クロカル超人が行く 231 山の上ホテルのバー『ノンノン』

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シングルスモルトのバッカラン12年とテキーラベースのカクテルサンライズ。

ほろ酔いでバー駆け込み春の夜

夢叶え止まり木はウキウキボキボキ

神戸女学院大学や明治学院大学の教会などを手掛けた建築家ウィリアムス・ヴォーリズ設計の山の上ホテルHiltop Hotel(人に歴史あり、ホテルにも歴史あり)はまた、「文化人の宿」でも有名なこぢんまりしたシティホテルだ。テレビや雑誌などで度々紹介されているのでご存知の読者諸氏も多いはず。川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静などの作家がよく利用したことでも知られている。そのバーに寄り、特別に部屋まで見せてもらったのだ(和洋折衷の部屋ではなかったが)。英国調のクラシカルでシックな客室だ。1泊25,000円とか。関係者に感謝である。筆者的にはウン十年前に友人が結婚披露宴をしたホテルとして記憶している。因みに結婚式は神田カトリック教会だった。

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クロカル超人が行く 230 国宝迎賓館・赤坂離宮と藤田嗣治の絵

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【写真: 迎賓館・赤坂離宮State Guest House Akasaka Palace】

昨日の日経新聞朝刊(2019年2月17日の日曜日)の文化欄に作家の林真理子が「冬のパリ」と題してエッセイを書いていたが、そのなかで藤田嗣治の呼び名について言及していた。正式な呼び名は「ふじたつぐはる」で、林真理子は「つぐじ」と呼んでいた。藤田自身が、両方書いていたらしくどちらも正しいとか。筆者などもある画家の名前をそのまま勘違いして覚えてしまって“ふじたたいじ“と長い間呼んでいたのだ。【原】田【泰】治の2文字を混同して(笑)。わらっちゃいまんねん。ついでに書けば、この画家には日本の原風景(その昔朝日新聞の日曜版でよくお目にかかった)を描かせたらあの週刊新潮の表紙を飾った谷内六郎と双璧だろう。
さて、藤田嗣治(ふじたつぐはる)の話だ。彼の初期作品が見つかったとつい先日毎日新聞の社会面にその記事が掲載されていた。彼は生涯5回結婚したが、その一番目の妻の出身地の秋田で見つかった。初期の作品らしく画風はパリ時代と違っていて貴重らしい(その記事を読むは
こちら➡毎日新聞の記事)
前段はこれくらいにして本題に入ろう。実は去年のクリスマス前の12月22日に四谷にある国宝迎賓館・赤坂離宮を訪ねる機会があった。その日は外国の賓客をもてなす晩餐会などに使われている国宝迎賓館・赤坂離宮の内部を特別に見学できる日で、アメリカから一時帰国した友人家族と訪ねたのだ。この機会に日本における西洋建築の際立った実例をぜひ見たいと思ったからだ。最寄りのJR四谷駅を出たら小雨がちらついて戸惑ったが、歩いてそんなにかからない距離に迎賓館・赤坂離宮はあった。テレビなどではお目にかかっているものの、実物は初めてで庭先から眺めるヴェルサイユ宮殿を模した建物全体は、まさしく西洋宮殿の威厳のあるがっしりとしたもので、両端が内にうねったアーチ状でカメラに収めるには難儀の逸品である。中に入ると玄関の天井の幾何学的な紋様、深紅の絨毯、柱の紋様と大理石、西洋特に栄華を極めたハプスブルク家のウィーンやパリなどを容易に想像できるネオバロック様式。玄関・大ホール➡彩鸞の間(控えの間、外国の元首との懇談などに使用)➡シャンデリアが凄すぎの花鳥の間(晩餐会)➡羽衣の間(招待客に食前酒を振る舞う部屋で演奏会も行われる部屋)➡朝日の間(国賓が天皇皇后両陛下とお別れの挨拶する、最も格式の互いに部屋)と室内をめぐる短い時間でも荘厳な雰囲気を堪能できた。些か勇ましくもありまた。和洋折衷の装飾もあって空間演出の重厚さを思わせた。士気高揚感が漂う感じだ。ナポレオンが馬に跨がっている勇姿も描かれているかと思うと日本の花や鳥をあしらった紋様も飾られていた。そうだ、国宝迎賓館・赤坂離宮には藤田嗣治(レオナール・フジタ)の絵が2点かけてあったのだ。同伴者が誰の画家の絵?と尋ねてきた。少しファンタスティックでメルヘンぽい絵、それがまさしく藤田嗣治の初期の絵だった。銀座の洋菓子店の依頼に応じて描かれたものと小冊子に書かれていた。「ポプラ並木の女性と楽士」と「葡萄の収穫」。藤田嗣治といえば、ロイド眼鏡にちょび髭というユーモラスな出で立ちがトレードマークの画家である。
見学終了後庭園近くの広場に出た。雨が本降りに変わっていた。屋台の車が並びテラスは見学者の人で埋まっていて一息入れたかったが叶わなかった。聞けばこの広場の地下に商店街ができる計画があるらしい。それほど国宝迎賓館・赤坂離宮に来る見学者が多く、人気のスポットになっていて賑わいを見せているのだ。
※このコラムを書くにあたって国宝迎賓館・赤坂離宮の小冊子を参照した。
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【写真: 右側。迎賓館・赤坂離宮の小冊子の中の藤田嗣治の絵】

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【写真上: 庭園Garden 写真下: 門牆Gate and Fence】

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超人のドキッとする絵画 32 ムンク展―共鳴する魂の叫び(東京都美術館) 3

会場は人で溢れ(中には車椅子で熱心に鑑賞していた年配者も)作品鑑賞もままならぬまま出口のミュージアムショップへ(館内鑑賞時間は約1時間30分。いつもより40分くらい少ない)。ところが、ここも人で溢れていたのだ。15分くらい並んでいつものように図録と絵葉書を買ってさっさと外に出た。外はこの季節にしては意外と日差しがあって暖か。右にフェルメール展、左にルーベンス展の看板が並び、上野公園界隈はさながら著名な西洋絵画のオンパレード風。先々週あたりの新聞の文化欄には美術館関係者が美術館は儲かるかのタイトルで最近の美術館事情を書いていたが、その関係者によると、この界隈で150万人が来館したようだ。
さて、筆者なりの今回のお気に入りをピックアップしてみたのが前々回のコラムだ。その中でも⑦「生命のダンス」や⑧「マドンナ」、⑩「メランコリー」(以前から取り上げていた)を除いて⑨「星月夜」、⑪「二人、孤独な人たち」と⑫「自画像、時計とベッドの間」の絵がいい。⑨の「星月夜」はゴッホの同名の絵1433695175288_2

【写真: ニューヨークのMoMA 美術館所蔵のゴッホ作「星月夜」 筆者=撮影】

と比べて夜景がどう描かれているか。⑪の「二人、孤独な人たち」の色遣いと配置が抜群、気に入った一枚。なぜ二人は後ろ向き?チコちゃんに訊いてみたい(笑)。そして⑪の「自画像、時計とベッドとの間」の絵がこれまたいいではないか。最晩年、死と隣り合わせの生活の一コマ、都美術館の図録の解説でも言及していたが、自意識過剰から解放されたありのままの作者がいる、しかもかつてはすべてを“捧げた”彼女の姿も侍らせて、柱時計には時間は刻まれず“溶けている、“あるいは消えかけている、今や何にも役に立たない、時間が止まったまま。赤と黒のツートンカラーのベッド、そして猫背で立っている。すべては自然、ありのままの自分を受け入れている、老境、死を意識した姿だ。実際にムンクはこの絵を描いた翌年の1944年に亡くなっている。絵に一生を捧げ独身を貫いた。
今回のムンク展はテーマ別の構成で配置され、暗さから明るさへと変化していく様が絵間(感)から読み取れた。“感性の画家”理解が更に深まったようだ。残念ながら、筆者が好きな「思春期」や「カール・ヨハン通りの夕べ」は観ることができなかった。今回のオスロ市立ムンク美術館所蔵とは違う美術館などで所蔵しているみたいだ。これらの絵を観に今年の夏はノルウェーのオスロに飛んでみたい。その前に1970年開催の「ムンク展」のことを遠い記憶を辿りながら書いてみるつもり。手がかりは少しはあるのだ。筆者の古いノートから雑誌『世界』(1971年2月号。P.221~P.242)の座談会、ムンク―芸術と狂気の間―(小野忠重、寺田透、なだいなだ、針生一郎)の切り抜きが出てきたのだ。その座談会ではムンクの版画、リトグラフ、エッチングなどの技法を取り上げていた。そこには日本の浮世絵の影響もみられると 。また、なだいなだが精神科医らしくムンクの狂気について熱く語っていた。美術評論家の針生一郎の意見が鑑賞者としては一番参考になった。座談会の冒頭で次のようにムンクについて語っている。
「彼は絵画のなかに文学をもちこんでいるんじゃなくて絵画でも文学でもなくなるような、表現の限界を越えるようなところにぶつかった作家ではないか」
作家の寺田透は、ムンクの絵など日本人に人気なのは、絵より人なのかもと、精神に異常のある人たちの絵がカタルシスになるような要素があると。
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【写真左上: 「思春期」 写真左下: 「カール・ヨハン通りの夕べ」『図録 ムンク展 ―フリーズ・装飾性 』(東京新聞 2007年)より】

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超人のドキッとする絵画 32 ムンク展―共鳴する魂の叫び(東京都美術館) 2

ムンク展は1970年、2007年それに今回の2019年1月と3度鑑賞した。ムンクの絵画はルノアール、モネやセザンヌなど印象派の絵画それにゴッホ、モジリアーニ、ユトリロ、ミッシャなどと同様に日本人にウケるらしく、今回も開催日の2018年10月27日~最終日の2019年1月20日の約3ヶ月間で67万人が来館し成功を収めたようだ。
筆者は前売券をコンビニで購入していたにもかかわらず、会場の上野の東京都美術館に足を運んだのは最終日の前々日だった。平日とあって30分くらい並ぶだけで会場に入れたのでラッキーだった。今回はやはり目玉の「叫び」を鑑賞することが主目的だが、過去に観たものとどう違うかも興味のあるところ。
1 ムンクとは誰か 2 家族―死と喪失 3 夏の夜―孤独と憂鬱 4 魂の叫び―不安と絶望 5 接吻、吸血鬼、マドンナ 6 男と女―愛、嫉妬、別れ 7 肖像画 8 躍動する風景 9 画家の晩年 の9パーツから構成。第一印象は自画像や肖像画が多いことだった。エドヴァルト・ムンクはドイツ「表現主義」、北欧リアリズムそして資本主義の矛盾を突く社会派の画家で、巧みな心理描写で愛、欲望、不安、絶望、嫉妬、憧憬、孤独、死をテーマにいくつもの作品を残した。また、多くの自画像や肖像画も描いた。代表作『人形の家』のイプセン、代表作『令嬢ジュリ―
_20190212_171826_3_20190212_105015_2や映画監督ベルィマンにも多大な影響を与えたストリンドベリ、フランスの象徴主義を代表する大詩人マラルメ(筆者はまたまたこの詩人に挑戦中)それに『ツァストラはかく語りき』でニヒリズムの創始者ニーチェの肖像画は、ごく身近に作家や哲学者がいて交流、刺激を受けた人たちを優しさを込めて描いている。イプセンやストリンドベリは明治期・大正期に日本でも流行った自然主義文学に影響を与え、ムンクの絵は大正文学の一大潮流を形成した“白樺派”によって日本に紹介されたのが最初らしい。
超有名な「叫び」の前では、係員が立ち止まらないで次にお進みくださいと何度も来館者に声をかけていて煩いくらいだった。それほど多くの人たちが観に来たということだが、肝心の絵の前ですっと通りすぎるとは画家に対して失礼と思うのだが・・・。じっくり鑑賞する暇がないのだ!美術館に来ていつも思うのだか何とかならないものか。しかも混雑している館内では少し離れて作品を眺めざるを得ない、視力の弱い筆者などにとっては何かと不自由さも感じたのだ。
さて、「叫び」である(「叫び」は様式や描いた時期が違うものが全部で5点存在している。今回の回顧展ではオスロ市立ムンク美術館所蔵の1910年制作?の絵が初出展された)。橋の上で耳を塞いで何かを叫んでいる、顔には目玉が描かれていない、そう、あの有名な絵だ。夕陽が血の色に染まるような空の明るさと微妙な暗さも不気味、また、橋の奥に見える黒い無関心を装う男たちにも注目だ。恐怖―。画家はこの時期精神を病んでいて、心の、魂の叫びを表出、人間として一杯一杯の表情を見せているのだ。それはレッドとオレンジ、ディープブルーそれにグリーンを配した独特の色彩と曲線で紡いだ心模様、言い換えれば、心象風景だろうか。〈不安〉と〈疎外感〉の象徴―。画集ほかでこの絵を何度観てもその時々で印象がかわるから不思議だ。今に生きる私たちにも共感を呼び起こす「叫び」は確かに普遍性を帯びている(だからこの絵はスキャンダルにまみれ、窃盗団―テレビでは事件の一部始終をドキュメンタリータッチで放送していた―に持ち逃げされたり、価格が跳ね上がったりと善悪は別として世界中の絵画ファンを魅了しているのだ)。はて、この人は叫びながら何を訴えているのだろう、それとも声にならない声を心の底から発しているのだろうか。後ろから何者かに追いかけられている、切羽詰まったものが・・・。うむ、橋の右上の方にはフィヨルドに浮かぶ小さな二艘の舟の姿も―。忘れようとしても忘れられない強烈な印象を残す。大昔作家の五木寛之がこの絵を繙いて解説していたのを思い出した。そして今回印象に残った作品は前のコラムで書いた作品だが、特に―。(続く)

【写真右上: 『令嬢ジュリー』英文ペーパーバック版 の表紙と裏表紙 METHUEN &CO LTD 1967。購入日: 北澤書店にて1972年10月28日】

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超人のドキッとする絵画 32 ムンク展―共鳴する魂の叫び(東京都美術館)

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_20190211_134140_2 _20190211_134024_2②③
_20190211_133017_2_20190211_133951_2④⑤
_20190211_133833_2 _20190211_133203_2⑥⑦
_20190211_133303_2 _20190211_161245⑧⑨
_20190211_133722_2 _20190211_133433_2 ⑩⑪
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①叫び The Scream 1910年? テンペラ・油彩、厚紙 83.5×66.0cm
②自画像 Self-Portrait 1895年 リトグラフ 46.0×31.5cm
③ハンス・イェーゲル Ⅰ Hans Jaeger Ⅰ 1896年 リトグラフ 52.0×40.1cm
アウグスト・ストリンドベリ August Strindberg 1896年 リトグラフ 66.5×49.7cm
④フリードリヒ・ニーチェ Friedrich Nietzsbhe 1906年 油彩・テンペラ、カンヴァス 201.0×130.0cm
⑤ステファンヌ・マラルメ Stephane Mallarme 1887年 リトグラフ 61.0×37.6cm
⑥グラン・カフェのヘンリック・イプセン Henrik・Ibsen at the Grand Cafe 1902年 リトグラフ 51.6×66.4cm
⑦生命のダンス The Dance of Life 1925年 油彩、カンヴァス 143.0×208.0cm
⑧マドンナ Madonna 1895/1902年 80.0×60.0cm
⑨星月夜 Starry Night 1922-24年 油彩、カンヴァス 12.5×100.5cm
⑩メランコリー Melancholy 1894-96年 油彩、カンヴァス81.0×100.5cm
⑪二人、孤独な人たち Two Human Beings, The Lonely Ones 1899年 多色刷り木版 46.0×59.5cm
⑫自画像、時計とベッドの間 Self-Portrait Between the Clock and the Bed 1940-43年 油彩、カンヴァス 149.5×10.5cm
⑬ムンク展図録 MUNCH: A Restrospective A4変型 230頁
2018年10月27日刊
※上記の①~⑫の絵は『ムンク展図録―共鳴する魂の叫び』(朝日新聞社)からピックアップしたもの。


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超人の面白読書 135 雑誌『ニューヨーカー』電子版最新号に載った作家村上春樹のインタビュー記事

今冬一番の寒波が日本列島を襲撃(一昨日の北海道陸別町では気温が-31.8℃に達し観測史上初の記録となった。1週間前にはアメリカのシカゴで-46℃と大寒波襲来のニュースをアメリカの友人がラインで伝えてきたばかり)、珍しく関東地方でも雪が降っている。そんな寒い朝、スマホでザッビングしていたら、雑誌『ニューヨーカー』の電子版で作家村上春樹のインタビュー記事を偶然見つけ、途中朝ドラの「まんぷく」を見たため中断したが何とか読み終えた。少し長いインタビュー記事だが、作家の小説作法、作品を産み出すプロセス、考え方や日常それに小説を書き始めた頃などが知れて興味深かった。その記事(タイトルは“THE UNDERGROUND WORLDS OF HARUKI MURAKAMI ”)を読むはこちら➡https://www.newyorker.com/culture/the-new-yorker-interview/the-underground-worlds-of-haruki-murakami

インタビューアーのデボラ・トレ―ズマンDeborah Treisman女史に関する記事はこちら➡http://www.artscouncil.ie/Arts-in-Ireland/Literature/Deborah-Treisman/

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超人の面白読書 134 三島由紀夫著『金閣寺』(新潮文庫) 4

蛇足だが、ネットで読んだ三島の生き証人美輪明宏の話は貴重で面白い。
『金閣寺』は通勤中の電車の中で少しづつ読んだ。ほかの本や雑誌と平行して。再読を試みさらに理解を深めたい。また、翻訳された英文版で豊富な描写をどう英文で表現されているかチェックしながら読んでみたい。
いま山中湖の三島由紀夫文学館では「美と孤独―帰ってきた『金閣寺』」展を2019年5月13日まで開催中だ。

追記 2019年1月27付毎日新聞書評欄に渡辺保評で菅孝行著『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)という三島由紀夫論が載っていた。「大切なものからの宿命的な隔離の感覚が促す極限的な孤絶」―。(2019.1.30 記)

追記2 大澤真幸著『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書 2018年11月刊)20190204173743_00001_3
と橋本治著『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮文庫 2005年11月刊)を同時並行して読んでいる。社会学者大澤氏の論理的で比較的分かりやすい文章とつい最近急逝した橋本氏のうねっていて少し分かりづらい文体を咀嚼しながら、筆者なりの三島由紀夫の謎を追っている。(2019.2.4 記)

追記3 三島由紀夫について書いていた矢先、偶然にも今夜のNHKの番組「クローズアップ現代+」 で“三島由紀夫・・・驚きの秘話ノーベル賞と自決の謎”というタイトルで三島由紀夫と川端康成を取り上げていた。演出家宮本武亜門、芥川賞作家平野啓一郎と女優・作家中江有理がゲスト。人間の矛盾を露骨に出ていると語ったのは宮本亜門。そういえば、また2.26事件の日がやって来る。(2019.2.4 記)

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超人の面白読書 135 三島由紀夫著『金閣寺』(新潮文庫) 3

『金閣寺』の告白調の内容の理解がなかなか難しい。ここには三島文学の小説に賭けた事柄が凝縮されている。書き出しはこれからどう展開するのか想像を巡らせてくれるが、結末は味気なく中途半端で、むしろ放火後の主人公の心の動きや展開を知りたいはずである。映画のラストシーンでもよく見かける光景で、余韻を残す、あるいは読者の想像に委ねる手法なのか。そういえばアプレゲール派の梅崎春生の小説『幻化』もそうだった―。梅崎春生は昭和22年から昭和32年まで東京新聞に文芸時評を書いていたので、三島の作品『金閣寺』(昭和31年10月刊行)も当然俎上に載せていたに違いない。どう評価したか興味あるところだ。二人の作家に共通しているキーワードは〈戦争〉である。
少し横道に逸れた。三島由紀夫は、新聞の社会面に載った金閣寺放火事件にヒントを得て、それこそ綿密な取材をして事件から5年後に小説を書いた。その緻密さは所々に見られるけれども、とりわけ物語の終わりのほうに金閣寺を放火するまでの様子を刻一刻描写する場面があるが、スリリングがあって見事という他ない。『金閣寺』は雑誌連載中にすでに評判を呼んだ。それは自分の観念、ある種の理想をこの事件にダブらせて描き出し、〈美〉を卓越した言葉の紡ぎ方で追求したのだ。甘美なまでのロゴスとパトスをもって。そしてエロスを味付けに使いながら。主人公は金閣寺の美しさの不滅を内に溜め込んで、終いには感情の化学反応―金閣の美しさ故に儚い、憎いが美しい、それを独り占めにしたいというアンビバレンツな感情―を引き起こして放火という行為で認識を越えようとした。小説はむしろポエジー的でしかも究極、かのマラルメの究極の詩業に似て。彼方にあるのは真善美の〈美〉、耽溺した後に来る死を匂わせ虚無が残る・・・。三島が描いた文学的提示は究極のところ一つの伝統美の回帰という世界を現出させるために、認識から行為へと誘い始めたということか。偶然にもある大学の入口に次のようなフレーズを見つけて驚いた。行動する知性、Knowledge into action。大学のUIの文言は三島の認識から行為へ、を彷彿させる。
それにしても仏教や古典など幅広い知識を駆使して、磐石な構成、人物の設定と造形力、観察眼そして無駄のない論理的な小説作法に驚愕した。
「作家は行動する」ではないが、三島由紀夫が自決してやがて50年になる。その間師である川端康成も葉山マリーナで自殺、また、「作家は行動する」の江藤淳も鎌倉で自殺をしている。文学は相対化され益々ショー化してきている。そして、キナ臭い政治状況が現前しているのだ。戦前回帰、三島は今草叢の陰でニンマリしているだろうか―。
三島由紀夫は、三代続く官僚の家柄でおばあさん子、幼い頃は外で遊ばず家で女の子のように大事に育てられたという。辞書は好きで隅々まで読んでいたようだ(大江健三郎や井上ひさしなどの作家にもこの手の話があるが)。観念の人三島を彷彿させるエピソードである。もう一つこんなことも。蛙の鳴き声は本では知っていたが現実に蛙の鳴き声を聴いて、あれは何の音ですかと訊いたという、信じられないエピソードも―。

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超人の面白読書 135 三島由紀夫著『金閣寺』(新潮文庫) 2

『金閣寺』は難解な小説である。下記に概略を記そう。一人称で告白の形を取っている。

日本海沿岸近くにある村のお寺の息子溝口は、父から金閣はこの世で一番美しいとよく聞かされていた。父のコネで京都の金閣寺(鹿苑寺)の住職のところに預けられる。将来は金閣寺の住職にと期待をかけられて修行に励む。しかし、溝口は吃音症の持ち主でそれがコンプレックスになっている。村の若い看護婦に淡い恋を抱くも吃り症のせいで実らない。その女も脱走兵と出来てしまい妊娠したことを知るが、その後の溝口に暗い影を落とす。また、ある時母は蚊帳で親戚の人と関係するも、父が息子溝口の目を覆ってその行為を隠す。その父の死後、母は親戚の家にあって上洛する度に息子に金閣寺の跡継ぎにと再三期待をかける。溝口は吃音症で人としゃべるのが苦手故自ずと孤独を感じていた。やがて修行仲間の明るい鶴川と知り合いになる。鶴川と訪れた南禅寺の部屋では軍人と女の露な行為を見せつけられショックを隠しきれなかった。戦争末期に食料調達が覚束なくなると、かつては心のなかに金閣の美しさは不滅と画いていた金閣も戦争によって一瞬にして燃やされ消滅してしまうのではと現実的に考えるようになる。溝口はその儚さと虚無を思った。時代は敗戦後の占領時代に移り、日本人の娼婦を連れたGIが京都の金閣寺にやって来て日本人を小馬鹿にしたようなショッキングな行動を境内で目にする。やがて溝口は寺の住職の計らいで大学に進学する。そこで内反症の柏木と出合い新たな友を得る。身体は少し不自由だが知識は人一倍あって論理的かつ策略的な人物だ。溝口は彼の奇妙な魅力に引き込まれ、女遊びの手解きまで受ける。ある時外出時に新京極界隈で住職の女通いを目撃、住職の闇の部分を見て嫌な感情をもってしまう。それは溝口を失望させたが住職は何もなかったように振る舞う。そのことが却って溝口を疑心暗鬼にさせてしまう。そんなわだかまりの状態から抜け出すため柏木から借金して田舎をさまよう。そこで金閣寺放火を思いつくが、不審者扱いにされ金閣寺の住職の元に送り返される。その報を住職から聞いて駆けつけた母から叱責されてしまう。借金返済に業を煮やした柏木が一計を案じて住職から借金を肩代わりしてもらうことに成功する。事故死した鶴川と柏木の恋愛関係を柏木が持参した手紙で溝口が知る。溝口は世話になっている金閣寺の住職からついに印籠を渡される。それからの溝口は放火を着実に実行するため、自殺まで視野に入れて毒薬、小刀、ハンカチそれに煙草を準備し決行を着々と進める。静まり帰った夜、マッチを持ち藁を抱えて境内の3階の部屋まで歩くが開かず仕方なく裏側のほうに出る。そこで火をつける。裏山に逃げた溝口は真夜中に燃え上がる炎を煙草を燻らせながら眺める。生きようと思う。ここでこの小説は終わる。(続く)


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超人の面白読書 135 三島由紀夫著『金閣寺』(新潮文庫)

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大昔学生時代のアルバイト先で、朝日新聞夕刊の「三島由紀夫、割腹自殺」の見出しを読んで衝撃を受けたことを覚えている。彼は自ら結成した盾の会メンバー4名とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(現防衛省)に立てこもり、総監を人質にしてバルコニーでクーデターを促す演説後割腹自殺を遂げた。三島文学の良き読者ではなかった筆者だが、三島由紀夫の名前は知っていた。マスコミはこの事件を大きく報道、日本国中に賛否両論が沸き起こったのだ。
その三島由紀夫の傑作、いな戦後文学の名作の一つ『金閣寺』を読んだ。恥ずかしながら遅すぎた読書体験と言わざるを得ないが(三島の人と作品などの論評は新聞や雑誌等で読んでいた)、筆者的にはこの作者の思想、自己顕示欲などについていけないところがあり、彼が書いた本を遠ざけていたことも事実。しかし、『文章読本』などは読んだ。そうそう、『花ざかりの森』や『豊饒の海』も途中まで読んで投げ出した。『豊饒の海』など三島作品のいくつかを再度これからチャレンジするつもり。
ところで、『金閣寺』を読むきっかけは、意外なところからやって来た。ノーベル賞候補に挙がったほどの世界的な作家は英語をはじめ外国語に翻訳されて世界中に読者を広げている。日本の作家では珍しく早くから世界的に知名度が高かった作家だ。また、スウェーデンアカデミーからの問い合わせに応じて、翻訳家で日本文学研究家、と同時に三島とも親交があったドナルド・キーンは、まだ若いのでそういう機会はまだまだあると師の川端康成をノーベル文学賞候補に推したことはつとに有名だ(ドナルド・キーンは、テレビ番組に出演した時に三島由紀夫の人柄に触れて、よく高級品を頂いたが、あまり好ましいことではないと言っていたのが印象的だ)。そう、筆者が過去何度も訪ねているニューヨークの書店にもあった。昨夏スウェーデンのアーランダ空港内の文庫本ブックショップにも確かあったように記憶する。
テレビでゲスト出演を果たしたオーストラリア出身のアーティストのサラ・オレーン(絶対音感の持ち主で日本語も上手しかも頭脳明晰。それと表情が妖精っぽい)が衝撃を受けた日本文学は、三島由紀夫の『The Temple of the Golden Pavilion』(『金閣寺』の英文タイトル) 20190128122355_00001だと語ったことに触発されて、英文を読む前にオリジナルを読まなければと読み始めたわけである。生きているうちに少しでも著名な古典や近現代文学の名作を読んでおこうとする自分なりのチャレンジの一環でもある。

追記 『The Temple of the Golden Pavilion』(写真は公共図書館で借り出したもの。1987年刊行のペンギンブックス版。現在絶版。何せ30年以上経っていて、焼けていたり破けていたりと本の状態が良くない。コピーもなかなか厳しかったが何とか読めるように工夫した。新たにヴィンテージ版を購入。しかし、ヴィンテージ版には「序論」がない!)の抜粋。 はじめの序論~P.6までとP.203~からおわりまでを読むはこちら→「20190128221509.pdf」

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クロカル超人が行く 229 立川駅『武蔵野うどん こぶし』

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立川駅『武蔵野うどん こぶし』 の肉汁つけうどん(730円)。遅い昼飯に国立駅南口のラーメン店と考えていたら、西国分寺駅を通過して終点立川駅まで来てしまった。仕方なく立川駅のECUTEの中にある武蔵野うどんに入ったのだ。今まで食べなれているうどんとは少し趣が違っていた。これが意外と美味。あまり見たことのない、すごくこしがある茶系の太麺を昆布、サバ、カツオ、イリコから取ったやや濃い目の醤油出汁に油揚げ、ネギ、ホーレンソウやシイタケを入れたつけ汁に浸して食べるのだが、これがいい味を出していて美味しかった。太麺はこりこりと音がするくらいだった(笑)。
武蔵野台地、多摩川~荒川間の郷土料理、武蔵野うどんは、大島うどん(九州、未食)、讃岐うどん(香川、既食)、氷見うどん(富山、未食)、きしめん(愛知、既食)それに稲庭うどん(秋田、既食)などと同じ郷土料理のうどんだそうな。

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クロカル超人が行く 228 神田神保町 海老丸らーめん

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フレンチと和食ラーメンの融合形の新感覚ラーメンが開店して評判だ。開店して1年あまり、1月初めにテレビでも放映したことも手伝ってか行列が出来てなかなか入れないのだ。SNSなどで聞きつけてきたのか中国人の観光客が多い。で、半ば諦めムードで店を通りかかったら、偶然にも入れた。昨日といい、今日といい、ラッキーである。ウムウム、ここはついこの間までは辛気臭いラーメン店(筆者は一度入ったがいまどきのラーメン店のようなワクワク感がほとんど感じられなかった。ついでに書けばこの辺のエリアは競争が激しく店の交代が著しいエリア)だったはずだがすっかり活気のある店に変貌しているではないか。
さて、頼んだ海老丸カルボナーラ(950円)は、ラーメンのイメージからは少しかけ離れていて、フレンチヌードルア・ラ・オマールエビといった新感覚の創作ラーメンで、見た目ラーメンではないのである。生クリームとベーコンをミックスした濃厚なオマールエビとパスタ風太麺が絡んでどろどろ感たっぷり、トッピングのフランスパン、半熟玉子、水菜、細かなサイクロチャーシューなど歯応えも充分だ、まさにフレンチ仕立ての西洋ラーメンなのだ。濃厚といえば確かに濃厚で、その強烈さが残る感じだ。強いていえば『とみ田』の西洋版だろうか。どんぶりも大袈裟だが洒落ている。皆さん、一度試したらいかが。海老が苦手な筆者でも食べられた!まずは元祖海老らーめん(850円)➡次に海老丸カルボナーラ➡そして、最後は丸ごと一匹オマール海老らーめん(2500円)で試しては。ほかにサイドメニューも充実。雰囲気も明るく、イントネーションが効いた店の女性の発する“サンキュー”の響きもまたいい。惜しいかな、この店のwebsiteの英文に誤植が。

神保町『海老丸らーめん』1.スープ★★☆2.麺★★3.トッピング★★☆4.接客・雰囲気★★5.価格★★

ラーメンもここまで来るとイースト金

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クロカル超人が行く 227 神田神保町 やきそば『みかさ』

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神保町のやきそば『みかさ』でソース味の自家製生麺焼きそば(800円)を試食。行列のできる焼きそば屋で、今日は珍しく並んでなかったのでラッキーと思って入った。焼きそばは普段ほとんど食べない筆者だが、ここは前から気になっていたので思い切って食べてみた。北海道産小麦粉100%の平打ち中細麺はもちもち感があって柔らか、美味。どちらかと言うとソースが苦手な筆者だがイケた。トッピングの半熟玉子と豚肉の味もいい。いやいや、長ネギのシャキシャキ感が堪らない。大盛りも選べたので結構食べ応えがあったが、定番の海苔や紅しょうがをかけずに食べた。いや忘れたのだった!

焼きそばに海苔かけ忘れ寒走る

隙間風焼きそばの湯気みえかくれ


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焼きそばを食べた後、“赤本”の古本屋に立ち寄ったら珍しく店内で写真や書籍それに自筆原稿のコピーなどが展示された『三島由紀夫展』をやっていた。思想は別にして改めて三島の達筆さに驚愕した次第。で、店主と比較的若い男性の珍しい会話を盗み聞き。「右翼と左翼、今はねじれていてややこしい」と店主・・・。思わずコマーシャルを捩ってラララ、ブックマーク、ラララ、ブックマークと呟いてしまった。

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クロカル超人が行く 226 サザコーヒー KITTE丸の内店

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【写真上: 本日のブレンドコーヒー
(コロンビア)と持参の文庫本
写真下: KITTE丸の内店入口】

昨夜テレビ東京の『カンブリヤ宮殿』で取り上げられた、茨城県ひたちなか市の『サザコーヒー』。地方発信のこだわりのコーヒー店である。早速東京進出店の一つ、東京駅丸の内南口からすぐのKITTE丸の内店に出向いた(店自体は狭くアンテナショップ風)。並んで待つこと30分、カウンターで本日のコーヒー(コロンビア、470円。スタバよりもずっと高め !)を試飲した。香りがあり深みもあってまろやか、不思議な味わいだ。何やらその秘密は焙煎に、また、バリスタのプラスアルファ添えに、あるらしい。コーヒーカップやプレートはボーランド製(花柄のプレートの裏側を覗いて判明。本店あたりでは笠間焼のカップを使用している)

「社の豆です」(こういう風にさらっといえるところが憎い)とコーヒーを運んでくれた女性の一言が筆者の耳にエコーした。
(ここではトレーに乗せてコーヒーを運んでいないのだ!これには驚嘆、溢したり落としたらどうする?)

テレビ東京の番組『カンブリヤ宮殿』に出演したサザコーヒーの会長(奥さまが社長)が、実はコロンビアに自社農園を持っていると語っていた。なかなかの地方発信者だ。彼が家業の映画館を止めてこだわりコーヒー店、サザコーヒーを創業、子息が副社長で茨城県だけではなく東京への進出も果たした。茨城県に10店舗、東京、埼玉に4店舗を展開する今や年商13億円のファミリーカンパニーだ。会社自慢のコーヒーがパナマゲイシャ(筆者注: パナマゲイシャの“ゲイシャ”とはエチオピアにある地名)という種類のコーヒーで3000円と高価だ。ネルドリップやサイフォンでバリスタが淹れるコーヒーにもこだわりがあるが、それより現地から直輸入の生豆にこだわるあたり半端ない。
サザコーヒーはなかなかこれといったものがない(納豆は別として)茨城のスマートイメージアップに一役買っている優等生企業なのだ!ここまで来るのに50年はかかっているが―。

去年の秋にはスウェーデンのコーヒー、FIKAフィ―カ(全体的にクセがなくまろやか)を購入、そして暮れにはアメリカのアトランタから一時休暇で帰国した友人から頂いたアメリカの地元のインスタントコーヒー、FOLGERSフォルジャーズなどいろいろなコーヒーを楽しんでいる。筆者的にはフレンチプレスで簡単に淹れられるコーヒーを愛用。フレンチプレスならではの香りや油、コーヒーそのものの味わいを楽しめるのだ。粗挽きのコーヒーに熱いお湯を注ぎ、4分ほど待ってプレスすればサザコーヒーに劣らず美味いコーヒーが飲めるのだ。

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超人のこだわり食品 和歌山県有田郡湯浅町 小原久吉製『湯浅醤油』

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塩は沖縄塩夢寿美、味噌は新潟の越後純生味噌そして醤油は和歌山の紀州湯浅の醤油、これが筆者の食卓に並ぶこだわりの3つの調味料。

名称 さいしこみしょうゆ(本醸造) 原材料名 大豆、小麦、食塩、アルコール 内容量 500ミリリットル。

醤油発祥地紀州湯浅の地にて江戸時代から8代続く醤油の老舗・小原久吉商店の風味豊かな二度仕込醤油です。
湯浅醤油は、熟成させたもろみを搾った生揚醤油に、もう一度麹をあわせて醸成させた、二度仕込の醤油です。二度仕込により醸し出されるまろやかで豊かな風味と深みのあるコクが素材の美味しさを引き立てます。
―小原久吉商店の賞品説明から抜粋

コクがあって甘みのある湯浅の醤油、万能醤油の類いで味わい深い。サービス品の湯浅醤油のラーメン用スープに喜多方ラーメンの生縮れ麺で、チャーシュー、メンマ、モヤシと玉子をトッピング、更に韓国海苔も入れて試食。醤油スープの味がまろやかで美味だった。

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クロカル超人が行く 226 両国~東京駅~丸の内散策

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【写真上から : ①すみだ北斎美術館プレート The Sumida Hokusai Museum's nameplate ②すみだ北斎美術館外観 The stylish exterior of the museum③すみだ北斎美術館の階上から見たスカイツリー The Skytree of the other side of the net④⑤夜景:皇居前から東京駅 Night view: Around Tokyo Station ⑥夜景:丸の内 Night view: Marunouchi area】

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超人の面白ラーメン紀行 257 横浜・反町『ラーメン★星印』

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正月にテレビ東京でやっていたラーメン番組で紹介された反町のラーメン店に出掛けた。横浜・反町はその昔古本屋の街として有名だったはずだが、最近では一部の通りに何軒かラーメン店ができて、ラーメン ストリートを形成しているようだ。東横線反町駅から徒歩5分、すでに14人が並んでいて筆者がラスト。3時閉店なのでぎりぎり間に合った格好だ。外と中で待つことちょうど1時間、やっと頼んだ特製醤油ラーメン(1100円)が供された。一啜りした感じではスープ(煮干し系)はストレート系もちもち感のある細麺(太細麺と表現した方がより正確かも)によく絡んでいたし、Wスープの味もいい。半透明でやや甘く、香味が味のまろやかさに一役かっていた。特製とあって低温処理された豚・鶏の二種類のチャーシュー(微妙なやわらかさだが少しスモーク感が残った)、美味なワンタン、名古屋コーチンの味付玉子一個丸々、材木メンマ、刻みネギがトッピングされて賑やか。海苔はない。しかし、見た目はシンプルに映えるから不思議。カウンターのみ8名。テレビでは佐野実を尊敬していると言っていた、矢沢永吉ファンの店主と男性の二人で切り盛りしていた。客応対もなかなかいい。高田馬場『山口』や恵比寿『AFURI』の淡麗系。日々研鑽した結果の進化したラーメンで絶品に近づいた感じか。今度は醤油ラーメン(850円)にチャレンジしたい。

『ラーメン★星印』1.スープ★★★2.麺★★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★★5.価格★☆

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クロカル超人が行く 225 両国駅とんかつ『はせ川』

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JR両国駅から徒歩3分のところにあるとんかつ『はせ川』。たまたま見つけたとんかつ店で、先客が6、7人、並ぶこと20分。筆者はカツ重(1200円)を頼んだ。家人はメンチ+カツ定食、アメリカの友人家族3人はカツカレーを頼んだ。
カツは最初は肉がほんの少々硬いかなと感じたが、食べて行くうちに違和感はなくなり、やわらくてジューシーな味わいに。美味。皆美味しかったとベタ褒めだ。とんかつのリーズナブルで美味しい店をさがしていたのでラッキーだった。店内は一見どこにでもあるような店づくりだが、厨房とホールあわせて従業員が5人もいて奥には座敷もある。50人は優に入れる店かも。

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クロカル超人が行く 224 アメリカから来た友人家族と両国あたりを散策

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【①吉良邸正門跡(偶然にみた1月4日夜放送のBSフジの番組「この歴史、おいくら?」でもロケしていた ついでに書けば 赤穂浪士たちの討ち入りまでの約1年半の1ヶ月の生活費は今のレートに換算して15000円くらいで “ 討ち入りプロジェクト”にかかったコストは約6000万円以上と番組解説者②本所松坂町公園 吉良邸跡③公園内吉良上野介義央公 伝え聞く吉良上野介の顔とは違っていた④本所松坂町公園由来 この界隈の人たちの熱意の結晶がここにはある ⑤芥川龍之介文学碑(幼少・少年時代を過ごした旧芥川家住居跡)『杜子春』の一節が書かれた石碑⑥刀剣美術館 引っ越して新しく開館したらしっす 一本430万くらいの刀剣が一番高価 狭い美術館の中には室町時代に作られた刀剣もあって不思議な「武器」の輝きも⑦両国駅旧駅舎を改装した複合飲食施設「-両国-江戸NOREN」 昔のビアホールの面影を残す高い天井】

アメリカからクリスマス休暇でやって来た友人家族は、国技館が休館だったことを悔やんでいた。で、両国駅旧駅舎を改装した複合飲食施設「-両国-江戸NOREN」で相撲カレンダーを買おうとしたら、国技館専売で売っていなかった。これまた残念、斬り!〈余談だが、この「斬り!云々」のピン芸人は今は福岡に移住して活躍しているらしい)友人の息子さんが相撲ファンらしくアトランタの自宅で相撲中継を見ているとか。

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超人の面白読書 134 小堀 聡著『京急沿線の近現代史』

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京急は西の阪神、東の京急と例えられるほど海沿いを走る庶民の電車として親しまれている。しかも目立つ赤い電車でスピードもある。電車のなかで書きものをするものならすぐさま字が踊ってうまく書けないほど揺れる。その極致はカーブのある線路を走るときで、何とも言えないスリリングさを体験できるのだ。
さて、そんな大手私鉄の京急について蘊蓄を傾けた本が刊行された。小堀 聡(名古屋大学准教授 横須賀市出身、日本経済史、エネルギー産業・環境史)著『京急沿線の近現代史』だ。キーワードは120年の京急を繙く、である。本書の関連年表によると、1899年(明治32)1月 川崎(のち六郷橋)―大師、国際標準軌(1435ミリ)にて開業とある。更に本文には1月21日午前10時開始と詳しく書いてある。京急はこの1月でちょうど120年になるのだ。本書は今までの電車本とは切り口が一味違って京急「沿線」の歴史だが、読み応えがあり考えさせてくれる一冊だ。筆者は全12章174頁を一気に読んだ。前から、章によっては二三度、最後の章からは、上りの各駅電車に乗った気分で反対にも読んだ。行間からは〈つよさ〉と〈やさしさ〉が感じられ、〈知見〉が迸る。少壮歴史学者のなせる業だ。初詣(川崎大師)や神社参拝(穴守稲荷)、在来産業(海苔養殖、漁業など)に従事してきた地域・住民が京急の鉄道敷設で変貌していく様を小気味良く抉る。在来産業➡海水浴・リゾート➡大規模な埋め立て・大企業の誘致と進出・重化学工業の勃興と発展・公害➡宅地開発・沿線人口増➡開発に歯止め・自然破壊・住民運動・自然保護―といったように歴史の光と陰を分かりやすく、ときに資料を駆使して簡明に描き出す。大雑把に捉えれば、前半は京浜工業地帯の発展史、後半はその歪みと警鐘。京急沿線のもう一つの顔である軍隊(帝国陸海軍、占領軍、自衛隊)の話(写真とコメントがいい、特に「小松・パイン」、横浜、逗子、原発誘致失敗の言及もある横須賀とその周辺)を織り混ぜながら、京急延伸と宅地開発の歯止め➡三浦半島の自然保全に言及する。そして、京急と沿線―脱工業化の設計図等➡自然との共生を模索―の未来像を巡らせて終わる。京急沿線を世界史的、とりわけ東アジアのコンテキストで捉え直したことが画期的だ。ここで目次を掲げてみよう。その前に本書の狙いを著者が書いているので覗いてみたい。

「京急沿線各地での生産活動と生活(住居、行楽、住民運動など)とが、臨海工業地帯の発展とともにどう変わっていくのかを具体的に追跡したい。本書はあくまで沿線史ですから、各章には京急以外にも企業家、政治家、住民、宗教家など様々な人物が登場します。京急は時として主役を、また脇役を演じるでしょう。なお、特別出演として軍隊(帝国陸海軍、占領軍、在日米軍、自衛隊)が登場することを予め補足しておきます。神奈川県にとって軍隊は戦前・戦後を通じて大きな存在であり、それは湘南電鉄、京急やその沿線自治体に数々の影響を与えてきました。京急沿線に注目することは、世界各地からの資源輸入の背後にある日米安保体制を足許から見直す機会にもなるでしょう。」(本文P.10―P.11)

第1章 世界史のなかの京急沿線
第2章 川崎―初詣からハンマーへ
第3章 羽田・蒲田・大森―行楽、空港、高度成長
第4章 品川―帝都直通の夢
第5章 鶴見~新子安―生活と生産との相剋
第6章 日ノ出町・黄金町―直通、戦災、占領
第7章 上大岡~杉田―戦後開発の優等生
第8章 富岡~金沢八景―おもしろき土地の大衆化
第9章 逗子海岸と馬堀海岸―残る砂浜、消えた砂浜
第10章 安針塚~横須賀中央―軍都の戦前と戦後
第11章 浦賀と久里浜―工業化とその蹉跌
第12章 三浦海岸~油壺―三崎直通の夢と現実
あとがき、関連年表

筆者的には第6章、第10章~第12章が印象的。どの章から読んでもいい。鉄道史はもちろんのこと、政治経済史、環境史、都市史、社会史、軍事史、不動産史などのアプローチを可能にする、多面的な読み方ができる本だ。ぜひ薦めたい本。
CPCNo.9 エコーする〈知〉A5判、174頁、クロスカルチャー出版 2018年12月25日刊 定価 本体1,800円+税。

追記 著者の小堀聡先生が地域情報紙『タウンニュース』横須賀・三浦版の「人物風土記」に登場しました。
その記事を読むはこちら→「20190201112835.pdf」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 5 ヘルシンキ大聖堂・元老院の前の広場

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かつて『PS JOURNAL』(現『CPC JOURNAL』)にスロヴェニアのドラゴ氏が、京都散策について書いていたことを思い出した(エッセイはWebのみの掲載。http://crosscul.com)。冬の、そう大晦日の平安神宮の“広場”、それをヨーロッパの広場と比較しながら書いていたのだ。“広場”はヨーロッパ人にすれば都市空間を演出する不可欠な基地で、古代ギリシャのアゴラをその起源にもつが、教会、宮殿、市場の前に計画的に配置されコミュニティの重要な機能を果たしてきたのだ。ドラゴ氏が指摘したようにヨーロッパではごく当たり前のことが日本には見いだせないでいたが、平安神宮の広場にそれを見つけて驚きを隠せない書き振りだった。この記事は11年前のエッセイで、今度は筆者がヨーロッパしかも北欧で広場の意味を感得することになるとは、不思議な交流、クロスカルチャー的な邂逅である。平安神宮が土の上に小石を敷いた、いわば、ソフトなスクウェアだとすれば、ヘルシンキの大聖堂・元老院の広場は石畳のハードなスクウェアだといえよう。それはストックホルムのガムラスタンの石畳や広場でも同じような感情を持つ。じっくり歩くと歴史の足音も同時に聴こえてくるような気がする。昔の都トュルクがスウェーデン寄りなのを嫌って当時の帝政ロシアが港町ヘルシンキに首都を移したといわれている。都市形成史には様々な記号が隠されていてその謎を歴史に思いを馳せて解くのも面白い。ヘルシンキ大聖堂・元老院、国立国会図書館など立派な建物が広場を囲んでいる。夏空と中間色薄ベージュ色それに白色が石造りのがっしりとした建物に映えて広場もまた、その存在意義を刻印していた。歴史の重みに耐えてきた広場は、今観光客を乗せた赤色のバスが過り、その脇をトラムが走る。

ツアー(Tour)よ、ツアー(Tzar)!
ヘルシンキ大聖堂・元老院の広場を感知せよ。
キートス(Kitos: フィン語、感謝)。

上の写真の右側あたりのレストラン『Restaurant Sunn』で昼食(スカンジナビア料理)。フィンランド国立図書館見学後に。

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【写真: レストラン Sunn】
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【写真: 味のうすい野菜スープ 】
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【写真: 濃いミートボール】
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【写真: デザート】
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【写真: 現地のビール】
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【写真: 店の入口付近に貼られていたマリア・カラスのポスター】

追記 毎日新聞の日曜版には藤原帰一の映画評が掲載されているが、つい2日前の2017年12月23日の日曜版ではオペラ歌手の映画『私は、マリア・カラス』を取り上げていた。自分自身のオペラ鑑賞体験も書き記しながら、インタビューを織り混ぜたドキュメンタリー映画、マリア・カラスの実像にやさしくアプローチした感じだ。むしろ普段オペラに接することがほとんどない人たち(筆者もその一人)や逆にツーの人たちにどう届けるかと心配気味の先生、ともかく人間マリア・カラスを観てくださいと。マリア・カラスといえば、天才的な歌姫だったけど晩年はオナシス(あのケネディ大統領の元夫人ジャックリーヌと結婚したギリシャの富豪)の関係などスキャンダラスにまみれ、その死すら未だに謎が残っている大オペラ歌手のようだ。
さて、追記で書いた理由はレストラン『Sunn』の入口に飾られていたポスターにあったのだ。それが映画「私は、マリア・カラス」のポスターだった―。若きマリア・カラスの姿(最初は誰だか解らず、アメリカの歌手かな、程度の認識。マリア・カラスについては本の少し知っていたにすぎない!)に魅せられて思わずパチリと収めた一枚。この映画の日本公開は日本が1年遅れて2018年。(2018.12.26 記)
✳2018年8月29日の記事に追記。

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クロカル超人が行く 223 泉岳寺

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泉岳寺といえば赤穂義士の墓がある寺で有名である。忠臣蔵とか赤穂浪士とか呼ばれて日本では歌舞伎、講談、小説、芝居や映画などで昔から親しまれてきた。1964年のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」は、豪華キャストを配して高視聴率を獲得した。筆者などは今でも討ち入りのシーンや吉良邸それに大石内蔵助をはじめ四七士の“活躍”の場面が目に浮かぶ。

筆者が訪ねた日、泉岳寺は静かに佇んでいた。義士の墓には線香が絶えず墓参りの多さを感じさせた。やはりここでもアジア系のカップルや家族の姿があった。なぜに受ける赤穂浪士、この時期になるといつも考えさせられる問題だ。そうして、まもなく12月14日がやって来る。

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クロカル超人が行く 222 京都点景 夕暮れ・夜 2018 晩秋

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【写真: ①京都大学時計台下、名物の立看板が消えていた! 小綺麗になったが少し寂しい ②③④南座、発祥400年新会場記念公演中 ⑤スウェーデンの蒸留酒アクアビット 「スコーネ」】

秋は幻(げん)
鏡台に映る
タテカンバン


晩秋に
コトノハ落ちる
GION街


せめて一度
歌舞伎に触れたい
京の夜

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クロカル超人が行く 221 京都・兵庫 キャンパス紅葉

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【写真: ①大谷大学 ②③京都産業大学 ④神戸大学 ⑤関西学院大学】


キャンパスはボルドー色に染まりけり

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超人の面白ラーメン紀行 256 京都・伏見区深草『ラー麺 陽はまた昇る』

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面白い出合いもあるものだ。仕事が一段落してさて、昼飯にラーメンを食べようと京阪深草駅近くに自家製麺の濃厚とんこつラーメンを見つけた。入る前に店をパチリと撮っていたら、高校生がやって来てもっと旨い店がこの近辺にあると自ら先導してくれたのだ。それが関西ラーメンフェスティバルでグランプリを取った(高校生の話では)『ラー麺 陽はまた昇る』だ。店お薦めのとりとんこつラーメン(750円)を先ほど出会った高校生のT君と食べた!形状は異なるが味は松戸の『とみ田』似。奢ってあげれば良いものの逆に、ぼく、卵苦手なのであげるとゆで卵を筆者のどんぶりに入れてご馳走してくれた。それからは彼の友達にスマホでやり取りして京都ラーメン旨い店探し。池田屋、高安、菜館等々。聞けばその高校生の実家は木津川でラーメン店『無鉄砲』の近くだという。近鉄京田辺駅『あまのじゃく』、近鉄桃山御陵前『大中』、京阪墨染『地球規模で考えろ』などとんこつ系のラーメンを教えてくれた。やはりラーメン好きはどこにもいるのだ。


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クロカル超人が行く 220 東京ミッドタウン日比谷

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三井不動産が手掛けたJR有楽町駅近くの「東京ミッドタウン日比谷」。グランドオープンして約8ヶ月、ここに来ていた親子が言っていた、“外国にいるみたい”という言葉がこのミッドタウンの雰囲気を言い当てているようだ。3階に出店した有隣堂をはじめ、レストランも一味違った雰囲気で、デザインやファッションを優先した高級感を演出した空間になっている。窓外には日比谷公園が見える。
ところで、写真にもあるがエントランスすぐにワインの試飲する場所があって結構賑わっていた。筆者もアルゼンチン、チリ、スペイン、ドイツのワインの試飲をさせてもらった。渋味からやや甘味まで様々な赤ワインを味わったが、やはり飲み慣れて手頃なチリワインが口に合った。ワイン試飲開催中の輸入業者(会社名は失念したが品川にあるみたい)の社員の方によれば、この場所を1日借りるだけで100万円するという。それを10日間借りていて今日が最終日とか。じゃ、どうやって売上を確保するのか。基本はワインの瓶でテイスティングして気に入ったら即決してもらい、1本2500円~4000円くらいのワインをダースで販売するらしい。リピーターを増やすことで採算ペーストに持ち込めると踏んでいる。ワインの輸入業者は大胆だ。いや、待てよ、考えてみると輸入したワインの在庫セールとも受け取れる・・・。
東京ミッドタウン日比谷の客入りは3連休の最終日としてはまあまあか。

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小田急財団・専修大学講演会 永江雅和先生「小田急沿線の近現代史」

小田急財団・専修大学講演会 : 永江雅和先生「小田急沿線の近現代史」。2018年11月23日、専修大学10号館大教室(600人収容)。午後2時~3時30分。天候は晴れ。150人のところ800人の応募あり。抽選で400人が聴講。大盛況。

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【写真①講演会案内 ②永江雅和先生講演 ③開演前の会場 ④受付 ⑤関連書籍展示販売】

追記 ついにこのコラムの本数が2000本に達成!一応大きな節目をこえた。

追記2 講演の内容を読むはこちら➡https://www.senshu-u.ac.jp/news/20181207-03.html?utm_source=dlvr.it

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超人の面白ラーメン紀行 255 神田錦華通りラーメン店『五ノ井』

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最近特に神田錦華通り界隈にはコジャレな店が増え始めている。カレー店は何軒かあるのだが、15、6人が入れば満杯のSOHO的な飲食店である。元あった場所が何だったか分からないほどポツリポツリと出来てきているのだ。
その一つ、入れ替わりが何回かあったところのラーメン店に入った。排骨担々麺が売りの『五ノ井』ラーメン店だ。店に入って大分思案したあと、辛いのはスキップと考えて券売機で排骨(パーコー)ラーメンの食券を買った。排骨ラーメンとワンタン麺とが上下で並んでボタン一つ押せば、料金は同じ980円で2種類のラーメンが出てくるシステムになっている。筆者は戸惑いながら店主に食券を渡そうとしたら、「ワンタン麺ですか」と訊いてきたので、思わず「そうです」と答えてしまった。筆者的には排骨+ワンタン麺と想像していたが、しばらくして出てきたのはワンタン麺のみ。「えっ」と筆者。「排骨ラーメンではなかったの?」と店主に訊ねた。すると、排骨ラーメンに取り替えますとあっさりワンタン麺を持ち帰ったのだ。紛らわしい券売機のおかげで余分なエネルギーを費やしてしまった。ラーメン店によっては商売根性丸出しの紛らわしい券売機表示もあるが、一品ずつ表示してあるのが分かりやすくて普通と思うのだ。
さて、排骨ラーメン。まずはキツネ色に揚がっているか、次に豚あばら肉が柔くてサクサク感があるか、スープがトッピングの排骨とマッチしているか、ホウレン草やもやしが生き生きしているか、そして麺がストレート系中太麺か、その辺を瞬時に総合的な見地でチェックすると万世排骨ラーメンのそれとは違う、深みのないエピゴーネン、どうやら亜流のよう。醤油味や排骨(パーコー)の豚あばら肉は似ていた感じもしたが残念ながらイマイチだった。改良すればもっとうまくなるかも。
神田錦華通り『五ノ井』1.スープ★☆2.麺★☆3.トッピング★4.接客・雰囲気★☆5.価格★☆

追記 久し振りに『万世ラーメン有楽町店』に寄って排骨(パーコー)ラーメンを食べたが、証拠写真を撮るのを忘れてしまった(笑)。(2018.11.25 記)
以前に書いた万世ラーメンの記事はこちら→
http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2005/07/__11_8e78.html

追記2 排骨担々麺(1000円)を食べた。そう辛くはないが、肝心の排骨がスープに負けてしまい味がボケていた。やはり排骨ラーメンで良かったのだ。肉厚もイマイチだ。今度は自分で揚げて作ってみたい。(2018.12.8 記)

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追記3 そういえば、この店の奥さんらしい女性―券売機のメニューの紹介や買い方まで指南(前に来た時迷って希望通りのラーメンが出てこなかくて替えてもらったのを知ってか)―してくれたが、こちらから何も言わないのに排骨ラーメンの有名店らしい、渋谷の台湾ラーメン『亜寿加』で修行した人ですと言っていた。

追記4 作りました、作りました、排骨ラーメン。濃厚醤油スープに生麺を入れ、揚げた豚バラ肉をのせて。肉厚過ぎて揚げるのに一苦労した。初めてチャレンジした割にはま、星★の自己評価。『五ノ井』のは肉が薄かったのでその反動かも(笑)。渋谷の『亜寿加』には近いうちに行ってみたい。(2018.12.10 記)

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超人の面白ラーメン紀行 254 世田谷『麺屋 武一』

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『麺屋 武一世田谷店』の特製鶏鰹ラーメン(930円)。濃厚鶏そばがメインの店だが、あえてスッキリ味を選んだ。しかもつくねなどがトッピングされた特製を。本店は新橋。味はごく普通。土曜午後2時半頃だったからか客はほとんどいず。マレーシアなどアジア国々にも店舗があるみたい。

『麺屋 武一世田谷店』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★☆5.価格★☆

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超人の面白ラーメン紀行 253 元浅草4丁目製麺所『浅草 開化楼』

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よくラーメン店で見かける中華麺の浅草 開化楼。その有名な中華麺工場(製麺所)へ麺を買いに浅草まで出かけた。時々ラーメンを食べに行っている『神田勝本』には開化楼の箱がいつもぎょうさん積んである。この店はまだ開店して3年くらいだが去年のミュシュランで一ツ星を獲得、それ以後行列が絶えないのだ。さすがに最近は以前ほどでもなくなかった様子、それでも少しは並んでいる。ここでのこだわりはつけ麺のストレート系細麺と中太麺のダブル麺の絶妙な組み合わせ(合い盛り)に表現されている。麺の力、歯応え、食感を充分に堪能させてくれる。そこで使われている麺が浅草開化楼の麺である。

“製麺師”にお会いしてラーメン店『勝本』の話をした。
「『神田勝本』にはお世話になっています。そう、普通のものより配合が違うんです」と半ば嬉しいそうに話す“製麺師”。
冷蔵庫(中華麺貯蔵庫)には背の高さ以上に積み重ねた麺の箱がずらり、程よい温度で管理されている。100種類以上の麺の種類があるらしく、どの麺がいいかと訊かれたので醤油ラーメン用細麺と味噌ラーメン用中太麺をお願いした。箱には浅草 開化楼しか書いていない箱の中から職人技よろしく取り出してくれた。工場名の浅草 開化楼名しか書いてないのに箱で中身の麺が判るとは不思議。どうして判るとツッコミを入れると、すべて食べているからとの返事。実は取って置きの麺があるんだと言って“製麺師”が取り出そうとしたが、奥のほうにあるらしく何度か試みたができなかった。細麺と中太麺をゲット。

「いくらですか」とお勘定をたずねた。
「今日はお金はいらないよ」とこちらが出しても受け取らなかった。また電話して来いよと名刺を渡された。
今度は必ず電話で予約して取って置きの中華麺を買いに来たい。なかなか粋な“製麺師”である。

その中華麺は10日間もつそうで食べ方まで伝授された。事前に用意したスープに1分間麺を茹でて入れること、でないと麺がのびてしまうそうだ。この麺を使ってラーメンを食べた感想は【追記】で。乞うご期待。

_20181117_123045 右の写真の手前奥に中華麺の冷蔵庫(貯蔵庫)がある。実は”製麺師”に麺箱がぎょうさん積み重ねてある奥の冷蔵庫を撮影していいかと許可を乞うたが、ややこしくなるからと(殺到する?)NG。残念。

追記 おすそ分けした郡山の友人は、すでにこの麺を食べたとメールあり。美味しかったみたい。

追記3 仕事帰りに渋谷駅東急に寄った。ラーメン“小道具”をゲットするためだが。ちょうど製麺所試食コーナーがあって醤油と味噌スープを買い込んだ。札幌森住製麺所のもの。販売員に井上製麺所は知っていますかと訊いたら知らない、西山製麺所なら知っていると。そうです、そうです、筆者の勘違い!札幌に西山製麺所あり、あの黄色い麺だ。で、東京の開化楼の麺は知っていますかと販売員に訊いてみた。知らないとばっさり。そうそう、井上製麺所は尾道ラーメンの麺だった!

追記4 さて、試食タイム。上記「追記3」で触れた森住製麺所の醤油用のスープに煮干と鰹節を加えて煮立ちし、アレンジしたスープを作って開化楼製細麺を入れた。トッピングにもやし、玉ねぎ、ピーマン、ナルト、メンマ、少し厚手のチャーシューそれに韓国海苔をのせて半ば自家製の醤油ラーメンが完成。身内にもプレゼントした。麺がたっぷり、うまい、うまいとべた褒め。大盛だったのか腹一杯で動けないと(笑)。確かに細いにもかかわらず麺がしっかりしていて美味。
試食するのに夢中でカメラに納めることを怠り、あわてて一箸つけてから撮ったのが下記の写真。

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うまか麺
啜るにつれて
秋深し

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追記 右は開化楼製中太麺にチャレンジしたもの。森住製麺所の味噌ラーメン用スープに多少アレンジしたスープ、トッピングはチャーシュー、キノコなどが入った野菜炒め用もやし、ピーマン、ホウレン草、コーン、刻みネギ、くずれ気味のゆで卵、メンマ。細麺の醤油ラーメンとはまた違った味わい。うまか。(2018.11.19 記)

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クロカル超人が行く 220 山梨県立文学館で「草野心平展」、美術館でミレー作「落穂拾い」や新着「角笛を吹く羊飼い」などを鑑賞

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10月上旬に山梨県立文学館で開催中の「草野心平展」と一度は観たいと思っていた美術館のミレー作「落穂拾い」を観に出かけた。良く晴れた日で甲州路の秋を少しばかり堪能した。文学館の「草野心平展」ではやはり同人誌『銅羅』の赤い表紙が目立ったほかは、山梨のシンボルの富士山と関連した心平詩などが展示されていたにすぎない。心平関係は少しは観てきたので何か目新しいものがないかと訪ねたのだった―。草野心平の中国留学や滞在での活動に関心大の筆者だが、資料提供者リストに名前のあった中国人心平研究者に注目したい(追記。それと、もう一つ重要なエッセイが図録にあった。それは草野心平が1940年代に中国滞在中に書いた小説に言及しているエッセイだ。それを読むはこちら↓
20181207190523_00001 先ほど亡くなられた詩人の入澤康夫は、岩波文庫版『草野心平詩集』の解説で心平の1940年代の中国滞在期間―汪兆銘南京政府の宣伝部顧問時―の行動が謎だと書いていた・・・)。
ついでに観た山梨ゆかりの多彩な作家たちのコーナーは意外と面白かった。そうか、この作家も山梨出身だったかと忘れていたことも。館内がいやに騒がしいなと思っていたら、どうやら子どもたちがスタンプラリーをしているらしく即席の回答求めて走り回っていたのだ。
マルシェ開催中の広場を通り向かいの美術館に出向いた。ここではフランスバルビゾン派のミレーの「落穂拾い、夏」(1853、油彩・麻布、38 .3×29.3)や9月に開館40年を記念して購入した「角笛を吹く羊飼い」(制作年不詳、油彩・板、38.1×27.9)などを鑑賞した。

ミレー作品収蔵数は今では70点、世界有数でその収集の根拠は、山梨とフランスの農村地帯がいずれもブドウ畑や気候が似ていることらしい(毎日新聞2018年10月31日)。

滞在時間わずか2時間、甲府駅近くでほうとうを食べて帰った。山梨でほうとうを食べたのは15年振りくらいだ。

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【写真: 『小作甲府駅前店』のほうとう定食】

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クロカル超人の面白読書 133 大矢悠三子著『江ノ電沿線の近現代史』

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藤沢と鎌倉を走る江ノ電は、走行距離10キロ、10駅約30分の短いレイルウェイだ。しかし、民家や海岸線をすれすれに走る緩い走りの車窓からは風光明媚な箇所がいくつもあり、一駅一駅降りては乗るを繰り返せば1日あっても時間が足りないくらいだ。筆者などは、春には鶴岡八幡宮での花見や江の島マリンタワーすぐ近くのイタリアンで誕生日祝いをしてもらうのが恒例だし、夏には海辺でシラスを食べ、秋には鎌倉山麓で紅葉狩りも。そして冬、鯵の干物買いついでに蕎麦を食べに出かける。混雑する観光シーズンはなるべく避け、土曜日などにふらっと出かけるのがいい。そんなとき車に乗れない筆者はいつも江ノ電を利用して移動している。そっと耳を傾ければ線路を走るガタコトガタコトという音が聴こえる、それが心地良いのだ。最近では中国からの若いカップルも多くなり、極楽寺駅(かつてはテレビドラマで脚光を浴びた)をはじめ江ノ電沿線の駅に甲高い中国語が飛び交う。これも古都鎌倉の新たな風物詩になりつつある。
そんな江ノ電利用者に待望の本が刊行された。藤沢市史に関わり、『湘南の誕生』の共著もある海水浴(そう、湘南の海水浴に触れた、タレントのタモリが主演のNHK番組「ブラタモリ #115 湘南~湘南の人気のヒミツは“いとしのヘリにあり”~」が10月13日に放映された!)やリゾート史に詳しい大矢悠三子氏の『江ノ電沿線の近現代史』、ここには今まで知らなかった事柄が分かりやすく書かれていて沿線の顔をリアルに浮き彫りにさせてくれる。目次は下記の通り。

第1章 江ノ電の開業―湘南トライアングルの形成
第2章 湘南の大都市・藤沢
第3章 憧憬の鵠沼―開発分譲型別荘地の嚆矢
第4章 大東京の風景地と湘南海岸
第5章 湘南ランドマーク―不思議アイランド・江の島
第6章 海岸線―「江ノ電のある風景」の変貌
第7章 鄙の地、聖地となる
第8章 鎌倉を愛した文士たち
第9章 由比ヶ浜に海浜院ありき
第10章 古都・鎌倉に遊ぶ、暮らす
あとがき、関連年表、参考文献

筆者としては特に江ノ電小史、藤沢駅と周辺エリアの盛衰、湘南海岸物語、鵠沼などの宅地開発、江の島アイランドストーリー、鎮魂歌であまりにも有名な逗子開成高校ボート水死事故の話、由比ヶ浜海浜院物語、江ノ電唯一のトンネル極楽洞の話(ツルハシで掘削)、戦後すぐ鎌倉文士によって開校した鎌倉大学校→鎌倉アカデミー、鎌倉文庫、いくつものテレビドラマの舞台そして数字で示してみせた観光のあゆみなどが著者の視点も見え隠れしていて興味を引いた。鉄道本にはビジュアル的なものが多いが、コンパクトに活字で読ませる本書には、電車で未知の旅に出るようなある種のワクワク感がある。今度の週末は本を片手に江ノ電乗車といきますか。窓外から見える沿線の景色が少し違って見えるかも。
A5判・177頁、定価本体1800円+税。2018年10月31日、クロスカルチャー出版刊。

追記 FMいわきの番組、「いわきの人、まち、文化」<文学散歩>でこの本が紹介された。2018年12月12日(水曜日)午前9時30分~9時59分。司会は馬場典枝さん、ゲストは鈴木英司氏。筆者はゲストから連絡を受けてインターネットラジオで聴取。録音がうまくできなかったのが残念。ユーチューブにあげてくれると嬉しいのだが・・・。ゲストは歴史や文学に造詣が深いだけに、自分の鎌倉旅行を含めてコンパクトに本の内容を伝えていた。CPCシリーズ、版元と著者紹介、湘南の由来、江戸時代の鎌倉、江ノ電唯一のトンネル、大仏、NHK大河ドラマ「もみの木は残った」、江ノ電のはじまり藤沢、鎌倉文学館、初めは棒を使って医療のための海水浴等々面白おかしく。歴史散歩のガイドブックとして最適と。(2018.12.13 記)

追記 図書新聞(2019年2月9日号)に書評が紹介されたみたい。その記事を読むはこちら→「20190201113018.pdf」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 余滴

ここからは「フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅」にこぼれ落ちた写真を中心にアトランダムに取り上げてみたい。

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【写真: ①コペンハーゲン空港内にある人魚姫像とアンデルセンの婢 (観光地として有名)②アーランダ空港内にある『ポケットショップ』で購入した文庫本(昨年のノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロの本がベストテン入り)】③スウェーデン国会議事堂 (2018年9月8日の総選挙で左右政党がほぼ拮抗状態。9月下旬、現ロヴェーン首相の信任得られず退陣、混迷を深めるスウェーデン議会)④スルッセンやセーデルマルムへの方向を示す標識(このエリアを歩けたことはある意味で非常に良かった。ノーベル文学賞受賞者のトーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』に出てくる重要な地名だからだ) ⑤衛兵交代時間に遭遇(ラッキー!)】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 35 最終回

コラム「フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅」も今回で最終回。まだまだ書きたいことは山ほどあるがこの辺で一区切りをつけたい。
本で読んだりテレビの旅番組では知ってはいたものの、実際行ってみるのとは大きく異なる。当たり前のことだがこの当たり前のことに気づくことが大事である。旅人はしばし待て、考える旅人よ、国の、街の匂いを嗅ぎ取ったか、胸に手をあてて考えるがいい。あの膨大な羊皮紙の書棚は王様のものだった、貴重書も元を正せば戦利品ともいわれているが、それはともかく、ヘルシンキにしてもストックホルムやウプサラの図書館にしても、それが国立か市立かは問わない、この膨大な本を前にしてただ撮影許可をもらったから写真に収めるだけでは余りにも短絡的で実利すぎる。やはり街の匂いには本の匂いが大いに関係しているのだ。何故なら人間の営みの基本形がここにあるからに他ならない。人はなぜ収集するのか。その問いに向き合いながら、収集したものを整理(修復、保存)し、研究に役立て、市民に開放し知的循環を心地よいものにしていくには図書館人の不断の努力なくしてありえない。私たちはこれらの人々に感謝しなければならない。ウプサラ大学図書館では年間20万冊をデジタル化、電子資料に変換していると言っていたが、果たしてこの試みが人類にとって吉と出るか筆者には分からない。「紙」側の人間の少なからずの抵抗があるのかないのか―。確かにデジタル資料は重たくはないが。そして、この北欧図書館研修・見学ツアーは、短期間でいろんな研修を行って知識や技術を学んだが、それだけでない図書館人との距離を縮めまた、本の匂いを感得する大切さを教えられた旅でもあった。そして、この北欧図書館研修・見学ツアーを企画した人たちや参加者にも感謝したい。筆者は図書館研修・見学はもちろんのことプラスアルファの方にも大分興味をひかれた。例えば、優れた北欧建築、デザインそれに都市発展と政治、移民・難民受け入れ問題と極右政党の台頭、EU離脱問題、教育改革等々。ビデオを再生してみると再発見できて活字とはまた違った楽しみ方ができる。

クングスホルメン島のホテル近くで100年以上続く老舗のレストラン『Restaurang Löwenbrau』に2度ほど入ってビールを嗜んだが、それこそごく平凡な暮らしがそこにはあった。それも街の灯り、匂いの一つだろう。
アーランダ空港のポケットショップで村上春樹著『ノルウェーの森』やジョージ・オーウェル著『1984』のスウェーデン語訳のペーパーバックを買った。カズオ・イシグロの本がベストテン入りしていた。そして、コペンハーゲン空港を飛び立った飛行機から見た洋上風力発電、原発事故を体験した日本でこのような風力発電をもっと増やして環境にやさしい暮らしの実現を願いたい。また、そのすぐ近くにはデンマーク・コペンハーゲンとスウェーデン・マルメを結ぶエーレスンド橋がかかっている。その昔テレビで開通直後の様子をライブで見た。いつかは渡ってみたいとずっと思っている(このコラムでしばしば登場した“相棒”が、このツアー前に実際に電車で渡りマルメ市立図書館を見学してきたと言っていた。いとも簡単にやってのけたのだ。やはり好奇心の塊かつ行動的な人もいるもんだと感心した次第)。
旅はいろいろなことを教えてくれる。地球儀で日本を中心にして世界を見ていることに慣れている私たちだが、その地球儀を少しだけ回して視点を替えて例えば、フィンランドやスウェーデンの方から眺めればまた、違った世界を現出させてくれる、その視点、みえ方こそが大事なのだ。北欧特にヘルシンキ、ストックホルムそれにウプサラが少し身近になったことは言うまでもない。Tack så mycket. Hejdå.

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 34 再びガムラスタンへ

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ガムラスタンへは地下鉄シスタ駅からブルーラインでクングストレドゴーデン駅(ガムラスタンに近い駅)で降り少し歩いて行けた。車内はちょうど金曜夕方のラッシュ時間帯、勤め帰りの年配の女性たち、片手に缶ビールを手に持ち飲んでいた外国人風の若者、若い女性たちそれにビジネスパーソン等で混雑していた。20分ばかりで目的地に着き、王宮近くのノーベル博物館前で1時間近く自由時間となり近くを散策、その後再集合して晩餐会会場へ。会場はドイツ教会近くのイタリアレストラン『Agaton』。入口のメニューを見ていたら雨が降ってきた。変わりやすい北欧の天気の実感だ。メニューは鮭の魚料理、地元のビールで乾杯しながらイタリアンを堪能した。しばらくするとすぐ近くのキッチンから日本語が飛び込んで来た。しかも砕けた日本語である。

「シェフはどこで日本語を習ったの?」と筆者が訊ねると、

「北海道にいるときだよ」

冗談が好きそうな明るいアジア系の男性だ。まさかストックホルムのど真ん中でしかもイタリアンで日本語が聞けるとはビックリぽんや!料理はハム&トマト系、次にメインディッシュの鮭料理最後にティラミスのごくカジュアルな料理だ。鮭は本場とあって美味。しかし、飲物は自腹の地元のビール(小瓶)を3杯も飲んでしまった。金曜日の夜はどこの国でも同じく賑やかだ。で、すでに帰ってしまった現地のガイドさんに教えてもらったラーメン店『Cafe Stierman』をどしゃ降りの雨の中訪ねたがすでに閉まっていた。時間も遅かった。仕方なくずぶ濡れになりながら地下鉄ガムラスタン駅からホテルに帰ったのだ(本当のところは庶民の日常に触れたいと思い老舗のレストランやホテルのバーを2軒ほどハシゴしたのだ)。
ストックホルムでは2年ほど前から日本の寿司やラーメン店が出来て流行っているらしい。しかし、味の保証はない。それはヘルシンキの『かもめ食堂』でも同じだろう。地元の人たちにも受けないとビジネスはやっていけないのだ。先ほどの現地のガイドさんが言っていたが、日本に行ったことがない店主は、ビジネスなどでスウェーデンで生活をしている人たちにアドバイスをもらって日々研鑽を積んでいるのでラーメンの味は良くなっているという。味噌ラーメン一杯、1700円ぐらいらしい。それはニューヨークで食べたMOMOFUKUラーメンとほぼ同じ値段だ。ラーメン好きの筆者としては食べたかった。残念である。今度行ったときにはぜひ試食したい。ついでにアジア料理について書けば、中華料理よりはベトナム料理やタイ料理がイケるらしい。筆者も詳しくは知らなかったのだが、タイはスウェーデンと経済的な結びつきが深く、スウェーデンの農業に従事しているタイ人労働者は多くまた、スウェーデンがタイに投資したり、工業製品ほかを輸出している。タイとの直行便も就航しているという。

さて、次回最終回はホテル近辺にある老舗のレストラン、アーランダ空港内、コペンハーゲン空港から日本向け飛び立った飛行機から見えた、環境にやさしい洋上風力発電Offshore wind powerやコペンハーゲンとマルメを結ぶエーレスンドの話を少し。

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【写真: ①ノーベル博物館 ②地下鉄シスタKista駅 ③イタリアン『Agaton』メニュー ④トマト&ハム ⑤サーモン ⑥ティラミス ⑦地元のビール ⑧ラーメン店『Cafe Tierman』。この店の詳細はこちら→https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g189852-d2189992-Reviews-Cafe_Stiernan-Stockholm.html?m=19905

追記 今日2018年のノーベル生理学賞に京都大特別教授の本庶佑氏に授与すると発表された。NHKのインタビューで彼は教科書を疑えと言っていたことが印象的(2018.10.1 記)。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 33 サイエンスパーク Kista シスタ図書館

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【写真②の左側画面の下の方に文字が書かれているが、「自由とは自分の意見を言うことができることだ」と読める】

ウプサラ大学図書館のスタッフのご厚意により当初予定した 時間より3、40分延長になり、図書館研修事務局はスケジュール調整に一苦労したようだ。何とかシスタ図書館に辿り着いたが、今度は時間オーバーでバスサービスが終了してしまったのだ。今夜はガムラスタンで主催者側による晩餐会が予定されているらしく、急遽地下鉄移動になった。
ストックホルムの郊外にあるサイエンスパーク(元々軍の施設だった地区をエリクソン社など企業、政府系機関それにストックホルム工科大学やストックホルム大学などが進出して今やIT企業など4200社、65000人が働く産官学の一大産業集積基地。筆者注: 一部ネットからの引用)、そこにあるシスタ公共図書館は、今まで見てきた図書館とは些か趣が異なる図書館だ。どちらかというと外国人に開放した図書館、特に移民・難民やセクシャルマイノリティの、社会的弱者の人たちにも行き届いた図書館のようだ。夕方の時間帯にさしかかってしまい、館内を見せていただいただけだが、ユニークな棚のレイアウト、スウェーデン語を習得するための辞典類、テキストや新聞(筆者なども電子版で愛読している、易しいスウェーデン語で書かれている新聞『8sidor』も)なども所狭しと置かれている棚、言語スタジオ、オーディオ、リラックスして本が読めるコーナーもある。16万人もの難民を受け入れたスウェーデンでは一定数の人口維持と近い将来働き手になる人材をいろんな形で支援し実践しているようだ。いわば、福祉政策の実験的な試みがこのストックホルム公共図書館分館シスタ図書館の魅力なのだろう。この試みに拍手を送りたい。館内には中東から来た子ども連れの人たちの姿があった。

“スウェーデンでの仕事の準備してください”と掲げられた文字が象徴的だ。

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【写真: ①シスタ図書館内検索端末周辺 ②図書館入口電子掲示板 ③シスタ サイエンスタワー ④シスタ図書館など100店舗と10のレストランが入ったショッピングモール『シスタガレリア』⑤就職斡旋の電子掲示板 ⑥福祉系8頁仕様の易しいスウェーデン語新聞『8sidor』 ⑦スウェーデン語の様々な辞典類が置かれた棚 ⑧新刊コーナー】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 32 映画監督イングマール・ベルィマンの生家探し

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【写真: 公園通り12番地にある祖父の家】

ウプサラでのもう一つの目的は、イングマール・ベルィマンの生家(確か父は牧師)を見ることだった。しかし、午前11時半過ぎから午後1時まで自由時間があったが探し出すことは時間的に無理だった。そこで帰国後、まだウプサラ大学で研究中のH先生に無理を言って頼んだのだ。ベルィマン生家そのものではないが祖父の家を見つけてくれた。そして、素敵な写真を届けてくれたので紹介したい。先生に感謝しつつ。また、もう一つの写真の「公園通り 12番地」のプレートにはウプサラ市による次のような記載がある。

イングマール・ベルィマン(1918ー2007)の祖母アンナ・オーケルブロム(1864ー1934)が亡くなるまで住んでいた家で祖父ヨーハン・オーケルブロム(1864ー1934)が1887から1888年にかけて建て、祖父が所有していた家である。ベルィマンはこの家で幼少期の大部分を過ごした。ここでの幼少期の生活が彼の演劇と映画に多大なインスピレーションを与えた(筆者注: たとえば、映画『ファニーとアレクサンドル』など)。


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【写真: ウプサラ市による公園通り12番地と来歴が書かれたプレート】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 31 ウプサラ大学図書館 続

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【写真: ウプサラ大学図書館特別コレクションホールから眺めたウプサラ大聖堂と町並み】

ウプサラ大学図書館の“デジタル工房室”に行く前に少し余談を。日本関係書籍の特別展示をしてくれたホールには貴重書がずらり、コレクションの山である。羊皮紙の魅力をたっぷり堪能したのだ。諸言語の集積地、英知の結晶ともいえる。一つひとつ見て歩いたら相当時間がかかるにちがいない。その中で特別展示品の和綴本が異彩を放っていたことは特筆に値する。何故なら文化の相違なのか硬軟の差異を感じてしまうのだ。まさに異文化交流史の現場に居合わせたことに感慨深いものがあった。コレクションホールの窓外には今にも雨が降りそうな雲行きの下ウプサラ大聖堂が聳え立っていた。ツゥンベリーの本は今週末(26日)まで日瑞交流150周年記念行事で日本に特別貸出中だと図書館のスタッフ(確か今年の春だったかこのツゥンベリーの本の展示のことは新聞か何かで読んで知っていたが、忘れていて行かなかった。つい最近東京駅に隣接する商業施設『KITTE』で開催されていたことを知った。惜しいことをしたと思っている)。
館内を少し移動して“デジタル工房室”へ。この部門の専門担当者のプチレクチャーを受けて実演の現場に出向いた。スキャニングは特大、大、中、小とサイズによって作業室があり、そこには取り込み作業のマシンがそれぞれの役割を担って稼働している。その中で特に優れものは、ページを捲る超高速マシンの存在だろう(超高速スキャナー)。担当者が実演してくれたが、速いの何のそれは大袈裟にいえば新幹線並の速さなのだ。1分間にどのくらい捲れると言っていたか聞き漏らしてしまった。筆者などもこういった作業に大分関心はあるものの、これはテクノロジーの優れた一端を見せつけられた格好だ。この超高速ページ捲りマシンを再度実演してもらった時には上手く作動しなかった!加減が微妙なのだろう。優れものには多少の危険も伴うということか。ともかくいいものを見せていただいた。感謝である。

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【写真: 超高速ページ捲りマシンのあるデジタル工房室】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラ8の旅 30 ウプサラ大学図書館

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【写真: 改修工事中のウプサラ大学カロリナ図書館】

ウプサラ大学は、1477年に創設された北欧最古の由緒ある大学で、人文社会自然科学分野をカバーする総合大学である。学生数、約23000人、職員数1800人余。植物学研究や生命科学の世界的な拠点(スウェーデンの製薬会社との結びつきが強いらしい)だがまた、千単位の共同研究もあって世界中から研究者がやってくる。筆者などは植物学の分類法のカール・フォン・リンネの出身大学それに大きな聖書があることぐらいは知っていた。アフリカなどの紛争解決に尽力したことで有名な前国連事務総長だったハマーショルドに因んだ図書館もある(彼はウプサラ大学出身で彼の家系はスウェーデン王室と関係が深いらしい)。ハマーショルドといえば、飛行機事故で不慮の死を遂げた政治家だ。11年前に飛行機事故に疑問、という記事がスウェーデンの有力紙に掲載されて読んだことを思い出した。このコラムでも書いたが、この話は別な機会に譲ろう。
さて、ウプサラ大学図書館は蔵書520万冊、電子ジャーナル購読12,000を誇る大学図書館(A科人文科、B科社会科、C科リンネ科の3科それと別に文化保存科がある)で本館にあるカロリナ図書館で北欧最後の研修をした。
図書館スタッフによる約30分間のプレゼン、レクチャー→リンネの部屋でfika(スウェーデン式コーヒーブレイク。ヘルシンキにしてもストックホルムにしても北欧はコーヒー先進国で美味しい)→歴史の重味に耐えた羊皮紙の書籍が天井高く幾層にも積み上げられた貴重書室、近寄って背文字を読めばラテン語をはじめ外国語の文字。見事という他ない。貴重な体験→特別コレクション室(シルバーバイブルといわれている6世紀ごろのゲルマン語祖語であるゴード語で書かれた聖書。Condex Argenteus 銀泥聖書。銀装丁の美本。海図、ツュンベリーの『日本誌』、江戸時代の浮世絵師勝間龍水の魚絵図、杉田玄白の『解体新書』、シーボルトのものなど日本関係特別展示品閲覧→驚嘆の“デジタル工房室”へ。この項続く。

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【写真: Condex Argenteus 銀泥聖書の複製】


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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 29 大学町ウプサラ

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【写真: ウプサラ大聖堂遠景 撮影=H先生。先生に特別頼んで送ってもらったもの。筆者はウプサラで時間なく撮影する暇がなかった。うっかりである。しかし、とても良い写真を送ってもらったことに感謝したい】

ストックホルムから北へバスで約1時間弱(距離にして約70km)、ストックホルム市街からトンネルを抜けて少し走ると左側にサイエンス パークなる地区(Kista)、高速道路沿いには日産やトヨタの看板も見えたカーショップ、スーパーマーケットやガソリンスタンドの郊外店さらに進むと農家風の屋根が現れ、平坦な耕地にあって彩りを見せた。バスの窓からすぐ近くに見えた木々は少し青さに欠けた感じだ。夏が終わりかけ秋の始まりを告げる季節だが、日本とは四季の移り変わりが幾分違うような窓外の景色だ。送電線も見えた。そうそう、あのトーマス・トランストロンメル氏の短い詩を思い浮かべた(下記の和訳は毎日新聞2011年11月14日夕刊の記事からの引用)。

送電線
厳寒の王国の上にのび
あらゆる調べの
北にあり

やがて小高い丘や耕地を抜けると前方に高い教会が見えてきた。ウプサラ大聖堂である。高速道路を降りてウプサラ市街に入り、ウプサラ駅で迂回のため少し停車、その間現地ガイドさんがウプサラ観光案内のパンフレットを駅まで取りに行ってくれた。ウプサラの最初の印象は、緑の木々の中に黄色がかったベージュ色の建物の壁が目立つ落ち着いた大学町といったところか。ストックホルムみたいに大都会のざわめきはなく、むしろこぢんまりとした古さを残すもまた新しさもある、清潔感にあふれた町のようだ。
そして、ウプサラ大学図書館の前でバスを降り午後1時まで自由時間となった。筆者は事前にアポを取っていたH先生と会うことができた。彼は共同研究で約1ヶ月間ウプサラ大学経済史学部で金融史を研究中(一つけ加えるとH先生曰く、ここの大学は経済史の学部があることだと言っていた。確かに)こういうことはレアケースだと思うのだが、遠い極東アジアの日本から来た者としては何か感慨深いものがある。昼食をウプサラ大学から歩いて7、8分の町中のイタリア レストラン『RIFIFI』で取った。パスタを食べながら会話はお土産に持参した消えるボールペン(FRIXION BALL)のセット、筆者の企画、今回の図書館研修や彼のこちらでの研究生活のことなどで盛り上がり、1時間があっという間に過ぎた。彼は消えるボールペンのことは知らなかったみたいで校正などで役に立つと喜んでくれた。こちらに来て図書館から借りた本はたった一冊であとはダウンロードして研究していると。これには筆者も驚きを隠せなかった。ウプサラ大学ではデジタル化がここまで進んでいるのかと半ば感嘆し半ば懸念も―。

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【写真: ウプサラ大聖堂と近辺の街並み 撮影=H先生】

→ウプサラ博物館案内図を見るはこちら(バスの中で配布されたもの)「UPPSALAS MUSEER.pdf」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 28 ガムラスタンの路地など

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写真左上から右へ。⑧⑨を除いて①~⑫は路地。⑩が一番狭い路地といわれている。

⑧『Apoteket Korpen(Korpenは渡り鴉の意)コルペン薬局』のプレート
ここにはこの店の来歴が書かれている。それによると、ルーツは1600年代のセーデルマルムで1674年に創業したとある。創業3年後にはガムラスタンに移っている。1721年、大広場16番地に移って約200年、その後現在の大聖堂の短い急坂ヴェステル ロングガータンの角に移って営業している。
その左下には多数の所有者そして名前が。また、右下にはこんな文言も。老舗の薬局はその目的、飾り付けに揺らいでいる、と。このプレートの右下最後の欄には全スウェーデン薬局とクレジットが入っている。

⑨幸せを運ぶといわれる「ダーラヘストDalahäst ダーラナホース Dalarna horseダーラナ地方の木彫りの木馬、伝統工芸品(置物)」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 27 ガムラスタンとその周辺の街歩き 続々

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地下鉄ガムラスタン駅Gamla stanを出てとりあえずメインストリートを目指した。午後7時頃ガムラスタンに灯りがともった。夕暮れのガムラスタンは12、3世紀からの石造建築物が残っていて狭い路地とともに映えること、映えること、誰かが書いていたが美しすぎる景観だ。西洋と東洋の違いは当然あるが、京都の木屋町や祇園の街並みを思い描けば夕暮れの美しさが分かるというものだ。片方は石造り、もう片方は木造りの大きな違いはあるものの、その根っこは歴史が織り成す人間の営みの遺産だろう。いな、過去、現在、未来と受け継がれるべく人類の所産、それが美しすぎる街並みを形成したと見るべきだろう。この路地の佇まいと石畳の強靭さには驚嘆する。しかし、所々に見られる石の綻びも歴史がもたらす愛嬌といったものでこれ又いい。中世のハンザ同盟で港湾都市が栄華を極めた頃に思いを馳せるのも、このガムラスタン(旧市街)散策の魅力かも知れない。

「えっ、こちらの通りかも」
相棒がすでに「STOCKHOLM 散策MAP」を見ていてアドバイスをしてくれた。

やがて路地を何本も通り抜け、メインストリートに到着。土産物店、古本屋、陶器店、ブティック、カフェ、レストランなどが立ち並ぶあたりだ。やはり夕暮れ時は人が多い。特に目立ったのは中南米からの家族連れの観光客が多く見受けられたことだ。ドイツ教会をパチリと写真に収めて近くのレストランで相棒とディナー。オープンテラスでの食事は格別で、生ビール(日本のビールとほとんど変わりはない。強いていえば苦味が少し足りないくらい)とパスタ(まあまあの遜色ない味。店員は外国人だったが)を食した。通りに面しているので観光客がひっきりなしだ。一息ついたので街並み再開。ドイツ教会を右手に上り坂を北の方へ、大広場やノーベル博物館、大聖堂、王宮の方へと歩いた。王宮(今は王室関係者は郊外に住んでいて執務があるときだけここに来ているらしい)では衛兵と“面会”、しかめっ面の若い衛兵にスウェーデン語でほんの少し冗談を言ってみた。

「Alltid leenedeいつも微笑んで」

少し笑ったように感じた。夕闇が迫っていたので鉄兜の下の顔が薄暗く表情が分かりにくかったことも手伝ってか“感じ”たと曖昧な表現にならざるを得なかった。別な門にいたもう一人の衛兵にも話かけてみたがこちらは無表情のままだった。そうこうしているうちに相棒が闇に消えた風で少し捜したが、すでに先方はるかStrömbron橋の方へ歩いていた。遊覧船乗り場から見る夜景はこれ又絵になる、美しすぎる光景である。王立公園を左手にトラムとすれ違いになりながら横断歩道を渡りグランドホテルの脇を通り、王立劇場や舞台芸術博物館に辿り着いた。夕暮れ→夕闇→夜景と北欧の長い夜を堪能したのだ。

夏歩き
王宮の窓に
月明かり

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【写真上から: 夕暮れの王宮 船着き場からの夜景 レストランの生ビール】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 26 ガムラスタンとその周辺の街歩き 続

さて、話を少し戻そう。王立図書館(国立図書館)研修を終えバスでホテルに着き、キャリーバック(ヘルシンキのホテルを出るときには片方の鍵が閉まらず急遽の策で透明なガムテープを巻いて対処した。で、ストックホルムのこのホテル(クングスホルメンKungsholmen 島地下鉄フリドヘルムプランFridhelmplan駅徒歩7分)を見たら鍵は左右両方とも閉まっていたのだ!奇跡。バルト海の真夜中の荒海で揉まれ元に戻ったのだろうか(笑)。それとも誰かが直してくれたのだろうか。ヘルシンキでは現地のガイドさんにも修理を依頼したが直らなかったので摩訶不思議である。とにかく無事直ったので荷物を部屋に入れて街歩きに出た。地下鉄フリドヘルムスプラン駅向かいにあるストックホルム市立図書館分館に立ち寄り館内見学、次にアカデミー書店に寄った。中規模書店といった感じでベストセラーものが一目で分かるように陳列されていた。ここでの書店員とのやり取りは前にこのコラムで書いたので省くが、トーマス・トランストロンメルの詩集はかろうじてゲットしたものの、もう一人の作家Stig Claesson(筆者は2006年に『Liv och kärlek』をアカデミー書店のネットで手に入れているし、大分前に購入した『Blå måndag』は持参した)の文庫本はなかった。易しい口語体で日常を活写して面白いのだがもう過去の作家あるいは人気がないということなのか。筆者にとって書店は居心地良い空間、それは日本でも北欧でも同じである。ヘルシンキの書店とはまた趣が違うストックホルムの書店はどちらかといえば実用的な感じだ。“相棒”のSさんは4、5冊装丁が綺麗な本をゲットしていた。
近くのキオスクらしき店で地下鉄のチケットを購入してフリドヘルムスプラン駅からT-Centralenで乗り換えガムラスタン駅へ。ストックホルムの地下鉄は岩盤むき出しでリアル、そういう地下鉄だからこそ美の施しが必要だったのか、至るところにアートが描かれている(現地のガイドさんよれば、メディアではこの最近描かれたアートがエロチック云々で物議を醸し出しているらしい)。大分掘削したのか長いエレベーターで降りるのだ。そう、東京駅の横須賀線ホームに行く距離ぐらいはあったか。地下鉄路線はブルー、グリーン、レッドの色で識別され、T-Centralen地下鉄中央駅を中心に郊外に伸びている。この日、行きはホテルの最寄りの地下鉄Fridhelmsplanフリドヘルムスプラン駅からグリーンラインでガムラスタン駅Gamlastanへ、そして帰りは クングストレドゴーデンKungsträdgådenからヒュールスタHjulsta行きのブルーラインに乗って帰ったのだ。ガムラスタンの街歩きは後ほど。

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【写真: アカデミー書店】
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【写真: アカデミー書店の新刊書コーナー】
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【写真: 地下鉄路線図】
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【写真: グングストレドゴーデン王立公園駅】
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【写真: ブルーラインの プラットホーム】
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【写真: 地下鉄の長いエスカレーター】_20180922_155007
【写真:岩肌むき出しの地下鉄内】
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【写真: 地下鉄構内にもユニクロ開店(8月24日)の広告。北欧初。現地のガイドさんの話では柳井社長も来ていると。現地メディアは労働条件が過酷と辛口報道されているらしい。】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 25 ガムラスタンとその周辺の街歩き

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【写真: 舞台芸術博物館Scenkonstmuseetで開催中(9月16日まで)のベルィマンフェスティバル、「真実と嘘」のポスター】

筆者にとってこの旅のメインテーマの一つは、ガムラスタンGamla stan(旧市街)近くの舞台芸術博物館あるいは国立劇場でベルィマン生誕100周年フェスティバルを観賞することだったが、やっとその辺を書けるところまで来た。結論からいうと、ベルィマン観賞はできなかった。自由時間を利用してホテルを出たのが夕方5時半過ぎでガムラスタンのレストランで夕飯を食べ(街歩きにお付き合い頂いたSさんと。そう、ヘルシンキの『かもめ食堂』で一緒だった)、路地や王宮を歩き回ってやっと舞台芸術博物館に着いた時には夜の9時前、すでに舞台芸術博物館は閉まっていた!国立劇場にはこの時間でも入口のロビーまでは入れて、丁度初演が終了したばかりだそうで出演者などが入口付近に出ていた。少し挨拶を交わした。ラッキーである。最新のプログラムを頂いて辞去した。ベルィマン生誕100年フェスティバルはネットで知ってぜひ観たいと思っていたが、今回はスケジュール的に無理で仕方がなかった。訪ねた記念として建物の外観や入口のロビーに貼られたポスターなどを写真に収め、せめて雰囲気だけでも味わったのだ。国立劇場はやはり歴史を感じる趣があった。北欧の夏は午後の8時過ぎまで明るいがさすが9時を回ると暗い。日本を発った8月中旬、東京や横浜のいくつかの映画館では「ファニーとアレクサンドル」などベルィマン生誕100周年に因んでベルィマン作品を特別上映をしていた。

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【写真上: 王立劇場 開催日時などを告げる電子掲示板
演目Riten遵守など4本のポスター 写真中: ベルィマン
フェスティバル(2018 8.23―9.2)上演プログラム
写真下: ベルィマンの手稿】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 24

閑話休題。

ここで視点をかえてスウェーデンに関する気になる最新ニュースを3本。

1.友人O氏から届いたメールから。時事通信(9月18日付)によれば、ストックホルムで3人の中国人観光客(親子3人の家族)が拘束され強制送還された記事。予定より半日前にホテルに着きロビーで寝泊まりしていたため、ホテルの従業員の退去勧告を無視し警察に通告した由。中国政府は人権侵害と抗議しているとう。

2.作家の村上春樹がノーベル文学賞の代わりに設けられた「ニューアカデミー文学賞」最終候補の一人に選ばれたがノミネートを執筆活動に専念したいという理由で辞退された記事(毎日新聞2018年9月17日朝刊26面社会面)。

3.ストックホルムのハンデルス銀行本店の地下に、設立時から140年にわたる取締役会の議事録が保管され、その記録には金融危機は17年に1度の頻度で繰り返されるパターンが認められるという記事(毎日新聞2018年9月19日朝刊3面)。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 23 スウェーデン王立(国立)図書館

https://youtu.be/HrCHT4YHMus

【スウェーデン王立(国立)図書館での“日本人女性”によるレクチャー】

スウェーデン王立(国立)図書館 Kungliga biblioteket, National library of Sweden。図書館スタッフに日本人女性がいたことは大変心強かった。さて、館内視察。スウェーデン人のスタッフと日本人のスタッフの2班にわかれて館内の説明を受け、最後に大きめの会議場で日本人スタッフによる王立図書館のガイダンスを受けた。初めに館内メイン閲覧室(Tyst!静かに!という閲覧室前に貼り紙が。“静かに”ドアを開けてすぐに感嘆、すばらしい!ニューヨーク公共図書館の閲覧室に劣らず立派)→借出カウンター(カウンター奥の眠そうな男性の職員に、Hur mår du? Det är bra ?お元気?快調? とスウェーデン語で声をかけてみた。彼は少し照れ臭かったのか更に奥に引っ込んでしまった)→スキャニングコーナー(一般の男性が使用中だった)→日本関係の貴重書特別展示コーナー(川端康成のノーベル文学賞受賞講演本、リンネの弟子のツュンベリーの『日本植物誌』など→近くの棚にはアウグスト・ストリンドベリーの本がずらり(彼はこの王立図書館に勤めていた)→中央の階段を降りて地下の新聞など資料がおかれたマイクロ・デジタル室で担当の女性スタッフからプチ レクチヤーを受けて見学→蔵づくりの小部屋を思わせるような、特別頑丈な貴重書室で古い巨大な聖書(サイズは世界最大で13世紀のチェコにあった中世の手稿ギガス写本 Condex gigas The Giant Book: 高さ89cm×49cm重さ75kg 悪魔の聖書)閲覧→会議場で王立図書館のガイダンス聴講。プレゼンのタイトルは、In the service of democracy 民主主義社会に貢献して。この図書館の基本理念はフィンランドの図書館でも同じく掲げられていた。スウェーデンの図書館は学校図書館を含めて2400館、その頂点がスウェーデン王立(国立)図書館、予算規模は約40億円。日本語で書かれた本は全く収集していない様子。この日本人女性スタッフもメールでの問い合わせがあればできたら英語でお願いしますと言っていた。筆者は図書館の予算、収集方針、利用状況、図書館内イベント、デジタル化、社会的役割等にはごく普通に関心をもつ一人だが、それよりむしろ日本の書籍や雑誌がどれだけ収集されているかの方にどうしても関心が向いてしまうのだ。
この図書館でツュンベリーの『日本植物誌』など日本関係の貴重書を何点か拝見させて頂いたけれども、その中には日本に最初に来たとされるヴィルマンの『日本旅行記』はなかった(ひよっとしたらと一瞬わくわく感が過ったが日本人の図書館スタッフに訊ねて確認したところ所蔵していないという)。尾崎義訳『日本滞在記』(原題: Een Reesa till Ost Indien, China och Japan 「東インド、シナ及び日本への旅行」 雄松堂出版 1970年初版)には原本の扉が掲載されていてスウェーデン王立図書館蔵と記されているのだが・・・。20180919180321_00001
また、尾崎義は昭和25年の雑誌『日本歴史』(第24号~第26号、昭和25年5月~25年7月刊)でヴィルマン小伝とともに「Olof Eriksson Willmanの“日本旅行記”について―オランダ使節に随行して来朝した最初のスェーデン人―」(ヴィルマンは1652年オランダ使節アドリアン・ファン・デル・ブルクAdrian van der Burgが4代将軍家綱に謁見のため参府したときに随行した)と題して一部を訳出している(訳出頁を読むはこちら→「尾崎義訳出Olof Eriksson Willmanの日本旅行記について。該当の雑誌が古く劣化が激しいため図書館では撮影での許可のみ。P.34とP.35は撮影漏れ。そのため大分前にコピーしておいたものをあてた)。今年は日瑞交流150年の大きな節目の年でスウェーデン研究者たちによる書籍、岡澤憲芙監修日瑞150年委員会編『日本・スウェーデン交流150年 足跡と今、そしてこれから』も刊行されているが、この本の最初の方にはヴィルマンに関する記述もある。ここで注目したいのはベリエンシェーナが1647年8月8日に、コイエットが1647年に来日していることが分かっていることだろう。ヴィルマンより先に来日しているスウェーデン人がいたことだ。筆者もてっきりヴィルマンだと思っていた。ヴィルマン(スウェーデン海軍大尉)の『日本滞在記』には道中や謁見の様子が小まめに記されていて興味が尽きないが、特に何月何日某所云々と筆者の住んでいる地名も出て来て大いに刺激される。

スウェーデン王立図書館のパンフレットを見るはこちら→「20180917113622.pdf」
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【写真: ①王立(国立)図書館外観 ②閲覧室 ③壁側の書棚 ④日本関係貴重書 ⑤ツゥンベリーの『日本植物誌』の扉 ⑥⑤の本文の一部、植物の写生図を特別に閲覧 ⑦特別貴重室での中世の手稿ギガス写本Condex gigas悪魔の聖書 ⑧⑦の本文の一部 ⑨デジタルで新聞などが読めるコーナー】「20181108181937.pdf」をダウンロード

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 22 トーマス・トランストロンメル氏の「わが回想」のあるシーンを地図上で歩く 続々

同じく「トーマス・トランストロンメル氏の作品を読む 46」(2012年1月31日 の記事)から再録。

今一万分の一のストックホルムの市内地図を広げてトーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』に出てくる地名などを記し、その足跡を追っている。もちろん戦前と現在では街の風景は変わっているに違いないが(行ったことがないので分からないが、テレビの映像やインターネットの動画で多少知っている程度。近い将来行ってみたいが。筆者注―今回やっと実現した !)、地図上では公共の建物、駅名などはそんなに変化がないはずだが、通り名などは変化しているところもあるはずだ。また、イングマール・ベルイマン映画の『悶え』は著者の学校がロケに使われた映画で、当時の学校生活の雰囲気を見事に活写しているだけでなく、その当時の学校周辺の建物なども写し出していて大変印象深かった。特にロケで使われた学校は、威厳がある建物、また、高台にあることも映像を通じて判った。

さて、この『わが回想』をページを追いながら実際に地図上を歩いてみよう。最初出てくるのは著者や母方の両親の住所、スウェーデンボリィ33番地、ブレーキンゲ通り、その後の転居先住所、フォルクンガ通り57番地、警察本部のあるクングスホルメン(今でもこの場所にある。地図で見ると偶然にも筆者らが宿泊したホテルからすぐ近くにあるではないか)、ストックホルムのど真ん中で消えたところへトルイェット、家に帰る途中の橋ノルブロー 、旧市街ガムラスタンそしてスルッセンからセーデルへ、鉄道博物館のあるイエヴレ、国立歴史博物館通いでは路面電車でロスラグスツルまで、高台にある南ラテン中学校通勤は家からビョルンの庭園、イェート通りやヘーベリィ通りを通って行く、というように該当の地名を一つ一つ蛍光ペンで記しながら追ってみた。著者の行動範囲が判って面白かった。そして印象に残った二ヶ所―ストックホルムのど真ん中で迷って家に帰るところや南ラテン中学校通勤のところ―の距離を大雑把だが試しに測ってみたのだが、結果的には想像していたより長い距離ではなかった。テキストの地名を地図上で当たり、行動範囲を描き、点→線→面に到達していく過程の面白味を味わった。ついでにインターネットでストックホルムの現在の映像を見て、夜のスルッセン辺りを確認したのだ。それにしても周りは大小の島々という多島海である。余談だが、近代的な建物と古い建物が混在しているような街並みの中に緑色に染められた公園が多いことに気づくと同時に、病院も多く存在していることも地図で判った。

関係地図を見るはこちら→「ストックホルムの地図.pdf」「20180917122404.pdf」
※実は2012年1月時にはストックホルムの一万分の一の地図を使って蛍光ペンで関係する地名を塗りつぶして地図を保管していたが、その地図が見つからず改めて買い直そうと書店で同じものを買い求めたところ、現在はこの一万分の一の地図は発売していないらしい。仕方なく縮尺7,400分の一の『STOCKHOLM & SOUTHERN SWEDEN』を購入して使用した。

トーマス・トランストロンメル氏の作品「わが回想」に興味ある方はこちらを読まれたい→http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2011/10/post-d9a9.html

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 21 トーマス・トランストロンメル氏の「わが回想」のあるシーンを地図上で歩く 続

下記はこのコラム「トーマス・トランストロンメルの作品を読む 9」(2011年10月26日の記事)からの再録。これはトーマス・トランストロンメル氏の「わが回想」の一部(ストックホルムの中心部ヘトルイエットHötorgetの周辺で迷い子になり一人で帰宅する件。筆者の試訳)

1930年代の半ばのある日私はストックホルムのど真ん中で消えた。母と私は学校の演奏会に行っていた。入口のそばで押しつぶされて母と握っていた手を離してしまったのだ。人混みの中で何も手助けもなく流された。私は大分背が低かったから見つけられなかったのだ。ヘトルイエットHötorgetに暗闇が降りていた。身の危険を感じて私は入口に立っていた。私の周りに人集りができていたが彼らは自分のことしか考えていなかった。私は持ちこたえられなかった。死の経験をした最初だった。
パニックが起きたあと、私は考え始めた。徒歩で家に帰れるだろう。絶対にできるはずだ。私たちはバスでやって来た。いつものように座席に座って窓の外を眺めた。王宮が窓外に流れ去った。今しなければならないことは単純に同じようにして徒歩で引き返すことだった。バス停留所を一つ一つ。
真っ直ぐに歩いた。長い間歩いているとわずか一ヶ所だけはっきりと覚えていた。ノルブロ―に着いて橋の下の水を眺めたのだ。ここでの交通量は多く、私はどうしても道路を横断できなかった。私の脇に立っていた一人の男性の方を振り向いた。「ここは混んでいますね」と私が言うと、彼は手をつないで横断してくれた。
だがそれから彼は私を突き放した。小さな子どもが暗い夕方にストックホルムを一人でほっつき歩くこと、そのことがこの男性や見知らぬ大人たちには全く問題ないと思うような神経が私には分からない。しかしそれが流儀だった。旅の残像―旧市街のガムラスタンを通り、スルッセンを越えてセーデルに入った―は複雑だったに違いない。多分犬や伝書鳩がしたように同じ神秘的な羅針盤の力を借りながら自分の方向に従って帰宅したのだろう。たとえ彼らが突き放そうとしても常に自分の帰り道は見つけられる。私の歩行のこのところは何も覚えていない。確かに自己信頼度はますます増大した。だからついに家に着けたのだ。祖父が私を出迎えてくれた。包容力のある母は警察署で座っていた。私の捜索の行方を見守りながら。祖父はくじけなかった。祖父は全く自然に受け入れてくれた。もちろんほっとしたが文句は言わなかった。すべては安全で自然なことに尽きた。

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【写真: トーマス・トランストロンメル著『詩集』に収録されている「わが回想」の本文の一部。写真は1933年ルンマレにて。祖父や両親らと一緒の写真。2011年秋にe-bookでゲットしたもの】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 20 トーマス・トランストロンメル氏の『わが回想』のあるシーンを地図上で歩く

ここでかつてこのコラムで書いたトランストロンメル氏の「わが回想」に言及した一部を再録してみよう。何故なら、今回の図書館研修後の自由時間に、トランストロンメル氏の「わが回想」にある地名を実際に辿ってみる計画を練っていて地図などを用意していたからだ。しかし、後述するガムラスタン(旧市街)の街歩きに魅了されその計画は見事に消え伏せてしまった。それでもバスでの市内遊覧や街歩きでトランストロンメル氏の「わが回想」の中の地名が所々に出現していたのだ。その最たるものがHötorgetだ。
ところで、文学作品と地名・地理あるいは都市という切り口で文芸評論を書いたのは前田愛だった。つい一週間前に毎日新聞夕刊(2018年9月11日3面「著者のことば」)に明治の文豪夏目漱石に関して早大名誉教授中島国彦氏が『漱石の地図張―歩く・見る・読む』なる本を上梓したことが載っていた。本郷、小石川、牛込など坂と台地に注目して作中の場所や地理について考察。地理に着目することによって作品の時代背景が鮮明に見えてくると書いている。これほどまでに本格的なものではないが、文学鑑賞の方法論としては似通っている、トランストロンメル氏の「わが回想」の地名トレースの試みは、都市と文学、その背景を探るには路上観察の点でも少しは貢献するかもしれない。
「わが回想」は著者が60歳の時に書かれた、幼少期~大学入学直前までを綴った自伝的散文詩である。トランストロンメル氏は60歳の時に脳梗塞で倒れ、右手に麻痺が残り話すことも不自由な身になりながらも試作し生き延び、2011年にノーベル文学賞を受賞。受賞式には車イスで臨み、受賞スピーチは彼に替わって夫人が流暢なクウィーンズ イングリッシュで行ったことは記憶に新しい。また、クラシック音楽に造詣が深く自らもピアノを弾いた。2015年に83歳で亡くなっている。23年間病と闘っていたことになる。「わが回想」は、記憶、博物館、小学校、戦争時代、図書館、グラマースクール、エキソシスト、ラテン学校からなり、幼少期~高校時代の思い出が面白い可笑しく、時に哀しく綴られている。おませな子どもみたいな感じと受け取るには容易だが、むしろ今でいうシングルマザーの教師の一人息子が、絵を描き、工作や昆虫採集(このコラムでカブトムシの標本の写真があるが、これは「わが回想」に書かれている)をし、博物館や図書館通いもしている。また、学校生活特に授業のこともややシニカルに書いている。これらのことから見えてくるのは、知的で内気なしかも空想力に長けた感受性豊かな子どもだったことだ。中学生時代には学校がイングマール・ベルィマンの映画『悶え』(原題 Hets)のロケに使われて出演もしている。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 19 へトルイェトHötorget

もう一つこのコンサート ホール前の市場Hötorgetについて書き記しておきたい。前に書いた2011年のノーベル文学賞受賞者トーマス・トランストロンメル氏の「わが回想MINNENA SER MIG 1993」に出てくる印象的な場面がここHötorgetだ。「わが回想」に言及する前にトーマス・トランストロンメル氏の初期の詩を紹介したい。詩集『Dikter och prosa 1954-2004』の初期作品『17の詩篇』の有名な詩。

秋の群島

偶然にも歩行者がここで
巨大な樫の木に出会う。
幅一ハロンの王冠を被った
9月の海の
深緑色した要塞の前に立つ化石化した大鹿のようだ。

北の嵐。ナナカマドの実の房が成熟するとき。
暗がりで目が覚め
星座が木の上高く小屋の中を踏みつけているのが聞こえる。

(筆者の試訳)

また、俳句にも造詣が深く短詩を書いている。

高圧線の幾すじ―
凍れる国に弦を張る
音楽圏の北の涯。

(エイコ・デューク訳)

この詩のスウェーデン語の原詩と英訳を示そう。

Kraftledningarna
spända i köldens rike
norr om all musik.

The power lines streched across the kingdom of frost
north of all music.

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 18 コンサートホール近くでランチ 続

キャッシュレスの話の続き。つい一週間前に起きた北海道の大地震で想定外の「ブラック アウト」(大停電)があったが、北海道では全域で人々の日常生活に大打撃をもたらした。そこで浮上した問題は、カード決済を中心に据えた人たちが身動きが取れない状態に陥ったということだ。自然災害で文明の利器の限界を浮き彫りにされた格好だ。日本郵便は当初の計画を前倒しにして2020年の東京オリンピック開催にあわせてキャッシュレス化を急ぐと発表したが、果たしてそんなに急ぐ必要があるのか。キャッシュレス化にはいろいろとメリットはあるらしいがデミリットも充分考慮してほしい。
さて、ストックホルムの中心街でのランチの話しに戻るが、時間制限もあってセルフ式の海鮮料理店でランチメニューから魚スープをチョイスしてレジに進んだ。キャッシュを出すとカードでと催促されたが、ここは折角スウェーデンクローナに替えて臨んだわけだから使わなきゃ損と一応押し通した。女性店員は、渋々レジの下からキャッシュを探しておつりをくれた。日本では考えられない光景だか本当に現金がないのだ。わずか20クローナ以下のランチの代金までカード支払いで済ますのだ。仲間の一人は戸惑ったがどうにかクリアした。魚スープとパンそれにビールでランチを食べ終えて、さて、トイレタイム。トイレはスクウェア形の地下食堂街の左端にあって、先客が在室中で塞がっていた。しばらく経つと次の人の順番だったが、ここで問題が。入ろうとしたら有料でしかもカードで6クローナ支払いとトイレの左側入口に小さなカード支払い機が設置されているではないか。仲間の一人がカードを入れるもなかなか「non-approved」と表示され、3度目でやっと「approvedlと表示され入れた!急いで用を足す人はさぞ困ってしまうと短絡的に考えてしまうのだが。要は慣れかー。
キャッシュレスがここまで進んでいるストックホルムの現状を「視察」できたことはありがたいことだったか、戸惑う筆者だった。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 17 コンサート ホール近くでランチ

_20180912_121813_2 【写真: スウェーデンの魚スープfisksoppa】

「百聞は一見にしかず」のストックホルム市立図書館。今度訪ねる時はじっくりと自分の好きな作家を調べたい。1日中ずっといても飽きない図書館かも。それこそハードとソフトの融合形だ。カウンター脇には軽い読物の推理小説など文庫本も。スウェーデン発の犯人推理仕立ての警部もののシリーズは世界的に知られている。もちろん日本でも人気だ。

コンサートホールの斜め前にある映画館の地下で、北欧図書館視察団の仲間2人と昼飯を食べた。ランチタイムなので混雑していることは仕方ないとしても、どんな料理を食するか少し手間取った。なぜかふとアメリカのフィラデルフィアのオールドマーケットプレスの店の光景を思い浮かべた。ぐるぐると地下食堂を一巡後、手軽なスウェーデン料理が食べられる鮮魚料理店Kajsas Fiskに入った。そこで多少戸惑いながらスウェーデンの魚スープをパンと一緒に食べたのだ。レシートは右下。20181203174358_00001_4
この魚スープfisksoppa(ネットでレシピを紹介しているので参照されたい。→http://cookpad.com/recipe/2531139#shre_mail)は、日本のあら汁に似て美味。あら汁ほど骨っぽさはないが、鱈、鮭などの切り身、じゃがいも、太ネギ、バター、トマトの水煮、サワークリームなどを入れたスウェーデンの魚スープで、一応筆者の口に合った。 しかし、先ほど“戸惑いながら”と書いた理由は、店で代金を支払う時にキャッシュを出したら怪訝な顔をされカードで支払ってくれと女性店員に言われたからだ。また、この後トイレでちょっとした事件が・・・。この話の続きはまた。

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【写真左上: コンサートホール前の彫刻『オルフェ群像』
写真左下: コンサートホールのネームプレート】

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【写真: コンサートホール前の広場】
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【写真: 広場の出店果物屋
色鮮やかに旬のものが並ぶ】
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【写真: 映画館Filmstaden Sergel 筆者たちが
入った鮮魚料理店Kajsas fiskがある地下食堂街】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 16 ストックホルム市立図書館 続

まずコンピューターでスウェーデンの19世紀の国民的作家アウグスト・ストリンドベルイを検索、次にその作家の影響大のこれまたスウェーデンが誇る映画監督イングマール・ベルィマンを検索をしていたら、クリックして行くうちにダウンロードが次々と出て慌ててしまった。終にはコンピューターが一時動かなくなったので、近くにいた図書館人に恐る恐る拙いスウェーデン語と英語で訊く始末。我ながら少し恥ずかしかった。でも、少し離れたところから大丈夫かと伺っていたら、コンピューターはフリーズしていず動いていた。一安心。
「イングマール・ベルィマンのコーナーは階下です」と親切にも教えてくれたが時間がないため、階下へ行くことを断念せざわるを得なく説明会室へ。図書館人に折角教えてもらったのに大変残念だった。筆者らを案内してくれた人の良さそうな図書館人は、ホテルから近いからまた寄ればと気さくに話してくれた。筆者は文学特に詩のコーナーを見つけて最近刊行された古典から現代までの分厚いスウェーデンの詩のアンソロジーを閲覧することができた。カメラに収めたことは言うまでもない。

「ねぇ、ねぇ、この書棚を背景に私を撮ってくれませんか」
しきりにカメラに収めることに余念がない視察団の一人が声をかけてきた。
「いいですよ、バックが円形で書棚が超高い、きっと映えますよ」
筆者も撮ってもらった。

活気のある説明会が終わり館内を一巡、目立ったのは総選挙の期日前投票のコーナーだった。四角い箱に色別に政党名が書かれていた。有権者は自分が入れたい候補者と政党名を選んで投票するようだ(定数349のスウェーデン総選挙は、比例代表制で310議席が29選挙区、残りの39議席は全国で得票に応じて配分されるシステム。有権者は726万人―毎日新聞2018年9月11日付朝刊8面。選挙の仕方についてはこちらが参考になる→https://www.thelocal.se)

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【写真: 検索して出てきたアウグスト・ストリンドベリイの画面】
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【写真: 借出場所】

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【写真: 館内にある期日前投票所】


ストックホルム市立図書館のパンフレット。8月~10月にかけての行事も掲載されている。パンフレットを見るはこちら→「20180917113011.pdf」

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 15 ストックホルム市立図書館

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ストックホルム市立図書館には今スウェーデン総選挙用の事前投票所が設置されている。今回の選挙ではEU離脱や移民問題が争点で、事前の調査で反移民政策を掲げる極右政党のスウェーデン民主党が大躍進して社会民主労働党を押し退けるとの予測が出ているらしく、こうなれば1917年の結党以来初めてで政治の舵取りが難しく一大事である。ここに来てSNSなどで極右支援の大量の書き込みがあるとの不穏の動きも。
(筆者注: 今朝総選挙の結果が出て極右政党が大躍進するも、現政権のロヴェーン首相率いる中道左派・社会民主労働党が第一党をかろうじて守った格好だ。EU離脱や移民政策問題を抱えて政権運営が難しくなった模様。詳しくはこちらを参照→https://www.dn.se)。

建築家グンナール・アスプルンド設計のストックホルム市立図書館は、外観から圧倒される。 『世界の図書館』にも掲載されている有名な図書館だ。優しそうな女性図書館人が北欧図書館視察団を迎えてくれた。エントランスすぐに円形の大書架が並ぶホール。見事と言うほかに言葉がない。Det är mycket bra !今までに見たことのない図書館だ。しかもサーメ語など少数言語にも配慮されながらジャンル別に開架されている。京都の国際日本文化研究センターの図書館も円形だが規模が小さい。規模が違う、人が違う、意識が違う―。

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建築家グンナール・アスプルンドについて。市立図書館のパンフレットを見るはこちら→「20180917113540.pdf」


追記 最上部分には[SHONLITERATUR PA SVENSKA スウェーデン文学]、下の部分には[MEANKIELIメアンキリ北方少数民族語の一つ、フィン語の一方言]、[SAMISKAサーミスカ北方少数民族語の一つ、サーメ語]のジャンル名を読み取ることができる。メアンキリ語やサーメ語など少数民族の言語で書かれた本も並ぶ。(2018.12.27 記)

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 14 憧れのスウェーデン・ストックホルムバス遊覧

スウェーデンは他の北欧諸国、特にアイスランドやノルウェーとともにいつかは行ってみたい国だった。約30年前にニューヨークのケネディ空港で見た鷲の翼をもつコンコルドの飛び立つ勇姿を近くで見たとき、これでニューヨークから北欧に一気に飛び立てると真剣に考えた。しかし、今はそのコンコルドはない。それ以来北欧特にスウェーデン行き決行は延びに延びてやっと今回実現の運びに。
それは空路ではなく航路の終着点ストックホルムから始まった。シリアライン ターミナル内で現地ガイドと合流してバスに乗り込んだ。北欧図書館視察団のスウェーデン最初の図書館研修は、ストックホルム市立図書館だ。約束の見学時間にはまだ早いこともあって、少しの間バスでの市内遊覧となった。ストックホルムの東端Värthamnenバットハムン港シリアターミナルからバスはゆっくりと窓外を眺められるようにスピードを落として走行。まず現地ガイドさんが案内したのは、ヤーデットの芝で覆われた小高い丘、元は軍の練習場だったところ、次にスウェーデンテレビやラジオ放送局。実は筆者が常に現地語の生きた言語を身につけたいと考えてスウェーデン語放送をネットで聴いているのだ。その放送局を案内されたのだ。感激!ここで放送しているんだ、最新のニュースや天気報それに身近な話題を英米ほかのポップミュージックを挟んでネット配信している。1、2カ月前だったか、Kポップって、なにと質問していたアナウンサーがいたが)。最近のネットだと音声だけではなく、写真付きの記事がリアルに見れるから今は便利な時代である。ドュールゴーデン地区に入ると人気のスウェーデンが生んだ4人組ポップグループ、アバ(1970年代、「ダンシング クィーン」が代表ヒット曲)の博物館、ヴァーサ博物館、途中世界最古の野外博物館スカンセン(古き良き時代のスウェーデンが見学できる。本ではよく知っていた)の一角では、日本人たちによる撮影が行われている現場に遭遇した。来年のNHK大河ドラマ「いだてん―東京オリンピック噺 オリンピックに初参加 金栗四三」のストックホルムロケと判明。主役の中村勘九郎も来ていた。来年5月頃放送予定とか。
バスはトラムなどとすれ違いながら王立劇場などのある高級住宅街(住宅は今は供給不足、分譲と賃貸の割合は6対4だそうだ)や湖岸通りを抜け、王宮や大聖堂があるガムラスタン(12、3世紀~17世紀の建物で国の重要文化財に指定されている旧市街)からセーデルマルム地区のスルッセン方面へ。メーラレン湖とバルト海の水面を調節する水門(スルッセン)は、今150年に一度の改修工事中で大型の重機が何台も動いていた。2030年に完成予定らしい。先ほど通った湖岸通りに『ユニクロ』が明日北欧初の出店で開店準備中。店の前には大きな赤いユニクロの文字が踊っていたばかりでなく、トラムやバスにも派手な宣伝を繰り広げていた。スウェーデンのファストファッション『H&M』に向かい撃つビジネス展開になりそうだ。日本のアパレル企業がデザインの優れた北欧の地で認知されるか。
バスはさらにメーラレン湖河畔の橋を渡ってしばらく走り小高い丘で少しの間停止した。そこはストックホルムの王宮など有名な歴史的な建造物が一望できるまさしく絶景で撮影スポットになっている。なるほど北の水の都ベニスという意味がここに来て初めてわかる。14の島々からなるストックホルムは水の都で島を繋ぐフェリーが頻繁に出ている。ニューヨークのブルックリン橋の撮影スポットから眺めるマンハッタン島とはまた違った趣である。筆者流の新たな絵葉書が出来た格好だ。

追記 たまたまかは知らないが(そんなことばのニュアンスだったか)、シリア ラインの船着き場から次の訪問館のストックホルム市立図書館へ行くにはまだ時間がたっぷりあったので、バスガイド付きのバスでの市内観光となった。改めて旅行会社が作成した大まかなスケジュールを確認したがそこには市内観光とは書いてなかった。
バスの中から撮影したストックホルム市内をビデオで観るはこちら→
【ストックホルム市内観光①】
https://youtu.be/dzR6xuEITHw
【ストックホルム市内観光②】
https://youtu.be/rux7CFzUsQE
【ストックホルム市内観光③】
https://youtu.be/vYzV31a5cZc
【ストックホルム市内観光④】
https://youtu.be/mNP4NfQPaDw

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 13 スウェーデンのストックホルム港に入る前に

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てっきりスウェーデンのストックホルムにはアーランダ空港から入るものと勝手に想像していたが、いやいや、フィンランド湾、バルト海をショートクルーズしながら夕暮れ、夜、早朝としばしゆったりとした“海上の時間”を楽しんだ。晴れが続くかと思いきや、やがて暗雲が立ち込め忽ち雨に。3時間位過ぎると、今度は晴れ間が見えるという具合に気まぐれな天気に遭遇しながら船旅の醍醐味を味わった。暗雲が立ち込めた光景は不気味で、何故かイングマール・ベルィマンの映画の一シーンを思い浮かべた。北欧の人たちは、天気を気にせずマイペースでむしろ気まぐれな天気を楽しんでいるらしい。我々日本人は雨に対してセンスシティブだ。そのことは日本文学や随筆を読めばよくわかる。日本語には雨を表す表現の何と多いことか。しばし、待てよ旅人、このバルト海を眺めると見方が変わるような気がする。秋から長い冬を思うと激しい風雪に耐えなければならない過酷さを想像してしまうのだ。また、バルト海は、ヴァイキングの時代、中世のハンザ同盟の沿岸交易の時代、近世の覇権争い、近現代の戦争の時代には要衝海域であったため幾多の戦いの場ともなった歴史をもつ。
そうして、「シリア シンフォニー」号のデッキに立って朝日を拝めれば、少し前の真夜中の揺れは何だったのか。快と不快のはざまで心も揺れ動いたことは確かだろう。このルートは途中オーランド諸島のマリエハムンを経由してストックホルム港に朝9時半に入る。時間を1時間戻してしばらく経つが、ストックホルムが近づくにつれて群島のサマーハウスが所々に姿を現わし始めた。本で読んだ光景が広がる。サマーハウスを持つことはスウェーデン人のステータスなのだ。そうした贅沢な早朝の景色は点在するサマーハウスを視野に入れて船が、静かに方向をかえて旅の終着地ストックホルムに入っていく。ゆったりとした時が流れていくのを感じた。

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【写真: 上 船上からの朝方の眺め 写真: 中央 島々に点在するサマーハウスと思しき建物 写真: 下 ストックホルム港】


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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 12 豪華客船シリヤ シンフォニーでバルト海クルーズ 続

フィンランディア ウォッカ。京都の祇園にある店の名前も『フィンランディア』。7階のお店が並ぶフロア。スーパーマーケット。ムーミングッズ。That's show time. デッキからの眺め。

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『シリアシンフォニー』号にはもちろん書店も図書館もなかった(笑)

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 11 豪華客船シリヤ シンフォニーでバルト海クルーズ

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いつかは豪華客船に乗船してみたいと考えていたが、まさかこういうところで実現するとは夢にも思わなかった。横浜の大桟橋では飛鳥Ⅱ号を時々見かけるし、入港すると話題になるクイーンエリザベスⅡ号などはよく知られている。また、地中海あたりではこのような豪華客船クルーズが事故にあったりして深刻な事態を招いたこともテレビの報道で広く知られた事実。夢を運ぶ豪華客船が一瞬悪夢化し絶望の淵を渡る―。映画でお馴染みの豪華客船(タイタニック号)の沈没事故はこの典型だろう。
それはさておき夢の舞台に乗船だ。2000人以上の乗客を乗せた「シリア シンフォニー」号は、現地時間午後5時一路バルト海をクルーズしながらスウェーデンのストックホルムへ。快晴、気温24度。出航だ。11階のデッキから眺めるヘルシンキ港は180度パノラマの正真正銘のオーシャンビューである。船が離れる模様はしっかりとビデオカメラに収めた。船中一泊の始まりだ。フィンランドやスウェーデンなど地元のリタイア組のグループ、南米、韓国のグループ、日本のグループなど若い夫婦や老人まで多種多様である。6階と7階にはカフェやレストラン、土産物店、スーパーマーケットなどが並ぶ。7階のインフォメーションセンターではユーロからスウェーデンクローナなど両替ができる。何せお金に関しては慣れないと小銭がどんどん溜まってしまうのでウンザリしてしまうほど。トランジットのデンマーク・コペンハーゲン空港ではユーロは使えるがお釣りはデンマーククローナ、フィンランドではユーロのみ、スウェーデンではスウェーデンクローナのみ使用できると国よってまちまち。EU域内外の経済事情が覗けて興味深いが、観光客としては厄介である。特にスウェーデンは世界でもっとも進んだカード社会でそこではキャシュレスが浸透していた。スウェーデン中央銀行が紙幣を造るのを止める議論までしていると報道されて知ってはいたが、ここまで進んでいるとはリアルに驚きである。実際に遭遇した事例はのちほど紹介したい。
やがて楽しい夕食の時間。6階のレストランでビュッフェ形式のディナー、英語、フィン語、スウェーデン語で書かれたメニューは分かるが日本語で書かれたメニューがあったのにはサプライズだった。サーモンの生と焼き物、ゆで卵とスクランブルエッグ、エビ、小魚、ムール貝、ローストビーフ、ハム各種とソーセージ類、ミートボール、ポテト、キュウリやトマト、パン各種、軽いビールにワインなどを嗜んだ。もちろんこの他にも揚げ物、肉類(固そうだった)、ヨーグルトやデザート各種、ソース各種など。サーモンはさすが本場もので美味。意外や意外、キュウリがヘルシンキの朝食でもあったが新鮮で美味しかった。筆者的には醤油がほしいところで、周りを見渡したらやはり調味料コーナーに塩、ソースと並んでキッコーマンの醤油瓶があった。味付けに使ったことは言うまでもない。料理は自然の恵みがもたらす最高の贈物、感謝しつつ食べた。
下記の写真の説明、上から下へ。
サントリーのウィスキー「響」など高級ウィスキーが並んだ土産物店のコーナー。「響」は日本では手に入りにくいらしい。現に筆者の利用する駅近くの酒店では「響」は品切でいつ入荷するか分からないとわざわざ貼り紙が。6階のレストランでのディナー。7階のインフォメーション センターと寿司店にあった日本のサッポロビールとキッコーマン醤油。働いている人は全員外国人。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 10 ヘルシンキベイエリア

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【写真: ホテルに隣接する日本人経営のおみやげ店『NORDIC STAR』で買った2枚の絵葉書】

今まであまり触れずずまいだった『Library 10』は、音楽関係に特化した公共図書館で郵便局の2階にある。3Dプリンターもコンパクトだが使えるしまた、音楽スタジオまで装備されているのにはびっくり仰天。音楽関係が中心なので書籍はほんの一角にあるにすぎない。郵便局の上とあってロケーションもよく、かなり活用頻度も高いようだ。バックヤードで説明会を催したほどで館内は狭く少しごちゃごちゃしている感じは歪めない。帰り際出口付近で本格的な回転寿司店を見つけたがまだ開店していない様子。

さて、ヘルシンキベイエリアを少し活写してみよう。ホテルから次の訪問国スウェーデンのストックホルムに船で向かうためベイエリアの船の乗船口にバスを走らせ、しばしくつろぎの時間があった。同じ港町横浜赤レンガ倉庫の個性的な商店街を思い浮かべるにはそう時間がかからない、同じような雰囲気のマーケットプレスがあって店が数珠繋ぎに隣接して商いをしていた。その数4、50軒あるかないか(ビデオには収めたが・・・)。その先にはシティホールがあって船着場近辺には屋台が犇めきあっている。山下公園にたくさんの屋台が並んでいる光景を想像すれば足りる。面白かったのはビールを置いている店がほとんどないことだ。フィンランドはアルコールの厳しい規制があって普段スーパーなどには度数が軽いものしか売っていないというのだ。ものの本によれば、3時間で行ける距離にある隣国エストニアのタリンに行ってアルコールを嗜むそうだ。で、昼間から酔いしれているのはフィンランド人ばかりといわれているらしい。筆者は北欧でもこんなに暑いのは珍しいのではないかと少し戸惑いながら、やはりこのベイエリアでビールを嗜むのが一番と4人でシティホールのすぐ近くにあるレストランのオープンテラスに座って地元のビールで乾杯した。スコール!遅い午後の燦々と輝く陽を浴びて飲むビールは幸せそのもの。皆さん、次第に赤ら顔になった。
乗船時刻が刻一刻と近づいている。あと10分で乗船である。左前方高くには観覧車が回っている。その一つだけサウナ付きのワゴンがあって、現地ガイドさんによると、乗るにはかなり高いお金を払わなければならないらしい。
港町ヘルシンキは雲が泳ぎ、豪華客船が停泊する蒼い海に夏の影を大きく落としていた。まるで絵葉書の世界にいるように色鮮やかである。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 9 パシラ図書館研修・館内視察

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ヘルシンキ中央駅から一つ目の駅パシラ駅に隣接する公共図書館の中枢的な役割を担うパシラ図書館(ヘルシンキの東側)。パシラ駅は改修工事中で駅の外観は少し見えたにすぎない。背の高い図書館人に淀みのない英語で30分ほど図書館について説明を受けた。図書館の人から撮影許可を得て筆者はここでもビデオカメラを回した。その後女性図書館人に館内を案内されながら、有名な建築家の設計による閲覧メインステージ(天の川など宇宙をイメージして造形)、音楽関係の棚、日本書の棚(二昔前の日本の文学、辞典、日本語関係書、評論、文学などが並んでいた。最近は日本語が人気だという)、マンガ(“manga”とローマ字表記されていた)、児童書コーナー(担当者にプチレクチャーを受けた)、バーチャルコーナーなどを見学。この館内での注目は、移民の人たちにフィンランド語を基礎から教えるコーナーが設けられていて、講師はボランティアで行っていることだ。また、本と接することが苦手な子どもたちには専門校で特別に訓練を受けた読書介助犬がつく。「今日はサーメの子どもたちも来ていますよ」とは女性図書館人。サーメとはノルウェー、スウェーデン、フィンランドやロシアに跨がって住んでいる北極圏に近いラップランドの少数民族の名称。ともかく少数民族にも手厚く、多言語多文化を受け入れて多様性に対応していていることが見事である。女性図書館人もお気に入りの螺旋状に多種多様な書籍が積み上げられた、本物そっくりの彫刻が2階の中ほどにあった。「実はこの中には針金が施されているの」と親切にも種明かしまでしてくれた。日本語のドラえもんの漫画もあってその収書能力の高さを伺わせる。実はこの12月初めにヘルシンキ中央図書館の開館に伴って一部ジャンルを移す計画だという。図書館研修・視察は貴重な体験の連続と発見の旅でもあるのだ。

先に少し触れたヘルシンキ大学図書館では、今は購入予算の95%が電子情報(デジタル化された情報)で紙媒体はわずか5%にすぎないと図書館人から告げられ、かつて書籍の受入をしていたコーナーを実際に見学し、パソコンやコピー機などが置かれただけのサッパリしたコーナーに変わっていたのを目にした時にこれまた、強いショックを受けた。ほんの少ししか紙媒体の本を買わないというのだ。女性の図書館人に説明を受けながら館内を一巡、芬語、瑞語、英語、独語、露語などで書かれた専門雑誌閲覧室、少し贅沢な大学院生の個室や子ども預け室それにテラスに出れば外の景色は最高、リラックスできるようにレイアウトされている。書棚の中に日本の駒沢大学から寄付された仏教書(現地のガイドさんも言っていたが)、歴史書、文学書、辞典や語学書などが並べられた日本書のコーナーもあった。昨日一番目に訪問したフィンランド国立図書館は納本制度(legal deposit)を実施ている特別な図書館だが、ヘルシンキ大学は機能性を重視したリアルな図書館で世界の大学ランキングの上位入りを目指して戦略的に大学・大学図書館運営を図っている。そして目標はほぼ達成していると数字を示してくれた(プレゼンで)。かなり努力しているのが分る。

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【写真: 研究社の『英和大辞典』や『和英大辞典』などが棚に 】
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【写真:日本書の棚 仏教書など】
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【写真: テラスからの眺め】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】 北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 8 アカデミア書店

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『マリメッコ』のすぐ近くにある『アカデミー書店』(Akateeminen Kirjakauppa, AKademiska Bokhandeln, Pohjoisesplandi 39)。筆者は西側の入口から入った。建築家アルヴァ・アアルトAlva Aaltoの設計で有名な回廊型の書店だが、2階のカフェ『アアルト』は映画『かもめ食堂』のロケにもなった建築家の名前を冠したカフェでフィンランド人の憩いの場所でもあるようだ。吹き抜け三層構造で天井から陽が入るように透明な天窓があり、明るく開放的な書店である。棚指し部分はもちろんあるけれども、平台、平積みのスペースを重視していて本が溢れていた。しかも造本も良くカラフル。フィン語はローマ字通りに読めば良いらしいが難しい。現地ガイドさんに教えてもらった早分かりフィン語の一つ、「i」で終わる単語は外来語ということ、たとえばkioskiなど。値段的には高め。2階にはガイドブックなど日本書もあった。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 7 『かもめ食堂』

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【写真左上: 『かもめ食堂』の醤油ラーメン 写真右上: 店内の一部】【写真左下:『マリメッコ入口』 写真右下: 店内の一部】

ヘルシンキの2日目は、フィンランド図書館→近くのレストランで昼食→ヘルシンキ大学図書館のスケジュールをこなしてホテルで自由時間となった。午前中に訪問したフィンランド国立図書館は、トゥルクのロイヤルアカデミーに起源をもつヘルシンキ大学図書館の一つ。1640年開設。岩盤を崩して造られた図書館は、岩肌が見えるコーナーもあるが、一大伽藍化した書架はフレスコ画の下圧巻で北欧図書館めぐり最初の衝撃である。最初のプレゼンも英語でそれぞれ3名で分担、フィンランドが国レベルでデジタル化を進めていることがこのプレゼンで解った。ヘルシンキ大学図書館では端末で操作して本を返却するシステムの実際の流れを見学できた。

さて、ヘルシンキの街歩きはまずホテルの近くのデパートでコンセントを買うこと(『ロフト』みたいな店があったのだ)からはじまり、ストックマン百貨店(店内は『三越』みたいで高級百貨店の様子)、マリメッコ本店(中東系の高校生らしき女性2人がレジ脇で買いたいものを物色していたが、終にはレジにあったマリネッコのデザインが施されたトランプカードを購入したようだ)で買物、有名な建築家の手によるアカデミー書店見学(平積みが特長で2階のカフェは映画『かもめ食堂』のロケにも使われた。その付近には建築デザインの本も並んでいた)後、街歩きの同伴者が『かもめ食堂』を目指すと更に先きを急いだが、筆者は途中昼に食べたデザートが合わなかったのか胃の調子が悪く、歩いている途中で何度も戻しそうになったがそこは我慢、そうこうしているうちに『かもめ食堂』に到着。
『ここが映画『かもめ食堂』のロケで使われた店です。でも、店の経営者は替わっています』と好奇心の旺盛な同伴者がさりげなく告げた。映画『かもめ食堂』は2006年に公開された、荻上直子監督、小林聡美、片桐はいりともたいまさこ主演の映画。店内には比較的若い女性たちや家族連れそれに男性2、3人、みんな若い人たちである。やはり大方は日本人だ。窓側のテーブル席には小さな女の子と母親とフィンランド人夫婦がラーメンを啜っていた。筆者は胃の調子が悪いにもかかわらず、ビールと醤油ラーメンを頼んだ!これで回復するかもと無茶な、逆作用“効果”を狙ったが、店の女主人自慢のラーメンは少しずつスープから啜るも残してしまった。優しそうな女主人が下げにきたので事情を話し誤った。そして塩をもらって水に入れて飲んだ。これが即効薬の役割を果たしてその後体調は回復したのだ。異国でのラーメンはやはり“異国のラーメン”の味がする、それは日常的には日本人だけがビジネスの対象としているわけではないからだ。現地の人たちも食べにくるのでその味覚も大事にしないと客を取り込めないと思うのだ。具たくさん、結構である。筆者的にはキムチを入れてほしくなかった。何だか映画『かもめ食堂』の続編を観ている感じだった・・・。

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 6 建設中のヘルシンキ中央図書館 Oodi

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【写真: 建設中のヘルシンキ中央図書館 Oodi】

今フィンランドのヘルシンキでは2018年12月5日開館予定で新図書館ヘルシンキ中央図書館 Oodi(http://www.oodihelsinki.fi/en/)が急ピッチで進められている。公共図書館のシンボルが生まれ変わるのだ。北欧図書館視察団は、特別にその図書館建設の最後の工程を現場に入って見せてもらった。安全防具を装備して見た内部は木製の床や張り巡らした配線があちこちに、まさに仕上げ一歩手前の作業である。なぜこんなことまでして潜入したのか。そのわけは3階にあがってカフェテラスになるデッキにさしかかったときの景観でわかった。360度とまではいかないが、街の歴史的建造物が独り占めできる、まさに圧巻の景色がそこにあったからに他ならない。先ほど見て歩いた大聖堂・元老院ももちろんのこと、ミュージックホール、 フィンランディアホール、カンピ大聖堂などが見える、色鮮やかな絵葉書でも見ている光景が広がっていた。しかも夏雲がくっきり、ムーミンさんやマリメッコさんに、なぜかボンジュールと言いたくなった。まだ行ったことのないパリの屋根裏からの光景と、あるいはこれまた行ったことのないタリンの中世風の町並みの光景を思い浮かべていた(今はWEBCAMなどで生中継されているのでリアルタイムで見られる)。この新図書館の外観もまた、船体風の曲線が優れたデザイン力を発揮している。まだまだ建設途上だが出来上がりが楽しみである。案内人の現場監督はユーモアを解する朗らかな人それにスラッとした優しそうな図書館人、フィンランド人の心意気に触れた思いだった。さて、新図書館のコンセプトは木の温もりを感じながらいろいろな機能を楽しめる空間(仕事、読書、交流、遊び、カフェ、サウナ併設などなど)にしたいらしい。

「そこは自転車道、歩かないで」と現地のガイドTさんが少し声をあらげた。確かに市民の足である自転車道は太くて長い。彼は36年ヘルシンキに住んでいて音楽ライターの仕事をしていると話した。

帰り際目にした列車(特急列車?)の発着場。やはりデザインが優れている。
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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】 北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 4 ヘルシンキ空港到着と石野裕子著『物語 フィンランドの歴史』

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成田空港を飛び立って約11時間、45分遅れて出発したものの、乗り継ぎ地デンマーク・コペンハーゲンには予定よりやや早く午後3時半前に到着。空港で入国手続きなどを済ませ、飲食などして(カウンターでビールを供してくれた女性の胸の大胆だったこと!)休憩後午後5時半に目的地ヘルシンキ空港に出発し午後8時過ぎに到着。雨でやや涼しい感じ。極東の日本から見れば異国情緒たっぷり。ここがフィンランドのヘルシンキ、テレビでは何度も見ているが描いたイメージとそんなに違わない(情報化社会の賜物で知識が肥大化している)。何より人が少ない!空港内の案内表示にはフィンランド語、スウェーデン語それに英語の3ヵ国語で書かれていた。スウェーデン語系住民の多い地域では、スウェーデン語、フィンランド語と表記が逆転するらしい。バスに乗りホテルへ向かったが、バスの窓から見えたのは樹木群。森と湖の国は多少雨に打たれて季節の風情を醸し出していた。窓外にはまた、大型小売チェーンの郊外店が所々派手な色で顔を出していた。話しに聞いていた北欧の白夜、午後8時半過ぎなのにやはりまだ明るい。時間感覚が少しずつずれていくのを肌で感じた。
極東から北欧への長いフライトの間に石野裕子著『物語 フィンランドの歴史 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年』(中公新書 2017.10月刊)を読了。フィンランドは地政学的にはロシアとスウェーデンに挟まれた国でその歴史は550年間スウェーデンに支配され、その後100年間は帝政ロシアに支配された受難の歴史を持つ国である。1917年のロシア革命時に独立、去年独立100周年を祝ったばかりだ。フィンランドの立つ位置は今もって微妙だ。民主主義の力を信じてまた、リーマンショック後の経済回復はノキアに替わるIT産業の育成やイノベーション力にかかっている(この国の教育力には目を見張るものがある)。フィンランドは製材業や繊維産業以外にこれという資源や産業に乏しい。550万人のフィンランドはこれからどこへ向かうのか、大変関心のあるところ。
著者は国際関係論(フィンランド地域史)の権威百瀬宏先生のお弟子さんか。巻末の参考文献は分量が多いのは助かるが小さくて読めないのが残念である。

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【写真: 乗換地: デンマーク・コペンハーゲン空港】

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【写真: ヘルシンキ空港出口の標識】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】 北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 3 ノーベル文学賞受賞者トーマス・トランストロンメル氏の詩集をアカデミー書店で買ったことなど

その後は語学や言語学から文学、特に現代詩に興味を持ち詩作や小説の習作を繰り返して都会をさ迷った。要は20代は文学修行時代だった。北欧、特にスウェーデン語やスウェーデン情報はスウェーデン大使館ほかから機会あるごとに仕入れていた。2011年にノーベル文学賞を受賞したトーマス・トランストロンメル氏の詩集『SAMLADE DIKTER OCH PROSE 1954-2004』(486頁、bonnier pocket 2012)をe-bookで手に入れ、その「わが回想」の章を読んだり翻訳を試みたりしている。今回の旅行中ストックホルムのアカデミー書店で在庫一冊のみのその本を見つけ購入した。89スウェーデンクローナ。おまけはそのアカデミー書店の女性店員から弟さんが東京の池袋辺りに住んでいることを偶然に聞き出しメールアドレスを教えてもらったことだ。何と名字がトルストイだった !祖父の時代の名前だという。この女性から「あなたはスウェーデン語はどこで習ったの?」と訊かれて詳細はあまり伝えなかったが、こういうやり取りの実践的日常会話でスウェーデン語が通じたと実感した次第。語彙は不足しているけれども一応実証された。一安心したことは言うまでもない。

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【写真: 詩集全容。 長机はイケア製】
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【写真: 表紙と裏表紙】
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【写真: 「わが回想」の中でも触れられている昆虫標本。本のおもて表紙の裏やうら表紙の裏に使われていて洒落ている】


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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 2 海外旅行やスウェーデン語のことなど

海外旅行は1987年のアメリカ・ニューヨークを皮切りにサンフランシスコ、台湾、アトランタなど地域は限られているものの、ビジネストリップを含めて20回以上は行っている計算になるか。今回は2013年に愚息の卒業式出席・結婚記念日・コロンビア大学図書館・ニューヨーク大学図書館・ニューヨーク公共図書館・ニューヨーク市立大学の営業(半年後に成果があり、旅費等は賄えた)を兼ねてニューヨークに7日間滞在して以来5年振りの海外旅行である。そもそも北欧旅行は20才の学生時代にナホトカ経由で計画していて横浜港に船の出発時刻を調べに行ったほど。しかし、貧乏学生には費用面で無理だったのだ。もうはるか昔の話。ドイツ語は中学時代からNHKのラジオ講座で学び、高校時分に同じゲルマン語族に所属するスウェーデン語に興味を抱き、英語-スウェーデン語辞書を購入したりまた、外交官・北欧文学者・翻訳家の尾崎義(1903ー1969)の『スウェーデン語四週間』や文芸評論家・詩人・北欧文学者・翻訳家の山室静(1906ー2000)の『北欧文学の世界』などを読み、スウェーデン社会研究所のスウェーデン語講習会でスウェーデン語を学んだ。初級のABCから上級のノーベル文学賞受賞者ペール・ラーゲルクヴィストの作品『バラバ』を読むまで。講師は当時売れっ子だった石渡利康氏とスウェーデン人。これまたはるか昔の話。その講習会出身の人と知り合いになり、結構長くお付き合いをさせてもらった。彼は8年前(?)に亡くなったが、季刊雑誌『北欧』を20号まで出した。当時としては北欧研究者がつどった画期的な雑誌だった。高校時代にプロテスタント系教会の子どもを教えていたノルウェー人の女性の家で、週末にスウェーデン語、ノルウェー語それに英語を習った(その後渋谷の宇田川町で日本で建築を学んでいたスウェーデン人の青年から個人レッスンを少しの間受けた)。今でも思い出すのは、旧式のタイプライター_20180830_213207_2【写真: スウェーデン王立図書館内にあった年代物のタイプライター、確かメーカーは分からないがこの類いのタイプライターだったか】で打った、文化祭での英語弁論大会用の草稿に手を入れてくれたことだ。確か内容は高校野球のことでそのノルウェー人女性も来てくれた。会場はほぼ満員で150人以上の聴衆(教師と生徒)がいたはず。筆者の記憶が正しければの話だが。英語弁論は我ながら上手くいった。評判は意外と国語教師からも。これまた遠い昔の話だ。In those days! 今となってはその面影はほんの少し残すのみだが(笑)。この旅行に出掛ける直前にこのノルウェー人の所在をネットで探しだす試みをしたが近い女性は見つかったものの、まだ確証がないままだ。また、当時ノルウェーやスウェーデンには女性のペンパルがいてノルウェーやスウェーデンの近況それに教育改革の図表などを送ってくれたものだ。それは今も筆者の書棚の隅にある。
図書館をめぐる旅のストックホルムのバスの中で、現地ガイドさんが今週から学校が始まったが小学校の就学年齢が6才に引き上げられたと言っていた。【写真: 山室静著『北欧文学の世界』東海大学出版会 昭和55年刊】

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クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 北欧図書館研修

昨日の朝成田空港に到着して7日間の北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムの旅は終了した。今回の旅はある書店の企画に参加して実現した、言わばグループ学習旅行の類い。
フィンランドのヘルシンキとスウェーデンのストックホルムにある、
フィンランド国立図書館(https://www.kansalliskirjasto.fi/en)、
ヘルシンキ大学中央図書館(http://www,helsinki.fi/kirjasto/en/home/)、
パシラ図書館(http://www,helsinki.fi/kirjasto/en/home/)、
ライブラリー10(http://www,helmet.fi/library10)、
ストックホルム市立図書館(https://biblioteket.stockholm.se/en)、
スウェーデン王立図書館(http://193.10.12.180/english)、
ウプサラ大学図書館(http://ub.uu.se/?languageld=1
シーサ図書館、
の計8館の図書館視察である。視察団は合計21名(図書館人や図書館と関係が深い人それに事務局5名、ツアーコンダクター)の混成チーム。筆者はせっかくの機会だから“何でも見てやろう”精神でビデオを片手に持ちもっぱら撮影隊風。ビデオ、携帯カメラ、デジカメそれにipadミニの代替カメラも持参した。図書館の視察・研修内容については視察団の中にはそれぞれ専門家もいるので、そちらに譲ることにして(ビデオで大半は撮らしてもらったので、図書館の視察・研修内容が知りたければこちらでカバーできる)筆者の関心度合いをリアルに綴ることにしよう。

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【写真: フィンランド国立図書館前の大聖堂】

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【写真: 図書館内のプレゼン場所の壁にあった写真】

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【写真:: 図書館内フレスコ画の下の見事なまでの書架】


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超人の面白ラーメン紀行 252 黒須&KAMUKURA and so on

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写真は神田神保町界隈にあるラーメン店『黒須』(神保町3-1-19)の特製醤油ラーメン(1030円)と横浜ジョイナスにある『神座飲茶樓 ラーメン・点心・飲茶』(KAMUKURAラーメンの中華風特化店)のラーメン定食(980円)、小籠包添え。生姜を小籠包の上にのせ、店特製のタレをつけて食べる。前者は隠れ家的なラーメン店でスープがチョ―まろやか、後者はフランス料理的なブイヨンベースのラーメンで甘い。トッピングの白菜がやや硬いのが難、やはり大阪で食べた味とは異なっていた。一方では一人孤独にラーメン道を追究、他方は奈良が本店で関西から関東などへ進出して店舗拡大中のラーメン店、その違いは、ラーメンのキラリとした個性が光っているかどうかか―。

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追記 神保町新参組の一つ、喜多方ラーメンの肉そば醤油。バラ肉と海苔の追加トッピングも。締めて1080円也。不断は脂を入れないが今回ほんの少しだけトッピングしたのだ。味が刺激的だ。肉はそれぞれいい主張はしているが、太めの縮れ麺がもう少し何とかならんか、と思いながらも完食。(2018.9.3 記)

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追記2 三崎町の『つじ田』の特製つけ麺(1080円)。チャーシューは豚ロース。まあまあイケた。勝本のつけ麺とも違った舌触り(2018.9.16 記)。

追記3 昨日久し振りに『さぶちゃん』で半チャンラーメンを食べようと思い出かけたが店は閉まっていた。で、隣の定食屋に入って鯖定食を食べた。店の人によると、『さぶちゃん』は去年の夏頃に高齢のため廃業し今は特老に入っている由。また一つ名物店が消えた。『さぶちゃん』のことはこのコラムで大分前に書いた。そのコラムを読むはこちら→
http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2006/11/_52_36c6.html(2018.10.5 記)。


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追記4 神楽坂にあった出版関係の団体などが入っている出版クラブが神保町に移って新築のビルで開業した。その1階に洋食スタイルの鶏系レストラン『kururi』がオープン。偶然に入って鶏そばセット(980円。単品だと860円)を頼んだ。食前酒の果樹酒、生野菜それに鶏そばである。鶏そばは8時間煮込んだ鶏むね肉のスープ(チキンブロス出汁というらしい)に細麺、トッピングには低温調理の柔らかいむね肉2切れ、厳選された茹で玉子、酢漬けの野菜がほんの少々それにライムが品良く並んでいた。緑色の輪切りのライムの舌触りが微妙で、端麗な鶏スープにいくらか酸っぱさが少し残るような感じだ。今までの鶏系ラーメンとは些か趣が違う。少し上品で少し物足りないような端麗系ラーメンである。値段も高め量は少なめ。メニューはこの他に2種類と少ない。ここが初めての出店だとか。神保町では珍しいスタイリッシュな店だ。(2018.10.19 記)

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超人のジャーナリスト・アイ 172 世界的な異常気象 続

相変わらず世界的に異常気象が続いていて甚大な被害をもたらしている。下記はアメリカのNPR(アメリカ公共放送)のカリフォルニアの山火事の記事から。史上二番目の山火事で死者まで出ている。少し前にワインの産地のナパも山火事でやられて大きな被害が出たが、今度はその北の方。異常乾燥が原因で一大山火事が。詳細な記事を読むはこちら→

https://www.npr.org/2018/08/06/635983535/photos-as-one-california-wildfire-ebbs-another-explodes

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クロカル超人のカツオの話 19 今年はカツオ虫が多く刺身が食べられない ?

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今年はカツオ好きにとっては不運の年かも。例年より捕獲できないせいか値段が高い、それに輪をかけてカツオ虫が頻繁に出現している。ある“大手スーパーの鮮魚売場”では2ヶ月前から生のカツオを売るのを中止していて今年一杯は販売しないと売場の人が語っていた。こんなことは今まで聞いたことがなく初めての経験。7月中旬に仕事でいわきに行った時に、駅前の鮮魚店で皮付きのカツオの刺身をゲットしようとしたら、保健所から回虫がいる可能性が高いので皮付きの刺身の販売を控えるようにと言われていて店では出せないのだという。店にはその貼り紙もあった(特に皮付きカツオには皮と身の間に回虫がいて食べるには危険だという)。仕方なく普通の刺身をゲットしたわけだが、いわきの刺身は特別に鮮度が良くやわらかった。わずか1泊2日のいわき滞在だったが、カツオの刺身は昼と夜、3回ほど食べた。さて、カツオの寄生虫は無害のテンタクラリアが普通だが、サバやサケに多い、胃に入れば胃壁を破るほどの有害な回虫のアニサキスがカツオに寄生していて、その数が多いので要注意となったようだ。筆者はまだあたったことはないが身内に2度ほどあたって大変な目にあった人もいるのだ。
写真のカツオは、一昨日スーパーに入っている“魚屋さん”からゲットしたもの(神奈川産。880円)。まあまあの味。薬味はアオトウガラシ、ニンニクそれにショウガ。カツオを安全にかつ安心できるように食べるには熱処理や冷凍処理をすると良いそうだ。残ったカツオを揚げて食べるのもまた違った味わい方だ。

追記 別なスーパーで購入したカツオの刺身(背、三陸南部沖、598円)。うまっ。(2018.8.5 記)

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超人のジャーナリスト・アイ 171 世界的な異常気象

Viktigt meddelande till allmänheten om skogsbränder på flera håll i landet.
今日スウェーデンのインターネットラジオ放送を聴いていたら、上記のような警告が掲示されていた。「国の数ヶ所の山火事について住民への重要なお知らせ」とあった。また、「庭でのバーベキューは禁止」と。その記事を読むはこちら→https://sverigesradio.se/sida/artikel.aspx?programid=83&artikel=7000326

朝出掛けに世界の短いニュースをNHKBSでみるのが日課になっているが、アメリカのノースカロライナなどでは大洪水、ニューヨークのハドソン川では溺れた人もいて救出中とか。ギリシャのアテネでは山火事で多数の死者、韓国でも猛暑と報道されていた。更にネットニュースではアラブ首長国連邦では52℃、スウェーデンではこの季節は普段20℃位が30℃に、カナダのトロント州では熱中症で多数の死者、ロシアの北極圏の沿岸部でも高温、氷が更に解けているのは間違いない。ドイツやフランスでも猛暑と世界の終わりを告げるような異常気象が世界的に広がっているのだ。スイスの世界気象機関が注意を呼びかけていて、この地球温暖化による異常気象は、やはり二酸化炭素排出が原因と指摘、世界規模で考えないと大変になると警告している。

ちきゅうはおこっている。
はやくなだめないとておくれだ。
みんなてをつなげ。
みんなのちきゅうが
わらえるように。

さて、今日は少しは涼しいと思いきや、この時間になって暑さが振り返している。こういう時には昼食は少しばかり涼を感じるつけ麺に限る。ミシュランガイドで星一つを獲得してから行列のできるラーメン店に変身した店へイコカ。
で、食べたのは少し高い細麺・太麺とやわらかチャーシューがたっぷり味わえるつけ麺だった。

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「特製つけ麺」(1,030円)


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クロカル超人が行く 218 草野心平生家・小川郷駅・好間三野混沌生家の詩碑

先週用事があってS先生と草野心平ゆかりの地、いわき市上小川や好間を訪ねた。

故郷は切り取ったストップモーション。
そこにはいつまでも変わらない風景があったが。
変わりつつある風景もまた新鮮だった。
故郷は遠かったり近かったりだ。

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①草野心平生家
午後5時頃訪問したので閉館していた !
本当は家の中の心平の机も見たかった。
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②草野心平生家内の碑

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③JR磐越東線小川郷駅内
本当に久しぶり。その昔はバス亭もあったが。

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④詩人草野心平の筆による三野混沌の詩碑
「天日燦として 焼くが如し 出でゝ働かざるべからず」

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⑤詩人三野混沌(吉野義也)生家
いつかは来てみたかった菊竹山。カーペンターズと
書かれた旧居はもっと奥の方だと教えてくれたのは
近所のおばさん。8軒ほどだったのが今や40何軒あるらしい。あいさつで伺った折のご子息は混沌似。敷地は想像したより広い。混沌の詩集『否』は筆者の書棚にある。
👀①~③は草野心平記念文学館のOさんのガイドつき。①~⑤のいずれの写真も筆者が撮影したもの。

蛙よ

口笛をふいて

寂しい月蝕をよべ

花火をかこんで

青い冷や酒を傾けよう
(『月蝕と花火』序詩)

―『草野心平詩集』(エッセイ 重松 清 ハルキ文庫 2010年)

尚、小川町高萩にある「草野心平記念文学館」では現在開館20周年記念夏の企画展「宮澤賢治展 ―賢治の宇宙 心平の天―」を開催中。8月26日まで。手帳に書かれた「雨ニモマケズ」の原稿、書簡類、心平が関わった詩誌類など貴重な資料が展示公開されている。学芸員の本気度が感じられ、一見の価値あり。詳細はこちらを参照されたい→http://www.k-shimpei.jp

追記 余談だが、この文学館にあるレストランは店主がユニークでレパートリーは少ないがなかなか凝ったものを供してくれる。


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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』最終回

終章の「横浜学」では今までの7つの物語とは違って本書の締めとして全体的なアプローチの仕方に触れている。最近地域研究や地方史研究が盛んになる一方、グローバルに捉えようとする歴史学の新しい枠組でのアプローチも行われている。いつだったか、雑誌『思想』で中堅の歴史学者たちが戦後歴史学の時代区分の新しい分け方を提案していた。また、一部の出版社のPR誌で周辺領域を含めた歴史学の見直しを試みるエッセイも書かれている。戦後70年以上経過した現在、歴史学も新たな時代を迎えているということなのかも知れない。換言すれば、中心が少しズレ周縁よりになった感じだ。遺跡の科学的発掘とITを駆使し図解解析を容易にした追跡調査や古文書の卓越した解読と発見が次々と現れ今まで半ば常識化した歴史的な事柄が少しずつ塗り替えられているのだ。テレビやゲームそれに中高年の“歴史散歩”が歴史ブームに拍車をかけているのも事実だ。そして何より歴史は民衆史の視点を忘れてはならない。それと民間学―。著者が本書で言及している鹿野政直の唱えた歴史学の方法である。かつては大阪学を唱えてベストセラーになった学者もいた。立命館大学の地理学科は京都学を唱えて“営業中”だ。東京圏といえば、比較的活発なのが「多摩学」だろう。「多摩学」に関係する小冊子は何冊か筆者の手元にある。読んでみると目から鱗の事柄も。
本書はフェリス女学院大学国際交流学部のテキスト用に編まれているが、新書版サイズは一般読者にも手軽で読みやすい。著者は前任者の高村直助先生から引き継いで「横浜学」を今も講じている。横浜を身近に知る好著。最後は著者に倣って。Think locally, Act globally ! (2007年3月刊、フェリス女学院大、新書版、206頁、700円+税)

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リトアニアビール Gubernija社製「Tamsusis elisタムスシス エリス」

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リトアニアは知られざるビール大国。グベルニア社製ビールの「タムスシス エリス」を平塚七夕祭り開催中の7月7日にリトアニアのブースで呑んだ。テイクアウト禁止でこのブース七夕祭り期間限定初発売。一杯700円。やや高価だがこれが意外とイケた。黒ビール系でギネスより苦味が少なく、日本の黒ビールよりうまいかも。2杯呑んであとは赤ワインを一杯。ワインもイケた。意外とやるじゃん、リトアニア!平塚市が2020年オリンピック・パラリンピック競技大会でリトアニア共和国の事前キャンプ地に決定し、様々な交流を進めていてビールなどの販売もその一環。そのほかブースにはキビナイ(ミートパイ)や工芸品も販売していた。リトアニアのアリートゥス市からRytatoという8人の少年少女グループがリトアニア・ツィター(弦楽器)、パンパイプ、ホーンパイプそれにバイオリンを演奏した。残念ながら会場が違うのでこちらはパスした。

平塚七夕祭りちょい見。

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 7

横浜大空襲の被害の数字を眺めるとその被害の大きさが解るので本書から拾ってみよう。死者3649人、重傷1655人、軽傷8542人、行方不明309人、罹災者311218人、当時の人口比からすると二人に一人が罹災。民家の被害は中区、南区、西区、神奈川区に集中し約80000戸が全焼、その後の調べで死者は7000人から8000人と推定されるという。ここでの注目は
京浜急行電鉄の横浜駅と戸部駅の間にあった旧平沼橋の話だ。1944年に廃止されその後横浜大空襲で焼け落ちたホームと鉄筋の残骸は残っていたが、今は撤去されてないそうだ。アメリカ軍の爆撃機B29による攻撃は、戦略的で容赦ないものだった。そういった意味で旧平沼橋駅の残骸は歴史的証拠で貴重な戦争遺跡、移築して残しておけば良かったと思うのだ。これこそ横浜各地に残る戦没者の碑とともに“戦争と平和”を考える生きた教材として役に立つのに―。
尚、この横浜大空襲の話は、小堀 聡著『京浜沿線の近現代史』(クロスカルチャー出版 2018年12月刊行予定)でも言及される。
港北区の慶応義塾大学日吉校舎の地下にある、旧海軍軍司令部がおかれた巨大地下豪の話や病院として使われたフェリス女学院の地下豪の話しも戦争遺跡として貴重だ。日吉の巨大地下豪は機会があったら一度見学したい。
第7章の「占領のまち横浜とザンダー先生」。パイプを加えたマッカーサーが厚木飛行場に降りたときから横浜は「占領のまち」化した。横浜市内に互楽荘(慰安所)、日本造船大丸谷寮(慰安所)やエキスプレスビル(バー)や大阪商船ビル(キャバレー)などの「進駐軍将兵慰安施設」が設けられるも、米兵の間に性病が蔓延し、GHQは民主化の一環として「公娼制度廃止」を指示せざるを得なかった。遊廓の公認を禁止した。日本政府はこういった施設をつくることによって一般女性にまで被害が及ばないことを目論んだが失敗に終わり、まちに「パンパン」(映画、舞台、詩、写真集それに漫画などのモデルになった“メリーさん”はつとに有名)など街娼があふれることになる。これを機にやがては「売春禁止法」が制定される。筆者的には著者が書いている「二業街」(芸者や料理屋を中心とする歓楽街)には興味大。そう、大昔まだ都会に出始めの学生時代の頃、アルバイト先のオーナーに夜半伊勢佐木あたりの食堂(?)に連れて行かれ、そこで目にした光景は、白衣を着たやや年増の女性が給仕している妖しくも不思議な光景だった。これが「二業街」だったか。
そういった占領時代にGHQの兵士たちの振る舞いが横暴さを増すなか、フェリス女学院と極めて縁の深いヘレン・ザンダー女史がいたことは救われる。リンゴの代金支払いや少年を野球場に連れて行った話は感動的だ。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 6

第6章の「戦争遺跡が示すもの」に入る前に、直近のテレビニュースから一つ。毎年夏が近づくと戦争関連ものが話題になるが、今年もその類いのニュースが飛び込んで来た。福井県の若狭湾でナチスドイツのUボート(Unterseeboot 潜水艦)が発見されたニュースだ。日本に製造依頼(川崎重工)して出来なかったもの。戦後すぐGHQによって沈められたという。前章でナチスドイツに触れたがまさしく「戦争遺跡」、3年前には戦艦「武蔵」がフィリピン沖でアメリカの富豪マイクロソフトの創業者ポール・アレン氏よって発見され話題になったことも記憶に新しい。
さて、この章では「戦争遺跡」の簡単な定義に始まって、原爆ドーム、戦争遺跡の種類、横浜の戦争遺跡、日吉の巨大地下豪、横浜の大空襲の傷跡それにフェリスと戦争を扱っている。やはり日吉の地下豪と横浜の大空襲が見逃せない。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 5

野村家の援助で1936年に長女ヨアン、翌年にゴッドフリートが横浜の病院で生まれる。ヨーンもドイツ人弁護士の事務所で働く。日本はドイツほどにユダヤ人を排斥せず、むしろ豊富なユダヤ系資本を利用して局面を打開したいという思惑があるから、ヨーロッパから満州や上海経由でやって来るユダヤ難民を積極的に受け入れる。その大半は自由を求めて北米へ出国する。当時神奈川県内でポーランドから289人、ドイツから47人など354人のユダヤ難民がいたそうだ。著者は所々にマリアの回想録を挟み、1930年代~1940年代の戦前・戦中・戦後において時代に翻弄されていくマリア一家の動向を描く。あの“ゾルゲ”にも一度だけあったと回想録に書き残しているが、当時のナチスドイツ政権下のドイツ大使館員もマリア一家を手助けしている。ドイツ人、日本人それにアメリカ人といろいろな人に助けられながら横浜、茅ヶ崎、軽井沢、茅ヶ崎と転々する。そして戦後自由を求めてアメリカに渡ることになる。なるほど、この手の話としてはリトアニアのカナウスで6000人余のユダヤ人にビザ発給をした外交官杉原千畝の人道主義はあまりにも有名だが、著者も言っているようにそれだけではない歴史に埋もれた民衆の有様を掬いとることもまた大事なことなのだ。その実例がドイツの家族の物語だ。さて、横浜生まれのゴッドフリートさんは大学で何を研究していたのだろうか、筆者的には大いに興味あるところだ。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 4

第4章は「シアトルの石灯籠とバラ」。関東大震災の見舞金のお返しに横浜市がシアトル市に石灯籠を贈り、また、シアトル市が2000本のバラの苗を贈った話。いい話である。まさにgoodwill diplomacy。その重たい石灯籠を運んだのが移民船としても有名な日本郵船の船。つい最近では高円宮家3女の絢子さまと婚約したのが日本郵船の社員だ。ということで日本郵船の社員の名前が大きく報道され一躍時の人に。その日本郵船株式会社は1886年(明治19)に創立、戦前最大の輸出品生糸を主に運搬したことで知られる。北米航路のほか欧州や豪州の三大航路を開設 し、北米航路では日本から移民を運びやがてはシアトルに日本人町を形成するほどに。話は逸れるがこの欧州航路を利用して横浜からマルセイユ経由でロンドンに留学したのが詩人で英文学者の西脇順三郎である。
さて、戦争を挟んで紆余曲折するが、日本郵船の日枝丸が運んだ石灯籠はシアトルに、お返しとして贈られたバラは横浜のこども動物園で健在だという。日米を跨いだ市レベルの交流史である。
第5章はユダヤ系ドイツ人故にナチスドイツから逃れて翻弄する家族の物語。著者は2001年春にカナダのヨーク大学の教員ゴッドフリート・パーシェ氏に会い、母が書いた回想記「Our Thanks to the Fuji-san」をもらった。それをもとにドイツから来た家族を紹介している。本書に沿って追おう。ゴッドフリート・パーシェ氏の母親は、ドイツの貴族出身で名はマリア・テレーゼといい、ヒトラー政権樹立の1933年にベルリンで東洋学を志すヨーン・パーシュという青年と結婚する。その青年の父親はユダヤ人でかつ祖父が社会主義者。ニュルンベルグ法(ユダヤ人の市民権を剥奪したりユダヤ人との結婚を禁じた法律)成立の前年1934年にドイツを離れる決心をする。オランダそしてロンドンに渡り、そこで当時横浜正金銀行ベルリン支店駐在員よで休暇で一時帰国途上の久米邦武・多賀子夫妻(久米邦武は『米欧回覧実記』を編纂した人。筆者はかつてこの岩波文庫版『米欧回覧実記』を持参、読みながら最初のニューヨーク行きを敢行した。1980年代半ば過ぎだ。ある先生が久米編纂のは間違いがあるとしきりに言っていたが、何年か前にその内容を照合して修正した本が慶応大学出版会から出た。水澤周『現代語訳 特命全権大使 米欧回覧実記』だ。何度か買おうと書店に足を運んだが高額なので買えず。今は廉価版も出ている)、娘寿賀子に出会う。久米邦武は真珠王木本幸吉の甥、妻多賀子はホテルニューグランド、サムライ商会などを経営する日本有数の実業家野村洋三の三女だった。日本郵船の欧州航路で横浜へ、ホテルニューグランドに投宿した後野村家の別荘を提供される。ここまで来ると出会いが運命的で日本人のもてなしも卓越していると言わざる得ない。度量が深いのだ。さて、その後。横浜ニューグランドに投宿した時のマリアの回想記。トーフ入りの味噌汁に馴染めなかったのか、クリームを入れて飲んだと。木の風呂や海苔がまだとれた時代の様子も。戦前の横浜の生活の様子が書かれていて面白い。それこそ詩人西脇順三郎の夫人だったマージョリーさんの挿絵が入ったキャサリン・サンソム著『東京に暮らす』を彷彿させる。時代もそう違わない。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 3

第3章の「関東大震災と朝鮮人」で小見出しを拾うと、関東大震災発生、軍隊の出動、流言の発生、横浜の流言飛語、フェリス生徒のみた震災と朝鮮人、「不逞日本人」、朝鮮人に対する偏見、朝鮮人の犠牲者たちそしていま学ぶべきこととなっている。
つい最近大阪北部地方を中心にマグニチュード6.1の地震があり犠牲者も出た。大阪でこれほどまでに起きた地震としては、1596年の豊臣秀吉の伏見城築城時以来とか。なんと420年以上経っての地震だ。そしてSNSなどでは少なからず流言も出た。地震大国日本は、昔から地震やそれに伴う津波災害を受け、その都度復興してきた。それはこの風土に生きた先人たちの知恵である。記憶に新しい東日本大震災・福島第1原発メルトダウンは甚大な被害をもたらし改めて自然災害・人災の恐ろしさを痛感、特に福島第1原発のメルトダウンは瞬時に世界の知ることに。「備えあれば憂いなし」を心掛け「楽観バイアス」(昨日の毎日新聞日曜版海原純子のコラム「新・心のサプリ」)に陥らないことだとか。
さて、近年の大地震はやはり1923年(大正12)に起きた関東大震災だろう。その時朝鮮人に対する流言が流れたことはつとに有名だが、本書は横浜での動きを統計などを駆使して追っている。その一部。

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これで見ると著者も言っているように、集中度からいえば横浜は東京以上の大きな被害を受けたことになる(本文P.62)。そして朝鮮人に対する流言(デマ)。コトの真相は山口正憲を首領とした「横浜震災救護団」を名乗って略奪や暴行をほしいままにした一派の暗躍によるものだという。それではなぜパニックを起こさせるような流言が起こったか。それは第一次大戦による好景気で京浜工業地帯が発展し、労働力として朝鮮人が移住してきたからだ。低賃金で働かされたのである。と同時に、底辺で働く日本人労働者の職を奪いかねない存在となり、植民地支配の優越感や差別感情とつながって朝鮮人を敵視し排除する方向に。日常の不安がそうさせたと著者は書いている。専門家の研究では朝鮮人の犠牲者は2000人あまりだという(本文P.81)。最近のヘイトスピーチなど隣国に対して不寛容さが目立つが、過去の悲惨な出来事を歴史的事実として受け止め向き合い、決して歪めることなく相互交流・理解を深めていくことだ。江戸時代には朝鮮通信史の善隣外交が12回も続いたのだから。その中心人物雨森芳洲の朝鮮語読本は立派なものだ。筆者は20年以上前に彼の生誕の地滋賀県高月町の記念館を訪ねてその現物を見たことがある。著者もこの章の終わりで国際交流の重要性を説いている。(続く)

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超人の面白読書 132 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』 2

第2章の「二つの開港記念日」は、長らく横浜史編纂に関わった著者でしか書けないややマニアックな事柄だ。それは行政史料などを丹念に読み込んでコトの経緯を調べあげた成果(明治大正期、開港50年祭は7月1日に実施していたが、1928年2月の市会で横浜港開港日の1859年7月1日は、日本の暦では安政6年6月2日だとの理由で開港記念日をこの日に決定し変更された。戦時中一時中止を余儀なくされたものの、戦後1950年に復活、1979年には市制90周年・開港120周年祈念式典が行われ、1981年、日米和親条約締結の地、大桟橋のたもとに横浜開港資料館がオープンした。―本文56頁から一部抜粋)だろう。この件に関して著者が開港資料館の研究員の言葉を紹介していたが、これが妙にリアリティーを持つから不思議だ。当時の有吉忠一市長の誕生日が6月2日との単純な理由からだったと。誕生日なら普通は忘れない。いかにもありそうな話だ。(続く)

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超人の面白読書 133 大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』

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大西比呂志著『横浜をめぐる7つの物語』は、副題が地域から見る歴史と世界、と付いているように、港ヨコハマの内と外のつながりを幕末から現代まで分かりやすく繙いた、新書版フェリス ブックス シリーズ、約200ページの近現代史。著者は前任者から引き継いで長らく大学で横浜学を講じている。分かっていることは更に確認することで掘り下げ、また、“知らなんだ”ことは知識の幅を広げることに一役かって豊穣に。読書はほんの些細な書物から啓発されることや再発見することがしばしば。その度に己の無知を恥じるのだが止められない。それが時間を割いた読書の醍醐味である。それはさておき横浜学の書評だ。

第1章 横浜の風車とあるデンマーク人
第2章 二つの開港記念日
第3章 関東大震災と朝鮮人
第4章 シアトルの石灯籠とバラ
第5章 ドイツから来た家族の物語
第6章 戦争遺跡が示すもの
第7章 占領のまち横浜とザンダー先生

実は第1章のデンマーク人と風車の話が、毎日新聞神奈川版連載第1回目に登場して興味深く読んだ(その記事を読むはこちら→「横浜の中の世界 ①コスモポリタンたちの現代史」)。
そのネタがこの本なのだ。現在会社の役員をしている子孫がいることまで足跡を辿っている。風車windmillは風頼りで他力本願的、色鮮やかでどこか19世紀的なのどかさがある。生活用水に欠かせない実用的な風車だが見た目はメルヘンチック。しかし、デンマーク人グランが横浜山手のフェリス学院に建てた風車は街にマッチしたと容易に想像できるが、グランが日本人と結婚して横浜の郊外の田園風景(都筑郡田村)が広がる小高い丘に風車を建てたことは、当時の地域の人々にとってはさぞビックリしたに違いない。いやいや、著者が書いているようにその地域の目印landmarkとしても威力を発揮したかも。折しも今年は日本デンマーク交流150周年でこれを機に日本で活躍した新たなデンマーク人が掘り起こされるかも。北欧に興味のある筆者には本書の第1章は大変興味深い。デーン人の面目躍如といったところだろうか。(続く)


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スウェーデンの夏至祭 midsommar 2018

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【写真: ①夏至祭を祝う ②すばらしい夏至祭 ③夏至祭に多くの雨】

日本は今梅雨。今朝は梅雨の晴れ間で快晴、気温も真夏並みに。ところで、スカンジナビアでは今は夏至祭で休日だ。
その一コマをスウェーデンの小さな新聞記事『8 sidor』から。

『8 sidor』の記事を読むはこちら→http://8sidor.se/sverige/2018/06/glad-midsommar-2/

つい最近スウェーデンの第3の都市マルメの中心にあるカフェの前で襲撃され、3人が射殺され3人が怪我した事件が起きたばかり。いずれも20代の若者で仲間の抗争らしいが、物騒だ。マルメはスウェーデン南部の港湾都市(デンマークとはエーレスンド橋【英語 】Öresund Bridge: 【瑞語】Öresundsbron 【丁語】Øresundsbroenで結ばれ、そのスウェーデン側がマルメ)として栄えるも、90年代にはその経済が失速、最近では回復しているらしい。市には裕福層と貧困層の格差も広がっているとも。マルメといえばベルイマンの舞台や映画と馴染みが深い地、1998年にはマルメ大学も創設されている。筆者は知らなんだ。この大学には日本では考えられないユニークな国際移住民族関係学部がある。

追記 スウェーデンのマルメに言及した記事が『図書』2018年7月号に載っている。執筆者は哲学者でスウェーデン文学の翻訳者でもある。その記事を読むはこちら→「冨原眞弓『1968年、戒厳令の夜、マリはプラハを去った』」 この1968年の「プラハの春」では筆者も当時チェコにいたペンパルが国外に脱出して最初はボルゴグラード(昨夜FIFAワールドカップロシア大会で日本とポーランドが対戦したサッカースタジアムのある都市)にいたがそれからイギリスに渡った。それはイギリスから届いた手紙で判明したのだが、そのあとは消息が途絶えた・・・。で、それっきり。チェコ語の辞書まで贈ってくれた。その辞書は今筆者の本棚にある。その女性ズデンカさんは今何処?
筆者の関係でも「プラハの春」で翻弄された人がいたのだ。(2018.6.29 記)


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超人のジャーナリスト・アイ 172 大阪北部地震での流言

最近千葉県で地震が多発していてそのうち大地震が来るのではと考えていた矢先に、今朝(2018年6月19日午前7時58分)大阪北部を中心としたマグニチュード6.1の地震が発生した。この地震で9才の子どもを含め4人が犠牲に、300人以上が負傷した模様。ちょうど通勤電車の中で1923年(大正12年)の関東大震災、横浜の被害についてある本を読んでいたのだ。それは日本の近現代史では有名なコリアン暴動の流言(デマ)の話だったのだが、この大阪北部地震でもやれ京阪電車が脱線したとかご丁寧に矢印写真付で大阪京セラドームの屋根が崩壊したとかの流言(デマ)がSNSなどで流れたらしいのだ。実際はフェイクだった。現代はSNSなどでいとも簡単に拡散できるから尚更怖い。

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超人のジャーナリスト・アイ 171 シンガポールでの米朝首脳会談

2018年6月12日午前10時、シンガポールのホテルで史上初の米朝首脳会談が行われた。焦点は北朝鮮の完全非核化と朝鮮半島の平和維持それに金正恩体制の保証等だったが、結果は期待していたほどでもなかったようだ。完全な非核化に至るまでの道筋はまだまだで、これから決めていく感じだ。では、何が話し合われたかだ。詰めるまでには時間が足りないということなのか。来週にもトランプ大統領の側近が平壌に飛び更なる具体的な完全なる非核化の詰めに入るという。経済制裁はまだ続けるといい、一方で米韓合同演習は止めて駐留軍隊を引き上げるとも。記者会見でトランプ大統領は、莫大な経費の削減にもなるとも述べた。やはり“政治ショー的”色彩が濃かったと見るべきかも。特にトランプ大統領と金正恩委員長とが二国の国旗を背景に歩み寄りちょうど真ん中で握手するシーンは、世界中に映像が配信された。見事な演出と言わざるを得ない。また、トランプ大統領の記者会見が始まる前アメリカが用意した北朝鮮の近未来を描いた短いビデオが流された。非核化後の北朝鮮の経済発展を促すビデオだ。共同宣言では結局北朝鮮の体制維持は盛り込まれたものの、あれだけトランプ大統領が強調した完全な非核化は具体的には盛り込まれなかった。日本の拉致問題も言及されたがあとは二国間で交渉を、とのようだ。帰国直後のトランプ大統領が記者から人権無視の北朝鮮金委員長は大丈夫かと質問され(2018年6月14日朝8時台のNHKBS世界の放送局から。ABCテレビ)、一方で、北朝鮮の国営テレビは首脳会談の成果を強調していた。今後の推移を注視するしかないようだ。拉致問題を含め対話路線で朝鮮半島の実質的な平和と朝鮮戦争の終結を一早く実現してもらいたい。それにしてもワーキング ランチは質素なものだった。ともかく世界中から3000人もの報道人が集結した(日本のテレビもキャスターを現地に送り込んでいたが・・・)一大政治ショーは終わった。“チビっ子 ロケットマン”と“老いぼれ”と互いに罵り合って、一触発の危機もあったアメリカと北朝鮮だが、1年後にこうなるとは誰も予想だにしなかったことだ。平和への道は確かに一歩前進したのだ。たとえ中身が薄くとも。要はこれからが勝負だろう。ディールだけを考えずに、互恵関係を築きながら根気よく続けていくことだろうか。

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超人の面白ラーメン紀行 251 再びの東急池上線大崎広小路駅『平太周 味庵』

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11年振りの再訪。しっかりとやっていた!店員に外国人風の人がいた以外は以前とそれほど変わらない様子。カウンターが黒光りしていて老舗の貫禄を感じた次第。この日は暑かったが店No.1の特製ラーメン(830円)を頼んだ。背脂たっぷり、麺はストレート、スープは濃厚豚骨醤油、トッピングのチャーシューもうまっ。それにしても見事な背脂である。
池上線大崎広小路駅『平太周 味庵』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気☆☆5.価格★☆


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超人の映画鑑賞 マルクス・エンゲルス(原題: THE YOUNG KARL MARX)

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日本でも20年以上前からか中間層が氷解し、新たに格差や貧困が社会問題化してきた。そして、最近ではアメリカや中国でも再びマルクスが注目されているという。そんな中、神保町にある岩波ホールで〈岩波ホール創設50周年記念・カール・マルクス生誕200年記念作品〉ラウル・ペック監督作品『マルクス・エンゲルス』(原題: THE YOUNG KARL MARX)を観た。若きマルクスに焦点をあてたフランス・ドイツ・ベルギーの合作映画。
時は1840年代のヨーロッパ。産業革命が生んだ社会のひずみが格差をもたらして、貧困の嵐が吹き荒れ、人々は人間の尊厳を奪われて、不当な労働を強いられていた。20代半ばのカール・マルクスは、搾取と不平等な世界に対抗すべく独自に政治批判を展開するが、それによってドイツを追われ、フランスへと辿りつく。彼はパリでフリードリヒ・エンゲルスと運命の再会を果たす。『共産党宣言』(この有名な本は、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」で始まる)の執筆に至るまでの日々を描く(この映画のチラシから)。マルクスとエンゲルスの共働の理論形成の様子や苦悩それに友情、それらに劣らず支えあう夫人たちの姿も観る者に感動を与える。筆者は昨夜の睡眠不足と仕事帰りのせいか少し居眠りしてしまった。気を取り直して観ているうちに、映画の最後のクレジットのシーンでボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の曲が流れたのにはプチサプライズ。この映画の現在性を強く感じた。
2017年/フランス・ドイツ・ベルギー合作/仏語・独語・英語上映時間118分。

追記 最新のマルクス関連記事二つを読むはこちら→「ひもとく カール・マルクス(朝日新聞)/マルクスと『心』の吟味(毎日新聞)」

追記2 南米のマルクス主義者といえばチェ・ゲバラがチョー有名だ。その チェ・ゲバラについては過去何度かテレビのドキュメンタリー番組で観ているが、先週の金曜日にもETVで放送していた。詳細はこちら→https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4471/1418010/index.html


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超人の面白読書 131 ジョージ・オーウェル『1984』 5

北朝鮮でまた金正恩委員長の親戚が脱北してヨーロッパへ逃亡、これを金委員長の命を受けた刺客が暗殺に動き出しているという。不穏な動きである。こういった人権無視の恐ろしい出来事がなぜ起こるのか、疑心暗鬼の独裁体制の不信感の果てなのか。私たちはほんの少し前の歴史を顧みるとき、旧ソ連や中国で酷い粛清が行われた、また、戦前の日本でも軍部が暴走して多くの犠牲者を出した負の遺産に遭遇するが、体制維持を金科玉条のように振りかざしたがる権力者をどうチェックしたら良いか、確か歴史から教訓を引き出したはずなのに最近ではその歴史が繰り返されようとしているような風潮が目立つ。日本国の政治も権力者の利害に絡んで政治が歪めら、改竄が行われた事実。そう、権力者へのそんたく、もりソバ・かけうどん問題だ。論理のすり替えなど巧みな政治手法で逃れようとしている。国民を騙し続けているのだ。まさしく『1984年』の2+2=5の論法だ。憲法が謳う「国民の幸福の追及」はどうなっているのか。

主人公ウィンストンが働いているオセアニアの党機関のテレスクリーン(双方向モニター。ジョージ・オーウェルの近未来を予測させる情報操作機器の創作)ではBig Brother is watching you. ビッグ ブラザーはあなたを見ている、という文字が流される。定期的に流される2分間憎悪と体操。党のスローガンは、War is Peace.戦争は平和なり Freedom is Slavery.自由は隷従なり Ignorance is Strength.無知は力なり、の皮肉たっぷりのdouble think二重思考である。(続く)

追記 『図書』2018年7月号に文芸ジャーナリストの佐久間文子氏の「ディストピア小説の現在」という記事が掲載されていてなかなか面白い。その記事を読むはこちら→「20180629161725.pdf」をダウンロード(2018.6.29 記)

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超人のラーメン紀行 250 大和市『らーめん久久』

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記念の250杯は大和市。予想だにしなかったこと。今や日本のラーメン店数は33000店以上。第1位は山形県らしい。
今回のラーメン店は、大和市立図書館から5、6分のところにある鶏白湯ラーメン店『ラーメン久久』。夏日を思わせる快晴の日曜日の午後3時半過ぎに店に入ったが、ガラガラで客はいず、店主(?)がカウンター右端にいたのみ。事前に少し調べた店の情報とは違っていたみたい。時間帯が時間帯、致し方ないか。
さて、ラーメン。初めて入る店では定番ものを食べるのが筆者の流儀。こくまろ鶏らーめん(650円)を頼んだ。久しぶりの鶏白湯(パイタン)ラーメンだ。白濁だが濃い。あおさ(海苔)をトッピングしてなめらかな味にアレンジ。麺はストレート系、まあまあ。トッピングはチャーシュー、メンマ、卵にネギと青菜、これもまあまあ。全体的にはごく普通の鶏パイタンラーメンである。先週食べた菊名のラーメン店はトンコツ系でごく普通の一杯(ここと値段は同じ)だが活気は2倍あった。開店5周年だそうな。下手な字でわけのわからない文言(この内容は陳腐すぎる、思いのたけは分からないでもないが)をウィンドウに貼るくらいなら、店内の別なところで(もっと整理してコンパクトにするとか)一工夫も二工夫もして活気を出してほしい。

大和市『らーめん久久』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★☆4.接客・雰囲気☆5.価格★★

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超人の面白ラジオ聴取 ヴァイオリニストサラ・オレイン

土曜日のFM放送の番組『Peace of Mind 土曜の朝のサラ・オレイン』(8時30分~9時)を聴いた。冒頭、 澄んでいて爽やかその上少しパワフルで始まった、アイスショーでのコラボ曲(彼女の歌は冬の時期が多いらしい)。今回で2回目。先週は映画音楽、今週はFIFA世界サッカー大会がこの6月にロシアで開催されるのにあわせて、世界から愛を込めてTo Russia with loveと題してロシア音楽をいくつか紹介していた。東大三鷹寮(サラは東大留学中は三鷹寮に住んでいた)の先輩の歌手加藤登紀子から紹介。彼女の唄う『100万本のバラ』はロシアの歌謡曲、『カチューシャ』や『トロイカ』など“dark”で影のある感じ(“哀愁”のあると言ったほうがぴったりするが。この辺の話は作家五木寛之の専売特許だ)の唄は日本人に馴染み深い唄、ディズニー映画『眠れぬ森の美女』の曲は実はチャイコフスキーのバレー音楽が元、また、エリック・カルメンの唄はラフマニノフの曲にインスパイアされたものと知られざるエピソードを披露。懐かしい『ローズガーデン』の唄も流れた(1968年アップルレコードから発売。当時FEN放送でよく流れていた!)。これもロシアのロマ(今は差別的意味合いがありジプシーを使わずロマを使用)は音楽に歌詞をつけたものだと。今秋田犬で話題のロシアのザギトワなどスケート選手を輩出しているロシアに憧れ、行ってみたいと思っていたが、なぜかモロッコに旅行してしまったと、オモロイ。本当かしらと本人は言っていたが、ロシアの血も流れているとか(そう言えば、大昔NHKテレビロシア語講座に講師として出演していたロシア人女性に似ていたか。その同時だから今はもういいおばあさんにはなっていると思うが。笑)。また、こんな話も。コンビニのレジでロシア人ですかと間違えられたが、コンビニを出たあと気づいて、ひょっとしたら領収書が要りますかと聞き違ったかもと、おー、恥ずかしいだと(真相は分からないがとも)。笑える、笑える。カワイイ!!番組の最後はサラの“From Russia with love”の曲で締めた。
番組のwebsiteはこちら→http://www.tfm.co.jp/peace/

追記 この番組をラジコ(ラジコradiko.jpでサラ・オレインを入力すると期間限定でこの番組を聴取できる)で再聴取した。いろいろな発見があって新鮮。

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超人の面白ラーメン紀行 249 東横線菊名駅『武蔵家 菊名店』

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東横線菊名駅『武蔵家 菊名店』のラーメン(650円)。豚骨醤油系だが、筆者的には少し塩辛かった。海苔が異様に存在感を示していた。
東横線菊名駅『武蔵家 菊名店』1.スープ★☆☆2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気5.価格★★


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超人の面白ラーメン紀行 248 世田谷『ベジポタ』

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世田谷線上町駅すぐそばにあるラーメン店『ベジポタ』(ベジポタ: じゃがいも、玉ねぎ、トマトなどの野菜をポタージュ風にしたものと豚骨スープを混ぜたスープのこと。ベジタブル ポタージュの略らしい)のつけそば(800円)。茶系の太い麺がもちもち感たっぷり、黄色系の汁もまろやか。美味。胡椒(写真右端)が後で効いたのにはサプライズ(喉元あたりに残っていたのかしら?)こだわりの胡椒だったか。それは太麺を茹であげるまで10分を要することでも分かる。カウンター7席の親子で商うこぢんまりした、優しい雰囲気の店。先に入ったT先生の目利きが良かったのかも。
世田谷『ベジポタ』1.スープ★★☆2.麺★★☆3.トッピング★★☆4.接客・雰囲気★★5.価格★★☆

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超人の面白読書 131  ジョージ・オーウェル『1984年』 4

旧訳本を借り出すことに成功して訳者の解説を読んだ。この小説が書かれた背景を新たに知ることができた。
『1984年』は、たしかに“スターリンのソヴィエト”に触発された反(ディス)ユートピアの権力世界である。それはあらゆる人間性の集奪の上に成立する不毛の世界―人間を人間たらしめない権力集中への告発であった。ハーバード・リードがいみじくも指摘したように、ユートピアを装った体制の中にひとつの悪夢を構築することで“1984年”全体を風刺したのである。たとえ真理省は現代を支配する巨大化マスコミ組織、ゴールドスタインの哲学はマルクス主義の歴史観(トロツキーの『裏切られた革命』を模したものといわれるが、オーウェル独得の権力観を展開したエッセイである)、ニュースピークは英語の簡略化をはかるベイシック・イングリッシュ(言語について一家言を持ってきたオーウェルは、文化そのものである言語の簡略化が持つ危険性を警告する)、カブト虫のような党員はいわば党官僚や技術官僚のカリカチャアなのである。もちろん、作品全体が『動物農場』と同じような風刺劇として描かれているわけではなく、それはまた、政治的ユートピアがいかに諷刺の対象となりにくいかを物語るものであろう。(P.420―P.421 旧訳解説からの抜粋)
さて、旧訳の解説を読み終えて、一応この小説の背景などをおさえたところで、原著に戻り、P. Davisonの【注】を再度読んだ。今度は注意深く。出版の裏側を知り得て興味深かった。この小説の仕掛けの最大のテーマの一つ、数式2+2=5の5が組版段階で脱落していたにもかかわらず、イギリスの出版社もアメリカの出版社もミスしたまま刊行してしまった事実、また、英語版と米語版では語法に違いも。しかし、何よりアルゼンチンでのスペイン語版での当局の削除要請は、1949年(昭和24年)当時といえ、あまりにも衝撃的である。該当の削除頁を当たってみると、当局にとっては表現が道徳上いかがわしいものと映ったのだろうか。【注】者も次のように鋭く指摘している。「我々の時代の強力な権力を持つ動きに直に抗う目的の小説の基本的な理念を損ねてしまう」。この小説の読み方の一つは、過激な仕掛けがあればこそさらに想像力を膨らませて、一つひとつ繙いていく過程の中に気づきを(たとえ絶望の淵を歩かされても)、ごく普通の営みの中に優しさを見出すことなのかも知れない。ジョージ・オーウェルは書いている。政治的なものと芸術的なものの融合が最後のこの小説に課したテーマだと。
旧訳解説の最後に訳者も書いている。「『1984年』はわれわれにとっても重大である。なぜならそこには人間の尊厳をおびやかす実体が普遍的な問題として予言されているからであり、未来のはらむ危機と現代の政治的な荒廃とか、権力の構造ないし論理をぬきにしてはまったく考えられないからである」

追記 水道橋駅付近の通りで社民党の元党首福島瑞穂議員に偶然遭遇。背が低いが愛想は良く身近なところで手を振ってくれた。気さくぅ。(2018.6.4 記)

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超人の面白読書 131  ジョージ・オーウェル『1984年』 3

作家のトーマス・ピンチョン氏が解説で「オーウェルは永遠の反体制派として、労働党がその自己矛盾、とりわけ、戦時に、保守派の主導する圧政的な政府に盲従し、挙国一致体制に参加さえした矛盾と向き合うのを嬉々として助けたに違いない。一旦その種の権力の味を覚えた労働党が、創立者の理念を信奉し、虐げられた者の側に立った闘争に立ち戻る道を捨て、権力の拡大を図るというのは、いかにもありそうな話ではないか?この権力の意思を40年先の未来に投影してみるがいい。そうすれば、最後に再度待っているのは〈イングソック〉であり、オセアニアであり、〈ビッグ・ブラザー〉なのだ」と書いているが、この小説の真髄を言い当てている気がする。
SF小説、近未来小説、政治小説、寓意小説、恋愛小説等々この小説は読み方によっていろいろとジャンル分けが可能だ。小説(新訳と原書併読)、映画、漫画、舞台と媒体を変換しながら、この小説の全体像に肉薄しようと試みる旅は、道半ばで小括の試みと旧訳に当たって新旧のニュアンスを確認するに至った。ところが、この旧訳本が絶版で手に入りにくく往生していたが(近くの公共図書館に借り出しを申し込んでも3ヶ月待ち状態)、かろうじて大学図書館で見つけて今ほっとしている。
『1984年』が1949年に出版されて来年で70年になる。オーウェルが描いたオセアニア、ユーラシア、イースタシア(彼が生きた1930年代―40年代の英国とアメリカ、ヨーロッパ、スターリンの旧ソヴィエト連邦と中国や日本の世界情勢、それは戦争と平和それにイデオロギーが対立する時代でもあった)を念頭に置きながら現状の世界情勢(約80年後の2018年)を一瞥すると、英国のEU離脱、プーチンロシアの独裁体制、トランプの独善的なディール外交とダブルシンクを思わせる政治、損得勘定それに唯我論的なアメリカ(一昨年、トランプの登場でその政治手法が『1984年』を彷彿させたのか評判になり本が売れた)、習近平の独裁体制の中国、不安定な朝鮮半島、中東アジアの紛争、アフリカの内戦等々不確実な時代が、国連の機能が空回りしているくらい、非核化・戦争放棄(たった今入ったニュース。北朝鮮が豊渓里の地下核実験場廃棄のため爆破と韓国通信社が報道。2018年5月24日午後8時過ぎだったが、さらに驚かされたのがアメリカのトランプ大統領が6月12日のシンガポールでの米朝首脳会談を中止したことだ。非核化の道は遠いということか。異例の北朝鮮の金委員長への書簡まで公開した。が、ここで事態は急展開、韓国文大統領と北朝鮮の金委員長が板門店で秘密裏に2回目の会談を行い、直後に今度はアメリカのトランプ大統領が、米朝首脳会談をする用意があると撤回した。どうなっているのか、先行き不透明で不可解だ)と平和維持の困難さを露呈したままなのだ。オーウェルの描いた世界とどう符合するのか。

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クロカル超人が行く 217 相鉄本線・小田急江ノ島線大和駅『大和市立図書館』続

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【写真上から: 大和市立図書館外観 案内板 2階の外には神社が鎮座】

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クロカル超人が行く  217 相鉄本線・小田急江ノ島線大和駅『大和市立図書館』

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【写真左: 大和市立図書館 『 図書館雑誌 』Vol.112. No.2 2018年2月号より 写真右: 館内。写真は全て筆者=撮影】

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2016年11月3日に場所を替えオープンした大和市立図書館。オープンして1年半、ハードとソフトの両面で画期的な試みが奏功したのか、300万人以上の来館者があり今や日本一の図書館に。何しろ今までの図書館のイメージを覆して縛りをなくし、自由に読書できる空間を提供したことがウケたらしい。逆転の発想もこうなるとアッパレというほかない。館内での飲み食いは自由、スタバとローソンも入って、芸術文化ホール、生涯学習センター、キッズが遊べる場所や小さな学び空間などもあり、子どもから大人まで読書しながら楽しめる、それが文化創造拠点SiRiUS、言わば、リテラシー改革の発信基地だ。心に響く・心が躍る・心をつなぐがキャッチフレーズ。地域の牽引力としての公共図書館の未来形(will)が少しみえた。
さて、入館。趣のあるがっしりとした旧館は何度か訪ねたことがあるが、新館は、周辺が整備されて更に駅に近くなった。外観は何となく“環境に優しい要塞基地”を思わせる”コンテンポラリーな建築物である。1階から6階までコンセプトが明確なレイアウト(1階~3階まではエスカレーターでそれ以上はエレベーター使用。もちろん階段も利用可能)、ブラウン系の落ち着いた棚の色、本や雑誌など大きな数字で分かりやすくジャンル分けして配置、快適に読書できるよう用途に応じた机や椅子の組み合わせ等々斬新な試みがいくつも目についた。5階には本や雑誌などが自由に検索できる端末機と貸出等が簡単にできる端末機が置いてある。スキャナー技術が進化し、その技術の応用が貸出や返却のシステムにもみられる。特に高校生のプチグループや中高年が目立ったが、キッズ連れのファミリーも。中には車椅子で来館した元気な年配者もいた。4階は健康都市図書館と命名された健康に関する本や雑誌が陳列されている。館内には健康をチェックできる器具やエクササイズができる器具まである。大和市は健康都市宣言を謳い、高齢者の健康維持で治療費などをおえる運動を展開中だ。その他に託児所施設も。一日中いても飽きない図書館だ。この図書館の詳細情報はこちらが参考になる→https://www.trc.co.jp/topics/event/e_yamato.html

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超人のジャーナリスト・アイ 170 スウェーデン アカデミーのスキャンダル

前回の作家シャスティン・エックマン女史の『A Public Space』記事で、スウェーデン アカデミーのことが書かれていたが、そのスウェーデン アカデミーで前代未聞のスキャンダルが起きて、今年のノーベル文学賞は中止になり、来年二人の受賞者を発表すると報道された。18世紀に創設された伝統あるスウェーデン アカデミーは、権威失墜を免れず建て直しに時間がかかる見通しだ。改革派と守旧派が激しく対立し、事務局長や会員の辞任が相次いでいるという。下記はスウェーデンの文芸ジャーナリスト、クリステル・デューク氏(夫人は2011年ノーベル文学賞受賞者のスウェーデンの詩人、トーマス・トランスロンメル氏の作品『悲しみのゴンドラ』の翻訳者)がこのスウェーデン アカデミーのスキャンダルの動向について毎日新聞に寄稿した記事。その記事を読むはこちら→「20180518123452.pdf」

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超人のジャーナリスト・アイ 169 ニューヨーク・ブルックリンの文芸雑誌『A Public Space』からつい先程メールで届いた最新情報にスウェーデンの作家Kerstin Ekmanの記事

忘れかけていたスウェーデンの作家Kerstin Ekmanの記事。やはりニューヨークの文学シーンには北欧文学は時折登場するのかしら。下記は本日メールで届いた『A Public Space』の最新記事から。Reflecting on Dissent Writing from the APS Archive.

Given the dialogues within and around the Nobel academy, we're revisiting our feature on Kerstin Ekman, who was profiled by Dorthe Nors in our pages:

The Work of Kerstin Ekman | Selected and Introduced by Dorthe Nors • May 2, 2014 Share:

Literature Begets Literature

All through my twenties I sat immersed in Kerstin Ekman’s novels. I believe she taught me to write. Now I have traveled to Stockholm to meet her. It feels like going back in time.
We have arranged to meet at Clas på Hörnet on Surbrunnsgatan, one of the city’s oldest restaurants (legend has it that the likes of King Gustav III and Sweden’s great eighteenth-century troubadour Carl Michael Bellman regularly let their hair down here). When I arrive Kerstin Ekman is waiting on a chair in the lobby. Famous people look like they do in pictures: her hair is white and neat, her deep-set eyes keen and kind, but with an air of authority too. The same authority with which she resigned from the Swedish Academy in 1989 because of what she saw as the laxity of its stance on Salman Rushdie’s fatwa. I sense that walking out like that wouldn’t have bothered her in the slightest. More likely it suited her fine to pull on a pair of walking boots and stride off into the Swedish wilds. Her literature is like that too.
*
Kerstin Ekman was born in 1933 in Katrineholm, a small, industrial town in the middle of Sweden. After studying German at university, she published several crime novels, but in the 1960s her writing changed aspect as she expanded the genre novel with grand, existential prose; and in the 1970s, with Women and the City, a series of trailblazing historical novels, she established her reputation as one of Sweden’s sharpest social critics and an important figure in a generation that radically changed the destinies of women, including women writers.

When I read Ekman’s books as a young woman I was very absorbed with the things she wrote about the importance of memory, not only to us as individuals but also for a narrative. The process of remembering is a big part of the narrative—that is life—and without acknowledging it we lose track. Reading her work again now, at the age of forty-three, I discover how much the plight of women stands at the center of the ouevre. I also realize that what she—and other Swedish artists—taught me was to stay in the painful process of creation. To be courageous. To stick to it.

At lunch Ekman is polite and discerning, though when she notices a dog outside the window, a golden retriever rolling in the snow, she welcomes the distraction. (Ekman loves dogs. Not only do they appear in all her books, but one of her novels, The Dog, even has one as its main character.) “Hello, there,” she says, tapping her finger against the pane. The dog looks at her gleefully.

“I prefer to sit at home reading and writing,” Ekman confesses when I ask her how she relates to the world abroad. Our fish is served and we crunch conspicuously on our toasted bread. “I haven’t traveled overseas that much to promote my books. I don’t consider I have the time. I’m an introvert. But I have traveled extensively in the Nordic countries, and some years ago I was in Germany, though I really hadn’t the inclination. There was a school reunion in Katrineholm to which I was invited and didn’t want to go, and then came this invitation from Germany that I could use as an excuse. It was because my old high-school sweetheart, whom I was so very much in love with at the time, was going to be there at the reunion. I couldn’t bear the thought of seeing him as a fat old man. I wanted to remember him as he was then, and so I went to Germany instead. It was hell, going from one bookstore to the next to do readings and then stand there toasting with champagne in the company of mayors. And when I returned home I was sent a photograph from the reunion—and there he was in the picture, so handsome. How fortunate I hadn’t taken part! Imagine what could have happened!

“So no, I haven’t traveled much with my books. I find it so much nicer being at home—I know that I have to write in my own way, and if I sit in a corner of the world and offer resistance, then that’s my way of doing things. One has to believe that someone will discover the things one writes. The valuable work always survives. Books have their readers, and from that moment things can take a turn, things of a literary or political nature, or something else entirely. I believe that. If I didn’t, to keep on writing wouldn’t be much fun at all.”

After lunch, I ask if I can take her photograph. Like a doting mother (Ekman’s middle name is Lillemor, little mother, and we become what we are called) she beckons me to sit down next to her. We exchange books. She writes a dedication to me in her own, and I do likewise. It’s a happy conclusion, our lunch is over, and then the idol of my youth is gone, departed into Stockholm’s winter.

1. A Question for My Father

In this talk from a writers’ conference in 1995 at the Louisiana Museum of Modern Art, Ekman sketches the fundamental themes of her work and what has inspired her over the years—women’s ambivalent relationship to the construction of society.

“It’s natural for me to depict society and to write about politics and technology—in that respect, as A Question for My Father makes clear, my father is there in the background. He was an incorrigible optimist when it came to science and progress, which he believed would save the world. Imagine if he had been around to see how far we’ve come! His world was in stark contrast to that of my mother. My mother was a born storyteller. She wasn’t an active proponent of the women’s cause, but she always took a female aspect on things. Gradually I began to realize there is a need to combat male construction of history. Which is not the same as saying that I don’t love my father and can’t see that he was dependent upon the beliefs he possessed. But after all, I am a woman and I see things from the woman’s viewpoint.”

2. Witches’ Rings

This is the first volume in Women and the City, a series of four novels set in and around Katrineholm—the small, industrial town where Ekman grew up—as it grows from a village to a provincial city over the course of the twentieth century.

“I had read a lot of books that took place in important places. I was about seventeen, I suppose, and would go to the Stadsbibliotek at home in Katrineholm. When I reached the age when I began to really ingest literature, I devoured the books that came in volumes. The Forsythe Saga, for instance. Les Thibault by Roger Martin du Gard. That sort of thing. You might wonder how much a high-school student from Katrineholm got out of reading about the Catholic environment portrayed in a work like that. But I think it attracted me because the small town in which I grew up was rather dull. And so it came as something of a shock to me to read Eyvind Johnson’s Minnas because it was set in a town just like that. I thought: Aha, so you don’t have to write about Paris.”

Ekman’s female characters often must subordinate themselves to their gender. In this scene, which takes places in the early 1900s, thirteen year old Edla, a scullery maid at the local railway hotel, eavesdrops behind doors and is initiated into the biblical tale of the virgin birth, while biology is already at work to determine her fate.

“In the nineteenth century, woman was biologicalized completely. Our gray matter was insufficient for us to think, our brains weighed too little and Darwin saw woman as a midway stage between child and man. But the fact is that we do possess a biological destiny and it entails that we become pregnant and give birth—not forgetting the power of comfort and caring. We carry a very considerable heritage on our shoulders, not only historically, politically, and socially, but also biologically. It is a heritage with which we are saddled. And if we refuse to carry it, we lose much of our reality.”

3. The Knife-Thrower’s Woman

The biological destiny of women is a theme to which Ekman has returned often in her work. The Knife-Thrower’s Woman, her only published volume of poetry, is an intensely personal account of a young woman’s ectopic pregnancy, miscarriage, and subsequent hysterectomy. Suffering from depression after the operation, she descends in a mythic journey into the darkest recesses of herself in order to regain her life.

“Moa Martinson wrote about this subject in Sweden—the female body, she wrote, is as scarred as a runestone by pregnancy and childbirth. I remember an illustrious critic by the name of Anders Österling, whom I knew from my time in the Swedish Academy, reviewing one of her books and concluding: the perspective of the womb prevails here. The perspective of the womb! I had no idea he was capable of such an opinion. I was very fond of Österling but when I read that, it was as though something exploded in my mind. I immediately went upstairs to my study and dug out a manuscript I had decided never to publish. It became The Knife Thrower’s Woman, and I can assure you it is a book in which the perspective of the womb prevails! But to think: I had put it away in a cupboard, and I had put it there precisely because in that manuscript the perspective of the womb prevailed. Astonishing, don’t you think?”

I love Ekman’s description of compassion as that which is divine in the relationship between people: “How wondrous it is that some want to get up early / drink instant coffee, take the bus and soothe / or try to soothe the pain, to heal.”

4. Bring Me Back to Life

“I believe very strongly that literature begets literature. That’s how it works."

Although this novel—in which a group of women meet regularly for conversation in Stockholm during the 1990s—can be read independently, it is very much in conversation with Eyvind Johnson’s Krilon Suite trilogy. Written during World War II and fiercely critical of National Socialism, Johnson’s trilogy portrays the character of Johannes Krilon and the work carried out by his resistance cell.

“It was after I left the Academy. We had bought an apartment here in Stockholm and one evening we had friends round, a professor of literature and his wife. We got talking about Eyvind Johnson’s Krilon Suite, and the morning after I went out for a walk with the dog. I walked towards Bellevue with her. Silva was her name. The idea suddenly came to me as we were walking along. I wanted to write a book in which women make up a kind of resistance movement, just like the men of Johnson’s Krilon Suite. I couldn’t stop thinking about it and didn’t dare go home again. It was just welling up in me there and we kept on walking. Eventually the dog tired, although she was a hunting hound, but I felt no sense of fatigue at all. When we got home I sat down and filled eleven small notebooks. Afterwards, I was so exhausted I could have fainted.”

You also see another one of Ekman’s central themes—the significance of memory, for us as individuals and for the narrative—in this novel, the title of which refers obliquely to the “remember me” aria in Dido and Aeneas.

“I was thinking of remember as re-member or bring me back to life. It is a bit of falsified etymology, for I think that remember and member as in limb actually have different origins. Yet memory is indeed that which assembles a person’s limbs into a living gestalt. I find the thought fascinating—and besides, I’m getting closer and closer to the age of Oda. Actually I may have reached her age now.”


5. The Practice of Murder

This novel, set in the early twentieth century, depicts the motivations of a cynic with precision and, like Bring Me Back to Life, is also in conversation with another book—in this case, Hjalmar Söderberg’s novel Doctor Glas. Pontus Revinge, a young physician who earns his living from examining prostitutes for sexually transmitted diseases, he poisons his part-time employer, Dr. Johannes Harms, marries his widow, and takes over his victim’s practice and life. (He also nurtures an infatuation with their daughter).

“Although this chapter doesn’t exactly showcase its most attractive characters, it’s an entertaining book. I enjoyed writing it, but it also made my gorge rise. You see, I wanted to show where misogyny comes from.”

In this scene, Revinge who has recently murdered Harms, finds out that his widow plans to sell him the practice.

6. Scratchcards

This is the third volume in Ekman’s Wolfskin trilogy. Elis (aka Elias) Elv, who was a very young man when the trilogy opened, is now an elderly man, with many secrets. In the first excerpt below, we follow one of his many “crimes.” The essence of Scratchcards is how the past always catches up with us. In the second excerpt Risten, the Sami narrator of all three books, tells how her son Klemens killed a wolf. In the northernmost part of Sweden, the Samis are attempting in vain to preserve their traditional way of life as the laws of contemporary civilization are imposed on them. Klemens is trapped between tradition and modernity and marginalized, as are the Sami generally. The wolf, a pervasive symbol, begins and ends this trilogy, which spans the twentieth century.

7. The Con Game—Grand Finale

In her latest novel, Ekman describes the intertwined fates of two women: Lillemor Troj appears to be a well-known contemporary author who has won may literary prizes. Her friend Barbro (Babba) Andersson, however, turns out to be the real writer, but is convinced that she cannot live up to her status because of an unattractive exterior and an antisocial bent. Together, the two women enjoy a long, successful literary collaboration until Babba decides to come out of hiding. Lillemor has been a sort of mask for her, a position she now attacks by writing in secret and submitting to “their” publisher a manuscript revealing the truth.

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A Question for My Father »

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Dorthe Nors is the author of five books in her native Denmark, including the story collection Karate Chop, for which she received the 2014 Per Olov Enquist Literary Prize. She lives in Jutland.

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A Public Space is an independent nonprofit publisher of an eponymous award-winning literary, arts, and culture magazine, and APS Books. Under the direction of founding editor Brigid Hughes since 2006, it has been our mission to seek out overlooked and unclassifiable work, and to publish writing from beyond established confines. Subscribe today, and join the conversation.

この文芸雑誌は創刊号から知っているがよく続いている。短編が中心で詩、評論、エッセイ、翻訳、ルポ、写真、美術評論ほか盛りだくさんしかも執筆者も様々で多彩かつ斬新、いつも感心している。

作家Kerstin Ekmanは、大分前にスウェーデンの文芸評論家が書いた「北欧文学素描」に出てくる。筆者による翻訳記事を読むはこちら→http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2005/05/6_bad5.html

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超人の面白読書 132 ネットで西脇順三郎『旅人かえらず』を読む

詩人の和合亮一氏が、毎日新聞夕刊の詩月評「詩の橋を渡って」(2018年4月13日)の冒頭で西脇順三郎の詩『旅人かえらず』(講談社学芸文庫)について言及していた。テレビ番組のコーナーで脚本家の大石静氏がこの文庫をカバンに入れて持ち歩いていることを紹介。今静かな話題になっていると書いていた。西脇順三郎の初期傑作を新鮮な覚醒の詩と評価し、それに対して、戦後すぐに刊行された『旅人かえらず』は、誰にでも親しめる身近な短い詩だと書き記した。『詩人 西脇順三郎』(クロスカルチャー出版)の著者の一人、太田昌孝氏に倣えば、『旅人かえらず』はアタルシア(心の平安)をもたらす詩なのだ。検索して解ったことなのだが、テレビ番組は安定した視聴率を誇る、つい1ヶ月ほど前まで有働由美子が司会を務めていたNHK「あさイチ」(2018年4月13日放送)だった。この番組は全国放送なので影響力があるはず。試しにアマゾンを覗いたらこの文庫は品切状態で、一部の古本屋にも在庫がなかった。筆者は大分前に手にして何度も読んでいる。今回ネットで読めることを発見したのだ。在阪の文学愛好者のサイトだ。このサイトで1時間かけて全168篇を再読。なるほど、なるほど。多摩川周辺を逍遙する西脇順三郎がいる、自然と戯れ、ときどき学識を散りばめながら自由自在に歩く〈幻影の人〉がいた。何故か永井荷風の下町逍遙を思い出した。少し時代は違うが同じ慶応の教授だった。仏文学と英文学の違いはあったが、後年は二人とも日本の江戸文学と民俗学に傾いた。『旅人かえらず』を読めるサイトはこちら→
http://www.asahi-net.or.jp/~va6n-nsok/shi1/tabibito-shi.html

このサイトから一篇。こういう詩もあるのだ。

二八

学問もやれず
絵もかけず
鎌倉の奥
釈迦堂の坂道を歩く
淋しい夏を過ごした
あの岩のトンネルの中で
石地蔵の頭をひろつたり
草をつんだり
トンネルの近くで
下から
うなぎを追つて来た二人の男に
あつたこんな山の上で


追記 筆者は今江ノ島アイランドに。これから鎌倉へ。ゴールデンウィークの後半戦、ときどき強い風が吹いているが、夏日を思わせる暑さと人混み、が、海からの風でクールな気分。マラルメの詩の『海の微風』の一篇も良いが、西脇詩、いいね。(5月4日 記)

追記2 この3月に退職した英米文学研究者(エズラ・パウンド研究、谷川俊太郎などの日本の詩人の翻訳などが専門)のN先生から最近贈られてきた翻訳本(An Anthology of Japanese Poems (1900s-1960s THE SINGING HEART compiled and annotated by Yamamoto Kenkichi Translated by William I. Elliot and Nishihara Katsumasa, Hon-no-shiro 2001. 原書: 山本健吉著『こころのうた』)文春文庫 1981年5月25日第1刷)、その中の西脇順三郎の「旅人かえらず」のページをN先生に許可を得て抜粋してみた。ドナルド・キ―ン訳などと比較すると良い詩歌鑑賞になるのではないかと。その抜粋部分を読むはこちら→表紙と翻訳文「20180515114523.pdf」をダウンロード 原書『こころのうた』の西脇順三郎「旅人かえらず」のページ「20180515114506.pdf」をダウンロード (5月15日 記)

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超人の面白テレビ視聴 歌手・ヴァイオリニスト サラ・オレイン 続

実は昨日の土曜日から妖精、癒しの歌姫、サラ・オレイン
Sarah Àlainnさん(筆者は昨年度だったか、NHK語学番組「大人の基礎英語」に講師として出演していたので少しは知っていた)の歌やゲスト出演した番組をずっとYouTubeで視聴していたのだ。3オクターブの音域を持つ、父親がオーストリア人の外交官、母親が音楽教授の日本人でオーストリア国籍のシンガー・ヴァイオリニスト。また、作詞家、作曲家、翻訳者、ディレクター、コピーライターの顔も。シドニー大学では言語学部でイタリア語など、音楽部では音楽理論などを専攻し首席で卒業(『ジブリ』などのアニメで日本語を学び、三島由紀夫の『金閣寺』The Temple of the Golden Pavilionを読み衝撃を受け、日本文学、文化にも興味を持ったらしい。母親は日本人だが家では専ら英語だった)、当時の東大教養学部にも留学している。まさしく才色兼備の女性だ。高音で歌い上げる歌は、しっかりした音程の上に感情が乗り、サラワールド、そう、アルファ波を出すヒーリング感たっぷりの新しい世界を創り出している(1/fのゆらぎの声の持ち主)。2010年にメジャーデビューを果たしている。なぜか九州での仕事が多いようだ。2012年11月にはNHKBS-1「地球テレビ エルモンド」に出演していた。この番組は筆者もよく観ていたが、サラ・オレインさんが出ていたとは知らなんだ!彼女のwebsiteによれば今秋からコンサートツアーが始まる。これからのサラ・オレインさんの“芸術”活動に目が離せない。サラ・オレインさんの詳細を知りたい方はこちらへアクセスされたい→http://www.sarahalainn.net/menu/index.html
追記 サラ・オレインさんの「ワイドナショー」に初出演した感想や次のテレビ番組出演まで書いている最新のインスタはこちらで→https://www.instagram.com/p/Bit8CiCl7KR/
ここで彼女が書いていたが「ワイドナショー」に出演した時の服装は私服だった。でもピンクが映えていた。So cute !
鬼母親はマイッタ、気持ちは分かるけど、ここは厳しい母親かママぐらいに。Sarah Àlainn の“Àlainn”の名前は、スコットランド・ゲール語(Old Irish)で美しいという意味らしい。やはり妖精fairyがたくさん住む国から来たようだ。(2018.5.14 記)
追記2 サラ・オレインさん、ムーミンが大好きみたい。

追記3 サラ・オレインさんが昨夜BS-TBSの番組『Sound Inn“S”』に出演して、「Time To Say Goodbye」 、「君をのせて」、ビートルズメドレーなどを歌い、自ら作曲したヴァイオリン曲「Animus」を披露した。衣装の色は赤、構成などを考えての歌(本人が言っていたが、一曲の歌を出だしは母国語の英語で歌い、次にヴァイオリン演奏を挟み、最後は日本語の歌で締める)とヴァイオリン演奏は、今までのアーティストとは一線を画する、チャレンジするアーティスト、表現者のようにみえた。これからも注目したい。この番組の詳細は収録模様を書いていたこちらで→https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20180519-00085379/

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