さて、ヘルシンキベイエリアを少し活写してみよう。ホテルから次の訪問国スウェーデンのストックホルムに船で向かうためベイエリアの船の乗船口にバスを走らせ、しばしくつろぎの時間があった。同じ港町横浜赤レンガ倉庫の個性的な商店街を思い浮かべるにはそう時間がかからない、同じような雰囲気のマーケットプレスがあって店が数珠繋ぎに隣接して商いをしていた。その数4、50軒あるかないか(ビデオには収めたが・・・)。その先にはシティホールがあって船着場近辺には屋台が犇めきあっている。山下公園にたくさんの屋台が並んでいる光景を想像すれば足りる。面白かったのはビールを置いている店がほとんどないことだ。フィンランドはアルコールの厳しい規制があって普段スーパーなどには度数が軽いものしか売っていないというのだ。ものの本によれば、3時間で行ける距離にある隣国エストニアのタリンに行ってアルコールを嗜むそうだ。で、昼間から酔いしれているのはフィンランド人ばかりといわれているらしい。筆者は北欧でもこんなに暑いのは珍しいのではないかと少し戸惑いながら、やはりこのベイエリアでビールを嗜むのが一番と4人でシティホールのすぐ近くにあるレストランのオープンテラスに座って地元のビールで乾杯した。スコール!遅い午後の燦々と輝く陽を浴びて飲むビールは幸せそのもの。皆さん、次第に赤ら顔になった。
乗船時刻が刻一刻と近づいている。あと10分で乗船である。左前方高くには観覧車が回っている。その一つだけサウナ付きのワゴンがあって、現地ガイドさんによると、乗るにはかなり高いお金を払わなければならないらしい。
港町ヘルシンキは雲が泳ぎ、豪華客船が停泊する蒼い海に夏の影を大きく落としていた。まるで絵葉書の世界にいるように色鮮やかである。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 9 パシラ図書館研修・館内視察

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ヘルシンキ中央駅から一つ目の駅パシラ駅に隣接する公共図書館の中枢的な役割を担うパシラ図書館(ヘルシンキの東側)。パシラ駅は改修工事中で駅の外観は少し見えたにすぎない。背の高い図書館人に淀みのない英語で30分ほど図書館について説明を受けた。図書館の人から撮影許可を得て筆者はここでもビデオカメラを回した。その後女性図書館人に館内を案内されながら、有名な建築家の設計による閲覧メインステージ(天の川など宇宙をイメージして造形)、音楽関係の棚、日本書の棚(二昔前の日本の文学、辞典、日本語関係書、評論、文学などが並んでいた。最近は日本語が人気だという)、マンガ(“manga”とローマ字表記されていた)、児童書コーナー(担当者にプチレクチャーを受けた)、バーチャルコーナーなどを見学。この館内での注目は、移民の人たちにフィンランド語を基礎から教えるコーナーが設けられていて、講師はボランティアで行っていることだ。また、本と接することが苦手な子どもたちには専門校で特別に訓練を受けた読書介助犬がつく。「今日はサーメの子どもたちも来ていますよ」とは女性図書館人。サーメとはノルウェー、スウェーデン、フィンランドやロシアに跨がって住んでいる北極圏に近いラップランドの少数民族の名称。ともかく少数民族にも手厚く、多言語多文化を受け入れて多様性に対応していていることが見事である。女性図書館人もお気に入りの螺旋状に多種多様な書籍が積み上げられた、本物そっくりの彫刻が2階の中ほどにあった。「実はこの中には針金が施されているの」と親切にも種明かしまでしてくれた。日本語のドラえもんの漫画もあってその収書能力の高さを伺わせる。実はこの12月初めにヘルシンキ中央図書館の開館に伴って一部ジャンルを移す計画だという。図書館研修・視察は貴重な体験の連続と発見の旅でもあるのだ。

先に少し触れたヘルシンキ大学図書館では、今は購入予算の95%が電子情報(デジタル化された情報)で紙媒体はわずか5%にすぎないと図書館人から告げられ、かつて書籍の受入をしていたコーナーを実際に見学し、パソコンやコピー機などが置かれただけのサッパリしたコーナーに変わっていたのを目にした時にこれまた、強いショックを受けた。ほんの少ししか紙媒体の本を買わないというのだ。女性の図書館人に説明を受けながら館内を一巡、芬語、瑞語、英語、独語、露語などで書かれた専門雑誌閲覧室、少し贅沢な大学院生の個室や子ども預け室それにテラスに出れば外の景色は最高、リラックスできるようにレイアウトされている。書棚の中に日本の駒沢大学から寄付された仏教書(現地のガイドさんも言っていたが)、歴史書、文学書、辞典や語学書などが並べられた日本書のコーナーもあった。昨日一番目に訪問したフィンランド国立図書館は納本制度(legal deposit)を実施ている特別な図書館だが、ヘルシンキ大学は機能性を重視したリアルな図書館で世界の大学ランキングの上位入りを目指して戦略的に大学・大学図書館運営を図っている。そして目標はほぼ達成していると数字を示してくれた(プレゼンで)。かなり努力しているのが分る。

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【写真: 研究社の『英和大辞典』や『和英大辞典』などが棚に 】
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【写真:日本書の棚 仏教書など】
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【写真: テラスからの眺め】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】 北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 8 アカデミア書店

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『マリメッコ』のすぐ近くにある『アカデミー書店』(Akateeminen Kirjakauppa, AKademiska Bokhandeln, Pohjoisesplandi 39)。筆者は西側の入口から入った。建築家アルヴァ・アアルトAlva Aaltoの設計で有名な回廊型の書店だが、2階のカフェ『アアルト』は映画『かもめ食堂』のロケにもなった建築家の名前を冠したカフェでフィンランド人の憩いの場所でもあるようだ。吹き抜け三層構造で天井から陽が入るように透明な天窓があり、明るく開放的な書店である。棚指し部分はもちろんあるけれども、平台、平積みのスペースを重視していて本が溢れていた。しかも造本も良くカラフル。フィン語はローマ字通りに読めば良いらしいが難しい。現地ガイドさんに教えてもらった早分かりフィン語の一つ、「i」で終わる単語は外来語ということ、たとえばkioskiなど。値段的には高め。2階にはガイドブックなど日本書もあった。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 7 『かもめ食堂』

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【写真左上: 『かもめ食堂』の醤油ラーメン 写真右上: 店内の一部】【写真左下:『マリメッコ入口』 写真右下: 店内の一部】

ヘルシンキの2日目は、フィンランド図書館→近くのレストランで昼食→ヘルシンキ大学図書館のスケジュールをこなしてホテルで自由時間となった。午前中に訪問したフィンランド国立図書館は、トゥルクのロイヤルアカデミーに起源をもつヘルシンキ大学図書館の一つ。1640年開設。岩盤を崩して造られた図書館は、岩肌が見えるコーナーもあるが、一大伽藍化した書架はフレスコ画の下圧巻で北欧図書館めぐり最初の衝撃である。最初のプレゼンも英語でそれぞれ3名で分担、フィンランドが国レベルでデジタル化を進めていることがこのプレゼンで解った。ヘルシンキ大学図書館では端末で操作して本を返却するシステムの実際の流れを見学できた。

さて、ヘルシンキの街歩きはまずホテルの近くのデパートでコンセントを買うこと(『ロフト』みたいな店があったのだ)からはじまり、ストックマン百貨店(店内は『三越』みたいで高級百貨店の様子)、マリメッコ本店(中東系の高校生らしき女性2人がレジ脇で買いたいものを物色していたが、終にはレジにあったマリネッコのデザインが施されたトランプカードを購入したようだ)で買物、有名な建築家の手によるアカデミー書店見学(平積みが特長で2階のカフェは映画『かもめ食堂』のロケにも使われた。その付近には建築デザインの本も並んでいた)後、街歩きの同伴者が『かもめ食堂』を目指すと更に先きを急いだが、筆者は途中昼に食べたデザートが合わなかったのか胃の調子が悪く、歩いている途中で何度も戻しそうになったがそこは我慢、そうこうしているうちに『かもめ食堂』に到着。
『ここが映画『かもめ食堂』のロケで使われた店です。でも、店の経営者は替わっています』と好奇心の旺盛な同伴者がさりげなく告げた。映画『かもめ食堂』は2006年に公開された、荻上直子監督、小林聡美、片桐はいりともたいまさこ主演の映画。店内には比較的若い女性たちや家族連れそれに男性2、3人、みんな若い人たちである。やはり大方は日本人だ。窓側のテーブル席には小さな女の子と母親とフィンランド人夫婦がラーメンを啜っていた。筆者は胃の調子が悪いにもかかわらず、ビールと醤油ラーメンを頼んだ!これで回復するかもと無茶な、逆作用“効果”を狙ったが、店の女主人自慢のラーメンは少しずつスープから啜るも残してしまった。優しそうな女主人が下げにきたので事情を話し誤った。そして塩をもらって水に入れて飲んだ。これが即効薬の役割を果たしてその後体調は回復したのだ。異国でのラーメンはやはり“異国のラーメン”の味がする、それは日常的には日本人だけがビジネスの対象としているわけではないからだ。現地の人たちも食べにくるのでその味覚も大事にしないと客を取り込めないと思うのだ。具たくさん、結構である。筆者的にはキムチを入れてほしくなかった。何だか映画『かもめ食堂』の続編を観ている感じだった・・・。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 6 建設中のヘルシンキ中央図書館 Oodi

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【写真: 建設中のヘルシンキ中央図書館 Oodi】

今フィンランドのヘルシンキでは2018年12月1日開館予定で新図書館ヘルシンキ中央図書館 Oodi(http://www.oodihelsinki.fi/en/)が急ピッチで進められている。公共図書館のシンボルが生まれ変わるのだ。北欧図書館視察団は、特別にその図書館建設の最後の工程を現場に入って見せてもらった。安全防具を装備して見た内部は木製の床や張り巡らした配線があちこちに、まさに仕上げ一歩手前の作業である。なぜこんなことまでして潜入したのか。そのわけは3階にあがってカフェテラスになるデッキにさしかかったときの景観でわかった。360度とまではいかないが、街の歴史的建造物が独り占めできる、まさに圧巻の景色がそこにあったからに他ならない。先ほど見て歩いた大聖堂・元老院ももちろんのこと、ミュージックホール、 フィンランディアホール、カンピ大聖堂などが見える、色鮮やかな絵葉書でも見ている光景が広がっていた。しかも夏雲がくっきり、ムーミンさんやマリメッコさんに、なぜかボンジュールと言いたくなった。まだ行ったことのないパリの屋根裏からの光景と、あるいはこれまた行ったことのないタリンの中世風の町並みの光景を思い浮かべていた(今はWEBCAMなどで生中継されているのでリアルタイムで見られる)。この新図書館の外観もまた、船体風の曲線が優れたデザイン力を発揮している。まだまだ建設途上だが出来上がりが楽しみである。案内人の現場監督はユーモアを解する朗らかな人それにスラッとした優しそうな図書館人、フィンランド人の心意気に触れた思いだった。さて、新図書館のコンセプトは木の温もりを感じながらいろいろな機能を楽しめる空間(仕事、読書、交流、遊び、カフェ、サウナ併設などなど)にしたいらしい。

「そこは自転車道、歩かないで」と現地のガイドTさんが少し声をあらげた。確かに市民の足である自転車道は太くて長い。彼は36年ヘルシンキに住んでいて音楽ライターの仕事をしていると話した。

帰り際目にした列車(特急列車?)の発着場。やはりデザインが優れている。
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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 5 ヘルシンキ大聖堂・元老院の前の広場

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かつて『PS JOURNAL』(現『CPC JOURNAL』)にスロヴェニアのドラゴ氏が、京都散策について書いていたことを思い出した(エッセイはWebのみの掲載。http://crosscul.com)。冬の、そう大晦日の平安神宮の“広場”、それをヨーロッパの広場と比較しながら書いていたのだ。“広場”はヨーロッパ人にすれば都市空間を演出する不可欠な基地で、古代ギリシャのアゴラをその起源にもつが、教会、宮殿、市場の前に計画的に配置されコミュニティの重要な機能を果たしてきたのだ。ドラゴ氏が指摘したようにヨーロッパではごく当たり前のことが日本には見いだせないでいたが、平安神宮の広場にそれを見つけて驚きを隠せない書き振りだった。この記事は11年前のエッセイで、今度は筆者がヨーロッパしかも北欧で広場の意味を感得することになるとは、不思議な交流、クロスカルチャー的な邂逅である。平安神宮が土の上に小石を敷いた、いわば、ソフトなスクウェアだとすれば、ヘルシンキの大聖堂・元老院の広場は石畳のハードなスクウェアだといえよう。それはストックホルムのガムラスタンの石畳や広場でも同じような感情を持つ。じっくり歩くと歴史の足音も同時に聴こえてくるような気がする。昔の都トュルクがスウェーデン寄りなのを嫌って当時の帝政ロシアが港町ヘルシンキに首都を移したといわれている。都市形成史には様々な記号が隠されていてその謎を歴史に思いを馳せて解くのも面白い。ヘルシンキ大聖堂・元老院、国立国会図書館など立派な建物が広場を囲んでいる。夏空と中間色薄ベージュ色それに白色が石造りのがっしりとした建物に映えて広場もまた、その存在意義を刻印していた。歴史の重みに耐えてきた広場は、今観光客を乗せた赤色のバスが過り、その脇をトラムが走る。

ツアーよ、ツアー!
ヘルシンキ大聖堂・元老院の広場を感知せよ。
キートス。

上の写真の右側あたりのレストラン『Restaurant Sunn』で昼食。フィンランド国立図書館見学後に。

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【写真: レストラン Sunn】
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【写真: 味のない野菜スープ 】
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【写真: 濃いミートボール】
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【写真: デザート】
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【写真: 現地のビール】
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【写真: 店の入口付近に貼られていたポスター】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】 北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 4 ヘルシンキ空港到着と石野裕子著『物語 フィンランドの歴史』

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成田空港を飛び立って約11時間、45分遅れて出発したものの、乗り継ぎ地デンマーク・コペンハーゲンには予定よりやや早く午後3時半前に到着。空港で入国手続きなどを済ませ、飲食などして(カウンターでビールを供してくれた女性の胸の大胆だったこと!)休憩後午後5時半に目的地ヘルシンキ空港に出発し午後8時過ぎに到着。雨でやや涼しい感じ。極東の日本から見れば異国情緒たっぷり。ここがフィンランドのヘルシンキ、テレビでは何度も見ているが描いたイメージとそんなに違わない(情報化社会の賜物で知識が肥大化している)。何より人が少ない!空港内の案内表示にはフィンランド語、スウェーデン語それに英語の3ヵ国語で書かれていた。スウェーデン語系住民の多い地域では、スウェーデン語、フィンランド語と表記が逆転するらしい。バスに乗りホテルへ向かったが、バスの窓から見えたのは樹木群。森と湖の国は多少雨に打たれて季節の風情を醸し出していた。窓外にはまた、大型小売チェーンの郊外店が所々派手な色で顔を出していた。話しに聞いていた北欧の白夜、午後8時半過ぎなのにやはりまだ明るい。時間感覚が少しずつずれていくのを肌で感じた。
極東から北欧への長いフライトの間に石野裕子著『物語 フィンランドの歴史 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年』(中公新書 2017.10月刊)を読了。フィンランドは地政学的にはロシアとスウェーデンに挟まれた国でその歴史は550年間スウェーデンに支配され、その後100年間は帝政ロシアに支配された受難の歴史を持つ国である。1917年のロシア革命時に独立、去年独立100周年を祝ったばかりだ。フィンランドの立つ位置は今もって微妙だ。民主主義の力を信じてまた、リーマンショック後の経済回復はノキアに替わるIT産業の育成やイノベーション力にかかっている(この国の教育力には目を見張るものがある)。フィンランドは製材業や繊維産業以外にこれという資源や産業に乏しい。550万人のフィンランドはこれからどこへ向かうのか、大変関心のあるところ。
著者は国際関係論(フィンランド地域史)の権威百瀬宏先生のお弟子さんか。巻末の参考文献は分量が多いのは助かるが小さくて読めないのが残念である。

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【写真: 乗換地: デンマーク・コペンハーゲン空港】

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【写真: ヘルシンキ空港出口の標識】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】 北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 3 ノーベル文学賞受賞者トーマス・トランストロンメル氏の詩集をアカデミー書店で買ったことなど

その後は語学や言語学から文学、特に現代詩に興味を持ち詩作や小説の習作を繰り返して都会をさ迷った。要は20代は文学修行時代だった。北欧、特にスウェーデン語やスウェーデン情報はスウェーデン大使館ほかから機会あるごとに仕入れていた。2011年にノーベル文学賞を受賞したトーマス・トランストロンメル氏の詩集『SAMLADE DIKTER OCH PROSE 1954-2004』(486頁、bonnier pocket 2012)をe-bookで手に入れ、その「わが回想」の章を読んだり翻訳を試みたりしている。今回の旅行中ストックホルムのアカデミー書店で在庫一冊のみのその本を見つけ購入した。89スウェーデンクローナ。おまけはそのアカデミー書店の女性店員から弟さんが東京の池袋辺りに住んでいることを偶然に聞き出しメールアドレスを教えてもらったことだ。何と名字がトルストイだった !祖父の時代の名前だという。この女性から「あなたはスウェーデン語はどこで習ったの?」と訊かれて詳細はあまり伝えなかったが、こういうやり取りの実践的日常会話でスウェーデン語が通じたと実感した次第。語彙は不足しているけれども一応実証された。一安心したことは言うまでもない。

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【写真: 詩集全容。 長机はイケア製】
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【写真: 表紙と裏表紙】
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【写真: 「わが回想」の中でも触れられている昆虫標本。本のおもて表紙の裏やうら表紙の裏に使われていて洒落ている】


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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 2 海外旅行やスウェーデン語のことなど

海外旅行は1987年のアメリカ・ニューヨークを皮切りにサンフランシスコ、台湾、アトランタなど地域は限られているものの、ビジネストリップを含めて20回以上は行っている計算になるか。今回は2013年に愚息の卒業式出席・結婚記念日・コロンビア大学図書館・ニューヨーク大学図書館・ニューヨーク公共図書館・ニューヨーク市立大学の営業(半年後に成果があり、旅費等は賄えた)を兼ねてニューヨークに7日間滞在して以来5年振りの海外旅行である。そもそも北欧旅行は20才の学生時代にナホトカ経由で計画していて横浜港に船の出発時刻を調べに行ったほど。しかし、貧乏学生には費用面で無理だったのだ。もうはるか昔の話。ドイツ語は中学時代からNHKのラジオ講座で学び、高校時分に同じゲルマン語族に所属するスウェーデン語に興味を抱き、英語-スウェーデン語辞書を購入したりまた、外交官・北欧文学者・翻訳家の尾崎義(1903ー1969)の『スウェーデン語四週間』や文芸評論家・詩人・北欧文学者・翻訳家の山室静(1906ー2000)の『北欧文学の世界』などを読み、スウェーデン社会研究所のスウェーデン語講習会でスウェーデン語を学んだ。初級のABCから上級のノーベル文学賞受賞者ペール・ラーゲルクヴィストの作品『バラバ』を読むまで。講師は当時売れっ子だった石渡利康氏とスウェーデン人。これまたはるか昔の話。その講習会出身の人と知り合いになり、結構長くお付き合いをさせてもらった。彼は8年前(?)に亡くなったが、季刊雑誌『北欧』を20号まで出した。当時としては北欧研究者がつどった画期的な雑誌だった。高校時代にプロテスタント系教会の子どもを教えていたノルウェー人の女性の家で、週末にスウェーデン語、ノルウェー語それに英語を習った(その後渋谷の宇田川町で日本で建築を学んでいたスウェーデン人の青年から個人レッスンを少しの間受けた)。今でも思い出すのは、旧式のタイプライター_20180830_213207_2【写真: スウェーデン王立図書館内にあった年代物のタイプライター、確かメーカーは分からないがこの類いのタイプライターだったか】で打った、文化祭での英語弁論大会用の草稿に手を入れてくれたことだ。確か内容は高校野球のことでそのノルウェー人女性も来てくれた。会場はほぼ満員で150人以上の聴衆(教師と生徒)がいたはず。筆者の記憶が正しければの話だが。英語弁論は我ながら上手くいった。評判は意外と国語教師からも。これまた遠い昔の話だ。In those days! 今となってはその面影はほんの少し残すのみだが(笑)。この旅行に出掛ける直前にこのノルウェー人の所在をネットで探しだす試みをしたが近い女性は見つかったものの、まだ確証がないままだ。また、当時ノルウェーやスウェーデンには女性のペンパルがいてノルウェーやスウェーデンの近況それに教育改革の図表などを送ってくれたものだ。それは今も筆者の書棚の隅にある。
図書館をめぐる旅のストックホルムのバスの中で、現地ガイドさんが今週から学校が始まったが小学校の就学年齢が6才に引き上げられたと言っていた。【写真: 山室静著『北欧文学の世界』東海大学出版会 昭和55年刊】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 北欧図書館研修

昨日の朝成田空港に到着して7日間の北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムの旅は終了した。今回の旅はある書店の企画に参加して実現した、言わばグループ学習旅行の類い。
フィンランドのヘルシンキとスウェーデンのストックホルムにある、
フィンランド国立図書館(https://www.kansalliskirjasto.fi/en)、
ヘルシンキ大学中央図書館(http://www,helsinki.fi/kirjasto/en/home/)、
パシラ図書館(http://www,helsinki.fi/kirjasto/en/home/)、
ライブラリー10(http://www,helmet.fi/library10)、
ストックホルム市立図書館(https://biblioteket.stockholm.se/en)、
スウェーデン王立図書館(http://193.10.12.180/english)、
ウプサラ大学図書館(http://ub.uu.se/?languageld=1
シーサ図書館、
の計8館の図書館視察である。視察団は合計21名(図書館人や図書館と関係が深い人それに事務局5名、ツアーコンダクター)の混成チーム。筆者はせっかくの機会だから“何でも見てやろう”精神でビデオを片手に持ちもっぱら撮影隊風。ビデオ、携帯カメラ、デジカメそれにipadミニの代替カメラも持参した。図書館の視察・研修内容については視察団の中にはそれぞれ専門家もいるので、そちらに譲ることにして(ビデオで大半は撮らしてもらったので、図書館の視察・研修内容が知りたければこちらでカバーできる)筆者の関心度合いをリアルに綴ることにしよう。

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【写真: フィンランド国立図書館前の大聖堂】

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【写真: 図書館内のプレゼン場所の壁にあった写真】

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【写真:: 図書館内フレスコ画の下の見事なまでの書架】


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超人の面白ラーメン紀行 252 黒須&KAMUKURA and so on

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写真は神田神保町界隈にあるラーメン店『黒須』(神保町3-1-19)の特製醤油ラーメン(1030円)と横浜ジョイナスにある『神座飲茶樓 ラーメン・点心・飲茶』(KAMUKURAラーメンの中華風特化店)のラーメン定食(980円)、小籠包添え。生姜を小籠包の上にのせ、店特製のタレをつけて食べる。前者は隠れ家的なラーメン店でスープがチョ―まろやか、後者はフランス料理的なブイヨンベースのラーメンで甘い。トッピングの白菜がやや硬いのが難、やはり大阪で食べた味とは異なっていた。一方では一人孤独にラーメン道を追究、他方は奈良が本店で関西から関東などへ進出して店舗拡大中のラーメン店、その違いは、ラーメンのキラリとした個性が光っているかどうかか―。

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追記 神保町新参組の一つ、喜多方ラーメンの肉そば醤油。バラ肉と海苔の追加トッピングも。締めて1080円也。不断は脂を入れないが今回ほんの少しだけトッピングしたのだ。味が刺激的だ。肉はそれぞれいい主張はしているが、太めの縮れ麺がもう少し何とかならんか、と思いながらも完食。(2018.9.3 記)

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追記2 三崎町の『つじ田』の特製つけ麺(1080円)。チャーシューは豚ロース。まあまあイケた。勝本のつけ麺とも違った舌触り(2018.9.16 記)。

追記3 昨日久し振りに『さぶちゃん』で半チャンラーメンを食べようと思い出かけたが店は閉まっていた。で、隣の定食屋に入って鯖定食を食べた。店の人によると、『さぶちゃん』は去年の夏頃に高齢のため廃業し今は特老に入っている由。また一つ名物店が消えた。『さぶちゃん』のことはこのコラムで大分前に書いた。そのコラムを読むはこちら→
http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2006/11/_52_36c6.html(2018.10.5 記)。


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追記4 神楽坂にあった出版関係の団体などが入っている出版クラブが神保町に移って新築のビルで開業した。その1階に洋食スタイルの鶏系レストラン『kururi』がオープン。偶然に入って鶏そばセット(980円。単品だと860円)を頼んだ。食前酒の果樹酒、生野菜それに鶏そばである。鶏そばは8時間煮込んだ鶏むね肉のスープ(チキンブロス出汁というらしい)に細麺、トッピングには低温調理の柔らかいむね肉2切れ、厳選された茹で玉子、酢漬けの野菜がほんの少々それにライムが品良く並んでいた。緑色の輪切りのライムの舌触りが微妙で、端麗な鶏スープにいくらか酸っぱさが少し残るような感じだ。今までの鶏系ラーメンとは些か趣が違う。少し上品で少し物足りないような端麗系ラーメンである。値段も高め量は少なめ。メニューはこの他に2種類と少ない。ここが初めての出店だとか。神保町では珍しいスタイリッシュな店だ。(2018.10.19 記)

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超人のジャーナリスト・アイ 172 世界的な異常気象 続

相変わらず世界的に異常気象が続いていて甚大な被害をもたらしている。下記はアメリカのNPR(アメリカ公共放送)のカリフォルニアの山火事の記事から。史上二番目の山火事で死者まで出ている。少し前にワインの産地のナパも山火事でやられて大きな被害が出たが、今度はその北の方。異常乾燥が原因で一大山火事が。詳細な記事を読むはこちら→

https://www.npr.org/2018/08/06/635983535/photos-as-one-california-wildfire-ebbs-another-explodes

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クロカル超人のカツオの話 19 今年はカツオ虫が多く刺身が食べられない ?

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今年はカツオ好きにとっては不運の年かも。例年より捕獲できないせいか値段が高い、それに輪をかけてカツオ虫が頻繁に出現している。ある“大手スーパーの鮮魚売場”では2ヶ月前から生のカツオを売るのを中止していて今年一杯は販売しないと売場の人が語っていた。こんなことは今まで聞いたことがなく初めての経験。7月中旬に仕事でいわきに行った時に、駅前の鮮魚店で皮付きのカツオの刺身をゲットしようとしたら、保健所から回虫がいる可能性が高いので皮付きの刺身の販売を控えるようにと言われていて店では出せないのだという。店にはその貼り紙もあった(特に皮付きカツオには皮と身の間に回虫がいて食べるには危険だという)。仕方なく普通の刺身をゲットしたわけだが、いわきの刺身は特別に鮮度が良くやわらかった。わずか1泊2日のいわき滞在だったが、カツオの刺身は昼と夜、3回ほど食べた。さて、カツオの寄生虫は無害のテンタクラリアが普通だが、サバやサケに多い、胃に入れば胃壁を破るほどの有害な回虫のアニサキスがカツオに寄生していて、その数が多いので要注意となったようだ。筆者はまだあたったことはないが身内に2度ほどあたって大変な目にあった人もいるのだ。
写真のカツオは、一昨日スーパーに入っている“魚屋さん”からゲットしたもの(神奈川産。880円)。まあまあの味。薬味はアオトウガラシ、ニンニクそれにショウガ。カツオを安全にかつ安心できるように食べるには熱処理や冷凍処理をすると良いそうだ。残ったカツオを揚げて食べるのもまた違った味わい方だ。

追記 別なスーパーで購入したカツオの刺身(背、三陸南部沖、598円)。うまっ。(2018.8.5 記)

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超人のジャーナリスト・アイ 171 世界的な異常気象

Viktigt meddelande till allmänheten om skogsbränder på flera håll i landet.
今日スウェーデンのインターネットラジオ放送を聴いていたら、上記のような警告が掲示されていた。「国の数ヶ所の山火事について住民への重要なお知らせ」とあった。また、「庭でのバーベキューは禁止」と。その記事を読むはこちら→https://sverigesradio.se/sida/artikel.aspx?programid=83&artikel=7000326

朝出掛けに世界の短いニュースをNHKBSでみるのが日課になっているが、アメリカのノースカロライナなどでは大洪水、ニューヨークのハドソン川では溺れた人もいて救出中とか。ギリシャのアテネでは山火事で多数の死者、韓国でも猛暑と報道されていた。更にネットニュースではアラブ首長国連邦では52℃、スウェーデンではこの季節は普段20℃位が30℃に、カナダのトロント州では熱中症で多数の死者、ロシアの北極圏の沿岸部でも高温、氷が更に解けているのは間違いない。ドイツやフランスでも猛暑と世界の終わりを告げるような異常気象が世界的に広がっているのだ。スイスの世界気象機関が注意を呼びかけていて、この地球温暖化による異常気象は、やはり二酸化炭素排出が原因と指摘、世界規模で考えないと大変になると警告している。

ちきゅうはおこっている。
はやくなだめないとておくれだ。
みんなてをつなげ。
みんなのちきゅうが
わらえるように。

さて、今日は少しは涼しいと思いきや、この時間になって暑さが振り返している。こういう時には昼食は少しばかり涼を感じるつけ麺に限る。ミシュランガイドで星一つを獲得してから行列のできるラーメン店に変身した店へイコカ。
で、食べたのは少し高い細麺・太麺とやわらかチャーシューがたっぷり味わえるつけ麺だった。

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「特製つけ麺」(1,030円)


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クロカル超人が行く 218 草野心平生家・小川郷駅・好間三野混沌生家の詩碑

先週用事があってS先生と草野心平ゆかりの地、いわき市上小川や好間を訪ねた。

故郷は切り取ったストップモーション。
そこにはいつまでも変わらない風景があったが。
変わりつつある風景もまた新鮮だった。
故郷は遠かったり近かったりだ。

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①草野心平生家
午後5時頃訪問したので閉館していた !
本当は家の中の心平の机も見たかった。
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②草野心平生家内の碑

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③JR磐越東線小川郷駅内
本当に久しぶり。その昔はバス亭もあったが。

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④詩人草野心平の筆による三野混沌の詩碑
「天日燦として 焼くが如し 出でゝ働かざるべからず」

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⑤詩人三野混沌(吉野義也)生家
いつかは来てみたかった菊竹山。カーペンターズと
書かれた旧居はもっと奥の方だと教えてくれたのは
近所のおばさん。8軒ほどだったのが今や40何軒あるらしい。あいさつで伺った折のご子息は混沌似。敷地は想像したより広い。混沌の詩集『否』は筆者の書棚にある。
👀①~③は草野心平記念文学館のOさんのガイドつき。①~⑤のいずれの写真も筆者が撮影したもの。

蛙よ

口笛をふいて

寂しい月蝕をよべ

花火をかこんで

青い冷や酒を傾けよう
(『月蝕と花火』序詩)

―『草野心平詩集』(エッセイ 重松 清 ハルキ文庫 2010年)

尚、小川町高萩にある「草野心平記念文学館」では現在開館20周年記念夏の企画展「宮澤賢治展 ―賢治の宇宙 心平の天―」を開催中。8月26日まで。手帳に書かれた「雨ニモマケズ」の原稿、書簡類、心平が関わった詩誌類など貴重な資料が展示公開されている。学芸員の本気度が感じられ、一見の価値あり。詳細はこちらを参照されたい→http://www.k-shimpei.jp

追記 余談だが、この文学館にあるレストランは店主がユニークでレパートリーは少ないがなかなか凝ったものを供してくれる。


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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』最終回

終章の「横浜学」では今までの7つの物語とは違って本書の締めとして全体的なアプローチの仕方に触れている。最近地域研究や地方史研究が盛んになる一方、グローバルに捉えようとする歴史学の新しい枠組でのアプローチも行われている。いつだったか、雑誌『思想』で中堅の歴史学者たちが戦後歴史学の時代区分の新しい分け方を提案していた。また、一部の出版社のPR誌で周辺領域を含めた歴史学の見直しを試みるエッセイも書かれている。戦後70年以上経過した現在、歴史学も新たな時代を迎えているということなのかも知れない。換言すれば、中心が少しズレ周縁よりになった感じだ。遺跡の科学的発掘とITを駆使し図解解析を容易にした追跡調査や古文書の卓越した解読と発見が次々と現れ今まで半ば常識化した歴史的な事柄が少しずつ塗り替えられているのだ。テレビやゲームそれに中高年の“歴史散歩”が歴史ブームに拍車をかけているのも事実だ。そして何より歴史は民衆史の視点を忘れてはならない。それと民間学―。著者が本書で言及している鹿野政直の唱えた歴史学の方法である。かつては大阪学を唱えてベストセラーになった学者もいた。立命館大学の地理学科は京都学を唱えて“営業中”だ。東京圏といえば、比較的活発なのが「多摩学」だろう。「多摩学」に関係する小冊子は何冊か筆者の手元にある。読んでみると目から鱗の事柄も。
本書はフェリス女学院大学国際交流学部のテキスト用に編まれているが、新書版サイズは一般読者にも手軽で読みやすい。著者は前任者の高村直助先生から引き継いで「横浜学」を今も講じている。横浜を身近に知る好著。最後は著者に倣って。Think locally, Act globally ! (2007年3月刊、フェリス女学院大、新書版、206頁、700円+税)

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リトアニアビール Gubernija社製「Tamsusis elisタムスシス エリス」

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リトアニアは知られざるビール大国。グベルニア社製ビールの「タムスシス エリス」を平塚七夕祭り開催中の7月7日にリトアニアのブースで呑んだ。テイクアウト禁止でこのブース七夕祭り期間限定初発売。一杯700円。やや高価だがこれが意外とイケた。黒ビール系でギネスより苦味が少なく、日本の黒ビールよりうまいかも。2杯呑んであとは赤ワインを一杯。ワインもイケた。意外とやるじゃん、リトアニア!平塚市が2020年オリンピック・パラリンピック競技大会でリトアニア共和国の事前キャンプ地に決定し、様々な交流を進めていてビールなどの販売もその一環。そのほかブースにはキビナイ(ミートパイ)や工芸品も販売していた。リトアニアのアリートゥス市からRytatoという8人の少年少女グループがリトアニア・ツィター(弦楽器)、パンパイプ、ホーンパイプそれにバイオリンを演奏した。残念ながら会場が違うのでこちらはパスした。

平塚七夕祭りちょい見。

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 7

横浜大空襲の被害の数字を眺めるとその被害の大きさが解るので本書から拾ってみよう。死者3649人、重傷1655人、軽傷8542人、行方不明309人、罹災者311218人、当時の人口比からすると二人に一人が罹災。民家の被害は中区、南区、西区、神奈川区に集中し約80000戸が全焼、その後の調べで死者は7000人から8000人と推定されるという。ここでの注目は
京浜急行電鉄の横浜駅と戸部駅の間にあった旧平沼橋の話だ。1944年に廃止されその後横浜大空襲で焼け落ちたホームと鉄筋の残骸は残っていたが、今は撤去されてないそうだ。アメリカ軍の爆撃機B29による攻撃は、戦略的で容赦ないものだった。そういった意味で旧平沼橋駅の残骸は歴史的証拠で貴重な戦争遺跡、移築して残しておけば良かったと思うのだ。これこそ横浜各地に残る戦没者の碑とともに“戦争と平和”を考える生きた教材として役に立つのに―。
尚、この横浜大空襲の話は、小堀 聡著『京浜沿線の近現代史』(クロスカルチャー出版 2018年12月刊行予定)でも言及される。
港北区の慶応義塾大学日吉校舎の地下にある、旧海軍軍司令部がおかれた巨大地下豪の話や病院として使われたフェリス女学院の地下豪の話しも戦争遺跡として貴重だ。日吉の巨大地下豪は機会があったら一度見学したい。
第7章の「占領のまち横浜とザンダー先生」。パイプを加えたマッカーサーが厚木飛行場に降りたときから横浜は「占領のまち」化した。横浜市内に互楽荘(慰安所)、日本造船大丸谷寮(慰安所)やエキスプレスビル(バー)や大阪商船ビル(キャバレー)などの「進駐軍将兵慰安施設」が設けられるも、米兵の間に性病が蔓延し、GHQは民主化の一環として「公娼制度廃止」を指示せざるを得なかった。遊廓の公認を禁止した。日本政府はこういった施設をつくることによって一般女性にまで被害が及ばないことを目論んだが失敗に終わり、まちに「パンパン」(映画、舞台、詩、写真集それに漫画などのモデルになった“メリーさん”はつとに有名)など街娼があふれることになる。これを機にやがては「売春禁止法」が制定される。筆者的には著者が書いている「二業街」(芸者や料理屋を中心とする歓楽街)には興味大。そう、大昔まだ都会に出始めの学生時代の頃、アルバイト先のオーナーに夜半伊勢佐木あたりの食堂(?)に連れて行かれ、そこで目にした光景は、白衣を着たやや年増の女性が給仕している妖しくも不思議な光景だった。これが「二業街」だったか。
そういった占領時代にGHQの兵士たちの振る舞いが横暴さを増すなか、フェリス女学院と極めて縁の深いヘレン・ザンダー女史がいたことは救われる。リンゴの代金支払いや少年を野球場に連れて行った話は感動的だ。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 6

第6章の「戦争遺跡が示すもの」に入る前に、直近のテレビニュースから一つ。毎年夏が近づくと戦争関連ものが話題になるが、今年もその類いのニュースが飛び込んで来た。福井県の若狭湾でナチスドイツのUボート(Unterseeboot 潜水艦)が発見されたニュースだ。日本に製造依頼(川崎重工)して出来なかったもの。戦後すぐGHQによって沈められたという。前章でナチスドイツに触れたがまさしく「戦争遺跡」、3年前には戦艦「武蔵」がフィリピン沖でアメリカの富豪マイクロソフトの創業者ポール・アレン氏よって発見され話題になったことも記憶に新しい。
さて、この章では「戦争遺跡」の簡単な定義に始まって、原爆ドーム、戦争遺跡の種類、横浜の戦争遺跡、日吉の巨大地下豪、横浜の大空襲の傷跡それにフェリスと戦争を扱っている。やはり日吉の地下豪と横浜の大空襲が見逃せない。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 5

野村家の援助で1936年に長女ヨアン、翌年にゴッドフリートが横浜の病院で生まれる。ヨーンもドイツ人弁護士の事務所で働く。日本はドイツほどにユダヤ人を排斥せず、むしろ豊富なユダヤ系資本を利用して局面を打開したいという思惑があるから、ヨーロッパから満州や上海経由でやって来るユダヤ難民を積極的に受け入れる。その大半は自由を求めて北米へ出国する。当時神奈川県内でポーランドから289人、ドイツから47人など354人のユダヤ難民がいたそうだ。著者は所々にマリアの回想録を挟み、1930年代~1940年代の戦前・戦中・戦後において時代に翻弄されていくマリア一家の動向を描く。あの“ゾルゲ”にも一度だけあったと回想録に書き残しているが、当時のナチスドイツ政権下のドイツ大使館員もマリア一家を手助けしている。ドイツ人、日本人それにアメリカ人といろいろな人に助けられながら横浜、茅ヶ崎、軽井沢、茅ヶ崎と転々する。そして戦後自由を求めてアメリカに渡ることになる。なるほど、この手の話としてはリトアニアのカナウスで6000人余のユダヤ人にビザ発給をした外交官杉原千畝の人道主義はあまりにも有名だが、著者も言っているようにそれだけではない歴史に埋もれた民衆の有様を掬いとることもまた大事なことなのだ。その実例がドイツの家族の物語だ。さて、横浜生まれのゴッドフリートさんは大学で何を研究していたのだろうか、筆者的には大いに興味あるところだ。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 4

第4章は「シアトルの石灯籠とバラ」。関東大震災の見舞金のお返しに横浜市がシアトル市に石灯籠を贈り、また、シアトル市が2000本のバラの苗を贈った話。いい話である。まさにgoodwill diplomacy。その重たい石灯籠を運んだのが移民船としても有名な日本郵船の船。つい最近では高円宮家3女の絢子さまと婚約したのが日本郵船の社員だ。ということで日本郵船の社員の名前が大きく報道され一躍時の人に。その日本郵船株式会社は1886年(明治19)に創立、戦前最大の輸出品生糸を主に運搬したことで知られる。北米航路のほか欧州や豪州の三大航路を開設 し、北米航路では日本から移民を運びやがてはシアトルに日本人町を形成するほどに。話は逸れるがこの欧州航路を利用して横浜からマルセイユ経由でロンドンに留学したのが詩人で英文学者の西脇順三郎である。
さて、戦争を挟んで紆余曲折するが、日本郵船の日枝丸が運んだ石灯籠はシアトルに、お返しとして贈られたバラは横浜のこども動物園で健在だという。日米を跨いだ市レベルの交流史である。
第5章はユダヤ系ドイツ人故にナチスドイツから逃れて翻弄する家族の物語。著者は2001年春にカナダのヨーク大学の教員ゴッドフリート・パーシェ氏に会い、母が書いた回想記「Our Thanks to the Fuji-san」をもらった。それをもとにドイツから来た家族を紹介している。本書に沿って追おう。ゴッドフリート・パーシェ氏の母親は、ドイツの貴族出身で名はマリア・テレーゼといい、ヒトラー政権樹立の1933年にベルリンで東洋学を志すヨーン・パーシュという青年と結婚する。その青年の父親はユダヤ人でかつ祖父が社会主義者。ニュルンベルグ法(ユダヤ人の市民権を剥奪したりユダヤ人との結婚を禁じた法律)成立の前年1934年にドイツを離れる決心をする。オランダそしてロンドンに渡り、そこで当時横浜正金銀行ベルリン支店駐在員よで休暇で一時帰国途上の久米邦武・多賀子夫妻(久米邦武は『米欧回覧実記』を編纂した人。筆者はかつてこの岩波文庫版『米欧回覧実記』を持参、読みながら最初のニューヨーク行きを敢行した。1980年代半ば過ぎだ。ある先生が久米編纂のは間違いがあるとしきりに言っていたが、何年か前にその内容を照合して修正した本が慶応大学出版会から出た。水澤周『現代語訳 特命全権大使 米欧回覧実記』だ。何度か買おうと書店に足を運んだが高額なので買えず。今は廉価版も出ている)、娘寿賀子に出会う。久米邦武は真珠王木本幸吉の甥、妻多賀子はホテルニューグランド、サムライ商会などを経営する日本有数の実業家野村洋三の三女だった。日本郵船の欧州航路で横浜へ、ホテルニューグランドに投宿した後野村家の別荘を提供される。ここまで来ると出会いが運命的で日本人のもてなしも卓越していると言わざる得ない。度量が深いのだ。さて、その後。横浜ニューグランドに投宿した時のマリアの回想記。トーフ入りの味噌汁に馴染めなかったのか、クリームを入れて飲んだと。木の風呂や海苔がまだとれた時代の様子も。戦前の横浜の生活の様子が書かれていて面白い。それこそ詩人西脇順三郎の夫人だったマージョリーさんの挿絵が入ったキャサリン・サンソム著『東京に暮らす』を彷彿させる。時代もそう違わない。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 3

第3章の「関東大震災と朝鮮人」で小見出しを拾うと、関東大震災発生、軍隊の出動、流言の発生、横浜の流言飛語、フェリス生徒のみた震災と朝鮮人、「不逞日本人」、朝鮮人に対する偏見、朝鮮人の犠牲者たちそしていま学ぶべきこととなっている。
つい最近大阪北部地方を中心にマグニチュード6.1の地震があり犠牲者も出た。大阪でこれほどまでに起きた地震としては、1596年の豊臣秀吉の伏見城築城時以来とか。なんと420年以上経っての地震だ。そしてSNSなどでは少なからず流言も出た。地震大国日本は、昔から地震やそれに伴う津波災害を受け、その都度復興してきた。それはこの風土に生きた先人たちの知恵である。記憶に新しい東日本大震災・福島第1原発メルトダウンは甚大な被害をもたらし改めて自然災害・人災の恐ろしさを痛感、特に福島第1原発のメルトダウンは瞬時に世界の知ることに。「備えあれば憂いなし」を心掛け「楽観バイアス」(昨日の毎日新聞日曜版海原純子のコラム「新・心のサプリ」)に陥らないことだとか。
さて、近年の大地震はやはり1923年(大正12)に起きた関東大震災だろう。その時朝鮮人に対する流言が流れたことはつとに有名だが、本書は横浜での動きを統計などを駆使して追っている。その一部。

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これで見ると著者も言っているように、集中度からいえば横浜は東京以上の大きな被害を受けたことになる(本文P.62)。そして朝鮮人に対する流言(デマ)。コトの真相は山口正憲を首領とした「横浜震災救護団」を名乗って略奪や暴行をほしいままにした一派の暗躍によるものだという。それではなぜパニックを起こさせるような流言が起こったか。それは第一次大戦による好景気で京浜工業地帯が発展し、労働力として朝鮮人が移住してきたからだ。低賃金で働かされたのである。と同時に、底辺で働く日本人労働者の職を奪いかねない存在となり、植民地支配の優越感や差別感情とつながって朝鮮人を敵視し排除する方向に。日常の不安がそうさせたと著者は書いている。専門家の研究では朝鮮人の犠牲者は2000人あまりだという(本文P.81)。最近のヘイトスピーチなど隣国に対して不寛容さが目立つが、過去の悲惨な出来事を歴史的事実として受け止め向き合い、決して歪めることなく相互交流・理解を深めていくことだ。江戸時代には朝鮮通信史の善隣外交が12回も続いたのだから。その中心人物雨森芳洲の朝鮮語読本は立派なものだ。筆者は20年以上前に彼の生誕の地滋賀県高月町の記念館を訪ねてその現物を見たことがある。著者もこの章の終わりで国際交流の重要性を説いている。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 2

第2章の「二つの開港記念日」は、長らく横浜史編纂に関わった著者でしか書けないややマニアックな事柄だ。それは行政史料などを丹念に読み込んでコトの経緯を調べあげた成果(明治大正期、開港50年祭は7月1日に実施していたが、1928年2月の市会で横浜港開港日の1859年7月1日は、日本の暦では安政6年6月2日だとの理由で開港記念日をこの日に決定し変更された。戦時中一時中止を余儀なくされたものの、戦後1950年に復活、1979年には市制90周年・開港120周年祈念式典が行われ、1981年、日米和親条約締結の地、大桟橋のたもとに横浜開港資料館がオープンした。―本文56頁から一部抜粋)だろう。この件に関して著者が開港資料館の研究員の言葉を紹介していたが、これが妙にリアリティーを持つから不思議だ。当時の有吉忠一市長の誕生日が6月2日との単純な理由からだったと。誕生日なら普通は忘れない。いかにもありそうな話だ。(続く)

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超人の面白読書 133 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』

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大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』は、副題が地域から見る歴史と世界、と付いているように、港ヨコハマの内と外のつながりを幕末から現代まで分かりやすく繙いた、新書版フェリス ブックス シリーズ、約200ページの近現代史。著者は前任者から引き継いで長らく大学で横浜学を講じている。分かっていることは更に確認することで掘り下げ、また、“知らなんだ”ことは知識の幅を広げることに一役かって豊穣に。読書はほんの些細な書物から啓発されることや再発見することがしばしば。その度に己の無知を恥じるのだが止められない。それが時間を割いた読書の醍醐味である。それはさておき横浜学の書評だ。

第1章 横浜の風車とあるデンマーク人
第2章 二つの開港記念日
第3章 関東大震災と朝鮮人
第4章 シアトルの石灯籠とバラ
第5章 ドイツから来た家族の物語
第6章 戦争遺跡が示すもの
第7章 占領のまち横浜とザンダー先生

実は第1章のデンマーク人と風車の話が、毎日新聞神奈川版連載第1回目に登場して興味深く読んだ(その記事を読むはこちら→「横浜の中の世界 ①コスモポリタンたちの現代史」)。
そのネタがこの本なのだ。現在会社の役員をしている子孫がいることまで足跡を辿っている。風車windmillは風頼りで他力本願的、色鮮やかでどこか19世紀的なのどかさがある。生活用水に欠かせない実用的な風車だが見た目はメルヘンチック。しかし、デンマーク人グランが横浜山手のフェリス学院に建てた風車は街にマッチしたと容易に想像できるが、グランが日本人と結婚して横浜の郊外の田園風景(都筑郡田村)が広がる小高い丘に風車を建てたことは、当時の地域の人々にとってはさぞビックリしたに違いない。いやいや、著者が書いているようにその地域の目印landmarkとしても威力を発揮したかも。折しも今年は日本デンマーク交流150周年でこれを機に日本で活躍した新たなデンマーク人が掘り起こされるかも。北欧に興味のある筆者には本書の第1章は大変興味深い。デーン人の面目躍如といったところだろうか。(続く)


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スウェーデンの夏至祭 midsommar 2018

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【写真: ①夏至祭を祝う ②すばらしい夏至祭 ③夏至祭に多くの雨】

日本は今梅雨。今朝は梅雨の晴れ間で快晴、気温も真夏並みに。ところで、スカンジナビアでは今は夏至祭で休日だ。
その一コマをスウェーデンの小さな新聞記事『8 sidor』から。

『8 sidor』の記事を読むはこちら→http://8sidor.se/sverige/2018/06/glad-midsommar-2/

つい最近スウェーデンの第3の都市マルメの中心にあるカフェの前で襲撃され、3人が射殺され3人が怪我した事件が起きたばかり。いずれも20代の若者で仲間の抗争らしいが、物騒だ。マルメはスウェーデン南部の港湾都市(デンマークとはエーレスンド橋【英語 】Öresund Bridge: 【瑞語】Öresundsbron 【丁語】Øresundsbroenで結ばれ、そのスウェーデン側がマルメ)として栄えるも、90年代にはその経済が失速、最近では回復しているらしい。市には裕福層と貧困層の格差も広がっているとも。マルメといえばベルイマンの舞台や映画と馴染みが深い地、1998年にはマルメ大学も創設されている。筆者は知らなんだ。この大学には日本では考えられないユニークな国際移住民族関係学部がある。

追記 スウェーデンのマルメに言及した記事が『図書』2018年7月号に載っている。執筆者は哲学者でスウェーデン文学の翻訳者でもある。その記事を読むはこちら→「冨原眞弓『1968年、戒厳令の夜、マリはプラハを去った』」 この1968年の「プラハの春」では筆者も当時チェコにいたペンパルが国外に脱出して最初はボルゴグラード(昨夜FIFAワールドカップロシア大会で日本とポーランドが対戦したサッカースタジアムのある都市)にいたがそれからイギリスに渡った。それはイギリスから届いた手紙で判明したのだが、そのあとは消息が途絶えた・・・。で、それっきり。チェコ語の辞書まで贈ってくれた。その辞書は今筆者の本棚にある。その女性ズデンカさんは今何処?
筆者の関係でも「プラハの春」で翻弄された人がいたのだ。(2018.6.29 記)


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超人のジャーナリスト・アイ 172 大阪北部地震での流言

最近千葉県で地震が多発していてそのうち大地震が来るのではと考えていた矢先に、今朝(2018年6月19日午前7時58分)大阪北部を中心としたマグニチュード6.1の地震が発生した。この地震で9才の子どもを含め4人が犠牲に、300人以上が負傷した模様。ちょうど通勤電車の中で1923年(大正12年)の関東大震災、横浜の被害についてある本を読んでいたのだ。それは日本の近現代史では有名なコリアン暴動の流言(デマ)の話だったのだが、この大阪北部地震でもやれ京阪電車が脱線したとかご丁寧に矢印写真付で大阪京セラドームの屋根が崩壊したとかの流言(デマ)がSNSなどで流れたらしいのだ。実際はフェイクだった。現代はSNSなどでいとも簡単に拡散できるから尚更怖い。

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超人のジャーナリスト・アイ 171 シンガポールでの米朝首脳会談

2018年6月12日午前10時、シンガポールのホテルで史上初の米朝首脳会談が行われた。焦点は北朝鮮の完全非核化と朝鮮半島の平和維持それに金正恩体制の保証等だったが、結果は期待していたほどでもなかったようだ。完全な非核化に至るまでの道筋はまだまだで、これから決めていく感じだ。では、何が話し合われたかだ。詰めるまでには時間が足りないということなのか。来週にもトランプ大統領の側近が平壌に飛び更なる具体的な完全なる非核化の詰めに入るという。経済制裁はまだ続けるといい、一方で米韓合同演習は止めて駐留軍隊を引き上げるとも。記者会見でトランプ大統領は、莫大な経費の削減にもなるとも述べた。やはり“政治ショー的”色彩が濃かったと見るべきかも。特にトランプ大統領と金正恩委員長とが二国の国旗を背景に歩み寄りちょうど真ん中で握手するシーンは、世界中に映像が配信された。見事な演出と言わざるを得ない。また、トランプ大統領の記者会見が始まる前アメリカが用意した北朝鮮の近未来を描いた短いビデオが流された。非核化後の北朝鮮の経済発展を促すビデオだ。共同宣言では結局北朝鮮の体制維持は盛り込まれたものの、あれだけトランプ大統領が強調した完全な非核化は具体的には盛り込まれなかった。日本の拉致問題も言及されたがあとは二国間で交渉を、とのようだ。帰国直後のトランプ大統領が記者から人権無視の北朝鮮金委員長は大丈夫かと質問され(2018年6月14日朝8時台のNHKBS世界の放送局から。ABCテレビ)、一方で、北朝鮮の国営テレビは首脳会談の成果を強調していた。今後の推移を注視するしかないようだ。拉致問題を含め対話路線で朝鮮半島の実質的な平和と朝鮮戦争の終結を一早く実現してもらいたい。それにしてもワーキング ランチは質素なものだった。ともかく世界中から3000人もの報道人が集結した(日本のテレビもキャスターを現地に送り込んでいたが・・・)一大政治ショーは終わった。“チビっ子 ロケットマン”と“老いぼれ”と互いに罵り合って、一触発の危機もあったアメリカと北朝鮮だが、1年後にこうなるとは誰も予想だにしなかったことだ。平和への道は確かに一歩前進したのだ。たとえ中身が薄くとも。要はこれからが勝負だろう。ディールだけを考えずに、互恵関係を築きながら根気よく続けていくことだろうか。

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超人の面白ラーメン紀行 251 再びの東急池上線大崎広小路駅『平太周 味庵』

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11年振りの再訪。しっかりとやっていた!店員に外国人風の人がいた以外は以前とそれほど変わらない様子。カウンターが黒光りしていて老舗の貫禄を感じた次第。この日は暑かったが店No.1の特製ラーメン(830円)を頼んだ。背脂たっぷり、麺はストレート、スープは濃厚豚骨醤油、トッピングのチャーシューもうまっ。それにしても見事な背脂である。
池上線大崎広小路駅『平太周 味庵』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気☆☆5.価格★☆


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超人の映画鑑賞 マルクス・エンゲルス(原題: THE YOUNG KARL MARX)

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日本でも20年以上前からか中間層が氷解し、新たに格差や貧困が社会問題化してきた。そして、最近ではアメリカや中国でも再びマルクスが注目されているという。そんな中、神保町にある岩波ホールで〈岩波ホール創設50周年記念・カール・マルクス生誕200年記念作品〉ラウル・ペック監督作品『マルクス・エンゲルス』(原題: THE YOUNG KARL MARX)を観た。若きマルクスに焦点をあてたフランス・ドイツ・ベルギーの合作映画。
時は1840年代のヨーロッパ。産業革命が生んだ社会のひずみが格差をもたらして、貧困の嵐が吹き荒れ、人々は人間の尊厳を奪われて、不当な労働を強いられていた。20代半ばのカール・マルクスは、搾取と不平等な世界に対抗すべく独自に政治批判を展開するが、それによってドイツを追われ、フランスへと辿りつく。彼はパリでフリードリヒ・エンゲルスと運命の再会を果たす。『共産党宣言』(この有名な本は、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」で始まる)の執筆に至るまでの日々を描く(この映画のチラシから)。マルクスとエンゲルスの共働の理論形成の様子や苦悩それに友情、それらに劣らず支えあう夫人たちの姿も観る者に感動を与える。筆者は昨夜の睡眠不足と仕事帰りのせいか少し居眠りしてしまった。気を取り直して観ているうちに、映画の最後のクレジットのシーンでボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の曲が流れたのにはプチサプライズ。この映画の現在性を強く感じた。
2017年/フランス・ドイツ・ベルギー合作/仏語・独語・英語上映時間118分。

追記 最新のマルクス関連記事二つを読むはこちら→「ひもとく カール・マルクス(朝日新聞)/マルクスと『心』の吟味(毎日新聞)」

追記2 南米のマルクス主義者といえばチェ・ゲバラがチョー有名だ。その チェ・ゲバラについては過去何度かテレビのドキュメンタリー番組で観ているが、先週の金曜日にもETVで放送していた。詳細はこちら→https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4471/1418010/index.html


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超人の面白読書 131 ジョージ・オーウェル『1984』 5

北朝鮮でまた金正恩委員長の親戚が脱北してヨーロッパへ逃亡、これを金委員長の命を受けた刺客が暗殺に動き出しているという。不穏な動きである。こういった人権無視の恐ろしい出来事がなぜ起こるのか、疑心暗鬼の独裁体制の不信感の果てなのか。私たちはほんの少し前の歴史を顧みるとき、旧ソ連や中国で酷い粛清が行われた、また、戦前の日本でも軍部が暴走して多くの犠牲者を出した負の遺産に遭遇するが、体制維持を金科玉条のように振りかざしたがる権力者をどうチェックしたら良いか、確か歴史から教訓を引き出したはずなのに最近ではその歴史が繰り返されようとしているような風潮が目立つ。日本国の政治も権力者の利害に絡んで政治が歪めら、改竄が行われた事実。そう、権力者へのそんたく、もりソバ・かけうどん問題だ。論理のすり替えなど巧みな政治手法で逃れようとしている。国民を騙し続けているのだ。まさしく『1984年』の2+2=5の論法だ。憲法が謳う「国民の幸福の追及」はどうなっているのか。

主人公ウィンストンが働いているオセアニアの党機関のテレスクリーン(双方向モニター。ジョージ・オーウェルの近未来を予測させる情報操作機器の創作)ではBig Brother is watching you. ビッグ ブラザーはあなたを見ている、という文字が流される。定期的に流される2分間憎悪と体操。党のスローガンは、War is Peace.戦争は平和なり Freedom is Slavery.自由は隷従なり Ignorance is Strength.無知は力なり、の皮肉たっぷりのdouble think二重思考である。(続く)

追記 『図書』2018年7月号に文芸ジャーナリストの佐久間文子氏の「ディストピア小説の現在」という記事が掲載されていてなかなか面白い。その記事を読むはこちら→「20180629161725.pdf」をダウンロード(2018.6.29 記)

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超人のラーメン紀行 250 大和市『らーめん久久』

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記念の250杯は大和市。予想だにしなかったこと。今や日本のラーメン店数は33000店以上。第1位は山形県らしい。
今回のラーメン店は、大和市立図書館から5、6分のところにある鶏白湯ラーメン店『ラーメン久久』。夏日を思わせる快晴の日曜日の午後3時半過ぎに店に入ったが、ガラガラで客はいず、店主(?)がカウンター右端にいたのみ。事前に少し調べた店の情報とは違っていたみたい。時間帯が時間帯、致し方ないか。
さて、ラーメン。初めて入る店では定番ものを食べるのが筆者の流儀。こくまろ鶏らーめん(650円)を頼んだ。久しぶりの鶏白湯(パイタン)ラーメンだ。白濁だが濃い。あおさ(海苔)をトッピングしてなめらかな味にアレンジ。麺はストレート系、まあまあ。トッピングはチャーシュー、メンマ、卵にネギと青菜、これもまあまあ。全体的にはごく普通の鶏パイタンラーメンである。先週食べた菊名のラーメン店はトンコツ系でごく普通の一杯(ここと値段は同じ)だが活気は2倍あった。開店5周年だそうな。下手な字でわけのわからない文言(この内容は陳腐すぎる、思いのたけは分からないでもないが)をウィンドウに貼るくらいなら、店内の別なところで(もっと整理してコンパクトにするとか)一工夫も二工夫もして活気を出してほしい。

大和市『らーめん久久』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★☆4.接客・雰囲気☆5.価格★★

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超人の面白ラジオ聴取 ヴァイオリニストサラ・オレイン

土曜日のFM放送の番組『Peace of Mind 土曜の朝のサラ・オレイン』(8時30分~9時)を聴いた。冒頭、 澄んでいて爽やかその上少しパワフルで始まった、アイスショーでのコラボ曲(彼女の歌は冬の時期が多いらしい)。今回で2回目。先週は映画音楽、今週はFIFA世界サッカー大会がこの6月にロシアで開催されるのにあわせて、世界から愛を込めてTo Russia with loveと題してロシア音楽をいくつか紹介していた。東大三鷹寮(サラは東大留学中は三鷹寮に住んでいた)の先輩の歌手加藤登紀子から紹介。彼女の唄う『100万本のバラ』はロシアの歌謡曲、『カチューシャ』や『トロイカ』など“dark”で影のある感じ(“哀愁”のあると言ったほうがぴったりするが。この辺の話は作家五木寛之の専売特許だ)の唄は日本人に馴染み深い唄、ディズニー映画『眠れぬ森の美女』の曲は実はチャイコフスキーのバレー音楽が元、また、エリック・カルメンの唄はラフマニノフの曲にインスパイアされたものと知られざるエピソードを披露。懐かしい『ローズガーデン』の唄も流れた(1968年アップルレコードから発売。当時FEN放送でよく流れていた!)。これもロシアのロマ(今は差別的意味合いがありジプシーを使わずロマを使用)は音楽に歌詞をつけたものだと。今秋田犬で話題のロシアのザギトワなどスケート選手を輩出しているロシアに憧れ、行ってみたいと思っていたが、なぜかモロッコに旅行してしまったと、オモロイ。本当かしらと本人は言っていたが、ロシアの血も流れているとか(そう言えば、大昔NHKテレビロシア語講座に講師として出演していたロシア人女性に似ていたか。その同時だから今はもういいおばあさんにはなっていると思うが。笑)。また、こんな話も。コンビニのレジでロシア人ですかと間違えられたが、コンビニを出たあと気づいて、ひょっとしたら領収書が要りますかと聞き違ったかもと、おー、恥ずかしいだと(真相は分からないがとも)。笑える、笑える。カワイイ!!番組の最後はサラの“From Russia with love”の曲で締めた。
番組のwebsiteはこちら→http://www.tfm.co.jp/peace/

追記 この番組をラジコ(ラジコradiko.jpでサラ・オレインを入力すると期間限定でこの番組を聴取できる)で再聴取した。いろいろな発見があって新鮮。

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超人の面白ラーメン紀行 249 東横線菊名駅『武蔵家 菊名店』

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東横線菊名駅『武蔵家 菊名店』のラーメン(650円)。豚骨醤油系だが、筆者的には少し塩辛かった。海苔が異様に存在感を示していた。
東横線菊名駅『武蔵家 菊名店』1.スープ★☆☆2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気5.価格★★


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超人の面白ラーメン紀行 248 世田谷『ベジポタ』

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世田谷線上町駅すぐそばにあるラーメン店『ベジポタ』(ベジポタ: じゃがいも、玉ねぎ、トマトなどの野菜をポタージュ風にしたものと豚骨スープを混ぜたスープのこと。ベジタブル ポタージュの略らしい)のつけそば(800円)。茶系の太い麺がもちもち感たっぷり、黄色系の汁もまろやか。美味。胡椒(写真右端)が後で効いたのにはサプライズ(喉元あたりに残っていたのかしら?)こだわりの胡椒だったか。それは太麺を茹であげるまで10分を要することでも分かる。カウンター7席の親子で商うこぢんまりした、優しい雰囲気の店。先に入ったT先生の目利きが良かったのかも。
世田谷『ベジポタ』1.スープ★★☆2.麺★★☆3.トッピング★★☆4.接客・雰囲気★★5.価格★★☆

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超人の面白読書 131  ジョージ・オーウェル『1984年』 4

旧訳本を借り出すことに成功して訳者の解説を読んだ。この小説が書かれた背景を新たに知ることができた。
『1984年』は、たしかに“スターリンのソヴィエト”に触発された反(ディス)ユートピアの権力世界である。それはあらゆる人間性の集奪の上に成立する不毛の世界―人間を人間たらしめない権力集中への告発であった。ハーバード・リードがいみじくも指摘したように、ユートピアを装った体制の中にひとつの悪夢を構築することで“1984年”全体を風刺したのである。たとえ真理省は現代を支配する巨大化マスコミ組織、ゴールドスタインの哲学はマルクス主義の歴史観(トロツキーの『裏切られた革命』を模したものといわれるが、オーウェル独得の権力観を展開したエッセイである)、ニュースピークは英語の簡略化をはかるベイシック・イングリッシュ(言語について一家言を持ってきたオーウェルは、文化そのものである言語の簡略化が持つ危険性を警告する)、カブト虫のような党員はいわば党官僚や技術官僚のカリカチャアなのである。もちろん、作品全体が『動物農場』と同じような風刺劇として描かれているわけではなく、それはまた、政治的ユートピアがいかに諷刺の対象となりにくいかを物語るものであろう。(P.420―P.421 旧訳解説からの抜粋)
さて、旧訳の解説を読み終えて、一応この小説の背景などをおさえたところで、原著に戻り、P. Davisonの【注】を再度読んだ。今度は注意深く。出版の裏側を知り得て興味深かった。この小説の仕掛けの最大のテーマの一つ、数式2+2=5の5が組版段階で脱落していたにもかかわらず、イギリスの出版社もアメリカの出版社もミスしたまま刊行してしまった事実、また、英語版と米語版では語法に違いも。しかし、何よりアルゼンチンでのスペイン語版での当局の削除要請は、1949年(昭和24年)当時といえ、あまりにも衝撃的である。該当の削除頁を当たってみると、当局にとっては表現が道徳上いかがわしいものと映ったのだろうか。【注】者も次のように鋭く指摘している。「我々の時代の強力な権力を持つ動きに直に抗う目的の小説の基本的な理念を損ねてしまう」。この小説の読み方の一つは、過激な仕掛けがあればこそさらに想像力を膨らませて、一つひとつ繙いていく過程の中に気づきを(たとえ絶望の淵を歩かされても)、ごく普通の営みの中に優しさを見出すことなのかも知れない。ジョージ・オーウェルは書いている。政治的なものと芸術的なものの融合が最後のこの小説に課したテーマだと。
旧訳解説の最後に訳者も書いている。「『1984年』はわれわれにとっても重大である。なぜならそこには人間の尊厳をおびやかす実体が普遍的な問題として予言されているからであり、未来のはらむ危機と現代の政治的な荒廃とか、権力の構造ないし論理をぬきにしてはまったく考えられないからである」

追記 水道橋駅付近の通りで社民党の元党首福島瑞穂議員に偶然遭遇。背が低いが愛想は良く身近なところで手を振ってくれた。気さくぅ。(2018.6.4 記)

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超人の面白読書 131  ジョージ・オーウェル『1984年』 3

作家のトーマス・ピンチョン氏が解説で「オーウェルは永遠の反体制派として、労働党がその自己矛盾、とりわけ、戦時に、保守派の主導する圧政的な政府に盲従し、挙国一致体制に参加さえした矛盾と向き合うのを嬉々として助けたに違いない。一旦その種の権力の味を覚えた労働党が、創立者の理念を信奉し、虐げられた者の側に立った闘争に立ち戻る道を捨て、権力の拡大を図るというのは、いかにもありそうな話ではないか?この権力の意思を40年先の未来に投影してみるがいい。そうすれば、最後に再度待っているのは〈イングソック〉であり、オセアニアであり、〈ビッグ・ブラザー〉なのだ」と書いているが、この小説の真髄を言い当てている気がする。
SF小説、近未来小説、政治小説、寓意小説、恋愛小説等々この小説は読み方によっていろいろとジャンル分けが可能だ。小説(新訳と原書併読)、映画、漫画、舞台と媒体を変換しながら、この小説の全体像に肉薄しようと試みる旅は、道半ばで小括の試みと旧訳に当たって新旧のニュアンスを確認するに至った。ところが、この旧訳本が絶版で手に入りにくく往生していたが(近くの公共図書館に借り出しを申し込んでも3ヶ月待ち状態)、かろうじて大学図書館で見つけて今ほっとしている。
『1984年』が1949年に出版されて来年で70年になる。オーウェルが描いたオセアニア、ユーラシア、イースタシア(彼が生きた1930年代―40年代の英国とアメリカ、ヨーロッパ、スターリンの旧ソヴィエト連邦と中国や日本の世界情勢、それは戦争と平和それにイデオロギーが対立する時代でもあった)を念頭に置きながら現状の世界情勢(約80年後の2018年)を一瞥すると、英国のEU離脱、プーチンロシアの独裁体制、トランプの独善的なディール外交とダブルシンクを思わせる政治、損得勘定それに唯我論的なアメリカ(一昨年、トランプの登場でその政治手法が『1984年』を彷彿させたのか評判になり本が売れた)、習近平の独裁体制の中国、不安定な朝鮮半島、中東アジアの紛争、アフリカの内戦等々不確実な時代が、国連の機能が空回りしているくらい、非核化・戦争放棄(たった今入ったニュース。北朝鮮が豊渓里の地下核実験場廃棄のため爆破と韓国通信社が報道。2018年5月24日午後8時過ぎだったが、さらに驚かされたのがアメリカのトランプ大統領が6月12日のシンガポールでの米朝首脳会談を中止したことだ。非核化の道は遠いということか。異例の北朝鮮の金委員長への書簡まで公開した。が、ここで事態は急展開、韓国文大統領と北朝鮮の金委員長が板門店で秘密裏に2回目の会談を行い、直後に今度はアメリカのトランプ大統領が、米朝首脳会談をする用意があると撤回した。どうなっているのか、先行き不透明で不可解だ)と平和維持の困難さを露呈したままなのだ。オーウェルの描いた世界とどう符合するのか。

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クロカル超人が行く 217 相鉄本線・小田急江ノ島線大和駅『大和市立図書館』続

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【写真上から: 大和市立図書館外観 案内板 2階の外には神社が】

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クロカル超人が行く  217 相鉄本線・小田急江ノ島線大和駅駅『大和市立図書館』

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【写真左上: 大和市立図書館 『 図書館雑誌 』Vol.112. No.2 2018年2月号より 写真右・写真下の図書館内の写真は全て筆者=撮影】

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2016年11月3日に場所を替えオープンした大和市立図書館。オープンして1年半、ハードとソフトの両面で画期的な試みが奏功したのか、300万人以上の来館者があり今や日本一の図書館に。何しろ今までの図書館のイメージを覆して縛りをなくし、自由に読書できる空間を提供したことがウケたらしい。逆転の発想もこうなるとアッパレというほかない。館内での飲み食いは自由、スタバとローソンも入って、芸術文化ホール、生涯学習センター、キッズが遊べる場所や小さな学び空間などもあり、子どもから大人まで読書しながら楽しめる、それが文化創造拠点SiRiUS、言わば、リテラシー改革の発信基地だ。心に響く・心が躍る・心をつなぐがキャッチフレーズ。地域の牽引力としての公共図書館の未来形(will)が少しみえた。
さて、入館。趣のあるがっしりとした旧館は何度か訪ねたことがあるが、新館は、周辺が整備されて更に駅に近くなった。外観は何となく“環境に優しい要塞基地”を思わせる”コンテンポラリーな建築物である。1階から6階までコンセプトが明確なレイアウト(1階~3階まではエスカレーターでそれ以上はエレベーター使用。もちろん階段も利用可能)、ブラウン系の落ち着いた棚の色、本や雑誌など大きな数字で分かりやすくジャンル分けして配置、快適に読書できるよう用途に応じた机や椅子の組み合わせ等々斬新な試みがいくつも目についた。5階には本や雑誌などが自由に検索できる端末機と貸出等が簡単にできる端末機が置いてある。スキャナー技術が進化し、その技術の応用が貸出や返却のシステムにもみられる。特に高校生のプチグループや中高年が目立ったが、キッズ連れのファミリーも。中には車椅子で来館した元気な年配者もいた。4階は健康都市図書館と命名された健康に関する本や雑誌が陳列されている。館内には健康をチェックできる器具やエクササイズができる器具まである。大和市は健康都市宣言を謳い、高齢者の健康維持で治療費などをおえる運動を展開中だ。その他に託児所施設も。一日中いても飽きない図書館だ。この図書館の詳細情報はこちらが参考になる→https://www.trc.co.jp/topics/event/e_yamato.html

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超人のジャーナリスト・アイ 170 スウェーデン アカデミーのスキャンダル

前回の作家シャスティン・エックマン女史の『A Public Space』記事で、スウェーデン アカデミーのことが書かれていたが、そのスウェーデン アカデミーで前代未聞のスキャンダルが起きて、今年のノーベル文学賞は中止になり、来年二人の受賞者を発表すると報道された。18世紀に創設された伝統あるスウェーデン アカデミーは、権威失墜を免れず建て直しに時間がかかる見通しだ。改革派と守旧派が激しく対立し、事務局長や会員の辞任が相次いでいるという。下記はスウェーデンの文芸ジャーナリスト、クリステル・デューク氏(夫人は2011年ノーベル文学賞受賞者のスウェーデンの詩人、トーマス・トランスロンメル氏の作品『悲しみのゴンドラ』の翻訳者)がこのスウェーデン アカデミーのスキャンダルの動向について毎日新聞に寄稿した記事。その記事を読むはこちら→「20180518123452.pdf」

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超人のジャーナリスト・アイ 169 ニューヨーク・ブルックリンの文芸雑誌『A Public Space』からつい先程メールで届いた最新情報にスウェーデンの作家Kerstin Ekmanの記事

忘れかけていたスウェーデンの作家Kerstin Ekmanの記事。やはりニューヨークの文学シーンには北欧文学は時折登場するのかしら。下記は本日メールで届いた『A Public Space』の最新記事から。Reflecting on Dissent Writing from the APS Archive.

Given the dialogues within and around the Nobel academy, we're revisiting our feature on Kerstin Ekman, who was profiled by Dorthe Nors in our pages:

The Work of Kerstin Ekman | Selected and Introduced by Dorthe Nors • May 2, 2014 Share:

Literature Begets Literature

All through my twenties I sat immersed in Kerstin Ekman’s novels. I believe she taught me to write. Now I have traveled to Stockholm to meet her. It feels like going back in time.
We have arranged to meet at Clas på Hörnet on Surbrunnsgatan, one of the city’s oldest restaurants (legend has it that the likes of King Gustav III and Sweden’s great eighteenth-century troubadour Carl Michael Bellman regularly let their hair down here). When I arrive Kerstin Ekman is waiting on a chair in the lobby. Famous people look like they do in pictures: her hair is white and neat, her deep-set eyes keen and kind, but with an air of authority too. The same authority with which she resigned from the Swedish Academy in 1989 because of what she saw as the laxity of its stance on Salman Rushdie’s fatwa. I sense that walking out like that wouldn’t have bothered her in the slightest. More likely it suited her fine to pull on a pair of walking boots and stride off into the Swedish wilds. Her literature is like that too.
*
Kerstin Ekman was born in 1933 in Katrineholm, a small, industrial town in the middle of Sweden. After studying German at university, she published several crime novels, but in the 1960s her writing changed aspect as she expanded the genre novel with grand, existential prose; and in the 1970s, with Women and the City, a series of trailblazing historical novels, she established her reputation as one of Sweden’s sharpest social critics and an important figure in a generation that radically changed the destinies of women, including women writers.

When I read Ekman’s books as a young woman I was very absorbed with the things she wrote about the importance of memory, not only to us as individuals but also for a narrative. The process of remembering is a big part of the narrative—that is life—and without acknowledging it we lose track. Reading her work again now, at the age of forty-three, I discover how much the plight of women stands at the center of the ouevre. I also realize that what she—and other Swedish artists—taught me was to stay in the painful process of creation. To be courageous. To stick to it.

At lunch Ekman is polite and discerning, though when she notices a dog outside the window, a golden retriever rolling in the snow, she welcomes the distraction. (Ekman loves dogs. Not only do they appear in all her books, but one of her novels, The Dog, even has one as its main character.) “Hello, there,” she says, tapping her finger against the pane. The dog looks at her gleefully.

“I prefer to sit at home reading and writing,” Ekman confesses when I ask her how she relates to the world abroad. Our fish is served and we crunch conspicuously on our toasted bread. “I haven’t traveled overseas that much to promote my books. I don’t consider I have the time. I’m an introvert. But I have traveled extensively in the Nordic countries, and some years ago I was in Germany, though I really hadn’t the inclination. There was a school reunion in Katrineholm to which I was invited and didn’t want to go, and then came this invitation from Germany that I could use as an excuse. It was because my old high-school sweetheart, whom I was so very much in love with at the time, was going to be there at the reunion. I couldn’t bear the thought of seeing him as a fat old man. I wanted to remember him as he was then, and so I went to Germany instead. It was hell, going from one bookstore to the next to do readings and then stand there toasting with champagne in the company of mayors. And when I returned home I was sent a photograph from the reunion—and there he was in the picture, so handsome. How fortunate I hadn’t taken part! Imagine what could have happened!

“So no, I haven’t traveled much with my books. I find it so much nicer being at home—I know that I have to write in my own way, and if I sit in a corner of the world and offer resistance, then that’s my way of doing things. One has to believe that someone will discover the things one writes. The valuable work always survives. Books have their readers, and from that moment things can take a turn, things of a literary or political nature, or something else entirely. I believe that. If I didn’t, to keep on writing wouldn’t be much fun at all.”

After lunch, I ask if I can take her photograph. Like a doting mother (Ekman’s middle name is Lillemor, little mother, and we become what we are called) she beckons me to sit down next to her. We exchange books. She writes a dedication to me in her own, and I do likewise. It’s a happy conclusion, our lunch is over, and then the idol of my youth is gone, departed into Stockholm’s winter.

1. A Question for My Father

In this talk from a writers’ conference in 1995 at the Louisiana Museum of Modern Art, Ekman sketches the fundamental themes of her work and what has inspired her over the years—women’s ambivalent relationship to the construction of society.

“It’s natural for me to depict society and to write about politics and technology—in that respect, as A Question for My Father makes clear, my father is there in the background. He was an incorrigible optimist when it came to science and progress, which he believed would save the world. Imagine if he had been around to see how far we’ve come! His world was in stark contrast to that of my mother. My mother was a born storyteller. She wasn’t an active proponent of the women’s cause, but she always took a female aspect on things. Gradually I began to realize there is a need to combat male construction of history. Which is not the same as saying that I don’t love my father and can’t see that he was dependent upon the beliefs he possessed. But after all, I am a woman and I see things from the woman’s viewpoint.”

2. Witches’ Rings

This is the first volume in Women and the City, a series of four novels set in and around Katrineholm—the small, industrial town where Ekman grew up—as it grows from a village to a provincial city over the course of the twentieth century.

“I had read a lot of books that took place in important places. I was about seventeen, I suppose, and would go to the Stadsbibliotek at home in Katrineholm. When I reached the age when I began to really ingest literature, I devoured the books that came in volumes. The Forsythe Saga, for instance. Les Thibault by Roger Martin du Gard. That sort of thing. You might wonder how much a high-school student from Katrineholm got out of reading about the Catholic environment portrayed in a work like that. But I think it attracted me because the small town in which I grew up was rather dull. And so it came as something of a shock to me to read Eyvind Johnson’s Minnas because it was set in a town just like that. I thought: Aha, so you don’t have to write about Paris.”

Ekman’s female characters often must subordinate themselves to their gender. In this scene, which takes places in the early 1900s, thirteen year old Edla, a scullery maid at the local railway hotel, eavesdrops behind doors and is initiated into the biblical tale of the virgin birth, while biology is already at work to determine her fate.

“In the nineteenth century, woman was biologicalized completely. Our gray matter was insufficient for us to think, our brains weighed too little and Darwin saw woman as a midway stage between child and man. But the fact is that we do possess a biological destiny and it entails that we become pregnant and give birth—not forgetting the power of comfort and caring. We carry a very considerable heritage on our shoulders, not only historically, politically, and socially, but also biologically. It is a heritage with which we are saddled. And if we refuse to carry it, we lose much of our reality.”

3. The Knife-Thrower’s Woman

The biological destiny of women is a theme to which Ekman has returned often in her work. The Knife-Thrower’s Woman, her only published volume of poetry, is an intensely personal account of a young woman’s ectopic pregnancy, miscarriage, and subsequent hysterectomy. Suffering from depression after the operation, she descends in a mythic journey into the darkest recesses of herself in order to regain her life.

“Moa Martinson wrote about this subject in Sweden—the female body, she wrote, is as scarred as a runestone by pregnancy and childbirth. I remember an illustrious critic by the name of Anders Österling, whom I knew from my time in the Swedish Academy, reviewing one of her books and concluding: the perspective of the womb prevails here. The perspective of the womb! I had no idea he was capable of such an opinion. I was very fond of Österling but when I read that, it was as though something exploded in my mind. I immediately went upstairs to my study and dug out a manuscript I had decided never to publish. It became The Knife Thrower’s Woman, and I can assure you it is a book in which the perspective of the womb prevails! But to think: I had put it away in a cupboard, and I had put it there precisely because in that manuscript the perspective of the womb prevailed. Astonishing, don’t you think?”

I love Ekman’s description of compassion as that which is divine in the relationship between people: “How wondrous it is that some want to get up early / drink instant coffee, take the bus and soothe / or try to soothe the pain, to heal.”

4. Bring Me Back to Life

“I believe very strongly that literature begets literature. That’s how it works."

Although this novel—in which a group of women meet regularly for conversation in Stockholm during the 1990s—can be read independently, it is very much in conversation with Eyvind Johnson’s Krilon Suite trilogy. Written during World War II and fiercely critical of National Socialism, Johnson’s trilogy portrays the character of Johannes Krilon and the work carried out by his resistance cell.

“It was after I left the Academy. We had bought an apartment here in Stockholm and one evening we had friends round, a professor of literature and his wife. We got talking about Eyvind Johnson’s Krilon Suite, and the morning after I went out for a walk with the dog. I walked towards Bellevue with her. Silva was her name. The idea suddenly came to me as we were walking along. I wanted to write a book in which women make up a kind of resistance movement, just like the men of Johnson’s Krilon Suite. I couldn’t stop thinking about it and didn’t dare go home again. It was just welling up in me there and we kept on walking. Eventually the dog tired, although she was a hunting hound, but I felt no sense of fatigue at all. When we got home I sat down and filled eleven small notebooks. Afterwards, I was so exhausted I could have fainted.”

You also see another one of Ekman’s central themes—the significance of memory, for us as individuals and for the narrative—in this novel, the title of which refers obliquely to the “remember me” aria in Dido and Aeneas.

“I was thinking of remember as re-member or bring me back to life. It is a bit of falsified etymology, for I think that remember and member as in limb actually have different origins. Yet memory is indeed that which assembles a person’s limbs into a living gestalt. I find the thought fascinating—and besides, I’m getting closer and closer to the age of Oda. Actually I may have reached her age now.”


5. The Practice of Murder

This novel, set in the early twentieth century, depicts the motivations of a cynic with precision and, like Bring Me Back to Life, is also in conversation with another book—in this case, Hjalmar Söderberg’s novel Doctor Glas. Pontus Revinge, a young physician who earns his living from examining prostitutes for sexually transmitted diseases, he poisons his part-time employer, Dr. Johannes Harms, marries his widow, and takes over his victim’s practice and life. (He also nurtures an infatuation with their daughter).

“Although this chapter doesn’t exactly showcase its most attractive characters, it’s an entertaining book. I enjoyed writing it, but it also made my gorge rise. You see, I wanted to show where misogyny comes from.”

In this scene, Revinge who has recently murdered Harms, finds out that his widow plans to sell him the practice.

6. Scratchcards

This is the third volume in Ekman’s Wolfskin trilogy. Elis (aka Elias) Elv, who was a very young man when the trilogy opened, is now an elderly man, with many secrets. In the first excerpt below, we follow one of his many “crimes.” The essence of Scratchcards is how the past always catches up with us. In the second excerpt Risten, the Sami narrator of all three books, tells how her son Klemens killed a wolf. In the northernmost part of Sweden, the Samis are attempting in vain to preserve their traditional way of life as the laws of contemporary civilization are imposed on them. Klemens is trapped between tradition and modernity and marginalized, as are the Sami generally. The wolf, a pervasive symbol, begins and ends this trilogy, which spans the twentieth century.

7. The Con Game—Grand Finale

In her latest novel, Ekman describes the intertwined fates of two women: Lillemor Troj appears to be a well-known contemporary author who has won may literary prizes. Her friend Barbro (Babba) Andersson, however, turns out to be the real writer, but is convinced that she cannot live up to her status because of an unattractive exterior and an antisocial bent. Together, the two women enjoy a long, successful literary collaboration until Babba decides to come out of hiding. Lillemor has been a sort of mask for her, a position she now attacks by writing in secret and submitting to “their” publisher a manuscript revealing the truth.

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Dorthe Nors is the author of five books in her native Denmark, including the story collection Karate Chop, for which she received the 2014 Per Olov Enquist Literary Prize. She lives in Jutland.

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A Public Space is an independent nonprofit publisher of an eponymous award-winning literary, arts, and culture magazine, and APS Books. Under the direction of founding editor Brigid Hughes since 2006, it has been our mission to seek out overlooked and unclassifiable work, and to publish writing from beyond established confines. Subscribe today, and join the conversation.

この文芸雑誌は創刊号から知っているがよく続いている。短編が中心で詩、評論、エッセイ、翻訳、ルポ、写真、美術評論ほか盛りだくさんしかも執筆者も様々で多彩かつ斬新、いつも感心している。

作家Kerstin Ekmanは、大分前にスウェーデンの文芸評論家が書いた「北欧文学素描」に出てくる。筆者による翻訳記事を読むはこちら→http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2005/05/6_bad5.html

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超人の面白読書 132 ネットで西脇順三郎『旅人かえらず』を読む

詩人の和合亮一氏が、毎日新聞夕刊の詩月評「詩の橋を渡って」(2018年4月13日)の冒頭で西脇順三郎の詩『旅人かえらず』(講談社学芸文庫)について言及していた。テレビ番組のコーナーで脚本家の大石静氏がこの文庫をカバンに入れて持ち歩いていることを紹介。今静かな話題になっていると書いていた。西脇順三郎の初期傑作を新鮮な覚醒の詩と評価し、それに対して、戦後すぐに刊行された『旅人かえらず』は、誰にでも親しめる身近な短い詩だと書き記した。『詩人 西脇順三郎』(クロスカルチャー出版)の著者の一人、太田昌孝氏に倣えば、『旅人かえらず』はアタルシア(心の平安)をもたらす詩なのだ。検索して解ったことなのだが、テレビ番組は安定した視聴率を誇る、つい1ヶ月ほど前まで有働由美子が司会を務めていたNHK「あさイチ」(2018年4月13日放送)だった。この番組は全国放送なので影響力があるはず。試しにアマゾンを覗いたらこの文庫は品切状態で、一部の古本屋にも在庫がなかった。筆者は大分前に手にして何度も読んでいる。今回ネットで読めることを発見したのだ。在阪の文学愛好者のサイトだ。このサイトで1時間かけて全168篇を再読。なるほど、なるほど。多摩川周辺を逍遙する西脇順三郎がいる、自然と戯れ、ときどき学識を散りばめながら自由自在に歩く〈幻影の人〉がいた。何故か永井荷風の下町逍遙を思い出した。少し時代は違うが同じ慶応の教授だった。仏文学と英文学の違いはあったが、後年は二人とも日本の江戸文学と民俗学に傾いた。『旅人かえらず』を読めるサイトはこちら→
http://www.asahi-net.or.jp/~va6n-nsok/shi1/tabibito-shi.html

このサイトから一篇。こういう詩もあるのだ。

二八

学問もやれず
絵もかけず
鎌倉の奥
釈迦堂の坂道を歩く
淋しい夏を過ごした
あの岩のトンネルの中で
石地蔵の頭をひろつたり
草をつんだり
トンネルの近くで
下から
うなぎを追つて来た二人の男に
あつたこんな山の上で


追記 筆者は今江ノ島アイランドに。これから鎌倉へ。ゴールデンウィークの後半戦、ときどき強い風が吹いているが、夏日を思わせる暑さと人混み、が、海からの風でクールな気分。マラルメの詩の『海の微風』の一篇も良いが、西脇詩、いいね。(5月4日 記)

追記2 この3月に退職した英米文学研究者(エズラ・パウンド研究、谷川俊太郎などの日本の詩人の翻訳などが専門)のN先生から最近贈られてきた翻訳本(An Anthology of Japanese Poems (1900s-1960s THE SINGING HEART compiled and annotated by Yamamoto Kenkichi Translated by William I. Elliot and Nishihara Katsumasa, Hon-no-shiro 2001. 原書: 山本健吉著『こころのうた』)文春文庫 1981年5月25日第1刷)、その中の西脇順三郎の「旅人かえらず」のページをN先生に許可を得て抜粋してみた。ドナルド・キ―ン訳などと比較すると良い詩歌鑑賞になるのではないかと。その抜粋部分を読むはこちら→表紙と翻訳文「20180515114523.pdf」をダウンロード 原書『こころのうた』の西脇順三郎「旅人かえらず」のページ「20180515114506.pdf」をダウンロード (5月15日 記)

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超人の面白テレビ視聴 歌手・ヴァイオリニスト サラ・オレイン 続

実は昨日の土曜日から妖精、癒しの歌姫、サラ・オレイン
Sarah Àlainnさん(筆者は昨年度だったか、NHK語学番組「大人の基礎英語」に講師として出演していたので少しは知っていた)の歌やゲスト出演した番組をずっとYouTubeで視聴していたのだ。3オクターブの音域を持つ、父親がオーストリア人の外交官、母親が音楽教授の日本人でオーストリア国籍のシンガー・ヴァイオリニスト。また、作詞家、作曲家、翻訳者、ディレクター、コピーライターの顔も。シドニー大学では言語学部でイタリア語など、音楽部では音楽理論などを専攻し首席で卒業(『ジブリ』などのアニメで日本語を学び、三島由紀夫の『金閣寺』The Temple of the Golden Pavilionを読み衝撃を受け、日本文学、文化にも興味を持ったらしい。母親は日本人だが家では専ら英語だった)、当時の東大教養学部にも留学している。まさしく才色兼備の女性だ。高音で歌い上げる歌は、しっかりした音程の上に感情が乗り、サラワールド、そう、アルファ波を出すヒーリング感たっぷりの新しい世界を創り出している(1/fのゆらぎの声の持ち主)。2010年にメジャーデビューを果たしている。なぜか九州での仕事が多いようだ。2012年11月にはNHKBS-1「地球テレビ エルモンド」に出演していた。この番組は筆者もよく観ていたが、サラ・オレインさんが出ていたとは知らなんだ!彼女のwebsiteによれば今秋からコンサートツアーが始まる。これからのサラ・オレインさんの“芸術”活動に目が離せない。サラ・オレインさんの詳細を知りたい方はこちらへアクセスされたい→http://www.sarahalainn.net/menu/index.html
追記 サラ・オレインさんの「ワイドナショー」に初出演した感想や次のテレビ番組出演まで書いている最新のインスタはこちらで→https://www.instagram.com/p/Bit8CiCl7KR/
ここで彼女が書いていたが「ワイドナショー」に出演した時の服装は私服だった。でもピンクが映えていた。So cute !
鬼母親はマイッタ、気持ちは分かるけど、ここは厳しい母親かママぐらいに。Sarah Àlainn の“Àlainn”の名前は、スコットランド・ゲール語(Old Irish)で美しいという意味らしい。やはり妖精fairyがたくさん住む国から来たようだ。(2018.5.14 記)
追記2 サラ・オレインさん、ムーミンが大好きみたい。

追記3 サラ・オレインさんが昨夜BS-TBSの番組『Sound Inn“S”』に出演して、「Time To Say Goodbye」 、「君をのせて」、ビートルズメドレーなどを歌い、自ら作曲したヴァイオリン曲「Animus」を披露した。衣装の色は赤、構成などを考えての歌(本人が言っていたが、一曲の歌を出だしは母国語の英語で歌い、次にヴァイオリン演奏を挟み、最後は日本語の歌で締める)とヴァイオリン演奏は、今までのアーティストとは一線を画する、チャレンジするアーティスト、表現者のようにみえた。これからも注目したい。この番組の詳細は収録模様を書いていたこちらで→https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20180519-00085379/

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超人の面白テレビ視聴 歌手・ヴァイオリニスト サラ・オレイン

歌手でヴァイオリニストのサラ・オレインSarah Àlainnさんがフジテレビの「ワイドナショー」にゲストコメンターとして初出演を果した。IT社長と芸能人の結婚、スペインのサッカーチームの大物のJリーグへの移籍の可能性、世界卓球選手権での北朝鮮と韓国との突然組まれた合同コリアンチームと日本チームの戸惑いそれにルール問題、セクハラの罪云々の麻生財務大臣と記者との短いやり取り、北東アジア情勢で北朝鮮、中国、韓国の動きに日本が蚊帳の外状態、北朝鮮の金正恩委員長と米国のトランプ大統領との史上初首脳会談の話題、東大生協が食堂リニューアルで飾ってあった絵画を破棄した新聞記事、母の日に花を贈ること等ワイドショー的な切り口に、一部面白いコメントも見受けられたが、ここまではごく常識的な範囲のコメントのようだった(もっとも初登場で緊張していたのかも知れない)。が、音に関する話題になると、俄然本領を発揮していた。それは音デザイナーズの調査のリストで日常的に不快に感じる音、例えば、蚊の飛ぶ音、歯ぎしりする音、ガラスを爪で鳴らす音、歯の削る音だったりと人が生理的に受け入れづらい音なのだが、サラ・オレインさんにどう思うかと司会者が尋ねると、驚いたことに、絶対音感の持ち主でかつ音を色で言い表わすことができる共感覚の持ち主だったのだ。映画『サウンド オブ ミュージック』のドレミの歌のドは実際はドの音ではないとも(実際の音を言っていたが失念した、Bフラットとか言っていた?)。そういう音に違和感を覚えるという。幼少期、音の違いに気づき元に戻らないのではないかという恐怖感に悩んで薬を飲んだこともあったと、筆者には理解しにくい“衝撃的な音楽体験”を語ってくれた。ゲストのタレントのヒロミがコップを叩いて音当てを試みたら、サラ・オレインさんがその音を見事に言い当てていた。この番組の中心メンバーの芸人松本人志などはこの話題についていけない様子だった。もう一人ゲストコメンテーターのミュージシャン土屋社央(筆者はほとんど知らないが)が時折気の利いたコメントを出していた。
尚、グーグルなどで「ワイドナショー」と検索をかけると、この番組を視聴できるみたい。(続く)

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超人の面白読書 131 ジョ―ジ・オーウェル『1984年』 2

It was a bright cold day in April, and the clocks were striking thirteen. Winston Smith, his chin nuzzled into his breast in an effort to escape the vile wind, slipped quickly through the glass door of Victory Mansions, though not quickly enough to prevent a swirl of gritty dust from entering along with him.


―from GEORGE ORWELL Nineteen Eighty- Four with an Introduction by Thomas Pynchon and A Note on the Text by Peter Davison, Penguin Books

4月の晴れた寒い日だった。時計が13時を打っている。ウィンストン・スミスは不快な風を避けようと顎を胸に埋めるようにしながら、ヴィクトリー・マンションのガラス製のドアを素早く通り抜けた。素早くとは言っても、砂埃の渦が自分について入ってくるのは防ぎようがない。

高橋和久訳(ハヤカワ文庫 2017年2月15日31刷)

これがジョージ・オーウェル作『1984年』の原著、Nineteen Eighty-four の出だしである。第1部8章、第2部10章、第3部11章と附録からなるディストピア(反ユートピア)小説。去年6月に高橋和久訳の『1984年』を通勤電車の中で読み終えたが、同じく主に通勤電車の中で再読(いやはや、約1年前に読んでいたのだが、内容を大分忘れていた!情けない)、こちらは所々晴天下、狭い庭先の椅子にもたれての読書となった。休日の野外での読書は至福の時で、同時に、室内から流れるクラシック音楽(この時はボッチャーのバイオリンなど)を聴きながらの読書はこれまた、格別だ。“プロール”に毛のはいた筆者の身分では別荘で過ごしているような錯覚である(笑)。弁解めくが注意深く読んでみようと考えたことは確かだ・・・。所々原書と併読しながら高橋和久訳の『1984年』(481頁)を読み終えたわけだが、「こなれた訳」と前回読んだと同じような感想を持った。いや、更にその思いを強く持ったと言ったほうがより正確だろうか。ともかく読み易いのだ。それと原著『Nineteen Eighty-Four』のジョージ・オーウェルの文章には複雑な文の構造が比較的少なく、平易な言葉で綴られていることだ。が、その代わりいわゆる“オーウェル語”の定義を正確に理解することまた、当時(1930年~1940年代頃)の時代背景をおさえておくことは必須だ。むしろ、こちらのほうがより重要で頭に叩き込んでおく必要があるだろう。余談だが、訳者の高橋和久氏のトークショーが先週観た芝居『1984年』後にあったことを帰りの電車の中で気づいた。後の祭りだった。ぜひ拝聴したかったのに残念である。(続く)

追記 You Tubeで『Nineteen Eighty-Four』の朗読が聴ける。→ https://youtu.be/xMzBETLocSA

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超人の面白読書 131 ジョージ・オーウェル『1984年』  

閑話休題。
昨日朝鮮半島では歴史的な南北首脳会談が行われた。板門店の韓国側施設「平和の家」で韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が会談、休戦状態にある朝鮮戦争の終結を今年中に、また、半島の非核化目標などを宣言した。今までの北朝鮮の動きを見ているとにわかに信じがたい政治的大転換で、平和的に朝鮮統一が実現できれば、真の意味での戦後の冷戦構造がなくなることになり大歓迎だ。しかし、ミサイル発射や核施設開発などで国際社会から経済制裁を受けて苦しい北朝鮮が、経済的な援助を引き出す目的だけの政治ショーでは北朝鮮のしたたか外交術を見せつけられただけで真の平和的な解決にはならないだろう。ここはこれから約束を励行するかどうか注視していくことが特に日本(拉致問題は喫緊の問題)、アメリカ、中国それにロシアなどを含めた関係国に求められる。

ジョージ・オーウェルの『1984』は1949年に刊行された。その一年後の1950年に朝鮮戦争が勃発し3年後に休戦状態に。

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クロカル超人が行く  216  新国立劇場小劇場で演劇鑑賞 ジョージ・オーウェル原作 戯曲「1984年」 2

【動画: 新国立劇場公開サイト「1984」】
https://youtu.be/8O_XvxJP0kI

観客席から見て舞台右側前方に、「1984」の主人公ウィンストン・スミスの小机、その上にスタンドに照らされたノートが配置されている。全体的には暗くてまわりや奥行きが見えない。スポットライディングは小机周辺のみ。可愛らしい女性の声のナレーションが入る(これには筆者も予想外、プチサプライズだった)。やがて登場人物が現れ、机に座るやいなやペンをもち何やら黄ばんだノートに書き記す。それが1984の数字、同時に上方の中央、左右の壁、いな、遠近のあるテレスクリーン(双方向テレビと監視カメラを兼ね備えた装置)にその数字が大きく映し出される。やがて場面は男女数人が本を抱えて『1984』の附録の「ニュースピークの諸原理」について群読・分析する場面に切り替わる。時は2050年以降。右端にはファイルが収納できる木製のキャビネットが並ぶ。
これが舞台「1984」の最初の場面である。ここから監視と恋愛ドラマが始まり、党に批判的な真理省記録局で新聞などの書き換え、改竄を仕事としている主人公が、党幹部から洗脳、尋問、自白を強要され、その後人間改造の酷い拷問を受け、最後には全てを受け入れる。そして、この群読・分析の場面に戻り終了する。上演時間約2時間。
演出家の眼差しを筆者なりに少し感じ取った。きつい展開のはずなのに全体的には不思議とやわらかさが感じられた芝居だ。原作は論理展開がいやというほど散りばめられていて理屈っぽいが、コンテンポラリーで多層的な舞台装置の仕掛け(遠近法的なレイアウト、配色、照明、音響など)が上手く施され観客を魅了した。特に少し長く続いた拷問の場面は圧巻。主人公、準主人公それに脇役のセリフは長い。それを克服している役者魂に共感を覚えた。それは「あっという間の2時間」という表現が物語っていて、まさに観劇の面白さを味わったのだ。
二度目の原作を注意深く読む試みは、あと少しで終わる。

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クロカル超人が行く  216  新国立劇場小劇場で演劇鑑賞 ジョージ・オーウェル原作 戯曲「1984年」

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ほぼ満員の新国立劇場小劇場(326席)で、原作ジョージ・オーウェル、脚本ロバート・アイク/ダンカン・マクミラン、翻訳平川大作、演出小川絵梨子の「1984」を鑑賞。反ユートピア小説を描いたジョージ・オーウェルの原作を題材にした戯曲で、ロンドン、ニューヨークで評判を呼んだもの。井上芳雄、ともさかりえ、森下能幸、宮地雅子、山口翔悟、神農直隆、武子太郎、曽我部洋士などが出演、迫力のある演技と斬新な舞台設定、特に照明、映像それに音響が光っていた。休憩なしの2時間はあっという間に終わった感じだ。本当に久しぶりに芝居を観たが良かった!

時は2050年以降の世界。人々が小説『1984』とその"附録"「ニュースピークの諸原理」について分析している。過去現在未来を物語り、やがて小説の世界へと入って行く...。
1984年。1950年代に発生した核戦争によって、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国により分割統治されており、その3国間で絶え間なく戦争が繰り返されていた。オセアニアでは思想、言語、結婚等全てが統制され、市民は"ビッグブラザー"を頂点とする党によって、常に全ての行動が監視されていた。
真実省の役人、ウィンストン・スミスは、ノートに自分の考えを書いて整理するという、発覚すれば死刑となる行為に手を染め、やがて党への不信感をつのらせ、同じ考えを持ったジュリアと行動をともにするようになる。
ある日、ウィンストンは、高級官僚オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白する。すると反政府地下組織を指揮しているエマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書を渡され、体制の裏側を知るようになる。
はたして、この"附録"は誰によって、どのように書かれたのか? それは真実なのか? そして今、この世界で、何が、どれが真実なのだと、いったい誰がどうやって分かるのだろうか......。(新国立劇場webpage「1984」あらすじ より)

ドラマ「1984」の詳細はこちらを参照されたい→
http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_009661.html


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クロカル超人が行く 215 明治大学リバティーホール「佐藤栄佐久氏のドキュメンタリー映画『知事抹殺』の真実」を見て~共謀罪廃止を考える集い~

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友人からもらったチケットで元福島県知事の佐藤栄佐久氏のドキュメンタリー映画『知事抹殺』の真実を見て~共謀罪廃止を考える集い~に参加した。明治大学リバティーホールでの上映では慣れないせいか音声や映像にハプニングがあったものの、映画はドキュメンタリーならではの魅力を引き出していて内容は濃かった。佐藤栄佐久氏が知事在職時に官製談合事件で辞任し逮捕された。その事件に関する初動、過程、地検による執拗な取調室での模様、一審二審の裁判の収賄額ゼロの有罪判決を受ける最終章まで元知事佐藤栄佐久氏と会社経営者の弟氏などの関係者の証言それに再現映像などで事件の真相に迫った。しかし、土地売買に絡んだ収賄を巡っては謂れのない巧妙な手口によってでっち上げられ反証するも叶わず逮捕され有罪判決を受けてしまう。この不条理、無法!真実を証明することがいかに難しいか、ナレーションの効果抜群の映画は語る。佐藤栄佐久知事在職中、佐藤氏は東京電力福島第一・第二原子力発電所での事故やトラブルを隠蔽する、国や電力会社の体質に、福島県民の安全のため対峙していた。これらの原発に対する知事の活動が、この事件の原因になっている様子。それを匂わせる証言が。佐藤氏の弟が東京拘置所の取調室で、担当検事から「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と言われたいう。これが事件の本質だったか―(一部配布されたチラシを参照)。
第一部のドキュメンタリー映画観賞に続いて、第二部では佐藤栄佐久氏と三宅弘弁護士との対談があった(ドキュメンタリー映画「『知事抹殺』の真実」を見ての報告 三宅弘弁護士、佐藤栄佐久さんのQ&A ― 尋問形式による― 知事抹殺の真実を探る 福島原発開設から事故に至るまで Q&A知事抹殺の真実をさぐる 東京地検特捜部が描いた虚構図 検察の虚構による起訴状 Q&A知事抹殺の真実をさぐるなど)。弁護士が一方的に話し、佐藤氏が質問に答えたり感想を訊かれたりしていたが、何か噛み合わない様子。佐藤氏の記憶が年を重ねることで曖昧になっているのか、話す内容がイマイチはっきりしないのだ(対談が終わったあとの休憩時間に漏れ聞いた話では、最近かどうかは分からないが、どうやら何かの調子で頭を打ったそうだ(本日も体調はあまり良くないと関係者が言っていたが)。難問解決は現実的には司法(刑事事件)のあり方や手続きを変えないと罪のない人間を貶めてしまう恐れがあるのだ。それは民主主義国家ではあるまじき裁判制度ではないか。氏は対談の最後で対談相手の弁護士に「現行の裁判制度を変えるにはあなたたち弁護士先生が頑張らないといけない」と何度も言っていたのが印象的だった。第二部後半の対談は時間がなかったので途中で退場した。
対談の三宅弘弁護士は、『原子力情報の公開と司法国家―情報公開法改正の課題と展望』の著書もある日本弁護士連合会副会長、第二東京弁護士会会長を歴任した人。

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 【写真: 左から元秘書の遠藤氏 佐藤氏 三宅弁護士】

「このイベントのチラシとチケット」をダウンロード


追記 偶然にNHKBS番組「ブレイブ 勇敢なる者 えん罪弁護士 完全版」の再放送を観た。有罪率99.9%に挑む男!大反響受け再び‼とサブタイトルを冠したえん罪を扱う今井核弁護士を追った番組だが、柔軟な発想、推理力を駆使し、証拠写真の画像処理に対しては工学系や心理学系の専門家も動員しながら緻密さを心掛け、科学に裏打ちされた陳述を展開してえん罪に持ち込む弁護士魂に脱帽だ。アッパレ!番組では実例として痴漢を取り上げていた。えん罪を扱う弁護士は儲からない・・・。こういう弁護士もいるのだ。この番組をたまたま二度観た。昼といい、夜といい、共謀罪・えん罪について考えさせられた一日だった。

福島原発に関する関連記事を読むはこちら➡️
http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2018/03/post-6e3f.html

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クロカル超人が行く  214  神田神保町『揚子江菜館』

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神田神保町『揚子江菜館』。ここで中国人の某先生と食べたのはもう10年くらい前になるか。それ以来の訪問だ。最近ではテレビでフリーアナウンサーの草野仁氏が紹介していた。
さて、昼飯に酢豚定食(1030円)を頼んだのだがイマイチ。これがウマイ味だといわれれば困ってしまうほど。冷やし中華発祥の地として有名だが、仙台に行くとおらが冷やし中華の発祥地といって憚らないのも事実。周恩来が通った店、池波正太郎が愛した店等々エピソードに事欠かない中華料理店である。やはり年配者の夫婦が目立つ。その一組は冷やし中華を頼んでいた。ここに来て冷やし中華を食べるのが何よりも楽しみにしている様子。

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クロカル超人が行く  213 御茶ノ水駅『ナポリの下町食堂』

JR御茶ノ水駅から徒歩3分のところにあるイタリアン『ナポリの下町食堂』。大分前に食べに行ったきりだから店内はうろ覚え。地下にあるもなかなか広い。昼時少し過ぎた時間でもやはり女性客が多い。“パスタ人”の居住区みたい。しかし、大分高齢の男性がこの店の看板の窯で焼いたマルガリータを美味しそうに食べていたのが印象的。そう、食べたアマトリチャーナ(1164円)は、酸味の効いたトマトベースにパンチェッタ(豚バラ肉)、ベーコン、玉ねぎ、唐辛子それにチーズが入った辛系パスタ。量はグラムで選べるのでやや多めのものを頼んだ。パスタの食感がユニーク、大きめでかための玉ねぎは最後に2つほどハネた。味は及第点。飲み物にスープはなかったがフリードリンク制。今度は夜の時間帯に訪ねてみたい。営業時間: 11:00~23:00。無休。

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【アマトリチャーナ L'amatiriciana 】

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追記2 明大リバティーホールのイベントに参加。その前に昼食に立ち寄った。

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ピッツァの旨い店についてはこちらも参照されたい。
http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2012/12/71-7e47.html

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超人の面白ラーメン紀行 247 横浜駅西口『麺場 浜虎』

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3月はじめに某先生と訪ねたラーメン店『麺場 浜虎』。今回は仕事ついでにここで昼食。こい醤そば(790円)はダブルスープで濃厚、量は少なめ。やや太めの縮り麺にトッピングのチャーシューは鶏肉ででかっ。味はいい。昼時は賑やかだが結構捌けてる。無料の自分で作るCotton candy(綿菓子)製造マシーンがあるのは珍しい。キッチンをはじめ店内はかなり斬新。工事現場みたいと誰かが書いていた。今様若者組のアートデザイン?

横浜駅西口『麺場 浜虎』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★☆5.定価★★

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超人の面白読書 131 ジョージ・オーウェル『1984』  3

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文芸評論家田中和生氏は、毎日新聞の文芸時評(2018年3月28日夕刊文化欄)「ポスト真実の時代に 虚構が語る事実」の冒頭で森友学園に触れて次のように書いている。

森友学園の問題から出てきた、公文書改竄という事態を文学的に見ると、言葉がかつてなく軽くなっていると感じる。なぜなら現政権が折に触れて示しているのは、言葉は事実でも真実でもなくてよいという言語観だからである。それでも政治の現場では、これまでの常識にしたがって言葉を「事実らしい」「真実らしい」ものにするという力が働くので事実や真実の方をねじ曲げるようなことも起きる。しかし居心地が悪いのは、この言語観を「言葉では事実も真実も語れない」と言い換えると、多くの文学者が同意するものになることだ。

この後も個別的な文学作品評に入る前にこの文芸評論家の“ことば”は続くが、“ポストトゥルース=ポスト真実=客観的な事実よりも主観的な感情を優先する言説”にも通じるものとしながら、そのような時代の文学はなんらかの方法で事実や真実に向かわなければならないと思えると作家の使命を書き留めている。
小説『1984』を再読している。原著Penguin BooksのPenguin Classics: Nineteen Eighty-Fourも併読しながら。映画『1984』(1985年劇場公開版)をDVDで観た。コミック版もゲット(どんなものだか見るだけだったが)近々『1984』の演劇も観るつもりだ。筆者のジョージ・オーウェル『1984』の旅は始まったばかり。(続く)

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超人のラーメン紀行 246 東京メトロ有楽町線・副都心線成増駅『中華めん処 道頓堀』

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12時半過ぎに仕事を終えて成増・旭町3丁目にある有名ラーメン店『べんてん』を訪ねたが、到着するやいなや麺がなくなり筆者の直前で終了。営業終了時間の午後2時半までは1時間足らずあったのにだ。予想されたとはいえ至極残念!しかも直前での打ち切りは非情である。それで帰り際寄ったのが東京メトロ有楽町線・副都心線成増駅近くの『中華めん処 道頓堀』である。すでに5人が並んでいてここも2時で昼時の営業は終わるらしく、滑り込みセーフの感じだった。
初めて入る店は定番をオーダーするのが筆者流。メニューは醤油中華そば、つけ麺、塩らーめんの3種類のみ。醤油中華そばを頼んだ(750円)。その中華そばが供されるまでまずは外の入口の前で、次に中の階段でそれにカウンターに着いてからも待たされた。計22、3分は待った感じだ。煮干&鰹出汁の中華そばは濃厚ドロドロ系で中細ストレート麺にマッチングしていて古き良き味を醸し出していた。トッピングにはノリ、ネギ、メンマ、ナルトにチャーシューなどがのった定番の品々が並ぶ。中でもチャーシューは小粒ながら一捻りしてあるみたい(豚もも肉使用)で歯応えもあって美味。昭和の匂いが漂う、昔懐かしいラーメンだ。肝っ玉母さんぽい女将と外見とは違って心優しい旦那との名コンビで切り盛りする老舗のラーメン店は、人情を一味添えたユニークな店で地元の常連客も多いようだ。筆者が座ったカウンター右隣の木製の仕切りが自由自在に動くのにはサプライズ。10人座れるカウンター調整には思わず笑ってしまうほどの抜群の能力を発揮していた。カウンターとテーブル席は満杯、家族連れ、カップルほか20人位いたか。

東京メトロ有楽町線・副都心線成増駅『中華めん処 道頓堀』1.スープ★★☆2.麺★★☆3.トッピング★★4.接客・雰囲気★★☆5.価格★★

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   【べんてん、支度中に!】

追記 『べんてん』の店主がBSフジの番組「Ramen-do」に出ていたが、今度はNHKの番組「プロフェッショナル」で福島・白河の『とら食堂』の店主(二代目)が出演(2018.年4月9日放送)していた。究極の中華そばは、結局「ラーメン」人生そのもの。

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クロカル超人が行く 212  春 港ヨコハマ点景 

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【写真: 上から ①②③横浜・日本大通りの街路花、チューリップほか 手入れが行き届いていて気持ちがいい④シルクホテル前 英一番館跡 居留地の地図を思い浮かんだ ⑤スカンディア界隈 デンマーク料理にはウナギも⑥横浜開港資料館前 日米和親条約締結地 今年は明治から150年 あまり盛り上がらないねと新聞に書いていたのは近代史研究家の某先生 ⑦ほぼ満開の桜 構図といい最高 ⑧みなとみらい線日本大通り駅のプレート 因みにニューヨーク市の地下鉄116丁目コロンビア駅のプレートはカラータイル】
【地下鉄116丁目コロンビア大学駅: 2009年9月筆者撮影】

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咲いた
さいた
サクラに
チューリップ

港ヨコハマ
大通り

異人さんは
いずこ

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超人の面白読書 131 ジョージ・オーウェル『1984』 2

昨夜NHKのテレビ番組で「フェイクニュース」を扱っていたが、今や「フェイク」の文字がアメリカのトランプ大統領を筆頭にネットで横行し、一度拡散してしまうと消しようがないらしい。真実と嘘が見分けにくくなっているのだ。ネットでは広告が溢れ、本当らしいところに注目してクリックすればその広告を押し上げ儲かるシステムになっているのだ。見分け方が難しくなっている。番組ではドイツ、フランスそしてお膝元のNHKが「フェイクニュース」をチェックする姿を写し出していたが途方もない作業であることは間違いない。

ジョージ・オーウェルの『1984』の解説で作家のトーマス・ピンチョン氏が、この本のキーワードの一つである、“過去を改竄した〈二重思考 ダブルシンク〉”について次のように書いている。少し長いが引用してみたい。

現在(この解説を書いた2003年頃)のアメリカ合衆国に目を向けてほしい。戦争を造りだす装置が“国防省”と呼ばれていることを疑問に思っている人はほとんどいない。同様に、司法省がその恐るべき直轄部門であるFBIを用いて、基本的人権を含む憲法の保障する権利を踏みにじっていることは、十分な証拠が書類として提出されているにもかかわらず、我々はその省を真顔で“正義 ジャスティスの省”と呼んで平気でいる。表向きは自由とされている報道機関も、常に“バランスの取れた”報道をすることが求められ、あらゆる“真実”は、同等の価値を持つ正反対の情報によって即座に去勢される。世論は日々、修正された歴史、公式的な記憶喪失、明白な嘘を与えられているのだが、そうした情報操作はすべて好意的に“ひねった解釈 スピン”などと呼ばれ、楽しげにスピンするメリーゴーラウンドと同様、何の危険もないと考えられている。我々は伝えられることが真実でないと知りながら、それが真実であって欲しいと思っている。信じると同時に疑っているのだ。結局、多くの問題に対して簡単に態度を決めずに少なくとも二つの見解を持つことが、現在の超大国における政治思想の状況ではないだろうか。言うまでもなく、その地位に、可能であれば永久に、留まりたいと思っている権力者にとって、これは計り知れないメリットがある。(続く)

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超人の面白読書 131 ジョージ・オーウェル『1984』

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最近のニュースをみていると、財務省の改竄問題、他方で、文科省の監視問題が浮上し両問題とも民主主義の根幹を揺るがす重大な出来事が浮上してきた。それで喚起されるのがジョージ・オーウェルの『1984』である。ディストピア、反ユートピア小説といわれるこの小説は、近未来の社会を空恐ろしく描き出している。そこでは日常的に改竄や監視が行われているのだ。まさしく日本の今を写し出していて怖い。
実は、先週の日曜日何気なくこのジョージ・オーウェルの『1984』をふと思い出していたら、その日の朝日新聞の朝刊をたまたま買って読んで驚いた(大分前はこの新聞だったが、今は他紙を購読していて書評欄を読みたかったからわざわざコンビニまで買いに行ったまでだが)。「日曜に想う」の欄のタイトルが“思い起こした「1984」”とだったからだ。執筆者が読者からの川柳、“現実にあったオーウェル「真理省」”を紹介しながら、ジョージ・オーウェルの小説の主人公が「真理省記録局」という部署に勤めていて、政府の都合と主張に合わせて過去の新聞に記事を改変するのが仕事と記したあと、復古的なイデオロギーを仲立ちにして、権力側とその威を借る者が連みあった結果であろうと執筆者は書いている。
さて、全体主義の社会を見据えたジャーナリスト上がりのジョージ・オーウェルが描きたかった社会は、どういう社会なのか興味を引きつけられる。(続く)

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超人の新刊紹介 澤正宏(福島大学名誉教授)編著『詳説福島原発・伊方原発年表』

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澤正宏(福島大学名誉教授)編著『詳説福島原発・伊方原発年表』が2月28日クロスカルチャー出版から発売になった。B5判・上製・総約500頁 定価25000円+税。ISBN978-4-908823-32-9。1940年~2016年までを記述しているが、重要な事項は2017まで書き込んでいる。特に3.11原発事故以後の活写は詳細を極め、単に歴史的な記述に止まらず記録文学としても読める。編著者渾身の一冊。必読必備のレファレンス本。3.11からまもなく7年。この節目の時期に読者諸氏にぜひおすすめしたい本である。詳細はクロスカルチャー出版のホームページを参照されたい→http://crosscul.com

追記 この原発年表が、今日の毎日新聞朝刊(2018年3月11日)の読書欄に掲載された由。

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追記2 東京新聞・中日新聞の朝刊(2018年3月18日)の書評欄「出版情報」にも掲載されたみたい。

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追記3 先週の土曜日夜(2018年3月17日)のNHKスペシャル「原発メルトダウン」迷走の2日間に何が?大杉漣ドラマと新資料で迫る汚染拡大の真相の番組で、7年前の3.11後に起きた東京電力第一発電所のメルトダウンを、ビックデータを駆使して分析しまた、再現ドラマで当時何が起きていたのかの検証を試みていた。膨大な言葉のやり取りの解析から見えてきたのは、現場の最高指揮官が人の安全を最優先して動いたこと―それはそれで優先すべき課題だったが、同時に、原子炉内の容器にもっと注力すれば放射能が漏れて拡散してしまうことを防げた―で結果的には放射能の予期しない拡散を北は岩手県、南は静岡県まで広域に招いてしまったことだ。テレビはそのことを科学的に立証しようとしていたが、この『詳説福島原発・伊方原発年表』は、新聞や雑誌等を詳細に追ってまさしく年表形式で再現を試みた労作だ。原発の世界情勢、原発に関わる日本の政治や経済の動き、政府機関、東京電力、福島県、地元住民を含む県民の動向、汚染水、汚染土の動向、原発労働者の実態、原発事故による関連死者、土地や食品の放射線量、子供の被曝などと多岐にわたっている。また、伊方原発年表を併せて載せる理由は、原発に関する行政訴訟で「日本初の科学裁判」といわれた伊方原発裁判の動向から多くを学んできたからである。一部『詳細福島原発・伊方原発年表』のパンフレットを参照。

追記4 出版ニュース3月下旬号には少し詳しく書評が載ったみたい。

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追記5 国会内(参議院側)の書店のウインドウにもポップが。その下には脱原発を進める元首相の小泉純一郎氏の著作の宣伝もみえる。

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追記6 図書新聞2018年4月28日号に詳しい書評が載ったみたい。

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超人の音楽アラカルト The Brothers Four : Seven Daffodils

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【写真: かつては桜木町と新港を結ぶ“汽車道”だったプロムナード。その両サイドに咲く「七つの水仙」が綺麗。 撮影=筆者】

寒暖計踊っているよ春の海

もうすぐ桜が開花。今年の冬は寒かったがこのところの陽気が良かったのか平年より10日以上も早く開花するらしい。たまには海の向こうに思いを巡らしたいとパスポートの書き換えに出向いた。豪華客船『飛鳥Ⅱ』

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が接岸されているも、港ヨコハマの桟橋は生憎の小雨で人出が少ない。すれ違った小人数のパーティーのガイドさんは些か声に張りがなかった。山下公園からみなとみらい地区をJR桜木町駅に向かって歩くと、少し強い春風に突き動かされて気持ち足早になる。ふと木製のプロムナードの端に咲く水仙に目を奪われて思い出したのが、ブラザーズフォーの“七つの水仙”。大昔友人宅で何度も聴いたフォークソングの名曲だ。その家も7年前の大震災で半壊、しばらくして引き払ったらしい。そのドラマチックなストーリーは人生の悲哀を伝えて切ない。
「七つの水仙」は、歌詞もメロディーもいい。愛や小さな幸せを唄っていて心にしみる唄だ。

Seven Daffodils

I may not have a mansion, I haven't any land.
Not even paper dollar to crinkle in my hands
But I can show you morning on a thousand hills
And kiss you and give you seven daffodils

I do not have a fortune to buy you pretty things
But I can weave you moonbeams for necklaces and rings
And I can show you morning on a thousand hills
And kiss you and give you seven daffodils

Oh, seven golden daffodils all shining in the sun
To light our way to evening when our day is done
And I will give you music and a crust of bread
And a pillow of piny boughs to rest your head
A pillow of piny boughs to rest your head

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クロカル超人が行く 211 朝日カルチャーセンター名古屋教室 特別企画2回目「西脇順三郎 その詩を読み解く」

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朝日カルチャーセンター名古屋教室特別企画「詩人 西脇順三郎―その生涯と作品」(2月と3月の2回開催)を聴きに名古屋まで出かけた。講師は司会役の歌人の鈴木竹志氏、パネラーは歌人で東海学園大学教授の加藤孝男氏と詩人で名古屋短大教授の太田昌孝氏。第1回は2月18日に開催され西脇順三郎の生涯について上記3名のパネラーが語り合った。今回は2回目でもう1人、芥川賞作家の諏訪哲史氏が参加するはずだったが、前日に腰痛で救急車で運ばれたらしく不参加だった。これは筆者にとってはショッキングな出来事!諏訪哲史氏にサインしてもらおうと著作2冊を携えて臨んだからだ。残念。その代わりに『詩人 西脇順三郎』の著者加藤孝男先生と太田昌孝先生の生の講義を聴講できた。共著を読んで気づいたことだが、加藤先生の筆による文章と太田先生の文章には温度差があって、前者が柔らかいのに比べ、後者がやや硬い感じになっていることだった。しかし、シンポ形式の講義では、鈴木竹志氏の名司会の誘導で語るお二人の口調が逆転していたことが筆者とっては何より新鮮だった。
シンポ形式の講義は、有名な「天気」から始まって「雨」、「眼」、「秋」、「はしがき」(「幻影の人」の解釈はとても解りやすくすてきだった)、「山樝(さんざし)の実」などを読み解きながら、両者の感受力を駆使して独自の解釈を披露した。特に太田先生の解り易い解説は初めて聴く者にとって、難解で知られる西脇詩の“難→易変換”―例えば、パソコンの漢字からかな変換するようにやさしく(優しく・易しく)―を可能にし西脇詩の解釈を豊かにしている。一方、歌人である加藤先生は、塚本邦雄や萩原朔太郎を通じて西脇順三郎の詩を知ったと語る。そして、西脇詩の「眼」に注目し、その戦前版と戦後版の差異に一つひとつ鋭い解釈(改稿された戦後版の「眼」がすごいと絶賛。興奮気味)を施す。また、司会の鈴木氏選の詩は、「皿」と「雨」だ。その「雨」の詩。



南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

何ともエロチック。動詞「ぬらす」の効果が抜群の詩。 筆者的にはひらがな「ぬ」の文字が音韻「nu」と視覚のイメージ〈ぬ〉それに意味を重ねることによってポエジーを産み出していると思うのだ。それに何をぬらしているか、対象がおもしろい。「雨」の詩はイマジズムの手法を取り入れていると指摘したのは西脇順三郎研究家の澤正宏先生。ドナルド・キーン氏の「雨」の英訳ではそれを単純だが上手く表現している。“wet”の妙技―。

ドナルド・キーン氏の英訳を読むはこちら→http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2015/07/post-2929.html

ドナルド・キーン著『Dawn to the West』の西脇順三郎の言及の項を読むはこちらhttp://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2016/07/post-dc66.html

こうして質疑応答を含めて2時間のシンポ形式の講義は終了した。面白かった。
このあと場所を名駅近くの中華料理店『平和園』に移して懇親会があった。歌人が集まる場所だそうだ。作家志望の院生・学生さんも交えて講師の先生たちと楽しく歓談後、新幹線で帰宅。時刻はすでに午前0時を過ぎていた。

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【写真上: 朝日カルチャーセンター名古屋教室 写真下: 中華料理店『平和園』に集った人たち いずれも筆者撮影】


付記 昨日(2018年3月9日)アマゾンのwebslteを閲覧していたら『詩人 西脇順三郎』は、☆5つだった!

付記2 駄作を一つ。


〈覆されたダイヤモンド〉の夜
窓辺で誰もが叫ぶ
それはオーロラの誕生

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クロカル超人が行く  210  名古屋市瑞穂区 ドイツ料理店『Zur Deele ツア・ディーレ』

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【写真上から: 大通りに面した店の看板と外観、正面玄関、入口それに店内】

この日は気温が上昇してコートが要らないくらいの温かさだった。ドイツ料理とは洒落ているが、昨秋に知人が予約していて筆者の都合でスキップしたところ。ランチを嗜んだが、やはりドイツビール(エルディンガ―ヘルやラオホ)やワイン(シャーレス ブラン・ド・ノワール)で盛り上がってしまい、肝心の料理の方の写真撮影を忘れてしまったのだ。ドイツ料理といえば、相場はソーセージやベーコン、平べったい揚げ物、ポテトそれにやはりビールだろう。しかし、この店ではAランチ(スープ、魚、追加ソーセージ)、Bランチ(スープ、肉、ソーセージ)などコース制で肉か魚料理をチョイスできるのだ。オプションには単品のソーセージを頼んだ。久し振りに会った知人の表情はいつもと変わらない様子。この知人とは連絡がなかなか取れず、最後はファクスでやり取りしたほど。午後3時には栄にある朝日カルチャーセンターに行かなければならなかったので2時間ほど食事しながらの近況報告だった。ホール係の男性とのちょこっと会話は飛び過ぎ、シュールで、筆者が「おまけはないの」とからかうとその男性は「パンならあります」と切り返してきた。そこにしっかり者の名古屋人を見たような気がした。店名の“Zur Deele”のDeeleはドイツ語の方言でみんなが集まるところという意味だそうだ。「みんなが集まる店へ」という意味になる。結婚式などスペシャルな日にも対応している“街の西洋料理さん”といったところか。それにしてもこの店に来るまで筆者がなぜか何度も口ずさんでいた横浜のドイツ料理店“Alte Liebe”にはまだ行けてないのだ。ついでに書けば、ドイツ料理を気軽に飲食できるところは野外だが横浜赤レンガ倉庫前や日比谷などである(最近ではお台場や東北でも開催。しかし、本場ミュンヘンのオクトバーフェストは世界中から観光客が600万人も集まる超有名なフェスト)。毎年10月にオクトバーフェストを開催しているのだ(この“オクトバーフェスト”は季節外れの2月に大阪でも開催していたことを思い出した)。ドイツからのミュージシャンと一緒にOans, zwoa,drei, g'suffa! Prost! (1、2、3飲み干せ! 乾杯!)と乾杯の唄(Ein Prosit)を合唱するのが醍醐味だ。二度ほど行ったことがある。京都は河原町には半ば日本化した『ミュンヘン』もある。

追記 この店の詳細を知りたい方はこちらへアクセスされたい→http://www.zurdeele.co.jp/

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【写真: 『Alte Liebe』横浜本店 筆者=撮影】

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クロカル超人が行く 209 神田神保町『神田天丼家』

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隠れ家的なラーメン店『黒須』(千代田区神田神保町3-1-19)から徒歩1分のところにある『神田天丼家』(千代田区神田神保町3-1-14)。専修大学前交差点裏)。天ぷら『いもや』(水道橋駅方面から白山通りを右側に入ったラーメン店『さぶちゃん』近くの天ぷら『いもや』は、長らく店を切り盛りしていた料理人が辞めてからしばらくして潰れたが、白山通りの興産信金を左折したところにある天ぷら『いもや』は健在)でたまに食べている筆者が驚いたのは、『神田天丼家』が神保町の人生劇場裏で営業していたことだ。知らなんだ。
この店の天丼はどちらかといえば値段も手頃(600円)で庶民的な味。暖簾を潜れば中に10人は並んでいる。しかし、腰の低そうな店主の段取りが良いのかスムーズに流れ、席に着いたときには時間差がなく天丼が供される。リズミカルなのだ。ご飯も大盛、中盛、小盛と天丼をつくりながら訊いてくるきめ細かいサービスもいい。海老などの具材は決して大きくはないが手頃感たっぷり、タレも満遍なくかかっていてカリアリ、しっとり。多少気になるといえば油、これはこの値段では仕方がないのかも。お新香もこの店の売りらしく頼んでいた客も結構いて、白木造りのカウンターには専用の醤油もおいてあった。店主と明るい女性2人で切り盛りするカウンター席のみのこぢんまりした店である。

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【写真上: 天丼&きす 写真下: 強風に煽られた暖簾】


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【写真: 『神田天丼家』の ある通り。
この先左折すると『黒須』がある】

追記 神保町界隈にとんかつ、天丼、天ぷらなどのコンパクトな店を展開してきた『いもや』が、突然3月一杯をもって閉店するという(直営店のみ)。理由は分からない。突然の貼り紙(2週間前位に)でそれを見た常連客が並び、昼時の光景が一変している。(2018年3月27日 記)。


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クロカル超人が行く 208 東京駅『EATALY グランスタ店』

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東京駅北口丸の内側地下にある『EATALY グランスタ店』。eat 食べる、shop 買う、learn 学ぶのコンセプトを掲げた、イタリアはトリノ発の新興勢力企業。2007年創業で東京には去年8月進出。日本橋三越や横浜にも支店がある。高級イタリア食材を扱い、ショップにレストランまである。チョコレート、イタリアンコーヒー、イタリア農家のチーズや生ハム類、パスタやソース類のコーナー、イタリア人による実演、本格的な窯で焼いた切り売りのピッツァ各種そして奥にレストランがある。イタリア娘が流暢な日本語で応対してくれて楽しい雰囲気を醸し出している(少しかたい感じで柔軟さがほしい)。食材もそうだが全体に高めの価格だ。ほしい食材が一杯あるけど手頃に食べるには手が届かない―。写真は典型的イタリア家庭料理のトマトベースのパスタ(プカチィーニ アナトリチャーナ、パンチェッタと玉ねぎをトマトと煮込んだソース。1280円)、ピッツァ(マルガリータ、モッツァレラとパジリコのシンプルピッツァ1/2。残り1/2は家人。1680円)、オリーブ(価格?)それにメニュー。味は確かに本場イタリアの味だったかも。もちろんイタリアンビールや赤ワインも嗜んだ。日本のビールが置いていなかったのが残念。

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